2005年11月21日月曜日

Camino

 サン・ヴィクトールのフーゴーは全世界が流謫の地であると思う人は完全な人であるといい、山下和美は『天才柳沢教授の生活』にて、たとえ遠くに離れて暮らしていても、この大地を心に抱くことが出来れば必ずこの結婚は成立すると登場人物にいわせました。この、大地に根ざすという感覚。遊牧の感覚といってもよいのでしょうか、nomadeのそれに、私は憧れてやまないのです。

そんな私が好きだというジプシー・キングスが歌うCamino。カミーノとはスペイン語でという意味です。道、俺の道と歌われるカミーノを聴くたびに、私は今私を取り巻いている状況を背景に押しやってしまって、太陽の下、大地を貫いてまっすぐ伸びる一本の道に立つ自分を夢想してしまいます。

私がジプシー・キングスを聴きはじめたころは、いちいち歌詞を確認したりはせず、ただ流れる歌を流れるままに聴くばかりでした。スペイン語もわからないし、そもそも聴き取りは苦手だし、で、わからないままに聴いていた曲の中に、気になってしかたがない歌があったのです。 — カミーノでした。

カミーノの意味するところは、当時の私でもわかりました。道、俺の道という歌詞になにか感じるところがあったのでしょう。歌詞を確認して、はっと思うところがありました。

自分の道を探し続けていた男の歌なのですね。街の中を、一人でさまよって、そして大地に自分の道を見つけた。道、俺の道! 手にはギター、同胞(hermano = 兄弟,同胞)とともに歌い、放浪者(vagabundo)として道の上にある彼はとても自由だ — 。

しかし、それにしても私が驚いたのは、この歌にうたわれている風景が、私の、言葉もわからないままに聴いていたときに感じたものにほぼ重なっていたことで、ジプシー・キングスはすごい。そう思ったものでした。

引用

  • サン=ヴィクトルのフーゴー「ディダスカリコン(学習論)」,上智大学中世思想研究所編訳『中世思想原典集成』第9巻 (東京:平凡社,1996年)所収【,104頁】。
  • 山下和美『天才柳沢教授の生活』第15巻 (モーニングKC) 東京:講談社,2000年。

0 件のコメント: