2004年11月12日金曜日

彼岸過迄

 貴方はを学問のない、理屈の解らない、取るに足らない女だと思つて、腹の中で馬鹿にし切つているんです

「須永の話」の最後で千代子から告げられるこの科白に、私はずぶりと胸を一突きされたのでした。過去に同じことをいわれたことがあったからです。私をいつも馬鹿にしていると突然責められて、私は狼狽しました。逃げ場を失ったように感じ、実際追いつめられていたのです。その時の私の応対もはっきり覚えています。まるで須永の応えにおんなじでした。だから、初めてこの本を読んだときには、なんとおそろしい話だろうと身震いしたのでした。

(画像はちくま文庫版『夏目漱石全集』)

須永には学問をする人間特有の不遜があって、それを千代子は感じ取ったんだろうなと思うのです。つぶさに物事を見てよく理解し、一家言を持ってしかし自分をわきまえていると思う。ときには自分を卑下して見せさえもする。こうした態度の傲慢は、学問をかじった人間どころか、ちょっと小賢くなっただけの人間にも往々に見られるものです。私はそうした人たちを軽蔑していて、多分須永も私のこの意見に同意してくれると思うのですが、けれどその肝心の私が軽蔑されて仕方ないような人間であった。こうした現実を突きつけるのが、最初にご紹介しました千代子の言葉であるわけです。

結局は自分が見えていないということなんでしょうね。もうちょっとくどくいえば、自分の思っているところと自分が諒解しているところにずれがあるのです。漱石はこの問題を『それから』で扱って、胸と頭の乖離であると解きほぐしています。そうなんですね。私たちは頭と心にずれを持っているんです。頭でせせこましく考えることで、本当の思うところを塗りつぶしてしまっているんです。私にはその傾向が特に強くて、あたかも自己の欲求に気づかないので、自己の欲求を満たすことはできないとされる神経症の様相を呈し、自分を矮小化したり肥大化させて揺れ動きながら千代子を傷つけること、須永に同じであったというのですね。

  • 夏目漱石『漱石全集』第7巻 東京:岩波書店,1994年。
  • 夏目漱石『彼岸過迄』(岩波文庫) 東京:岩波書店,1990年。
  • 夏目漱石『夏目漱石全集』第6巻 (ちくま文庫) 東京:筑摩書店,1988年。
  • 夏目漱石『彼岸過迄』(新潮文庫) 東京:新潮社,1952年。

引用

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