2007年5月20日日曜日

女の子は特別教

 エロを期待して買ってみたら思ったほどじゃなくてがっかりという経験は誰しもあると思うのですが、またその逆に、エロを期待せずに買ったらエロでびっくりということもあるのではないかと思います。私にとっては『女の子は特別教』がちょうどそんな感じで、書店の新刊の棚にこれを見付けて、かわいらしい表紙に興味を引かれ、作者についても内容についてもまったく知識のないまま買ってみて、まあびっくりした。なんといいますか、有り体にいえばエロだったってことなんですが、だってこれがもともと成年指定で売られてた漫画だなんて知りませんでしたよ。でも、仮にこれが成年指定と知っていて買ったのだったら、思っていたほどでなくてがっかりコースなんじゃないかと思います。エロは確かにエロなんだけれどエロ一辺倒でなく、けれど決してこれを非エロとはいってはいけないというような、そういう中間的な立ち位置にある漫画であると思います。

 読んでみての感想。もしこれがエロなら、読んでいる人に対してちょっとチャレンジしているようなネタが多いのが面白いところかなと思いまして、エロなら余韻こそが重要なんであって、ああした落ちはいらないかなって、しかも辛辣な落ちならなおさらだろうと思うのです。だってさ、笑っちゃうからね。そうきたか、みたいな落ちにやられたのは巻頭作の「動力の姫」、続く「マイナスガール」も多少そんな感じかも知れません。でも、残るはそれほどに強い落ちではなく、どちらかといえば余韻落ち。けど、その余韻がエロ方面にではなく、ネガティブな気質に落ちるものも多くて、こうしたちょっとした陰鬱なトーンというはこの作者の持ち味なんでしょうか。基本的に煮えきらず、行き着くこともなく、そうしたサスペンド状況において終わる物語に暗い影が落ちて、人によってはたまらなくいいと感じるのでしょう。けれど、人によってはたまらなく駄目ということにもなりそうな、そういう両極端な評価を受けそうな漫画だと思います。

私は、すべてがいいとは思わなかったけど、「カントリーロード」みたいなのはよかったです。叙情性といったらいいのか、夏の気だるさというか、過ぎ去る時間への視線みたいのが効いている漫画だと思います。またこれとは違う傾向なんだけれど「かわいい家族」あたりはわりと辛辣で好きな落ち、「好きになったひと」はちょっと思わせぶりなラストで、そうした思わせぶりは結構嫌いじゃなく、だからベクトルがあえばはまるのかも知れない、そんな作風です。

さて、表題作。「女の子は特別教」ですが、これ一体どういう意味かと思っていたら、女の子は特別ということを教義とする宗教じみた考えを指してのことなんですね。そうした意図を知って、改めて面白いタイトルだなあと思いました。でも内容は結構ネガティブ。けどネガティブにはまる一方ではなく、浮上する機会、ネガティブがポジティブに転倒する瞬間も用意されていて、そのネガティブが現れるシーケンスも好きなら、ポジティブに転換するコマもはっとさせるような印象にあふれていて、好きな話のひとつです。

けど、シリアス話かと思ったら最後に落ちがついて、いや、この落ちは結構好き。ポジティブが間違った方向に向かったってな落ちなんですが、もともとヒロインは間違った方向に向かいがちの不思議ちゃんだったから、これはこれで説得力があっていいよ。でもなにが一番いいといってもヒロインの造形だったりするから私は駄目なんだ。眼鏡。美少女。完璧じゃん。第一コマは最終落ちへの伏線になってるみたいなんですが、その両コマに現れるヒロイン西村、最高です。かわいいとは故あっていわないけれど、最高であると思います。

  • タカハシマコ『女の子は特別教』(DNAコミックス) 東京:一迅社,2006年。
  • タカハシマコ『女の子は特別教』(ホットミルクコミックスEX) 東京:コアマガジン,2002年。

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