2005年8月31日水曜日

あずまんが2

 コミック・バトン企画インターミッションでは、『あずまんが大王』のヒットで広く知られるようになった漫画家あずまきよひこの過去作品集『あずまんが2』を取り上げてみようと思います。あずまきよひこは、かつてはパイオニアLDCからリリースされるアニメのパロディ漫画を、パイオニアLDC作品のライナーノートに描いていまして、それらをまとめて出版したものが『あずまんが』、そして『あずまんが2』なんですね。なので、人によっては忌避すべきタイトルかもしれません。『天地無用!』や『バトルアスリーテス大運動会』を知らん、あるいはそういうおたく向けのは楽しめん、いわんやパロディなぞ! という方は避けて通ったほうがお互いに仕合せでいられるのではないかと思います。

さて、ここで『あずまんが2』を取り上げたのは、『天地無用!』や『デュアル! ぱられルンルン物語』を懐古したいからというわけではなくてですね、実はですね『あずまんが2』には、現在好評連載中の『よつばと!』のプロトタイプ『Try! Try! Try! (ととと)』が収録されているのです。

収録されているのは、描き下ろしの漫画が一冊、そしてCD-ROM内に漫画と初期設定等資料がいくつか。これをはじめて読んだときには、こういう日常路線をやりたいのかと思っていただけなのですが、『よつばと!』というかたちで結実してみると目茶苦茶面白い。もうはまりまくりですから、 — って、今日は『よつばと!』で書く日じゃなかった。

『Try! Try! Try!』には、やっぱりあさぎ、風夏、恵那の三姉妹が出てきて(なんと『ととと』では風香じゃないのだ)、そしてとーちゃんも四葉も出てきて、ここではよつばは漢字で呼ばれていて、なんだか不思議な感じですよ。しかし一番不思議な感じにさせるのは、三姉妹の性格の違い。恵那あたりはさしたる違いはなく、あさぎにしても雰囲気こそ違えど本質的なところは同じです。ですが、風夏の違いはすごい。まず髪形が違いますな。それで性格が違う。なんつうか、『あずまんが大王』でいうところの神楽みたい。ちょっと粗野で、女の子ぽさを出したがらないといった、そういうキャラクターだったのですよ。

そして、もっと驚くべきことがありまして、風夏はどうもとーちゃんのことが好きみたいなんですね! 漫画の方にそんな描写がありまして、だから風香ももしやと思ってたんですが、どうも違ったみたい。いや、これからどうなるかはまだわかりません。というわけで、このへんの動きにも私は注目したいと思っているのでありました。

結局『よつばと!』がらみで書いたのも同然になってしまいました。あ、私『Wallaby』も好きです。って、とってつけたみたいになってしまいましたが、実際『Wallaby』もいい漫画で、ちょっとハートフル風味(ってなんか恥ずかしい用語だな、ハートフルって)のこれが好きだというのは本当なんですよ。

  • あずまきよひこ『あずまんが2』東京:パイオニアLDC,2001年。

2005年8月30日火曜日

天上の弦

 コミック・バトン企画「今おもしろい漫画」第五弾は山本おさむの『天上の弦』。ヴァイオリンに魅入られた少年が、生涯をかけてヴァイオリンに取り組む様を描いた漫画で、そしてこの物語は実話をもとにしています。主人公は陳昌鉉氏。世界に五人の無監査マスターメーカーの一人であるのだと聞きます。私はヴァイオリンには明るくないので、無監査マスターメーカーというのがどういうものなのかピンとこないでいるのですが、そんな私でも陳昌鉉氏のことはおぼろげに知っていました。奇跡の名器ともいわれるヴァイオリン、ストラディバリウスに最も近づいた一人が日本にいるということをなにかの頼りで聞いて知っていて、ですから陳昌鉉氏の伝記ともいうべき『天上の弦』を書店で見たときには、どうしても手もとに置きたいと思ったのでした。

海峡を渡るバイオリン』という本が『天上の弦』の原作で、『天上の弦』表紙にもこの本のタイトルはクレジットされています。あるいは、昨年同名のテレビドラマにもなったので、そちらでご存知の方もいらっしゃるでしょう。ですが、私は残念なことに、本も読まず、ドラマは見忘れて、だから青年陳昌鉉氏の行く末をまったく知らずにいます。

ですが、こうした無知は漫画『天上の弦』を読むには幸いしていて、確かに筋を知りたいのなら、すぐに本屋に走って『海峡を渡るバイオリン』を買ってくればよい。ですが、私は今は、『天上の弦』という漫画を通して、ゆっくり、少しずつ知っていきたいと思うのです。そうして漫画が完結したときに、はじめて本を読みたいと思っています。

この本を読んで思うのは、なにかを成し遂げる人というのは、才能だけではないということです。才能や好きというだけでは足りず、ひとつ自分の決めたものに取り組むその姿勢はある種狂気をはらんでいます。青年陳昌鉉の鬼気迫る貪欲さを目にすれば、自分に足りないものがなにであるか見えてこようというものです。

陳昌鉉氏は朝鮮半島に生まれて、戦時戦後の混乱や差別、就職難など、さまざまな出来事に翻弄されながらも、食い下がるようにしてヴァイオリンに取り組んで、そうした姿勢に学ぶところは多いのではないかと思います。ややもすればあきらめがちで、そうした態度が利口であるように振る舞ってみせるような時代において、愚直であろうとまっすぐ自分のやりたいこと、やるべきことに向かうということを、せめて自分だけでも忘れないようにしたいと思える貴重な本です。

  • 山本おさむ『天上の弦』第1巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2003年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第2巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2004年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第3巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2004年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第4巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2004年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第5巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2005年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第6巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2005年。
  • 以下続刊

2005年8月29日月曜日

D-LIVE!!

  コミック・バトン企画「今おもしろい漫画」第四弾は皆川亮二の『D-LIVE!!』。あらゆる乗り物を乗りこなすマルチドライバー斑鳩悟が、高難度ミッションをクリアしていく乗り物系アクションで、乗り物好きにはもうたまらない設定なんじゃないかと思います。乗り物というのも、四輪二輪にとどまらず、陸海空を制覇して、ジェット、ヘリから鉄道、船舶、潜水艇と、もうなんでもありなんじゃないのか。もしかしたら、この先ロケットやシャトルやなんかを使って宇宙にも進出するんじゃないかという予感さえありますからね。

と、こんな具合に乗り物好きにはどうにも堪えられない面白さがあるのが『D-LIVE!!』なのであります。

私が『D-LIVE!!』を好きというのは、乗り物のほかにもきっとほかにも理由があって、それは多分斑鳩悟のキャラクターに関わっていると思われます。というのは、斑鳩は普段はどうにもぱっとしない高校生をやっていて、 — ってここまでいったらピンと来る人もいるかも知れない! そう、皆川亮二の既刊『スプリガン』を思い出していただきたい。普段はうだつの上がらない学生をやっている御神苗優は、いざ要請あらば世界をまたにかけるS級エージェントとして大活躍して、その姿たるやまさに秘密のヒーローでありました。

そうなんです。『D-LIVE!!』の主役である斑鳩悟も、御神苗になんら変わらぬ秘密のヒーローの輝きをはなっているのですよ! 私はもう、彼の魅力にやられちゃってめろめろ。きゃあ、斑鳩くん、ステキーッ、てなもんですよ。

『スプリガン』では真田柊編が最高に好きといっていた私です。ああ、これでもうわかった人もいるでしょう。私が『D-LIVE!!』で一番好きな話というのは、春日委員長編なんですね。ヒーローの秘密が、こちら側の世界の人間に共有される。本来なら相いれない世界がわずかに重なりあうという、こうしたシチュエーションがどうしようもなく好きなのです。だからもちろん、村田教官編も好きなのですが、けど烏丸教授の里帰り編のほうがもっと好きで、次いで8耐とか、そうそうマン島レースもいいですね。

陰謀とかがからんでくるような話よりも、どうもシンプルな話の方を好む傾向にある私ですが、そんな私でも香川和美二等海曹編には最高に胸躍らせて、いや胸躍らせるのは今こうして名を挙げた話だけではありません。斑鳩が仲間やクライアントと協力しあい、困難を越えようとするその毎回毎回に、私はすっかり心奪われてしまっています。個性的で魅力的なエキスパートたちも、そして斑鳩に関わる普通の世界の側の人たちも、皆とてもあたたかで — このあたりは少年誌的微温といってもいいのかも知れません — 私はすごく気持ちがよいと感じるのです。

以下蛇足の連続:

ケリー・レイヴンウッド少佐が素敵ですね。

どことなく無理しちゃってる烏丸先生も可愛らしくていいですね。

でも、一番かっこいいのは、本気になった斑鳩くんですね。

いや、しかし援竜が出てきたときには、さすがに驚きました。

  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第1巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2003年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第2巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2003年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第3巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2003年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第4巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2003年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第5巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2004年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第6巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2004年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第7巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2004年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第8巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2004年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第9巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2005年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第10巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2005年。
  • 皆川亮二『D-LIVE!!』第11巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2005年。
  • 以下続刊

2005年8月28日日曜日

DEATH NOTE

   コミック・バトン企画「今おもしろい漫画」第三弾はもう皆さんご存知の『DEATH NOTE』。ってももちろん知らない人もいると思いますから説明しますと、名前を書かれたものは死ぬというノート「DEATH NOTE」を手にした夜神月の壮大なる野望が成就するかあるいは妨げられるのかという、スリリングにして息詰まる頭脳戦が熱い話題沸騰の漫画なのです。っていうか、これ、少年ジャンプに連載されているのですが、これはジャンプ史上というか、少年漫画史上に残る異色のアンチ・ヒーローものであると思います。もう、ばんばん人が死にますからね。こんなんが少年誌に載るんですから、世も末かと思います。

世も末! じゃああんたはこの漫画が有害指定でもされればいいっていうんですか!? みたいに聞かれたら、いやもちろんそんなわけはなくて、結果的に面白ければいいのです。一昔前の少年ジャンプといえば、友情努力勝利、戦いを通して友情をはぐくみ、切磋琢磨しあいながらの成長ストーリー、みたいなのがテンプレートにされていて、一時はみんなで天下一武道会、じゃないや、トーナメントを繰り広げるというのが相場になってましたね。正義は正義としてわかりやすく描かれ、友情も友情として明白に、けれどもう少年誌といえど、そうしたわかりやすい線引き、カテゴリわけだけではもたなくなったんだろうという現れが『DEATH NOTE』なんじゃないかと思います。

意欲作だと思うのですよ。自分の理想を最上位に置く主人公が、友情や家族や恋愛よりも、自身の思想を優先させて、はたしてその思想が正義であるのか悪であるのかも判然としない。旧来の安心安全的枠組みは影も形もないわけで、下手をすると総すかん袋だたきされる可能性さえあるのに、アンチ・ヒーローの世直し物語を堂々展開するのですから、それだけの覚悟があっての連載開始だったのだと思います。

少年誌的お約束はあり得ません。友情なんてとんでもないし、努力ったって主人公は最初から完成された人間として描かれてるから、そんなのもはや必要ない。残るものは勝利だけなのです。主人公が勝利するのか、あるいは屈服させられるのか、そのどちらであるかは今もって闇の中で、だから私はこの漫画の先を読めないでいます。一寸先は闇、いったいなにを出してくるかわからないという状況の中で、主人公月の開始したゲームの展開に翻弄されるばかりです。そして、ある種大風呂敷を広げてみたこの物語がどういう決着をつけるのか、それが楽しみです。

恒例の蛇足でもやりましょうか。私はレイ・ペンバーがいいなと思っていまして、だっていい男でしたからね。ただ重要なのはこの人の行く末で、少年誌的お約束でいくならば、こういう人はぎりぎり最後の方までまもられると決まったようなもんです。でも、そういうのが通用しないのがこの漫画だから、 — とか思っていたらやられました。第2巻で、第2巻で、なんと! 婚約者がいたことが判明ですよ!! なんてこったい、この泥棒猫め!

冗談です。

そうそう、英語版も出るみたいですね。きっと人気になるだろうと思います。そういえば、中国ではデスノートが売り出されていて(きっと非正規ライセンス品だ)、ちょっとした社会問題になっていたとか報じられていましたね。

  • 大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』第1巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2004年。
  • 大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』第2巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2004年。
  • 大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』第3巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2004年。
  • 大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』第4巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2004年。
  • 大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』第5巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2005年。
  • 大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』第6巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2005年。
  • 大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』第7巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2005年。
  • 大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』第8巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2005年。
  • 以下続刊

2005年8月27日土曜日

無限の住人

   コミック・バトン企画「今おもしろい漫画」第二弾は沙村広明『無限の住人』。リストを作ってみて驚いたのは、もう十年以上続いてるんですね、この漫画。不死身の侍万次さんが無天一流統主の娘浅野凜の仇討ちを手伝って、かたきを見つけてはばっさばっさと切りまくる痛快時代劇アクションであったのが、第三の勢力が出てきたり、凜の親の仇である逸刀流が落ちぶれたり(?)で、状況雰囲気双方、えらく違ってきてしまいました。けど、その時それぞれに味わいを違えながらも、その時々の面白さを追求していて、読み手としてはもう続きが楽しみで仕方がない。大好きな漫画であります。

この漫画のいいところは、キャラクターの存在感であろうかと思います。まず卍(万次)さん。自分の過去に負い目があるから、凜のためにはそれは必死(といっても不死身なんだけどさ)で戦うのですが、その戦いにおいて常に強いわけではないというところがいいのです。確かに強い。ですが、結構やられ、あるいは完全に打ち負かされたりして、けれどそれでも自分のベストを振り絞る卍さんは恰好いいんだよ。結構粗っぽくて、詰めの甘いところもあるけれど、だから憎めなくて、時に見せる人のよさ、ナイーブなところにはほだされます。私は卍さんが大好きです。

凜もいいですね。この漫画を読んでいると、主役はやっぱり凜なんだろうなと思えてくるのですが、そうした部分も抜きにして、凜はよいです。仇討ちに出て、しかし迷いも見せて、そして自分の弱さを苦く噛みしめては、より前へ前へと進もうとする凛々しさ! 私、こうした克己心にあふれた人は大好きです。時に無茶をして、時にはひどい目にも遭っていますが、それでも凜はしっかりとまもられてるから読者としても安心です。

とまあ、こんな感じで好きなキャラクターをあげていったら、きっとこの記事はとんでもない長さになるでしょう。凜にとっての怨敵である天津影久も魅力的であるなら、『無限の住人』世界最強の名を欲しいままにする乙橘槇絵などはもうなんと言葉にしたらいいかわからないくらいに素敵。明るく振る舞う影に悲しみの透ける百琳も捨てがたく、世界最強級の宗理先生もいい味だして、その娘辰もいい。と、数え上げていけばもう大半のキャラクターをあげなければならなくなります。

でも、尸良は大っ嫌い。吐き気がするほど嫌い。卍さんか凶戴斗あたりにさっさと切られちまえばいいのにと、そんなこと思うくらいに嫌いで、けれどこれほど嫌うというのは、それくらい個性が際立っているという証拠なんでしょうな。もちろん尸良以外にもやなやつ、嫌いなやつはいますが、とりあえず今のところ尸良は別格であります。

キャラクター話ばかりになってしまいましたが、こうした個性の強いキャラクターをわんさと出して、決して負けることなくずんずん進んでいくストーリーの強さというのもすごいものでありますよ。時代劇の皮はかぶっていますが、明らかに時代物ではあり得ない独特の現代性を持ち合わせていて、考証なんか糞くらえ、面白ければそれで充分だっ、って人には特にお勧め。途中からでも読みはじめれば、引き込まれてどんどん先を先をと読んでしまうほどに魅力的な漫画であります。

あ、そうじゃ。今の私の一押しキャラクターは怖畔。ロイハー! ロイハー!の名文句は、漫画史に堂々残るものであると思います。いや、ごめん。ちょっと本気です。

しかし、にしても、この人の描く漫画は、女が恰好いいんだなあ(怖畔のことじゃないっすよ)。

  • 沙村広明『無限の住人』第1巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1994年。
  • 沙村広明『無限の住人』第2巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1994年。
  • 沙村広明『無限の住人』第3巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1995年。
  • 沙村広明『無限の住人』第4巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1995年。
  • 沙村広明『無限の住人』第5巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1996年。
  • 沙村広明『無限の住人』第6巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1997年。
  • 沙村広明『無限の住人』第7巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1997年。
  • 沙村広明『無限の住人』第8巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1998年。
  • 沙村広明『無限の住人』第9巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1999年。
  • 沙村広明『無限の住人』第10巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2000年。
  • 沙村広明『無限の住人』第11巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2001年。
  • 沙村広明『無限の住人』第12巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2002年。
  • 沙村広明『無限の住人』第13巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2002年。
  • 沙村広明『無限の住人』第14巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2003年。
  • 沙村広明『無限の住人』第15巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2004年。
  • 沙村広明『無限の住人』第16巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2004年。
  • 沙村広明『無限の住人』第17巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2004年。
  • 沙村広明『無限の住人』第18巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2005年。
  • 以下続刊

引用

  • 沙村広明『無限の住人』第18巻 (東京:講談社,2005年).143頁。

2005年8月26日金曜日

シグルイ

   コミック・バトン企画「今おもしろい漫画」第一弾は山口貴由の『シグルイ』。私は、この特徴的な題を目にして以来、どうにも気になって仕方がなくて、というのも作者がかの『覚悟のススメ』を描いた山口貴由であるのですから、興味をそそられないわけがありません。いや、そうした名前なんかなくてもきっと私はこの漫画に手を出したと思います。表紙に居並ぶ一種尋常を逸した裸像。一目見れば、ぎょっとして立ち止まってしまう。手に取るかあるいは見なかったことにするかは、もはや私の意思の及ぶ領域ではありませんでした。

山口貴由の尋常でなさは『覚悟のススメ』の時点ですでに知られたところでありましたが、しかし『シグルイ』にいたっては『覚悟のススメ』どころの話ではありませんでした。いや、『覚悟』が劣るというのではないのです。その両者は表に現れる傾向を異にしていて、例えば『覚悟』には見られた手塚治虫的絢爛は『シグルイ』からはきれいさっぱり払拭されている。『シグルイ』には、極力無駄を廃し、遊びをなくし、濃密な表現がどぶどぶと口いっぱいにまで注がれていて、それが醗酵して今にも熟成しようとしているのです。

私は一巻二巻と読み進めて、これはすごいことになりそうだぞと、思わず声にしてしまいそうな感触を得て、三巻四巻とくれば、この先どう流れていくのか、どのような運命の下に彼らはまみえるのか、先を知りたくて仕方がない。次はいつかと、先をはやる心を押さえるのが苦しいほどです。

とまあ、そんな『シグルイ』。激突する二人の剣士は、西方藤木源之助、東方伊良子清玄。克己禁欲の人藤木と闊達にして快楽に貪欲である伊良子、 — この性質を真っ向から違える二者のせめぎあうその際こそはまさに劇的緊張の最前線であり、上質のエンタテイメントの醸成される場であります。

私はというと、真面目実直を絵に描いたような藤木を応援してやまぬのですが、ところで、これはどうでもいいことなんですが、女の裸身も男の裸形も出てくるこの漫画、男の裸体の方がはるかに優って艶めかしく迫ってくるのはいったいどうしたものでしょうか。

ま、これは本当にどうでもいい話です。

  • 山口貴由『シグルイ』第1巻 南條範夫原作 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店 ,2004年。
  • 山口貴由『シグルイ』第2巻 南條範夫原作 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店 ,2004年。
  • 山口貴由『シグルイ』第3巻 南條範夫原作 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店 ,2005年。
  • 山口貴由『シグルイ』第4巻 南條範夫原作 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店 ,2005年。
  • 以下続刊

2005年8月25日木曜日

コミック・バトン

しばらく前にはやったものにミュージカル・バトンというのがあって、これには私も答えました。で、今回はミュージカル・バトンの漫画版、コミック・バトンというのを受け取りまして、これもなんかの縁ですので答えてみようかと思います。

以前、ミュージカル・バトンの際にはまず回答を示して、その後にまとめをおこなったのですが、今回は順序を逆に全部一通り答えてしまおうと思います。

コミック・バトンへの回答:

Q1 本棚に入っている漫画単行本の数
数えたことがないので……。書棚からは漫画が追い出される傾向にあるので、それほどの量はありません。
Q2 今おもしろい漫画
山口貴由『シグルイ』1から4巻 南條範夫原作 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店 ,2004- 年。
沙村広明『無限の住人』1から18巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,1994- 年。
大場つぐみ,小畑健『DEATH NOTE』1から8巻 (ジャンプ・コミックス) 東京:集英社,2004- 年。
皆川亮二『D-LIVE!!』1から11巻 (少年サンデーコミックススペシャル) 東京:小学館,2003- 年。
山本おさむ『天上の弦』1から6巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2003- 年。
Q3 最後に買った漫画
かずといずみ『貧乏姉妹物語』1巻 (サンデーGXコミックス) 東京:小学館,2005- 年。
倉田ジュリ『おサケの星座』ダブルオペ,2005年。
Q4 よく読む、また特別な思い入れのある漫画を五つ
藤子不二雄『ドラえもん』全45巻 (てんとう虫コミックス) 東京:小学館,1974-1996年。
川崎てつお『恐竜のひみつ』(学研まんがひみつシリーズ) 東京:学習研究社,1972年。
藤木輝美『からだのひみつ』(学研まんがひみつシリーズ) 東京:学習研究社,1972年。
深峰たかし『宇宙人・怪獣・ゆうれい・超能力者 いる?いない?のひみつ』(学研まんがひみつシリーズ) 東京:学習研究社,1981年。
あおむら純『小学館版学習まんが 少年少女日本の歴史』全20巻 児玉幸多監修 東京:小学館,1981-1983年。
Q5 バトンを渡す5名
……

とまあ、以上こんな感じです。

軽くコメントを入れますと、書棚の中身に関しては、本当に把握できていないのです。数百冊は確定してますが、詳細まではもうわからない。箱につまっているのや野積みされてるのも含めると、もうなにがなにやら。把握する日がくるのかどうかさえわかりません。

「今おもしろい漫画」は、今現在連載されているもので、私が楽しみにしているものを五タイトル選び出してみました。選別の基準は、続きを楽しみにしていること、単行本を購入していることの二点。続きが楽しみであるかを条件に入れてしまったため、おのずとストーリー色の強いタイトルが並んでしまいました。

「最後に買った漫画(最近買った漫画)」は、支払い順で考えると『貧乏姉妹物語』で確定なのですが、手もとに到着順で考えると『おサケの星座』が該当します。でもまあ、同列並べてもいいかも知れません。というわけで、並べてみました。

「よく読む、また特別な思い入れのある漫画」は、文字通りそのような漫画を選びました。幼少時少年期に親しんだ漫画が浮かび上がってくるというのは、ミュージカル・バトンの答えからしても当然予想されることで、ちょっと今風ではないですね。というか、今購入可能なのって『ドラえもん』だけじゃんか。

そして、「バトンを渡す5名」。これに関しては、本当に興味のあるかた、自分も答えてみたいカナという方がいらっしゃったら、ぜひご自由に引き継いでくださいまし。強いてどなたと指定するのはやめようと思います。

というわけで、本日はこれまで。詳細は明日以降に持ち越そうかと思います。

2005年8月24日水曜日

おサケの星座

 こんなときに、お酒が飲めればいいんですけど、あいにく私はお酒がだめなものですから、とりあえずビール、と思ったらうちにはビールどころか梅酒さえありませんでした。だからしらふ。こんなときくらいはお酒を飲めればいいのに……、なんて思います。

この間、体力気力がないのでコミケにはよういかれないという話をしましたが、けれど本当はコミケにいこうと思っていました。私の好きな作家倉田ジュリさんの漫画『おサケの星座』が、一冊にまとめられて出展されるという話を聞きまして、そうか、じゃあもう体力が気力がといっちゃあいられない。知人友人つてを頼って、コミケ情報を集めはじめたのでありました。もう、それはそれは、コミケに参加する気満々であったのです。

とかいって、結局いかなかったんじゃないか! そうなんです、いきませんでした。あんたにとって『おサケの星座』はその程度のもんだったのか、というおしかりが聞こえてきそうですが、いやいや、もちろんそんなわけありませんよ。『おサケの星座』は通信販売もされるということで、私は通販を利用しようと決めたのです。そうして、私の手もとには『おサケの星座』があるのです。

『おサケの星座』は、私にとって最も四コマ漫画が熱かった時期の、中心的タイトルでありました。芳文社の『まんがタイムポップ』に掲載されていまして、それはそれは面白かったんですよ。飲み助の女の子二人組が、酒飲んでくだ巻いている漫画なんですが、それが面白いんです。

どれくらい面白いか。だいたい漫画ってのは一回見ただけでは面白さがわからないものです。二回三回と読み進むうちにだんだん面白みがわかってくる(もちろんちっともわからん場合も往々にあります)というのが相場なんですが、『おサケの星座』に関しては、連載二回目ですでにはまっていましたからね。あの「虚言の星」シリーズには大受けで、かといってほかのパロディ風じゃないのはどうかというと、面白いんです。

四コマというフォーマットをしっかりとつかんで、落とし所も抜群、ギャグの切れもよかった。そしてなにより、雰囲気が良かったのです。明るくて朗らかで楽しそうで、出てくるみんな、主役二人もとりやもさとみちゃんも竹島も、すごくいいやつ。非常識でどこかなんか間違っちゃってるんだけど、けどさっぱりとしてすごくいいやつ。気持ちのいい仲間という言い方がぴったりで、もし私が彼らと出会う機会があったならば、きっといい友達になれただろうと思うのです — 。

この倉田ジュリという人は、いい漫画家だなあと、隔月刊のポップを楽しみにしていた理由には、間違いなく『おサケの星座』の倉田ジュリがあったのでした。

その『おサケの星座』をこうしてまとめて読めて、面白くて、笑って、嬉しくなって、ちょっとしんみりもして、そうして私はお酒が無性に欲しくなります。きっと今日もどこかで飲んでるともちゃん、りょうちゃんを遠くに思って、痛飲したい夜であります。

  • 倉田ジュリ『おサケの星座』ダブルオペ,2005年。

『おサケの星座』の通販に関しては、『トレジャーアイランド』をご覧ください。

2005年8月23日火曜日

奇々怪界

   スクウェア・エニックスがタイトーを買収したんだそうですね。といっても、敵対的買収とかじゃなくて、タイトーをスクウェア・エニックスの子会社にすることで、ゲーム業界内での競争力を高めようという意図の下での株式公開買い付けなんだそうです。

ところでだ、タイトーといえばどんなゲームを出してたっけかとちょっと思い出そうとしてみたのですが、かの名作『スペースインベーダー』くらいしか出てこず、思わず焦りました。あと、なにがあったっけ……。そうだ『エレベーター・アクション』があった。それに『ちゃっくんぽっぷ』。けれど、なにか重要なタイトルを忘れているような気がする。なんだっけ、なんだっけ……。

それは、『電車でGO!』です。って、ごめん、嘘。思い出そうとして思い出せなかったタイトルは、私が唯一所有しているタイトー作品『奇々怪界』です。80年代に青春を送った人ならきっと耳に覚えがあるでしょう。さらわれた七福神を助けるべく、我らが小夜ちゃんが御祓い棒と御札を手に妖怪退治に奔走するという素敵ゲームです。

80年代当時、小夜ちゃんは紛れもなくゲーマーのアイドル的存在で、いやあるいはマスコットとでもいいましょうか、御祓い棒を振り振り歩く小夜ちゃんの愛らしさを愛でんがために『奇々怪界』をプレイした人もあったと伝え聞きます。

これが今なら、さながら萌えキャラとして語られていたことでありましょう。

ですが萌えが強烈に発展し、またゲームにおいてもデカキャラが普通に動き回る今となれば、オリジナルの小夜ちゃんのかわいさをどこに見いだせばよいか迷う人も少なくないかも知れません。確かにイラストでもドット絵でもどの辺がかわいいかわからない。けれど思い出してみてください。かつてゲーマーは『Wizardry』の文字と線画の世界に、冒険者のリアルな息衝きを感じ取ったものでした。ならば、ドット絵ちまキャラのアニメーションにかわいさを見いだすことのどこに困難があるでしょうか。

そう、小夜ちゃんは緋袴もりりしく、まごうことなく時代の美少女であったのでした。

まあ、馬鹿なことはおいておいて、当時『奇々怪界』の完全版はアーケードでしか遊べない、本当に高度なゲームでありまして、その後ファミコン版がリリースされたのですが、そのできはファンをがっかりさせるに足るものでありました。実際私は『奇々怪界』ファミコン版を買おうかと迷いながら、当時の評に怖れをなして購入を見送りました。ですが、それでも『奇々怪界』を遊んでみたいものだという思いだけは、どこかに残っていたのですね。

と、そんなわけで、私はPCでプレイできる『奇々怪界』を入手して、インストールしてちょこちょこ遊んで、そうしてわかるのは決して簡単なゲームではないのですね。最近のコンシューマ向けゲームは難易度が低めに設定されていることも多いですが、その昔はそういった手心なんてのはまったくなかったんだなと思いました。

でも、『ドルアーガの塔』みたいな理不尽な難しさはなかったなあ。非常に素直なアクションゲームであると思うのですよ。

ちなみに、携帯でも遊べるのだそうですよ。

参考

2005年8月22日月曜日

まるっと病院パラダイス

 四コマ誌の系列(といっていいのかな?)には実話系と呼ばれる、読者からの体験談を募集し、それを漫画にするというジャンルが存在しまして、面白いことに、実話系を好む層とギャグやD☆V系を好む層はくっきりと別れているようなのです。この傾向は私に関しても同様で、例えば芳文社の四コマ誌は一通り読んでいる私ですが、『本当にあった(生)ここだけの話』だけは読んでいません。なんというのでしょうか、好みじゃないのよ、としか言い様がないのです。

ですが、実話系すべてを否定しているわけでもありませんで、例えば安斎かなえの『まるっと病院パラダイス』は買いました。安斎かなえが好きということもありますが、なにより中身が面白かったというのが決め手となりました。

実話系の主な読者はおおむね主婦層であるからでしょうか、病院は病院でも産科に関する話が多くて、私は今のところ産科には無縁であるのですが、その起こる出来事の数々を面白く、興味深く拝読しております。

もう、皆さん無茶しすぎ、という感じ。もちろん投稿者が無茶したわけじゃなく、病院が無茶無理矢理の場合もあるし、そうなってしまったものはしかたないじゃんか、みたいなこともあるしで、しかし世の中にはとんでもない、ちょっと私なんかには想像もできないようなこともあるのだなあと思って、参考にしたり、反面教師にしたり、ともあれこういう先人の体験談というのは貴重であります。

産科話が多いこの漫画、実際なんかの役に立つこともあるんじゃないかと思って、初期妊娠の知人に贈ろうかと思ったりしたこともあったのですが、けど実際そういう状況になれば実行できないものですね。というのもさ、結構洒落にならないような話もあるし、そもそも妊婦を不安にさせるようなことをしてもいけない。確かに読んでいて面白いのですが、それは他人事と思っているからか、あるいは過ぎ去ったこととして読むからか。いずれにしても、当事者になりかねない人には渡せないなあという、リアリティの持つ重みがあるんです。

けれど、安斎かなえの筆はこうした重みをうまく処理していて、重い話や生臭い話も、さらっと笑えるように料理されているのですから、実話系嫌いにも、あるいは一般読者にもお薦めできる漫画に仕上がっています。実際、この漫画には純情路線を売りにしている私にはコメントしづらいようなネタもてんこ盛りなのですが、ですがそういうネタでも笑わないではおられない。いや、むしろそうしたネタ、重かったり生臭かったりするもののほうが作者の筆ものるというのか、断然面白いのです! いうならば、漫画表現の強さが感じられるのですよね。

ところで、この漫画のカルテ18. 「穴があったら入りたい!! 恥体験の巻」に出てきた3歳くらいの娘さん。私、これ見て思ったのですが、どう考えてもこの子は性的虐待を受けているとしか思えないのですが……。それも常態的にそうした行為が繰り返されているとしか思えないのですが……。犯人は、父親、あるいはそれに準ずる身近な大人としか……。

私はこの漫画を読んでしばらく、この件で手紙を書くべきだろうか悩みまして、けれど生来の筆無精が災いして出さず仕舞でした。ちょっと悔いかも。

2005年8月21日日曜日

暇さえあれば旅行したい!

  昨日のお出かけは漫画の会(SUPER COMIC CITY 関西11)でありまして、実はサークル入場。オリジナルグッズカテゴリーで、商品知識のない売り子をやっておりました。ま、私のことはどうでもいいねん。私の目当てのジャンルは創作一般、オリジナルグッズ。一年半ほど通ってわかってきた私の好みはというと、紀行である模様です。香港紀行とかフランス紀行、イギリス紀行ほか、いろいろ紀行本がそろってきまして、今回私の見つけた紀行はというと、ああ、あの愛しのイタリア。イタリア紀行本でありました。

漫画の会のいいところはというと、読者と著者の距離が近いというところでしょう。イタリア紀行本の著者と簡単に情報交換。イタリア一週間で十五万円を割る旅費は魅力的です! ああ、なんだか私もまた旅に出たくなりましたよ。それも、ヨーロッパ。ああ、旅行したいなあ — 。

と、ここにきて私は俄然旅行モードなのであります。

私には、旅行モードに入ると必ず引っ張り出してくる本があるのですが、これが千里唱子の『暇さえあれば旅行したい!』。実際、この人の旅行に対する情熱はものすごいようで、一時期はほぼ毎月行っていたとのこと。その行き先も堂に入っている。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカ、オーストラリアと、あと南極に行けば六大陸制覇といった勢い。私みたいな好き嫌いはないんですね。

他人の紀行文を読む楽しさというのは、自分とは違う感性でもって、違うところを違うように見るところにあるのだと思います。同じものを見ても、まったく同じところは見ていない。大きく場の雰囲気を楽しむ人もいれば、細部に心をときめかす人もいて、あるいは歴史方面に心をはせる、 — 人それぞれの見方がまた楽しいものです。

思えば、ヒロポン(千里唱子のこと)の視点は、私にはあっていたのでしょうね。読んでいて面白くて、ああ、旅に出たいようと思うんです。そもそも私の手帳にはいつも旅立ちとメモしてあるんです。行くというきっかけさえそろえば、いつでも旅立てます。

なので、私は今旅行したいモードのまっただ中。フランスにするかベルギーにするか、あるいはほかにはどこがいいかな、と構想だけは盛り上がり中……。

引用

2005年8月20日土曜日

ソウルキャリバーII

   今日、お出かけからの帰り道、ぱらぱらと降りだしてきたものだから折り畳み傘を用意したら、雨はそれっきりでやんでしまいました。けれど、また降ってきちゃいけないと伸ばした折傘右手に持って、手持ち無沙汰、道中振り振り歩いていたら、突然『ソウルキャリバー』思い出しました。右手に持った傘の動きに、香華の中華剣を重ね合わせたのでしょう。そう、私はキャリバーでは香華をメインに使っていました。

というのもです。私はアーケードで『ソウルキャリバー』を見て、香華の動きに釘付けになって、そもそも私は当時中国にはまっていたものですから、なおさら。いつか『ソウルキャリバー』が移植されることを夢見て、プレステで出ていた旧作『ソウルエッジ』を買い、操作体系覚えようと一心にプレイしながらキャリバーはいつ出るかいつ出るかとわくわくしながら待っていたら、ドリームキャストで出た。

私は何台ものゲームハードをどうこうできるような甲斐性がないものですから、あんときはちょいとショックでしたね。いや、でも『コロニーの落ちた地で』とかを考えると、ドリキャス買っててもよかったかもと後悔します。

『ソウルキャリバー』に限らず対戦格闘ゲームは一緒に遊ぶ人がいてこそ面白いものでありまして、つまり私には一緒にこれを遊んでくれる人間がないものですから、いまいち面白さというのを追求しきれずにいます。思い出してプレイして、技をいちいち確認しながら練習して、タイムアタックしてみたりサバイバルしてみたり、けれどこうした取り組みというのも直きに飽きてきてしまうものです。

けれど、これが不思議なもので、突然遊びたくなってくるのも『ソウルキャリバー』なんです。私が持っているのはプレステ2用の『ソウルキャリバー』で、もちろん全キャラ使えるようにして、いつでも遊べるようにして、遊ぶ、面白い。けれどまた飽きがきてしまい込んで、そのうちまた遊びたくなってくる。と、こういうサイクルを適当な感覚で繰り返しているのです。

今回のサイクルはちょっと長かったので、さすがに技やらなにやらを忘れてしまっていて、CPU相手に力押しで勝つというようなていたらくではありますが、けれどそれでも面白いんですね。いや、本当はいろんな技を出せるようになりたいし、出せたほうが断然面白みが違ってくるのですが、けれど私は未だそこまではたどり着かず、 — 正直、ゲーム店の店頭、デモ機でドリキャス版をプレイしていたときの方が、出ていた技は多彩で恰好よかったくらいです。

2005年8月19日金曜日

ホルスト:吹奏楽のための組曲第1番

  グスターヴ・ホルストといえば『惑星』ばかりが有名で、後はといわれるとどうもぱっとしない。そんな地味な印象の強い作曲家でありますが、吹奏楽をやっているような人間には結構重要な作曲家であったりします。なんでかといいますと、吹奏楽のために組曲を残しているからでありまして、これらの曲は、貴重な吹奏楽のオリジナル作品として愛好されています。

もちろん、私もやったことありますよ。高校の時、それから大学でも。それほど技巧的な難しさを要求しないので、オーソドックスな吹奏楽の響きを学ぶという点でも重要なレパートリー、重宝しています。この曲のこうした性格は、吹奏楽に馴染みのないクラシック愛好家にも、吹奏楽の響きを感じるためのよい手引きとなってくれそうに思います。

神秘的あるいは牧歌的とも感じられる第1番と、はつらつと元気で愛らしい第2番。一般には第2番が愛好されているような印象もありますが、もちろん第1番も負けてはいません。私は、ゆったりと響きを膨らませながら堂々と歩みを進めてゆくがような第1番も愛していて、サクソフォンとクラリネットでこの曲に参加したのですが(もちろん同時にではない)、うねうねゆらゆらとたゆたう旋律を吹いているときに背を押すように湧き上がってくる金管の響きがすごく気持ちよくて、胸がいっぱいになる。ああ、いい曲だなぁって思う瞬間です。

第1組曲は、シャコンヌ、間奏曲、行進曲の三曲で構成された短く手ごろなサイズの曲で、なので演奏会では第一部あたりに置かれて、例えばオープニングを飾ってみたり、あるいは第一部の締めの曲となったり、使い勝手のよさも手伝って人気の曲。耳にする機会も比較的多いのではないかと思います。

しかし、シャコンヌはいうに及ばず、間奏曲にしても行進曲にしても、ちょっと聴いた感じでは奇妙にも思うメロディは、直に癖になるような親しみやすさを持っています。木管楽器の愛らしさに金管楽器のふくよかな包容力が加味されて、耳に優しく、気持ちよく、小さいながらも上品にまとめらた素敵な作品に仕上がっています。

このあたりは、ヨーロッパの伝統的な部分がいきているのでしょうか。聴いていてすごく気持ちよいのは当然として、吹いていても気持ちがいいものだから、ぜひここは楽器をやったことのないという人も、機会があれば楽団の一員になって、聴くばかりでは得られない気持ちよさを感じて欲しいものだと思います。

蛇足:

私が持っているのは、リスト最上段のDallas Wind Symphonyの盤。正直これはお勧めしません!

2005年8月18日木曜日

僕らの冒険(アドベンチャー)

 アニメには隠れた名曲が多いというのは以前にもいった話でありましたが、今回の『僕らの冒険』もそうした一曲です。勇者シリーズの末期に位置する『黄金勇者ゴルドラン』の主題歌で、汽笛を模したモチーフではじまるアップテンポでポップな歌は、アニメ『ゴルドラン』の持つ陽気で楽しい側面を照らす明かりのようであります。

しかし、この歌の魅力は陽気さ楽しさだけではありません。なによりも素敵と感じられたのは、さあ冒険に出かけようというその時のわくわくする感じが充ち満ちているところ、そして冒険を彩る象徴的なことごとがはつらつと聴くものの心を盛り上げていくところです。 — 私は掛け値なしにこの曲を名曲と思います。アニメの開始を告げる歌としても最高であると思います。

『ゴルドラン』が放送されていた頃には、アニメの主題歌に特段そのアニメのために作られたわけでないタイアップ曲をあてるようなことが普通におこなわれていましたが、勇者シリーズに関しては良心的というのか、明らかにそのアニメのために作られた曲が使われるのが常でした。その証拠はというと、例えば歌の歌詞に主人公ロボットの名前が折り込まれているであるとかなのですが、『僕らの冒険』に関しては、例外的に、歌詞にゴルドランという言葉は見当たらないのです。

ところが、それでもこの曲は『ゴルドラン』のために書かれたのは間違いなく、例えば先にあげた汽笛のモチーフは、汽車で旅をするというこのアニメのプロットをそのままに受け継いでいますし、そして退屈を抜け出してずっと夢見続けていた冒険に向けて飛び出していくという、『ゴルドラン』の面白さの根本が間違いなく歌われているのです。

アニメの主題歌として、アニメの内容に則して歌が作られるというのは、ある種の制約の下での創作にほかならないのですが、そうした制約を越えて素晴らしい歌が生まれてくるというのもまた面白いことであろうと思います。そうした音楽、歌は数多にありますが、『僕らの冒険』も間違いなくそうした歌のひとつであり、私はこの歌を聴くたび、わくわくする胸の高鳴りを感じないでおられません。

2005年8月17日水曜日

貧乏姉妹物語

 この人の描く絵が好きだといっていたかずといずみさんの『貧乏姉妹物語』が発売されまして、ところがです、近所の本屋には見つからなくて、しまったやっぱり大阪に出るべきであったか。ですが大阪に出るまでもなく無事買うことができまして、よかった。そして読んでみて、よかった。

私がかずといずみさんの絵に落ちたのは、ネット上でふと見かけた同人誌『くろいろ』の表紙であったというのは以前にいったとおりです。雪の中、傘持って立つ黒いセーラーの女の子のイラストレーションで、雪とセーラー服と黒タイツという素敵設定もさることながら、その表情がよかったのです。物思いするような、多少の憂いも感じさせるような、そうした中間的表情の魅力がこの人の絵からは感じられるから目が離せなくなるのです。

『貧乏姉妹物語』の説明でなんで『くろいろ』からはじまるのかというと、『貧乏姉妹物語』のヒロインの一人山田きょうがこの絵の女の子を彷彿とさせたからというのが理由で、というか、もしかしたら同じ人ですか? かずといずみさんの同人誌履歴を見てみると、『貧乏姉妹本』というのが散見されるのですが、 — うーんでも多分無関係でしょう。他人の空似であろうかと思われます。

ですが、他人の空似でも、私には大きな意味があって、この本のあちこちからあの時、あの瞬間に感じたアトラクションを見つけ出すわけですから、もう転げっぱなし(いや、実際に、物理的に、転げるわけではありませんよ)。かずといずみさんの絵は、 — あの多少の憂いとさみしげなる様が含まれた絵は、強力に働き掛けるのだということを実感しっぱなしでありました。

そして、私にとってもうひとつの重要なキーワード。そのキーワードとはけなげです。与えられた悪状況に、負けず、めげず、立ち向かっていこうというその心意気が泣かせるじゃありませんか。この漫画に関してはタイトルからして『貧乏姉妹』でありますよ。貧乏状況の中で、妹に苦労をかけまいと一身に家計を担う姉、その姉を支えたいと懸命に自分の成すべきことを成そうとする妹。いけませんね、おじさんはこういうシチュエーションに弱いんです。さらに悪いことに、この姉妹が苦労を苦労と見せず、明るく笑顔で、相手を思いやりながら暮らしているという様! 私はこういうところにけなげを見つけて、危なくきょうあす姉妹の状況を作者の状況と混同して、支援物資を送ってしまうところでした。

かつて『おしん』の不憫さに心打たれた人が、主演の小林綾子に米を送ったという逸話が思い出されますね。ええ、私も危ないところでございました。

  • かずといずみ『貧乏姉妹物語』第1巻 (サンデーGXコミックス) 小学館,2005年。
  • 以下続刊

引用

2005年8月16日火曜日

昭和史の論点

 最初に断っておこうと思います。私は日本史がおそろしく苦手です。なんというか、ちゃんと正規の教育を受けてきたにも関わらず、どうしてもよくよく覚えることができなくて、なんの事件がいったいどういう事象に関わっているとかがピンとこないのです。断片的な事象、例えば原爆投下とかいくつかの大空襲とか、ちょびっとくらいは知ってはいますが、じゅあそれっていつなのさって聞かれるとしどろもどろ。そもそも年号(四桁の数字)が覚えられないという性質のためでもあるのですが、あまりにも情けないですね。

とまあ、こんな歴史に弱いのが私という人間です。もう笑っちまうほどもの知りませんから。本当にみっともない話です。

そんな私が読んで面白いと思ったのが『昭和史の論点』。あの戦争に向かっていく過程や、あの戦争で成されたこと、そしてその結果というのが、ざっくばらんな雰囲気の中で話されて、私はというと、そういえば漫画『日本の歴史』に戦艦保有比率のどうのこうのが図示されていたとか、社会科の授業で教師のいった「松岡堂々退場す」の文言を思い出すとか。結局のところ私の知識は面ではなく、線ですらなく、途切れ途切れの点々に過ぎないと確かめたようなものでした。

そんな点の知識しか持たない私ですが、この本を読んで、いろいろなことを新たにあるいは改めて知って、確認しながら、あの戦争にからむいろいろをちょっとはわかるようになったと思います。だからこの本は大変ありがたかった。まずもって読みやすく、ことに事象だけでなくその裏っかわのいろいろや話している人の見解なんかも一緒くたに語られるから、ものの見方というのも学ぶことができる。なにぶん、ものを知らない間は他人の頭を借りて考えるしか手はないわけですから、そういう意味で、私はこの本を通じあの戦争について考えたようなものでした。

そもそも私がいかんのですが、昭和史近代史、こと第二次大戦に関する事柄はタブーみたいに考えて、触れず語らずといった姿勢をとってる。アウトプットをしないから、インプットも弱る。インプットがないからなおさら考えない、考えられない。悪循環があります。けれど、まったく関係ないのかというとそんなことはなくて、嵯峨野にあるうちの墓には星のついたのがあって、じいさんの弟ふたりの墓なのですが、二人とも兵隊にとられて死んでいます。水兵だったそうですから、多分水没です。複雑なのはその命日で、はっきりとは覚えてるわけではないから月までしか書けませんが、四十五年の八月とかそんなんです。それこそ終戦が一週間早まっていたら助かっていたかも — 、みたいにいうんですよね。私はもちろん会ったことのない人たちの話ですから、ふうんみたいなものですが、けれどやはり私の身近にも戦争は関係しているということがわかります。

今年は終戦から六十年ということで、ことさらに特集番組やなんかが組まれて、私も結構見たのですが、それでもまだ他人の頭で考えているという感触から抜けきれません。自分の頭で考えられないうちは、吹く風の向きによってあっちこっちにふらふらするばかりですからね。それではいかんなあと、この本を読み返そうかななんて思ったわけです。

かたいばっかりの本ではないです。開戦から終戦まで延々歩いてそれだけで戦争が終わったような師団の話や、食料補給のために牛を連れた部隊があったとか(牛を谷で落としてしまった話はいったいどこで読んだんだろう?)、そういうエピソードはなかなか面白く、けど本当はちゃんと考えると、それだけいい加減な命令で兵隊たちはあっちこっちにやられていたわけですからたまったもんではなく、水没した人、餓死した人はごまんといて、洒落にならない。本当に笑い事ではないんですが、そういったことは知らないうちはわからないんですから、やっぱり知っておいてよかったなと、おかげで戦後六十年目にして血縁者の最期を追想できました。

  • 坂本多加雄,半藤一利,秦郁彦,保阪正康『昭和史の論点』(文春新書) 東京:文芸春秋,2000年。

2005年8月15日月曜日

アメリカひじき・火垂るの墓

 昨日はアニメだったけれど、今日は本です。野坂昭如作『火垂るの墓』。戦争にまつわる短編集。戦場が描かれることはないのですが、銃後と呼ばれた国内にしても、苛烈であった様子がうかがえます。

食べ物がなかったんでしょうね。それはそれは餓えたのでしょう。聞くところによればあるところにはあった食べ物が、都市部なんかにはちっとも行き渡らなくて、それはそれは汚いやり取りもあったようで、このあたりの事情は『火垂るの墓』にも出てきます。結局は親の力、コネが物言う世界であって、なら親が徴兵されたり焼け出されたような子はどうだったのか。ひとつの例は清太節子の兄妹、そして久子文子の姉妹。どちらもあまりに痛ましい物語です。

これらの物語は、野坂昭如の実体験をベースにして書かれたものであることは容易に想像できて、特に『火垂るの墓』はそうです。氏が妹を亡くしているのはよく知られたことで、じゃああのアメリカ人にどうにも複雑な思い抱いた『アメリカひじき』の俊夫にしても、『焼土層』の善衛にしても、戦中から戦後に切り替わるあの時の、簡単には割り切れなかった感情のもつれや破片が投影されているのでしょう。私は、そうしたうずくような感情を追って見てみて、人間の弱さと、人間の悲しさと、そしてそれらをあらわに白日の下にさらさせた戦争の無慈悲を思ったものでした。

アニメの『火垂るの墓』は感情に効いて、やり切れなさも悲しさも言葉にならないほど。小説はというと、やはり感情に効くのだけれど、言葉として届くものだから、それは半分整理されたようなもので、だから受け止めるこちらも多少は冷静です。しかし、頭のどこかが冷静なものだから、憤りが激しい。あの戦争の、あの異常状況下に振り回された運命に対して、歯がみするような思いで野坂の文を追いました。天からもたらされたものでもなく、ましてや自然のものでもない戦争に対する嫌悪悲嘆は心中に渦巻いて、私のこうした感情はどこに向かったものでありましょうか。

2005年8月14日日曜日

火垂るの墓

 『火垂るの墓』が公開されたのは1988年の四月ということですから、奇しくも私は主人公の清太と同じ十四歳。ですが残念ながら私は映画を見にいかず、テレビ放映されるのを待ったのでした。『火垂るの墓』のテレビ初放映は89年の八月です。はたして私は、ビデオテープを用意して録画しながら見て、ですがそのビデオはその後一度たりとも再生されていません。

そのテレビ放映の後、つまり二学期に入ってから、社会科の教師が夏休みに見た『火垂るの墓』について触れたその内容が印象的でした。いい映画だと思ったんだけど、もう二度と見られない。四歳の節子と自分の子供が重なって見えて、つらくてつらくて、たまらなかった。

教師のこうした感想は多くの人が持ったものに同様で、あるいは私にしても同じだったかも知れません。

せっかく録ったビデオも見ず、テレビ放送も避けるようにしてこの映画を見ないようにした私ですが、それでもどうしても目に留まってしまうもので、いったん見てしまえば最後まで見てしまうのが常ですから、何度かくらいは通しで見ています。ですが、私にはあまりにその映画の内容が重すぎるためか、胸がいっぱいになって感想らしい感想が残らないのです。

不思議なもので、野坂昭如の本で読んだときの方が、いろいろと思いを巡らす余地があるのです。ですが映画だとそんな余裕はなく、圧倒的な表現の前に打ちひしがれてしまっているといおうか、言葉にする以前の思うところですでに立ち尽くすような有り様です。

私がこの映画を思いだしてなにかをいおうとすれば、決まってまだわずかばかり平穏の残っていた頃のことで、ほら、清太がオルガンを使って節子に歌を教える場面があるでしょう。あそこで清太はドレミではなくてハニホで歌っている。こうした何気ないところに心を止めて、けれどそうしたささやかな仕合せな情景も、すぐさまあのおばさんに水を差されて、私にしても冷や水浴びせられるような思いで、そして後のことはよう言葉になりません。情景が浮かんで消え、浮かんで消え、それらにどうコメントすればよいかは未だにわからずにいます。

もしかしたら、すっかりおじさんになってしまった今なら、受け止めてなんら思うことも可能かも知れないと思います。だったら親になる前の今が『火垂るの墓』を見るには一番よい時期かも知れません。

2005年8月13日土曜日

We Can Work It Out

 燦然と輝くロック界の金字塔、ザ・ビートルズ。もちろん私もビートルズは好きで、聴いたりもしますし、歌ったりもします。ビートルズの人気、曲の浸透度は説明する必要もないほどで、もはや環境といってよいでしょう。彼らの曲がパブリックドメインに移行した暁には、きっと素晴らしいカバーが次々と現れるはずで、ですがおそらく私はその日に立ち会うことはできないでしょう。残念なことです。

ビートルズの曲でなにが好きかと問われたら、私はなんと答えればいいでしょう。Blackbirdが好きです。Norwegian WoodI Am The WalrusStrawberry Fields Foreverも……。いやいやここに数え上げられるものではありません、私にはあまりに好きな曲が多すぎるのです。そして、今日ふと思いついて歌ってみた歌、We Can Work It Outも、そうした好きな曲の一曲であります。

We Can Work It Out、日本語タイトルは『恋を抱きしめよう』でした。この曲の人気は、Amazonあたりで曲名検索してみればわかるでしょう。We Can Work It Outでの検索結果が155件、『恋を抱きしめよう』での検索結果で100件。事前に予測されたことではありましたが、正直多すぎます。はっきりいって、この結果からリストを作成するだけで疲れ果てて、なにを書こうと思っていたのか忘れてしまいました……。

私がWe Can Work It Outを好きになったのは、そのわかりやすいメッセージに突き動かされてでした。自分たちにはそれができるというタイトルの前向きさ。シンコペーションも明るく朗らかなフレーズがWe Can Work It Outを二度繰り返して閉じられたと思うと、一転して重々しく四分を刻むLife is very short。この落差に私はやられました。

タイトルも歌詞も曲順も確かめず、ただただ聴くばかりの私でありますが、いつしかこの曲が流れてくるのを心待ちにするようになりました。タイトルを確かめて、歌詞もちゃんと調べてみて、いい歌じゃないか。そして私は、いつか歌いたくなる日のために楽譜を用意したのでした。

自分でも歌ってみて、この歌はやっぱりよい歌だと思います。メロディはもうすっかり覚えてしまっていますから、とりあえず次はコードを覚えて、そして歌詞を覚えて、いつでもどこでも歌えるレパートリーにしたいと思います。どこで、いつ歌うことになるかはまったくわからずですが、けれど心にとどめておきたい歌です。

Paul McCartney

Stevie Wonder

Omnibus

2005年8月12日金曜日

辣韮の皮

   日本における最大規模イベントコミックマーケットは今日から開催です。盆ということも手伝って、日本中あるいは世界中からマニアおたくの面々が東京国際展示場(東京ビッグサイト)集まります。だから今年もきっと盛況でしょう。

私はというと、休みがないのと金がないのと、体力がないのと気力がないのがたたって、当然のごとく見送ります。けど友人知人のうち幾人かは参加しているようなので、追々状況を聞くこともあろうかと思います。それも近々に。

さて、今日は『辣韮の皮』で書きましょう。「らっきょうのかわ」と読みますが、私ははじめてこれを見たとき、「にらのかわ」と読んで恥をさらしました。

『辣韮の皮』は、その副題というかあおりかに「萌えろ! 杜の宮高校漫画研究部 」という文言があることからもわかるように、高校漫研においておたくな青春を送る主人公とその仲間たちの漫画なのですが、なにしろ作者もたいがいなおたくでありますから、その密度というか描写のリアリティというかはすさまじいものです。きわどいネタの切れ味もなかなかにして、その鋭さは両者痛み分けといったところ。本当におたくの好むネタを、というか、おたくというものをよく知っているなあと感心します。まあ、面白がっている時点で私も同様のものであること、間違いなしなのでありますが。

『辣韮の皮』に表れるコミケの風景というのがよくよく活気熱気を伝えてくれて、その準備過程、裏に渦巻く思惑や執念、そして当日のお祭りムードは、なんだか楽しそうだなあと私に思わせるに充分で、けどそんなこと思っているのは対岸にいるからなのかも知れません。

けれど、例えば学生時分私にとっての夏は吹奏楽コンクールに明け暮れたように、冬から春には定期演奏会に向けて紛糾、紆余曲折の道をたどったように、彼らにはそれが漫画やアニメであるのですね。遠く離れれば楽しかったかも知れないそうした活動も、当時はしんどかったりぶつかったりして、だから主人公の滝沢政宗の気持ちはわかったりわからなかったり。どっちやねんという感じですが、わかるというとなんかアレな感じもするから、わからないといっておきます。

だけど、これだけは確かかなと思います。なんだかいろいろに大変そうな滝沢くんも、いつかはこうしたいろいろが懐かしくも楽しかった日々になるのだろうなと。いつかこうした状況を離れて振り返ったその時、かけがえのない日々であったと思うことがあるのだろうなと — 。

ただ、これは滝沢きゅんが脱オタクをはたしていたならばという前提が必須要件であろうかと思うのですが……。

類は友を呼ぶといいます。私には極めて面白い漫画だったので、私のお友達にもきっと面白い漫画であろうかと思います。すこぶる面白い漫画であろうかと思います。

  • 阿部川キネコ『辣韮の皮』第1巻 (Gum comics) 東京:ワニブックス,2002年。
  • 阿部川キネコ『辣韮の皮』第2巻 (Gum comics) 東京:ワニブックス,2002年。
  • 阿部川キネコ『辣韮の皮』CD付き初回限定版 第3巻 (Gum comics) 東京:ワニブックス,2003年。
  • 阿部川キネコ『辣韮の皮』第3巻 (Gum comics) 東京:ワニブックス,2004年。
  • 以下続刊

2005年8月11日木曜日

林檎でダイエット

佐々木倫子待望の新刊『月館の殺人』が出ているのを見て、なにはなくとも購入してみて驚いたのはその装幀。なに加工というのでしょう。エンボス、じゃないな。型押ししてるわけじゃないもの。ベベル? というのも多分違う。ともかく、透明樹脂かなんかで立体加工がされていまして、いや、こんな凝ったのも久々であったので驚きました。凝った分、高めの値段にも驚いたのですが。

さて、私にとっての佐々木倫子入門は『おたんこナース』でありました。確か、途中巻を間違えて二冊買ってしまい、大学の友人にあげたとかいうエピソードがありまして、とにかく私は『おたんこナース』から佐々木倫子に入り、後は『動物のお医者さん』にはまるというお定まりのコース。しかし私の勢いはここで止まらず、既刊をすべて買い集めるという行動に出ました。そうして『林檎でダイエット』。私の愛してやまない、美人姉妹シリーズであります。

美人姉妹シリーズ! なんと甘美な響きでありましょう。椿館に住まう浅野雁子と鴫子の、優雅にして典雅な日常がきっとあなたの心に小さくとも温かな灯をともす、珠玉の小品集です。……ごめん、今までの説明、ちょっと嘘。

佐々木倫子の描く女性を愛してやまない、愛してやまないというのは私のいつもの言い分ですが、なかでも菱沼聖子が素晴らしいというのもいつもの謂です。でも実をいうと、私には菱沼さん以上に好きな女性がありまして、それが浅野雁子。美人姉妹の姉です。

姉ですが、頼りなく、だらしなく、メリハリもない雁子であります。ですが、その雁子が魅力的なのですね。確かにぱっとしたところもなく、実際とぼけた人かも知れない。ですが、その味というのは雁子にしか見いだせない味で、どれほどに素敵であることか。と、私は雁子が現実の存在でないことに歯がみをする思いでいます。

表題作の『林檎でダイエット』が素敵でありました。佐々木倫子には珍しい恋愛を扱った小品で、すれ違う心と心。ぎりぎりのところで通いあわなかった恋の悲しさつらさが心を締めつけるようです。鶴が舞う氷原での雁子の独白:

そういえば私には好きな人がいない

その時の雁子のさみしげに揺れるまつ毛に、私の心はときめいてならないのでした。

……ごめん、やっぱりここの説明、ちょっと嘘、— けれど雁子にときめく私の心というくだりは真実です。

実をいうと、私は自分自身が雁子タイプであることに気付いているのです。気付きながら、私はその罠にはまらないようにと気をつけながら、けれど雁子よろしく重荷には耐え得ず、今に至ります。

多分、今の雁子の境遇は今の私に似ているでしょう。アタシやっぱり誰かを好きになりたいといいながら、けれどうまくはいかない心模様。私は、そんな不器用な雁子が好きです。

引用

2005年8月10日水曜日

ダブルキャスト

 毎日毎日あっついなあー、というわけでやるドラ。夏の季節ものにしてやるドラ第一作である『ダブルキャスト』を思い出してみようかと思います。

私がはじめてプレイしたのは『サンパギータ』で、その次にプレイしたのが『ダブルキャスト』。おそらく遊んだ総時間は『ダブルキャスト』がまさります。達成率で比較すると、『ダブルキャスト』が一番高いんですよね。これはおそらく『サンパギータ』でやるドラの楽しみを知り、次いで『ダブルキャスト』でやるドラの遊び方を知った。いや、効率のいい達成率の稼ぎ方を知ったといったほうがいいのかな?

違う方面から見れば、後期やるドラの『サンパギータ』に比べ、初期やるドラである『ダブルキャスト』の方がやさしめなのかも知れません。少なくとも、ルートの捜索に関してなら、『ダブルキャスト』の方が素直であるということなのかも知れません。

ところがですよ、それでも達成率100%にたどり着けないのがやるドラなのですね。私はとうから100%は諦めていますが、当時、バイト先の若いのが100%にチャレンジして、ものすごい攻略チャートを作成しながら挑んだというのに敗退。単純にルートや分岐を潰すだけではどうもだめらしいという話をしたことを思い出します。

けどさ、やっぱり見落としているシーンがあるというのはちょっと悲しいのさ。例えば、『ダブルキャスト』でいうと、ラーメン屋での美月。頭の上に結んだ髪が鼻の下まで落ちてきているシーンがあるはずなのです。ですが私は見てない。ちょっとくやしい、 — という感じで達成率を上げたいという気持ちは高まり、一時は毎日毎日『ダブルキャスト』のスキッププレイをしていたのですが、さすがに疲れちゃってやめました。

やるドラ100%は、常人にはそもたどり着けない領域なのです。

普通にゲームをして楽しむということに関してなら、おそらく『ダブルキャスト』が一番楽しめるのではないかと思います。意外性のあるストーリー(けど、勘が良ければ説明書で落ちがばれる……。説明書は熟読してはいかんのじゃ!)に、ハードな描写(人によってはトラウマになるとか……)。BGMも凝っていて、ここそこに不気味なささやき声や笑い声が挿入されて、ざわざわした感じをしっかり演出しています。いやあ、私は好きでしたよ。あのぞぞっとくる感じ!

やるドラにおける私の好みは最も地味な『雪割りの花』に決着しますが、ですが次点となれば『ダブルキャスト』となるのでしょう。そして、一般にお勧めするとなればやはり『ダブルキャスト』。『ダブルキャスト』は、もっともやるドラらしいタイトルだったのではないかと思います。

ところで、私は楠木翔子が好きでした。理由は、内緒です。

CD

2005年8月9日火曜日

ZEONIC FRONT — 機動戦士ガンダム0079

  ゲーム『ジオニックフロント』のノベライズ、読了です。地球における連邦軍とジオン公国軍の前線を描いて、地味ながら名作とうたわれたゲームのノベライズは、やはり派手さはなく、けれど地味ながら良作。ジオン公国が攻勢から守勢に転じるきっかけとなったオデッサを第1巻のクライマックスに据え、以後は撤退戦に次ぐ撤退戦。ゲームにおいても、またノベルにおいてもなお、敗退するものの心中には諦めと希望が渦巻いて、しかし果敢に戦闘に望む兵どもの意気やよし。この負けゆく者共に共感するというのは、ジオン公国ファンのすべてが共有する感情ではないかと思います。

ガンダムに限らずメカものロボットもののライトノベルズにおいては、新兵器が見どころになることも多々あって、例えば『機動戦士ガンダム戦記』ではドムやジム・スナイパーII、ズゴックE型が、そうした新兵器として燦然と輝いていました。

しかし『ジオニックフロント』では、徹頭徹尾ザクです。いや、確かにグフも配備され、ドムの編入もありましたが、あくまでも前線における主役はザク。ザクほどジオンらしいモビルスーツもないというのが私の実感でありますが、そうした実感が濃密に表されたものも珍しい。ノベル『ジオニックフロント』は、ゲーム以上にザクを重く見た、ジオンファンのためのノベルであるといわずにはおられません。

ザクというのは、微妙な位置にあるんですね。『ジオニックフロント』をプレイしたことのある人、あるいは『ギレンの野望』を遊んだことのある人なら感じたのではないかと思うのですが、ザクは強いのです。ザクとはかなり強力な兵器で、その強さが宇宙世紀における戦争の質を変えたのだと実感するほど強い。ですが、ザクの天下はあくまで敵方にモビルスーツが出るまでで、ガンダムが出現し、ジムが配備されてからはむしろ見劣りするようになり、しかしそのザクで戦い続けるという状況にロマンがあるのかも知れない。私はそう思います。

『ジオニックフロント』は、伸びるもの、威を存分に振るったものが、後から来たものに追われ、落ちてゆくという浮沈の様を描いているのですね。すべてのものにとって必然である栄枯盛衰のことわりが、ジオン公国でありザクでありに仮託されて、しかし凋落に身を任せるのではなく、ぎりぎりのその時まで落ちまい落ちまいと踏みとどまろうと苦闘する、その意思が恰好いいのでしょう。

たとえ負け戦に思える状況であっても、投げ出さない、捨て鉢にならない、最後の最後までベストを尽くす。これは若者に向ける最高のメッセージではないかと思います。気持ちのいい読後感の得られる良作でありました。

2005年8月8日月曜日

機動戦士ガンダム戦記 — Lost War Chronicles

  読書はいつもスローペースの私にしては、破格の速度で読んでおります。ゲーム『機動戦士ガンダム戦記』のノベライズはもうとっくに読了して、今は『ZEONIC FRONT — 機動戦士ガンダム0079』の第2巻を読んでいます。それも残すは後一章。こういうゲームのノベライズとかは実に久しぶりのことだったのですが、モビルスーツというものを使った戦術やなんかを詳細に書こうとする姿勢が見える両タイトルはなかなかの読みごたえで、正直なところ、もっと早くに読んでおけばよかったなあと。読んでいると読んでいないでは、きっとゲームに取り組む際の気持ちの持ちようが違ったでしょう。惜しいことをしました。

ゲームのノベライズに手を出したのはとりわけ理由があったわけではないのです。ゲーム『ジオニックフロント』を、今度こそ全S取ってやるぞという気持ちがなんだかあふれているこの頃。徒手空拳で全Sを目指してもいいのですが、それだとあまりに効率が悪すぎるし、たまには人の戦術も参考にしたいじゃないですか。というわけで、攻略本に手を出そうかと考えたのです。

ファミ通から出ている『ジオニックフロント 機動戦士ガンダム0079コンプリートガイド』が評判いいというところまでは調べがついて、いざ買いに行こうと梅田に出たら、なんと『ジオニックフロント』の攻略本だけないのですよ。ほかのガンダムゲームのはあるんです。ところがジオニックだけない! ってなんでだーっ!

くやしいので、ノベライズを買ったと。いや、本当にわけわからないな。

『ガンダム戦記』では、プレイヤーは連邦ミッション、ジオンミッションをそれぞれプレイすることができるので、どちらに肩入れするかはそれこそプレイヤー次第。ノベルでも当然両軍を扱って、どちらに肩入れするかは読者に任せるというスタイルを取っています。ですが、物語はやはり佳境に向かって、この両者を直接対決させないわけにはいかないわけで、じゃあどうやって両者を立て、どうやってうまく収めるのか。これが私にとっての興味でありました。おそらくはすべての読者がそうだったろうと思います。

私の感触でいえば、その解決の方法は多分にロマンティックで、どこか青臭さが感じられなくもない、 — ですが理想的なものでありました。こういうかたちに落ち着くだろうなという予感はあったのですが、問題はその決着にどれだけの説得力を持たせられるかというもの。私は、あの終結に向けた連邦ジオン両軍の将兵の心の動きの積み重ねに、納得しようと思いました。いや、納得したいと思ったのです。

私にとってのベストは、ガースキー・ジノビエフ曹長でした。このゲームは、以前にもいいましたが、少々やさしめのアクションゲームです。なので、あんまりチームプレイとか考える必要がない。むしろ僚機が足を引いていると感じることもしばしばで、だからガースキーにせよジェイクにせよ、ラリーにせよアニッシュにせよ、ゲーム内では非常に影が薄い。ですがノベルでは彼らの存在が非常にふくよかに描かれていて、とりわけジノビエフ曹長は格別でした。

逆に、ゲーム中では目立つ連邦・ジオンギャルですが、ノベルでは控えめ。ジェーン・コンティこそは破格でありましたが、それでも中央には常にデルタ・チーム、レッド・チームが陣取っていて、光の当たりにくい彼らにしっかり光が当てられていたのはよかった。理想と現実の境にゆれる彼らの迷いが描かれて、最後には理想的な終結を見るというのも、ジュブナイルとしては大正解であったと思います。

面白かったです。

2005年8月7日日曜日

黄色いバカンス

以前取り上げたこともあります『ぱにぽに』はアニメ化もされて絶賛放送中です — といっても、私は一度も見たことないんですが……。

なんで見ないのかといいますと、アニメ化にかかる事前情報を見るかぎり、どうも私向けのアニメではないだろうと判断されたからです。どうやら私は、一種過去のアニメに魂を縛られたオールドタイプに属するようでして、ニュータイプにはついていけそうにありません。きっと『ぱにぽに』のアニメ『ぱにぽにだっしゅ!』を見ても、やっぱ漫画のほうがいいよという結論を出すことでしょう。

けれど、その判断は早急だったかも知れません。オープニングテーマ『黄色いバカンス』を聴いて、私は自分の判断が揺らぐのをひしひし感じています!

私は、なのはなー、風に揺れてという部分しか聴いたことがなかったのですよ。それが思いがけず通しで耳にする機会に恵まれて、気分はもうなんじゃこりゃーです。

いい曲なんだ。なのはなーのくだりだけ聴くと普通の女の子ポップスみたいに感じてしまいがちですが、全曲聴くと全然印象が違っていてびっくりしました。そうさね、タイトルなんかを見ればザ・ピーナッツの『恋のバカンス』あたりを意識させようとしているんでしょうが(まさか『黄色いさくらんぼ』も!? いやそりゃあないか)、実際これは昭和四十年代、日本を席捲したGS歌謡風要素を全体にちりばめて、しかもただのパロディにとどまらない。GS風味を持ちながらも、その根幹はロックに補強されていて、ソリッドでポップ、ガーリッシュでキュート。あかん、私はこういう歌が大好きなのです。

調べてみました。

歌っているのは、折笠富美子と雪乃五月。ともに『ぱにぽにだっしゅ!』に出演中の声優で、さらに調べてみるとボーカルを代えた第2弾第3弾シングルの発売も予定されている模様で、そりゃ全部買えってことか? あとでボーカルコレクションとか出ないかなあ。そもそも最近のアニメはよくわからん私にとっては、こうしたボーカルコレクションとかが出るかどうかというさじ加減はわからんのです。誰か、ニュータイプがいらっしゃったら、最近動向を教えてください。

閑話休題、この歌を歌っているのは片桐姫子役と橘玲役の声優で、しかしこの歌い手がうまい。声が立って、ポップでロックでキュートな感じがすごくよく出てるのさ。うん、こりゃいいよ。なのはなーのくだりもちょっといいかなと思ったんですが、魅力は曲全編にびしっと通底していて、こりゃ本当に大当たりかも。

こりゃ、買いますね。シングルになるかアルバムになるかはわからんけど、絶対買いますね。

引用

2005年8月6日土曜日

Hiroshima

 ジョルジュ・ムスタキはエジプト生まれのギリシャ人。シンガー・ソング・ライターです。技巧派という印象はなく、朴訥に淡々と歌うというそんなイメージのあるムスタキですが、ですがその歌は心にずーっと浸透していくようです。ムスタキの歌に派手さはないですが、けれどその素朴さが優しく広がって、私はムスタキと彼の歌が好きなのです。

私が最初に好きになったムスタキの歌は、彼を知るきっかけにもなったMa Solitudeでした。私の孤独は世界の隅々まで付き従うという歌詞がとても印象的で、だから私は自分のサイトにこの歌詞をもじってAu coin du mondeと名付けたのでした。

ムスタキには日本の都市名がタイトルになった歌があります。その歌というのはHiroshima。広島をモチーフにして、ですがこの歌には広島という土地や都市、あるいは原爆の悲劇はうたわれません。あるのは、ヒロシマという象徴性。歌は、明日にはきっと平和がくるだろうと歌っています。

さまざまなものによって、さまざまなものをともに、明日平和はもたらされるだろう。鳩とオリーブにはじまり、象徴的なもの、ことが次々と表れて、そして平和は明日やってくるのです。どこに? ヒロシマに、そして未来にです。

日本語では、遠くなりゆくヒロシマというような雰囲気でうたわれるようですね。私は、この訳詩は違うと思いました。そうではない。この歌は、ヒロシマの象徴をともに、平和はきっといつかくるという未来への希望を歌い、そして逆説的に、今日の私たちは平和というものを希求しながらも手にはできていないという現実を明らかにしています。

もし日本語でこのHiroshimaの歌う内容を追おうとするなら、谷川俊太郎の『死んだ男の残したものは』がよいのではないかと思います。歌う内容の傾向こそは違いますが、同種のものを感じます。

参考

2005年8月5日金曜日

ダーティペア

  私が子供の頃はさ、地上波テレビでも(というか地上波しかなかったんだけど)ひんぱんにアニメ再放送というのがされていて、いやあ見ましたよ、見ましたね。人気のある番組は何回も再放送されて、例えば『ガンダム』がそうですね。あと『パタリロ!』や『はいからさんが通る』。好きなアニメが再放送されていると知ると、万障繰り合わせて見たものでしたよ。

忘れてはいけないアニメがあります。私の記憶に最も新しい再放送は、関西テレビ午後17時30分。そのアニメとは『ダーティペア』であります。ユリとケイがトラブル解決に奔走し、結果的に損害を大きくするというのがパターンのアニメで、面白かった。本当に好きだったのであります。

なんで『ダーティペア』を思い出したのかといいますと、昨日オープンしましたiTunes Music Store Japanごちゃごちゃ検索したりブラウズしたりした末に、『ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット』と『宇宙恋愛』を見つけたのですよ! ああ、この二曲は名曲であります。特に私は『宇宙恋愛』が好きで、あのエンディングの、カーラジオから流れる曲を聴きながらドライブしているかのような演出が素敵で、そこにシビれました! あこがれました!

『ダーティペア』の話で盛り上がれば、君はユリ派かねケイ派かね、みたいになるのは必至でありまして、私は断然ユリ派でしたね。ユリのあの、普段はしとやかぶってるところ、実体は全然そんなところがなくてこずるっぽいところ、最高でした! それにそもそも保守派の私は、髪の長いフェミニンな雰囲気が好きなのです。ユリはまさに夢に思い描いた君、というかまだ子供だった私には理想のお姉さまってな感じでありました。

『ダーティペア』、DVDが出ているから買えば見られるのはわかっているけれど、正直今の私には厳しいなあ。でもまた見たいなあ。というか、あの島津冴子演ずるユリの活躍をまた見たいものだなあと思います。

2005年8月4日木曜日

チャーリー・ブラウンという男の子

 世界的に有名なさえない男の子、チャーリー・ブラウンは実に愛すべき人物で、私も世界中の友人たちと同様、彼を深く愛しています。野球が好き、だけどチームは連敗。妹のサリーには軽く扱われ、飼い犬のスヌーピーにしてもどうも彼をあんまり重くは見ていないみたい。明らかに小市民を絵に描いたようなチャーリー・ブラウン。やる気がないわけではないのだけれど、どうにも空回り気味な人生に、くじけたり弱音を吐いたりしながら、けどそんな彼だのにどうしても憎めない。

憎めないのも当たり前かも知れません。私たちはチャーリー・ブラウンに私たちの悲しみを見てしまうのです。彼らの生き方、悩みに、私たちの日々にもらすため息や泣き笑いを見つけ出してしまうから、チャーリー・ブラウンを他人とは思えなくなってしまうのです。

いつもはさえないチャーリー・ブラウンに意外な才能が! なんと彼は単語のつづりに絶大な能力を発揮してみせたのです。学校のスペリング・コンテストで好成績をおさめた時には、そのあまりの意外さに友人連中も本人もびっくり仰天。チャーリーは状況に戸惑いながらも、あれよあれよと実力を発揮して、ついには全米大会に出場するまでにいたります。そしてその結果は、 — Good Grief! やっぱり君はチャーリー・ブラウン!

大会を勝ち抜く時の意気揚々、全米大会直前の追いつめられようを経て、チャーリー・ブラウンの落ち込み方はもう見ているのがつらいほどでした。まったくの無気力になって、部屋に閉じこもってしまって、私の胸いっぱいに彼への同情が広がっていくのがわかりました。チャーリーの友人ライナスがそうであったように、私はカートゥーンの登場人物に、心からの共感をおぼえたのです。

— ですが私はそうした友人にかける言葉というものを見つけることができません。私はこうしたときにきっと口をつぐむものなのです。

けれど、ライナスは違います。ライナスがチャーリー・ブラウンにかけた言葉の温かさ、強さ。もしそこに落ち込んで、打ちひしがれている友人がいたならば、私はこの言葉を贈りたいと思います。

だけどさあ、知ってるかい。世界はまだ終わりじゃないってこと

2005年8月3日水曜日

ラディカル・ホスピタル

    実は最初は『サクラ町さいず』で書こうと思っていたのですが、急遽『ラディカル・ホスピタル』に変更。というのもですね、本日発売の第9巻にヤング・ヨネザワ先生が出てらして、その繊細でナイーブな美青年ぶりにくらくらした、というか、めろめろというか、米沢先生ラブなのであります。とそういう理由から、今日は『ラディカル』で書こうと。いやあ、いい加減というかなんというかですが、いいんです。いい加減は今日にはじまった話じゃありませんから。

『ラディカル・ホスピタル』は、その名前からもわかると思いますが、病院を舞台にした漫画で、そもそも私は病院ものが大好きですから、もちろんこの漫画も大好き。ずうっと前から、ひいきにしております。

さて、病院好きを標榜する私でありますが、どんなのでも好きというわけではなくて、比較的まじめで、それであんまり医療ドラマしていないものが好みです。ほら、病院ものってなにしろ死やらなんやらがどうしても関わってくる題材ですから、熱血派というか、ものすごく感情のテンションが高いのも多いジャンルだと思うのですよ。ドラマが作りやすいからかもうずいぶん乱獲されてきた分野でもあって、天才医師ももうお腹いっぱいだし、だからといって告発ものみたいなまじめさもなんだか読み疲れするし、 — その点、『ラディカル・ホスピタル』のさじ加減は絶妙であると思います。

この漫画に出てくる人たちっていうのは、別に天才でもなんでもない、職業として医療を選んだ普通の人ばかりで、そんな普通の人たちばっかりの漫画が面白いかといわれると面白いんですね。そりゃ、基本的にギャグ・コメディであるんだから面白さを志向するのは当然ではあるのですが、けどこの漫画の面白さの本質はそういうところにではなく、コメディの裏に流れるまじめさ、真摯さが透けてくるという、そこだと思うのです。

病棟での日常、淡々と医療行為に従事する病院スタッフたちは、自分の成すべきことをはたそうとするプロである、と、この漫画から感じられるのはそういう空気なのです。普段は冗談ばっかりいって、笑って、笑わせて、笑われて、けれど退いてはならない一線を見つめているということがちゃんと見えてくるのはすごいことです。まじめ熱血を全面に押し出す漫画よりも、笑いの裏にそれら要素を隠したラディカルのスタッフたちのほうが、よりいっそうプロフェッショナルを感じさせてくれる。そこが読んでいて、本当に嬉しくなるところなのです。

ただし、これは理想の病院ですね。私は病院のマニアだったからいろいろな話も聞いたりしていましたが、やっぱりそこはラディカルの外科病棟とは違う、現実の地平であります。こうした現実の苦さは作中にも触れられていて、けれどそうした苦さがあるから、私たちは漫画の中に理想郷を見いだしたいと願う — のかもなあ。

医療に従事する人もしない人も、この漫画を読めば気が晴れることもあるのではないかと思います。ただ、癒しなんてのを期待しちゃあいけませんよ。『ラディカル・ホスピタル』にはシリアスもシニカルも含まれていますから、無責任で無根拠な癒し系などとは一線画してます。そうさなあ、いうならばクリニクラウンみたいなもんかね。ちょっと笑って、また頑張ろうかという気にさせてくれる、そこがいいのですね。

蛇足:

私は最初赤坂ファンで、直に関口派に移行したのですが、なんだか最近はマッキーがお気に入りです。まじめで、ちょっとコンプレックスがあって、隠れおたく

でも、現実に身近にいたら、相性悪そうな感じがするのが、なんですな。

2005年8月2日火曜日

機動戦士ガンダム

   もの子さんのガンダム熱はおさまるどころかなお進行中といった感じでありますが、実をいいますとこのところ私もちょっとガンダムブームです。でもさ、入り口がちょっと違っていて、もの子さんは『機動戦士ガンダム ガンダム vs. Ζガンダム』がきっかけ、対して私は『ジオニックフロント』リプレイがきっかけ、ってなんだやっぱりゲームなんじゃん。といいましても、はまったんだもの、しかたないじゃないですか。

はまると書籍を見境なく集めだす性分というのは私も一緒。いそいそと『ZEONIC FRONT』やら『ガンダム戦記』買い込みまして、帯を見れば、スニーカー文庫はガンダムフェアの真っ最中。ガンダム小説が60冊を越えたんだそうですよ。ううむ、こいつはやばい。危険な匂いがしてくるのであります。

なんというか、私の心は今無性に一年戦争なのですよ。そりゃ再びはまったきっかけが一年戦争物だったからというのもあるのでしょうが、やっぱり私らの世代でガンダムといえばファーストが熱かった。再放送でせりふを覚えるほど見、ガンプラを買いに模型店に走り、楽しかった。MSVとかのリアル志向にはしびれましたね。テレビで観た一年戦争の裏に広がっていた宇宙世紀の臭さは、脳髄の奥までひりひり焼くかのようで、少ない情報を友人間で交換しあっては、むさぼるように読んだのを思い出します。

小説のガンダムもそんなふうにして読んだのでした。ガンダムの小説はちょっとすごいぞ。アニメのストーリーや設定を斟酌することなく大鉈振るうように再構成して、小説独自の要素がてんこ盛りで、私らの間では賛否両論。子供心には赤く塗装されたシャア専用リック・ドムはださいだなんていって、それは結局はシャアといったらゲルググ、そしてジオングだろというアニメ版への傾倒ゆえだったのですが、ですがそれでもビームバズーカを装備したリック・ドムの描写にはしびれていました。

繰り返しますが、小説版はテレビ版には見られない独自要素がてんこ盛り。アムロとセーラ・マスができてたという事実にはショックを受けました。だって、私はアムロとフラウがくっついて欲しかったのですから。といっても、テレビ版でもアムロとフラウの心が離れていくさまはちゃんと見て取れるのですから、いかに私がロボットと戦闘に夢中で、人間ドラマに興味がなかったかがわかります。やっぱりこの心の動きみたいなのは、ある程度成長せんとわからんのだなあと思いますよ。

だから、私は今、この歳になってから『ガンダム』を見たほうが、昔よりもずっと楽しめるのだと思っています。昔なら見つけられなかったようなことをきっと見つけられる。

と、そんなこと思うから、危険なんです。集めだしそうだからあぶないんです。

余談:

シャア専用リック・ドムはその後キット化もされて、シャア専用ペズン・ドワッジなんてのもあるようで(っていうかこれじゃ皮肉か)、こうしてみると赤ドムも決して悪かあないなあなんて思うのはひいきの引き倒しでしょうか。

蛇足:

一応、ネタバレはいやよということで、私らの間で一番話題になり、一番のショックでもあった要素は、あえて伏せています。いや、あれはすごいと思いました。ええーっ、こんなのありなのっていう意外さで、正直ぶったまげました。

引用