2005年11月17日木曜日

G. F. Handel : Water Music, performed by The English Concert

  iPodは持ち出した全曲にわたるシャッフル再生が楽しくて、私はもっぱらこういう聴き方をしています。次に飛び出してくる曲がわからないという、そこが楽しいのですよ。その日一日の最初、いったいなにがかかるのか、それは結構重要で、今朝なんかはトレヴァー・ピノック率いるイングリッシュ・コンソートの演奏する『水上の音楽』だったから、気分は朝のバロックといった風情でした。ですが時には、朝の裕次郎だったりもするし、朝のマニアックなCDドラマだったりすることもあって油断ができない。ラジオドラマだったときは、容赦なくスキップするなあ。だったら、最初っから入れなきゃいいのに、って話ですよね。

朝のバロックだった日には、結構ご機嫌なスタートでありまして、やっぱり朝の一曲目がハードなロック(といっても、私の聴くのはおとなしいもんですが)や重厚なオーケストラだったりすると少々きついものがあります。もちろんすべてのロックが駄目なわけでも、オケものがよくないわけでもなく、ああいい感じじゃん、というのもあるんですが、バロックとかフォークだとやっぱりどことなく爽やかでしょ? って、これ、ただの偏見なんですけどね。

イングリッシュ・コンソートによるヘンデルの『水上の音楽』は、私の買った二枚目のアルバムにあたります。一番最初のアルバムが『動物の謝肉祭』、二枚目は『水上の音楽』。この頃買っていた曲は、私が吹奏楽出身ということもありまして、オケものが中心です。ですが、それでもあんまりオケの王道みたいなのは聴いておらず、そもそもイングリッシュ・コンソートというのは古楽のグループです。ヘンデルが生きていた時代の楽器を復元し、演奏慣習についても忠実に、バロックの当時の音楽を再現しようという試みがはやったことがあったのでした。私がCDを買いはじめた頃というのは、ちょうどそうした試みが一般の層にまで降りてきた時期でありましたから、私はもう自然にピリオド楽器による演奏に親しんでいって、逆に、モダン楽器でのバロックに馴染みがないという逆転現象を起こしています。

私は、当初これだけは絶対に購入しようという曲目リストを作っていて、なにしろ小遣いに余裕がなくて、その少ない予算から選ぼうというんです。名曲解説全集みたいの首っ引きで、この曲は面白そうだ、こちらもなかなかよさそうだと、そんな具合にして文章から聴きたい曲を探して、リストにまとめて、そのリストに記した曲を全部買うことはかないませんでしたが、けれどあの時は音楽に対して夢があったなあ。

『青少年のための音楽入門』を購入して、その次が『水上の音楽』というのですから、私がどれほどヘンデルのこの組曲を聴きたがっていたかがわかろうかと思います。一般に流布しているのは、F Dur、D Dur、G Durの組曲から、六曲を抜粋したようなものであったりするのですが、イングリッシュ・コンソートの版は見事全曲を網羅していて、こういうところは私好みですよね。

私が『水上の音楽』を聴きたがったのには理由がありまして、それはちょっと面白いエピソード付きの曲だからです。

どんなエピソードかというと、イギリス、アン王女の死去に伴いドイツはハノーファーからジョージ一世がくるんですが、この人はもともとのヘンデルの雇い主だったんですね。ドイツにいた頃のジョージ(ゲオルグ)は、ずうっとヘンデルに帰ってこい帰ってこいといっていたのに、当のヘンデルはイギリスが気に入ったのか住み着いてしまっていて、一向に帰る気配がなかった。ところが、ひょんなことからそのジョージがイギリスにやってきて、王様になってしまった。ヘンデルは弱って、どうにも顔向けができない。だから、王様の船遊びの際に、この曲を仕立ててご機嫌を取ったのでありました。めでたし、めでたし。

このエピソードが本当かどうかは知りません。伝説という説も濃厚みたいですね。ですが、こういうエピソードがある方が興味が出るというのもまた事実で、少なくともこのエピソードは十八世紀社会における音楽家の位置づけをよく表していますよね。

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