2007年8月30日木曜日

絶望期の終り

 ずいぶん前のことになります。Amazonのおすすめにあらわれる漫画を見て、ちょっと面白そうかなというのを見付ければ買うということをしていたことがありました。Amazonのおすすめが、間違いなくお気に入りになるだろう一冊を見付けてくれるものでないことは知ってましたけど、大きく外さないという印象もあったものですから、自分のこれまでの探索範囲からは漏れていたものの、読んでみると結構気に入るかも知れないというような、それこそ興味の周辺域に位置する漫画を拾い上げるのに重宝していたのです。けど、なかなかお気に入りになるようなものを見付けるのは難しいですね。やっぱり、これはいいと思えるようなものは、書店店頭で引っかかってることの方が多いのです。で、今回取り上げます『絶望期の終り』。これは、ちょっと読んで見て、すごいと思いました。

いやね、すごいったってあんまりいい意味で思ったんでなくて、有り体にいうと、しくじった、って思ったんです。ページ開けてみて、その描き込みの密度にうっと嫌悪じみた感覚を覚えて、それから独特の構図にめまいじみた感覚覚えて、パースの付け方が、魚眼に近い広角レンズ通したような歪ませ方してあって、けれど違和感は視覚的なものにとどまらず、コマに配置される人物、そしてネームも半端ではありませんでした。まるで対話を拒むかのような一方的な語り、独白というよりも一人勝手にしゃべってるといってもいいくらいに突き放された疎外感にあふれていて、やばい、これはやばいよと思いました。

読んでいて伝わってこないってことは、漫画に限らずあらゆるジャンルであることですが、この漫画に関しては伝わってこないのではなくて、チューニングがあっていないという感じの方が正しいと思います。文化の違いとか嗜好の違いではなくて、チューニング。おそらく、この漫画の発する雰囲気、メッセージ性を受け取れる人というのはいると思うんです。けど、少なくともあの時の私はその範疇にはいなかった。けど、精神状態が揺らいで、受け取れる準備が整いさえすれば、読んで近しさを感じることもあるのかも知れない。そういうぞっとするような感じを持って、正直禁書かなあと思って、だからこうしてこの本について書くようなことはないだろうと思っていました。けど、あんまりハイになれないときには、普通の領域にある漫画よりも、ちょっとダウナー気味のこういう漫画の方が近しいんだと思います。実際、今読んで見て、以前ほどの異質な感じはうけなかった。だから、多分、今、自分はやばい領域に入りかかってますね。

私は、この漫画でしか著者のこと知らないのでなんともいえませんが、果たしてこの漫画の表現がこの作者の感性、感覚をそのまま反映しているのかというとちょっとわかりません。こういう芸風かも知れないし、あるいは楳図かずおのように本人と漫画の表現にギャップのある人なんかも知れません。けど、そうしたことは関係なしに、漫画読むかぎりでは、あまり深くはまらないほうがよいんではないかという感じ。私は詳しくは知らないけれど、ガロ系とでもいうのか、昔、学校の図書館で読んだ『ねじ式』なんかを思い出したりもするけれど、またそれとも異質な風合いがあります。ざわっとくる感じ。あんまりお近づきになりたくない感じ。だから、私はまたこの漫画を、適切に遠ざけられる健全さを取り戻すまで、封印しておきたいと思います。

  • あびゅうきょ『絶望期の終り』(バーズコミックススペシャル) 東京:幻冬舎コミックス,2005年。

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