2006年6月5日月曜日

Englishman in New York

 私だって人間、意味もなく悲しくなったり寂しくなったりすることはあります。そんなときに聴きたくなる曲はなにかというと、悲しさの種類によっても違うのですが、例えば今私がとりつかれている悲しさの種類でいうとEnglishman in New Yorkが聴きたい、そんな感じです。

Englishman in New Yorkは、アメリカはニューヨークに暮らすイギリス人が、自分の今までのスタイルをかたくなに崩さずにいるといったような、そういう内容を持った歌なのですが、それがただ頑なだったり意固地だったりというわけではなく、受け入れられなさを嘆くでもなく、自分にとっては異郷の地ニューヨークにおいて、合法的な異邦人として存在している自分を見つめ、そして自信を持って自分を支えようとするかのような自負が感じられる。そういう詩的でセンチメンタルでロマンティックで、そしてソリッドな歌なのです。

つまり、私の今感じているという悲しさ、寂しさというのは、今私の暮らしている地に対する受け入れがたさに苦しむ類いの悲しさであり、そして私の今暮らしている地が私を受け入れないとわかってしまった、そういう寂しさであり、まるで私はここにいてここにいないみたいな感じなのです。私はこの国に生まれて、この国に育って、この国以外のどこも知らないというのに、この国において自分が異邦人のようであるかに感じている。こういうときにEnglishman in New Yorkを無性に聴きたくなるのです。

この、外界と自分の皮膚の間に隙間が空いたかのような違和感、一体なんなんだと思うのですが、意外に私はこれをよくよく感じていて、メランコリーの一種でしょうね。例えば大勢での会合において、あるいは酒の席、その帰り道において、強烈な孤独感と、言い様のない周囲への違和感を感じるのです。まるですべてが嘘みたいで、自分自身が空白で、しかしその空白と感じている私は間違いなくそこにいて、私はその空白から私自身を見つけようとしてひとりで旅しているように孤独です。そして結局は私は私でしかなく、私の築いてきた私なりのスタイルは崩せるものではなく、たとえ外界に対し行使しえないものだとしても、私の内には守っていきたいと思う。こうしたものと同じような感覚を、ある日テレビに聴いたEnglishman in New Yorkに見つけて、それ以来私はこの歌を自分の心の支えみたいにして大切に思っています。

DVD

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