2005年4月4日月曜日

さゆリン

  『さゆリン』は、まんがタイム系列誌(ジャンボとスペシャル、ちゃんと初出一覧で確認したから確かです)に好評連載中の四コマ漫画で、けどその読後感は他の四コマと比べても随分違います。なんというんでしょう。ギャグがとりわけ面白いってわけじゃないんですよ。起承転結も明瞭に推移せず、なんとなく漠然茫漠としたなか、淡々と鈴本さゆりさん(漫画のタイトルは『さゆリン』なのに、さゆリンと呼ばれているわけではない。謎だ!)とお友達のゆるいコメディが進行していくんです。アップテンポでハイテンションでオーバーアクションのメリハリがあるわけでもなく、むしろ淡々粛々と進んでいくんです。

そんな漫画面白いの、と聞かれればですね、面白いんですよこれが。なんでなんでしょう。ものすごく面白いのですよ。

『さゆリン』の面白さは、多分作者の人の悪さに起因しているのだと思うのですよ。なんか、作者、よくわからんのですが、なんかの研究職の一端を担う人みたい。民間伝承とかよくわからん知識が山とあるみたいな感じの人で、けれどこうした知識を漫画に動員するようなまねはせず、せいぜいそっと触れてみる程度で済ませるんですが、その触れ方が妙に意外なやりかたでもってするものだから、そこにわずかなギャップが生まれてくる。この些細なギャップが積み重なっていって、いつしかそれが奇妙な面白さに変わってしまってるんです。

仲間内の笑いというのがありますが、身内だけで通じる笑いで、傍から見たらどこに面白みがあるのかわからないというような話ですが、『さゆリン』の面白さはそういう面白さに通じます。変な子さゆりと、さゆりに振り回される高品勇太くんを軸に仲のよい友達が集まって、他愛もなくじゃれあっている楽しさ。そのじゃれあいの描き方が妙にうまくって、その奇妙に普通のテンションがじわじわ効いてくるんでしょうね。

ちなみに単発の面白さだけを問題とするなら、作者が自分自身のことを書いたものとか後書きとか、そういうもののほうがよっぽど効きます。どう見ても常識的という枠からかけ離れた感じがあって、どこまでが本当でどこからが嘘か判別つきにくい、現実非現実の境界線がおぼろげに揺れる独特の面白さはすごい。

それに比べると『さゆリン』は薄味だと思います。けれど、薄味だからこそ長く楽しめるということもあるんだと思いました。味付けがあっさりしているから、ついつい食べて、いつの間にか病みつきになっている。『さゆリン』とは、そういう感じの漫画であると思います。

変な作者、変なヒロイン、変な四コマ漫画。その変のすき間には常識が忍び込んでいて、その境界の曖昧さが人を病みつきにさせる要素なんだろうなあ —。

まあ、つまりは作者の人が悪いということでいいですよね。

  • 弓長九天『さゆリン』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 弓長九天『さゆリン』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2005年。

蛇足:

出版社/著者からの内容紹介によれば、勇太クンはさゆリンのシモベであるのだそうです。シモベ — 、ああ、なんと甘味な響きでありましょうか。

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