2005年8月15日月曜日

アメリカひじき・火垂るの墓

 昨日はアニメだったけれど、今日は本です。野坂昭如作『火垂るの墓』。戦争にまつわる短編集。戦場が描かれることはないのですが、銃後と呼ばれた国内にしても、苛烈であった様子がうかがえます。

食べ物がなかったんでしょうね。それはそれは餓えたのでしょう。聞くところによればあるところにはあった食べ物が、都市部なんかにはちっとも行き渡らなくて、それはそれは汚いやり取りもあったようで、このあたりの事情は『火垂るの墓』にも出てきます。結局は親の力、コネが物言う世界であって、なら親が徴兵されたり焼け出されたような子はどうだったのか。ひとつの例は清太節子の兄妹、そして久子文子の姉妹。どちらもあまりに痛ましい物語です。

これらの物語は、野坂昭如の実体験をベースにして書かれたものであることは容易に想像できて、特に『火垂るの墓』はそうです。氏が妹を亡くしているのはよく知られたことで、じゃああのアメリカ人にどうにも複雑な思い抱いた『アメリカひじき』の俊夫にしても、『焼土層』の善衛にしても、戦中から戦後に切り替わるあの時の、簡単には割り切れなかった感情のもつれや破片が投影されているのでしょう。私は、そうしたうずくような感情を追って見てみて、人間の弱さと、人間の悲しさと、そしてそれらをあらわに白日の下にさらさせた戦争の無慈悲を思ったものでした。

アニメの『火垂るの墓』は感情に効いて、やり切れなさも悲しさも言葉にならないほど。小説はというと、やはり感情に効くのだけれど、言葉として届くものだから、それは半分整理されたようなもので、だから受け止めるこちらも多少は冷静です。しかし、頭のどこかが冷静なものだから、憤りが激しい。あの戦争の、あの異常状況下に振り回された運命に対して、歯がみするような思いで野坂の文を追いました。天からもたらされたものでもなく、ましてや自然のものでもない戦争に対する嫌悪悲嘆は心中に渦巻いて、私のこうした感情はどこに向かったものでありましょうか。

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