2005年3月31日木曜日

ぽっかぽか

  『ぽっかぽか』については『女神の寝室』で書いたときに、もう充分言い尽くしたような気がするので、書くのはよそうかと思っていたのです。けれど、なんかSHINOすけさんが『ぽっかぽか14』で書いてらしたもんだから、どうにもこうにも私も書きたくなってしまって、ええ、意志の貫徹しない人間が私ですから。いいんです。

『ぽっかぽか』、私にとっては夢のような漫画であります。描かれている家族の、ゆったりとやわらかで、けれどもしっかりとした関係には憧れて仕方がないところがありまして、ああ私もこんな家庭を築きたいなあと思ったことは一度や二度ではありません。私は妻がぐうたらであってもなんとも気になりませんし、料理だってしますよ。とはいっても、私は慶彦じゃないからこういう家庭にはならないでしょう。ええ、絵に描いた餅は言い過ぎにしても、漫画の中にだけ存在するような理想の家庭であると思っています。

私はあまりにも人間ができていないのです。日常の些事に心も感情も揺れて、機嫌もあれば虫の居所の良し悪しもあって、果たして慶彦のようにあることができるだろうかと自問します。答えはおのずと決まっていまして、無理だというしかない。だからこそ、田所一家をうらやましく思う。慶彦に、麻美に憧れを感じますが、そしてあすか。あすかくんは、ぐずったり無理いったりすることはあっても、やっぱり理想的子供であると思うのです。

残念ながら私たちは、理想郷には住むことができません。

『ぽっかぽか』の価値は、この理想を恥じることなく理想として描ききって、その理想形のまま物語を閉じるところにあるのだと思います。様々に事件があって、壊れそうな関係やなんかがあって、けれどそれらは田所一家のゆるやかな暮らしに触れることで新たな視点を見付けて、もう一度やり直してみようと、あるいは今までとは違う一歩を踏み出してみようと思う。

こうした理想の結末にたどり着くまでの道筋が、あまりに純情であまりに素直で、そしてあまりにハッピーであるから、読んでいるものもきっとほだされて、私も — 私たちもこうありたいと思うのでしょう。私はそうです。慶彦そのものとはいわずとも、なんとか少しでも人と人との関係をよりよく、暖かなものに変えたいと願うような気持ちになるのです。

…例えば空にすごーくきれいな雲があって、それがすごーくすごーくきれいだと思ったとき、振り返ってあなたを呼んで、ふたりでながめる幸せ

麻美の話すいちばんの幸せ。ええ、ええ、私はこれを読んだとき、本当にそうだと思った。そのとおりだと思った。

私は根っから横着だから、身近にあるものをだんだんあって当たり前であるように勘違いして、粗末にしてしまうんです。けれど、本当はそれがそこにあるということはなにものにもかえがたいことであり、それはもちろん人にしても同じことであるのです。改めていうようなことではありません。誰もが知っているようなことです。ですが、この当然のことをともすればないがしろにして、あとで後悔するのは結局一番大切なことをないがしろにした自分自身なんですね。

だから、私は自分への戒めとして、麻美の幸せといったことを、忘れないようにしたのです。けれど、やっぱり私は人間が駄目にできているから、その自分の決めたことさえ満足にできずにいます。その人がただそこにいるということの価値を、自分の感動をその人がともに感じてくれるということへの仕合せを、ともすれば忘れてしまいます。

  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第1巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1988年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第2巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1989年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第3巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1991年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第4巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1992年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第5巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1993年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第6巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1994年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第7巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1995年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第8巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1997年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第9巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1998年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第10巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,1999年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第11巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,2000年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第12巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,2002年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第13巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,2003年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第14巻 (YOUコミックス) 東京:集英社,2005年。
  • 以下続刊
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第1巻 (YOU漫画文庫) 東京:集英社,1995年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第2巻 (YOU漫画文庫) 東京:集英社,1995年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第3巻 (YOU漫画文庫) 東京:集英社,1995年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第4巻 (YOU漫画文庫) 東京:集英社,1995年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第5巻 (YOU漫画文庫) 東京:集英社,1996年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第6巻 (YOU漫画文庫) 東京:集英社,1998年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第7巻 (YOU漫画文庫) 東京:集英社,2000年。
  • 深見じゅん『ぽっかぽか』第8巻 (YOU漫画文庫) 東京:集英社,2002年。

引用

  • 深見じゅん「お月さまにある庭」,『ぽっかぽか』第7巻 (東京:集英社,1995年)所収【,41-42頁】。

2005年3月30日水曜日

建築の「かたち」が決まる理由

 昔、まだ私が図書館で働いていた頃、私は住居や都市設計というのに興味があって、特に西洋の城を中心とした城塞都市や教会と広場を軸とする都市計画というのを理解したいと思っていました。いや、別に西洋風都市に住みたいとか、やっぱりうちは洋風よねとかいうつもりはまったくなくて、純粋な興味からでした。人間の生活の場である住宅には、その土地土地の風土や条件に応じた工夫や制限があり、またその文化における暮らしの考え方が如実に表れるはず。そう、私はこの西洋と日本の差異を知りたいと思っていたのです。いや西洋にかぎらず、多様な環境における住と人について知りたかったのでした。

そんな風に思っていたときに、この本が図書館に入ってきたんですね。私は一般書の係でしたから、目録作ったり整理したりは私の仕事。私の前にやってきたこの本を見て、思わず自分でも買ってしまいました。西洋と日本の建築に対する考え方の違いが、もともとの文化風土の違いに基づいてわかりやすく、面白く書かれているんですね。建築論としても読めるでしょうが、住宅エッセイとして読むのがきっと面白い。話題は壁や柱、床、階段といった住居の部分から始まり、しまいには思想や哲学にまでたどり着いて、一通り読めば、都市を見る目が変わっているはずです。

私は2001年にイタリアに行きました。はじめての外国の地はミラノで、その街並みを見たとき、日本の都市は駄目だと思いました。私は京都(周辺)に住んで、京都を愛するものですが、ミラノは本当に衝撃的でした。

私はミラノの印象を、次のように記しています。

 ミラノはひどく落ち着いた、成熟した街という印象を持ちました。新しくできたミラノ北駅は赤や緑のあふれるポップでかわいい駅なんですが、それでもうわついた感じはまったく無く、あくまでも古い都市空間に溶け込んでいるのです。このあたりは、古いものも新しいものも、すべて自分の文化の延長上に存在するものとして、同じ文脈に配置できるセンスのたまものでしょう。

私はこの文章で、日本の都市は、古い都市空間に新しいものが乱雑に好き勝手に配置される、浮ついた未成熟の空間であるといっているのです。私は子供の頃から京都を見てきて、京都の変化に嫌悪を感じていました。嵐山の荒みぶりにはもう言葉もない。嵯峨野にはうちの墓がありますからたびたび詣でるのですが、渡月橋を渡った向こうに広がる景色などは、見るたびに悲しくなります。

私はこの本を意識せず読んで、この本のいわんとするところに心服していたのでしょう。私の今の京都に感じる嫌悪は、この本の末にある数章に表れる考え方がベースになっているのだろうと思います。あるいは私が東京に感じた落胆、画一の都市空間という評価も、この本に根拠となる考えを見いだせるかと思います。

けど、勘違いしないでくださいましよ。私は新しいものが悪いといっているわけではないんです。日本は古来、他から先進文化(と当時の人が考えた文物)を取り込んでは、自分たち流のアレンジをして、文字通り咀嚼消化してきたのです。ですが、私の批判するものには、そういうダイナミズムが見られません。私はその硬直を、その不自由を、その浅薄を嫌悪し、嘆いているだけなのです。

引用

2005年3月29日火曜日

高機動幻想ガンパレード・マーチ

 私は、発売日から半年遅れで『ガンパレード・マーチ』に参加したレイトカマーであったのですが、それでもはまりましたね。あの、説明書に触れられている世界の謎アルファシステムの公式サイトには世界の謎掲示板というのがありまして、アルファシステム製ゲームが共有する世界を解明しようという、一種のゲームが行われています。私が参加してた当時はカンパレード・マーチ公式サイトの中にあって、ゲーム『ガンパレード・マーチ』で提示される断片情報を元に、ゲームで語られたものとはまた違う結末を求めて、七千人委員会がしのぎを削りあったのですね。この、掲示板上で行われた思考ゲームをGPM23と呼びます。

参加していた当時は熱い場所であったのですが、あの熱狂は結局私には悪く作用してしまいまして、一時期はアルファシステムも『ガンパレード・マーチ』も大嫌いになってしまいました。その後遺症は今も消えず、『ガンパレード・マーチ』を振り返ろうとすれば、多少の感慨と多少の嫌悪感が交じり合ったおかしな気分がします。

けど、こんな愛憎半ばするような『ガンパレード・マーチ』ではありますが、理想的ゲームであったといいきってかまわないくらいに、私は買っています。もちろん理想のゲームではなく理想的であって、完璧な理想に一致するわけではないのですが、ですがそんな、理想に完全に重なるようなものというのはこの世にあるでしょうか。だから、私は『ガンパレード・マーチ』が色々欠点や癇にさわる部分を持っていることを認めながらも、なおかつよいゲーム、万人(妄想にふけることにいとわない人には特に!)に勧めたいゲームであるというのです。

自由度が高いのですよね。私は主に戦場に楽しみを見いだすパイロット(もしくはスカウト)至上主義のプレイヤーでしたが、あの先読みしてコマンドを入力するシミュレーションに馴染めないという人も、整備にまわってみるとか、あるいは小隊隊長になって転戦を重ね小隊を指揮する、みたいにいろいろな楽しみがあるんですね。自分に合ったプレイ指針を決める余地があるというのは、すべての欠点をカバーしてなおあまりあるこのゲームのよさであると思います。

ところで、私は芝村スキーで萌スキーで森スキーで、ちょっと壬生屋スキーでもあって、おまけに狩谷スキーでもある。こんな風に、キャラ萌え派にも楽しめるところがあるのも懐の深さでしょう。特定のキャラクターと恋人関係になることも可能で、二股かけて争奪戦を発生させるのもまた人生。いや、けど、勝手にそっちから好きになってきて、それで争奪戦連戦連戦というのはやめてくれ。教室の雰囲気が悪くてかなわん。仕方がないから次の戦闘でがんばって、無理矢理ガンパレード状態に持ち込んで対症療法的改善をやってみる。云々。

なんだよ、けっこういろいろやってんじゃんっていう声もあるかも知れませんね。ええ、そりゃそうですよ。世界の謎掲示板に、誘われてもないのに自ら身を投じたような人間ですから、もともとこのゲームは大好きなのです。面白かった。楽しかった。少年学徒兵たちの明日をも知れない身の上に同情しつつも、そのクラスでの交流をうらやましく思った。泣いたり笑ったりして、けれどちょっとあの会議室の情報量は多すぎて、私はしんどくなっちゃったんでしょうね。これは私にとって、ちょっと不幸なことであったと思います。正直、世界の謎があるだなんて知らなければよかったのにと思っています(まあ、説明書に書いてあるから知らずにすますというのはちょっと無理なんだけどさ)。

しかし、それにしても楽しかったなあ。ゲームももちろんだけど、GPM23も面白かったんだよ。一日中ネットにかじりついて、まああの頃は今よりももっと暇だったこともあって、ほんと、毎日が『ガンパレード・マーチ』一色でした。ええ、やっぱりあれが楽しかったのです。

ああ、そうだ。去年の年賀状だったかな、『ガンパレード・マーチ』を勧めていた友人からきた年賀状に「森さんが死んじゃって大変」みたいなことが書かれてて、えーっ、いつの間に森喜朗死んでたの!? しかもなんで暗殺!? と泡食ったことあります。いや、森氏、今もお元気ですから。色々気炎吐いてらっしゃいますから。

蛇足:

発売当初の『ガンパレード・マーチ』を取り巻く状況を知っている身としては、その後の漫画化、ノベライズ、アニメ化、次々と出るCDという爛熟状況は、まるで夢のように感じます。だって、最初はもう本当に一部で熱狂的な人気があるというだけの、一般にはほとんど知られてないようなマイナーゲームだったんですから。

ネット口コミと電撃PS誌の特集が人気の底上げに一躍買ったのですが、しかし、ファンブックが通販でしか出ないような、ゲームのサントラ及びドラマCDも大々的には出なかったような(つまり採算が取れるとは思われなかった)タイトルが、ひとつのジャンルを形成するほどのコアな人気を勝ち取ったんですから、ある種特別なゲームであるのは実際確かであるかと思います。

鬼作ですね、鬼作。

2005年3月28日月曜日

三者三葉

  『三者三葉』の二巻が発売ですよ。

『三者三葉』は、かの一部で大注目赤丸急上昇中(といっても随分落ち着いたもんだけど)の萌え四コマ誌『まんがタイムきらら』にて連載中のタイトルで、例によって私、この漫画大好きです。いや、例によってじゃないですね。多分、私はこの漫画が、きらら連載陣の中で一番好きです。

なぜか? 実に単純な話でして、私はこの漫画を読むためにきららを買いはじめたのです。『三者三葉』がなければ、私はおそらく今もきららを講読することはなく、一部の単行本 — 例えばナントカのとか海藍とか — を単発で買うに留まったでしょう。そんな、保守的四コマ読みであった私が革新系きららに手を出して、どんどん深みにはまって……、うう、お恨み申し上げますよ……。

恨んでるなんてのはもちろん冗談ですよ。むしろ、世界が広がったと感謝するくらいであります。もし、あの時『三者三葉』の再録を後野まつりセレクションで読んでいなかったら、今私の好きな漫画群には出会えていませんでした。読んでいる四コマにしても、今の半分にも満たないはず。ということは、買う雑誌数が少ないってことだから、自室の混乱はもう少しましだったわけか……。やっぱりお恨み申し上げます……。

私がこの漫画の魅力に落ちたのは、三人がお互いにあだ名を付けあおうという話 — 実にそれは第三話であったのですが、思えばこのときの名付け話が、後々の三人の傾向を決定づけるような位置にあるのですね。三人の娘と、葉子様を慕うスーパー(元)使用人山路さんの性格やなんかがこの三回でしっかり提示されて、あとはもう転がるばかり。その転がりようが私には楽しくて、結局きらら誌を買うまでにいたったのであります。

この漫画を説明するのに一番いい表現というのは、標準的ということであると思っています。見た目には可愛いキャラクターのどたばたでありますが、基本的な部分、キャラクターの設定やプロット、話の回し方なんかには、これといって強烈な破格はありません。むしろうまく類型を利用して、話を破綻なく、そつなくまとめるのに長けた人であると感じました。

キャラにはキャラの類型があります。見せ方には見せ方の類型があって、ネタ自体も冒険するほうではないのですが、その類型の組み合わせがうまいのでしょう。奇をてらって自爆するようなことが決してないから、毎月を楽しみに待って、毎月を楽しく読める安定性が嬉しい。その安定も低位中位の安定ではなく、常に高目と来ているのですから、よほどの努力が裏にあるのだと思います。ええ、私は、スタンダードをスタンダードに見せるってのは、一番難しいことだと思っていますから。

基本的に安打型の漫画だと思っているのですが、二巻に入ればキャラクターもこなれ、また登場人物も増えて、ヒットが二塁打に、二塁打が三塁打にと、どんどん面白さが伸びています。夏の別荘編(なんと二回連続だ!)にいたっては、堂々のホームランであったと、見事なランニングホームランであったと。私は今でも、この話を読んだときのシチュエーションを、まざまざ思い出すことができるくらいで、それくらい印象が強く、現実における感覚も含めて記憶に焼き付けてしまって、こんな当りというのはそうそうあるものではありません。実に大当たりでありました。

作者は『三者三葉』以外にも連載をもってらして、そのどれもがほのぼの路線(裏には毒があるんだけどさ)の可愛くて楽しい漫画なんですね。それでもって、複数のタイトルが同一の世界を共有しているのです。私は基本的に、こういうのが表立つのは好きではないのですが、なぜか荒井さんの漫画に関しては、いやな気がしません。むしろ、すごく面白く感じるので、これは非常に私の嗜好に合った漫画であったのだなと思っています。

ここらで一応、蛇足として好きなキャラクターなぞを。

そりゃもう、誰がなんといおうと私はスーパー使用人山路さん(山G)が好きなのですが、彼が活躍する回はもう間違いなく面白いと思っているのですが、彼に関してはちょっとおいておいて、となると、主人公小田切双葉が可愛いと思います。これは実に面白いことで、私はメインの主人公には魅かれず、たいてい好きになるのは目立たないマイナーキャラと決まっているのに、この漫画に関しては主人公ですよ。ええ、実に珍しいことですよ。

えーと、双葉というのは一巻表紙では一番右、二巻では左にいる、髪の短い女の子です。ええ、一番可愛いと思います。

  • 荒井チェリー『三者三葉』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 荒井チェリー『三者三葉』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2005年。
  • 以下続刊

2005年3月27日日曜日

ギター演奏法の原理

ああ、しくじりました。いつでも買えると思って購入を伸ばし伸ばしにしていたら、絶版したのか、それとも単に増刷をためらっているだけなのか、買えなくなってしまったようです。残念です。買い逃した本は貴重であります。

この本はですね、ギター奏者のカルレバーロが自分の考える奏法、メソッドを解説した本でして、その合理性を追求した考え方は非常にクリア。読んでいて納得いくものばかりでした。私がギターを弾きはじめたのは2002年の十月で、なにしろ私は教師についていませんでしたから、こうした教本を頼りに知識や基本を覚えるほかなかったんです。ところが、なかなかしっかりした本がないというのも事実で、やっぱり音楽の学習は教師について、徒弟のように習わざるを得ないかと落胆しかけたときに、図書館の書庫で『ギター演奏法の原理』を見付けたのでした。

この本のわかりやすいというところは、理屈でもって奏法を説明しようとしているところでしょう。例えば弦を弾くにしても、指と弦の角度はどのようにあるべきか。またアポヤンド、アルアイレと大きく二分される右手の使い方も、弾弦時の指関節のあり方を詳細に分析し、実際には何段階もの区分があることをはっきりさせています。

こうしたことって、おそらく体得すべきものとして、長らく言語化されてこなかった部分であると思います。だから学習者は、教師や先達の演奏を間近に見ながら、非言語的に奏法を習得していくほかなかったのです。ですが、カルレバーロの奏法は明確に言語化されて、まったくギターについて知らなかったような私にも、たやすくいわんとするところがわかる。私のような独習者にとっては、もう宝の山のような本であったのです。

じゃあ、買っとけよってな話ですよね。ええ、今さらながら本当にそう思います。ですがクラシックをやってるわけでもない私で、それに図書館にいけばいつでも利用できるという夢のような環境が当時あって、ついつい伸ばし伸ばしにしてたら市場から消えた。今買おうとしたら、店頭在庫を探すか古書を求めるかのどちらかですよね。ええ、本当に惜しいことをしたと思います。

カルレバーロの本だけを頼りに、これを絶対視してしまうと、やっぱり危険なことは確かで、頭でっかちの技術が知識に追いつかないギタリストの出来上がりとなりかねません。ですが、演奏時の姿勢、楽器と体の関係(構え方じゃね)といった、本当の基礎的なところから図解入りで詳細解説して、基本に迷いのある初学者にしても、これらを当たり前のこととしてしまっているような上級者にしても、有用な本であることは疑いもありません。

ええ、私は迷いっぱなしの学習途上者でありますから、こうした本はそばにあったほうがよかった。というわけで、やっぱり買い逃した本は貴重であったというわけです。

2005年3月26日土曜日

夏彦の影法師

 私は山本夏彦が好きです。氏の読者としては、遅れてきた部類に入るようなものではありますが、それでも夏彦翁の飄々とした語り口、諧謔にあふれた言葉の端々にうかがえる鋭く冷めた視線、寄せては返す波の音、繰り言みたいに同じ話が何度も表れて、けれどそれがちっともいやにならないのは、それがひとつの芸みたいになっていたからだと思います。

私は氏の著作を読んだというほどには読んでいません。とにかく膨大な数の著作があって、それを全部読むというのはなかなか骨の折れることで、色々読みたいというのが私ですから、どうしても夏彦一色にはなれなかった。けど、本当は氏の書いたものを全部読みたいと思っています。それだけの余裕が今私にないのが、本当に悲しいです。

氏が亡くなられたのは2002年の十月のことで、私にはひどくショックでした。そして翌2003年に、夏彦翁の手帳をベースに書き下ろされたこの本が出て、私は一も二もなく買って、著者は夏彦翁のご子息、山本伊吾氏でした。

私、この本を読んで、夏彦翁を見誤っていたことを知ったんですね。私は、翁はその持ち前の機知と工夫でもって、世の中を飄々と渡ってきたものと思い込んでいたんです。ところが、本当はそうではなかった。氏も苦しみや空しさを抱えて、ただそれを安っぽく人に言って聞かせなかっただけで、けれど、私は氏の本を読んでそうした奥に広がっていた世界に気付かなかったことが恥ずかしくてなりません。ええ、なにが読書か、言葉になっていない世界に思いを馳せて、そうしてはじめて本を読んでいるということになるのではないか。

ちっとも氏の本質に思いをいたらせていなかった私は、自分を恥じつつ悲しく思い、けれどこの本のおかげで、それまでよりも夏彦翁を近しく感じられるようになったと思います。

けど、多分まだ私は、氏の理解においてはまだまだ浅いことだろうと思います。けど、だから、もっと私は夏彦翁を知りたい。もっと氏の本を読みたい —。憧れ已まぬ人なのです。

2005年3月25日金曜日

父 パードレ・パドローネ

 一時期、うちではイタリア映画がブームになったことがあって、『道』のジェルソミーナの儚げな様子に涙したりして、だから『父 パードレ・パドローネ』も、そうしたイタリア映画体験の一環で見たのかも知れません。確か、NHK教育がマイナーな映画を午後三時くらいに放映してくれたりしますが、そういうので見たんですね。予備知識もなく見て、私はこのちょっと一癖ある映画にびびびっと打たれたのでした。ガヴィーノ・レッダの半生において、言葉が運命を照らし出す光そのものであったということ。

ビデオに録っていなかったことを悔やみました。その後深夜放送だかBSだかでやったのをビデオに録って、DVDが出たら買って、原作も手を尽くして手に入れて、『父 パードレ・パドローネ』は、それくらい私にとって大きな意味のある作品なのです。

映画のつくりが秀逸だったと思うのです。羊飼いの子ガヴィーノが、学校に通うこともできず、ものを知らず、世界を知らず、山に羊の世話をするためだけにいきているような暮らしを送っていたのが、新しいなにかと出会うたびに彼の世界が開けてゆく。このとき高らかに鳴り響くのは、ヨハン・シュトラウス二世のオペレッタ。『こうもり』のワルツが鳴り響くそのとき、ガヴィーノの世界は一転します。

その効果足るやすさまじく、全編暗く地味に見えるこの映画に、まぶしい光が降り注ぐかのように感じられて、この強烈な印象というのは、まさにガヴィーノが感じた、世界が開ける瞬間そのものであったのかも知れないと思えるのです。

ガヴィーノにとっての転機はさまざまあれど、疑うべくもなく最大の転機となったのは言葉との出会いでしょう。ガヴィーノはサルディーニャに生まれ育ったために、イタリア語を知らなかったのです。しかし、彼はイタリア語と出会い、それをものにするために格闘し、トイレの中でひとり辞書を頭から読んで、まさしく言葉を飲み込んでいくかのように記憶してゆく彼の貪欲な知識欲には、私はいつも打たれて、ああ知るということ、学ぶということは素晴らしいと思わずにはおられません。

とまあ、私はガヴィーノ・レッダに憧れて、ポケットサイズの仏語辞典を買って、一時期それをわからぬままに読んでいたのでした。オーストラリア人研究者、トルコからの留学生に、映画の主人公に倣ってフランス語の辞書を読んでいますといったら、それは最も難しい勉強法だといわれて、確かに私はこのメソッドをやり遂げることはできませんでした。

ガヴィーノと私の差は、ここであるなと思います。貪欲さ、必ずものにしてやるぞという気魄、意気込み、それがないかぎり、人は大成なんてしないんだと思ったものですよ。

映画

2005年3月24日木曜日

ちょっときいてな

  以前、友人のお家に遊びにいった時、車に乗せてもらったんですが、カーオーディオから流れてたのが『ちょっときいてな』という曲で、私にはすごくカルチャーショックだったんです。なにがショックといっても、その歌詞。関西弁です。関西弁といっても、よくあるえげつない関西弁ではなくて、子供の頃から耳に馴染んできた、私の愛する関西テイスト。私はこの言葉に京都周辺地域の匂いを感じたのですが、歌い手である藤田陽子は奈良の人らしく、だから奈良弁。うん、確かに京都弁では言いはんねんとはいわない。うちらへんでは言わはんねんというのが普通です。

この歌聴いてね、私は嬉しかったんです。ほら、メディアにのぼる関西弁ってどうしようもなくどぎつくって、それが関西弁って思われている節もあって、それが私どうしようもなくいやだったんです。そんなただ中にあらわれた『ちょっときいてな』。その、あまりにナチュラルな関西弁の響き、イントネーションに、私は子供時分を思いだして、ちょっとしんみりした。このところ耳にしない言葉の響きに、切なさが込み上げて、それは多分失ってしまったなにかを惜しむ気持ちなんでしょうね。

この歌を聴いて、車の中で誰の歌か、タイトルはなんというのか、とにかく色々聞きだして、次の日タワーレコードにいって探して、早速買って、家族にも聴かせて、素晴らしさにむせび泣いて、何度も何度も聴いて、職場でこの歌は素晴らしいよっていったら、知ってるっていわれちゃった。ああ、以前、FM802でヘビーローテーションされてたんですか。有名な曲だったんですね。うん、でも遅まきながら知ったとて、この曲の真価が変わるわけでなく、むしろ万人が認めた名曲だったということに嬉しさのほうが勝っているってもんですよ。

コクトーの詩に、私の耳は貝の殻というのがありますが、ならば私はこの歌に、昔のひびきをなつかしんでいるのでしょう。育った場所、育った地方の言葉というのは、一口にいえない感慨をもって胸に迫ります。

2005年3月23日水曜日

バッハ: 管弦楽組曲

 昨日、『G線上のアリア』は嫌いだけど、バッハの『管弦楽組曲 第3番 BWV1068』の「エア」は好きといってのは、いったいどういうことかといいますと、この二曲はおんなじ曲なんですね。バッハの作曲した組曲中から一曲を抜き出して編曲されたのが『G線上のアリア』なのです。編曲者はオウガスト・ウィルヘルミで、ヴァイオリンのGの弦だけで弾けるように編曲されたことが、G線上のという不思議な名前の所以です。

私、昨日は『G線上のアリア』は嫌いだとかいってましたが、実際のところは別にそんな偏狭なこともなく、普通に親しんでます。昔サクソフォンを吹いていたとき、ちょっとしたイベントでこの曲を演奏したこともありました。話を面白くするために嫌いだなんていいましたが、まあもともとバッハでありますから、よっぽど変なことになっていないかぎり好きですよ。ジャズに編曲されてても、ロックになっても、バッハに変わりなし。じゃあヴァイオリン独奏曲になって名前が変わったくらいがなんであるというのでしょう。ええ、聴きやすく美しい、非常に愛らしい佳曲であると思っています。

私がクラシックを聴きはじめた頃というのは、ちょうど古楽の復興運動 — その音楽が作曲された当時の楽器(ピリオド楽器といいます)、編成、スタイルを復元しようという試み — がひとしきり落ち着いて、一般的な聴衆の耳にもそうしたピリオド楽器での演奏が届くようになった時期にあたります。

私はバッハやヘンデルが好きだったので、バロック作品のCDを買うことが多かったのですが、先にいったような時期であったことから、自然とピリオド楽器による演奏が集まりましてね、だから実はモダン楽器の版はほとんど知らなかったりします。いやあ、これもまたひとつの偏りであると思いますよ。でも、私はその当時、モダンなどは駄目だ、作曲者の意図したオリジナルの響きをよみがえらせてこそ音楽の真実が見えるのだ、みたいなことを思っていまして、いやはや、若いというということはどうしようもないということであると思います。

いや、だってね、確かに当時の慣習に基づいての演奏は面白く、大変意義深いものでもあるんですが、それでも結局は現代的視点から見たフィクションとしての過去にしかなりえないんですよ。特にバロックなんて、隣町に行ったら教会のオルガンのピッチが半音だとか一音だとか、場合によればそれ以上も違うというのが普通の時代だったんです。ところがそれを現在では、A=415でいきましょうという取り決めでやらざるを得ないわけでして、ピッチにしてこうなら、演奏慣習にしても地域地域、奏者奏者で全然違ってくるわけで、ってちょっと主旨がずれました。

閑話休題。私は、それでもバロックの作品は、当時の楽器で演奏したほうが面白いと思っています。モダンでもいい曲はもちろんいいのですが、そもそも大きなホールで大観衆を相手にできるよう変化してきたモダンでは、やっぱりその曲の細かな部分を表現しきれないところがあるように思うのです。音は小さくて、構造なんかも古くて、便利な機構なんかもついていない楽器で表現しようとすれば、どうしてもモダンとは違う表現になるんです。細かなアーティキュレーションをより以上に重視するほかなく、私は大学でリコーダーを吹いてたのですが、あの強弱の差がほとんどでない楽器での演奏はサクソフォンとは全然違うテクニックが必要となる。リコーダーを学んで私は、音楽はアーティキュレーションを工夫したほうがぐっと面白くなると思いました。この考えは、今も変わっていません。

今日紹介する『管弦楽組曲』は、ピリオド楽器による演奏の面白さを私に教えてくれた「イングリッシュ・コンサート」による盤です。私はどうも偏って集める癖がありまして、音楽を聴きはじめた頃は、トレヴァー・ピノック(チェンバロ奏者)率いるイングリッシュ・コンサート一辺倒でした。ちょうど安価にリリースされていたりもして都合がよかったこともありまして、まあそういう現実的な理由もあって選ばれたのがこのピノックの盤であったのです。

バッハの『管弦楽組曲』は、組曲が一番から四番まであって、全曲盤となればどうしても二枚組になってしまうんですが、ところがこのピノック(イングリッシュ・コンサート)に関しては、一枚に全部収まっているというのですから、当時、今以上に経済困窮していた私は、これに飛びつきました。なにしろ、まだCDが高かった時代で、ソニーやグラモフォンのベスト100でも2500円くらいしたんですよ。ちょっと売れ線からはずれたものを買おうとしたら3000円超えなんてもう普通で、しかもそれが二枚組ならえらいことですよ。とにかく色々と、数を聴きたかった時期だったので、全曲が一枚に収まっているこの盤は、もうありがたくて仕方ない特別な一枚に思えたのです。

実は、私、この録音を二枚持っています。二枚といってもまったくおんなじ盤ではなくて、二枚目は多分院時代に買った輸入盤。悔しいことに全曲盤ではないんですね。もう、なんでこんな間違いしたんだろうと歯がみしました。抜粋を持ってて、後に全曲盤を買ったからおんなじ録音が二種類というのなら、まだ納得もいきますし、実際そういうのもいくつか持ってます。けど、その逆というのはどうしたことか。いやあ、安売りのワゴンかなにかに入ってるのを、わーっといろいろ取りそろえて買ったんでしょう。きっと演奏者なんて見てなかった。だって、私にとってピノック&イングリッシュ・コンサートのバッハ・ヘンデルはちょっと特別のものなんですから。

だから、より以上に悔しくて仕方がないんです。

おんなじ買うのなら、新録音を買ってたらよかったのにと思いました。私、情報をあんまり集めてなかったんですが、ピノックは『管弦楽組曲』を録り直してたんですね。それでもって、私、このジャケットに見覚えあるんです。けど私は録音年を確認せずに、自分の持ってるのが装いも新たに再発売されたんだと思いこんで、いやあ、本当に浅はか。まったくお恥ずかしいかぎりです。

2005年3月22日火曜日

Sony Classical: Great Performances, 1903-1998

 ポップスやなんかではベストアルバムをよく買っている私ですが、クラシックに関しては別。ベスト盤とかオムニバスとかは基本的に避けていて、というのもですね、抜粋されてるのが嫌いなんですよ。オペラとかオラトリオとかバレエ音楽とか劇付随音楽ならまだ我慢もしますけど、なんで全部聞いても二十分かからないようなソナタやなんかまで抜粋で聞きたがるのか。まとめて聞こうよ。と、こんな考えでいる私ですから、『G線上のアリア』とか大っ嫌いです(でもバッハの『管弦楽組曲 第3番 BWV1068』の「エア」は好き、いうまでもなく)。

つまり、なにがいいたいかといいますと、クラシックの抜粋オムニバスというのは、おいしいどこどりみたいに感じさせて、実際にはおいしい部分を捨ててしまってるといいたいんです。ソナタというのは、組曲というのは、まとめて聴いてよし、ばらして聴いてよし。でもその色々な聞き方ができる音楽を、お仕着せのオムニバスでしか知らないのはもったいないといいたいんですよ。

とかいいながら、私は『Sony Classical: Great Performances, 1903-1998』買っちゃってるんですよね。なんでだろ? なんでなんでしょう。

『Sony Classical: Great Performances, 1903-1998』は、その名のとおり、ソニークラシカルの名演を収録したアルバムでして、四枚組のボリュームが実に素敵。しかし本当に素敵なのは、その収録曲なのですよ。

なんというか、いかにも有名曲ばかり揃えました、って感じじゃないんですよ。もう聴き手に挑戦しているとしか思えないような曲も入っていて、Claude Bollingの『Suite for Flute and Jazz Piano: Baroque and Blue』なんて、どう聴いてもジャズ。まあ演奏してるんはランパルなので、クラシックといってもいいのかな(この考え方は間違ってるぞ!)。Eubie Blakeの自演による『Eubie's Classical Rag』てのも、クラシックじゃないよなあ。

けど、こうしたのりもよくハッピーな演奏が、いわゆるクラシック音楽の間に所々顔を出して、いやあ、本当にクラシックというのは幅の広いジャンルであるのだなと実感させてくれたものでした。

超有名曲も収録されていまして、聴いたことのある曲が聴きたいのっ、という要望にもお応えできるのも嬉しい点かと思います。例えば、ベートーヴェンの『エリーゼのために』。わたし、この曲、このアルバムでしか持ってません。そしてジョン・ウィリアムズ自演の『スター・ウォーズのテーマ』! いや、私、これもこのアルバムでしか持っていません。ジョン・ウィリアムズ作品は他にも『サモン・ザ・ヒーロー』が入っていて、これアトランタオリンピックのテーマ曲でした。

いやあ、実にクラシックというのは懐が深く、エンタテイメント性に富む音楽というのがわかるアルバムです。多分私、安売りかなんかで、なんか面白そうじゃんとかそんなのりで気軽に買ったんだと思うんですが、もう大当たりでした。何度聴いても楽しくて、何度聴いても飽きなくて、七面倒くさい顔して聴くばかりがクラシックじゃないぞ、と心から思った。

けれど、そう思えたのは、このアルバムの選曲が実に本気の選曲だったからですよ。クラシック入門だとかなんとかのための名曲集だとか、そんなおざなりアルバムとは一線を画す、まさにSony Classicalのプライドを持って編まれたものであろうかと思います。

いや、本当に名盤。このシリーズで、ジャズとかロックとかのアルバムもあるんですが、実は欲しいんですよね。クラシックでこの広がりなら、他のジャンルのもきっと満足させてくれるに違いありません。ええ、そういう気にさせてくれる、気合いのこもった最高のアルバムなのです。

2005年3月21日月曜日

ママレード・ボーイ

   今、手持ちのCDをiTunesに取り込んでるのですが、もうなんというか、こんなの持ってたんだというのが続々出てきてもう大変。ええ、つまりですね、まあもうおわかりかとは思いますが、本日の発掘の成果が『ママレード・ボーイ』であったというわけです。もう、出てくるは出てくるは、わんさか出てきてびっくり。ああ、あの頃はりぼんの漫画が熱かったのだ。

九十年代は、集英社の漫画雑誌『りぼん』の漫画が次々アニメ化されて、好評を博した時代だったのですね。ああ本当に懐かしいやら、一口に言葉にできない思いやらがぼこぼこ沸いてきて、なんだか複雑な気分ですわ。

九十年代を風靡した少女アニメといえば『セーラームーン』が思い浮かびますが、『セーラームーン』が本来の対象である少女及び大きなお兄さんお姉さん、よこしまな学者研究者の心をぐっとつかんだのに対して、『ママレード・ボーイ』は若いお母さん世代を魅了したんだといいますね。

恋し魅かれながらも素直になれない若い恋人たちの心模様の移り行きに、そしてダイナミックで無茶な展開。ついこないだまで、社会現象になるくらい韓国ドラマがブームになってましたが、韓国ドラマのサービス過剰ともいえる展開の起伏 — 記憶喪失に兄妹疑惑、などなど、などなど。今から振り返れば、『ママレード・ボーイ』は韓国ドラマに勝るとも劣らない、サービス精神のてんこ盛りでありました。いや多分連載期間が長かった分だけ勝ってるんじゃないかと思う。とにかく、読んでた私をして引いてしまったくらいにダイナミックな展開でしたからね。

しかし、テレビアニメ版は原作を超えましてね、実際若いお母さん世代を引き込んだのはトレンディアニメともいわれた、このテレビアニメ版だったのですが、そのお母さんファンからしても賛否両論、というか否定的な声のほうが強かったような気がします。とにかくテレビアニメ版は、そんな風に改変しちゃうの!? っていうような変更が行われて、原作ですら引き気味だった私などは、まさしくどん引きしてしまったのでした。

ヒロイン光希が恋している遊がですね、原作では京都の大学に進学するんですけど、アニメではですよ、アメリカ留学しちゃうんですね。アメリカ! それでもって、恋敵やらなんやらが金髪で、そういったキャラクターが大挙して来日しててんやわんや。もう、このアメリカ留学のショックが大きすぎて、私は見るのをやめてしまったくらいです(でもビデオには全部録った)。

けど、こうした躁状態みたいなのりが、九十年代ののりだったのかもなあと、今振り返ってみて思います。今からもう一度見返してみれば面白いと思うんでしょうか。正直微妙なところであるとは思いますが、実は原作はまたもう一度読んでみたい。— 私は本誌で読んでいたので、単行本を持っていないのです。

吉住渉は私の好きな漫画家のひとりでしたが、『ミントな僕ら』の終盤あたりでリタイアしたはず(だって結末を覚えていない)。『ランダム・ウォーク』にいたっては、プロットさえ知らない。なので、微温的世界の好きな私には、吉住渉は刺激が強すぎるのかも知れません。

一応、書こうと思ったこと書いとこう。

『ママレード・ボーイ』では亜梨実さんが好きでした。『君しかいらない』では、珍しくヒロインの朱音が、『ミントな僕ら』ではのえる×佐々、おおっと間違い、牧村未有が好きでした。

まあ、だからなんだというわけではありませんが、まあ自己開示の一環として書いておきたかったんです。

完全版

  • 吉住渉『ママレード・ボーイ』第1巻 (集英社ガールズコミックス) 東京:集英社,完全版,2004年。
  • 吉住渉『ママレード・ボーイ』第2巻 (集英社ガールズコミックス) 東京:集英社,完全版,2004年。
  • 吉住渉『ママレード・ボーイ』第3巻 (集英社ガールズコミックス) 東京:集英社,完全版,2004年。
  • 吉住渉『ママレード・ボーイ』第4巻 (集英社ガールズコミックス) 東京:集英社,完全版,2004年。
  • 吉住渉『ママレード・ボーイ』第5巻 (集英社ガールズコミックス) 東京:集英社,完全版,2004年。
  • 吉住渉『ママレード・ボーイ』第6巻 (集英社ガールズコミックス) 東京:集英社,完全版,2004年。

りぼんマスコットコミックス

画集

コバルト文庫

CD

DVD-BOX

2005年3月20日日曜日

動物のお医者さん

   今日、ギターの練習をしていたら突然弦が切れました。あの、弦が切れた瞬間というのは、本当にびっくりするものなんですよ。あまりに突然だから、なにが起こったかわからない。で、弦が切れたということを理解して、ひえええええ、弦が切れたあああ、と叫ぶ。いや、叫びはしませんけど、そんな気持ちになるんです。特に今日みたいに、弦を替えてまだ数日なんて日には、本当に叫びたい気持ちになるものなんですよ。

この ひえええええ、弦が切れたあああというのには元ネタがありまして、なにかといいますと『動物のお医者さん』なんですね。雪に埋まった菱沼さんが引き抜かれるときにあげる叫び声でして、ひえええええ、くつがぬげたあああ、この恐ろしい叫びを聞いた犬は死ぬといわれています。

まあ冗談はさておきましても、故事や伝説、物語から独立して使われるようになった慣用句というものは実にたくさんあるわけですが、『動物のお医者さん』くらいになると、まさにそういう慣用句レベルで日常に使える表現が盛りだくさんです。例えば先ほどのひえええええ、くつがぬげたあああなんてのは、その筆頭格であるといえるでしょう。

その他にも、あげればきりがないのですが、私はリス、しっぽをそられたのなんてのもそうですし、戸棚のウラはネズミの卵でいっぱいだー!!もそうでしょう。それに、コンタミダチュウといった、一般に馴染みのなかった言葉が全国区の一般用語に格上げされたのも、『動物のお医者さん』の功績であるといって言い過ぎではないと思います。

『動物のお医者さん』は世代や性差を超えて愛される漫画であるために、上にあげたような言葉を知っている人というのは実にたくさんいて、顔見知りから知り合いまでの距離を詰めようというときに、実に役立ってくれるのですよ。話し下手、口下手の私には実にありがたいかぎりで、その威力たるや、坊やだからさ二度もぶった、親父にもぶたれたことないのにあんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよヘルメットがなければ即死だったの比ではありません。

いや、もちろんガンダムからの慣用表現も強力ではあるのですが、これは世代と性差を考慮する必要があるので、効き目がピンポイントすぎなのです。対して『動物のお医者さん』のフィールドは、主に女性向けでしたから、私みたいに女性の多い場所を点々としてきた人間にとっては、非常に力強い助けであったのです。

私が生涯で最もうけた『動物のお医者さん』ギャグは、私はリス、しっぽをそられたのだったのですが、この表現がすでに第一巻に出現していることに、私は改めて驚きます。超音波の焼きいも屋菱沼聖子かね!?も一巻ですからね。

第一巻にしてすでに完成されていた『動物のお医者さん』。本当に偉大であると思いますよ。ええ、我が生涯のマスターピースであるといって恥じない偉大な漫画であると思います。

参考

引用

2005年3月19日土曜日

銀のロマンティック…わはは

「幽遊白書」読んでも「うしおととら」読んでも毎回泣くいう人がいはりましてね、いやあ涙腺が壊れ気味の人ってどこにでもいるんだなあ。でも、涙腺の壊れっぷりなら私も負けてませんよ。というわけで、私が読むと必ず泣く『銀のロマンティック…わはは』で対抗してみようと思います。ええ、この漫画は絶対泣くんですよ。読めば泣きますし、思い出しても泣きますし、あらすじを説明しようとすれば、言葉にする前に泣けてくる。— 多分こういう人って多いんじゃないかと思います。川原の読者は、きっと私のいうことわかってくれると思います。

私ね、いつも思うんですけれども、人間には感情のスイッチというのがあって、特定の条件がそろうとスイッチがオンになるんですよ。だから何度見ても、何度読んでも泣いてしまう、いつも同じシチュエーションで涙が止まらなくなる。これは自然なことだと思うのです。

ただ、その涙のスイッチが人それぞれなわけです。私みたく川原漫画の人もいれば、特定の少年漫画でオンになる人もいる。『劇的ビフォーアフター』を見て泣く人もあれば、10歳のわんこが犬ぞり引いてる姿に号泣する人もいる。実に人それぞれであると思います。

ただ、私の場合、ちょっと『銀のロマンティック…わはは』で泣きすぎたきらいがあって、なんというのか、パブロフの犬とでもいったらいいのか、このタイトルのわははだけでちょっと泣きそうになってしまう。このわははの前の三点リーダーが私のスイッチを押す、溜めになってしまっているみたいなんですね。

川原の漫画というのは、実にこのわははの一語に集約されるんではないかと思うんですよ。基本的に、悲劇のどん底にたたき込まれたような主人公が明るく健気に生きていくという様を描く川原漫画ですが、やはりそれはどこかに悲劇の影を引きずっていて、けどそれを決して表立っては描かない。悲しさやつらさを奥に隠して笑っている。ただただ静かに微笑んでいる。それがわははであると思うのです。その前に三点リーダーが置かれたわははであると思うのです。

川原の漫画には、いつもどこかにこのわははが感じられます。物語がハッピーであるにせよそうでないにせよ、川原漫画の登場人物はわははの精神を忘れず、どんな悲しいこと、つらいことがあったとしても、この精神でもって、その人それぞれの日常に立ち返っていくだろうという予感がするのです。

きっとこのわははに力づけられる思いのするという人はたくさんいると思います。そして私は、力づけられるとともに泣いてしまうんですね。

駄目だ、スイッチが入った。文章になりやしません。

引用

2005年3月18日金曜日

ラン・ローラ・ラン

 私が『ラン・ローラ・ラン』を知ったのは確かNHKのテレビ『ドイツ語会話』だったと記憶しています。文化コーナーで紹介されてて、それがどうにも面白そうだと思ったんですね。それに多分タイミングもよかった。PS2でDVDが見られるというのが嬉しくて、DVDを毎月買ってた時期があったのですが、そんな頃に『ラン・ローラ・ラン』のDVDが出ていたものだから、勢いで買ってしまったんですね。

勢いで買っただなんていってますが、いえ、ちっとも後悔なんてしていませんよ。何遍も見て、何度も何度も見返して、それでもたまにはまた見たいなんて思える映画なんて、そうそうあるわけじゃありませんから。

『ラン・ローラ・ラン』は、そのコンセプトが面白いんですよ。一番最初に哲学じみた文句が語られたと思ったら、あとはもうローラが走って走って走りまくる。といいましても、走ってるだけの映画じゃありませんよ。ちゃんと目的があって走ってて、けど、その目的にたどり着くまでの道筋がちょっとずつ、ちょっとずつ違うんですね。

ここで映画の構造をいってしまうと、この映画の面白さを台無しにしてしまうから、ちょっと黙っておきますね。けど、この構造こそがこの映画の面白さであるのですから、構造を語らないことには映画の説明ができない。むう、じゃあ、映画についてじゃなくて、ちょっと寄り道話をしましょうか。

私は、これまでも何度かいったことがあるかと思いますが、人の一生はすべて偶然でできていて、必然であるとか運命的であるとか、そういうことはまったくないと思っています。あの日、あの時、あの場所で、あなたとわたしが出会えたのは、きっと運命に導かれたからだわね、だなんて絶対考えない。そんなもん、たまたまにきまってるじゃんか。タイミングが偶然あっただけのことであって、もう一遍あの日を最初からやり直したら、出会えてるかどうかなんてわからんぜ、なんて思っています。

以前、『スライディング・ドア』を取り上げた時に、必然偶然どうこうといってたんでした。『スライディング・ドア』も私の人生観にしっくりくる映画ですが、けど見終えたときには人生に必然はあってもいいななんて思うだなんていってました。これ、なんでかといいますと、『スライディング・ドア』がセンチメンタルでロマンティックな映画だからですよ。映画の雰囲気にほだされてしまって、感傷に引きずられるまま、必然ってあったら素敵よね、きっと。なんて思うんです。

ですが、『ラン・ローラ・ラン』には、そうした感傷の入り込む余地なんてないのですね。テーマは『スライディング・ドア』にほぼ同じですが、ものすごく強い意志が、自分の人生は自分が決定するんだと主張してる。そんな感じがびしばし伝わってきて、そうだよ、人生はなるように流されるんじゃなくて、自分の意志でもって勝ち取るべきもんだよ、そうだよ。なんて、映画を見終わる頃には、すっかり鼻息も荒くなってしまってる。— ええ、私はその場の雰囲気に影響されやすい人間なんです。

映画の構成も明確で、主張も実にわかりやすい『ラン・ローラ・ラン』。さすが意志と表象としての世界を生きているドイツ人の作った映画だと思いました。けれどエンターテイメント性も抜群で、バックに流れるテクノも実にクールです。

80分ほどで終わるという手頃さも手伝って、何度も何度も見た映画です。多分、これからも何度でも見るかと思います。展開もストーリーもなにもかもわかってても、それでも面白いのですから、本当に当りの映画かと思いますよ。

サントラ:

2005年3月17日木曜日

クライマックスラグ 完全コピー楽譜集

今日、偶然張り紙を見て知ったのですが、ラグタイム・ギタリストの浜田隆史氏が大阪に来てライブをするのだそうですね。詳しくは氏のサイトの「ライブ&投げ銭情報」をご覧になっていただくとして、ともあれ私は、四月一日二日とあるライブの両日聴きにいこうかと思っています。

いやあ、実は浜田さんのことは随分前から気にしていて、結構ファンなんですよ。その生き方のスタイルというか、ギターへの打ち込み方というか、ちょっと真似のできなさそうな氏独自のやり方というのに私はどうも憧れて、一度でいいから目前で聴いてみたかったんです。

浜田氏はその道では結構知られたギタリストで、特にその彼の名前を有名にしているのは、小樽運河(オタルナイという名称は小樽運河に由来。ナイはアイヌ語で川のことです)でのストリート活動と、オタルナイ・チューニングと名付けられた独特のチューニング(EbAbCFCEb)であるかと思います。

チューニングは独自で、雰囲気も独特で、けれど音楽を聴いてみればわかると思いますが、すごく正統派の真当な音楽で、奇をてらったような変なけれん味なんかまったくないんですね。真面目に音楽に取り組んで、よりよいなにかを求めた結果としてたどり着いたのがオタルナイの独自の世界なのでしょう。私は、それはすごく素晴らしいことだと思い、私がこの人に憧れて已まないというところはここなんです。

氏のサイトの「文芸の部屋」カテゴリに「日記と随筆のページ」というのがあります。開いてみると「投げ銭随筆」というシリーズがあるのがわかると思いますが、これを読んでみれば、いかに氏が音楽にまっすぐに取り組んできたかがわかるかと思います。私は、このページに現れる氏のギターに対する思いとプライド、そして愛があふれているところがすごく好きで、何度も何度もこのページを読んだんですよ。それで私もいつか、この人みたいに人前で演奏できるようになりたいなあと思って、そして今も思っています。とにかく氏の文章は、すごく刺激的で心に染み、沸き立たせるだけの内実を持っています。

ところで、私が浜田氏のサイトを見付けたのは、K. Yairiの名器レディーバードについて調べていたのがきっかけで、実は氏もレディーバードオーナーだったのだそうですね。だったというのは、お母様が随分とお気に入りだそうで、とられてしまわれたのだそうです。

私がレディーバードを買った当初は、氏についての詳細はまったく知らなかったのですが、後々オタルナイ・チューニングのラグタイム・ギタリストに関する記事を雑誌で読んで、ああ、あの人だ! とすべてがつながったのでした。そうかあ、有名な人だったのかと、実に納得。なんだか自分の知り合いが成功しているみたいな、そんな嬉しくて鼻高々な気持ちになったのを覚えています。

さて、Amazonが扱う浜田氏のプロダクトは『クライマックスラグ 完全コピー楽譜集』だけでありますが、氏のサイトからアルバムを買うのも可能です。楽譜にしても、出版元である TABギタースクールからまだ買えたりするかも知れません。

よろしければ、色々探してくださいましね。

2005年3月16日水曜日

A La Faveur de l'Automne

  昨日、心斎橋のクラブクアトロにいってきまして、この出不精の私が珍しいことにライブですよ。フランスのシンガーソングライターTétéが日本にやって来るというので、以前一緒にフランス語を勉強していた友人が、一緒にいこうと誘ってくれたのでした。でも、その時私はこの人のことまったく知りませんでしたから、その音楽がどんなのかもわからない。どうしようかなあとちょっと迷って、考えさせてくれるって返事したんですね。その後、どんな音楽でも知らない音楽を知るのは楽しいだろうと思って、やっぱりいきますと連絡したら、そういうと思ってもうチケットは買ってあるよんって、ああすっかりお見通し。

ともあれ、Tétéのライブに行って参りました。

友人はCD貸そうかといってくれていたのですが、まったく知らない音楽を聴くのも全然苦でない私ですから、まあいいやと断って、当日を楽しみにしていたのですね。なので、ついこないだまでこの人の性別さえ知らなかった。テテという名前の響きで、女性だと思っていたんです。ところが、男性。テレビ『フランス語会話』の3月テキストにTétéのインタビューが載ってるのを見て、これが初遭遇でありました。アフリカ系のフランス人だそうで、だからきっとライとかフレンチラップとか、あるいはちょっとハード目のロックテイストあふれる音楽が繰り広げられるんだろうと思い込んでいたのでした。

すっかり、誤った思い込みしてましたよ。

ステージに現れたのは、ギター一本を下げた気のよさそうな兄さんでした。なんだかにこにこして、全然ハードな感じありません。ギターも、フラットピッキングながらかき鳴らすという感じはまったくなく、繊細でメロウでグルーヴィーでポップ! うわ、この人はいいと思いました。ギター一本で歌うという、そのミニマムな編成(だってひとりだもん)の可能性をびしびし訴えてくるんですよ。

実に人柄のよさそうなTétéは、その歌もその人柄さながら、超のつくくらいキュートでチャーミング。しかもインスピレーションのるつぼみたいに、ぐわーと盛り上がる力をもって、あるいはそうした力を隠して、深く深く聴き入らせるようなセンスがある。私は、本当に聴きに来てよかったと思いました。もし友人が誘ってくれなかったら、知らないままだったかも知れない。だから、だから、友人には感謝。そして素晴らしい歌い手、パフォーマーであるTétéにも感謝。心が奥底から、きれいに生まれ変わるみたいな歌でありました。

L'Air de Rienがデビューアルバム、A La Faveur de l'Automneがセカンドアルバムです。セカンドは、本国フランスで四万枚売ったのだそうです。いや、そりゃ売れるのもわかります。

ファーストアルバムの『レール・ドゥ・リヤン』は、Amazonでは見つからなかったけど、ちゃんと日本盤がリリースされてます。興味をお持ちの方は、どうぞお探しくださいな。

2005年3月15日火曜日

新英語の構文150

高校の英語の授業で使われてた、英語構文の副テキストが『新英語の構文150』で、まあ名前だけで中身の説明も充分という感じもしますが、150の英語構文が紹介されています(実際には152)。「as soon as... = ...するとすぐ」だとか「It is ... that ...」で主語の強調だとか、ちょっとした気の利いた表現をしたいというときに役立つ構文が150。私は大学の頃、e-mailを使って英語で文通をしていたのですが、英和和英の各種辞書とともに役立ってくれたのがこの本だったのです。

実をいいますと、私は中学高校と外国語の授業が大っ嫌いで、もう死ぬほど嫌いで、まあ死んでないから今もこうしてるんですけど、ちっとも自発的に学ぼうとはしなかったんですね。この本も、本来読むべきときにはほとんど開きもせず、あとになって必要に迫られて泥縄式に使っているんですから、やっぱり若いうちに学んでおいたほうがよかったなあ。いや、今日、この本を紹介しようというのは、そういったことをいいたいからではなかったのでした。

私は、京都に出て鴨川を見ると、必ずこの本を思い出すんです。比較構文の研究の章の最後に現れる、長文読解の練習題。これがいったいなにをとちくるったか、京都鴨川沿いの恋人たちを扱っていましてね、ほらあれですよ。京都鴨川には、数メートルおきに点々とカップルが座っているという、あの現象を扱っているのですよ。

まあ、ちょいと引用してみましょうか。

When we get south of Marutamachi, there will be so many of them that it is hard to find a place to sit down. Between each couples there is always a space of about ten meters.

私が高校に通っていた時点で、すでに等距離に並ぶ鴨川カップルの謎は有名で、またある種滑稽と思われていたので、この文はひとしきり話題になったものでした。

最近夕刻に京都を歩くことはめっきり減ってしまったので、今も以前みたく等距離にカップルがいるのかどうかは知らないのですが、それでもやっぱり京都に出て四条大橋にさしかかれば、この文を、この本を思い出してしまいます。こないだの日曜に京都に出たときも、やっぱり思い出して、多分もう一生忘れやしないんだろうなと思います。

でも、おんなじ思い出すなら、中身、構文のほうを思い出したい。けど、そっちはちょっとすぐには出てきてくれません。ふう、ままならないものですね。

引用

2005年3月14日月曜日

ぼくの人生処方詩集

 職場の若いのが、この三月いっぱいで退職するのだそうです。この時期に!、というより、この時局にといったほうが正しいかな。なにがつらくとも、なにがつまらなくともぶら下がっていれば安泰の職場で、けれどそれをやめようというのですから、よほどの思いがあったのでしょう。

最後の挨拶にきた彼に私のいうのは、人生はさよならと別れの繰り返しですから。この上なくネガティブな人生観を呈してみて、いやはやサヨナラダケガジンセイカ? いやいや、そうではあるまい。私がさよならと別れの人生を顧みようとするとき、いつも思い出すのは寺山修司の詩なのです。

さよならだけが
人生ならば
 また来る春は何だろう
 はるかなはるかな地の果てに
 咲いてる野の百合何だろう

……

『ぼくの人生処方詩集』に収められた、「幸福が遠すぎたら」と題された短かな詩はこんなふうに始まります。あまりに有名な井伏鱒二の翻訳サヨナラダケガジンセイダを下敷きにしていることは明らかで、けれどこのセンチメンタルな詩にほのかに漂う悲しさは、私を打ちのめすに充分だったんです。

この詩にうたわれているのは、どうしても避けることのできない別れ、さよならであることは間違いなく、けれどその別離だけで人生を語るのはいやだという、そういう思いでありましょう。誰もの胸にあると思うのです。失ったことの向こうに、きっと残る失われなかったなにか。そうしたものがあるおかげで、私は今日までこうして過ごしてこれたと思うんです。

結局別ればかりの人生かも知れませんが、それでもかつてあったという事実が、人生が意味あるものに変えるのだと思います。私が失ってしまったものは、それがかつて私とともにあったということ、私のどこかに残されたその証拠によって、失われつつも今なおあるのだと思うのです。私がもう会えない人たちも、いつか私がともにあって、そしてその時過ごした時間が、私に焼き付いて残っているならば、行き過ぎてなおともにあるのだと思うのです。

もし別離が完全な無への変化であるなら、私のこの人生はあまりに堪え難いものといわねばならないでしょう。ですが、そのつらい人生をこうして過ごすことができるのは、人生はさよならだけではないということを、私たちひとりひとりが知っているからだと思うのです。

センチメンタルな詩で編まれた『ぼくの人生処方詩集』は、けれどただただ感傷的にあるのではなくて、しっとりと美しかったり、深くやさしかったり、苦く切なかったり、そして悲痛に苦しんだりして、寺山修司という人の詩情というのが実によく表されているかと思います。

私は、こういう寺山も大好きです。きっと、皆も好きになると思います。

引用

2005年3月13日日曜日

さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

 タイトルが秀逸です。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』。さおだけ屋というのは、さおやーさおだけー、十年前の価格で出ていますーとかいって軽トラで住宅地を回っている、皆さんもよくご存じのあのさおだけ売りのことです。確かに、あの値段じゃ売れてもどれくらいペイするもんだろうか、みたいに私も思っていました。人にあれはもうかるものなんって聞いてみたら、二本で千円っていってるけど実際にはもっと高く売りつける商売なんだよ。はあ、屋根の診断みたいなものかあって納得していたのですが、この本を読めば真相は違っていたんですね。

この本は、さおだけ屋を始めとして様々な謎の職業、謎の商売を取り上げては、見るからに流行っていない店の裏事情や、あるいは一見不条理に見えるからくりを解説してくれて、しかもそれがすごくわかりやすく面白いんですね。本屋で手に取って、軽く立ち読みで半分ほど読んだところで、この本は買っておかないと駄目だと思ってそのままレジにいったくらい。これは立ち読みじゃ駄目だ、買うべきだと思える本だったんですね。

私を捉えた言葉があったんですよ。私は実に小市民であるので、お金はチリも積もれば山となるというがごとくに、小銭を始末してお金を貯めようと思う性質であるんですが、それがですね、この本によるとチリが積もっても山にはならない。小銭を十円百円とけちるよりも、大きい買い物で一万二万を始末するほうが圧倒的に効果的。節約というものは割合パーセンテージで考えるんじゃなくて、具体的にいくら得しているかという絶対額で考えるべきだとゆわはる。

これを聞いて、ああほんまにそうじゃねえと、目からうろこが落ちました。ちんまい損得に一喜一憂するんじゃなくて、大きく節約すべきだとおおいに納得いったのですね。

この本のよいところというのは、なにをおいてもわかりやすいというところにつきます。至れり尽くせりなのですよ。本を読んで、重要なところに傍線を引っ張る人っていますよね(私は死んでもやりませんが)。この本は大変親切なことに、そういう大切な要点要所を最初から太字にしてくれていて、だからざっと目を通すだけでも大切なところは目に留まるようになっている、ざっくりと内容を把握するのがすごく楽なんです。

加えて、例の出し方、説明のかみ砕き方が絶妙です。例を例としてぼんっと投げるんじゃなくて、ちょっとずつ、まるで著者と読者が一緒に発見していくみたいにして、例の読み解きをしていきます。そうして仕組みを明らかにしてから、実は別のこういう商売も同じことをやってるんですよ、みたいに具体例を広げるんです。そうした説明の際に使われる言葉もすごく簡単で普段耳に馴染んだようなものが使われてる。さらには図や式、計算なんかも整理されてて見やすい。つまり、わかりやすい

こんな風に至れり尽くせりな本書は、さらに各章の最後にその章のまとめも用意していて、すごい。これは充分教科書にできるような内容を持ちながらも、読者の心をつかんでしまうエンターテイメント性にあふれる良書だと思いました。著者は公認会計士だそうですが、話を面白く膨らませる才能もある、実にマルチな才能ある人だと思いましたよ。

私はお金のことには結構無頓着に生きてきて、なんというか金のことをぐちゃぐちゃゆうのは恰好悪い。払わなあかんにゃったらバーンとォ!払ったらええねん、とか思っています。けど、そんな反面、普段はじっと我慢の子であった作戦をやっている。

先生、それではあかんのですね。全体的なお金の出入り(キャッシュフロー)を把握して、会計の大局をつかんでおくべきなのだと、私、この本を読んで反省しました。

引用

2005年3月12日土曜日

ジェズアルド:テネブレ - 聖金曜日のレスポンソリウム

 私はこのところ、いつかiPodを買う日のために、手持ちのCDをiTunesにせっせと取り込んでいるのですが、この単純になりかねない作業が意外に楽しかったりするんですよね。買ってその後忘れていたCDを再発見する楽しさ。このところ聴いていなかった作品に再び出会う喜び。私はこの数年、クラシック音楽から離れていたのですが、その距離が逆にクラシック音楽の美しさを際立たせるようです。私の好きな歌に、久しぶりの君はとてもきれいという歌詞があるのですが、まさに今の私のクラシック音楽に対する思いのようです。

私はCDを大ざっぱにジャンル分けして棚に突っ込んでいるのですが、どうもよくわからないものはクラシックジャンルに投げ込むという癖があるようです。iTunesに取り込むときにCDDBから曲情報を取得しますが、はじめてこれでジャンルを知ることもあって、この間、クラシックにメタルが紛れ込んでいるのを発見したところだったのです。だから、まだジャンル違いが入っていてもおかしくないと思っていました。

CDジャケットの裏面。黒地にアルファベットでアルバム名やなにやらがいろんな色でぎゅうぎゅうに押し込まれたタイポグラフィをみて、またロックかなにかが出てきたかと思ったんですね。でも曲目を見ればロックではないようだ。じゃあ最近の作曲家かな、と思ってよく見たらドン・カルロ・ジェズアルドではありませんか。

ああ、ジェズアルド。ルネサンス末期の作曲家にして、常に前衛を走る彼ならば、このジャケットもありだよな。お似合いのジャケットワークだと納得しました。

ジェズアルドを理解するためのキーワードは、マニエリスムをおいて他にないでしょう。思い掛けない跳躍、唐突な転調、半音階的書法は息詰るような激しさを秘めて、不協和音のせめぎ合いもすさまじい。音楽とは緊張と弛緩のドラマに他なりませんが、ジェズアルドを聴くとそうしたことが本当によくわかります。

これでもかと激情が聴き手の心を揺さぶるかのようで、なのに恍惚とするような美しさを持っている。美しくおしとやかに、つんとすましてるだけが音楽か? いやそうじゃない。そのうちに激動を隠していてこそ、美しさは本物となるのです。

ちょっとここで蛇足っぽく、マニエリスムについて書こうとしたのですが、一言で説明するにはマニエリスムはあまりに厄介すぎるのでやめときます。ただ私は、マニエリスムとはひとつの様式が完成をみて正統性を勝ち取った後に、その美点を極端に強調することで完成しているという退屈を破り、更なる美を志向する、唯美耽美的な意識なんじゃないかと思っています。

だから、前衛には(その時代を問わず)マニエリスムの要素が充ち満ちますし、美術や音楽といった芸術にかぎらず、あらゆる側面にマニエリスムは現れます。例えば、漫画が不条理を追求したことがありましたが、それもマニエリスム運動のひとつでありましょうし、美しい絵、可愛い絵を追求した結果として現れる萌えという概念もマニエリスムであるといえると思っています。

そういう見方をすれば、私たちの身の回りにはマニエリスムがいろいろあって、私たちは今もマニエリスムの時代に生きているのだと思うんですね。

引用

2005年3月11日金曜日

女神の寝室

 大学でうけた教育心理学の授業。大学の先生なんてのは誰もどこかおかしなもので、その先生も例に漏れることなく変わった人でした。けれど授業は面白かった。その日の授業で扱うトピックに応じて、ビデオやら漫画やらを用意してきて、それがひとつの例となっているんですね。

私が深見じゅんと出会ったのは、この授業でだったのです。心理学の用語に移行対象というのがあります。自我が芽生え親離れのはじめる時期、不安を紛らわせようと、ぬいぐるみや毛布を肌身離さず持ち歩く子供がいます。このぬいぐるみや毛布が移行対象と呼ばれ、それがないと不安で仕方がなくなる。もちろん私にもあって、私の場合は郷ひろみと名付けられた人形でした。

深見じゅんの『ぽっかぽか』に出て来るあすかの移行対象はくんちゃんというクマのぬいぐるみでした。『ぽっかぽか6』に収録された話で、あまりに鮮やかに編集されたプリントに見るあすかとちち、ははのストーリーがよくって、私は深見じゅんの読者になったのでした。

それまで知らなかったレディースコミックの世界に触れて、私は貪欲に深見作品を買い集めていって、ついにはYouまで講読するようになりました。私にとっての深見体験の初期に今回紹介する『女神の寝室』はあって、甘い理想的な恋愛とその裏側に(理想的に)揺れる女心みたいのに打たれてしまったのでした。

私はいうまでもなく男で、女心なんてみじんも持っていないのですが、それでもすごく共感できたんです。恋愛に対し、強がったり屈折したり、嘘をついたり迷ったり。この巻に収録される短編四編が、それぞれに素直になれなかった女性を主人公にしていて、そして最後にヒロインは虚栄の自分を捨て自然体の私に立ち返るのです。

自然体の私。深見じゅんのテーマは、これに集約されるのではないかと思います。『ぽっかぽか』にしても、自然体夫婦、自然体親子のドラマといえます。特に、九十年代は自然体への憧れが強く、おそらくそれは虚栄と狂乱のバブル期を終えた反動だったのでしょう。『女神の寝室』に見る自然体、私にはほっとできる物語ばかりで、あるいは私みたいなものでも希望を仄かに感じられるようなシチュエーションが嬉しかった。こうした感想を持った女性は多かったのかも知れません。あの当時の深見人気を支えたのは、憧れやまぬ自然体への回帰であったのかと思います。

  • 深見じゅん『女神の寝室』(YOUコミックス) 東京:集英社,1995年。

蛇足:

収録作の「ごっこ」がなかでも好きだったのです。好きになった男性に嘘をつき続けたヒロインが、別れを告げようとしたときの言葉、— あなたのおかげで少し世の中と仲良くなりました

世の中を愛しにくい私にとって、この言葉はすごく響くのです。そして、やっぱり泣かされるのです(なにしろ私は涙腺のパッキンが壊れているのだからな)。

2005年3月10日木曜日

イタリア人の働き方

 イタリアは私の大好きな国のひとつで、多分、おそらく、世界中で一番愛する場所なんじゃないかと思います。ええっ、フランスじゃないのかい、なんていう声も聞こえてきそうですが、多分イタリアのほうが私には合ってるんじゃないかと思います。たった十日にも満たない2001年のイタリア体験は、私に、イタリア、なんと素晴らしい国!と思わせるに充分だったのでした。

感情が豊かでチャーミングな人たちの国。いや、そりゃ私たちが、お金を落としていく大切なお客様だったからかも知れません。けれど、そういうのとは違う交流も確かにあったのではないかと私は信じたいんです。フィレンツェのリストランテで出会ったおかみさん、ローマのリストランテでも大変楽しく嬉しい目に遭いました。それはたまたまの幸運だったのかも知れません。けれど、そういう幸運のある素敵な土地として、イタリアは私の記憶に刻まれたのです。

『イタリア人の働き方』は、なんだか仕事にいいかげんという印象のあるイタリア人の、まったく違った側面を取り上げていて、意外に思う人もあるかも知れません。けれど、私はこの本を読んでそう思ったのですが、楽しむということに対して貪欲なイタリア人だからこその仕事ぶりなのではないかなと思うんですね。仕事を義務や生活と引き換えにする苦役として考えるのではなく、我が人生の楽しみとして捉えることができたならば、この本に登場する、仕事に対して大いに前向きな人たちを理解することも簡単。そう、私も私の楽しみとなる仕事を見いだすことができたらば、きっと没頭するようにして働くのではないかと思ったのですね。

実際のところ、この本に紹介された人たちというのは、自分の天職ともいえる仕事を見付けることのできた、幸運な人たちなんだと思います。というのも、やっぱりイタリアでも、仕事が嫌で腐っている人はいるはずなんです。けれど、この本のカバーに書かれた一文、人口五七〇〇万人の国で法人登録が二〇〇〇万社というのを見れば、確かに多くの人が一国一城の主として、自分の理想を探しているのかも知れないと思ったりして、ちょっとうらやましく思ったりもします。

イタリアの旅行中、ローマやフィレンツェでこそちょっと大きめの店には入りましたが、多くは個人商店っぽい店を利用しました。入り口をくぐって、ブオンジョルノと声をかければ、にっこり笑って挨拶を返してくれる店ばかりだったと記憶しています。旅の途中で寄った文具店、確かフィレンツェだったでは、まさにカウンターの向こうで店番のお姉さんが別れ話の最中(?)。取り乱して大泣きして、うわあえらいところにきちゃったぜシニョーラみたいに思っていたんですが、勘定しようとレジにいったら、その今まさに泣いていたお姉さんが、にっこりと笑ってグラーツィエ。私はびっくりしました。プロのなせる技だと思いました。

就業中に私用電話などもってのほか、しかも客の目の前で泣くという大失態。日本では絶対に許される行為ではありませんが、このお姉さんを見て私は、こうしたことが普通に起こっているイタリアが心から好きになりました。日本でもこういう終業態度を見習うべきだと思った。表面取り繕うばかりじゃつまらない、って思ったんですね。

だから、私は住んで働くのならイタリアがいいと思った。フランスに行けばフランスもいいと思うかも知れません。けれど、私はそれでもイタリアがいいと思うんじゃないかと予感がするんですね。

イタリア、素晴らしく美しい土地です。いずれ暮らしてみたい土地です。

  • 内田洋子,シルヴィオ・ピエールサンティ『イタリア人の働き方』(光文社新書) 東京:光文社,2004年。

2005年3月9日水曜日

カルミナ・ブラーナ

  『カルミナ・ブラーナ』といえば、今ではカール・オルフ作曲のものがあまりに有名でありますが、本来は中世の世俗歌曲だったりします。世俗歌曲は記録されることもなく、その時代時代に生まれ歌われ消えていく。そういう儚い一生をたどるものが一般的なのでありますが、ボイレンのベネディクト修道院で世俗歌曲を書き写した写本が発見されて、今も当時、十世紀ごろのヨーロッパで歌われていた世俗の響きを耳にすることができると、そういうわけなのですね。

『カルミナ・ブラーナ』というのは、ボイレンの歌曲集という意味のラテン語で、最近ではこの写本はボイレン由来ではないとかかんとかいうんだそうですが、そういうややこしいことは知りません。『カルミナ・ブラーナ』で覚えて問題ないです。

『カルミナ・ブラーナ』の主役はどういった人であるかといいますと、聖職者や学者、教師になるべく大学に学んだけれど、途中で嫌んなって飛び出してしまった、そういう人たち — ゴリアールと呼ばれる遍歴学生であったといいます。大学で学んだものだから知識や教養はあるし、自由大好きで権威大嫌いだから、酒や賭博、恋愛の歌を陽気に作ったかと思えば、やたら批判的なプロテストソングなんかも作っちゃう。日本でもフォーク・ムーブメントが盛り上がったときなんかは、そんな雰囲気でした。大学には入ったけど、ギターを弾いて仲間でわいわい騒いで、かといえば権力におもねることを好まず、プロテストソングを作っては歌う。

歌とその周辺というものは、時代を問わず同じなのかも知れないと思います。ゴリアールたちは、ヒッピーでロッカーでメタルでラッパーみたいな存在だったのでしょう、きっと。

一般的に知られた『カルミナ・ブラーナ』はカール・オルフ作だということはいいましたが、これは近代の作曲で、多分耳にすれば知ってるという人は多いかと思います。それくらい有名で、テレビとかでもよく使われてるんですね。かっこいい曲ですよ。

けど、実は私は大学に入るまでオルフの『カルミナ・ブラーナ』を知らなかったんです。大学にはいって、所属していたサクソフォンオーケストラの演奏会曲目を決めようというときに、『カルミナ・ブラーナ』を編曲してやったらどうだろう、きっとかっこいいよね、みたいな話が出たんですが、その時の私の頭にあったのはオルフじゃなくて中世のカルミナだったから、あの世俗曲をサックスでやるの??? とまったくわけがわからず、いやあ、恥ずかしいというか知識が偏っているというか、マイナー好みというのは昔からだというのがよくわかるエピソードです。

私が持っている『カルミナ・ブラーナ』のアルバムは、オワゾリールから出てたフィリップ・ピケットの抜粋版なのですが、本当は4枚組のほうが欲しかったんですね。けど4枚組はやっぱり高くて手が出なくて、そうしたら市場からは消えたんでしょうか、買えないみたいですね。すごくショックです。無理して買っとけばよかった。

買いそびれて悔しいってことは何度もありましたが、ピケットの『カルミナ・ブラーナ』も本当にそうでした。けれど、探せば買えるかも知れない。ちょっと本気で探してみようかな、どうしようかな。迷っています。

2005年3月8日火曜日

人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ

  私がこの本に出会ったのは、忘れもしない高校の図書室で、私は平成の高校生だったから、新刊書として所収されたところを借り出したのでしょう。この本の出版は1990年。思い返せば、あの頃が一番貪欲に本を読んだ時期の最後だったような気がします。

この本はなによりタイトルが振るっていて、『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』。人間がいきるのに必要なことっていうのは、子供のうちにすべて基礎づくられているのかも知れないと思わせるタイトルで、書名と同じ表題のつけられたたった六ページの章を読めば、確かにその通りかも知れないと思う。人生に必要な教えというのは、子供の頃に友達と転げ回っているうちに覚えたことで充分なのかも知れないと思えます。

けれど、その素朴にして豊かな教え、おそらく私たちの全員がその意味するところを容易に理解できることが、なんでか大人になると守れない。

皆で分けあうこと、ずるをしないこと、人をぶたないこと。使ったものはもとに戻し、後片づけも忘れない。人のものには手を出さず、誰かを傷つけたらごめんなさいをすること、などなど、などなど —。

私はシンプルで明快な人生を求めているので、当然フルガム師の信条は多く私の信条に重なっています。けれど私は自分の決めたことすらも守れず、出したら出しっぱなし。釣り合いのとれた生活なんて夢のまた夢、自分を縛りつけるばかりで、だから私は自分が意固地でいやな人間だと思う。

フルガム氏の文章は、日常におこる普通のことごとを切り取って、ドラマチックでちょっと特別な出来事に変えてしまう。そんなアイデアと機転が利いた、人の心を捉えてやまない魅力がある文章なのですね。本人曰く、職業は哲学者なのだそうですが、実際にはどうも牧師のようで、折りに会衆を前に話さなければならないという経験が、この本の面白さの基礎を作ったのかと思われます。

発話が文章のおおもとにあるから、なにより言葉がやさしく、すっと滑り込んでくるような感じで読めるんですね(おお、私のこちこちの文章とは大違い!)。結構重大なことも、真実に迫る問題も、揺るがしにしてはいけない懸案ごとも、どれもが素直な文章でシンプルに、大切なことを語る重みをもって話されているんですね。

大事なことをわかりよくというのは、人に向けて語るときに一番大切なことではありますが、またなによりもむつかしいことで、けれどフルガム氏はこのむつかしいことをしっかりとやり遂げています。それは、読んだことが他人事みたいにではなく、まるで自分に向けて話されたことのように素直に胸におちるように感じられることからもわかります。自分に足りなかったこと、いたらなかったところがあったとしても、素直に受け止めて反省したり、明日への活力を取り戻したりすることができる。そういうフレッシュさにあふれた本なのです。

なんだかいやな世の中だなと思ったり、しんどいなと思うこともあったり、そんな陰鬱さがあちこちに顔をのぞかせるような時代に私たちは生きていますが(もしかして私だけ?)、けれどもし皆がこの本の、冒頭の一生だけでも読んで共感したら、そしてその共感を実際のこととして表すことができたら、なんだかぎすぎすしたように感じる今が変わるんじゃないかなと思ったりもします。

少なくとも、ちょっと読み返してみた私の心は、ちょっと平穏な感じになってますからね。ほんとですよ。

『新』には「人生に乾杯!」という章が付け加えられているみたいです。その他は、多分旧版と一緒かと思います。

2005年3月7日月曜日

ことばのパズル もじぴったん おりじなるさうんどとらっく

 買っちゃいました、さんとら。ついこの間、Webで『もじぴったん』の体験版をプレイできるって教えてもらいましてね、それまで『もじぴったん』は名前だけ知っててどういうのか知らないゲームだったんですね。遊んでみてびっくり、目茶苦茶面白いんです。ルールがシンプルでわかりやすいし、短時間で決着がつくから、遊び過ぎて疲れるということもない。しかし、しかしですよ、なにが素晴らしいといっても、その音楽ですよ。ポップでキュートな歌入りBGMがとんでもなく魅力的で、もう私、音楽にはまりました。ナムコもじぴったんうぇぶでは、主題歌(?)のダウンロードもできるのですが、iTunesに読み込んで、何度も何度もリピートで聴いて、いつもはしない譜面おこしまでして、さああとはギターを伴奏に歌えるようにするぞと思ったりしたものでしたよ!

それでさうんどとらっく買ってみたらびっくり。なんと、『ふたりのもじぴったん』の楽譜がついてた! しかもコードネーム付きで! わあ、あの努力なんだったんだろう。まあ音大を出てるんですから、これくらいの曲なら、聴いてすぐわかるんですけどね。— ごめん、嘘。私、聴音は大の苦手でした。

『もじぴったん』のなにがすてきといっても、歌入りBGMがたくさんあるということかと思うんですね。まずね、まずね、『ふたりのもじぴったん』でしょ。これがもう、なんていうかべりきゅーと。それでもって『じゅもんをあげるよ』、なんかげんきになるきょくで、すなおな明るさにつられて笑みがこぼれてくるんですよね。ぜんぺん英語でくーるな『わーずわーずの魔法』は、ピコピコの電子音がフォークジェネレーションっぽい雰囲気にマッチして面白いの。ほいで『Piacevole!』。ボーカルがマシンボイスっぽく変調されてて、なんかちょっと懐かしい感じもしますが、よくよく聴いてみたらすごくやさしい雰囲気であふれた気持ちのいい歌なんですよね!

すごいのは、これらさうんどとらっくに収録されている歌が、もじぴったんうぇぶのダウンロードページで提供されているということだと思います。もう、ナムコさんの太っ腹! ダウンロードページの充実を見たとき、自分の作った歌が広く聴かれるようになったら嬉しいという、作り手側の思いみたいなものが伝わってくるように感じました。それですごく嬉しくなったんですね。だから、さうんどとらっくも買わずにはおられなかったんです。

もじぴったんうぇぶでは、PSP用の『もじぴったん大辞典』の歌もダウンロード可能になっていて、これもまた素敵なんですね。どれものりのいい曲ばっかりで、今「?」になってるところには、多分エンディングの曲が入るんじゃないかと思って期待しているんですが、もし『大辞典』のさんとらが出るようなら、きっと私買いますね(『バンビーニ』がいちばん好き!)。

PSPが高くて買えないので『大辞典』では遊べないのですが、だからその分だけさうんどとらっくの発売に期待をしてしまうのかと思います。

ゲームのさんとらにはまったのは、『デュープリズム』以来だと思います。しかし、『デュープリズム』のときも思ったのですが、ゲームのBGMといってもばかにできないんですよね。表現力は豊かだし、できもいいし、それになんでかこういうアルバムって、ものすごくサービス精神が旺盛で、例えば『もじぴったん』なら、BGMのみならずSE(もじくんの声ったらすごく可愛い!)まで入って、そのうえカラオケも!

うん、こういう買ってくれた人に喜んでもらいたいみたいな気持ちが伝わってくるアルバムは大好きです。ゲームもよいと思いましたけれど、音楽も、そしてそれらを支えている土壌もきっとよいのだろうなと思います。すごく魅力的と感じましたものね。

参考リンク

2005年3月6日日曜日

アイ・アム・サム

 この間、ビートルズのBlackbird絡みでちょっと触れた映画『アイ・アム・サム』が、なんとつい先日テレビで放送されていまして、なんという偶然、なんという好機であるかと、この映画に興味を持っていた私はかじりつくみたいにして見たのでした。

私は、本当にこの映画のことを知らなくって、サントラは完全にビートルズのトリビュート盤として捉えていたから、余計な前知識というものがなくってよかった。素直に映画を見て、素直に感動して、やはりなにがよいといっても、ショーン・ペン演ずる父親の善良さとダコタ・ファニング演ずる娘ルーシーの素直な可愛さであったかと思います。娘のために靴を買おうとする、そんななんでもないようなシーンでも思わず泣いてしまう。— すまん、私の涙腺はパッキンが壊れているんです。

些細な出来事をきっかけに娘と引き離された父親が、愛するルーシーを取り戻すために奔走する。映画の筋を語ればそれだけのことなのですが、父親が七歳児程度の知能しか持たないチャレンジドであるということが重要になっているのではないかと思うのですね。チャレンジドというのは、生まれつきのハンディキャップにより、人生に対しチャレンジすることを運命づけられた人たちというニュアンスを持つ表現で、そのまさに挑戦しなければならないという状況は、まさにこの映画の中に描かれているとおりかと思います。仕事の場で挑戦し、親子関係でも挑戦し、そして社会のシステムにおいても挑戦をし続けなければならない。映画では父親 — サムが善良で明るく表現されているため陰惨さ、悲惨さは薄らいでいます。現実ではああはいかないだろうなと思うことも多く、だからちょっとファンタジーがかった映画と捉えるのがいいのかも知れません。

けれどそのファンタジー色 — ビートルズにまつわるエピソードと楽曲群がどれほどその色を強く膨らませることか知れない! — の裏には、この映画がいおうとしている本当の主張が、こっそり隠れているように私は思ったのでした。

この映画の表面的な主題こそは、知的障害者に子育ては可能なのかというものでありますが、その背面には常に、じゃあサム以外の人々はその子育てを簡単にこなしているのか、という問いかけがなされています。

この映画には、サムをはじめとして、子育てに難しさを感じている親が多く登場します。またうまく親子関係を築くことのできなかった人も出てきます。そうした彼らの存在が、子育てや親子関係をうまくやるということの難しさや悩みは、誰にでもあることと告げています。誰しもが同じ迷いを抱いて、途方に暮れながらもチャレンジしなければならないんだというのです。

だから、私はこのファンタジー色の強く感じられる映画に、それ以上の現実性を見たのでした。サムはひとつの比喩として、すべての親の苦悩を表しています。そしてそのサムを支えるのは、サムの友人知人のネットワークであり、人々の連帯、助け合いであったということはどういうことか。誰もにある足りない部分は、それを持つ人たちの助けを借りれば埋めることができる。そしてすべてにおいて劣っている人間もまたいないのです(サムに助けられた家族を忘れてはいけない!)。

とても素敵なよい映画だと思いました。もしラジオであのBlackbirdに出会っていなければ、私はこの先ずっと知らないままだったでしょう。これこそが縁であるかと思います。とてもありがたい縁であったと思っています。

DVD:

サントラ(歌なし):

本:

  • ジョンソン,クリスティン,ジェシー・ネルソン『アイ・アム・サム』細田利江子訳 (竹書房文庫) 東京:竹書房,2002年。
  • アイ・アム・サム』亀山太一訳 (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ) 東京:スクリーンプレイ,2002年。
  • CD アイアムサム』(リスニングCD) 東京:スクリーンプレイ,2002年。

2005年3月5日土曜日

1年777組

  鳥絡みで更新をしている間に、こととね本家のカウントが77777を記録いたしました。ご贔屓にくださる皆様、あるいは検索サイト等経由で一期一会的出会いをはたされた方々には、あらためて御礼申し上げます。

77777を記念いたしまして、本日は『1年777組』。なんて安直な! そんなだから、あんたのサイトははやらないんだ。とかいうのはおいておいて、『1年777組』は、最近はやりの萌え四コマ誌まんがタイムきららにて好評連載中の、四コマ漫画です。

『1年777組』というのは可愛いキャラクターががたくさん出てくる。そん代わりネタが少なめ、です。そういう意味では実にきらら誌を代表する漫画足りえていると思うのですが、どうでしょう。登場人物も多く(多分、一二を争う?)、けれどある程度読んでいれば整理はついてきて、面白くなってくるのはそれからです。汎用のネタで読ませる漫画ではなくて、登場人物のキャラクター性で読ませる漫画であるということがわかってくるかと思います。

キャラクターは多くても、それぞれに特徴的な性格付けとそれから名前がついてますから、意外にわかりやすいというのがいいところです。基本的には主人公(ヒロイン)春野こりすと、こりすに片思いしている秋里ねことのすれ違う恋愛模様が軸になる漫画なのですが、他のキャラクターもちゃんと描かれているから、主役絡みでなくても話がちゃんと成立するんですね。

たくさんの登場人物が持ち回りでメインキャラとしてクローズアップされるから、同ネタが延々繰り返されて飽きるということが起こりにくく、だからこの独特の世界観、雰囲気が嫌いでない人には、楽しんで読んでいける漫画であると思います。

さて、この漫画は今どきの漫画にしては黒ベタが多用されていまして、冬間きつね(魔女)のコスチューム、夏本みたか(委員長)の髪、祈祷れい子(巫女)の髪は、いっそいさぎいいほどに真っ黒く塗られています。そして、セーラー冬服も黒。だから、委員長、祈祷さんメインで話が進んだりすると、画面が真っ黒になってしまって、その重い画面がすごくよくって大好きです。白と黒のハイコントラストが実によく映えてうるわしく、ダイエットの回とかは、あまりのベタのよさに、うっとりしてしまいましたことですよ。

贔屓のキャラが多いほうが楽しめる『1年777組』。私の贔屓は家臣次郎丸です。どうぞ皆さんも贔屓のキャラクターを見つけ出して、楽しんでくださいましね。

  • 愁一樹『1年777組』第1巻 (まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2003年。
  • 愁一樹『1年777組』第2巻 (まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2004年。

ところで、実は77777カウントをとった方には、この漫画の二巻を送り付けるつもりでありました。もくろみがはずれまして、残念でしたね。ええ、ええ、残念でしたとも。

2005年3月4日金曜日

ニルスのふしぎな旅

 NHKで『ニルスのふしぎな旅』が始まったのは、私が小学校の一年生だった頃で、仲間内で大人気を博しました。クラスの名簿の一番が赤山というやつで、その名前からアッカ隊長とあだ名されていたのを思い出します。

アッカ隊長というのは、ニルスがガチョウのモルテンとともにお世話になった雁の群れのリーダーです。毅然とした態度で群れを率いる、生粋の姉御肌でした。恰好いいんですよ。もう、アッカ隊長がいれば物語がぐっとしまりますからね。常に冷静で、時に大胆な我らがキャプテン。あの厳しさを保ちつつも、落ち着いた穏やかな声が忘れられません。

『ニルスのふしぎな旅』は、小人の呪いで小さくされたいたずら好きの少年が、これまでずっといじめていたガチョウのモルテンと支え合い助け合いながら、信頼を築き、友情を育んでいくという感動のストーリーなのですよ。実は私には、あらすじを説明しながら感極まって泣くという特技があるのですが、ニルスもまさにそんな感じ。苦しくもまた楽しくもあった長い旅を終えたニルスが、再び家に帰ってきたときのあの光景、そしてそのふるまい。ああ、駄目だ、泣きそうだ。ニルスはアニメ史どころか、テレビ史に残る永遠の名作といって、私は恥じません。

脇役に、オーサとマッツという姉弟があるのですが、父親を探して旅する彼らの苦難に満ちた旅路もまた涙を誘います。ただ二人の姉弟が、助けあいながら、時にはニルスたちの影の助力も借りて、危機を乗り越える。そして彼らを待ち受けるひとつの結末。これは屈指の名シーンでした。それまでの描かれ方があまりに切なかった分、きっと見ていた皆は彼らの仕合せを祈ったことかと思います。

やっぱり駄目だ、泣きそうだ。

DVDは前後編それぞれが三万円ほどと高くて、残念ながら私には手が出るような値段ではありません。いや、価格相応の価値はある作品であることはわかっています。それでも、もっと安ければ私は欲しかったのに。もっと安ければ、きっと私は買ったろうにと、ちょっと悔しいのです。

一度、ゆっくり、一年くらいかけて見直してみたいなあ。

  • ラーゲルレーヴ・セルマ『ニルスのふしぎな旅』第1巻 香川鉄蔵,香川節訳 (偕成社文庫) 東京:偕成社,1982年。
  • ラーゲルレーヴ・セルマ『ニルスのふしぎな旅』第2巻 香川鉄蔵,香川節訳 (偕成社文庫) 東京:偕成社,1982年。
  • ラーゲルレーヴ・セルマ『ニルスのふしぎな旅』第3巻 香川鉄蔵,香川節訳 (偕成社文庫) 東京:偕成社,1982年。
  • ラーゲルレーヴ・セルマ『ニルスのふしぎな旅』第4巻 香川鉄蔵,香川節訳 (偕成社文庫) 東京:偕成社,1982年。
  • ラーゲルレーヴ・セルマ『ニルスのふしぎな旅』山室静,井江栄訳 (青い鳥文庫) 東京:講談社,1995年。

2005年3月3日木曜日

Birdland

  今では普通に耳にするフュージョンというジャンルを創始したのは、Weather Reportというグループだったのだそうです。私はこうした知識を大学のジャズ史の講義で仕入れたのですが、フュージョンの草分けということもさることながら、その名前が印象的で記憶に残ったのでした。Weather Reportって天気予報じゃないか! けれどこういうネーミングのセンスは大好きです。なんか、普通の日常に出て来る言葉をうまくあしらえるというのは、やっぱりセンスのなせる技だと思うのです。

さてそのセンスですが、もちろん名前だけじゃなく音楽にもよく発揮されて、ジャズじゃないし、ロックでもないし、という不思議な感覚漂う独特の音楽が聴いていて面白いんですよ。飄々としたキーボードの、へろへろとしたへんてこの旋律はすごく耳に残ります。私ははじめてWeather Reportを聴いたときには、なんか変わった音楽だなあと思って、けれどやっぱり独特で、何度も聴きたくなる味があるんです。病みつきにさせる癖があるんでしょうね。私はすっかりひきつけられて、しばらくWeather一色でした。

『バードランド』はWeather Reportの最大のヒット曲なのだそうで、軽く裏を打つシンバルのリズムの上で、ベース、キーボード、サックスが軽々と遊ぶ、そんな面白さがあるのです。何度も繰り返されるメロディがだんだんと場を盛り上げていって、クールなのに熱い。けれど熱狂という感じはしないんですよ。なんというのかなあ、聞き終わったときの感想は、ああ面白かった! また聴きたいね。とかそんな風なんです。ポップで、あたりがやわらかくて、ノリがよくって、だから何度でも聴ける、いくら聴いても飽きないという、そんな曲なんですね。

私がはじめて聴いたWether Reportはライブ盤である『8:30』でした。私はこのアルバムに収録されている『Birdland』が一番楽しいと思います。『ヘヴィー・ウェザー』のは、なにか無機的なものを求めてるんじゃないかと思うくらい端正であるのに対して、『8:30』だとなんか踊り出したくなる感じ? 聴いてると嬉しくなるのは、やっぱりライブという特別な場の持つ空気や魔力なのだと思います。

ところで、私は今回、鳥にまつわるものを集めてみようという思いつきにしたがって、今まで数週間鳥絡みのものばかり探してきたのですが、実はWeather Reportのこの曲、『Blackbird』だと思い込んでいたんですね。アルバムを引っ張り出してきて驚いてしまいました。

なんで『Blackbird』なのか? それは同じくWeather Reportの曲『Black Market』と『Birdland』が混ざって覚えられてしまった結果かと思います。『Black Market』も『Birdland』に負けぬ名曲であると思います。なかなかのインパクトのある不思議旋律が楽しくて、私のWether Reportの印象は、この曲に発しているといってもいいと思います。

2005年3月2日水曜日

朱鷺によせる哀歌

 吉松隆は、その親しみやすい作風とちょっとおかしくて愛らしいタイトルで、広く知られている作曲家です。親しみやすいとはいっても、おもねるようなそんなそぶりはまったくなくて、独自の美意識に基づいたロマンティシズムあふれる作品を数多く発表しています。

吉松は、今から十年前、いやもうちょっと前かな?、にものすごい人気があったんです。ちょうどその頃が、私が一番クラシック音楽に興味を持っていた頃で、当然吉松の活躍は放っておいても耳に入ってくるような感じでした。けれど作品の録音はまだそれほどなくって、だから図書館で何度も同じアルバムを借りて聴いていたことを思い出します。そして、おそらく一番好きで、一番たくさん聴いたのは、『朱鷺によせる哀歌』を収録するアルバム『鳥たちの時代』でありました。

吉松の音楽のよいところというのは、ポップでポピュラーな要素も押さえつつ、決してそれだけに留まらないところでしょう。美しさを追求しながらも、ロマンティシズムに耽溺するばかりでなく、構造の面白さについても忘れてはいない。こうした多面性がうけたところなのだと思います。そして多分、あの時代にすごくマッチしていた。音楽だけでなく、本もでました。新聞にコラムも持っていたんじゃないかな。多方面に活躍する彼を見るに、まさに時代の寵児といった風情だったのでした。

吉松は、鳥にまつわる曲をたくさん書いています。デジタルバード、ランダムバード、ファジーバード、サイバーバードといった仮想の鳥から、チカプ(アイヌ語で鳥)、鳥の形をした4つの小品、鳥たちの時代、そして朱鷺 —。

『朱鷺によせる哀歌』は、ピアノを中心に据え、弦楽器を両翼に配することで、オーケストラを鳥の姿に見立てるという、視覚的な部分にまでロマンティシズムが入り込んだ作品です。その音楽もまたロマンティシズムにあふれていて、非常に美しい。歌への思いが強く感じられる曲です。

吉松の音楽はメロディが非常に美しく、それは出世作であるこの曲にも充分感じられ、現代のクラシック音楽に慣れていないという人も、きっと親しみを感じ、よさ、美しさを知ることができるかと思います。思えば、あの時代、高度複雑化の進んだクラシック音楽の世界に、揺り戻しのように現れたロマンティシズムでした。

2005年3月1日火曜日

鳥は星形の庭に降りる

  『鳥は星形の庭に降りる』とは、なんと幻想的なタイトルであるかと思います。星形の庭に鳥の群れが降りてゆく夢にインスパイアされて書かれたのだそうでして、その成り立ちも実に神秘的であると思わされます。

星形の持つ頂点の数、五が曲を通じて支配的であり、五種の五音音階(旋法)によって構成された音楽は、それ自体が幻想的で神秘的な、美しい夢のようであります。吉松隆に『融けてゆく夢』という曲がありますが、『鳥は星形の庭に降りる』にしても、甘味な世界に聴くもの自身も溶け込んでいくような、そういう素晴らしい体験が得られるかと思います。

武満は、残念ながら日本では知られていません。いや、もちろんクラシック音楽を好きで聴いている人たちの間では有名で、けれどそれにしても、古典派やロマン派を中心に聴いている人なら知らないかも知れない。それくらいの知名度しかない武満ですが、二十世紀を代表する作曲家は誰かという話をすれば、必ずその名が挙がるような人なのです。だから、もしかしたら、日本よりも海外で知られている人なのでしょう。実際、ニューヨークフィルの委嘱により『ノヴェンバーステップス』が書かれたときの話なのですが、武満に連絡をとりたいと思ったニューヨークフィルが日本の外務省に問い合わせたところ、外務省は武満徹の存在そのものを知らなかったというエピソードがあると聴いたことがあります。

このエピソードをもって、日本の文化度が低いと断ずるのは軽率かと思います。ですが、やっぱり私は日本の文化度は低いと思うのです。

武満徹の音楽を聴きつけない人にとっては、武満の音楽は聴きづらいかも知れません。ともかく、聴きなれた音楽とはまったく違うすがたで現れる。ああ、現代音楽はわからん、といって聴くのをやめる人もいるかも知れません。けれど、私はそれでもめげずに聴き続けて欲しいと思うのです。

武満をはじめとする、私たちと同時代を生きる作曲家の音楽は、あまりに馴染みがない響きかも知れませんが、ですがこれが私たちの現在を最も濃厚に反映する音楽だと思うのです。確かに響きは慣れた感じではない。だから敬遠する人があることも理解できます。でも聴いているうちに、こうした同時代の音楽が持つ美しさは伝わってくるはずだと思うのです。

現代芸術は理屈やなんかが先に立ってしまって、見て、聴いて楽しむためのものではないと思っている人がいたら、それは誤解です。私たちの時代の芸術は、なんとか私たちの時代の精神や感覚、感性を作品に込めようと試行錯誤、四苦八苦して、そして過去にあったのとは違う美を、まさに今のせめぎ合いを掴み取ろうとしているのです。

確かに理屈理論理性のまさった音楽もあるでしょう(しかしそれが悪いとは、私は決して思いません!)。ですが武満徹を聴いて見れば、緻密な構成の向こうに、果てなき叙情性、ロマンティシズムがあるとわかります。私たちの息吹があり、私たちの意識が息づく音楽であると気付くはずです。