2005年3月1日火曜日

鳥は星形の庭に降りる

  『鳥は星形の庭に降りる』とは、なんと幻想的なタイトルであるかと思います。星形の庭に鳥の群れが降りてゆく夢にインスパイアされて書かれたのだそうでして、その成り立ちも実に神秘的であると思わされます。

星形の持つ頂点の数、五が曲を通じて支配的であり、五種の五音音階(旋法)によって構成された音楽は、それ自体が幻想的で神秘的な、美しい夢のようであります。吉松隆に『融けてゆく夢』という曲がありますが、『鳥は星形の庭に降りる』にしても、甘味な世界に聴くもの自身も溶け込んでいくような、そういう素晴らしい体験が得られるかと思います。

武満は、残念ながら日本では知られていません。いや、もちろんクラシック音楽を好きで聴いている人たちの間では有名で、けれどそれにしても、古典派やロマン派を中心に聴いている人なら知らないかも知れない。それくらいの知名度しかない武満ですが、二十世紀を代表する作曲家は誰かという話をすれば、必ずその名が挙がるような人なのです。だから、もしかしたら、日本よりも海外で知られている人なのでしょう。実際、ニューヨークフィルの委嘱により『ノヴェンバーステップス』が書かれたときの話なのですが、武満に連絡をとりたいと思ったニューヨークフィルが日本の外務省に問い合わせたところ、外務省は武満徹の存在そのものを知らなかったというエピソードがあると聴いたことがあります。

このエピソードをもって、日本の文化度が低いと断ずるのは軽率かと思います。ですが、やっぱり私は日本の文化度は低いと思うのです。

武満徹の音楽を聴きつけない人にとっては、武満の音楽は聴きづらいかも知れません。ともかく、聴きなれた音楽とはまったく違うすがたで現れる。ああ、現代音楽はわからん、といって聴くのをやめる人もいるかも知れません。けれど、私はそれでもめげずに聴き続けて欲しいと思うのです。

武満をはじめとする、私たちと同時代を生きる作曲家の音楽は、あまりに馴染みがない響きかも知れませんが、ですがこれが私たちの現在を最も濃厚に反映する音楽だと思うのです。確かに響きは慣れた感じではない。だから敬遠する人があることも理解できます。でも聴いているうちに、こうした同時代の音楽が持つ美しさは伝わってくるはずだと思うのです。

現代芸術は理屈やなんかが先に立ってしまって、見て、聴いて楽しむためのものではないと思っている人がいたら、それは誤解です。私たちの時代の芸術は、なんとか私たちの時代の精神や感覚、感性を作品に込めようと試行錯誤、四苦八苦して、そして過去にあったのとは違う美を、まさに今のせめぎ合いを掴み取ろうとしているのです。

確かに理屈理論理性のまさった音楽もあるでしょう(しかしそれが悪いとは、私は決して思いません!)。ですが武満徹を聴いて見れば、緻密な構成の向こうに、果てなき叙情性、ロマンティシズムがあるとわかります。私たちの息吹があり、私たちの意識が息づく音楽であると気付くはずです。

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