2005年9月6日火曜日

痴人の愛

 そりゃあ、譲治さんがいけないよ。甘やかすだけ甘やかして、はなっから小娘にうまくあしらわれてることに気付かず、それで結局はあれだよ。もう、情けないったらないね。もう、情けないやらみっともないやら、これが身内なら勘当だよ。友人だったら縁切っちまうよ。

けど、そもそも恋だ愛だという話は厄介なもので、どうしても心の平衡が崩れがちになってしまうもんですから、いざとなったら譲治さんみたいになるというのもあながちないとはいえません。私にしても、惚れた腫れたのついぞ今までありませんでした、とは口が裂けてもいえないわけで、いや、しかし、そうした状況を脱した今から振り返ると、傍目にもこっけいな姿がちらついて、譲治さんのことをどの口でいいやがるかという話にもなりそうで、つくづくいやんなります。

そもそも若い時分に恋愛を、たとえごっこみたいなんでもいいからそれなりにやっておかないと、譲治さんみたいになるんですよね。誰しも最初は恋愛に幻想を抱いたりして、それこそ、あの女と添い遂げられないんだったら、あいつを殺して俺も死ぬみたいな、そういう苛烈な恋愛感情は若いうちになんとかしとくもんなんだろうなあと思うんですよ。それを、子供みたいな恋愛観をいつまでも引きずっているから、年取ってからの色恋は狂うというんです。って、実はこれはうちの母親の訓えで、私はそんなふうに昔から聴かされてきて、そしてそれは実際であるなあと思って、そうしたものにはなんだか醒めてしまいました。

けど、私は実際譲治さんみたいな性格だから、もしこの先、現実のナオミが私の前に現れるようなことでもあれば、おお、ぶるぶるっ、その時こそは気をつけねばなるまいなと身震いするのですよ。

この本読んでいて思うのですが、ナオミがある種のセックスシンボルとして機能した時代に、まさにそうしたものに憧れる一男子として読んだのだったら、私の感想も違ったのだろうな。けど、少なくとも私はナオミみたいな女にはどうにも萌えないときているから、正直な話譲治さんには感情移入もなんもなかった。なに馬鹿やってんのさ、みたいな感じで遠くから伝聞するようでしかなくて、だから私には『痴人の愛』はさほどの感銘もなくって、つまりは結局は春琴師匠のほうがずっとよかったという話でしょうか。実際、そうだと思います。

  • 谷崎潤一郎『痴人の愛』(新潮文庫) 東京:新潮社,1985年。
  • 谷崎潤一郎『痴人の愛』(角川文庫) 東京:角川書店,1952年。
  • 谷崎潤一郎『痴人の愛』(中公文庫) 東京:中央公論社,1985年。

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