2007年1月11日木曜日

誕生

  風邪を引きました。熱は計ってないけど(だって、誰も寝てなきゃダメじゃないですか!!って怒ってくれないし)、なんだかだるくて熱っぽくて、まあ頭痛や腹痛、吐き気がないのは幸いだと思います。風邪の引き始めというやつ、葛根湯を飲んでなんとかやり過ごそうとしているのですが、しかし私というのはどうもこういう風邪やらにやられやすくっていけません。まあ、睡眠時間を削っているのが一番悪いのですが、それにしても人間恋愛状況に入ると免疫力が上がるだなんて一体誰がいってたんだか。全然効かない、っていうか、やっぱり想像や妄想、疑似的なものではあきませんか。ああ、なんという侘びしくも情けない言動。人はひとりにしておくと馬鹿なことばかり考えていけません。

馬鹿なこと考えながら帰りの車内、ふと中島みゆきの歌を思い出していたのでした。その歌いだし:

ひとりでも私は生きられるけど
でもだれかとならば人生ははるかに違う

この歌思い出したのは、独り身の侘びしさをこの一身に浴びているからではなくて、フィッツジェラルドの『富豪青年』読んでたせいもあるんだと思うのですが、でもこの先確かにひとりで生きていくことだろうと半ば覚悟する私にしても、誰かがそばにいてくれればきっと私の人生もがらりとその色を違えることだろうと、そんな気がしてならないんですね。いや、弱気になってるんでしょう。病は体をともに心も弱らせるものです。けれど、その一緒にいてくれる誰かというのも、それこそ誰でもいいってわけではないというのが人間のまた悲しさであると思うのですが、とにかくそんなことを思って思い出すのが中島みゆきの歌というのも面白い話なのではないかと思います。

『誕生』に限らないのですが、中島みゆきのすごいところは、いわれてみれば確かにそうとしか思えない当たり前のことを、当たり前に歌詞にして、それが当たり前のレベルにとどまっていないというそこであろうと思うのです。『誕生』しかり『Maybe』しかり、歌詞の伝えることは、誰の身にも起こりそうな日常にまつわる感情の揺れ、悲しさ、決意等々なのですが、しかしそれが中島みゆきを通して現れれば、ちっとも大振りになんて構えちゃいないその言葉がなんと生き生きとして力強く、それを聴く私の胸に届いてくることか。歌はすごい、そのメロディが、歌いようが、すごい。歌詞とよくマッチして、この歌詞でなければいけない、この歌詞にしてもこのメロディ以外には考えられないという、決して分けてなんて考えられない一体感を持って、しかしそのメロディにせよ歌詞にせよは、それぞれ独立したとしてもなんら力を失うことがない。実際私の中のどこかに残った中島みゆきの言葉は、なにか些細な日常のできごと、思いをきっかけにして、ふっと立ち上がってくる。それも凛々しく、弱った心を支えるようにして現れてくる。すごいことだと思います。こんな作詞作曲が出来る人はそうそういるものではないでしょう。

『誕生』は私がカラオケにいったらよく歌う歌のひとつです。ただ歌うんではなく、そこに居合わせた誰かのために、自分のために、まだ見ぬ誰かのために歌えたら最高じゃんね、とか思いながら、けど歌えば好評なのはありがたいこと。その好評をしめる大部分が中島みゆきの功績であることは疑うべくもないことです。

引用

  • 白詰草話,04-11
  • 中島みゆき『誕生』 ポニーキャニオン PCCA-00558,CD【Singles II

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