2007年9月27日木曜日

火星ロボ大決戦!

  今まさに連載されている四コマは、もちろん今現在を生きる読者に届けるために描かれているのだけれども、『火星ロボ大決戦!』に関しては、時間を超えて、かつて七十年代に少年だった人に向けて描かれているのだと、そのように思えることがままあります。七十年代に完成を見、繚乱の様を呈した巨大ロボットというジャンルへの惜しみない愛があふれているといえばいいでしょうか、あの時分に少年時代を過ごしたものにこそ、その愛はよく伝わる — 、そう思う私は、幼かった日々に『マジンガーZ』、『ゲッターロボ』、『ガイキング』などといった数々のロボットに魅了されていました。超科学により生み出された超兵器であるロボットが、人知を超えた敵に立ち向かう。ときにハードに、ときに人情をほろりと見せる物語、敵の苛烈な攻撃にロボはピンチに陥るものの、最後には必殺の技が炸裂、大勝利! 子供たちはそんなロボットの活躍に、そしてヒーローの強さに心底しびれて、憧れていたのですね。

そしてそこには様式美といえるものが確かにありました。独特の台詞回しは、長年をかけて熟成されて、洗練の極みにあるといってもいい。お約束といった方が通じはいいのかも知れないけれど、私にはあれらパターンを確立した台詞や行動の数々を、お約束といった言葉でひと括りにしてしまうのは好きではありません。だからあえて様式美というのですが、少年漫画には少年漫画の様式が確かにありました。私たち少年だったものはそれら様式を浴びるようにして育ってきたものだから、すっかり身に染みついてしまっていて、ごっこやなにかする際には、様式をきれいに踏襲して、悪の大将は悪の大将らしく、正義の味方は正義の味方らしく、その役割を全うしたものでした。

『火星ロボ大決戦!』にはその様式があふれています。台詞に、コマに、シチュエーションに、少年漫画が長年培ってきた様式がこれでもかと盛り込まれていて、そしてそれらは全うされることがないのです。様式とは、一旦振り出されれば、解決をみないことには収まらないものでありますが、なかま亜咲はきれいにいなしてしまいます。進むべきシーンで退く、指摘されてしかるべきものはあえて無視され、あるべき障害は影もかたちもない。こうした肩透かしの数々に私なんかは思わず笑みを誘われて、それこそ笑いっぱなしなんですが、しかしこうしたギャグがこれほどまでに効くというのは、少年漫画の様式という奴が、私の感性に抜き難く浸透しているという証拠なのだと思うのです。

残念ながら私には四コマを読む年若い知り合いというものがありませんから、今の若い人がこの漫画をどのように読んで、楽しんでいるか知ることはかなわないのですが、大げさな振りに肩透かしのギャグ、そしてちょいエロ、多分普通に面白いギャグ漫画として受け入れられているのではないかなと思うんです。けれどこの漫画の真骨頂は、七十年代に少年だったものにこそ伝わるのではないかと、それこそ肌身に感じる実感として、思い出を揺り動かされるような感覚を持って感じられるのではないかと思っています。古い人間の感傷かも知れないけれど、巨大ロボットとそれを成り立たしめたシチュエーション、それらへの愛が共鳴するのだとあえていいたい。オマージュでなく、リバイバルでもなく、パロディでもない、すなわちオリジナルを源泉に持つと感じられる『火星ロボ大決戦!』は、よきパロディであり、オマージュであり、そして愛そのものなのであると、私は言い切ってしまいたいのです。

  • なかま亜咲『火星ロボ大決戦!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • なかま亜咲『火星ロボ大決戦!』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

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