2005年4月15日金曜日

失踪日記

 以前、イタリアに行ったときに『女王陛下のプティアンジェ』を思いがけず見ることができて、ほんとにラッキー。けれど私は『プティアンジェ』を見た覚えがないというのにそのアニメが『プティアンジェ』だとわかったのはなぜなんだろう、てなことをいってました。ええ、なんてことはないのです。吾妻ひでおという漫画家がいらっしゃいますが、この人は大の『プティアンジェ』好きだったそうでして、そして私は吾妻ひでおを嫌いではない。ええ、きっとあの時『アンジェ』を『アンジェ』とわかったのは、私が吾妻ひでおの記憶を通してテレビを見たからだと思います。

いや、なんか電波っぽい話だけどそうじゃなくて、確か『ななこSOS』に、アンジェの人形が出てきたという覚えがあるんです。てなわけで、手元にある『ななこSOS』をざあっと見直してみたのですが、ちょっとそのコマというのを見付けることができませんでした。勘違いなのかな。確かにこの漫画に出てたと思うんですが、もしご存じの方がいらっしゃったらご一報くださると幸いです。

さて、その吾妻ひでお氏。私、何年か前に、この人失踪して行方知れずらしいよなんて噂を聞いたことがありまして、なにしろ噂でありますから真に受けたりはしなかったのですが、それでも気にはなっていたんですね。噂といえば、私の好きだった歌手が電車に飛び込んで自殺したという噂もあったりして、けれどその人は今もお元気にいらっしゃいます。だから吾妻氏に関しても、ちょっとしたことに尾ひれがついて広まったか、あるいは悪意を持って捏造されたか、そんなのだと思っていたのですね。

ところが、私の見立ては大間違いでして、実際に氏は失踪されていたとのこと。新聞の書評だったかで氏の『失踪日記』が取り上げられて、私は失踪の事実を知ったのでした。ちょっと愕然とするような気持ちでした。

失踪中のことごとを氏独特のやわらかく可愛らしいタッチでつづったのがこの『失踪日記』でありますが、こうした自分語りの不幸話というのは往々につらいものになりがちで、なにがつらいといっても見ているこちらがつらいんです。ああ、あの人がこんなことになってたのかと思うつらさ、それほどまでに追い詰められたことに同情したり、その出来事をまた明け透けにしなければならないことへの痛ましさったら— 、とまあ、きっとそんなことになるだろうと思って、私はこの本のことを記憶の片隅に置いておくにとどめて、あえて読むのはやめておきたいと思ったのでした。

けれど、行きつけの本屋に二列の平積みに並べられていたのを見付けてしまいまして、しかも立ち読み防止のシュリンクがありません。私はこのオレンジの表紙の持つ暖かさにふらふら引き寄せられて、頭の中では読むな読むな触るなといっているのですが、けれど誘惑には抗えず手にしてしまっていたのですね。

他人の悲しい過去を覗き見するなんてと思ったのか、けれど読んでみれば思っていたような感じではなかったのです。陰惨さがなかった。悲しさやつらさは確かにあるのだけれど、自虐はなかった。むしろ晴れ晴れとした明るさがあって、それは泣き笑いの明るさで、しかもべらぼうに面白い。私は立ち読みのままどんどん読み進んで、半分まで読んだ時点で買うことに決めました。この本は、どうしても手元に置かなければならない本だと思ったからです。

私は、吾妻氏の失踪中のことや入院中のことをこの本で知って、人の一生には色々あるということ、喜びや悲しさがないまぜになっていること、立ち直っては転び、転んでは立ち直りを繰り返す人がいることに思いを馳せたのです。普通の人は、何度も同じことを繰り返す人に、学ばないやつだとかどうしようもないやつだとか、そういう風に思うのかも知れません。けれど私は、自分自身がそういう人間だと知ってるから、あぶないところでふらふらしながら、まわりの人たちのおかげでまだこちら側に残っていられるということをわかっているから、吾妻氏のことは他人事とは思えないのです。

明日は自分の番かも知れないと思っています。吾妻氏の、特にアルコールにおぼれたときの描写なんかは、身につまされました。私は酒はあぶないと思って近づかないでいるのですが、けれど似たような依存に落ち込んだことがあって、だから、うまくは言葉にできないのですが、なんかその依存していることを振り返ってること、それから依存しているときの気持ちがなんだか伝わるんです。依存している人は、自分の依存状況に気付いてないわけじゃないんです。あぶないあぶないと思いながら、けれどまだ大丈夫、自分はまだ大丈夫と思いながら、そのぎりぎりの線上をさまよってる。私の依存は半年程度で軽減して、今はその依存からは大丈夫なのですが、けれどアルコールという精神依存だけではすまないものにつかまってしまわれたこと、大変だったと思います。

けれど、私はこうして吾妻氏が戻ってきてくれたことを、心から喜んでいます。多分、私と同じように思っている人は多いんじゃないでしょうか。吾妻さんのことを他人事みたいに思えず、私みたくへんてこな共感をもってなんか泣き笑いの気持ちになっている人も多いんじゃないでしょうか。

そういう人たちは、きっと吾妻さんを愛していると思います。吾妻さんは多くの人に愛されているのだと思います。だから、長くお元気でいてくださると嬉しいなと思うのです。

  • 吾妻ひでお『失踪日記』東京:イースト・プレス,2005年。

0 件のコメント: