2005年10月1日土曜日

J. S. Bach : Prelude and Fugue No. 1 in C major, BWV 846, from The Well-Tempered Clavier (Book 1) played by Glenn Gould

 バッハの曲には広く知られたものが少なくありませんが、なかでもよく知られているのが『平均律クラヴィーア曲集』第1巻に収められたハ長調の「プレリュードとフーガ」でしょう。もう少し正確にいいましょう。「プレリュード」です。「プレリュード」に比べ「フーガ」はあまりに知られていません。

グレン・グールドはバッハが好きだったものだから、もちろん(といっていいのか?)『平均律』の録音も残しています。全曲版もありますし、抜粋もあります。文章にもいろいろ出てきます。

本当のことをいうと、私はそれほどグールドの演奏は好きじゃなかったのです、平均律第1巻ハ長調のプレリュードに関しては。レガートで上昇した後、デタシェに変わる。アーティキュレーションも明確なフレージング。私にはあんまりにこれが明晰すぎて、快活で、好きになれなかったのでした。

けれど、好きとか嫌いとかなしに没頭して聴けば、このフレージングがなにをもたらすかがわかってきます。和声の推移が美しいこの前奏曲の、どの音に力点が置かれているか、グールドがどのように捉えようとしていたか。そうしたことが、実に雄弁に語られています。

昔、まだピアノも弾いていた頃、私はこの曲を弾いたことがありました。今、ギターでも練習中です。演奏あるいは練習する際には、常に音楽を構成する各音の役割を意識し、それら音がどこへ向かおうとしているかを考えているのですが、グールドの演奏はそうした意識がみなぎっていて、演奏者としては分析図を見せられるかのように参考になり、聴者としても新たな姿の立ち上がろうする場に身が引き締まります。

グールドのアーティキュレーションは、きっかりぱっきりとして、ですがそれは判で押したような単調さとは対極に位置するものです。揺れがある、変化がある、そしてまったく違ったフレージングがあらわれる。それはなんでなのか。そうした揺らぎの影には、どういう音楽の要請があったのか。

私は考えます。考えないではおられないのです。

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