2005年1月13日木曜日

隣り合わせの灰と青春

   『ファミコン必勝本』という雑誌が昔ありまして、私講読していました。ちょっと変わり者っていうのがわかってしまいますね。っていうのは、当時のメジャーどころはファミマガ、まる勝といったところで、ひっぽんはマイナーというか、コアな人が読んでる雑誌だったんです。その割に、私もひっぽん読んでましたという人によくあうんですが、その誰もが風変わりっていうのはどうでしょう。いや、人のことはいえない、いえない。

ひっぽんがことのほか力を入れていたのが、かの伝説的RPG — Wizardryでした。Wizをモチーフにした小説や漫画が連載されてましてね、それが結構硬派だったのですよ。特に小説の質は高く、まさか掲載がファミコン誌だとは思えないほどの出来。日本のWizファンで、ひっぽん連載のWiz小説を知らないという人はいないんじゃないかというくらい支持されていました。ええ、私も支持した一人でしたとも。

ひっぽんからはWiz関連の名著がいくつか生まれているのですが、その質を支えたのは間違いなくベニー松山氏であったでしょう。Wizardryというゲームに対する深い考察は、攻略本でさえ読み物にしてしまい、豊かな想像力は、Wizの世界にかつてなかったほどにきめ細かなディテールを与えました。そしてひたすらなる愛は、パラメータにすぎないはずのキャラクターたちに、人としての血肉を感じさせる暖かみを、心を持たせるにいたったんですね。

あの時のひっぽんに触れることのできたWizファンは仕合せであったと思います。今や知る人ぞ知るゲーム、マニアやファンがかたくなに支持しし続けているばかりのクラシックなゲームになってしまったWizですが、あのひっぽんが熱かった時代には、幅広い層から熱狂をもって迎えられたのでした。プレイしたのは小中学生はもとより、大学生や社会人といった大人にいたるまで、誇張なくWizを支える厚い層があったのです。

ベニー松山のWiz小説は、シナリオ#1『狂王の試練場』を舞台とする『隣り合わせの灰と青春』、シナリオ#3『リルガミンの遺産』に取材する『風よ。龍に届いているか』、そしてアンソロジーに収録される「不死王」。今入手できるのは、『風よ。龍に届いているか』だけなのでしょうか。集英社から文庫でリリースされた『灰と青春』でしたが、あまり目立たないまま消えていったようで、この物語を正統派のWizとして愛する私としては、少し寂しいのです。

『灰と青春』は、無謀とも思われる冒険に命を懸けて挑む若者たちを描いて、まさに青春の群像がまぶしい物語でした。仲間との別れ、悩みつつ選択された道、交錯する思い、ぶつかり合い火花を散らす信念。青年達の魂はワードナの地下迷宮に、まぎれもなく生きていたのです。そして、ワードナという大魔術師は、なぜあのような奇妙な地下迷宮を造ったのか。このWiz最大の謎といってよい問いに、ベニー松山は真っ正面から取り組んで、ひとつの素晴らしい回答を導き出したのです。

連載当時、私は中学生でした。毎号が楽しみで、単行本ももちろん買って、発売日前に注文しておいたのに第2刷というのはちょっと複雑な気持ちで、その頃私の胸に兆した思いはすべて、大切に思い出の中にしまわれています。

そうした思い出の数々は本を開くたびに、当時の胸の昂ぶりとともによみがえってきて、私はやっぱりWizardryというゲームを愛していた。いえ、Wizを取り巻く人たちや、そのコミュニティの醸す空気があったからこそ、Wizardryはよりいっそう面白く熱中できるものに育ったのだと思います。私がWizから数えきれないほどの宝を見つけ出せたのは、こうした成熟した世界があったからだと思います。

線画と文字で表現されるWizardryの世界をのぞくと、私には万華鏡のような輝きが見えるのです。本当ですよ。

0 件のコメント: