2006年1月30日月曜日

限りない欲望

 先日ゆうておりましたM-Audio製のオーディオインターフェイス買いました。MacintoshでもWindowsでも使えて、早速録音もしてみたり。で、最初の壁にもぶちあたってみたりして右往左往気分なのですが、それでもやっぱりちゃんとした機材というのはすごいものです。私の買ったマイクはPulsarという、コンデンサーマイクの中でも最安価といっていいくらいの製品なんですが、それでもあんだけしっかり綺麗に録れる。じゃあ、十万超えるようなマイク、RodeのClassic II(衝撃特価:149,800円)とかならどんなことになるんだろう!

とまあ、そんな感じに人間の欲望というのは限りがなくて、私は楽器向けのマイクを買ったところだというのに、もうボーカル用のマイクを欲しいだなんて思ってる。このあたりは、もう本当に業といってもいいかも知れないところで、人間というのは手に入るまでは恋い焦がれるようにして胸高鳴らせているというのに、一旦その手に落ちれば、もう心は次のところへ向かっちゃってたりしたりするんです。

こういった人間の身勝手な欲望を取り上げて、井上陽水は『限りない欲望』なんて歌を書いているんですが、しかし本当にすごい歌詞だと思います。子供時分にはじまり、大人になり、そして死ぬその時まで欲望から逃げることはできない。手にするまでは焦がれてやまず、手にすればもう次のなにかに心は飛んでいくという身勝手さが実によく現されていて、しかもこの歌詞についた音楽もすごくマッチしているのです。この歌が作られた頃の陽水の歌い方はまだ若々しくて力強くて、絶叫調に歌われるそのエネルギー、パッションがびりびりと響いてきて、もうめろめろ。後期陽水の歌しか知らなかった頃の私は、アルバム『断絶』を手にして面食らうやら度肝を抜かれるやら、すごい歌手だと、おそろしい幅の広さを持った人だと、さらに関心を深めたのでした。

こういう歌を聴いて思うのは、歌の題材に限界はないということです。私なんかは、こざかしい知識でもって、自ら歌の限界を狭めてしまっているなと、本当に反省する。ええ、機材や物品なんかじゃなく、自分の可能性に対してこそ欲望を向けるべきだというのに、私の心はつまらないところにとどまってしまっている!

反省しなさい。

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