2005年7月10日日曜日

サムライ

 ミュージカル・バトン企画第六夜。問四「よく聞く、または特別な思い入れのある5曲」の四曲目を紹介します。

私は、以前も話したことがあるのですが、子供の頃、沢田研二のファンでした。あの妙にでろんとした色男がなんで好きだったのか、今となってはなんでかまったくわからないのですが、とにかく好きで、どこにいっても片手にピストル 心に花束と歌う子供として近所では知られたものでした。もちろん好きだったのはこの歌だけじゃなくて、『勝手にしやがれ』や『6番目のユ・ウ・ウ・ツ』も思い出深く、後には『TOKIO』なんかもよく歌ったのですが、けれど子供時分の私はとにかく『サムライ』であったようで、片手にピストルと歌ってうんぬん、親からは歌詞付きで昔話を聞かされるのが常でした。

以前書いた文章をちょっと引用してみましょうか。

 幼稚園の頃、私のアイドルはジュリーであった。ジュリーとはいうまでもないことだが沢田研二である。近所で私は、どこに行ってもマジンガーZとジュリーの片手にピストルを歌う子供として有名であった。大人が歌わしていたわけではなく、自ら進んで歌っていたと聞いている。あまりのジュリー好きが高じて、親戚のおじさんを勝手にジュリーに仕立て上げ崇拝していた。似ていたわけでもないのに、子供というのは時として理不尽である。

とまあ、こんな具合だったんですね。大人の集まる寄り合いといえば、京都なんかには地蔵盆という風習がありますから、あれってね最後には大人が集まって酒飲みながら、祭の締めというのか、そういうのをしているんですが、多分そういう場にてててっと出ていって歌ってたんだと思います。

親戚のおじさんといえば、つい去年だったかおととしだったかに会ったときに、子供の頃勝手にジュリーにしていたということをばらしたんですが、いやしかし今更そんなことを聞かされても意味不明ですよね(いや、当時でも一緒か)。実際そのおじさんはちょっと色男風なんですが、そんなこんなで勝手にジュリーにして、勝手に崇拝対象にされて、まあ私もおじさんは沢田研二ではないことはさすがにわかっていたのですが、けど沢田研二をあまりに身近にしたいために、近所の手ごろな人をジュリーの依り代に祭り上げていた。まさに、ジュリーは子供時代の私のアイドルだったのです。

そして、子供だった私のもう一人のアイドルといえば郷ひろみなのですが、郷さんに関してはちょっとよこしまな読み替えがあって、アイドル郷ひろみの方が副次的な存在であったから、ちょっと素直に振り返りにくいのです。

なので、やはり子供時代のスターとなれば、私にはジュリーしかいなかった。今活躍する三十代くらいの人がその漫画とかでジュリーを取り上げたりしてるのを見ると、今でもああジュリーはかっこいいなあと思い嬉しくなります。ジュリーはこんなにも深く性根に刻まれているんだなあと、われながら驚いたりもするんですけどね。

そんなわけで、私は今もジュリーが好きです。あの人は、ほんとに最高だと思います。

引用

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