2006年5月31日水曜日

夜回り先生

  『夜回り先生』は小学館の漫画雑誌『IKKI』に連載されている漫画で、夜学の教員水谷修氏の手記『夜回り先生』が原作です。漫画は土田世紀。あの独特のタッチ、濃密な描写が現場のリアリティをいっそう際立たせて、人間臭さも強烈に押し寄せてきて、引き込まれてしまいます。すごい漫画です。私は目が離せない。そして、こういう現場が日本のあちこちにあるということを意識して、そして意識しながらも見過ごしにしてきた今までを振り返って、恥ずかしい。私は毅然として立ち向かえない。けれどこの漫画に一度触れれば、人間の可能性を信じたいという気持ちが湧き上がって、もし私がこうした場に立ち会うことがあらば、その時は一歩を踏み出してみようという思いもするのです。

しかしなにがすごいというのか。漫画の表現力もそうです。しかしそれ以上に、水谷氏の立ち会ってきた現場の状況が胸に迫ってきて、助けを求めている子たちが街という街にあふれているのかも知れない。人知れず、闇に潜るようにして、いつか助けの手が差し伸べられることを、いつか光の差すことを期待しているのかも知れない。そう思うと、悲しくて切なくて、仕合せのはかなさに思いをいたらせて、誰もが仕合せであればいいのにという思いにとらわれて、けれどただ嘆くだけの私はなんという卑怯者であるかと恥じます。街に出ればいい、瀬に降りればいい。難しいこともあらば、負いきれないこともあるだろう。たくさん、たくさんあるだろう。けれどだからといって、難しいからといって、手をこまねいているのが利口なのかというと、私には決してそうは思えないのです。

『IKKI』2006年7月号。『夜回り先生』にて、水谷氏の言った言葉が忘れられません。誰も待ってくれないと絶望をあらわにする少年に、

待ってるさ!! 俺が待ってる!!

俺じゃダメか…!?

きみにとっては通りすがりのオジさんだ… だけど…俺は通りすぎることができない…

通り過ぎることができない……。この言葉を、いったいどれだけの人が求めているでしょう。この言葉が、いったいどれだけの人を救うでしょう。そして見過ごしにできない、見過ごしにしてはいけないことは、この地上にはあふれています。だから、私もいつか、通りすぎることができず、立ち止まるのかも知れません。

  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生〜ブランコ』(IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第1巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第2巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
  • 以下続刊

引用

  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生』,『IKKI』2006年7月号 小学館,305-306頁。

2006年5月30日火曜日

GV-1 外部ファインダー

 実は外部ファインダーも届いております。

納期は六月末と聞いていたのですが、思いがけず早く届いて、ちょっとラッキー気分。届いたその日に早速とりつけて、自分のカメラがどんどん大げさになっていくのに気を良くして、けれどですね、どんどん装備品は増えていくのだけれど、増えれば増えるだけおもちゃっぽさを増していくのはどうしたものでしょう。全体にこぢんまりとして、地味で、まさかこんなに高性能なカメラだなんてと誰もが驚く実力を持ちながら、本当につつましやか。なんか小振りで可愛らしいカメラを振り回してるみたいにしか思われないから、大げさな感じも威圧感もなくて、本当によいカメラであると思います。

さて、外部ファインダーを付けてみての感想です。正直、自分にはなくてもよかったかな? というのはですね、私はずっと一眼レフを使ってきて、見える絵が撮れる絵というのになれているので、感覚としては液晶モニターの方がピンとくるのです。それに、ファインダー内にシャッター速度やら表示されるのが当たり前だったから、外部ファインダーだけで撮るのには少なからず躊躇があるのです。

けど、電源を入れることなく構図の確認ができるというのは便利ですね。持ち歩いて、ふと気に留めた光景を撮ろうかどうか迷って、さっとファインダーを覗いて確認する。この手軽感は充分に意味のあるものであると思います。残念ながら私はレンズキャップなんて付けてしまってるものですから、ここで電源オン、シャッターを押したら真っ黒の写真ができあがってしまうのですが、けれどキャップをなしで持ち歩くなら、ぱっと確認、そのまま撮影という流れは自然であるなと思います。

ファインダーで確認して、その後モニターで構図を見ながら撮影というのをやっていると、ファインダーの28mm枠よりも広めに写っているような傾向があるみたいだと気付きます。これはもしかしたら、折りたたみ液晶シェードを付けている分、ボディ裏の厚みが増して、ファインダーに充分目を近づけられていないからなのかも知れません。そうなんですよ。ファインダーへの接眼の具合で、見え方はずいぶん違います。眼鏡をかけた知人はこのファインダーは自分には使いにくいといっていて、さいわい私は裸眼生活だからいいのだけれども、眼鏡の人は要注意かも知れません。

ところで、私はカメラを持ち歩くとき、人差し指中指をレンズにそわせ、親指でペンタプリズムあたりを押さえる癖があったんです。この癖は当然GR DIGITAL持つときにもあらわれて、つまり気をつけないと親指でファインダーの前玉を押さえてしまいそうなんですよ。ただでさえ前玉の強く膨らんだファインダーだから、いつか傷を付けてしまうんじゃないかと気が気でなくて、けど傷を付けることを怖れてしまっていたんじゃ意味がないんだから、とにかく傷も味のうちだと割り切って、ばんばん使っていきたいと思います。

そんなわけで、今日の作例です。

Clothing store

Tree, man

Well-lighted place

2006年5月29日月曜日

GH-1 フード&アダプター

 フード&アダプターはもう届いております。

私は実はこのアダプターの質感に関してはあんまり期待していなくてですね、それはもう多分きっとプラスチックのごときものであろうと思っていたのですが、到着して、開けて、手にしてみて、自分の思っていたのはまるっきりの見当違いでありました。アダプターもマグネシウムなんでしょうか。表面はざらざらとして、堅牢な印象があります。味も素っ気もない筒のように見せて、その持ち重りするようなところや、意外な質感。これはいいものであるぞと思いましたね。そして装着してみて、コンパクトカメラのGR DIGITALが、なんだか一眼レフっぽさを身に帯びて、なんだかちょっと可愛らしい。ああ、これなんですよ。このなんかちんまりとしたところがいいのですよ。

以前にもいっていましたように、私はアダプターを常時取り付けて、それはフィルターを使いたいからなのですが、けれどまだ今は日常写真みたいなのしか撮ってないから、PLフィルターの出番はなくてちょっとがっかりです。けど、いずれきっとPLフィルターは使うに違いないのだから、今は慌てず、のんびりと、いろいろを撮って28mmの画角になれていこうというところです。

そうそう、私はこのアダプターに37-49mmのステップアップリングを付けているのですが、これを付けるとフードが簡単に取り付けられなくなるので注意が必要です。私はフードは大げさだからいらないかななんて思って使っていないのですが、もしフードを頻繁に取り外ししたい、フィルターも常用したいという方は、もう少し径の小さなステップアップリング、あるいは37mm径のフィルターを使うという方がいいのではないかと思います。

けれど、フィルターのバリエーションを考えると49mmくらいのほうが豊富だから、ちょっと迷いどころであるのは確かです。

というわけで、作例です。

Crossroads

Street

こうして何枚も撮って気付いたのですが、私の写真はどうも右下がりになる傾向があって、ファインダー内に水平を見つけるよう気を配らないといけないなあと反省しています。

2006年5月28日日曜日

ウチら陽気なシンデレラ

 私は真田ぽーりんの漫画が好きです。出会ったのは『なんちゃってアーティスト』、そして書店で『ウチら陽気なシンデレラ』を見つけて、買ったらそれが大当たり。『シンデレラ』は清掃の仕事をしている四人の女性が主人公の漫画で、形式としては四コマ、毎回をひとつのテーマでまとめるタイプの四コマです。

これが面白かったのは、『天使のお仕事』の時にも書いていましたが、女の子中心で、絵が可愛くって、そして身も蓋もないで、それでですね、男キャラが罵倒されたりひどい目に遭わされたりするとなおよいかと思うからなのかと思います。『シンデレラ』は、まさに私好みの漫画であると言い切ってはばかりません。

(画像は真田ぽーりん『必殺白木矢高校剣道部』第1巻)

けど、真田ぽーりんの漫画における一番の魅力とは、なんといってもみんなが元気であるところであると思うのです。ときには怠惰で、仕事に対していい加減な態度を見せたりするところもありますが、それでも基本的にはまっすぐで元気で、正義感にあふれていて、仲間友人のためにはどんな労もいとわず助けになってくれる。啖呵だって切っちゃう。そういう気持ちよさがいっぱいの、とてもいい漫画を描かれる作家さんであると思っています。

そんな『ウチら陽気なシンデレラ』も第4巻で完結。私は、終わるってことは知っていましたけど、まさかあんなにきれいに流れを作って終わりに向かうだなんて思っておらず、ちょっとしんみりしてしまいましたよ。いや、それ以前にも泣いてしまうようなところはあって、第3巻ではお見合いの回、第4巻では春ちゃんの結婚式の回、思わず春ちゃんの言葉にほろりときて、しかも悪いことにそれが電車の中だったから、けれど私は臆面もなく涙を流してしまって、だってしかたないじゃんか。悪いのはみんなこの漫画を描いた真田ぽーりんです。

そして最後への流れ。四人の昔、今、上司である山田さんとの関係、それらが確認されながら、じわじわと終わりに向かっていって、完結……。『なんちゃってアーティスト』で書いたときにもいっていましたけど、晴れ晴れとした寂しさが感じられて、終わることは悲しいよ、なら別れることはいうに及ばず、けれどその向こうに広がる未来があるのだからしんみりとしながらも嬉しくなって、そういう感じを演出するのがうまいと思います。そして、私は仲間ってのもいいよねえと思うのです。認めてくれる仲間があって、支え合える友人がいて、そうしてはじめて人は輝けるのかも知れないなと、そんな風に思ったのです。

参照

2006年5月27日土曜日

ぽこぽこコーヒー気分

 こんなこといっちゃあなんですが、私は喫茶店たんぽぽの店長さんが好きです。店長さんというのは、表紙に見えるコーヒーポットを手にしているほうの人。さて、私はこの人のどこが好きかというと、まずは身長が145センチというところ。私は背の高い人も好きですが、背の低い人もかなり好きなのです。次に30歳というところ。私は若い人も好きなのですが、ある程度年をとった人の方が好きだったりします。そして有能なところ。そうなんですよ。私はなにかに秀でた人を好きになる傾向があります。なんでもいいんです。けれど、それがその人の好きで選んだものであったらどんなにか素敵だろうと思います。そうなんですよね。やはり自分で選んだ道を全うしている人というのは、とても魅力的に見えるものです。

作者は笹野ちはる。私はこの人の描く漫画は結構なんでも好きなのですが、なかでもどれが一番好きかと聞かれたら、迷うことなく『ぽこぽこコーヒー気分』と答えます。喫茶店という固定されたシチュエーションで、店長と店員がレギュラー。あとの人たちは名前があるのかどうかさえわからず、そうしたミニマムな状況において展開される漫画は、ある種マンネリであり、けれど決まったネタの繰り返しに面白みがあるというのは大変なことであると思います。どこか一味違えてくる。見せかた、アプローチを変えてみる。そうした繰り返しの中で、少しずつ店長である彩さんやウェイトレス智ちゃんの人となり、キャラクターが見えてきて、だんだんと近しく感じられるようになるというのがなにより嬉しいことなのではないかと思います。

思うんですが、こういうプロセスっていうのは、現実の人間関係でも同じなのではないかななんて思います。最初はどんな人かなんてよくわからない。だから日常に垣間見るその人のいろいろをもってだんだんと理解していって、ときには好きになることだってあるさ。日常なんてものは、まずもって同じことの繰り返し、マンネリのリピートであるようなものですが、けどそうした中にもちょっとずつの違いがあって、その違いが面白いのだとしたら、この漫画もそうした面白さを含んでいるのだと思います。

2006年5月26日金曜日

みおにっき / ゆかにっし

  本当なら二日にわたって一冊ずつ紹介したほうがよかったのかも知れませんが、みおとゆかを並べたかったものだから、一度に紹介してみることにしました。『みおにっき』と『ゆかにっし』は、みおとゆかの姉妹が主人公の漫画。同一世界を舞台にしながら、みお視点の物語とゆか視点の物語がそれぞれ展開されて、実をいいますと私はこういう構成が好きなのですよ。しっかり者の妹みおと、どことなく浮世離れした姉ゆかの和気藹藹と楽しそうな関係がなんか嬉しくて、私は本当に好きでした。けれどこの姉妹の物語はこの二冊にて完結。いい引き際だと思いながらも、ちょっと残念に思わないではおられません。

作者は『三者三葉』の荒井チェリーであります。思えば、この人の漫画がきっかけで『まんがタイムきらら』を購読するようになったのでした。この人はきらら系(DV系?)に分類される作家であるのですが、でも漫画の幅は結構広くてですね、一般四コマ読みにも訴えうる可能性を持っているのです。一般向けの傾向を強めた漫画が『みおにっき』で『ゆかにっし』なのですが、それでも完全に一般向けにはなり切らず、やはりDVのりがある点は否めません。でも私は、その境界線上にあるようなこの人の作風が好きなのだと思います。

荒井チェリーの作風はというと、可愛いキャラクターが黒いことをいっているというような、そういうものであると思うのですが、それはこの漫画にも健在で、けれど表立ってそういう部分はあらわれないというのが特徴なのではないかと思います。黒い部分よりも、ぼけがメインといったらいいのか、けど見た目にはとぼけた雰囲気なのにその実黒いというのはなかなかによい味を出していて、そしてその黒さというのが本当に悪いという感じがしないというところもいい味を出していて、そういうどこにも行き着かない、やっぱり境界線上にあるような雰囲気がよいんだろうなというように思っています。

さて、この漫画には『三者三葉』のキャラクターも出ていて、それは桜と竹園の坊ちゃんだけかなと思っていたら、実はそうではありませんでした。ゆかの弟でみおの兄である克樹の友人もどうもそうっぽいなと思っていたのですよ。そうしたら、やっぱりそうで、同じく『三者三葉』の一芽でした。

これが明確にわかったのは、みおにっき、ゆかにっしを一度に買うともらえる(かも知れない)小冊子『みおとゆか』を読んでだったのですが、しかしこの小冊子『みおとゆか』と題されているけれど、実質は『一芽と双葉』って感じでした。少女漫画風に花を背負った双葉が見られるのは『みおとゆか』だけ! 私は、行きつけの書店、グランドビル三十階の紀伊国屋書店にいってもらえました。もらえなかったらいやだなと思っていたので、よかった。というわけで、ちょっとした情報提供でした。

  • 荒井チェリー『みおにっき』(まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 荒井チェリー『ゆかにっし』(まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2006年。

2006年5月25日木曜日

GH-1 フード&アダプター

 今日はヨドバシカメラにいってきました。目的はいくつかあって、その筆頭はハクバの折りたたみ液晶シェードの購入でありました。で、こいつを探して二階にいったり一階におりたり。えらい時間かけて一階で見つけたのですが、こないだは二階にもあったのに。売れてるのかも知れませんね。

さて、もうひとつの目的。それはなにかといいますと、フィルターを買おうと思ったのです。GR DIGITALはいうまでもなくコンパクトカメラであるのですが、実をいうとフィルターの装着も可能なのです。ただそのためにはアダプターが必要。そう。私がカメラ購入と同時にアダプターを注文したのは、ひとえにフィルターを使いたいがためであったのです。

けど、残念ながらアダプターはまだ届いていません。でもアダプター装着時にどういう風になるかの予測はついています。まずは公式GR Blogオプションいろいろ、そして藤原ノートGR DIGITALとステップアップリング。ほら、なんだかいい感じでしょう。コンパクトカメラという感じから、東独やロシア製の面白カメラっぽくなるでしょう? 私はこれら記事を読んで、アダプターに直接、37mm径のフィルタを付けるのではなく、37-49mmのステップアップリングを使おうと決めたのですよ。そんなわけで、今日の買い物は37-49mmのステップアップリング(ケンコー)、プロテクトフィルター(ハクバ)、サーキュラーPL(マルミ)。これに49mmのレンズキャップ(ハクバ)も付けました。いやあ、早くアダプター届かないかなあという気持ちがあふれそうでありますね。

私の写真を見て、空が印象的だといってくれた人がいるんです。

北瑛の丘

北瑛の丘

嬉しかった。で、実をいうとそれにはからくりがある。まあ写真が趣味で風景を撮る人なんかにはいうまでもないことなのですが、PLフィルターを使ってるんですね。これを使うと、空がくっきりと蒼く写って、木々の葉の表面にぎらぎらとした光も落ち着かせることができて、そして水面もクリアになって、風景とるならPLは必須じゃないのかっていうくらいのフィルターなんです。

私はGR DIGITALで風景を撮るなら、やっぱりPLフィルターを使いたいと思った。だから最初からアダプターを買うつもりでいたのです。あのPLを通した空の、深く引き締まった蒼、紺碧、azureが私にはすごく魅力的であるのです。

けど、まさかステップアップリングまで買うとは思ってませんでしたけどね。でも、37mmより49mmの方がフィルターのバリエーションは圧倒的に多いのだから、ステップアップリングはあったほうがきっといいと思います。選択の幅が広がります。

美瑛の丘
美瑛の丘
ファームズ千代田
ファームズ千代田
美馬牛小学校
美馬牛小学校
  • (MINOLTA α-507si, AF24-85mmF3.5-4.5, PLフィルター使用)

2006年5月24日水曜日

折りたたみ液晶シェードDMH-RGRD

 はいはい、今日もGR DIGITALの話題ですよ。どうぞ、いい加減にしろとはいわないでください。なにしろ、そもそもからがネタ不足でしてね、困っていたんです……。

さて、GR DIGITALを購入するにあたり、アクセサリをいくつか同時購入しておりました。外部ファインダー、アダプター、ネックストラップ。このうち、アダプターとストラップは比較的はやく手に入りそうなのですが、外部ファインダーはどうやら来月末くらいまでかかるらしいのです。品薄みたいですね。けど困ったな。これからの日中、光が強い季節、液晶が見えにくいのは困っちゃいます。

だなんてかまととぶったこといっていますが、もちろんこれはちょっとした追加アイテムを購入するための口実に過ぎないのでありまして、それはなにかといいますとハクバ写真産業から出ている折りたたみ液晶シェードであります。正直言葉で説明するのは難儀なので、GR Blogの記事を参照してください。使用感、装着感に関してはM-Lab@WebGR-D専用液晶シェードに詳しいので、こちらも読んでみてください。

今日、日中、Caplio R4でもって薔薇を撮ってみたのでした。

Rose

そしたらですね、結構液晶が見えないのですよ。といってもR4の液晶がどうとかこうとかいうんじゃなくて、そういうもんだというほかないんですが、これはちょっと困るなと思ったのが正直なところです。だから、私は外部ファインダーを購入すると決めていたのですが、それが六月末まで到着しないでは困ります。なにしろこれからいよいよ日差しが強くなろうという季節なのですから。ほいだらしゃあない、前にカタログをもらいにいったヨドバシカメラで見つけていた液晶シェードに手を出そう、とまあそういう単純な話です。

ただ、これ、取り付けに両面テープを使うそうで、こういうのはちょっと好かんかなという感じ。取り付け簡単、取り外しも簡単、みたいなのがいいのですが、まああんまり贅沢はいいません。

多分、外部ファインダーを取り付けたら、シェードの出番はなくなるのではないかと思います。プロテクターだけを残して、なにしろファインダーを覗くのですから、液晶面に鼻が当たるでしょう。別にその程度なら私は気にしませんけど、でもちょっとくらい防護用のなにかがあっても悪くはないとも思いますし、だから思い切ってこいつを使ってみようかなと、そんなわけなのです。

しかし、小型で持ち運び軽便というのが売りのひとつであるGRなのに、ごてごてアクセサリを装着する私というのも変なやつだと思います。なんのかんのいってもギミック好きなのかも知れません。それに、こういうシェードってね、ほら、二眼レフのウェストレベルファインダーを彷彿とさせるでしょう。なんかかっこいいかも、なんて思うんですよね。

2006年5月23日火曜日

RICOH GR DIGITAL

 ついに決断したのです。先達て買おうかどうか迷っていたデジタルカメラ、GR DIGITAL。決断しました。買います。というか、もう注文は済ませたっ! ああ、早まったことをしてしまったんじゃないかと、私はなんだかすごく怖いよ。

購入したのはGR DIGITAL本体、これは当然。それに外部ファインダーとアダプター、そして純正ネックストラップをつけました。あと、SDカードですね。しかし、買うなら夏のボーナス時期といっていたのに、購入を急いだのはなぜなのでしょう。それは、それは、GR Blogが悪い。GR Blogが悪いねん。

購入を急いだのは、まずは受賞記念キャンペーンの存在。えっとね、こないだGR DIGITALがカメラグランプリ2006のカメラ記者クラブ特別賞を受賞しまして、そのお祝いというようなキャンペーンなのです。アダプターをつける際に外すレンズまわりのリングの色違いが作られまして、それをプレゼントということなのだそうですね。ん? アダプターをつける際に外す? さっき、あんたアダプターも買ったってゆうてたやん! そうなんですよね。正直なところをいいますと、私はこれを手にしたとしても使うということはないと思います。

で、本命の理由。リコーフォトコンテストを開催しています。今回のテーマは身近な自然。実をいいますと、私がカメラを欲しいと思った背景には、移り行く季節を見過ごしにしているという反省がありまして、私はカメラを手にすることで、再び季節に目を向けたいと思った。そもそも私がカメラを始めたのも、景色、状況をただ行き過ぎるままに置き去りにするのではなくて、その時、私が確かにここにいたのだという実感を残したいがためだったのですから、今、再びカメラを手にしたいなと思ったのは、行き過ぎる季節に目を向けたい。きっと本当は素晴らしい世界を見ておきたいという思いからなのですね。

だから、このコンテストのテーマは、私にとってはタイムリーであるといってよいかと思います。ただ問題があって、私は自然の写真が苦手なのよね! それと広角も苦手なのよね! で、ずっと一眼レフで撮ってきたからコンパクトカメラってよくわからんのよね! わお、三重苦じゃん。

でも、なにをおいてもまずは数を撮ることだと思います。撮っているうちに、カメラのこともわかれば、私の立ち会いたいと思った世界のことにも気付いてゆくでしょう。高い買い物だったかも知れないけれど、見ているようで世界を見ていないという、空しい視線をそのままにする馬鹿馬鹿しさを思えば、きっとよかったのだと思います。

2006年5月22日月曜日

雨の広場

私は高校生の頃、なんでか児童文学を書く人になりたくて、そうした欲求からなのかNHKの児童向け番組をとにかく見てたのですが、その頃の歌のお姉さんが神崎ゆう子さん。歌がうまくってですね、とにかく素敵なお姉さんでしてね、私は大好きでした、といったらあたかもお姉さん目当てで見てたみたいにも感じますが、そういうわけではないんですよ。

大学に通ってたころでしたか、行きつけのCD店に神崎ゆう子さんのアルバムがあって、けどこれまで聴いてきたような児童向けのアルバムではないみたい。買いまして、聴きまして、全体に雰囲気はやっぱり優しくて、歌のお姉さんのイメージを大きく逸脱するものではなかったのですが、けれどそれでもやっぱり歌のお姉さんというくくりだけでは語れない違った側面も感じられて、素敵なアルバムであるなとそんな風に思ったものでした。

今日の職場へと向かう朝の道、神崎ゆう子さんのアルバム『ぽこ・あ・ぽこ』から一曲がかかって、『雨の広場』。私はこの歌が好きで、全体に土俗的なリズムをそわせ、けれど歌の雰囲気はなんか清浄でしてね、途中突然天を指向するかのようにのぼっていくフレーズの美しさ、広がりったらありません。私はそのフレーズにさしかかるたびに、決まって美しいなあとうっとりする。歌詞がまた強い。水牛が空を見上げ……。

まるで情景が目に浮かぶかのようで、群をなす水牛たちが雨の降る草原に空を見上げて、それはもう荘厳な空気さえ漂わせるような……。祈りに似た気持ちに包まれるかのような瞬間であるのです。

そして私はこの曲にとりつかれて、今日は一日、水牛が空を見上げる情景を心に描きながら、同じフレーズを繰り返していたのでした。美しく、天を仰ぐかの思いを胸に、この歌を繰り返したのでした。

引用

2006年5月21日日曜日

クラウン仏和辞典

 こと辞書に関しては新しいほうがよいのです。時代が新しくなればともない新語も続々と増えて、昨今でいえばコンピュータ関連の用語なんかがまさしくそうで、辞書を引いてもわからないから、オンライン辞書を使って仏英翻訳し、さらにそれを英和訳して、単語の意味を調べるというようなこともしばしば。しかし、インターネットが出現して、本当に便利になったものだと思います。ってまとめてしまっちゃいけませんね。

外国語を、古典を読みたいがために習うのなら新しい辞書は特段必要ではないかも知れませんが、まさしく現在に書かれ、生み出されるテキストに対したいというなら、新しい辞書があるに越したことはありません。だから私も新しい辞書が出たと聞けば、適当な頃合いで版をあらためてきて、クラウン仏和に関しては、第3版にはじまり、第4版は予算の都合でパス、現在は第5版を使っています。ですが、つい昨年末に第6版が出ていたのですね。これは買ったほうがよいのかな、迷いますね。

辞書というのは不思議なもので、使っている間は別にそれほど不満も出なくて、いや違うか、不満は出るんです。だけども、なれた辞書であればそのなれているという感覚があるために他の辞書に移らせない。以前、『広辞苑』や『類語例解辞典』について書いたとき、最初に使った辞書がいわば原器となるというようなことをいっていましたが、だとすれば私にとっての仏和のスタンダードは『クラウン仏和辞典』ということになろうかと思われます。大学にはいって、第一外国語に仏語を選んで、そしてその時に手にしたのが『クラウン仏和』でありました。これ、きっと、『クラウン仏和』の編集に携わってらっしゃる天羽均先生がためでしょうね。うちの大学にですね、天羽先生が教えにいらっしゃってたんですよ。だから、私も先生に仏語を習っていました。その頃に使っていたのが第3版で、大学を卒業してもまだ第3版を使っていたのですが、卒業して数年して第5版が出るというのを聞いて、急いで買った。それからもメインの仏和として(つまり他にも仏和を持っています、二冊も!)『クラウン仏和』を使ってきて、やっぱり一番馴染んでいるのはこれかなあと思うことが多々あります。

いったいどこがいいというんでしょうね。残念ながら私にとっては『クラウン仏和』は、あくまでもスタンダードであって、普通であるから、どこがいいかとかはよくわからないのです。この辞書になくて違う辞書にはあるというものはすぐに思い浮かんでも、その逆というのは思い浮かばない。それはこの辞書が私にとっての基本形だから、この辞書にあるうちは他の辞書を使わない。だからわからない。そんな感じになってしまっています。

この辞書は学生時分から使ってきたから、巻末の活用表なんてのも結構覚えていて、頻出の不規則変化動詞の番号とか覚えてしまっていて、最近ではいちいち巻末付録に頼らなくてもなんとかなるようになりましたから忘れつつあるのですが、正直一時期などはこの辞書でないと不便だ、と思うことが多くて、だからやはり私にはこの辞書がスタンダードだという話であります。

初学者から中級者にかけて、まずは『クラウン仏和辞典』を手に取って大丈夫であるというように思います。それは私がたどってきた道で、とりわけ不都合を感じなかったのですから、きっとこの辞書で大丈夫なのだと、そんな風に思っています。

2006年5月20日土曜日

RICOH Caplio R4

二銭銅貨』のたとえもあります。私は五千円やそこいらを始末して儲けた気になろうだなんて思いたくもないのです。

なので、駄目元でR3をR4に換えることはできませんかと、受け取りの店頭で聞いてみたのです。そうしたら、たまたまR4が一台だけあって、いいですよ。かくして、R3はR4になったのでありました。

ただひとつ望み通りでなかったのは、ボディカラーが黒しかなかったということ。できればシルバーを選びたかったのですが、でも仕方ありません。シルバーボディのためにR3にするか、それとも機能を選んでR4か。そこで私は機能を選んだのですね。それにそもそも、私はカメラは黒い方がいいと思っているのです。ほら、写り込みとかを考えると、黒の方が有利ですから。ちょっと保守的ではありますけどね。

予定外のことといえば、斜め補正モードについてはちょっとがっかりさせられて、というのはですね、画像サイズが限定されるのです。せっかくR4を選んだのだから、2816 × 2112を使いたいというのが人情ではありませんか。けれど斜め補正モードに関しては、1280 × 960ないしは640 × 480に限定されるのです。だから、やっぱりこのモードというのは、メモ用の機能なのでしょうね。時刻表だとかを撮って、画像メモに使う。そういうための機能であると理解しました。

でも、この他に関してはおおむね良好。基本的な操作はわかりやすいし、撮影時に迷うということも少なそうで非常に好感触です。ボディが小さくて頼りないかというとそういうこともないですし、ただフラッシュを指でふさぎそうとか、電源投入時にレンズを押さえてしまうとか、そういうことはありますが、このへんは慣れでしょうね。盛んにいわれているレンズの動作音に関しては私には気になりませんでしたし、肝心の写りに関しても素直でいいと思います。

ただ、やっぱりこれはカメラ好きのためのカメラではないです。シャッター速度や絞りの量を合わせて撮るというような人にはきっと物足りない。基本的にAEで撮る。露出補正は+2.0〜-2.0EVの範囲で選ぶ。こういう割り切りで撮るためのカメラであると思います。物足りないと思うような人は、GR DIGITALあたりを選ぶべきで、ズームが必要ならGX8でしょう。けど、普通に気軽に撮影したいというような場合には、R4で充分すぎるくらいの性能があると思います。

というわけで、私には珍しく作例を紹介したいと思います。今日の朝兼昼食のペペロンチーノです。作ったのも私です。

Spaghetti Aglio, Olio e Peperoncino

引用

2006年5月19日金曜日

だからパパには敵わない

私は遠藤淑子には詳しくないのだけれど、この漫画にはなにかびびっとくるものを感じて、ほぼ衝動買いしてしまったのでした。ほぼというのはなにかというと、見つけたその日には手持ちがなくて、お金を用意して翌日買ったということ。大抵のものなら、一日たつと別にいらなくなるんですが、この漫画に関しては、一日たっても欲しい、読みたいという気持ちが消えませんでした。そして購入、読んでみて、やっぱり買ってよかったと思いました。

なにがいいかというと、血の繋がらない娘と父の微妙な距離かも知れません。父は娘を溺愛していて、娘はというと父に素直にはなれないのだけれども、その割りにはどことなく甘えていて、そのどちらもがはっきりとは明らかにしようとしない心のうちが折りにふわりと浮き上がってくる。そのやわらかな描かれかた、それがすごく素敵であるなというように思ったのでした。

どの話もストーリーが淡々としていて、結構書く人が書いたらドラマチックにもなりそうな筋なのに、淡々として地味で、まるで他人事をなぞるみたいによそよそしいのですが、けれどそうした点があまり気にならないというのは、そもそもが筋を読ませる類いの漫画ではないからだと思います。『だからパパには敵わない』そして収録の他短編にしても、読ませたいのはヒロインとヒロインに繋がる人の心の揺れであるとか、思いの滴であるとか、そういうナイーブで柔らかいところなのだとわかります。いつもは反抗的な娘が父に見せる素直な表情、いつもはどことなく茶化してはしゃいでいる父の見せる真摯な面立ち。ずっとどこかにギャグを交えてきたコメディからシリアスに転換するポイントが用意されていて、私たち読者も自然にそのポイントを通過して、今までの動揺の奥に隠されていた穏やかで落ち着いた気持ちの確かに繋がるところを目撃するのです。

派手さはないけど、ドラマチックな演出も弱いけど、そのかわりに心の安らぎを得られるような漫画であると思います。そして多分、私はこういう漫画が好きです。いつの間にか心が漫画に寄り添おうとしている、そういう思いのする話が好きなのだと思います。

2006年5月18日木曜日

楽しく弾こう! 大人のエレキ・ギター

 昔、エレキギターを弾くと不良だといわれた時代なんてのがあったと聞きますが、そうしたエレキ世代もすっかりいいお父さんになって、定年を迎えたりして、このごろやっとゆとりが出来たりしまして、若いころにやりたくてはたせなかったエレキの夢よ、今一度。憧れのギターを手にしようという人はきっと多いのではないかと思われます。

NHKの趣味悠々で開講されている『楽しく弾こう! 大人のエレキ・ギター』などは、まさにそうした世代に向けられたメッセージなのでしょうね。扱われている曲というのも、GSやベンチャーズという、まさに私の父が若かったころに流行っていた、そうした音楽ばっかりです。はっきりいって私の父なんかは狙い打たれた世代真っ直中なのですが、残念ながらプライドが高いのかなんなのか、ギターを手にしようという気はないので困ります。若いころやりたかったんだなんていうなら、今からでも始めればいいのにさ。

実をいいますと、放送が始まる前にこの本を書店で見つけていたのですが、その時は見送ったのですよ。悩むことは悩みました。けれど私は残念ながらベンチャーズ世代ではなく、GS世代でもなく、つまり、これだっという決め手に欠けていたのですね。だから、最初にいったように、この番組およびテキストは特定世代を狙い撃ちするものであって、そこからはずれた世代にはあまり訴えないだろうというように感じます。

けど、テレビを見て驚きました。私が見たのは『十番街の殺人』の第一回なのですが、講師である小松久氏が弾いているのを見て、おいなんだこれ、妙に難しいじゃんか。ちょっと見てそれとわかるくらい、しっかりした曲をやらせて、しかもそれを二週で完成させるの? 生徒さんはというと、そこそこは弾かれるのだけれども、そうはいってもテレビだからか緊張して固くなってらっしゃって、いやあそれ以前に難しいって。二週間じゃむりだって。思わず突っ込み入れずにはおられないような難度なんですね。

だからテキストを買ってしまいました。でも、これやっぱり初心者向けの内容じゃないですよ。一番最初の曲、『亜麻色の髪の乙女』ですが、いきなりピッキングアルペジオってなんだい。難しいってば。いきなりやらせる内容じゃないですよ。

といいながらも、なんか私はわくわくしてて、しくじりましたね。つべこべいわずにテキストを買って、番組も見ておけばよかったと本当に後悔します。絶対面白かったと思う。私はエレキよりもアコースティック寄りですが、それでもきっとためになったに違いないと、そんな風に思うんですね。まあ、テキストは買ったから、独習でなんとかするさあ。

2006年5月17日水曜日

窓ぎわのトットちゃん

 トットちゃんというのは誰かというと、日本人ならまず知らない人はいないんじゃないかというほどの知名度を誇る黒柳徹子さんであります。黒柳さんが過ごした少女時代をつづったのが『窓ぎわのトットちゃん』。最初の小学校で、授業中、窓ぎわにたってちんどん屋さん呼んでみたり鳥に話しかけたり、そうしたエピソードがタイトルになっています。

この本、ものすごいベストセラーになったのでした。1981年の刊行だから、私が八歳の頃かな。母が、私たち姉弟の寝る前に読み聞かせてくれたのをはっきりと覚えています。オレンジの傘の電気スタンド、その灯に集まって、トットちゃんのわくわくするような少女時代を追って、すごく楽しかったのです。最初の学校をやめさせられて、次に行った学校。古い電車が校舎になっていて、時間割もなくて、そうした自由な時間の中で自分でやることを選んでいく。すごく楽しそうだ、まるで夢の国のできごとみたいだ。その頃は私もまだ学校を嫌いではなかったのですが、でもどんな子供でも憧れてしまうような夢の学校の姿があったのでした。

しかし、この本を見てみる限り、黒柳さんはとんでもないお子さんだったようで、私もかなりのやりにくい子だったろうと思いますが、その比ではない。私、立ち歩きとかしなかったものなあ。でも、こうした自分の世界がとっくにできあがっているような子が、その世界をさらに広げられるような場所に出会って、その出会いや巡り合わせというのが素晴らしいよねって思うんです。学校に通う毎日が、冒険や発見にあふれた特別な日だったのだろうと、そういう雰囲気がひしひしとします。私は今の自分のていたらくを通ってきた学校のせいにはしませんが、それでももしトットちゃんの学校、トモエ学園に通えるものなら通ってみたかった。そんな憧れは今なおあります。

しかし、私がこの本で覚えているエピソードというのがトイレ絡みばっかりというのはどうしたもんでしょう。トイレに財布を落としたから長いひしゃくで汲み取りからすくっていったとか、あるいは新聞紙がかけてあった汲み取り口に飛び込んでしまった話なんてのもありましたよね。なんか、すごいリアリティをもって思い出されるのはなんなんでしょう。やっぱり子供はそういう話が好きなんでしょうか。

友達がいっぱいいらっしゃったとか、プールが楽しそうだったとか、そういうのも思い出されますね。そうですよ。やっぱり学校が楽しかったのでしょう。自由で奔放で、けれど守るべき約束があって、その中で子供は育ったんだなあ。この本を通して、私はトットちゃんとまるで同級生みたいな気持ちになって、だから昔も今も黒柳さんのことが好きなのです。

今日、テレビでね、黒柳さんのこうした話が放送されていたんです。むかし学校のあった場所に行って、むかし、関係のあった人たちに話を伺って、写真なんかも見て、私はそれをまるで自分の昔を振り返るみたいにして懐かしんで、ほら、やっぱり好きだったんですよ。黒柳さんを通して、私の心もトモエ学園にあったのだと、そんな風に思います。

2006年5月16日火曜日

上海問屋SDカード

デジタルカメラを買うなら、一緒に買っておきたいのは記憶メディアであろうかと思います。私はこれまでデジタルカメラを買おうかどうか迷いながらずうっと見送ってきて、その原因のひとつはメディアがいろいろあってよくわからないというものでした。そうなんですよ。CFだとかSDだとか、私はよくわからない。けど、なんとなく選んだCaplio R3がSDを採用していて、なんか気付けば2GBとかもあって、すごいですね。と、今更ながらに驚いています。

さて、このメディアの問題というのは種類の多さもあるけれど、値段の高さというのもありまして、数千円から一万円以上、とにかく高くて閉口します。けど、小容量のものをちまちまと使い回すのもみみっちいしなあという気もしまして、できれば大容量のが欲しいよね、と思っていたら、なんと1GBが四千円ほどで買えるまで値下がりしているんですね。これにもまた驚きましたよ。すごい時代になったものだと思います。

さて、私のいっている安いSDというのはどんなのかといいますと、EVER GREENのWebショップ上海問屋が扱っているオリジナルSDカードのことであります。中身は台湾A-DATA製であるということですが、とにかく安さが際立っていて驚かされます。メーカー品の半額くらいなんじゃないのかな。とにかく安くて、一度試してみる価値はあるなとそんな風に思える値段であります。

けれど、安いというのは品質にも反映するのか、いろいろ見てみれば認識されなかったり不安定だったりというような意見もあって、けどそうかと思えばなんの問題もないよという人もいるから、本当に当たり外れなのかも知れないですね。私はこういうものに関してはあたりを引くことが多いようなのですが、今度は果たしてどうでしょうか。ちょっとドキドキしますね。

上海問屋オリジナルSDのありがたいところは相性保証を謳っているところであろうかと思います。買ってみて自分のカメラでは使えなかった。そういうときには返品可能なんだそうです。これはありがたいことだと思います。それに五年保証。そのうえ、データ復旧ソフトまでついてくる。いや、こうしたソフトがついてくるというのは消えるとか見えなくなるとか、そういうトラブルが多いせいなんじゃないか、みたいなことを考えたりもして、つくづく自分の裏読みには辟易しますが、こうしたソフトが必要になることがなければ一番、また仮にあったとしても、転ばぬ先の杖でありますから、勉強にもなろうというものかと思います。

さて、私が買ったのは60倍速の1GBで、これなんと東洲斎写楽の絵がついてくるんですね。いったいどういう料簡なのか、ここのSDは浮世絵だったりお守りだったり、よくわからないこりようをしていて、件の係長がいうには、カメラに入れてしまえばわからねえよって、つまり係長はご愛用なのだそうですが、とりわけトラブルに見舞われたこともないらしいのです。こうしたことを聞いて、踏み切った次第です。

あ、そうじゃ。実はもう一枚買いまして、それは150倍速256MBでして、なんでかといいますと、これが安産なんですよ。なので妊婦の人に送ってやろうかとそんな魂胆です。で、あわよくば縁結あたりで返ってきたら最高よな、ってそんな期待しても無駄だってわかってるから、見返りなんて求めちゃいないですけどね。

2006年5月15日月曜日

RICOH Caplio R4

 ああああああ、しくじりました。先日、母のためにカメラを買ったといっていましたが、そのカメラというのがRICOH Caplio R3だったのですね。それで、件の係長に報告をしまして、そうしたらR4じゃないの? っていわれてしまいました。ああ、そうだ。あの時、話題に上ったカメラというのはR3じゃなくてR4だったんだ。しくじりました。

R3とR4の現時点における価格差というのはだいたい五千円くらい。結果的に型落ち品で安くすませたみたいになってしまって、私はちょっとショックですよ。別に、これは自分の買い物ではないのだから、安く押さえようだなんて気はなかったんです。あああ、くやしい。だから、その差額分でSDカードを買うことにしました。これで少しは気が晴れます。

なんか変だなという気はしていたんですね。R3の在庫を確認したら、もうないというところが結構多くて、人気商品なのかも知れないけど別に新発売でもないんだし、変だなと思ってたら、そうですか、単純にモデルチェンジ時期であるからというのが品薄の理由だったんですね。

R3とR4の違いはといいますと、まず大きなところでは画素数。R3が513万画素ならR4は604万画素。あとは液晶が見やすくなったとか、電池の持ちが多少よくなったとか、そういうマイナーチェンジが施されているみたいなのですね。正直、差がそれほど致命的でなかったからほっとしているのですが、けど本当に買い物をするときにはよく確認をしないといけないのだなと思いました。

R4にはR3よりもちょこっと機能が増えていますが、本当にちょこっとだけで、正直自分にはいらないような機能だから特になんとも思わないので助かりました。母にしても、あまりいろんなモードを使いこなしてということもなさそうだから、大丈夫でしょう。それよりも、レンズやシャッター等々のカメラとしての機能がしっかり同じであったことが私には嬉しいです。これはすなわち、カメラとしてはR3でひとつのかたちをなしていたんだろうなとそういう風に思います。

けど、もしR3とR4を勘違いしていなかったとしたら、私は間違いなくR4を選んでいたと思います。だって『二銭銅貨』のたとえもあります。私は五千円やそこいらを始末して儲けた気になろうだなんて思いたくもないのです。

2006年5月14日日曜日

天子様が来る!

 天子(てんこ)様は神秘のインスタント食品の精 湯気とともに現れて願い事をひとつだけ叶えてくれるよ このフレーズは実に私のお気に入りでありまして、そもそもインスタント食品の精ってなんですか!? 気概のあるんだかないんだかよくわからない脱力設定に、私はすっかり虜になってしまったのでありますが、もちろん面白いのは設定だけじゃなくて漫画本編もかなりのもの。インスタント麺の紙蓋をめくったらあらわれる天子様のキュートさも素晴らしければ、そのとぼけた仕事ぶりも素晴らしく、あはは、そりゃないよー、というような脱力系笑いが疲れた現代人の心を潤してくれます。ちょっといいすぎかな? けど、ナンセンスの裏に人生の悲しさがちょっと忍んでて、私にはとても好きな感じなのでありますよ。

しっかし、地味な表紙ですよね。こないだ紹介しました『いつも心に太陽新聞』に勝るとも劣らない地味っぷりで、この二大地味表紙を連続させなかったのは私の不徳のいたすところというほかないですね。

しかし一見地味で、中を見てもやっぱり地味なこの漫画、この地味さゆえの面白み、おかしみというのが追求されていて、本当にいい味が出ていると思います。どんな願いだって叶えられるほぼ万能の天子様を前にしてるというのに、素っとぼけた願いを連発する登場人物たちの善良さ。何度も天子様に会って、何度も願いを託しているというのに、うまくことが回らない準レギュラーたちの悲しみ。人間の無力ゆえに悲しくおかしいところがよく出てるよなあと、一種チャーリー・ブラウンの漫画『ピーナッツ』に通じるものがあると思うのです。

でもまあ、そんな大げさに考えて読むような漫画じゃないですね。天子様が出てきて、どんな素っとぼけた願いの叶え方をするのか、その意外性や脱力っぷりに笑うというのが基本で、それでもし天子様が自分のところにあらわれたら、みたいなことを夢想して楽しんだら面白いかも知れない。

というわけで、今月号(2006年6月号)の『まんがタイム』には、天子様が読者の願いを叶えますというスペシャル版が載っていたのですが、それを見てみたらきっと天子様にお願いするのはやめておこうと思えること請け合い、けどよく真っ向からの願いをいなしておかしみに変えるものだと感心するやら笑うやら、でした。

とにかく肩透かしのうまさが利いている漫画だから、読めば肩の力も抜けるかも知れません。老若男女問わず万人に勧められそうな懐の広い漫画ですが、私みたいなやつが読むのにいい漫画じゃないかななんて思います。

  • 安堂友子『天子様が来る!』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社.2006年。
  • 以下続刊

引用

2006年5月13日土曜日

RICOH Caplio R3

 リコーのデジタルカメラGR DIGITALを欲しいんですよ、と係長にいったらいつ買うの? 明日買うの? っていわれて、いやあすぐには買いませんよとかいいながらインターネットをふらふら。そして係長が見つけたのがRICOH Caplio R3。GRに比べるとずっと一般向けのカメラで、ズームもついてるし、小さいし、画素数はちょっと少なめだけど、けれど面白機能が搭載されているんです。それはなにかというとななめ補正モードなんですが、これ、どういう機能かといいますと、看板とかを撮影したときに、きちんと四角になるように補正してくれるんです。言葉で説明するより実際に見てもらったほうがずっとわかりやすいから、ITmediaの記事を紹介しておきます。

私は写真は写真を撮るため以外に使わないからわからなかったのですが、人によってはメモ代わりにカメラを使ったりしますよね。例えば時刻表を撮ったり、旅行先なら名所や施設の案内看板を撮ったり、そういう用途を知ったときにはちょっとカルチャーショックで、この機能はありかも知れないなあと思ったんですね。で、次にぴんときまして、私の母は絵を描くのですが、結構大きな号数になると、きちんとまっすぐ正面から撮るというのも難しくなってくるようでしてね、結構台形になってたり斜めになってたりして、だから絵の記録用途にこの機能はきっと役立つんじゃないかと思ったんです。

以前うちでGRが欲しいと思っていると話したときに、ズームのないようなカメラは駄目だといわれたのですが、このカメラは35mm版換算で28mm-200mmという高倍率ズームを搭載していますし、F値もF3.3-F4.8とちょっと暗いもののめちゃくちゃ暗いということもない。それに手ぶれ防止機能もあるから、本当に必要充分機能をそつなくまとめたカメラという印象があります。ああ、このカメラは結構いいんじゃないかななんて思ったりしているんです。

じゃあ、GRは買わんの? と問われれば、いやきっといずれ買うと思いますよ、と答えます。つまりCaplio R3は私用のカメラじゃなくて、母が使うのによいと思うんですね。GRみたいなちょっと癖のあるカメラは、写真を写真として撮りたい人向けのカメラだと思います。そうじゃなくて、写真を多用途に撮りたい人にはCaplio R3がよいのだろう。これが私の結論なのであります。

2006年5月12日金曜日

少女探偵金田はじめの事件簿

 私があさりよしとおの漫画に出会ったのは中学に通っていたころで、なんか独特の表現、ひねてて皮肉も利いてて、そうしたのが独特の丸み、柔らかさを帯びた絵で展開されて、なんというんでしょうね、シュール? 私にとっては好きな作家なのですが、一般層への浸透というといくつも疑問符がつくくらいにマイナーで、漫画をかなり読む人ならば知ってる可能性は高いとはいえ、普通の漫画読みなら知らないかも知れないくらい。けど、面白いんだけどなあ。

あさりよしとおの面白みというのは、シニカルさ辛辣さもそうなのですが、少々ブラックに寄り気味(寄りすぎ?)のパロディであるとかジョークでしょうか。氏の科学に対する造詣、愛、思い入れが光とすれば、それらと引きあう影がこうしたかたちをとるのでしょう。けどさ、その光も影も両面が面白い。まあ、読む人は選ぶんですけどさ……。というわけで、『少女探偵金田はじめの事件簿』は明らかにあさりの影の部分が反映された漫画であろうと思います。

基本は探偵もののパロディで、ヒロインが金田はじめ、つまり金田一で、これは横溝正史を引きながら、同時に『金田一少年の事件簿』も視野に入れているのですが、多分これは後者の方が強いんでしょうね。でもって、強引な推理やらで事件を解決するのは後者に同じでありまして、しかしそれが推理の体をなしていないというのは特筆すべき特徴なんではないかと思います。というか、端から推理ものを真面目にやるつもりなんてないんじゃないかというのがありあり出ていて、推理ものにかこつけてブラックなギャグをやりたいだけなんだこの人は。けどそういうのが面白いんだもの、しかたがないですね。

金田一以外にも探偵は出てきて、それは例えば江戸川乱歩の小林少年、そしてアガサ・クリスティのエルキュール・ポワロ。しかしどちらも最悪だ……。特にポワロ……。

あさりよしとおの漫画では、自分の異常さ加減に気付いていないとんでもないのが無茶をやって、それに振り回される常識人という形式が王道なのですが、この漫画では当初常識人代表が警部であった。しかし気付けば金田も常識人組に組み入れられて、この何気ない移行はちょっと面白いかも知れません。けど、全体を見渡す限り、あさりよしとおの真骨頂は発揮されずに終わったのかも知れないなあとも思います。後書きにもちょっとあったけど、得意ねたを出せなかったのが大きいのかなあ。ともあれ、そのへんはちょっと残念なことであろうと思います。

2006年5月11日木曜日

前略、テレキャスター様

 ローリングストーンズのキース・リチャーズといえば、ロックファンにとってはちょっと外すことのできないビッグネームであると思うのですが、しかしこの人ってなんというのか、危なっかしいというか、目が離せないというか、まさにトリックスターであると思うのです。そのキースがですよ、なんと事故でけがをしてその再起さえ危ぶまれているというではありませんか。そのニュース、記事のタイトルが『木から転落したストーンズのK・リチャーズ、演奏無理か』というもので、木から落ちた!? いったいどういうことかと思って記事を読んでみたら、リチャーズさんはフィジーで休暇中にココヤシの木から落ち、頭部を負傷。ニュージーランドのオークランドにある病院に入院しているのだそうで、しかしいったいなんでこの人は木なんかにのぼったんだ。私はちょっと頭を抱えてしまいました。

しかも、その怪我というのが結構重いようで、

リチャーズさんは脳の血腫を除去する手術に続いて、頭蓋(ずがい)骨の一部を取り除く手術も受けたが、脳に損傷が残ったり、体の一部がまひしたりする恐れがあると医師団はみているという。

結構ショッキングなニュースですよ。その後の報で、「手術は[略]100%成功した」「脳障害はなく、順調に回復している」と伝えられて、一旦は安心。けど、本当にキースはちゃんとしてくださいよ。そもそもなんで木なんかに登ろうと思ったんでしょう。多分、のぼりたかったんでしょうね。どうしてものぼりたかったんでしょうね。しかし、本当にお体には気をつけていただきたい。だって、前だって、日本公演の時、急にキャンセルしたかと思うとその理由というのが、弦を指に刺してしまって腫れたからでしたっけ? とにかく本当に、やんちゃな人だなあという話で、それゆえかとにかく憎めない人だなあと思うのです。

さて、そんなみんなに愛されるキース・リチャーズといえばテレキャスターという印象で語られることも多いようで、6弦を抜いてオープンにチューニングしたテレを弾くキースというのは実にひとつの確固たるスタイルであります。と、そんな理由でえい出版から出たテレキャスター本『前略、テレキャスター様』はちょっとしたキーストリビュートの様相を呈しておりまして、本当にキースは愛されているのだな、ロックを語ろうというときに欠くことのできないギタリストのひとりであるのだなと感じたものでした。

だから、どうかキース・リチャーズには御身を大切にしていただきたい。今回の怪我にしても、なにごともなかったように復帰していただきたいものだと、そんな風に祈っています。

引用・参考

2006年5月10日水曜日

いつも心に太陽新聞

 師走冬子というと『スーパーメイドちるみさん』が代表作になるのだと思うんですが、実は私にとってはそうではなくて、なにしろ私はラブリー読みからスタートしたものですから、つまりは『女クラのおきて』の方が印象が強かったりします。『女クラ』がはじめてラブリーに掲載されたときの印象は最悪で、なんじゃこの勢いばっかりの設定漫画は、だなんて思っていたのですが、気付いたら好きになっていたというのですから、人間の好みというものはいいかげんなものです。さらにいうと『スーパーメイドちるみさん』の印象も最悪で、なんじゃこりゃメイドものか、はやりに迎合しおって、なんて思っていたら、いつの間にかうちには全巻そろっていて、もうなんていい加減なんだろう私という人間は。ひとしきり反省します。

そんなわけでいつも悪印象からはじまる師走冬子の漫画ですが、『いつも心に太陽新聞』に関してはそうした悪印象はなくて、というのはですね、私はこの漫画のはじまったころを知らないのです。『太陽新聞』の連載されていたのは『まんがタイムナチュラル』で、私は『ポップ』は買っていましたが『ナチュラル』は買っていなかった。これ、今から考えると大きな落ち度でありまして、『ポップ』に手を出すのなら等しく『ナチュラル』も買っとけよ。けれどその頃はまだ全誌買いなんてことをやってなかった時代で、だから迷いつつ見送ったのですね。

だから、私がこの漫画を読んだのは『ナチュラル』がなくなって後、掲載が『スペシャル』に移行してからですね。その頃には絵柄も路線もキャラクターも全部かたまっていて、それゆえかスムーズに抵抗なくはいっていくことができて、面白かったですね。面白かったですよ。師走冬子特有の突飛な設定も多少はあるとはいえ、他の漫画に比べればずっと薄いし、その分漫画のもつ表現も薄めなんですが、だからといって面白さまで薄味というわけじゃないんです。私にはいい味付け加減で、全体に薄味気味だけどうま味はしっかりしてますよという、そんな感じの漫画です。のんびり寝転がって、ほのかな笑いが欲しい休みの午後なんかには、本当にうってつけの漫画なんじゃないかと思います。

蛇足

それはこばとだっ。けど桜木先輩もきっと好き。

2006年5月9日火曜日

使い方の分かる類語例解辞典

 どんなものにしても、一番最初に使ったものが自分にとっての原器となるのかも知れないと思うことがあります。私にとって、例えば辞書なら『広辞苑』で、記憶にはっきりと残る出会い方をして、何度も何度も引いたというその経験が評価尺度の基準になっています。だとしたら、私にとっての類語辞典の基準とは小学館の『類語例解辞典』なのではないかと思います。

私がはじめて使った類語辞典は、システムソフトエディタというソフトウェアに同梱されていた電子辞書で、それが『小学館類語例解辞典』だったのでした。最初はいったいどんなものだろうかと思っていたのが、使ってみたらこれは本当に便利なものでありまして、レポートにせよ論文にせよ、そしてサイトに載せる記事にせよ、文章を書く際に大いに役立ってくれたのでした。

けれど、システムソフトエディタというのも古いソフトだから、私の今使っているOS X上では動作しないんですね。だからこのお気に入りであった『類語例解辞典』は今はもう使えないんです。辞書のデータが汎用形式だったらよかったのにと思ったりして、また私に技術があれば、なんとかこれを見られるようにしたいとも思うのですが、なにぶん私にはそういった技術がないものだから、残念に思いつつ見送っておるのです。

この辞書は、言葉をその意味に従ってカテゴリー分けしていて、私はそういったタイプの類語辞典しか知らないのですが、どうもこういうやり方というのはちょっと画期的な方法だったみたいですね。十進分類みたいに三桁の数字がふられていまして、代表的な語句が見出しになり、そして類語がたくさん書かれている。また、を見よ参照もあり、違うカテゴリーに移動しながらよりふさわしいと思える言葉を探すというのも可能でした。

私がこの辞書を使っていた期間というのは意外に長く、OS Xに移行したのが2003年のことだから八年ほど使っていたのですね。だから、やっぱり私には類語辞典といえば『類語例解辞典』となっているようで、実は講談社の『類語大辞典』を持っているのですが、昔使ってたやつの方がしっくりきたなあと思うことが実に多くて弱っています。

類語辞典を欲しいと思うのは、こうした文章を書くときもそうですが、短歌を詠むときなんかが実にそうで、あれはとにかく三十一文字で表現しないといけないから、語彙力が求められるわけですよ。でも、私はそんなに言葉を知らないもんですから、ときには辞書に頼りたい。けれどしっくりとくる言葉が見つかることなんて実にまれで、もしあの時のあの類語辞典が手もとにあったらばなんて思う、のですね。

辞書だらけになってしまうかも知れないけど、一冊買っとこうかな。どうしようかな。

2006年5月8日月曜日

広辞苑

 子供の頃、立ち読みの漫画雑誌で見覚えて帰った『広辞苑』という名前、とにかくそういう名前の分厚い辞書があるらしいと知って、私は親にねだりました。そして買ってもらったんですね。その頃はまだ第3版で、奥付見れば昭和58年12月の第1刷とあって、とすると私はまだ十歳ですね。ということは、広辞苑とつきあってもう二十年以上経つというわけで、思えば長いのかもなあ。人生の半分以上、辞書といえば広辞苑というスタンスでやってきて、とにかく小中高は広辞苑で全部済ませました。大学に入っては第4版のCD-ROM版に移り、院を出るときに第5版を買って今に至る。とにかく、常に傍らには広辞苑があった。だから、私の日本語のベースには、少なからず広辞苑ひいては岩波の影響があると思います。

広辞苑は説明するまでもないほどに知られた日本語の辞書で、ちょっとした権威といっていいくらいの扱いを受けていることに関しても知られているでしょう。そもそも私は、ただすごく分厚いと聞いて欲しがった子供でしたからそうした権威についてはまったくといっていいほど意識せず自然につきあっていたのですが、でも他の子供が小さな辞書を引いているときに私だけは大きな辞書を使って得意げだったのだから、やはり広辞苑は権威だったのかも知れません。ただそれが世間一般にいう意味とはかけ離れているとはいえども、子供心に得意だったのです。

広辞苑はなにが面白かったんでしょう。広辞苑以前には、子供向けの図鑑が好きで、とにかくぱらぱらとめくって絵を見て、説明を読んで、それだけで楽しかった。ところが広辞苑は、挿絵もあれどやはり文字ばかりで、じゃあそれを子供の頃の私は読んだのかといえば、読んだんですね。小さなころからの習い性で、適当に開いたページを軸にぺらぺらとページをめくり、興味のある項目を読んで、それだけでも楽しかった。思えば、知ることの喜びは図鑑に始まり広辞苑に育まれ、そして今もなお私の中にうずいています。

私が大学に上がって、その頃にはいろいろ大きな辞書が整備されていたころだから、岩波の広辞苑だけが権威ということはなくなって、むしろその歴史のあるということは、説明や用語の古くささ、硬直を問題にされるようになっていたように思います。その頃、私も含めて皆がよく使っていたのは講談社の『日本語大辞典』で、けど私はこれは図書館で利用するのが関の山で、ちょっと買うにはいたらなかった。そして、新語に弱いといわれた広辞苑がその弱点を克服すべく短期間に版を重ねて第5版となり、結局広辞苑に手を出したのだから、私はやっぱりこの辞書が好きなのでしょう。

今、私がメインに使っている辞書は広辞苑第4版で、それに新辞林を併用しています。やっぱりひとつの辞書だけではあやういことを私もわかってるんです。で、なぜ第4版なのかというと、CD-ROMの便利さゆえというやつです。じゃあ、冊子の第5版はどうしているかというと、短歌やなんかを詠むさいに使う。やっぱり手でもって引き、巻末の活用表、仮名遣いなども参考にし、それぞれの用途で使い分けているのです。

2006年5月7日日曜日

メヌエット

  私が先日カラオケにいったときのこと、山崎まさよしの『メヌエット』を歌って欲しいといわれまして、残念ながら私はその歌は知らないんです。けど調べて仕込んでおきますよと答えて、調べてみたらゲーム『ロマンシング・サガ Minstrel Song』の主題歌なのですね。ミンストレルというのはヨーロッパ中世の音楽実演家でありまして、吟遊詩人と理解してもいいと思うのですが、すなわち『メヌエット』という歌はそうした吟遊詩人的印象をもとに作曲されているというのだそうです。

『メヌエット』の通常バージョンは山崎まさよしのサイトで、『With Strings』のバージョンはiTunes Music Storeでそれぞれ試聴できますが、残念ながらどちらもフルバージョンではありません(当たり前だけど)。少し聴いてみての印象は、山崎まさよしっぽくないなあというもので、なんか詞にしても妙に大仰で、こんな感じだったかなあ、山崎まさよしって。という違和感もあったのですが、まあそれはそれ、私はそもそも山崎まさよしを嫌いではないからCD買ってみるのもよさそう。ということで、シングル『メヌエット』とアルバム『With Strings』をそれぞれ買ってみたのでした。

現在シングルがヘビーローテーション中です。シングルには通常のバージョンとアコースティックバージョンが収録されていて、私はこのアコースティック版に興味津々であったのですが、聴いてみたところ通常版にそれほど違うところがない。ただ全般にアコースティックバージョンの方が素直な感じがして、だから私の好みからしたらアコースティックバージョンの方がよいと感じられます。

でも実際に聴いていれば、それがどちらのバージョンであってもよい歌であると思います。確かに言葉遣いが大仰で、変に漢語くささが残っているけれども、そうしたものを含めて古めかしさであるとかを出そうとされたのかもなあと思います。

残念ながら、私の思う中世らしさとはかけ離れた『メヌエット』ですが、別にこれが忠実に中世をトレースする必要なんてのはかけらもないのですから、これはこれでよいものだと感じます。

2006年5月6日土曜日

ボビー・フィッシャーのチェス入門

今夜は、友人の企画で麻雀ネット対戦をしようという話になっておりまして、私はどうしようかなあとずっと迷っていたのですが、どうせなら出たほうが楽しいだろう、枯木も山の賑いっていうものな、ということで参戦あるいは観戦を決めたのであります。

さてですよ、私が始めてプレイしたオンラインゲームというのは実は『ときめきメモリアルONLINE』ではなくってですね、麻雀なのでありますよ。『対局麻雀ネットでロン!』というゲームなのですが、多分ご存知でない方のほうが多いでしょうな。いや、でも私は好きでした。

こんな書き出しをすればさぞ私が麻雀を好きなようにみえますが、実はそれほどでもなくて、ちょっと打つくらい? 本も買ったりはしたんですが、あんまりのめり込まなかったです。どうも私はこの手のテーブルゲームは好きじゃないようで、楽しくないことはないのですが、それ以前に考えるのが面倒くさい。なにしろ私の行動原理は面倒くさいに支配されているものですから、考えるのが面倒くさいこれらゲームは苦手なのです。

けれど、唯一はまったものがありまして、それはチェスでした。もともとは『鏡の国のアリス』をよりよく理解したいという思いから入門したチェスですが、やってみれば面白くてですね、最初は紙で作ったピースを使っていたのに、日本チェス協会からの通販でスタントンタイプのセットを手に入れるは、図書館からいろんな本を借りだして読むは、それはそれはがんばったものでしたよ。チェスに対する情熱は数年続いたのですが、その後かなりブランクがあいてしまったので、今やただルールを知っているだけの初心者以前に戻っています。

チェスに熱心だったときに読んで一番ためになったと思ったのが『ボビー・フィッシャーのチェス入門』でした。ハードカバー、右ページに問題と回答が交互交互に載っていて、最後まで読むと上下をひっくり返して、また右ページだけを読んでいくという面白い装幀の本です。内容はいたってシンプル、棋譜がありさあ次の一手は? あるいはキングを追いつめよ、そうした目標が示されていてその最善手を探すのですが、それが本当によくできていて、これを読むだけで初心者から中級の入り口にたどり着くことができそうなほど。実際この本を繰り返し読んで、実践での応用ができるようにまで精読するなら、中級者が読んでも充分ためになる本だと思います。

著者のボビー・フィッシャーは、いろいろあって国を捨てて行方をくらませていたのですが、実は日本に潜伏されていたのですね。チェスの天才にして私のヒーロー、ボビー。彼が日本にい続けてくれたらと私はそのニュースが報じられたときに心の底から願ったのですが、残念ながら彼は日本から出ることを余儀なくされました。

けど、この国にボビー・フィッシャーが住んでいたと思うと、私なんかは本当にわくわくする。そうなんです。チェスを指さなくなった今でも、彼は変わらず私のヒーローであるのです。

2006年5月5日金曜日

アニーよ銃をとれ

  オペラはみるけどミュージカルはほとんどみたことのない私です。

さて、それでもなんでか持ってるミュージカルのCD。ええと、ミュージカルの人気ナンバーを集めたというよくありCDなんですが、これがまた長いこと塩漬けにされていて、iTunesに放り込んでiPodを買うまでまったく聴かれたことがなかったのでした。なんで持ってるのかというと、ほら私はワゴンセールが大好きだから……。

長く聴いていないというからミュージカルは好きじゃないのかといえばそういうわけでもないのです。ミュージカルナンバーはいうまでもなくすごくよくって、歌がうまいのは当然、表現うんぬんに関しても文句の付け所はないし、ダイナミックでドラマティックで、さあこれで舞台を一度も見たらはまるかもー、っていう予感がひしひしとします。

件のCDにおける私のお気に入りはなにかというと、Anything You Can Do (Annie Get Your Gun)。『アニーよ銃をとれ』の『あなたに出来ることなら』ですね。これは、はじめて聴いたときにガツンと衝撃を受けて、えっ、えっ、なにこれ、すごくポップで、すごく楽しい。で立ち止まって確認してみたらば『アニーよ銃をとれ』でした。私の持っているアルバムというのはJohn McGlinn指揮によるロンドンシンフォニーの盤なのですが、これには他にも『アニーよ銃をとれ』のナンバーが入っていて、とりあえず一曲目がかの有名な『ショウほど素敵な商売はない』。と知ったみたいなふりをしているけれども、実は私はこのミュージカルをみたことなくて、筋も知らない、映画も見たことない。ないない尽くしのない尽くし。到底なにかしゃべれるような有り様ではないのです。

だから、ちょっと見たいかもなあ。と思っていたらこの映画、DVDが500円で買えるらしくて、その価格はちょっと衝撃ですが、そういえば職場の近所のCD屋店頭のワゴンに500円DVDが並べてあったのを見たことがあります。

今度探して買ってみようっと。

映画

ドラマ

CD

2006年5月4日木曜日

悲しい色やね

   実は私は、カラオケあんまりいきません。歌が嫌いなわけはないんです。むしろ好きで、ただいく機会がないのですね。だから、たまにカラオケにいったりするとすごく戸惑います。どの歌を歌うべきなのか、そもそもうまく歌えるものなのか、毎回緊張して、これだという歌を選べないのですね。

そもそも私の好きな歌というのは女声が多くて、だからどうしてもキーがあわず、移調するんですが、それでもまだ高くてひいひいいうなんてことは普通にあって、だから男声のレパートリーを持たないといけないなあ。と思っていたときに思い出したのが『悲しい色やね』。まさに大阪を歌って、情感たっぷりの素晴らしい歌。私はこの歌大好きなんですが、歌ってみても、本当によい歌であると実感しました。本当にいい歌です。

私はこの歌が本当に好きで、ギターを弾きだす前からピアノを前に歌っていたんです。頼りは楽譜、どこからコピーしてきたものやら、私の手もとにはこの曲の譜面があって、コードネームを頼りに歌ってきて、情感の深さがすごいのですよ。メロディがよい、歌詞もよい。大阪弁で、別れの情景が歌われて、ああまた別れか。私はなぜか別れの歌ばかり歌ってる。でも、この歌は本当にいい。愛の深さがあって、別れの切なさがあって、これまで過ごしてきた時間がほんのこれだけの歌詞にぎゅーっとつまっているようで、大きい。詩的で深みがあって、すごく豊かで、圧倒されます。

私、これまで何回かこの曲を買おうと思ってきて、けれどその度に踏ん切りがつかずにきたのですが、というのは、なんか『悲しい色やね』の録音には何バージョンもあるみたいで、いったいどれを手にしたものか踏み切れずにいたんです。きっとそのどれもがよいに違いないのですが、まずは基本になるようなものを聴きたいというような私は、初出のアルバムの版から聴きたいなんて思うから、そしてそれがどれかが今一つわからずきたものだから、そうして私は今もこの歌のCDを持っていないのです。

でも、いつか必ず欲しいと思っています。

2006年5月3日水曜日

フラッシュダンス

  ときめきメモリアルONLINE』には部活というのがあって、それは結局はRPG戦闘風の対戦になるのですが、このとき奥義(呪文みたいなもの?)を使うとプレイヤーキャラクターが大写しになります。このときに部活ごとの衣装が見られるんですが、運動部ならそれぞれのユニフォーム、文化系でも家庭科部ならエプロン、科学部なら白衣といったようにコスチュームが変わるんですね。

さて、昨日ですよ、他にもいろいろ部活が欲しいよねって話になって、吹奏楽部が欲しいとかいう意見にまじってダンス部というのも出たんです。それを受けての私のこたえは次のようなものでした:ダンス部ならコスチュームはレオタードですよね、そしでレッグウォーマー — 。残念ながら通じませんでした……。

なんでレオタード? なんでレッグウォーマー? みたいな反応を得て、私はちょっと焦ったのですが、そうなんだ、今の人は『フラッシュダンス』とか知らないんですね。私たちの世代になるとダンスといえばヒップホップとかではなくてですね、『フラッシュダンス』なんですよ。レオタードにレッグウォーマーといういでたち、そしてあの印象的な音楽。一世を風靡しました。街に出れば、レッグウォーマーをつけた女性はそこかしこに見られて、本当にあの映画はヒットしました。

私にとってはあの映画の印象は音楽そのものであって、映画をビデオで見る時代ではなくて、テレビでやるのをビデオに録ってみるような、そんなころで、だから今もうちのどこかを探せば『フラッシュダンス』の録画は見つかるんじゃないかなあ。で、なんべんも見たんですよ。それこそ、ラストのダンスの部分ばっかり何度も何度も見て、それでどたばた真似して遊んで、そんなことをしていたから筋よりも音楽ばっかりが思い出されるわけですよ。それに、その頃テレビで放送された映画音楽の特集番組、それをテープに録音したのがうちには残っていて、『E. T.』、『南極物語』などにくわえて『フラッシュダンス』のテーマもあって、やっぱりこのころの映画音楽を聴くとなんかわくわくするものがありまして、なんなんでしょう。私の育っていく過程で刻み込まれた印象、興奮、楽しさが音楽でよみがえるというんでしょうか。

でも、いずれにせよ、この映画は流行りまして、それは私にとっても同じであって、まさに忘れ得ぬ映画なのであります。

2006年5月2日火曜日

心のかたち

  なんかちょっといろいろあってさ、ここのところメランコリック気分。なんていうんだろう、そうした気分もたまには悪くはないんだけど、でもなんでかこうしたときには誰かに心のうちをうちあけたくなるものでしてね、けどそうした試みが成功することってのはまあめったにないわけでして、なんていったらいいのかなあ、通じないんだ。言葉の不完全さがいけないのか、単に私の表現力の乏しさか、話せば話すほど私の思うところからはかけ離れていって、最後の方には、そうじゃないんだ、そうじゃないんだ、ばっかりいってる。そして寂しさ、悲しさはいよいよつのって、よくないよねこういうの。うん、よくないよねこういうの。

でさ、こういうときに思い出すフレーズがあるんです。海援隊の歌の一節で、今 心のかたちが 言葉にできない。私は海援隊というグループはそれほど好きではないのですが、けれども奴らいい歌書きやがるなあって思うんです。本当にいい歌を作ると思うんです。

心のかたちが言葉にできない。本当にそのとおりだなあって思う。言葉のつたなさがありのままをありのままに伝えられないこともあれば、心にわだかまる怖れが言葉をつまらせることもままあって、けれど仮に怖れが消えたとしても、克服できたとしても、出てくる言葉がどれほど心をそのままに伝えているものか。ああ、私には自信がないね。これだけ文章を書いて、いろいろ試したりもしてきてさ、うまくいったと思えたことがない。いや、その時だけならうまく伝えられたと思えることもあるのです。ですが、それが後に幻想であったと知れることの悲しさったらなくってね、あかんわ、本当に心のかたちというのは言葉にならない。ため息ついちゃいますね。

とまあ、こんなこと書いて、メランコリックを振りまいていけないなあなんていったりして、けど内心はちょっと違うんです。けどそれもまたうまく表せそうにないから、私は口をつぐんでおこうと思います。言葉を重ねるより、海援隊を聴いていただく方が、きっと伝わるなにかは多いはずなんだ。普遍の域にたどり着くことのできた歌の力は、いや増して言葉以上であるなと思います。

引用

  • 武田鉄矢『心のかたち

2006年5月1日月曜日

くちびるためいきさくらいろ

 少女セクト』と同日に購入。

先日のことです。最近流行ってる『テニスの王子様』についての話をしておりまして、けれど実をいうと私は本編をほとんど知らないんですよ、漫画読んだことがないんです。私の知っている『てにぷり』ではぜんぜんテニスをしてなくってですね、そのかわりに、といったところで私の言葉にかぶさるようにもうひとつの声が! 「ラブラブしている」! ああ、私のいった言葉はなんだったかというと「いちゃいちゃしている」。そう、どうやらその声の主も私同様の趣味嗜好傾向の持ち主であったようで、ギャグ系いちゃいちゃがお好きなようでございましたとさ! そうそう、本編を読んでないというのも同じだったのが笑えるところでありますね。

さて、いきなりなぜ『テニプリ』から入ったかといいますと、このエピソードというのが私の嗜好というものを実によく物語っているからだと思うのです。以前、『少女セクト』について書いたとき、私はいっていました:私にとっては女性の描くエロの方がよいようで、それもできれば直接描写の少ない、寸止め系の方がよりよい。そう、以前はまわりくどくこう書くしかなかった私の嗜好がまさしく実体を伴った瞬間というのが、先ほどのエピソードだったのです。いちゃいちゃないしはラブラブしているのが好きなんだー、と思いいたって、またひとつ私は自分について明るくなったのです。

『くちびるためいきさくらいろ』は、ごくまれに突っ込んだ描写もありますが、基本的にはいちゃいちゃとラブラブの世界。はっきりとかたちにしにくい、女の子の女の子に向けられた恋心が、ほのかに揺れてみたり、時に盛り上がってみたり、そしてハッピーエンドもあれば恋破れてしまうエピソードもあって、そうしたそれぞれの話がそれぞれにラブラブしている? ともあれ、ことにいたることが主目的ではないわけで、その結果、ふたりの恋の周辺がこそばゆく描写される。そういうところが私は好きです。

しかし、面白いよね。いろんなキャラクターが出てきて、いろんな恋愛感情の向け方をしてみて、時に強引な展開を見せたり、時に急いだような描写であったり、けれど基本的にはダイナミックさよりも切々とした様が表立って、そこがこそばゆいんです。ああ、なんというんでしょう、同人の人ならもにょるとかいうのかも知れませんが、それとはちょっと違うと思います。おたく系なら萌えるというのかも知れませんが、それも違うように感じます。ああ、このこそばゆさが言葉にならない。でもなんか、にまにましてしまう感じがあって、ああこの感覚はなんと呼びあらわしたらよいのでしょう!

というわけで、私の自分探究は続きます。とりあえず、この感情にふさわしい名前を見つけなければいかんですね。

引用