2006年4月17日月曜日

機動戦士ガンダム

 私は第二期くらいに属するガンダム世代でありまして、再放送の再放送くらいでその洗礼を受けたのです。はじめてみた回は、忘れもしません第36話「恐怖!機動ビグ・ザム」。このことについてはもうなんべん書いたので、今更いうことなんざなにもありゃしないのですが、とにかくガンダムというのは私たちの世代にとってはなかなかに特別なアニメでありました。再放送があれば見て、プラモデルも買って、私の最初のガンプラはリアルタイプ・ザクで(って、これも書いた)、途中ザブングルやらマクロスやらに寄り道するんだけど、けれどなんでかいつもガンダムに帰ってくる。ガンダムというのは、そんな感じの、一周するときっと戻ってくる場所みたいな、そんな特別な感じがするんです。

ガンダムはいったいなにがよかったんでしょうね。子供の頃は間違いなくロボットでした。局地戦に特化されたロボット兵器は、その特化された能力ゆえにわくわくさせて、ジオラマとかが流行っていた時期ですから、模型店の店頭にはかりかりにウェザリングとマーキングの入ったモビルスーツが、背景を背負って本当に格好良くって、私はほぼ素組み派、色を設定どおりに塗って満足という子供でしたが、いつかああいうのが作れるといいなあと思って、ショーウィンドウに張り付いていた。そしていつか作りたいシチュエーション、想像の戦場を脳裏に思い描いていたのですね。

こんな私だから、MSVにははまりましたよ。連邦ではジム・スナイパー・カスタム、ジオンならザク・フリッパーが好みでありました。あと、マインレイヤーとかもわくわくしましたよね。けど、今から考えたら、遠距離砲撃にモビルスーツを使う意味なんてないし、そもそもなんであんな大きな兵器でもって偵察できるだなんて思うんだ? 機雷の敷設だって船舶でやりゃあいいじゃんかって夢のないことをいってしまうのですが、それでも私たちはガンダムが好きなのです。夢のないことをいいあって笑い話にするのは愛ゆえのことなのです。

そして、大きくなっては、ガンダムにドラマ性を見るようになって、以前、KBS京都が年末にガンダムの映画版を一挙放送したことがあったのですが、うちじゅうで食い入るように見て、最後、アムロが落ちるア・バオア・クーから脱出する場面にうちじゅうで感動していた。もうすっかり大人になった姉弟も、もう老いにさしかかろうかという父母も、皆がガンダムの物語に飲み込まれてしまっていた。

ガンダムの物語は骨太で、そりゃあ粗っぽいところもあって、その粗っぽさは主にテレビシリーズ版にこそ顕著であったけれども、でも、それでも人を夢中にさせる力があって、あの年代のアニメは本当に侮れない。真面目にドラマをする。人間臭さを前面に押し立てて、人の死には愕然としておろおろと、ランバ・ラル、リュウ・ホセイ、マチルダ・アジャン、ミハル・ラトキエ、そしてララァ・スン。千々に乱れる心に、最後のアムロの台詞はどーんと効いて、ああやっぱりガンダムは名作だと私なんかは思うのです。

ガンダムのテレビシリーズがついにDVD-BOXになるそうで、きっと私は買えないですが、しかしこれを買うという人は少なからずいるでしょう。ええ、ガンダムは出せば売れるから。けれどそういうガンダムの位置づけを多少かなしむところも私にはあって、心はなんだか裏腹です。

連絡

ごめん、LD-BOX、借りっ放しにしてます。返そう返そうと思っているんですけど、どうも私はいい加減で、本当にごめん。また、連絡します。

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