2005年2月5日土曜日

五人少女天国行

『五人少女天国行』とはいったいなんぞやといいますと、嫁入り前に死ぬと天国に行けるというお告げを信じて、女の子五人組が実際に首を吊っちゃうという映画なんですね。なんてひどい映画! と思うかも知れませんが、この娘たちにとっては、生きている世界のほうがずっとひどかったんですね。昔の中国農村が舞台となっておりまして、この因習的社会では嫁いだ女はまるで奴隷やなんかのように扱われて、そんなだから娘たちには我慢がならなかったんでしょう。

邦題は『五人少女天国行』と、死ぬことが主題みたいになっていますが、原題は『出嫁女』、嫁いでゆく女たちが主題であるとわかります。ちなみに英題も『Five Girls to be Married』と、結婚にウェイトが置かれていることがわかりますね。

しかし私は邦題で知ったので、ここは『五人少女天国行』で話を進めていきましょう。

ここ数日の話ですが、なんだか日本では自殺がはやっているみたいですね。閉めきった場所 — 室内や車内に練炭を持ち込んで、一酸化炭素中毒を狙うというのが流行の手のようで、今日も、私の知っただけでも、二件ほど集団自殺が見つかっています。

けれど世の中が苦しかったり生きにくかったりしたとしても、なんでそこで慌てて死のうとするんだろうと、ニュースを見て私は暗鬱としました。断っておきますが、私はどちらかといえば自殺する側に近い人間であると自ら思っています。ですが、そうした立場を自覚する私でも、わざわざ死に急ぐことはないではないかと思うのです。

生きていれば、今よりもよい状況を見つけ出せる可能性があります。今はなにも希望を見いだせないとしても、いつか自分にとって大切ななにかを見付けられるかも知れません。いずれにしても、生きるのに疲れたと結論を出すには皆若すぎて、それは命をないがしろにしている、死を冒涜していると私は思ったのです。

私は、ひとつの命は地球より重いだなんて、さらさら思っちゃいませんが、ですがひとり死ぬということは、ひとつ可能性が失われるということです。その可能性がよい方向に向かうか悪くなるかはわかりませんが、少なくとも人ひとりの内に広がる世界がひとつ消えて、それだけ世界は貧しくなると思うのです。

それにしても皮肉なことだと思うのですが、生きたいと思う人が生きられない現実がある一方、過不足なく生きられる人間がわざわざ死のうというのです。いや、死んだ人には死ぬだけの理由があったのでしょう。だから、それについてはとやかくいいません。ですが、いらないといって捨てられる命があるなら、もっと生きたいという人にその命が与えられたらよかった。死に急ぐ人には短い命でよいのです。世界をわずかずつでも豊かにできる人にこそ、長く続く命はふさわしかった。少なくともそうした人は、命を粗末にするのではなく、ひとつの意味あるなにかを目指して、充分に生きようとしたことでしょう。

だからこそ、私は悔やむのです。受容に供給が合わない現実をまざまざ見せられて、私はこの世の不公平を嘆きます。

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