2006年6月1日木曜日

ナツノクモ

彼女はメリノー。
ガウルのことが
大好きで大好きで
大好きで大好きで
大好きで大好きで
大好きで大好きで
大好きで大好きで
でも、愛されない女のコ。

でも、それでも、愛して欲しいばっかりに無茶をしてしまって、余計こじらせてしまったりして、こういう経験は誰にでもあるんじゃないかと思います。愛したい、愛されたい、思いが募るままに気持ちだけが慌ただしく駆け出してしまって、そして後悔は海よりもうんと深い……。メリノー見てると私は、好きになるってことは本当にしようがないなあって思います。

『ナツノクモ』第6巻には、ちょっと困ったちゃんなメリノーの傍らにあって、いつもなにか世話を焼いてくれているギーコちゃんが園にやってきた頃のエピソードが収録されていて、私はこれを見て、メリノーのことも、そしてギーコちゃんのことも、今まで以上に好きになったのでした。好きという気持ちを持て余して、嫉妬に苦しんだりけれど折に与えられる微笑みにとろけたりという、仕合せな時間が園にあったということがすごく身にしみて、なにしろ第6巻はこれまで以上に園に起こった事件に踏み込んでみせた巻でありましたから、正直こうしたほのぼのとしたあたたかな時間を最後に残してくれなければつらい、つらすぎると思うのです。

人生においての仕合せとは、結局のところは所有することではなく、自分の中のいろいろを受け止めてくれる誰かがいるということ、そして同じくうちにいろいろを抱いた誰かを見つけることなんじゃないかと思います。けれど、悲しいかな私たちはそうした機会を見つけることに慣れていなくて、まれに目の前に現れるチャンスにひるんで背を向けることさえあって、この漫画の登場人物というのは本当にそういう人ばかりなのだと思えば、私はやはりこの漫画を最後まで見届けないといけない、他でもない自分自身のために見届けないといけないという思いに駆られます。

メリノーを見て、ギーコちゃんを見て、そしてガウル、クロエ、トルクを見て、不器用な彼、彼女らが本当にいとおしく感じられます。そしてもし、私が私のすぐ目の前にそんな彼らを見つけたら、きっと手を差し伸べないではいられないと思う。けれど、その私の手は彼らを助けるためのものではなく、きっと彼らを手放さず、自分の所有として囲い込もうとする手なのだと、私は私の執着心を知っていますからそのようにも思えて、だからやはり私はこの漫画に描かれることをしっかりと見続けたいと思うのです。

そして、そのようなことを思いながらの帰り道に撮った写真:

Tranquillite tres lointaine

月は西洋においては女性性やカオスの象徴とされるけれど、けれど悲しく切ない私たちを導く燈であってくれればよいと、その先にやすらぎがあってくれればよいと、そのように感じて撮った写真です。

  • 篠房六郎『ナツノクモ』第1巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第2巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第4巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第5巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第6巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
  • 以下続刊

引用

  • 『IKKI』2006年7月号 小学館,523頁。

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