2005年3月30日水曜日

建築の「かたち」が決まる理由

 昔、まだ私が図書館で働いていた頃、私は住居や都市設計というのに興味があって、特に西洋の城を中心とした城塞都市や教会と広場を軸とする都市計画というのを理解したいと思っていました。いや、別に西洋風都市に住みたいとか、やっぱりうちは洋風よねとかいうつもりはまったくなくて、純粋な興味からでした。人間の生活の場である住宅には、その土地土地の風土や条件に応じた工夫や制限があり、またその文化における暮らしの考え方が如実に表れるはず。そう、私はこの西洋と日本の差異を知りたいと思っていたのです。いや西洋にかぎらず、多様な環境における住と人について知りたかったのでした。

そんな風に思っていたときに、この本が図書館に入ってきたんですね。私は一般書の係でしたから、目録作ったり整理したりは私の仕事。私の前にやってきたこの本を見て、思わず自分でも買ってしまいました。西洋と日本の建築に対する考え方の違いが、もともとの文化風土の違いに基づいてわかりやすく、面白く書かれているんですね。建築論としても読めるでしょうが、住宅エッセイとして読むのがきっと面白い。話題は壁や柱、床、階段といった住居の部分から始まり、しまいには思想や哲学にまでたどり着いて、一通り読めば、都市を見る目が変わっているはずです。

私は2001年にイタリアに行きました。はじめての外国の地はミラノで、その街並みを見たとき、日本の都市は駄目だと思いました。私は京都(周辺)に住んで、京都を愛するものですが、ミラノは本当に衝撃的でした。

私はミラノの印象を、次のように記しています。

 ミラノはひどく落ち着いた、成熟した街という印象を持ちました。新しくできたミラノ北駅は赤や緑のあふれるポップでかわいい駅なんですが、それでもうわついた感じはまったく無く、あくまでも古い都市空間に溶け込んでいるのです。このあたりは、古いものも新しいものも、すべて自分の文化の延長上に存在するものとして、同じ文脈に配置できるセンスのたまものでしょう。

私はこの文章で、日本の都市は、古い都市空間に新しいものが乱雑に好き勝手に配置される、浮ついた未成熟の空間であるといっているのです。私は子供の頃から京都を見てきて、京都の変化に嫌悪を感じていました。嵐山の荒みぶりにはもう言葉もない。嵯峨野にはうちの墓がありますからたびたび詣でるのですが、渡月橋を渡った向こうに広がる景色などは、見るたびに悲しくなります。

私はこの本を意識せず読んで、この本のいわんとするところに心服していたのでしょう。私の今の京都に感じる嫌悪は、この本の末にある数章に表れる考え方がベースになっているのだろうと思います。あるいは私が東京に感じた落胆、画一の都市空間という評価も、この本に根拠となる考えを見いだせるかと思います。

けど、勘違いしないでくださいましよ。私は新しいものが悪いといっているわけではないんです。日本は古来、他から先進文化(と当時の人が考えた文物)を取り込んでは、自分たち流のアレンジをして、文字通り咀嚼消化してきたのです。ですが、私の批判するものには、そういうダイナミズムが見られません。私はその硬直を、その不自由を、その浅薄を嫌悪し、嘆いているだけなのです。

引用

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