2005年12月2日金曜日

デイ・アフター・トゥモロー

 地球温暖化がなんだか具体的に感じられるここ数年。このまま地球が暑くなっていったら、私らはどうしたらいいんだ、みたいな嫌なことを思った人も多いんじゃないでしょうか。日本はきっと熱帯になるんだろうなあ、とか、極地の氷が溶けて横浜は海に没しちゃうんだろうなあとか、あるいは、昔は日本にも四季があったんですね、なんてラジオでいわれる未来が待っている? いや、そうじゃないんだ、このまま暑くなるんじゃなくて、再び氷河期が訪れるのだよ、というのがこの映画。変わり者で知られた気象学者の警告を無視する経済大国の大統領。だがしかし、地球規模での大環境異変はもう人間には止められないほど間近に迫っていたのです! 君は生き残ることができるか?

『デイ・アフター・トゥモロー』の監督は、かの『インデペンデンス・デイ』やアメリカ版『GODZILLA』のローランド・エメリッヒで、なんか『インデペンデンス・デイ』はすごかったらしいですね。うちの母親が招待券でももらったか映画館で見たらしいのですが、開いた口が塞がらなかったとかいう話です。

私が『デイ・アフター・トゥモロー』を見たのは、映画の券をもらったからだったのでした。かの素晴らしいトニー・ジャーのアクションが魅力の『マッハ!!!』との二本立てで、で、映画のできはどうだったかといわれたら、私にはとてもよかったのでした。

そもそも私は、映画見としてははなはだ問題のある人間で、そもそもハリウッド的なるものが好きじゃないときています。なんだよ、結局家族一番、アメリカ一番、みんなで愛を確かめあってハッピーエンドがお決まりじゃんかよ、ってな、だってママのアップルパイは最高じゃないか的展開には耐え得ないのです。ですが、まさにそうした展開であった『デイ・アフター・トゥモロー』は嫌いじゃない。なにが違うかといえば、そうですね、多分、現代文明の粋であるアメリカにしても地球規模での大異変には立ち向かうことのできなかったという、そうした人間の小ささ、無力さ、はかなさがちらほらとしていたからではないかと思うのです。

無力に過ぎない人間が、圧倒的な自然にどう立ち向かうか、 — いや、立ち向かうじゃないですね。どうしのぐか。もしかしたらすべてが無駄になるかも知れないけれど、今できる万全を期そうとする姿がけなげで、例えばそれは主役ジャック(気象学者)の息子サムがニューヨークは国立図書館で、彼の言葉に同調し図書館に残った人たちとともに、本を焼き、暖をとり、異常寒波をやり過ごそうとする、そうした姿はなにより人を元気づけるし、そして、主役ジャックが、息子を助けんがためにもはや極寒の地となったニューヨークへと向かうその姿。こうした、シンプルな隣人愛、家族愛のどこが悪いというのでしょう。きっと、私は意固地になっているのだと、素直に反省し感動しました。

けど、私はいつも隅っこの、目立たない人たちに心を奪われる癖があり、それはこの映画でも同じでした。図書館に立てこもるべきと説いたサムの意見を受け入れず、南に向けて出発したグループ。そのリーダーとなった警官の思いはどのように揺れたのだろうか。多くの命をあずかった責任もあらば、その胸にはいかな思いが渦巻いたものか。後悔しただろうか、悔しくはなかっただろうか。ジャックの無謀につきあい支援すると決めたものの、足手まといになるまいと決断したチームメイトの彼の思いは(というか、なんであそこで手袋外す必要があったんだ?)。そして、もう助からないことを理解しながら、冗談で決め、スコッチで乾杯するラスキン教授と研究員たち — 。

その時、なすべきことを果たして死んだ人間は、皆いい奴らだと思います。

なすべきことを果たそうとして生きる人間も、同じくいい奴らだと思える、そういう映画でした。

蛇足

この映画に出てくる日本はすごいぞ! 映画に出てくる変な日本大好きの私には、大変満足できる日本でありました。

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