2007年3月8日木曜日

ときめきメモリアルONLINE

 やっぱりね、終わるっていうことはすなわち寂しかったり侘びしかったりするものだと思うんですよ。例え、今その場にコミットしていない私のような人間にしても、そこで過ごした時間があり、そこで得た人間関係もあり、そしてそれがなんだかかけがえのないように思えるというのであらばなおさら、寂しさは募るってものです。終わる。一体なにが終わるのかというと、『ときめきメモリアルONLINE』のサービスが終わります。その期日はすでに発表されて、2007年7月31日。そうか。あと五ヶ月弱か。きっとあっという間に経つでしょうね。気付いたら7月31日の夜、サービスの閉じられるその瞬間に果たして私はどこにいるのか。私は今、ベータのあの最終の時刻を待つ教室のできごとを思いだしています。前夜の大告白大会の余韻もすっかりと静まった穏やかな時間。わざわざ有給を取った馬鹿がひとり、そして仕事にいくという直前にログインしてくれたあの人に私は連絡してくれとアドレスを告げて、思えばあれが私にとってのクライマックスだったと思います。思い返すだけでじんとするさ。いい時間を過ごしたもんだと思うのです。

サービス終了については、昨日、いまだアクティブに参加している人たちの日記にて触れられているのを見て知って、けれど私はその日記にコメントすることができませんでした。今の私が、一体なにをいえるというのでしょう。代わりに日記を書いて、タイトルは節目

終わるんだそうですね、七月で。楽しかった時間を過ごし、好きな人もできたあの場所が閉じられるということを聞いて、身勝手にも残念と感じました。いつだって戻れると思っていた、その戻れる場所がなくなるというのは寂しいことです。

けれど、コミットすることなく遠巻きにするだけであった自分自身が、閉鎖を後押ししたわけだから、私はそうした感情を抱いてはいけないのだと思う。場が閉じて、疎遠になって、忘れ去られて、忘れていって……。寂しいことだと思うけれども、それは生きるということにビルトインされていることなんだと思う。

そうなんでしょうね。こうしたことは生きるということにビルトインされていることなのでしょう。私は以前、前世の記憶について触れた時、こんなことをいっていました。

クリアという概念のそもそも存在しないRPGというのもありますよ。ストーリーがあり、その終端がゴールであるというのは、RPGの本義ではないのです。そうしたRPGに於ける終わりとは、プラットフォームであるゲーム世界の終焉(シナリオの終わりではなく、サービス提供の終わりなど、遊べる環境のなくなることをさしていっています)であるか、プレイヤーによるプレイ停止の決断です。あるいは、プレイヤーの死がゲームの実質的終わりになります。

『ときめきメモリアルONLINE』はまさしくこのストーリーもゴールも持たないRPGでありました。そして私はできれば私の死がゲームを終わらせるようになることを望んでいたのですが、けれど実際にはサービス提供の終わりによってゲームは終わり、しかし現実的にはプレイヤーのプレイ停止が半ばゲームを終わらせていた。で、終わると聞いて寂しがる。なんだよそれ、だったらもっとアクセスして盛り上げろよ。そんな声も聞こえてきそうな気がするから、私は寂しがるだけの資格を持たないと思うのですね。

おんなじ日のおんなじくらいの時刻に、私と同じような感想を友人がですね、書いてましてね、寂しいなあと思いながらも、サービスが終わるということに関してはむしろ納得しているようなところもあって、そしてコミットしていなかった人間になにをいえるのだろうか自分に疑問を投げ掛けているあたり。そうなんですよ。私もこのサービスが終わると知ったとき、驚いたけど、それは思った以上に早かったというものであって、なんで終わるんだじゃなかった。そして、その思った以上に早かったと思った根拠というのは、三年はプレイして欲しい云々とサービス提供側がいっていたというそれだけだったのですから、きっと意地で三年はやるんじゃないかと、そういうものでしかなかった。正直ゲームとしてはどん詰まりにきていたんじゃないかなって思っていた。もう、随分前から……。

私がまだ比較的アクティブだった頃、二日二晩かけてクラスを縦断しながらいろんな人に話を聞いて回ったことがあります。このクラスはどんなクラスですかって聞くのですが、その時、教室にいる人の多くが『ときめきメモリアルONLINE』というゲームに愛着を感じながらも、このゲームをきっかけに友人の輪が広がることを楽しみながらも、けれどどこかに長くないんじゃないかと予感している、そういう一種異様な状況に安堵したことがあります。この安堵は、そうかこういう違和感は私だけのものではなかったんだという安堵でした。あれは昨年のゴールデンウィークだったんかな。あるいはもうちょっと後かな。とにかくその時期に、他のサービスに流出していく人たち、消えていって帰ってこない人たちの存在が目についていたのです。消えていく人たちの多くは、『ときめきメモリアルONLINE』に不足する要素を別の便利なサービスに求めて、そして他のサービスにからめ捕られるようにして戻ってこなくなる。チャットとしてならメッセンジャーの方が圧倒的に便利。TMOには伝言機能がないからSNSがその機能を代用し、そしてアクティブにゲームをしたいというユーザーは他のネットゲームに移行していって、もちろんTMOを主要なプラットホームにする人もいましたが、そうじゃない人も多かったと思います。私は、TMOに注力したかったからメッセンジャーにも手を出さずにいたのですが、まわりの人の多くが裏でメッセンジャーを使っているという状況についていけず、疎外感感じたような気がする。正直、人間関係が固定してしまった正式サービス開始後は、私にはいづらかったように感じられて、人間関係がもっと流動的であったベータの頃の方が面白かった、それも熱狂的に面白かったと思えて、ほんと、ベータから正式サービス開始までのブランクが水を差した(この間にメッセンジャー使用者やSNSの優位が確定されたように感じています)、などと今更いってもしようのないことなんだと思います。

惜しかったよね、TMO。うまく持っていけば、当時まさに注目の成長サービスだったSNSの機能を持つMMOになれたかもしれないのに。そうしたら、mixiなんかに人をとられることもなかったろうし、メディアにも注目されて、今mixiが陥っているような望ましからぬ状況も発生したかも知れないけれど、もっと人が集まって、こんなに早く終わってしまうってこともなかったろうにね。

もう終わってしまうって話だから、思い切っていっちゃおう。これからサービス終了までの数ヶ月の間に、必ず一度はコンサートイベントをしたいと思います。ラジオサーバー使うかSkype使うかはわからないけど、ライブのコンサートイベントを開きたいと思います。Skypeなら公衆送信にあたらないだろうから著作権存続作品も歌えるでしょう。ラジオならパブリックドメインオンリーですね。でも、どちらにするにせよ、いずれ一度はそうしたイベントを開きたいと思います。成功するかしないかはわからないけど、私の最後の、井崎としての約束です。

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