2005年3月23日水曜日

バッハ: 管弦楽組曲

 昨日、『G線上のアリア』は嫌いだけど、バッハの『管弦楽組曲 第3番 BWV1068』の「エア」は好きといってのは、いったいどういうことかといいますと、この二曲はおんなじ曲なんですね。バッハの作曲した組曲中から一曲を抜き出して編曲されたのが『G線上のアリア』なのです。編曲者はオウガスト・ウィルヘルミで、ヴァイオリンのGの弦だけで弾けるように編曲されたことが、G線上のという不思議な名前の所以です。

私、昨日は『G線上のアリア』は嫌いだとかいってましたが、実際のところは別にそんな偏狭なこともなく、普通に親しんでます。昔サクソフォンを吹いていたとき、ちょっとしたイベントでこの曲を演奏したこともありました。話を面白くするために嫌いだなんていいましたが、まあもともとバッハでありますから、よっぽど変なことになっていないかぎり好きですよ。ジャズに編曲されてても、ロックになっても、バッハに変わりなし。じゃあヴァイオリン独奏曲になって名前が変わったくらいがなんであるというのでしょう。ええ、聴きやすく美しい、非常に愛らしい佳曲であると思っています。

私がクラシックを聴きはじめた頃というのは、ちょうど古楽の復興運動 — その音楽が作曲された当時の楽器(ピリオド楽器といいます)、編成、スタイルを復元しようという試み — がひとしきり落ち着いて、一般的な聴衆の耳にもそうしたピリオド楽器での演奏が届くようになった時期にあたります。

私はバッハやヘンデルが好きだったので、バロック作品のCDを買うことが多かったのですが、先にいったような時期であったことから、自然とピリオド楽器による演奏が集まりましてね、だから実はモダン楽器の版はほとんど知らなかったりします。いやあ、これもまたひとつの偏りであると思いますよ。でも、私はその当時、モダンなどは駄目だ、作曲者の意図したオリジナルの響きをよみがえらせてこそ音楽の真実が見えるのだ、みたいなことを思っていまして、いやはや、若いというということはどうしようもないということであると思います。

いや、だってね、確かに当時の慣習に基づいての演奏は面白く、大変意義深いものでもあるんですが、それでも結局は現代的視点から見たフィクションとしての過去にしかなりえないんですよ。特にバロックなんて、隣町に行ったら教会のオルガンのピッチが半音だとか一音だとか、場合によればそれ以上も違うというのが普通の時代だったんです。ところがそれを現在では、A=415でいきましょうという取り決めでやらざるを得ないわけでして、ピッチにしてこうなら、演奏慣習にしても地域地域、奏者奏者で全然違ってくるわけで、ってちょっと主旨がずれました。

閑話休題。私は、それでもバロックの作品は、当時の楽器で演奏したほうが面白いと思っています。モダンでもいい曲はもちろんいいのですが、そもそも大きなホールで大観衆を相手にできるよう変化してきたモダンでは、やっぱりその曲の細かな部分を表現しきれないところがあるように思うのです。音は小さくて、構造なんかも古くて、便利な機構なんかもついていない楽器で表現しようとすれば、どうしてもモダンとは違う表現になるんです。細かなアーティキュレーションをより以上に重視するほかなく、私は大学でリコーダーを吹いてたのですが、あの強弱の差がほとんどでない楽器での演奏はサクソフォンとは全然違うテクニックが必要となる。リコーダーを学んで私は、音楽はアーティキュレーションを工夫したほうがぐっと面白くなると思いました。この考えは、今も変わっていません。

今日紹介する『管弦楽組曲』は、ピリオド楽器による演奏の面白さを私に教えてくれた「イングリッシュ・コンサート」による盤です。私はどうも偏って集める癖がありまして、音楽を聴きはじめた頃は、トレヴァー・ピノック(チェンバロ奏者)率いるイングリッシュ・コンサート一辺倒でした。ちょうど安価にリリースされていたりもして都合がよかったこともありまして、まあそういう現実的な理由もあって選ばれたのがこのピノックの盤であったのです。

バッハの『管弦楽組曲』は、組曲が一番から四番まであって、全曲盤となればどうしても二枚組になってしまうんですが、ところがこのピノック(イングリッシュ・コンサート)に関しては、一枚に全部収まっているというのですから、当時、今以上に経済困窮していた私は、これに飛びつきました。なにしろ、まだCDが高かった時代で、ソニーやグラモフォンのベスト100でも2500円くらいしたんですよ。ちょっと売れ線からはずれたものを買おうとしたら3000円超えなんてもう普通で、しかもそれが二枚組ならえらいことですよ。とにかく色々と、数を聴きたかった時期だったので、全曲が一枚に収まっているこの盤は、もうありがたくて仕方ない特別な一枚に思えたのです。

実は、私、この録音を二枚持っています。二枚といってもまったくおんなじ盤ではなくて、二枚目は多分院時代に買った輸入盤。悔しいことに全曲盤ではないんですね。もう、なんでこんな間違いしたんだろうと歯がみしました。抜粋を持ってて、後に全曲盤を買ったからおんなじ録音が二種類というのなら、まだ納得もいきますし、実際そういうのもいくつか持ってます。けど、その逆というのはどうしたことか。いやあ、安売りのワゴンかなにかに入ってるのを、わーっといろいろ取りそろえて買ったんでしょう。きっと演奏者なんて見てなかった。だって、私にとってピノック&イングリッシュ・コンサートのバッハ・ヘンデルはちょっと特別のものなんですから。

だから、より以上に悔しくて仕方がないんです。

おんなじ買うのなら、新録音を買ってたらよかったのにと思いました。私、情報をあんまり集めてなかったんですが、ピノックは『管弦楽組曲』を録り直してたんですね。それでもって、私、このジャケットに見覚えあるんです。けど私は録音年を確認せずに、自分の持ってるのが装いも新たに再発売されたんだと思いこんで、いやあ、本当に浅はか。まったくお恥ずかしいかぎりです。

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