2005年9月19日月曜日

空談師

   私の篠房六郎の最初は『篠房六郎短編集』で(こども生物兵器の方ね。『家政婦が黙殺』ももちろん持ってるけど)、巻末に収録された前後編の中編『空談師』にそこはかとなく漂うリアリティがすごく鮮やかで、だから私はその後の連載された『空談師』にも手を出して、けれど、その頃にはもう終わってしまっていたんですよね。ずうっと三巻でとまってるから、変だなあと思っていたんですが、まさか三巻で完結しているとは思わず、人気が振るわなかったのでしょうか。私にはものすごく面白い漫画だったのですが……。

オンラインゲームものなんですよね。私はオンラインRPGで遊んだ経験はないのですが(だって、危険すぎるもの)、それでもこの漫画の面白さはわかりました。ゲームという、私たちの住む実相とはかけ離れた仮想世界に暮らす人々のかりそめの日常が描かれて、しかし私たちはややもすればその存在しないはずの架空世界に心を移して、現実との境目を超えてしまう。肉体では感じられない、痛みも嗅覚もない世界 — しょせんゲーム — であることはそこに集まる誰もが理解していて、けれどそれでも私たちの心は、非現実という壁を超えて、その向こうにいる人たちに心をはせてしまう —。

そういう危うさとロマンティシズムが描かれていて、私にはすごく通じる漫画なのです。

ネットワーク越しに感じる誰かの息遣いや、垣間見得る心模様に、誰かを好きになったり、嫌いになったりということはもはや珍しいことでもなんでもなくって、特にゲームという、ある種の高揚を伴う媒体で出会ったのなら、吊り橋効果も手伝って、よほどありえることでしょう。オンラインのたちの悪さは、あの時、心がつながったと感じたあの人が、漫画やアニメ、非オンラインのゲームとは違い、このラインの向こうに確かに存在しているということです。ラインの交錯する場には、友情も愛情も、怒りも嫉妬も喜びも悲しみも間違いなくあって、応えるものもいない真っ暗な空間に投げ掛けられる呼び声が今も聞こえています……。

切ないですね。

  • 篠房六郎『空談師』第1巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2002年。
  • 篠房六郎『空談師』第2巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2003年。
  • 篠房六郎『空談師』第3巻 (アフタヌーンKC) 東京:講談社,2003年。

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