2006年12月7日木曜日

Moreべたーふれんず

  伝説の着ぐるみコントを最後に、惜しまれつつも終了した『べたーふれんず』。面白かったのに、残念だと思っていたら思いがけず復活。その名も『Moreべたーふれんず』とバージョンアップしての登場。これ、アンケートではそれほどぱっとしなかったけど、単行本にしたらむやみに売れたとそういう話なんでしょうか。でも、だってさ、この漫画が連載されてたのって、本誌系列ではなくて別冊扱いの『ナチュラル』でしたから、買い控えといて単行本になったら買おうと思っていた人が多いと思うんです。だって、私からしても途中までそうだったんですもの。ですが、私は途中入りしてあの伝説の最終話に間に合うことができた。あの時のおかしみは、通勤の車内の空気雰囲気、光の加減まで含めて、今なお鮮明に思い出すことができそうなほどに印象に残っています。

しかし、辻灯子って面白いんだ。多少漫画っぽく誇張されているとはいえ、身近にいてもおかしくないような登場人物が、身近にあってもおかしくないような行動振舞いでもって笑いをさそう、その手口が実に巧妙です。極力言葉で説明しない。わかるやつだけわかれ、ってな訳でもないんでしょうけど、読んでぱっと意味が繋がれば幸い、わかんないときはためつすがめつして、ははあこういうことねって思ってくすっと笑う。この人は絶対に説明型の作家ではなく、いうならばギミック型の作家であると思います。仕掛けはある。気付けば面白い。実に私好みの笑いであります。まあ、おいてけぼり食らわされる人からしたら面白くないでしょうね(二重の意味で)。

辻灯子のこういう性質は、静香という複雑なキャラクターを創出して、実にその個性を発揮するにいたったと思うのです。静香、容姿端麗にして才気煥発、清楚な身なりに丁寧な物腰も柔らかく、けど皮肉やいけずはすごいぞってキャラクター。ああ、もうここまで書けばいうまでもない。ええ、私は好きですよ。こういう人大好きです。育ちがよくちゃんとした人に見えて、中身はろくでもないって感じの人が好きなんです。

って、私の好みなんてどうでもいいや。

直情径行元気溌溂型の紅実と静香が合わさることで、どちらかだけでは出すことができない面白さというのが表現されていると思うのです。やることどちらも破天荒、けど前者は無自覚の、後者はというと計算づくの、現れに対する前提が違っています。この違いというのが相乗的に働いて、シンプルでいて複雑な、複雑に見せてシンプルな、そういう独特の間やバランスを生み出しているように感じます。

と、ここまでなら『べたーふれんず』と一緒。『Moreべたーふれんず』のMoreたるところは、紅実静香に加え青柳さん緑川さんをはじめとする同僚先輩上司たちもより積極的に関わってくるところではないかと思います。もちろん彼女彼らの多様な個性は『べたーふれんず』においても登場し、面白さの創出に参加していましたが、その度合いはというと『More』には及びません。『べたーふれんず』ではあくまでも紅実静香が話のエッセンスであったのに対し、『Moreべたーふれんず』では皆が等しくエッセンシャルであると、そういう感じなのです。

今、この記事書くためにちょっと『べたーふれんず』読んでみたらば、おそろしくシンプルでストレートで驚きました。『More』は繊細さ込み入り方の点においても進化してますね。初心者にはきついかも……、けど重度の辻灯子ファンなら、きっと『More』くらいでないと物足りなさを感じるはず — 。ええ、『More』の微に入り細をうがつ面白さのギミックは、ちょっと中毒性さえ感じさせるほどに利いて、読んでいるうちになんだか不思議な快感さえ得られるほど。私が辻灯子を唯一無二ユニークな作家であるという所以はここらあたりにあるようですよ。

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