2004年11月30日火曜日

Different Trains / Electric Counterpoint

 アメリカの作曲家スティーブ・ライヒは、ミニマル・ミュージックの第一人者として知られています。ミニマル・ミュージックとはなにかといいますと、極小さな音楽の単位を何度も何度も繰り返して作る音楽のことで、例えばテクノだとかを思い起こしていただけるとわかりやすいんじゃないでしょうか。メロディよりも、リズムよりも、まずはなによりもモチーフがあって、繰り返しのモチーフが折り重なって生まれる、予期しなかったようなリズムやハーモニーのグラデーションを楽しむ。そういう風な音楽がミニマル・ミュージックと呼ばれています。

そういう意味では、『ディファレント・トレインズ』や『エレクトリック・カウンターポイント』はミニマルミュージックぽくはないんですね。

本来的にミニマルミュージックは即興的な要素も持っていて、その時その時の演奏に応じてどんどん変わってしまうし、それにぴったり合わせようとしてもだんだんずれてきてしまうといった、そういう偶然の要素も大切にしています。最初にいった、予期しないようなリズムやハーモニーというのは、こういう偶然生じるようなものを踏まえているんですね。けれど『ディファレント・トレインズ』、『エレクトリック・カウンターポイント』は、そういう偶然性の入り込む余地が少なめ、だからちょっとミニマル・ミュージックぽくはないかなと思うのです。

『ディファレンス・トレインズ』は、インタビューテープから取り出された言葉の断片をもとに構成されたメロディが、録音テープにあわせて弦楽四重奏で演奏されるという、ちょっと特殊な形態を持っています。

そのインタビューテープというのは、戦前の思い出を語るものであり、ホロコーストの経験を語るものであり、そこから取り出された言葉の断片は、汽車の走行音や汽笛とあわさることで一種独特の雰囲気を作り上げます。こうした幾重にも重ね合わされた分厚い音に、弦楽四重奏の演奏が加わって『ディファレント・トレインズ』は完成するのですが、それは一言には語りにくい世界です。

濃厚な雲がもくもくとかたちを変えながらうごめいています。私たちは雲の中を、客車の窓からうかがいながら駆け抜けていく。そうした悪夢のような不気味さが感じられます。黒雲は、光に照らされ鈍く色合いを変えたかと思うと、思い掛けないような美しい錦をうちから吐き出して、けれどそれらの印象は、次々と背景に追いやられていってしまうのです。

次に現れるものも、同じような雲です。けれどそれは間違いなくさっき見た雲とは違っていて、そしてやっぱり後ろへ後ろへと追いやられていきます。雲はどことなく人の顔のようにも見えて、口々に話しかけてくる声は本物です。私たちは頭の中に反響する声を感じながら、耳を傾けるでもなく、ただ聞き流すだけでもなく、堂々巡りに思い巡らす遣る方ない考えにふけっている — これが私にとっての『ディファレント・トレインズ』の世界なのです。

それに比べると、『エレクトリック・カウンターポイント』は随分見通しがよく感じられます。パット・メセニーのギターが多重録音で幾重にも重ねられて、これは黒のベルベットに浮かぶ金色の煙ですね。美しく輝いて、けれどちょっと不健全な匂いもして、和声が折れ曲がるときの美麗さ、小刻みに突き上げてくるベース音の官能性といったら、ちょっと言葉にはできない。いずれも耽溺して、いつまでも包まれていたい世界で、やっぱりこれらは一時の夢なんです。けれど夢は結局覚めるのだから、音楽の終わりで私たちは此岸に引き戻されてしまって、なんだか呆然と恍惚としたまま、またプレイヤーの再生ボタンを押したくなっている。

そんな魅力があるのが、ミニマル・ミュージックなのであります。

2004年11月29日月曜日

トリコロ

  最初は四コマ専門誌の一新人に過ぎなかった人が、あれよあれよと人気になって、雑誌の看板になって、CDドラマも出て、なんだかすごいなと傍観してたら、英語版が出る運びになりました。うわあ、びっくり。欧米でジャパニーズマンガが人気というのは心底思い知っていますが、まさか今の段階で『トリコロ』翻訳が出版されるほどに広がってるとは思いませんでした。いや、あるいは出版社が売り込んだのでしょうか。

いずれにせよ、快挙であると思います。海藍さん、おめでとうございます。

この人の描く漫画は、いまのところ『トリコロ』しか単行本化されておらず、また『トリコロ』以外の連載も軒並み終了休止と、読み手としてはちょっと残念な状況になっています。私、『ママはトラブル標準装備』が好きで、特に猫としては非常に器用なうなが好きだったのですが、これはきっぱり終了して、バックナンバーで読むほかない。うーん、残念です。『トリコロ』とは違うノリがあって、海藍のプリミティブな側面も見られてすごくいい雰囲気だったのですが、まあ終わってしまったことをいつまでもくよくよいうのはよくありません。

『トリコロ』はポスト『あずまんが大王』を狙って企画された、戦略的タイトルだったんですね。女の子たちのぬるい日常と語られることの多いジャンルで、確かに『トリコロ』もそういった構図を内にはらんでいます。けれど、結果的に『トリコロ』は『あずまんが大王』とはまったく違う漫画にできあがってしまって、そしてそこが当たったんですね。

二匹目のドジョウを狙いながら、ドジョウになり得なかったところが『トリコロ』の持ち味でしょう。それは多分海藍という人が、狭い漫画の世界に埋もれて、その過去作品の断片から自作を指向するのではなく、全然違うアプローチで持って取り組んだ結果なのだと思うのです。実際、この人は担当編集者に『あずまんが大王』を求められるまで、『あずまんが大王』を知らなかったというらしいのですから。

多分この人は自分の作るものにしっかりとした世界を構築することを求める、ある種完璧主義の人で、またある意味たいへん朴訥に不器用で、なにかを真似しようとしても決まって全然違う、どうしたって自分の持ち味が出てしまうタイプの作家なのだと思います。これまでの足跡をてんてんたどってみれば、いろいろ試行錯誤しながら進んでこられたことは明らかで、だからこの先もうまく、楽しみながら進んでいってくださると、読者としても嬉しいなあ。と、私はそんな風に思うのです。

  • Hai-ran Tori Koro : Tri Color. vol. 1. California : ComicsOne, 2005.
  • Hai-ran Tori Koro : Tri Color. vol. 2. Diamond Comic Distributors, 2005.
  • 海藍『トリコロ』第1巻 (まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2003年。
  • 海藍『トリコロ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 以下続刊
  • 海藍『トリコロプレミアム』(まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。

2004年11月28日日曜日

夢十夜

 昔、私の漱石好きを知った人から、なんかおすすめはないかといわれたことがありまして、猫とかはもう知ってると思うし(読んだかどうかは別としてね)、だからといっていきなり『それから』とかをおすすめするのも厳しいかもと思ったので、読みやすく手ごろな小品 — 『夢十夜』をおすすめしてみることにしました。

『夢十夜』は、夢に見た物語を十編並べたもので、ひとつひとつのお話はとても短い、けれど内に含む深さは長編にも負けることのない。私は実にこれが傑作であると信じて疑わないものです。

(画像は新潮文庫『文鳥・夢十夜』)

ですが、件の人はそうは思わなかったようでして、まずなによりその面白さがわからないとおっしゃいます。仁王を彫る男に、仁王をこしらえるのじゃなく木の中に入っているのを掘り出してるのだといわれて、じゃあ自分もやってみようと思った。けど明治の木には仁王は埋まっていないようだという話。だからなんだというのか全然わからないといわれて、私は絶句したのでした。

ええ、この話が一番わかりやすくて、ユーモアもあり含みもあり、漱石の芸術観もうかがえる。私には、この話がわからないといっているその人のいうことがわかりませんでした。そして、この世には話のつながらない関係というのが確かにあると、実感するにいたったのでした。

『夢十夜』にはユーモアやおかしみだけでなく、美しさや儚さ、苦さ、悲しさ、機微も含まれて、これがほんの数十ページしかない小品であるとは到底思われないほどの読みごたえです。一言で表現するとすればロマンティックでしょう。すべてが茫漠たる霧中の出来事のようです。掴もうとすれば指の間をするりと抜けるような不確かさが、一歩歩み寄ることで、読む私たちを包むだけの大きさを持っているのです。

この話は、外から見てためつすがめつ斟酌するようなものではなく、内に飛び込んで自ら遊ぶのがきっと正しい。天地を転倒させ、自分もふわふわと漂いながら、その感覚さえも楽しむ、ワンダーランドの趣ある物語なのです。

  • 夏目漱石『夢十夜 他二篇』(漱石文学作品集) 東京:岩波書店,1990年。
  • 夏目漱石『漱石全集』第12巻 東京:岩波書店,1994年。
  • 夏目漱石『夢十夜 他二篇』(岩波文庫) 東京:岩波書店,1986年。
  • 夏目漱石『文鳥・夢十夜・永日小品』(角川文庫クラシックス) 東京:角川書店,1956年。
  • 夏目漱石『夢十夜;草枕』(集英社文庫) 東京:集英社,1992年。
  • 夏目漱石『文鳥・夢十夜』(新潮文庫) 東京:新潮社,1976年。
  • 夏目漱石『夏目漱石全集』第10巻 (ちくま文庫) 東京:筑摩書店,1988年。
  • 夏目漱石『夢十夜』金井田英津子版画 東京:パロル舎,1999年。

2004年11月27日土曜日

ウインダリア

 昔がよかったというのは年寄りの常套句で、実際以上に過去を美化して今を顧みないという恥ずべき態度の表明、もう私は発展も変化もする余地のない、生きているだけの死人でありますよと自白するようなもので、できれば口にしたくない言葉です。ですが私はあえていいたいのです。アニメに関しては昔がよかった

そのよかった時代 — アニメが、他に頼るものもなく自ら自分の価値を確保しようと躍起で、まさに成長さなかであった時代に作られたのがこの『ウインダリア』でした。なにかこれまでになかったことをやろうという意欲にあふれて、できあがったのはこの玉のような作品だったのです。

私が『ウインダリア』をはじめて見たのは、関西ローカルの『アニメ大好き』という番組ででして、私くらいの年代のアニメ好きは皆口をそろえていうのですが、『アニメ大好き』はよかった。OVAを、高くてにわかには買えなかったOVA作品を、春夏冬といった休みの時期に、連日放送してくれるという素晴らしい番組だったのです。そこで『ウインダリア』が紹介されていて、もちろんステレオ、ノーカット(これが『アニメ大好き』のポリシー)。そして見終えて、私は泣きに泣きました。こんなに悲しい話があろうか、胸を締めつけて涙を絞りましたね。

このアニメの素晴らしいところは、その叙情性であったと思います。今歳をとってから見れば性急にも感じられる展開ですが、しかし登場人物の思いは丁寧に描かれていて、伏線の用意もその処理もきっちりと余すことなく、すべてはラストに向かって織り上げられてゆくのです。テーマは、口にするとどこか気恥ずかしさに身悶えしてしまいますが、ですね。信じること、信じて待つこと、そして裏切ったことへの後悔—。

物語はシンプルで、「童話めいた戦史」というサブタイトルも示すように、どことなく民話的でもあるのですが、ところが全編みずみずしく新鮮さにあふれています。これは、勃興するジャンルの躍動感に裏打ちされたためかも知れません。ひとつのテーマにすべてが集約する瞬間、一気に世界が展開し、物語内の感情は私たちの心に移って現実の思いに重なるんです。こういったカタルシスを得ることは、最近少なくなりました。それは私が老いたためかも知れません。ですがそれだけではないと私は思うのです。

余談ですが、『ウインダリア』には小説版もありまして、こちらは『ウィンダリア』、イが小さいんです。小説も素晴らしくよかったんです。ですが私は買わずにすましてしまった。これは後悔です。

ちょっと身近に探してみようかと思います。通販で買ってもいいんですけどね。

2004年11月26日金曜日

小人たちが騒ぐので

 ああ、私、やっぱり川原泉が好きです。なんというか、シンプルな線で表現される、ちょっと世間に背を向けかけたような川原さんが好きなのです。この世に降りて飄々と戯れする御使いのような人 — 氏の単行本に見える四分の一スペースへの偏愛を隠すことのない私にとって、『小人たちが騒ぐので』は、なににもかえがたい素晴らしい贈り物となったのでした。

なんといいましょうか、そう、丸ごと一冊が川原泉。普段ならコマの端々や四分の一スペース、ちょっとしたエッセイ風後書きにしかでることのない作者川原泉が、この本ではほぼ丸ごと一冊出ずっぱり! ああ、素敵、素晴らしいですわ。と、取り乱してしまうくらい好きです。

基本的にはエッセイ漫画なんでしょうね。日常での思うことなどが、氏の独特の淡々とした筆致で描かれているのですが、やっぱり自分がテーマだからか、川原節は押さえ目です。あの、川原の書く哲学的岩波文が好きな人には物足りないかも知れない、そういう感じの希書であります。

川原節が消えていったのは、氏がオトナになったからなのではないかと思うんですね。エッセイ「若気の至り」において、昔の自分が書いた詩に恥じるという話があって、いや私はそういうぶった川原さんも好きなのです。だって、昔の単行本に見える七五調と難渋文の味わい、あれを好きだという人はきっとたくさんいらっしゃるはずで、間違いなく私もその一人なんですから。けれど、川原さんは子供の頃の勢いから遠ざかって、ちょっと距離を置いて見られるくらいにオトナになられてしまったんですね。

だから、この本は変わりゆく川原泉のサナギの頃なのでしょう。この本を経て、『ブレーメン II』で大輪の花を咲かせる。その川原さんの変態の軌跡がこの本には見られると思ったのです。

さて、自分の詩に恥ずかしがるカワハラも可愛いのですが、もう目茶苦茶可愛いのですが、NHKのジャック・フロストに感動するカワハラも可愛い、この上なく可愛いのです。光の守護聖ジュリアス様に身悶えするカワハラも可愛くて、ここでは私が身悶えします。ああ、川原さんもゲームお好きなのねえ〜。

と、本日は私の変態ぶりもちょっと見ていただきました。ええ、そうです、私はこんなやつです。ええ、本当に駄目な奴なんですから!

2004年11月25日木曜日

アムステルダム

 古くからの友人同士で、お互いにわかり合っていると思っている奴がいます(それとも私だけ?)。わかり合ってるといっても、ずっとべったり友達というわけでなく、年に一度会うか会わないかだなあ。連絡もほとんどとらない。けれど、そうしたことが問題になることはないんですね。会えば、時間だとかなんだとかは関係なくなる。誰にもそんな人間というのが一人ぐらいいるんじゃないかと思います。

ただ、そうした友人関係というのも善し悪しだなあと、イアン・マキューアンのアムステルダムを読んで思ったのでした。あ、私は作曲家クライヴ・リンリーの立場から思ったんですね。

この小説のテーマというのは、やっぱり友人関係なんだと思うんです。ひとつの時代や感慨を共有していて、けれどどこかに少し齟齬を来しているのが人間の普通です。その、本来なら問題にしないような齟齬が、ある状況下で取り返しのつかないほど大きくなってしまう。そういう誰にもありうることが、テーマとして的確に掴み取られています。お互いに深く食い込んでいる友人を、自己に深く食い込ませているがために、ときには親密に感じ、ときにはこれ以上なく疎ましく感じる。友人関係の二面性! そいつが実に鮮烈に描写されているんですね。

新聞編集長のヴァーノン・ハリデイ、作曲家のクライヴ・リンリー。立場も暮らすスタイルも違う二人が主役に据えられることで、読者は自分をどちらかに投影してぐっと引きつけることができるのでしょう。私には、クライヴが鏡となりました。奔放でむら気な性質が、時折浮かぶ金色の雲を掴みそこねて、どんどん剣呑さを増していく。その様は、いや、実に私っぽいですよ。そうです。私は昔、先にいった友人を、自分のむら気ゆえに激しく憎んで、一年にもわたる間辛く遇したことがあったのです。そんなもんだから、この話の行方は他人事とは思えませんでした。実に、私の内面の影が落ちる、迫真の物語だったのです。

  • マキューアン,イアン『アムステルダム』小山太一訳 (Crest books)東京:新潮社,1999年。

2004年11月24日水曜日

ドルアーガの塔

 もう、オールドゲームっていいきっちゃっていいと思うのですが、名作と名高い『ドルアーガの塔』、私はこれが大好きです。

敵を倒しアイテムを集めながら全六十階の塔を踏破、悪魔ドルアーガを倒して恋人のカイを助け出すというのがゲームの最終目的でした。まだロールプレイングゲームというのは知られていなかった時代のゲームで、それゆえジャンルはアクションに分類されますが、そこかしこに漂うRPGライクな雰囲気に、子供時分の私は酔ったんですね。攻略本を片手に、強烈に難解な謎を片づけながら最上階を目指したのは、いったい幾度になることでしょうか。何度クリアしてもクリアしてもまたチャレンジして、アイテムや敵キャラをノートに描き写したりして、頭の中には濃厚な魔物の世界が広がっていた — ああ、あれはまぎれもなくファンタジーでした。

けど、仮に今これが、オリジナルのままでリリースされたとしたら、クソゲーのいわれを避けることはできないでしょう。というのもですね、各階に隠されている宝箱の出し方というのがきわめて難解な上に、ヒントがないのです。なので、当時のゲーマー達は、有志で情報を交換し合いながら、トライ&エラーの繰り返しで攻略するほかなかったと聞きます。そうした苦難の結晶が攻略本に結実していて、つまり私たち一般ゲーマーには攻略本なしでは手も足も出ないようなゲームだったのです。

加えて、今では普通に用意されているコンティニューという救済措置もなくて(隠しコマンドだったそうですね)、つまり持ちキャラ三人を使い切ったら終わり。途中にひとつだけ出る蘇生のポーションと点数による1upを足してもチャンスは五回ですね。ああ、やっぱり私には救済措置が必要ですよ!

最近、アリカから新作がリリースされたようで、ちょっと私も興味があったのですが、買うにはいたりませんでした。なんといいますか、私には昔のあのサディスティックとしかいいようのない『ドルアーガの塔』がすべてなんです。何度ノーコンティニュークリアにチャレンジしても敗れる、あの『ドルアーガの塔』が好きなんだから仕方ないんですよ。

ところで、このゲーム、ゲームブックにもなってるんですよ。国産ゲームブックの最高峰に位置するもののひとつといってもいいくらいの出来で、超名作。私、これもたくさんやりましたね。マッピングしながら六十階を目指すんですよ。そう、ちゃんと六十階用意されていたのです!

2004年11月23日火曜日

The Song Remains The Same

 日本語でのタイトルは『狂熱のライブ』であるようなのですが、あんまりピンとこないので、英語のタイトルで紹介してみました。『狂熱のライブ』、レッド・ツェッペリンのライブ映像で構成された映画なのだそうで、そのおかげでミュージックビデオとは思えない価格が実現しました。ええと、2004年11月時点で2,100円。というか、他のミュージックビデオもこれくらいの価格にはならないものでしょうか。もうちょっと安ければ買えたのにと思う、実は欲しいのに買えてないDVDというのはたくさんあります。せめて昔ビデオやLDで出ていたものの再リリース版なら、これくらいの価格にしても罰は当らないと思うのです。

さて、映画並に廉価なレッド・ツェッペリンDVDですが、じゃあ内容はどうなのかというと、充分値段以上のものはあるんですね。ちょっとしたビデオクリップといった雰囲気で、まれに、ええい、そんな映像はいい、ジミー・ペイジを映せ、ペイジの演奏ぶりを、とかそんな気分になることもあるにはあるのですが、けれどそうした映像の雰囲気も含めて『狂熱のライブ』という一本の映画であるわけですから、文句をいってはいけません。

ジミー・ペイジは当時第一級のギターヒーローだったわけですが、その理由がわかる映像ですよ。レス・ポールをヴァイオリンの弓で弾いたり、またテルミンを使ってみたり、そうしたトリッキーな面もさることながら、普通のギタープレイがかっこいいんですね。足は軽快にステップを踏んで、ギターをかき鳴らす細身のシルエットがすごく色っぽいんですね。いやあ、私の先生がツェッペリンの時代にギターをやっていまして、この人の持論であるギタリストは尻から足にかけてのラインが美しくなければならないという、その理由がわかりましたよ。つまりあの先生は、ジミー・ペイジをギタリストの理想像として見ていたんですね。

レッド・ツェッペリンはハードロックの始祖といえるようなバンドだと思うのですが、けれど今の時代から見れば、やっぱりちょっとクラシカルな感じもするんですね。メロディーがあって、リフも聴きやすく伝わってきて、ハードロックに親しみのないという人でも、素直に聴くことができるのではないかと思います。そうやって、素直に聴いてみればわかるんですよ。レッド・ツェッペリンは、あるいはロックというのは、非常に多様性を持ったスタイルで、攻撃的なとがった面もあれば、美しいリリカルな要素も充分持っている。こういう多要素が盛り込まれて咲いた花がロックで、さらに独自の美意識を発展させようとしたのがツェッペリンのハードロックだったんじゃないかと、私などは思うようになりました。

多分、だから、この映画も独自の美意識に彩られているのでしょう。やっぱり映画というよりも音楽が強く、けれど音楽一辺倒でないという多要素が盛り込まれた、独自の美なのであろうと思います。

2004年11月22日月曜日

卒業式

 私はまっすぐであることに憧れます。まっすぐにものごとを見据えて、決して流されないという生き方 — けれど現実には難しいんですね。智に働けば角が立ちます。情に棹さし流されながら、窮屈に耐えてどこまで意地を通せるか。そこがまっすぐ生きるための要点であるというのに、ところが私は意気地がないものだから、すっかり世間のことは世間のこと、自分には関係ないことなのだと割り切って、あえて世間の求めることを求めるままに片づけるばかりにしています。

生き方としてはまったく下劣で、われながらあきれてしまいます。『卒業式』のヒロイン清良の言葉でいえば、すっかりナメクジになってしまっているのですね。

清良の用語ナメクジは、阿部謹也の用語では世間にあたります。世間というのは、それを構成する者同士が相互に圧力を与え合うことで維持される、利害をともにする集団とでもいえばいいでしょうか。世間に属し、世間内部の実力者に癒着していれば利益にあずかる機会も得られるかも知れないのです。ところが、一旦外されてしまえばどんな不利益を被ることになるかわからない剣呑さを世間は持っています。そして、無言のルールに従わないものを排斥しよう排斥しようという力が、世間には充ち満ちています。こうした利害と排斥の構造が、世間に逆らうことの無意味さを学ばせて、結果我々大人ままならない世間を嘆きながら、あえてそこから飛び出すことを考えないようになるのです。

『卒業式』に収録された四編は四編とも、それぞれにかたちや表現、視点を違えながら、世間の与える圧力と、そこから抜け出そうとする少女たちのせめぎ合いを描いて新鮮です。彼女らの姿勢はあまりにもまっすぐで、純粋すぎるくらいに透明で、ああ私にはまぶしすぎるのだなあ。

自分のもつ下劣さ — 世間に対し否定的批判的であるくせに、実際世間にまとわりつかれる場では、あえてその構造に否をいわない — があぶり出されるような気持ちになるのですよ。ああ、自分には彼女らの生き方はできない。けれどまっすぐな姿勢、みずみずしい感性は、私にとっても理想であったはずなのです。かつては、世間にまみれたくない、自分の思うところに殉じたいと思っていた私が、今ではナメクジの一味になってしまってのうのうとしている。こうした現実を見て私は、恥じ入るばかりに死んでしまいたくなるのです。

この短編を読んで、こんなのきれい事だと笑っておとぎ話みたいにするのは簡単で、けれどこうしたところにナメクジ化の一歩があるんです。これらが作り事なら、個人の確立した世界というのも存在しないということになります。群体のうちに自分を殺して、目を開けたまま眠って暮らすような毎日が正しいとは、決して私には思えないのです。そうした日々に空虚を感じる人には、この短編集は訴えるところがあるはずで、そして今の時代には、清良の声をはっきり聞くことのできる人がきっとたくさんいるはずなのです。

2004年11月21日日曜日

中国いかがですか?

  私が中国語を始めたのはこの漫画に出会ったからでして、もう何年前のことになりますか、たまたま寄った書店でちらりと見たOffice Youに掲載されていたのでした。そういえば、後日ちゃんとその掲載号を買ってまして、ええと、探してみたら1998年の10月号。うへえ、もう六年前になるんですね。こいつは驚きだ。

その回というのは「ぎょーかの逆襲 日本いかがですか?」、いや正確には「“なんだかなぁー日本 vs 中国”編」ですね。日本人が中国に対して驚くことがあるように、中国人も日本に来てみたらこんなにおかしなこといっぱいでびっくりだ、ということが紹介されてて面白かったのです。いやそれよりも、今世紀最強のイケてる中国女子大生「ぎょーか」(当時)への興味が勝っていたような気もしないでもないのですが……

結局『中国いかがですか?』と、それから中国拳法の漫画『拳児』も手伝って、私の中で中国ブームが巻き起こったんですね。中国の雄大で大らかな部分ももちろん魅力ですが、日本とは違った異文化としての中国もまた面白く、その後学びはじめた中国語の語感、用語法もすごく興味深かった。それまではほとんど興味のなかった中国が、漫画をきっかけとして急速に身近なものとなっていって、結果的に私の視野は広がったのだと思います。

中国語を習いにいっていたのは二年間ほどでしたが、その時の老師や同学とのつきあいはまだ続いています。年に一度二度ほど集まって、老師を囲む会を開いているのですね。そして、今年の会はまさに今日行われておりまして、こうした人間関係の広がりもまた『中国いかがですか?』に導かれたものだと思うと、縁とは不思議なものでありますね。

老師を囲む会で、これが私が中国語を学ぼうと思ったきっかけですといって漫画を見せたら、老師が小田空という名前をご存じで、しかもそのプロフィールをよく知ってる。大学生として留学したのがきっかけで日本語を教えるようになり、その後教える場所を変えて云々、こうして老師が覚えていらっしゃるというのは、学生として日本にきて中国語を教えるようになったという、ある種似た足取りを経ているからなのではないかというように感じたのでした。

小田空の中国体験の面白いところは、中国の良いところだけを書くのではなくって、中国の悪いところ、遅れているところも全部含めて受け入れて、しかもその上愛しているというところなんだと思います。日本人からみればおかしな風習だと思うようなものも、明らかに政府主導が強すぎて不自然になっているところも、ちっとも信用できない公共機関や電化製品の数々も、その体験した当時にはきっと腹立たしく思ったりしただろうのに、振り返って漫画にするときにはよい思い出にしているんです。これはよっぽど中国という国にはまっていないとできないことだと思うのです。

そして、発展する中国を見て、その発展を喜んでいる小田空。私はその漫画に描かれたことを見て、同じように喜びたいと思ったのでした。一面的なイデオロギーやなんかに主導された受け取り方ではなく、地に降りて良い面も悪い面も体験し、そして大切に思う部分をしっかり抱きしめることができたからこその思いなのではないか。私なんかにしては、そういう感慨を抱けるこの人のあり方がすでにうらやましく、素敵なことだと思ったのです。

2004年11月20日土曜日

機動戦士ガンダム ギレンの野望

  ガンダムは出せば売れるということもあるのか、昔からいろんなかたちでゲーム化されてきて、ボードゲームやカードゲームからコンピュータゲーム、最近ではネットゲームにもなっていますね。もちろん名作もあれば駄目なのもあって、その落差たるや言葉に尽くせぬほどひどい! 片やゲーム史に残るかというほどの出来だというのに、もう一方は詐欺としか言い様のない — いやけれど、最近は随分ましになってきていると思いますよ。

ガンダムのゲームは数が出ているだけあって、そのカバーするジャンルも多岐にわたります。純アクションからシューティング、シミュレーションにいたってはタクティクス(戦術)型もストラテジー(戦略)型も両方出ているというすごさ。はい、本日紹介する『ギレンの野望』はストラテジー型に分類されるシミュレーションゲームです。

戦略と戦術の違いをおおまかにいうと、戦術というのは短期的な戦闘を扱うもの、対して戦略は長期的展望に基づいて戦争全体を戦うものと考えていただくといいでしょう。『ギレンの野望』は先ほどもいいましたとおり戦略型のゲーム、ということは、ジオンないしは連邦の指導者となってあの一年戦争を戦い抜くというわけです。

やることはいっぱいありますよ。派兵先の決定、第三勢力との交渉、内政には気を配り、諜報活動、新兵器の開発、その上人事まで考えないといけない。

数ターン先を常に見越して、敵が狙ってそうな領地があれば防衛部隊を配備し、疲弊した部隊には補給を送る、激戦地には後詰め部隊を派遣する。不穏分子がわくといやだからその前に弾圧しといて、たまには戦意高揚キャンペーンで国民を鼓舞するのもいいなあ。戦闘が始まれば総帥自ら指揮をとって戦術面での苦労も味わって、なんだか傍若無人に強い白いMSがいるからとりあえず取り囲んじゃえ、などなど。

こうしたことを、限られた予算の範囲内でこなしていくわけですが、いやあこれが実にしんどくて時間もかかります。けれどこんなにしんどいばかりのゲームが面白いんですね。実にやりがいがあるのです。勝利すれば達成感に感極まるし、それどころか苦境に立たされて撤退を余儀なくされたとしても、その苦労が楽しいんです。知恵熱出してくらくらしながらでもコントローラは離しません。寝ても覚めても、敵の拠点を手持ちの部隊で攻略するにはどうしたらいいか、ぐるぐるぐるぐる考え続けてしまう、それくらい熱中させるゲームはなかなかあるもんじゃありませんよ。

けれど、この面白さは万人向けではありません。まずシミュレーションゲームが好きじゃないといけない、そしてガンダムを知っていることが必要です。時間に余裕があることも大切でしょう。たった1ターンを終えるのに一時間超えたりするゲームですから。

けれど、こうした条件を全部クリアできる人には、手放しでおすすめできるゲームです。といいながら、今の私には無理です、時間がないんです、もう一回クリアするなんて到底できそうにないのですから、とんだジレンマ — ああ、本当はまた遊んでみたいんですよ。

2004年11月19日金曜日

ONE KNIGHT STANDS

 まさに衝動買いをしたのです。CD店、邦楽のフロアに入ったときに流されていた音楽にびびっと引かれてしまい、しばらく呆然と聴いていたかと思うと、やおらレジに近寄って店員を一人つかまえ訊ねたのでした。

— 今流れているのはなんですか?

— これです。

— じゃあそれをください。

レジそばに置かれていた現在演奏中のアルバムは山崎まさよしの『ONE KNIGHT STANDS』。こうして私は、まったくなんの前知識もなく、聴いた音楽に魅了されるままにアルバムを買って、そこには躊躇とか迷いとかが浮かぶ余地さえありませんでした。

『ONE KNIGHT STANDS』は山崎まさよしのライブアルバムで、ギター一本、一人で弾き語りするという実にアグレッシブなライブ。しかし、ただ一人だというのにこの広がりはなんだー。と思わず問わずにはいられないほどにパワフルでグルーヴィで、実際この人は並の人ではないと度肝を抜かれます。

ギター一本で弾き語りといえば、どことなく侘びしさとか地味とかそういう印象を持つのは私だけですか。けれどもしあなたがそう思っているなら、このアルバムを聞いてご覧なさい。そんな思い込み吹き飛ばされるくらいにすごいですから。

じっと座って聴けるものではありません。ビートが背中を押すんです。リズムがはじけて煌めいています。声を上げてしまいそうです。しかもこの完成度がライブで実現されているんだからすごい。チャンスは一回こっきりのやり直しなしのライブでは、どこかまずいところがあったりするのが普通なのに、そうした揺らぎをまったく感じさせない。この人の音楽性が、きわめて高いところに結実しているとわかります。

どーんとでっかい存在感が目の前にある、アルバムの印象を言葉にするとこんな感じでしょうか。しかもリズミカルでダンサブル、一転してメロウでセンチメンタル。表現の引き出しもたくさんあるから、ディスク3枚の時間をまったく飽きさせません。CDを聴いているだけでこんななのですから、ライブではどんなにかすごかったのでしょうか。いつかこの人のライブには行っておかないと、とそんな思いにとらわれるのです。

2004年11月18日木曜日

『室内』40年

  『室内』というのは工作社の出している雑誌で、その前身は『木工界』といいました。名前を見れば中身もおおよそ見当がつくと思いますが、木工品などを作る業界の人、職人の読む雑誌です。じゃあ、この『『室内』40年』というのはなにかといいますと、この雑誌『室内』の歴史を追う回想記、工作社の社史です。けれど工作社社長にして著者であるのが山本夏彦翁。ただですむはずがないじゃありませんか。そう、この本は社史にして社史に留まらず、社会史戦後史昭和史建築史、とんでもない膨らみをもった実に恐るべき本なのですよ。

実は今日、テレビを見ていたら、建築デザイナーの家というのを映してまして、それが実にひどかった。床が透明アクリル張りで下から丸見えというのもそうなら、風呂も丸見え、便所も食卓のすぐそばで丸見え。ナレーション曰く、この建築デザイナーとやらの作る家は風変わりで云々、一瞥してこいつら馬鹿じゃないかと思いました。作らせた人間、止めなかった人間、そして面白がって持ち上げる人間。どいつもこいつも正気の沙汰ではありません。

建築というのは、特に住宅というものは、住む人間があってはじめて成り立つものです。それをただ真新しさや奇をてらった作りにして見せて、ほらこれが建築芸術でございとやってみせる。そうした、居住者の存在をないがしろにしているものが住宅と名乗るのは実におこがましい。醜悪です。とかくこの世にあって、アーチストぶっている輩ほど始末に負えないものはないとわかります。そうした連中は自意識丸出しに、誰のためにもならないものばかり作って自己満足に浸って有害です。

と、私がこと住宅についてこうしたことを思えるようになったのは、他でもなく山本夏彦翁の本を読んでいたからです。氏の本は、ただ面白がって読んでいるうちに、真当な態度で考え、批評する基礎が身につくという、実に希有なものなのです。

夏彦翁は工作社社長でありながら、自身が文筆をする人でもあります。建築業界を見、出版を営み、自らも書く。この多彩なありかたが実際著書にもよく表れて、話題はあっちに行ったりこっちへ行ったり。けれどその散漫がちっとも散漫に感じない。ひとつ翁の実感があまりに生き生きしているもんだから、まるで目の前にその光景を見るかのように絢爛で釣り込まれてしまうのです。氏の興味はもちろん木工の世界、職人の世界でありますが、おそらくそれ同等か以上に出版の世界、広告の世界、実業の世界、社会風俗に向けられています。こうした広範な事物への知識興味が、工作社女子社員との対談という形式でつづられたのが『『室内』40年』そして続く新書の三冊です。

これらの本での夏彦翁は、思い出語りするみたいな雰囲気で、戦前という時代、戦後昭和のことを明らかにしていきます。そのほとんどは一見なんだかセピア色に感じられるのですが、読めば現在への鋭い言葉があると気付きます。この氏の感性が、ややもすれば現在に取り巻かれて、鈍くなってしまっている私たちをはっとさせるんです。たびたび自分の鈍さを自覚させられていくうちに、自ら考え出すようになっているのですから、氏の影響力は絶大です。

山本夏彦翁の本は、独特の文体(それがまたよいのですが)でつづられるので、本を読み付けない人にはしんどいかも知れません。ですが対談形式による『『室内』40年』以下は、そもそもがかみ砕かれていて読みやすく、山本夏彦入門として最適です。

しかし入門といって侮る事なかれ。入門ではあるがそれでもしっかり実のあって刺激に富んだ、やはり希有な本なのです。

2004年11月17日水曜日

ガールフレンズ

  なんでか知らないのですが、最近友人に恋愛相談を持ちかけられておりまして、男性側の意見を求められているといったらいいのでしょうか。けれどそもそも、恋愛そのもののことにせよ男性としての意見にせよ、私に相談するのはどこか間違っているような気がします。

とはいいましても聞かれれば答えるのが私です。一通が二通になって、三通四通とメールをやりとりしているうちに思ったのですが、その人はどうも素直すぎるような気がするのです。よくいえば一途ですが、悪くいえば盲目的で、それゆえ一面的で複雑性に欠ける。それではよくないと思うのですね。なので、ちょっと山下和美の『ガールフレンズ』なんてすすめてみようかと思っています。

山下和美の漫画に出て来る人は、基本的に一途で素直で、けれど裏に含むものを持って、そこが魅力になっています。この、山下和美的裏面を友人関係のなかでクローズアップさせてみたのがこの『ガールフレンズ』で、やはり多面的に立ち回れる人というのは、男性女性問わず魅力であるなと再確認するのでした。

自分の欲しいもののために働いた友人への裏切り、友達に嫉妬してやまない卑屈さあるいは優越的にあることに発する傲慢さ。こうした、本来なら表に出したくない感情を、ときには自分自身にさえ隠してしまうような醜さを、はっきりと直視している人のなんと魅力的なことであるか。

作中の、自分の妻の卑怯な面を聞かされた男の科白、前より好きになったというフレーズに、私の意見は集約されているのではないかと思います。目の前にいる人が、ただ従順でかわいらしいだけの存在でないと知ったときに、愛憎含めてその人の本当に近づくことが可能になるのではないかと、私は思っています。そう、愛憎含めてというところが重要なんじゃないかと思っているんですね。

2004年11月16日火曜日

ボラーレ! — ベスト・オブ・ジプシー・キングス

 ジプシーキングスのベスト盤はいろいろあって、そこからひとつ選ぶのもなんか迷ってしまうものですが、だったら私はこの『ボラーレ!』をおすすめしたいのです。『ボラーレ!』というのは、ビールのコマーシャルで一斉風靡をしたカンツォーネですね。しかもこの曲の人気は日本だけに留まらないようで、US盤でもUK盤でも『ボラーレ』がベストアルバムのタイトルに上がっているのだから、その人気の程が知れます。

アメリカでは英語じゃない歌は売れないというのが相場だそうですが、ジプシーキングスばかりはそうした逆境をものともしないのだと聞いています。フラメンカなギターバンドの音楽は、ダンスミュージックとしても人気で、一時などはダンスシーンを席捲したとかいう話です。

このアルバムの魅力は、そのボリュームではないかと思います。二枚組、フィーバーとパッションと題されたそれぞれのディスクに、ジプシーキングスの魅力がぎゅうぎゅう詰め込まれているんですね。ジプシーキングス漬けの生活を送れそうな分量といったらいいすぎでしょうか。いいすぎですね。

このアルバムでのおすすめは、各ディスクのラストを飾る『マイウェイ』と『ホテル・カリフォルニア』でありましょう。すごいですよ。あまりに演奏されすぎるものだからどこか馴れてしまったこの二曲も、ジプシーキングスの手になれば強烈なアパッショナータでもって立ち上がってくるようです。両方スペイン語で、聞いて理解できないという恨みはありますが、けれど言語を超えた力を持っています。リズムの力、歌声の力、それらがあわさって強靱なうねりになっているんですね。

これら二曲の他で私が好きなのといえば、『ジョビ・ジョバ』(このPVがDVD化されることがあったら絶対買います)、『バンボレオ』、『ニコラスのルンバ』、『カミーノ』などいろいろありますが、けれどどこを切り取っても魅力があふれるのがジプシーキングスのよさであります。実際、これがいいと思う歌は次から次に思い浮かんできて、収拾がつかないほどですから。

2004年11月15日月曜日

ゴジラ

 ゴジラにいろいろあるけれど、広く人に勧められるほどの出来といえば、第一作のゴジラしかないと思うのです。戦争の記憶が色濃い時期に作られたゆえか、理不尽な破戒の力に対する恐怖や憤りが画面全体にみなぎって、骨太の筋も迫真の演技も光っています。テーマの正しさにしても間違いなく一級。これが後の怪獣プロレスと揶揄される人気者ゴジラムービーに続いていくのかと思えば、なんだかその足取りが寂しくなります。

いやそれでもモスラやヘドラなど、それぞれに問題提起をしている怪獣映画もあったのです。ただ、第一作ゴジラがその始祖にして最も深みに到達することに成功しているというのは、論を俟たないでしょう。他があくまでも怪獣映画であるのに対し、第一作のゴジラは怪獣映画のカテゴリーに留まらない広がりを持つのですから。

私がはじめて見た映画は『モスラ対ゴジラ』 — 小美人がザ・ピーナッツだったやつ — で、だからというわけでもないのですが、怪獣映画は初期のものに限ると思っています。後のものになればなるほど、ゴジラが知られすぎた顔見知りみたいになってしまってて見てられないんです。本来ゴジラが持っていた破壊と恐怖の具現なんてのは、もうどこからも消え去ってしまっていて、やあ久しぶり元気してたみたいな、どこか緊張感を欠くようなはめになってしまいました。

それは見ている側の問題でもあります。ですが、作り手側も物語世界のことにしても、既知の恐怖としてすでに用意されているゴジラをそのまままな板に乗せるから、結局おなじみゴジラさんになってしまう。あらお元気でした、みたいに見てしまう。意欲的なものもあって、それはそれなりに期待しては見たんですが、ゴジラがゴジラとしてできあがってからのゴジラは、もう偉大なる先例の焼き直しみたいにしか見れず、がっかりしました。

ゴジラの恐怖が後になればなるほど感じられなくなるのは、やっぱり人の姿がよそよそしく、小奇麗になるからなんじゃないかと思うんですね。第一作ゴジラの避難する人たちの姿は、すごく真に迫っています。モスラ対ゴジラなんかでも、大八車引いて逃げるんですよ。こういう、生の人間が迫る破壊になすすべもなく逃げ、そしてただ恐怖が過ぎ去ることを祈るという、そういうリアリティは高度経済成長から平成にかけて、どんどん失われていったのではないかと思ったんですね。あるいは、そういうリアリズムを追求することが求められなくなっていったのかも知れません。結局よそ行きのいい顔してるようでは、ゴジラのゴジラたる部分は伝わらないのかも知れません。

2004年11月14日日曜日

ツレちゃんのゆううつ

  『ツレちゃんのゆううつ』、好きでした。ヤングジャンプに連載されていた漫画で、けれど青年誌らしい血気盛んさとかからは無縁の穏やかな時間が流れる小品でした。ちょっと女性的な感性があって、けれど男性的な視点もあって、その中性的な感じが面白く、心地よく読めました。

もう、ツレちゃんが終わってから十年経つんですね。著者による自薦集が文庫になってるのを見て、ちょっと感慨が沸いたのでした。

この漫画の見どころといえば、もうツレちゃんでしょう。可愛いんですよ。基本的にとっても素直で、けどいつもツレちゃんを困らせるちょびっと怠惰で甘えん坊のお母さんに怒ってすねてみたりする、そうした表情仕種がすごく可愛い。けなげなツレちゃんと、ずぼらさに色気が漂うお母さんのバランスが、すごく絶妙で理想的で、ああいいなあと思う。そういう漫画でした。

思い返せば、九十年代当初はまだ癒し癒しといわれなかった時代で、それゆえツレちゃんには新鮮味がありました。それに、後の癒しブームに乗っかって出て来るのが、どこまでいってもブームの後追いでしかなかったのに比べて、ツレちゃんはすごく魅力的なんですね。ほら、なんていったらいいのかな、結局はやりにすがった亜流なんてやつはブームの終わりとともに一緒に消えていくんです。けどツレちゃんにはそんな時流にまどうところがなく、ちゃんとツレちゃんの世界をつくりあげていた。だからこそ、ちゃんと覚えている人は覚えています。懐かしく思い出す人がいます。これは、やっぱりツレちゃんとお母さんの世界が魅力的で、一過性のものではなかったという証拠なのだと思います。

  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第1巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1990年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第2巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1990年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第3巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1990年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第4巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1991年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第5巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1991年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第6巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1992年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第7巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1992年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第8巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1992年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第9巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1992年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第10巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1993年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第11巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1993年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第12巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1993年。
  • 三島たけし『ツレちゃんのゆううつ』第13巻 (ヤングジャンプコミックスワイド版) 東京:集英社,1994年。

2004年11月13日土曜日

下弦の月

   書店で愛蔵版がでてるのを見て、懐かしくなりまでした。私はこの漫画が好きで、どういう風に話が展開していくのか、毎月毎月楽しみに読んでいたのです。小学生四人組の、いじらしくも前向きな姿やほのかに揺れる恋心がすごく美しくて、もう大切な大切な、宝物みたいな話だと思っています。

映画になったのだそうですね。ですが、おそらく私は見ないでしょう。

キャストを見ると、小学生四人組が中学生二人組に変えられていて、年齢が上がったのはわかります。あまりに大人びた感情の動きを実写で表現するには、やはり中学生であるほうが自然という判断だったのでしょう。けれど四人が二人になったのはやっぱり寂しい。映像であの込み入ったストーリーを追う関係上、人を減らして見通しのよさを得る以外になかったのだとは思いますが、この物語は白石蛍と香山沙絵のさざめく恋心も大切な軸であったと考える私にとっては、やっぱり寂しく思えるのです。子供たちが蛍を思いやり、その思いやりに蛍が応えたいと願う気持ちが描かれることと対照されることで、美月サイドの裏切りと逃避の物語が際立つように思えるのです。

けれども、美月サイドの視点から物語を追ってみたいという気持ちもあるんですね。裏切って傷つけてしまった人が昏睡状態であるという状況下で繰り広げられる心理劇、そこへ飛び込んでくる不思議な小学生たち! ヒューッ、なんかわくわくさせるじゃないですか。漫画が詳細にサスペンスを追いそこに仄かな恋愛劇を描いたのなら、どろどろの愛憎劇に吹き込んでくるミステリアスな子供たちというのもいけると思うのです。

映画は美月サイドを主人公にしているみたいなので、もしかしたら私の見たいと思っているものに近いのかも知れません。だから見れば結構いいと思いそうな気もするんですね(でも私は多分見ない)。

ところで、原作に見るアダムのギターは、多分オベーションがモデル(カスタムレジェンドあたりですね)。他にも、20th Anniversary Macintosh Spartacusが出て来るところもいかす!

そういった方面をご存じの方にも充分訴える、名作ですよ。

  • 矢沢あい『下弦の月』第1巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1998年。
  • 矢沢あい『下弦の月』第2巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1999年。
  • 矢沢あい『下弦の月』第3巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1999年。
  • 矢沢あい『下弦の月 — Last quarter』上 (愛蔵版コミックス) 東京:集英社,2004年。
  • 矢沢あい『下弦の月 — Last quarter』下 (愛蔵版コミックス) 東京:集英社,2004年。

2004年11月12日金曜日

彼岸過迄

 貴方はを学問のない、理屈の解らない、取るに足らない女だと思つて、腹の中で馬鹿にし切つているんです

「須永の話」の最後で千代子から告げられるこの科白に、私はずぶりと胸を一突きされたのでした。過去に同じことをいわれたことがあったからです。私をいつも馬鹿にしていると突然責められて、私は狼狽しました。逃げ場を失ったように感じ、実際追いつめられていたのです。その時の私の応対もはっきり覚えています。まるで須永の応えにおんなじでした。だから、初めてこの本を読んだときには、なんとおそろしい話だろうと身震いしたのでした。

(画像はちくま文庫版『夏目漱石全集』)

須永には学問をする人間特有の不遜があって、それを千代子は感じ取ったんだろうなと思うのです。つぶさに物事を見てよく理解し、一家言を持ってしかし自分をわきまえていると思う。ときには自分を卑下して見せさえもする。こうした態度の傲慢は、学問をかじった人間どころか、ちょっと小賢くなっただけの人間にも往々に見られるものです。私はそうした人たちを軽蔑していて、多分須永も私のこの意見に同意してくれると思うのですが、けれどその肝心の私が軽蔑されて仕方ないような人間であった。こうした現実を突きつけるのが、最初にご紹介しました千代子の言葉であるわけです。

結局は自分が見えていないということなんでしょうね。もうちょっとくどくいえば、自分の思っているところと自分が諒解しているところにずれがあるのです。漱石はこの問題を『それから』で扱って、胸と頭の乖離であると解きほぐしています。そうなんですね。私たちは頭と心にずれを持っているんです。頭でせせこましく考えることで、本当の思うところを塗りつぶしてしまっているんです。私にはその傾向が特に強くて、あたかも自己の欲求に気づかないので、自己の欲求を満たすことはできないとされる神経症の様相を呈し、自分を矮小化したり肥大化させて揺れ動きながら千代子を傷つけること、須永に同じであったというのですね。

  • 夏目漱石『漱石全集』第7巻 東京:岩波書店,1994年。
  • 夏目漱石『彼岸過迄』(岩波文庫) 東京:岩波書店,1990年。
  • 夏目漱石『夏目漱石全集』第6巻 (ちくま文庫) 東京:筑摩書店,1988年。
  • 夏目漱石『彼岸過迄』(新潮文庫) 東京:新潮社,1952年。

引用

2004年11月11日木曜日

グラン・ブルー

 私はこの映画でジャン・レノを知って、だからこの人がどんな役をやったとしても、どこかにエンゾを見ようとしてしまうんですね。しかし本来脇役であるはずのエンゾの魅力的なことったら、主役のジャン・マルク・バール演ずるジャックを押しのけてしまっているようではないですか。いや、ジャックももちろん魅力では負けていません。ですが、確かに魅力的ではあるのですが、私には、人懐こさや悲しいまでのひた向きさが一堂に会したみたいなエンゾが主役以上に魅力的に映ったのです。

多分、こういう人ってたくさんいますよね。

さて、エンゾ好きという点では多数派に属する(のかな?)私ですが、実はこの映画でもう一点好きなところがありまして、そちらに関してはおそらく少数派です。

どんなシーン? といいますと、潜水の大会にやってきた日本人集団が、なんだか身内だけで変な盛り上がりを見せて、結局選手がプレッシャーで駄目になっちゃうというところ。私、このシーンがすごく好きです。

なんで日本人がこんなけったいな描かれ方してるのに好きなのか、それはこのシーンに日本人像がうまくでている、日本の中にいるとそれほど異質には思わない身内だけで固まる閉鎖性、変に馴れ合っている気持ち悪さが表現されていると思うからなんですね。私、この身内で凝り固まるの、大嫌いなんですよ。ほら集団が個人を包摂している感覚、そこには個人の意識よりも集団の論理が優先されていて、みんな息苦しさを感じながらけれどあえてその集団制を維持しようと努めている奇妙さ。大っ嫌いです。なので、初めてこの映画を見たのは小学生だったか中学に入っていたか、それくらいの頃だったと思いますが、よくやってくれた! と心中喝采しました。自分の中にあった日常の違和感が、見事にかたちになった瞬間だったのです。

対してジャックとエンゾはどこまでも個人で、自分の信念やプライドが大きすぎるために、他者よりもロマンを優先してしまうのですね。家族も恋人も顧みることなく、一途に自分の目標に邁進する。これ、周りの人間にすればたまらん話ですよ。けれど私は、こうした生き方に非常に共鳴してしまってしびれたのです。ああ、こんな風に生きられたらなんて素晴らしいだろうかと思ったのです。

だから、チャンスがあればエンゾやジャックみたいにしようと思ってる私です。周りには迷惑をかけるか知らないけれど、留まることで澱んでしまうのなら、私は一生流れる水でありたい。理想にまっすぐ目を向けて逸らさない意志を持ちたいと願うのです。

2004年11月10日水曜日

Nights In White Satin

 遅れてきたロックファンである私は、数年前に発見した『Nights In White Satin』に夢中になって、もう実際驚いたというかあぜんとしたというか、オーケストラと共演するロックの美しさ、深遠さにすっかりまいってしまったのでした。

1967年にリリースされて大ヒットしたアルバム『Days of Future Passed』のラストナンバーを飾ったのがこの曲でした。アルバムの邦題は『サテンの夜』だったそうで、それだけこの曲のイメージが強かったこと、人気のあったことがうかがえます。

しかし、こうしてあらためて確認してみると私の生まれる前のことなんですね。

私は数年前から六十年代七十年代のロックを聴くようになって、ジャンルとしてはプログレッシブロックまで含まれるくらいの時代ですね、その土壌の豊かなことにおののくほど驚いたのでした。ロックに導入されるクラシックや民俗音楽的な要素の数々。あくまでも当時最先端であることを目指したロックは、多様な様式を飲み込んで、しっかりと自分のものとして消化したのですね。思えばこういうことは、いつの時代でもあり得たことで、例えば古典派の作曲家はトルコ軍楽の要素をこぞって取り入れましたし、ドビュッシーもガムランの響きを意識していました。1960年代70年代には、ロックにおいてその動きが目立ったのですね。自身のフィールドを拡大して彼らの音楽は絢爛豪華に花開いたのだと、過ぎた昔と思いながらもその当時の潮流の激しさが目に浮かぶようです。

この時代にロックに取り組んでいた知人に、彼らによって大抵のことは試されてしまっていると話したことがありました。そして『Nights In White Satin』が好きだ、あのオーケストラの広がりが非常に素晴らしいというと、あれはデッカのスタジオで録音されたもので云々、いろいろ教えてもらうことができたのでした。

オーケストラが使われ、そして語りが効果的に使われているせいもあるのでしょうが、この曲からは強い物語性を感じで、あたかも映画みたいに感じられます。そして、アルバム全体を見渡してみれば、その印象は間違っていなかったということがわかるんですね。いわば、アルバムという全体が収録曲という部分にまでしっかりと反映しているという証拠なのでしょう。この時代、特にプログレ系のアルバムは、アルバムとしての完成度を追求していたといわれますが、こうしたことをよくよく理解できるアルバムです。

Moody Blues & London Festival Orchestra

2004年11月9日火曜日

Wizardry

 なんだかクラシックゲームが密かな人気のようなので、クラシック中のクラシックといえるゲーム、Wizardryを取り上げるのでした。なにしろ、私が小学生だったころ、初めてドラゴンクエストに触れた時点ですでに古典になっていたほどのゲームでして、なのに今なお愛好者がいるというのですから、その偉大さは私が重ねて説明することもないのかも知れません。

けどいいたい。WizardryはコンピュータRPGの始祖にして完成形であります。私が最も長く、深く遊んだゲームはまぎれもなくWizardryで、RPGというジャンルを思うとき常に思い出すのがWizardryで、あたかもその世界が存在するかのように夢想したのもWizardry — どのようなときでも頭の片隅に大切にしまわれている、かけがえのない思い出みたいなゲームなのです。

人によって一番いいという版が違っているのもWizardryの面白いところで、大抵その人が最初に触れたものを最上というケースが多いようです。というのは、つまり私にとってはファミコン版こそが最上であるといいたいわけです。

ファミコン版。ROMカセットで供給されるため、ディスクアクセスといった時間的ロスは発生せず、バッテリーバックアップによって随時セーブされるタイミングも絶妙。もちろんセーブに時間がかかるということもありませんでした。末弥純によるシックで存在感あるモンスター原画も素晴らしく、そして羽田健太郎のBGMの実によく練り上げられていること。素晴らしかった。ファミコン版Wizこそ最上という人は、おおむね私のいうところに賛同してくださるものと思います。

今Wizを遊ぶというのなら、プレステ版が一番入手しやすく、手ごろなんじゃないかと思います。『リルガミンサーガ』が第一作から第三作までを、『ニューエイジ・オブ・リルガミン』が第四作と第五作を収録していまして、『リルガミンサーガ』からプレイするのがいいでしょう。

プレステ版のいいところは、オリジナルに比較的忠実に移植されているところです。ファミコン版ではデータの移行の問題からキャラクターのレベルがリセットされた第二作ですが、プレステ版はオリジナル版と同様、第一作で育てたレベルや所持アイテムをそのままに送り込むことができます。また謎解きについても、タロットの知識を要求するなどの理由でファミコン版では削られていたのがちゃんと収録されています。なので、Wizardryをプレイするという観点からみれば、ファミコン版よりプレステ版のほうがいいかも知れませんね。

ただ、ファミコン版ユーザとしてはプレステ版には文句があって、ファミコン版同様末弥純のモンスターグラフィックを採用するなら、なんで呪文名やアイテム名もファミコン版同等のものを選べるようにしてくれなかったんだと思うんですよね。

とはいえ、文章を英語オリジナルに変更したり、画像もPC-98のを選んだりできるのは(ファミコン版でも言語選択できたんだからこれくらい当然という気もしますが)ありがたいかぎりで、またこんな風にちゃんと作ってくれるからこそ、アイテム名に文句をいいたくなったりもするんですね(よっぽど同様の文句が多かったのか、『ニューエイジ・オブ・リルガミン』ではファミコン版と同じアイテム名を選べるようになっています)。

ともあれ、今Wizardryを楽しむならプレステ版がベターというのは間違いありませんので、興味のある方はぜひプレイしていただきたいものです。

ファミコン

スーパーファミコン

プレステ

セガ・サターン

PC

2004年11月8日月曜日

旗色悪い古舘

報道ステーションに石原慎太郎がでていて、古舘伊知郎は果敢に食い下がるも敗色濃厚、石原の揺るぎないことまさしく石の如しです。

例えば教育にしても、強制だなんだと問題にするのが問題で、だって近代教育の生まれた根拠を振り返れば一目瞭然です。国民国家を成立させるためには国民を作り出さねばならず、教育に期待されるのはまさにその一点だったのでありますから。ゆえにアメリカを問わず中国を問わずどこの国でも愛国心教育をして、子供のうちから国家への忠誠をたたき込んでいくのであります。石原の前提はそこにあるのですから、君が代日の丸の強制は問題じゃないのかと問うても、ちっとも問題なんかあるものかという答えが返ってくるのは当たり前なのです。

古舘は負けて当然、相手の土俵で戦いすぎです。石原の得意分野で、理論武装もすんでいるところへ飛び込んで、なにしろ石原は正義は我にあり、文化伝統が自分の味方と思ってるような人ですから、持論を曲げるなんてことあろうはずがない。

しかし文化や伝統なんて、時流についていけないことを体よく言い換えただけのものですよ。あるとき、なんかの都合で作り上げられるのが文化や伝統で、常に変化し続ける動きのなかには生まれないのが文化伝統です。文化伝統と呼ばれたとき、すでにそのものは死に体なのです。じゃあ死に体にすがるのはなんでなのか? 古びた時代にノスタルジーを見て、昔はよかったと思う人間がいるからです。ことわざにいいます、喉元過ぎれば熱さを忘れる。文化伝統が大好きなんていってはばからない人は、過ぎた熱さを忘れてしまうような人です。

名探偵活躍する場所

今日、名探偵コナンの終わり数分をちょっと見て、コナンに限らず現在の名探偵ものは、警察の能力を不当に限定することで成り立っているのだと思ったのでした。名探偵が偶然に見付けるなんやかやで崩れてしまうようなせせこましいトリックなど、警察の捜査力や組織力をもってして解決できないわけがないではありませんか。

なんてったって警察は、私らがやると法に触れるような、それこそ憲法に保障されている権利を侵害してしまうくらいの捜査をしても罪に問われないんですから。

警察国家に名探偵の出る幕なんてないのですよ。

道具術

Yahoo! に入れても出てこない、どうしたらいいのかと母親がいうのです。いったいなんのことかと思ったら、新聞の広告に出ていたURIをそのままYahoo! で検索したらしく、つまりコンピュータに親しみのない一般の人の知識はこの程度であるということなのでしょう。

私たち、比較的若い世代はこうしたコンピュータに疎い先の世代を見て、なんでそんなこともわからないのかといぶかしがったり馬鹿にしたり、インターネットを適当にぐるり見渡してみればそうした言説は簡単に、しかも多量に見付けることができるはずです。けれどコンピュータをひとつの道具として見れば、この新しい道具を使おうとする人が使い方をわからないというのは当たり前のことで、なんら馬鹿にされたりする必要などないのです。私たちは、先の世代が普通に使ってきた道具をもはや普通には扱えなくなっている世代に属しているのであり、道具とともに蓄積されてきた技術や知識を備えないことを省みれば、先の世代がコンピュータに疎いこととちっとも違わないのですから。

そんなわけで『道具術』という、以前読んだことのある本を思い出したのでした。

この本の扱う道具というのは、私たちが日常に使う道具ではなくて、斧やナイフなどアウトドア指向の強いものです。しかも出来合いの道具をそのまま使うのではなく、自動車のサスペンションに使われる板ばねからナイフを作るなど、自給自足的色合いの濃い、いうならば昨今忘れられ欠けている本来的な道具とのつきあい方を再確認できるような内容です。

道具に関する説明は図解入りでわかりやすく、しかも作り方、使い方を説明するだけではありません。なぜこの道具を使うのか、作ったのかを含めて、生活と密着した道具観が語られています。本来的に道具というのは、人間が外界のなにかに働きかけようとするときに媒介となるものでして、道具から外世界を見るという視点があるといえば言い過ぎかも知れませんが、単なるハウトゥーを脱してライフタイルを含めた人生観を感じさせる一冊になっているんですね。

今、この本を思い返せば、コンピュータを理解できないのは手に返ってくるフィードバック感に乏しいからかも知れません。ある種の人たちはコンピュータに関しても間違いなくそのフィードバックを得ていますが、そうしたものを得られない人にとっては永遠にわからない機械であり続けるんでしょう。

しかし、手で使う道具にしても、そのフィードバックを感じない人がいる(!)のですから、結局は人の力というか感受性の問題というかにつきますね。繊細な感性を失いつつある近代人は、そのことをもっと真摯に反省しなければならないなあと思うのでした。もちろん、自分も含めてですよ。

2004年11月7日日曜日

BAD HOT SHOW

 私は長く音楽に関わってたというのに、いわゆるミュージックビデオというものの存在意義を理解しなかったのです。ミュージックビデオというのはPVとかミュージッククリップとかそういうのではなくて、ライブの録画をパッケージにしたものといえばいいと思います。別にレコードがあれば充分だし、映像なんてあっても見ないよ、使い回しも悪くなるじゃんなんて思っていたのですね。

けど、3弦ベンチャーズ見てみたさにこのDVDを買ったことで、今までの思い込みががらりと変わってしまったのでした。ミュージックビデオがこんなに面白いものだなんて、まったく自分の不明を恥じますよ。

さてさて3弦ベンチャーズというのはなんかと申しますと、BAHOのふたり — 竹中尚人 Char と石田長生がそれぞれ3弦だけ弦の張られたギターを使って、ベンチャーズメドレーをやるというものであります。偶数をChar、奇数を石田長生が担当、合わせるとギター一本分になりますね。正直すごい出し物だと思って、見ないと駄目だと思ったのでした。

けれど、こういうちょっと色物っぽい部分も面白いのですが、それ以外も非常に素晴らしかった。懐かしの名曲を集めたGSメドレーは、懐かしさよりもかっこよさが前面に出ているし、オリジナルの曲も渋かったり楽しかったり胸に染みたりのりのりの大盛り上がりだったり、ああこりゃすごいと感じ入ったのでした。

持ち味の違ったギタリストふたりのステージは、やっぱりギタープレイに興味津々になってしまうのですが、けれど歌もすごくいいんですよね。「誰のためでもない舟」とか「酸素」とか、「アミーゴ」もいい。どれがいい、どれが好きと指し示すこともできますが、そんなことを抜きに、ステージ全体がいい。沸くんですよね。なんかうきうきするんです。こんなの、ほんとにはじめてでしたよ。

DVDでこれだけ面白いんだったら、ライブだとどんなになるんだろうと思いますね。機会があれば見に行きたいと思っていますが、残念、いまだその機会には巡り合えていません。だから、仕方ないから過去のDVDをチェックするみたいになって、結局ミュージックビデオにはまってしまったんですね。

そんなこんなで、『BAD HOT SHOW』は私にとっての一大転機となったのでした。

ところで、二人がこのステージで使っていた楽器、Ovation Elite 1868Tを欲しいなと思ったことがあるというのは内緒です。おんなじ楽器を使ったからといって、あんな風に弾けるなんてありえないのにね。

2004年11月6日土曜日

川端康成・三島由紀夫往復書簡

 私がこの本を読んだきっかけというのは、フランスの友人が川端と三島の往復書簡集を読んでいるといっていたからでありまして、欧米におけるこの二人の知名度はすごいのだなと感心しました。いうまでもなく川端はノーベル賞作家でありますし、三島も、ノーベル賞こそはとっていませんがかなり知られています。作品も数多く翻訳され広く読まれているのは周知の通り、さらには金閣寺などはオペラにもなりました。こうした背景があるからこそ、往復書簡が翻訳出版されることにもなったのでしょう。

往復書簡を読んで、私は三島が意外に身近な人なのかも知れないと思ったのでした。三島由紀夫といえば、どうしても楯の会や自衛隊駐屯地での事件を思ってしまい、どうにも近寄りがたい雰囲気を感じていたのですが、書簡に見る若い三島は、なんかいろいろ悩んでみたり迷ってみたり、さらには愚痴めいた弱気もみせたりする。また自分の著作に対する自信や謙遜や喜びやいろいろの感情がないまぜになって、生き生きと表現されている。上気して一生懸命敬愛する川端先生に話す姿が目に浮かぶような文章の数々です。

手紙はもちろん若いときだけでなく晩年のものも所収されており、そこに見る三島は、変わらず情熱的でありながら、どこか切迫しているようです。いや、これはこの人のその後を知っているから、そのように感じるというだけかも知れません。けどおそらくそうではなく、三島は実際追いつめられていたのでしょう。意志や意識を先鋭化しようと努め、ついではその自ら築き上げた精神に追いつけなくあえいだのではないかと感じたのです。いや、もちろんこんなものは私の感想で、実際のところはわかりません。ですが、少なくとも私はこうした三島の側面を知ったつもりになったことで、今までより以上に三島を近しく読めるようになったと思います。

2004年11月5日金曜日

もっけ

   ちょっと昔を思い出させるような懐かしさが漫画全体から漂ってきて、それだけで私は嬉しくなるのですよ。私の育ったところは、ちょっと田舎でけれど実際には田舎ではない — 核家族化の進みつつある住宅地 — という中途半端なところでして、けれど昭和という時代には、道端の神様や彼岸と私らの世界を往き来するなにかが確かにいたようなのです。夜には暗がりがあって、町内にはちゃんと地蔵が祭られていて、それにそうしたものたちの名前が大人の口にのぼることも珍しくありませんでした。

身の回りのあらゆる事物、一木一草までに魂や神性が宿っているというのを子供はおぼろげながらでも感じていました。こうした実感が日本的な宗教観の基調をなしていて、ある種のモラルを支える力にもなっていたと思うのですね。少なくとも私にとってはそうでして、偏在する人でないものたちへの意識が、時々の判断や自制に少なからず関わってきたのです。

けれど今ではこうした素朴な宗教観というのはなくなってしまったんでしょうか。まったく顧みられなくなるか、あるいは巨大組織化した宗教ヒエラルキーに取り込まれてしまうか、そういう極端なあり方ばかりが目に付いて私は疑問ばかりです。内面の精神世界というのは、本来その世界を胸中に抱く私たちひとりひとりが真摯に受け止め育むものであるはずなのに。そのように考える私は、昨今の精神世界を取り巻く状況にどうしても馴染めないのです。

この漫画には、神様を含めた人外の住人への温かな眼差しと同時にシビアな感覚があふれていて、おそらくかつて私たちの祖先はこうした感受性を持って自然森羅万象に対していたのでしょう。実際にどうであったかはわかりません。『もっけ』の世界そのものが一種の理想像である可能性もあって、けれど私はそうは思いません。口伝伝承のなかに豊かに広がりをもって存在する、人の踏み入れることの許されない世界。このような異質な世界が意識されることで、私たち人は奢ることなく、自分の分をわきまえた生をまっとうすることができるんじゃないかと思うのです。

『もっけ』の世界は、ノスタルジーをもって振り返られるみたいに懐かしく、けれどこれは現在の話でもあります。物神崇拝が嫌というほど進行してしまった私たちの世界は、この漫画の主人公たちのように豊かな精神世界を再び手にすることで、忘れられたバランス感覚を取り戻すことができるんじゃないかと、私はただただ彼女らの世界を思慕するものなのです。

  • 熊倉隆敏『もっけ』第1巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2002年。
  • 熊倉隆敏『もっけ』第2巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2003年。
  • 熊倉隆敏『もっけ』第3巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2004年。
  • 熊倉隆敏『もっけ』第4巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2005年。
  • 以下続刊

2004年11月4日木曜日

マーゴス・エレーラ

 マーゴス・エレーラはメキシコ出身の歌い手でして、歌ってる歌のほとんどは自作であるという、そういう意味では非常にオーソドックスな人であります。シックな雰囲気漂うジャズっぽい作風は、アメリカはニューヨークそしてボストンにてジャズを学んだという経歴から考えれば普通ですが、単なるジャズという感じもしないんですよね。ジャズの雰囲気もよく消化して、シンプルで力のある音楽に仕上げてられているのですから、どっしりとした音楽の土台というのがあるんだろうなと想像させるのです。

本当によい音楽ってどんななんでしょうね。と、こういう問いへの答えのひとつがマーゴス・エレーラであるのだと思うのです。

例えば私なんかが音楽を作ろうとするとどうしても理屈くさくなって、ごちゃごちゃ複雑にしてしまいます。そして悪いことにこの手の音楽は巷に溢れていて、しかも決まって音楽としての力に欠けているんですね。

それに比べてマーゴス・エレーラのシンプルにして揺るぎないこと。もちろん技巧や技術はそこかしこに見られて、音楽を洗練させていること間違いありません。ですがそういった技巧技術の前に音楽のボディがある。ボディがしっかりしているから、周りをいろいろさわったとしてもちっともへこたれることなく、受け止めて更なる魅力を発揮できるのです。詩にしても同じことで、簡潔に美しいイメージを捉えている。これがセンスといえばそれだけのことですが、このセンスを育む音楽的土壌があったのだと思います。それはきっとメキシコの古くからの音楽で、普段巷で聴かれ歌われている音楽で、それらが血に溶け込むほどに深められているのでしょう。

先達ての九月、東京と大阪にて開催されたFiesta Mexicanaでこの人のステージがあったそうでして、私はNHKのスペイン語会話でそのことを知りました。ああもっと早く知っていたら絶対聴きにいったのに、と私はいつも情報が遅くてあとから残念がるんです。

2004年11月3日水曜日

マツケンサンバ

 もう、いわずと知れたという感じがしますが、そう、松平健の大ヒットタイトル、その名もマツケンサンバです。

なんでこの時期にマツケンサンバを話題にするかと申しますと、先達て知人と今年の紅白はどうだろうという話をしたときに、このタイトルがでたんですね。だってですよ、はっきりいいまして今年話題になった曲といえば、私、マツケンサンバしか知りません。去年はなんだかいろいろちょこちょこヒットだなんだというのがあって、それなりに話題にもなったのもありましたけど、今年はそういったヒット曲ってあったのでしょうか。もう本当に全然思い浮かびませんということで、マツケンサンバ、これで決まりと相成ったのでした。

紅白でマツケンサンバ、考えただけでもなんだかわくわくしますよ。イタリア製のラメ生地でこさえた着物をお召しの健さまが、NHKホール狭しとサンバのリズムで大暴れです。子供から大人まで巻き込んで、老若男女大興奮のステージになること請け合い。この曲をはずすわけあるまいと思ったんですね。

さて、この曲が話題になって妙に受けた背景には、音楽が変にアートぶったものになってしまったという状況があるためなんじゃないかと思っています。この数年の傾向だと思うのですが、テレビなんかに出て来る新曲って、シリアスな顔をしてお芸術でございといった風があって、昔の歌謡曲が持っていたエネルギーみたいなものに欠けていたと思うのです。

そこへいくと、マツケンサンバは最初っから変な気取りは捨ててしまって、エンターテイメント一直線、娯楽を追求しお客をいかに楽しませようかという気概に満ちあふれています。こうした割り切りが逆に新鮮さを感じさせたんじゃないかなあと思ったんです。

俗っぽそうにみえて斬新。芸術ぶるわりにどこか手垢のついたような音楽がはびこる中、マツケンサンバは音楽の本来持っていた力をフルに動員して、目立ちまくって格好良かったですよ。いや、本当によかった。私なんぞは、もう骨抜きにされてしまっているのですよ。

2004年11月2日火曜日

ソーサリー

 昔、コンピューターゲームが今よりももっと一般的でなかった時代、ゲームブックというのが子供たちの間で人気で、もう猫も杓子もゲームブック。いたるところでステータスシートに書き込みしながら、さいころを振りページをめくったものでした。

今の人は知らないかなあ。番号を付けられた短文がたくさん用意されていて、その番号をたぐりながら読み進めていくことで、物語を楽しむことができるという寸法です。そう、ちょうどこんな具合!

318君の目の前には古びたテーブルが置かれていて、その上には小箱と錆びたナイフが無造作に投げ出されている。小箱にはいかにも頑丈そうな金属の留め具がつけられていて、とても開けられそうにない!

テーブルをもっとよく見てみるなら243、小箱を調べるなら69、ナイフを手に取るなら102へ進みたまえ。

ゲームブックが流行したのは私が小学校の高学年から中学校を卒業するくらいまでの時期でした。ドラゴンクエストが発売されRPGの認知度が高まりつつあった頃でもあり、剣と魔法の世界というのが日本の子供にもぐっと親しみを持って感じられるような時代が到来していたんですね。子供が買うには高いコンピュータゲームとは違い、ゲームブックは文庫本価格というのもまた嬉しいところでした。お小遣いを貰ったらゲームブックを買って、友達と回し読み(回しプレイ?)をしたものです。いや、本当に懐かしいです。

私が最初に買ったゲームブックというのが、まさにこのソーサリーを構成する一冊『七匹の大蛇』でありました。いや、もう遊びましたね。遊びまくったおかげで、なんの危険を冒すこともなくすべての蛇を始末することができるようにまでなりまして、いや本当に遊び過ぎるくらい遊んだものです。

ゲームブックは普通、一冊でひとつの冒険が終わるのですが、ソーサリーは四部作の大作でした。一巻目の『魔法使いの丘』が終われば『城塞都市カーレ』へと進み、『七匹の大蛇』を経て『王たちの冠』で物語が完結します。それぞれの巻での達成度によって、次巻でのスタート地点が変わるんですよ。より目標を達成して終われば終わるほど、次の物語が有利になるようにできていて、どうすればよりよく次に持ち越せるかを考えて、ほんと熱中しました。本のへりがすり切れるくらい遊びましたよ。

この興奮のゲームブック『ソーサリー』シリーズが、なんと現在新訳にて刊行中ということをついふとしたことで知りまして、旧訳を引っ張り出してきて遊んでみるか、あるいは新訳にチャレンジしてみるかなんて、そんなことを思いかけてるんですね。いざはじめればやめられなくなるのは火を見るよりも明らかで、でもそうせずには居られないだけの魔力を持った本なのです。

文体、挿し絵、物語世界、すべてがきらきらと輝いて思い出されるがようですよ。思い返せば、私の魔術師への憧れというのはこの本から始まったのかもしれない。戦士よりもはるかに強力で魅力的な魔術師像は、まさにこの本によって育まれたものと堂々いうことができます。巻末の魔術書がどれほど子供だった私を甘くくすぐったことか! ああ、本当に遊びたくなってきちゃいましたよ。

  • ジャクソン,スティーブ『魔法使いの丘』安藤由紀子訳 『ソーサリー』1 (創元推理文庫) 東京:東京創元社,1985年。
  • ジャクソン,スティーブ『城砦都市カーレ』中川法江訳 『ソーサリー』2 (創元推理文庫) 東京:東京創元社,1985年。
  • ジャクソン,スティーブ『七匹の大蛇』成川裕子訳 『ソーサリー』3 (創元推理文庫) 東京:東京創元社,1985年。
  • ジャクソン,スティーブ『王たちの冠』高田恵子訳 『ソーサリー』4 (創元推理文庫) 東京:東京創元社,1985年。
  • ジャクソン,スティーブ『シャムタンティの丘を越えて』浅羽莢子訳 『ソーサリー』1 東京:東京創元社,2003年。
  • ジャクソン,スティーブ『魔の罠の都』浅羽莢子訳 『ソーサリー』2 東京:東京創元社,2003年。
  • ジャクソン,スティーブ『七匹の大蛇』浅羽莢子訳 『ソーサリー』3 東京:東京創元社,2004年。
  • ジャクソン,スティーブ『諸王の冠』浅羽莢子訳 『ソーサリー』4 東京:東京創元社,2005年。

2004年11月1日月曜日

アストル・ピアソラの音楽

  ウィスキーのCMで力感たっぷりにリベルタンゴが奏されたもんだから日本でもピアソラブームが巻き起こりまして、実はこれは世界的なムーブメントであったりしました。当時、十年くらい前のことになりますが、タンゴの異端者であったアストル・ピアソラがクラシック界においてまさに発見されまして、その鮮烈さは世を席捲しましたね。美しくそれでいて骨太の力強さがある生命力の躍如するピアソラの音楽は、遥かなる叙情性を湛えて聴くものの魂の奥底に灯をともします。

もしこの音楽を知らないという人がいたら、人生を無駄にしているといってかまわないくらいに価値あるものであると私は思っています。タンゴという音楽におけるピアソラの功罪 — 様々な批判があることは知ってはいますが、それでもあえてこれは聴かれるべき音楽だと思うのです。

日本でピアソラがブームになったきっかけは、ヨーヨー・マがウィスキーのCMで弾いたからだという話で、実際私も最初に手にしたピアソラはこのヨーヨー・マ(チェリスト)のアルバムだったのです。これは確かに素晴らしいもので、堂々たる大木の幹のような強さが感じれられます。

けれど私はむしろギドン・クレーメル(ヴァイオリニスト)のピアソラを好みます。繊細で少し神経質の気も見せるヴァイオリンが、滔滔と叙情的に歌い時に濁流のように押し寄せるその千変万化の妙。いやあ、抗いきれるものではありませんよ。もう身も心も任せてしまって、流され揺さぶられ翻弄されるがままです。実に美しい音楽が目前に結実するかのようです。

ピアソラの音楽はCMやBGMでもよく使われていますし、映画『12モンキーズ』では全編がピアソラの音楽で装われていました。なのでまったく聴いたことがないという人はいないと思います。

けど、ちゃんと聴いたことがない。そういう人も多いと思います。最初にもいいましたが、それは人生の損です。なので、まずは試聴でもいいから聴いてご覧になられるとよいかと。感じるところがわずかでもあれば、後はもう情感に身を任せるばかりですから。