2007年8月31日金曜日

かわいいあなた

 夜空の王子と朝焼けの姫』を買いにいったその日、その装幀の持つ雰囲気にひかれるままに購入したのが『かわいいあなた』でした。イラストが醸し出す華やかさ、暖かさ、胸に染み入るような感傷も甘くて、これは読みたいと思わせる表紙でありましたよ。それに、かわいいあなたというシンプルにして強い表現。その強さは柔軟でしなやかで、それがちょっとつたない感じの文字でつづられていて、そこがまたうまいと思う。気取らない、心からの、手のひらの上にほのかに生じるような、そんな思いをあなたに伝えたいのよといいたげなるかのようで、これは本当にいい表紙だと思います。

そして読んでみて、またよかった。私は、巻頭の『Maple Love』でもう撃沈。これ、大学生の女子二人の話なんだけど、思われる娘も思う娘も、どっちもが可愛いんですよ。どうですかこれって聞き返したくなるくらいに可愛い。どちらの娘も常識や普通のカテゴリからちょいと外れ気味であるのですが、思われ側が天然でマイペースなら、思い側はしゃっきりとしてしたたかで、けどよ、けどよ、それが最後でああなっちゃうのね。

自分で確かめたいという人は、ここから先は読む必要ないです。つまりちょっとネタバレ。

見た目しゃんとした宮路が抱えていた不安や弱さが一気にあらわにされるラスト、ちょっと泣いちゃったよ。悲しいとかじゃなくてさ、いじらしさに泣いたんです。ああ、この人のちょっと攻撃的とも思える普段の態度は、こうした面を隠すためのものだったんだなって思って、自信なんてないし、そもそも報われない思いだって自分が一番わかってる — 。そんな女の子だったんだなあって、だからあそこでかえちゃんが選んだ回答は、読んでる私にしてもすごく仕合せな気持ちになれるもので、ほだされたね、ほだされましたよ。

この一撃で乙ひよりは全購入対象に決定されたのですが……、この人、これが最初の単行本なんですね。驚きました。ベテランかと思っていたのです。百合的舞台、お約束を充分に踏みながら自分なりの世界を広げている。絵も、テキストも、すべてが過不足なく表現を支えている。そんな感じだものだから、もうほんと。

百合もののフォーマットというべきか、思いが成就するあるいは破れるまでの過程がメインで、うまくいくにせよ駄目にせよ、ラストに向かうまでの心の動きが、すごく細やかで、表に表現されているものと内心のギャップも含めて、すごく素敵なのです。強気な少女は強気の、弱気な少女は弱気の、それぞれの輝きがあるなと思ったんです。凛々しさ、いじらしさ、けなげさ、素直さ、一生懸命な様も嫉妬に苦しむつらさも、そのすべてが心に触れてくるように思えて鮮やか。鮮やかといっても原色のそれでなく、やわらかな光に似た、暖かく心地いいものであったと思うのです。だから、読んでいてとても仕合せ気分。最後に恋の成就するものならなおさら。願わくばこの恋の行く先を、なんて思うんですが、そこがあえて語られないところに、こうしたジャンルのよさがあるのだと思うから、私はこのまま余韻に浸って溶けてしまいたいと思います。

2007年8月30日木曜日

絶望期の終り

 ずいぶん前のことになります。Amazonのおすすめにあらわれる漫画を見て、ちょっと面白そうかなというのを見付ければ買うということをしていたことがありました。Amazonのおすすめが、間違いなくお気に入りになるだろう一冊を見付けてくれるものでないことは知ってましたけど、大きく外さないという印象もあったものですから、自分のこれまでの探索範囲からは漏れていたものの、読んでみると結構気に入るかも知れないというような、それこそ興味の周辺域に位置する漫画を拾い上げるのに重宝していたのです。けど、なかなかお気に入りになるようなものを見付けるのは難しいですね。やっぱり、これはいいと思えるようなものは、書店店頭で引っかかってることの方が多いのです。で、今回取り上げます『絶望期の終り』。これは、ちょっと読んで見て、すごいと思いました。

いやね、すごいったってあんまりいい意味で思ったんでなくて、有り体にいうと、しくじった、って思ったんです。ページ開けてみて、その描き込みの密度にうっと嫌悪じみた感覚を覚えて、それから独特の構図にめまいじみた感覚覚えて、パースの付け方が、魚眼に近い広角レンズ通したような歪ませ方してあって、けれど違和感は視覚的なものにとどまらず、コマに配置される人物、そしてネームも半端ではありませんでした。まるで対話を拒むかのような一方的な語り、独白というよりも一人勝手にしゃべってるといってもいいくらいに突き放された疎外感にあふれていて、やばい、これはやばいよと思いました。

読んでいて伝わってこないってことは、漫画に限らずあらゆるジャンルであることですが、この漫画に関しては伝わってこないのではなくて、チューニングがあっていないという感じの方が正しいと思います。文化の違いとか嗜好の違いではなくて、チューニング。おそらく、この漫画の発する雰囲気、メッセージ性を受け取れる人というのはいると思うんです。けど、少なくともあの時の私はその範疇にはいなかった。けど、精神状態が揺らいで、受け取れる準備が整いさえすれば、読んで近しさを感じることもあるのかも知れない。そういうぞっとするような感じを持って、正直禁書かなあと思って、だからこうしてこの本について書くようなことはないだろうと思っていました。けど、あんまりハイになれないときには、普通の領域にある漫画よりも、ちょっとダウナー気味のこういう漫画の方が近しいんだと思います。実際、今読んで見て、以前ほどの異質な感じはうけなかった。だから、多分、今、自分はやばい領域に入りかかってますね。

私は、この漫画でしか著者のこと知らないのでなんともいえませんが、果たしてこの漫画の表現がこの作者の感性、感覚をそのまま反映しているのかというとちょっとわかりません。こういう芸風かも知れないし、あるいは楳図かずおのように本人と漫画の表現にギャップのある人なんかも知れません。けど、そうしたことは関係なしに、漫画読むかぎりでは、あまり深くはまらないほうがよいんではないかという感じ。私は詳しくは知らないけれど、ガロ系とでもいうのか、昔、学校の図書館で読んだ『ねじ式』なんかを思い出したりもするけれど、またそれとも異質な風合いがあります。ざわっとくる感じ。あんまりお近づきになりたくない感じ。だから、私はまたこの漫画を、適切に遠ざけられる健全さを取り戻すまで、封印しておきたいと思います。

  • あびゅうきょ『絶望期の終り』(バーズコミックススペシャル) 東京:幻冬舎コミックス,2005年。

2007年8月29日水曜日

ようこそ。若葉荘へ

 『ようこそ。若葉荘へ』は『まんがタイムきららMAX』に連載されている漫画で、けどこれ四コマではないんです。だからてっきり別の判型で出るもんだと思っていたら、通常の四コマのサイズで出てくれて、芳文社のコミックスって妙に紙質がいいんですよね。ちょっとありがたかった。っていうのは、やっぱりこの漫画は絵の魅力が強いものだと思っていますから。なにしろ、いわゆる複数美少女同居ものとでもいいますか、主人公の少年沢井健太郎が入居した若葉荘は管理人以下住民が皆美少女ときておりまして、けど少年誌にありがちの展開、まわりの皆が自動的に主人公のこと好きになるみたいな展開はないから、残念だったな沢井少年! というか、そもそもからしてこの漫画は沢井少年の片思いからスタートして、しかしゴールはあるのかな。そんなちょっと悲壮な雰囲気漂わせています。

けど、それでも楽しそうなのがなによりですよ。登場人物は先ほどもいいました、主人公沢井少年。あとは、管理人の東宮院華憐、1号室住人加藤ひなた、2号室住人仲本樹、3号室住人荒井アラシ。ということは志村や高木もいるのか? と思ったら、高城先輩がちゃんといらっしゃいます。志村はまだ未確認、いかりやがいないのは『卒業』以来の伝統でしょう。

さてさて、沢井の東宮院への片思いで始まったこの漫画ですが、今はずいぶんとその構図を違えてしまっていて、だって今この漫画を読んで、誰と誰とのラブコメ? と聞いてみたとしたらですよ、多分十人中十人が沢井と荒井と答えると思う。それくらいに、恋愛の軸がシフトしてしまっているんです。この漫画は、後書き見ますと3話までテストでやってみて、人気があれば続けましょうというかたちでスタートしたみたいなんですが、多分、荒井と沢井が幼なじみとかいう設定は、当初なかったんじゃないかなあと思うんです。それこそ第8話くらいで突然できたという印象があって、連載で読んでいた頃にはずいぶんと驚きました。あれーっ、そんな設定ってあったっけ? そもそも私にとって加藤、仲本、荒井は限りなくモブだったものだから、第13話で仲本がメインに躍り出たときも、だ、誰!? みたいな感じで戸惑って、そんな具合に混乱したりしましたが、もう大丈夫です。今後、加藤メインの話が出てももう戸惑いませんから。

連載では、沢井の妹が登場してくるなど、ずいぶんと動きが出ています。当初はモブとしてしか見てなかった人たちですが、彼女らのいろいろな表情が見られるようになって、沢井→東宮院というシンプルな関係だけでは得られなかったろう面白さも出て、ずいぶんと広がりが感じられるようになりました。基本的にシンプルな、そしてベタな見せ方の漫画ですが、絵の華やかさ、キャラクターの可愛さに、ちょっとシニカルなところも相まって、悪くない感じ。強烈な面白さというのはないけれど、その穏やかな感じさえも楽しみながら読んでいます。

蛇足

私はベタは好きなんですが、眼鏡外すと美少女なんていうベタは嫌いです。

違った、そんなこといいたかったんじゃなかった。

ええと、荒井は正ヒロイン上回る可愛さだと思います。それから、作業中の仲本はあり得ないくらいに可愛いと思います。ごめん、加藤についてはちょっとよくわからない。以上。

  • 阿倍野ちゃこ『ようこそ。若葉荘へ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

引用

2007年8月28日火曜日

絶対可憐チルドレン

  この間、『絶対可憐チルドレン』の10巻表紙が最高だ! なんていってましたけど、そうしたら親切な人がweb拍手経由でuriをひとつ残していってくださったのでした。そのuri、一体なにかといいますと、小学館がインターネット上で漫画を立ち読みできるようにしてくれているんですが、まさしくそれ、『絶対可憐チルドレン』の第1話であったのです。ってことは、読んでみたまえよってメッセージですね。で、私は読んでみて……、いやいや、ここはちょうどその時に書いた文章をそのまんま転載するのがよいでしょう。

書こう書こうと思いながら書かなかったこと

ちょっとこいつを見てくれ。

書店に平積みになってるのを見ては、妙に心引かれるものを感じ、ええ、有り体にいいますと、この表紙の娘っこみたいなのが好きだといっとります。

椎名高志は好きな漫画家だったんだけど、前のやつ(GS美神)でちょっと離れてしまい、なので『絶対可憐チルドレン』もどんな漫画か知らないのだけれど、この表紙絵のために10巻買っちまうと、既刊も揃えてしまうんだろうなあ。なので手を出しません。

でも、この表紙好きなんだ。ロリコンとののしられてもかまわない。

ところで、BABELで三人娘、研究所と揃うと違うなにかを思い出してしまいます。ええっと、ロリコンとののしられてもかまいません。

2007年08月25日 21:34

これが最初の記事、そして続き:

ロリコンとののしられてもかまわない Part 2

昨日の日記の続き

『絶対可憐チルドレン』の10巻の表紙が最高だ! って話をしていましたが、そうしたら親切な人が、このページを見るがよいといいたげに、uriをおいていってくださいました。

http://websunday.net/rensai/read/children/page01.html

そしたら、これが『絶対可憐チルドレン』の第1話で、読んでみたら面白いのね。コメントするのが難しいんだけど、能力のあるために畏怖され、社会から距離を置かれてしまった超能力者3人がヒロインなんだけれど、孤独であること、自らがあまりに特異であることを自覚しているせいで、将来への希望を持てない彼女らがいかに成長するか、って話だと思う。で、彼女らは国の特務機関に所属して、皆本という兄さんのもとで、超能力をもってミッションに挑むってわけっすね。

ただ、これがすごいベタ。笑っちゃうほどベタ。希望を失ってちょっと自暴自棄でもある美少女3人組に振り回されながら、彼女らに希望や信頼を与えるのが皆本ってやつなんだと思うんだけど、読者としてはなんつう美味しい役どころなんて思ってしまうわけで、美少女3名はひとまずおいておくとしても、その能力のために社会に受け入れられない美少女に関係する(性的な意味じゃなくて)というのは、一種男の夢なんじゃなくって? 社会は君を理解しないかも知れないけれど、君さえ望むなら、僕は君のそばを離れない! 君のためなら、この命、散らしたってかまわない! なんて思っちゃったりするわけで(しかもわりと本気で)、それが3人、よりどりみどりですか!? なんて思う私は、いわゆるエロゲ脳の恐怖なのかも知れません。

ええと、椎名高志は大阪人でしたっけ? 『たかじんの そこまで言って委員会』によれば、関西人はベタが好きなんだそうです。はい、私もベタは大好きです。だから、どうも『絶対可憐チルドレン』、好きになれそうな予感がびしばしして危険です。

蛇足

野上葵が可愛い、三宮紫穂は超可愛い、ってところかと思います。ええ、ええ、レイアースでは風ちゃんが一番好きでしたよ。

2007年08月26日 20:10

なんでこんなまわりくどい記事の書き方しているかといいますと……、つまりはこういうことです:

  • Shopping basket

地上三十階書店で、カゴを使ったのはじめてじゃないかな。それは置いておいても、買っちゃったってわけで、しかもがつがつと読んじゃったってわけで、そしたらですね、読む前に思ってたところが妙に当たってたり、というか見透かされてたりしまして、すごいよ、椎名高志! やっぱこの人はよいわとか思っちゃってるわけです。

そんなこんなで、以上。この記事はファーストインプレッションを伝えるにとどめて、詳細はまた後日にお送りしたいと思います。

2007年8月27日月曜日

アットホーム・ロマンス

 先月予告しましたとおり、8月27日発売のKRコミックス『アットホーム・ロマンス』を購入して参りました。数年前、この日本に吹き荒れた妹萌えの揺り返しとでもいうのか、昨今なぜだか姉が大人気。『あねちっくセンセーション』だけじゃない。漫画、ゲームといったジャンルにおいて、姉を題材としたものが次々リリースされていっているのです。と、ここで真打ち登場かも知れません。風華チルヲの『アットホーム・ロマンス』は、主人公こそはマザコンですが、ブラコンの姉と過ごす日々の中で、姉萌えに目覚めるのか? どうなのか? 母への思慕と姉への困惑との間に揺れ動きつつ変わっていく、少年の心の旅路を描いた激動の物語が始まります。

みたいにいっちゃうとちょっと言い過ぎみたいな感じもしますが、といっても、まったく嘘というわけではないんです。主人公は極度のマザコン、姉は極度のブラコン、父は父で酒に溺れギャンブルに溺れるろくでなし。息子と夫の状況見るに見かねて、母が出奔するところから物語はスタートするのですが、この姉が実にとんでもない。弟のベッドに侵入する、風呂にだって突入する。それもこれも母と会えないがために禁断症状に陥った弟をはげまし、元気づけたい一心でのことなのですが、最初の頃はそれこそ読んでいてちょっと退くほど。あまりにも過激な愛情表現の一方通行を見せられて、こりゃあ正直かなわないなあなんて思っていたのですが、けれど、次第にこの姉を応援したくなってくるのはなぜかということなんですね。姉だけじゃない。主人公からして過剰なコンプレックスに突き動かされている、さらにいえば登場人物のほとんど全員がそうした抑圧持ち、けどそこに嫌悪よりも人の情のいじらしさみたいなものが感じられるというのが、『アットホーム・ロマンス』のよさなんじゃないかと思うのです。

確かに、主人公の姉は強烈に弟好きで、やることなすこと善意の押し売りに近い、正直かなり迷惑なお姉さんなんですが、自分の内心の要請に素直でありながら、弟のために退くべきかと葛藤する、冷静と暴走の合間にせめぎあう気持ちが見えるのがいじらしいのだと思うのです。そもそもが、この漫画に出てくる人たちはみんなそうで、心のどこかに弱い部分をもっていて、それがママへの過剰な思慕や、弟への依存としてあらわれて、けれど彼らはその弱い部分をそのままにはしたくないと思っている。前に向かって歩こうと、捨てるに捨てきれない感情を、あえて押しとどめて前へ向かおうとする、そこですよ。私はなんだかほろりとさせられるんです。完全に依存して、自分の思いのままに、沈み込んでしまうのがきっと一番楽なんだけど、またその楽さを選びたいと、選ぼうとする自分に気付いているんだけど、それでもときに顔を上げて、進まなきゃと思う — 。この漫画は、マザコンやシスコン、ブラコンといった、肉親に対する過剰な情愛を題材にしているんだけれど、その先には人間の持つ弱さがひっそりと隠れています。冗談やなんかじゃなくて、わりと真面目にいっています。執着や依存、現状に立ち止まるばかりか後退さえしかねない弱さが描かれている。けれどそこには、温かく安穏と過ごすことのできる繭を破ろうという気持ちが、強さが揺らぎながらも同居しているから、ああ、これってすごく人間らしいよねと、あんなにも過剰にゆがんだ愛をあらわにする彼らに、普遍的なものを見てしまうのです。

けど、人間はそれでも弱いから、簡単にはいかなくて、決意もなかなか成就するには至らないんだけど、そうした弱さを支え合っているのがまた過剰な肉親間の愛というのが、この漫画の救われないようで、けれど一番の救いであるところなんじゃないかなと思ったりもして、主人公竜太朗はどうしようもないマザコンで、ママ以外は視界に入らないんだー、みたいなこという困ったボーイだけど、けどそれでも姉のことが好きなんですよね。姉も、竜太朗にゾッコンLOVEなんだけど、姉としてどうすればいいか考えて、こういうお互いになにか助け合いたいと思っている、そんな関係がいいじゃないですか。ロマンスかどうかは知らないけれど、アットホーム分は充分以上に感じられる漫画で、それは主人公一家を飛び越えて、友人をも包み込むくらいに大きなアットホームなんだと思います。

蛇足

姉の中から選ぶのだったら京子姉ですが、実際には長瀬奈津子がお気に入りです。

蛇足2

この漫画の中で自分に一番似ているのは……、それは親父だっ! 頑張りたいのに頑張れないのはなんでだろう。明日やる!! 明日やるから!!が口癖になったのはいつからだろう……。

程よく侘びしさが身にしみたところで、皆様ごきげんよう!

引用

2007年8月26日日曜日

Torii, taken with GR DIGITAL

Cake make machine毎月末はリコーGR BLOGのトラックバック企画。お題にそった写真を撮って、Blogで公開、公式Blogにトラックバックしようという企画なのですが、今回、私はちょっと頑張ってみましたよ。なんと、写真を撮りにいったのですよ、京都まで。ええと、電車で二十分くらい? 地理的の有利を感じないではないですが、そうした有利を反故にするくらいにちょっと変わったもの撮ってしまうのが私の常。というわけで、いってみましょう。トラックバック企画『ご当地自慢』に参加です。

今回私のいったのは新京極でした。市内でも特に繁華な通りで、けれどにぎやかなだけではない情緒もある、そんな場所だと思います。私なんかも、子供の頃には親に連れられてちょくちょく新京極いったものでしたが、最近はずいぶん遠ざかっていまして、だから久しぶりの新京極界隈でありました。

私にとっての新京極らしさというと、冒頭に掲げました写真、かすてら饅頭ロンドン焼にとどめを刺すのですが、店頭で機械がかっちゃんかっちゃんとカステラ菓子を焼いているんですね。子供はこれを見るのが本当に好きで、放っておくとショーウィンドウから離れないんです。動画も録ってきたので、よかったら見てください。

さて、新京極錦にちょっと有名な鳥居があるんです。それを撮ってきました。まずは見てください。

Torii

寺町通りから新京極通りを臨む図でありますが、ここにある錦天満宮の鳥居。普通の鳥居に見えて普通じゃありません。さて、どこが普通じゃないのか。ちょっと問題の箇所に寄ってみた写真もありますので、よっく見てみてください。

左側
Torii
次いで右側
Torii

おわかりでしょうか? 鳥居が見事にビルにめり込んでいます。今回私は踏み込んでいませんが、この鳥居の先端はビルの中にきちんとあって、二階に上がれば見ることができるんだそうですよ。

なんでこんなことになってるのかというと、もともと鳥居があったところに建物を建てたからとしか言い様がなく、どけるでなく、避けるでもなく、鳥居を取り込むかたちでビルを造った。あり得ないような話だけど、あるんだから仕方がない。しかもこの鳥居、こんなにも街に調和してしまっています:

Torii

以上、地元のものでも知らないかも知れないけれど、知ってる人にはちょっと有名な鳥居を取り上げてみました。

おまけ

実に関西らしい鰻屋さんも見付けました。錦市場のお店です。

Sale price

2007年8月25日土曜日

ポケットナイト

   気になってる漫画があるんだ! それは椎名高志の『絶対可憐チルドレン』。残念ながら内容は知りません。知ってるのは、ヒロイン三人が超能力者ってことくらい。それと、裏表紙にBABELって書いてありますね。三人ヒロインでBABEL、なんか違うもの思い出してしまいますが、あ、違う、こっち。けど私の興味は全然違ってて、ええと、表紙の娘、ストレートロングのベレーの娘、めっちゃくちゃ可愛いねえ。新キャラ? 正直、この表紙だけで買ってしまいそうになったのですが、『絶対可憐チルドレン』は現時点で10巻、これ買っちゃうときっと既刊も買っちゃうんだろうなと思うと、ちょっと躊躇しちゃう。なので、多分買わないんじゃないかなと思うんです。どうしたものか迷います。

 椎名高志というと『GS美神極楽大作戦!!』が代表作ですが、自分にはちょっと『GS美神』はあわない感じで、見てたんですけどね、漫画もアニメも。でも単行本を買うには至らなかった。面白かったとは思うし、好きなキャラクターもいないではなかったけど、ちょっとあわなかった。

私にとっての椎名高志は、『(有)椎名百貨店』の頃の椎名高志で、えらい、えらいふるいじゃないか、って、けど時代は平成ですよ? 私が高校生の頃の話、部活の先輩が読めと無理矢理貸してくれたのが『(有)椎名百貨店』の最初の二冊だったんです。面白かったですよ。実に素朴な感じで、ひねりの利いた四コマも面白かったし、ショートストーリーにしても悪くなかった。そんな中、一番のお気に入りだったのは『ポケットナイト』でした。

人間並みの知能が与えられたネズミが研究所から逃げ出した。ネズミのムラマサはひょんなことから人間の女の子あゆみのもとに身を寄せることとなり、そして繰り広げられるハートウォーミングストーリー。こんな風に書くと妙に安っぽく感じられるけど、けどあゆみのムラマサに向ける暖かな視線、それに答えるべく奮闘するムラマサという構図はよかった。ムラマサはあくまでもネズミで、あゆみから見ればペットみたいなものなんだけど、同時に弟のようでもあり、この不思議な関係ゆえに語ることのできる思いなんてのもあったのかな。本当、悪くない、読めば暖かな気持ちになれる、そんな話でした。

『ポケットナイト』は読み切りとして書かれたようですが、人気があったんでしょうね、第3話まで続いて、そのどれもが好きだったのだけど、特に第3話、クリスマスの話、すごく好きでした。仕合せな日常があって、その仕合せが揺らぐかも知れないという局面が描かれて、けどそれがあそこまで説得力あるものになったのは、それまでの2話で積み重ねられたものがあったからだと思うんですね。もちろん第3話だけ読んでも充分によい話だったと思います。けれど私には、ムラマサにとってのあゆみ、あゆみにとってのムラマサの大きさが実感として伝わっていた。だからこそ、命を懸けてあゆみを、あゆみの仕合せを守ろうとするムラマサの必死の奮闘が、一瞬のあきらめが、重く、深く、胸の奥に届いたのだと思います。そしてクリスマスの奇跡。うまいなあと思った。うまいうまくない以前に、よかったとほっとする、そういう素敵さがありました。

  • 椎名高志『(有)椎名百貨店』(少年サンデーコミックスワイド版) 東京:小学館,1999年。
  • 椎名高志『(有)椎名百貨店』第1巻 (少年サンデーコミックス) 東京:小学館,1991年。
  • 椎名高志『(有)椎名百貨店』第2巻 (少年サンデーコミックス) 東京:小学館,1991年。
  • 椎名高志『(有)椎名百貨店』第3巻 (少年サンデーコミックス) 東京:小学館,1994年。

2007年8月24日金曜日

三色だんご

 私が山田まりおという漫画家を知ったのは、『まんがタイムラブリー』に彗星のごとく出現した『スーパーOLバカ女の祭典』がはじめであったのですが、しかしこの漫画、すごかったです。こんなの一体誰が求めているんだろうって疑問に思うほどのハイテンション。絵は、よくいえば勢いがあり、悪くいえば荒っぽかった。そんな漫画が気付けば結構なお気に入りになっていて、どこが好きかといえば、その狂気をはらんだテンションでしょうね。最初はすっかり引いてしまっていたのが、慣れというのは怖いですね、いつしかそのテンションでないと満足できない体にされてしまっていたのです。その後、山田まりおは漫画家としての腕を上げて、絵もしっかりとしてきたし、話の構成もちゃんとしてきたのですが、その反面、当初のテンションは失われているから、あの頃を知る人間としてはちょっと寂しいなあ。そんな風に思っています。

(画像は『スーパーOLバカ女の祭典』第4巻)

『三色だんご』は、そんな山田まりおが双葉社の『まんがタウン』に連載する漫画です。登場人物は主に三名。ヒロインは多分長女なでしこ、女優です。微妙ですが。山田まりおヒロインらしく、無駄に元気で、無駄に自信家で、必要以上に自己中心的で、常識に欠けています。そんな彼女の脇を固めるのが、あまりにマイペース過ぎるママはこべと、妹のよもぎ。この二人、なでしこに比べると印象に薄く、普通なのですが、けどママはあれだわ。マイペースというか空気読まないタイプのいい人で、悪気なく迷惑をふりまくタイプ。思ったことを即実行、のんびりとして憎めないタイプだけど、身内にいたらいやだなあ。まあ、なでしことどちらを選ぶかといわれたら、はこべで即答なんですが、なんといってもなでしこは別格です。

この漫画、漫画という虚構に秩序や常識を持ち込みたい人は読んではいけないと思います。だって、そういう人には山田まりおは絶対に向かない。非常識でむやみにアクティブな主人公が、まわりに迷惑かけながら大暴れするというのが基本形ですからね。『スーパーOLバカ女の祭典』だってそうだもの。ひとりいる常識派が振り回されて、突っ込んでというのがパターンなんですが、『スーパーOL』なら川上さん、『三色だんご』ならよもぎがその役割を担ってて、実に大変そうなんだけど、その二人が常識派に見えるのはあくまでもまわりが非常識すぎるからというのが深い。川上さんは最初確かに普通の人だったはずなのに、本当の普通の人の中に置かれる(異動したんです)と突っ込みすぎる人になってしまってるし、よもぎはよもぎでマイペースの上、ちょっとピントがはずれてるしで、そうした微妙なズレもネタにしてしまうところはうまいところだと思います。

と、ここまで書いて、実は私『三色だんご』は買わなかったんです。というのはね、やっぱり初期の山田まりおに比べたら落ちるかなあって思ったもので、ちょっと外してみようかと思ったんです。そうしたら、なんと双葉社が送ってくれた! いや、読者プレゼントに当たったってだけの話なんですけど、その月のプレゼントに『三色だんご』が出てて、買わなかったとはいえ未練があったみたいですね、希望のプレゼントにこれを選んでみたら、なんと当たってしまいました。もちろんサイン入り。よもぎがスイカ割りしてるイラスト入りです。

正直、ありがたいと思いました。今回、これ書くために頭から読んでみて、何度も笑いをこらえ切れなくて困ったりもして、やっぱ面白いですよ。初期の勢いがどうたらこうたらいってるの、関係ない。今は今の面白さがあって、それもかなりの水準を保ってるのは間違いないと思います。だから、2巻が出たら必ず買いますね。

ところで、この漫画に出てくる姉妹、なんだか妙にリアルですよね。私は女男の姉弟であるわけですが、女同士の姉妹だとあんな感じなのかも知れませんね。姉ちゃん、やめときなよ、みたいな感じで突っ込み入れてるよもぎの感じ、実にありそうな感じで、すごく好きな描写です。

  • 山田まりお『三色だんご』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2007年。
  • 以下続刊

2007年8月23日木曜日

audio-technica 密閉型インナーイヤーヘッドホン ATH-CK52

 イヤホン、買い替えました。今日、仕事が終わってさあ帰ろうかとポケットからiPod取り出してみると、イヤホンの左側がぱっかりと口を開いていまして、ああこれは駄目だな。一目見て思いました。けど、よくよく見ると内側の導線は無事繋がっているようで、もしかしたら聴けるかなと思って装着、そうしたら問題なく音が出たので、壊れたのは外殻だけの模様です。とはいえ、配線が駄目になるのも時間の問題と思われたから、帰りに上新電機によって新しいイヤホンを買ったのでした。購入したのは、以前使っていたaudio-technicaのATH-CK5の新型、ATH-CK52です。

別にたいした理由があったわけじゃないんです。以前使っていたものの後継品なら、耳にもなじみがあるしいいだろうと、それだけ。つまりはATH-CK5にさほどの問題を感じていなかったということで、実に順当なバージョンアップであると思います。

けれど、店頭でイヤホン見てたとき、ノイズキャンセル機能付きを選ぼうかなという気持ちもないわけではなかったのです。知人が同じくaudio-technicaのノイズキャンセル機を使ってるんですが、やっぱりすごいですよね。音量の大きい、あるいは音量の一定しているジャンルを聴く人にはノイズキャンセルはなくてもいいように思いますが、クラシックとかだと弱音が重要だったりしますから、こういうのをメインに聴くならノイズキャンセルがあったほうがいいと思います。まあ、ノイズキャンセルをオンにして道歩いたりしたら危なそうなんで私は今回は見送ったのですが、安全の確保さえできるなら、ノイズキャンセルはありだと思います。

さて、ATH-CK5の後継機は二種類ありまして、ATH-CK51とATH-CK52なんですが、これ、なにが違うかといいますと、ケーブルの長さであります。51が0.6m、52が1.2m。0.6mだとちょっと短めですが、ATH-CK5の延長ケーブルを使えば問題はないわけで、こちらでいいかなとも思ったのですが、けれど接点は少ないほうがよいだろうと考えて、1.2mを選択。そういえば今思い出したのですが、冬場なんかに静電気が延長ケーブルの接点から逃げて、ノイズになったりしたことがありましたっけ。そういう点をかんがみれば、1.2mで正解だったと思います。

新しいイヤホンで最初に聴いた曲は、『スパニッシュ・コネクション』に収録のSeven Steps To Greece/Sirtosでありました。これ、わざわざ選んだんじゃなくて、たまたまイヤホン買ったときにこの曲がかかっていただけなんですが、けど聴き比べるには悪くない曲だと思います。スパニッシュ・コネクションはヴァイオリン、フラメンコギター、タブラのトリオでありまして、ヴァイオリンの高音、ギターの歯切れのよさ、タブラの低音が新しいイヤホンの真価を明らかにしてくれるでしょう!

駄目でした。ええと、イヤホンが駄目なんじゃなくて、エイジングってすごいですねっていった方がいいと思います。新しいイヤホンは、高音が固くてしゃりしゃりしていて、中音に関しては全然抜けてこないという、実に残念な結果。そりゃまあそうなんですけどね。方や二年間使ってきたイヤホン、方やパッケージから出してすぐのもの。比較にはなりませんわ。けど、正直ここまで違うとは思いませんでした。新しいイヤホンは、特に擦過音が強く出過ぎるせいで、聴いていてつらい。しんどいですね。洋楽のボーカルなんか聴いてると顕著ですが、sやz、tsなどの擦過音がものすごく強く感じられて、耳に優しくないです。こりゃ、しばらくしてからじゃないと音質どうこうなんていえないなあ、そんな結果でした。

ちなみに、こんな壊れかたしました。

  • Earphone (broken)
  • Earphone (broken)

家に帰ってよく見てみたら、接着すればまだまだ使えそうだなって感じです。サブじゃないけど、自宅使いにするために、直してみようかななんて思います。

2007年8月22日水曜日

夜空の王子と朝焼けの姫

 袴田めらはすっかり百合の人として定着してしまったみたいですね。というわけで、『夜空の王子と朝焼けの姫』。これは結構前に買っていたんですが、ちょっと読む余裕がなくて今まで置かれてしまったのでした。けど、ようやっと読んで、私はちょっとびっくりしました。思った以上に踏み込んだ描写があって、そうかあここまで描いちゃうんだと、なんだか感心してしまいました。けど、別に露骨とかいいたいわけじゃないんです。漫画としてはやっぱり袴田めら節とでもいおうか、叙情にほの暗さが混ざり込んだ独特の余韻が後に引いて、そちらがメインであることは間違いないのですから。叙情が強いものならばほっとした気持ちに、ほの暗さの勝ったものであったら、切なさに胸かきむしられるようで — 、で、あんたはどっちが好きなのよといわれたら、ほの暗いのが好きだと答えます。

具体的にいうと、『放物線を描く花』なんて絶品かと思う。誰もが気付かず見過ごしにしていた美しさ、それを見付けたのは私なのに、その美を白日の下に解き放ったのも私なのに、美なるものは絢爛に咲き誇り、私一人のものではなくなってしまった。これは切なさにもだえましたね。もしこれが私であったらば、完全に隠匿して人には見せなかったかも知れない。けれどそれでは駄目なんです。ヒロイン一之瀬は、そのまっすぐな心でもって美に躊躇なく歩み寄り、なすべきことをベストなかたちでなしたのです。誠実さは鬱屈していた心を救ったけれど、かわりに自分一人が囲い込めたかも知れないものを手放させることにもなった。それが正しい行いであったことは誰もが認めるところだけれど、正しさゆえの寂しさというのもきっとあるのだろう。そういうことを思わせる、本当に美しい小品だったと思います。

『カラス女』は、『放物線を描く花』ほどには締めつけられる感じはないのだけれど、似たような構図を持った話で、けどこちらは失われてしまった美についての話。短い、コンパクトでシンプルな話なんだけれど、そのシンプルさがいかされたちょっと素敵な落ちが、その落ちに向かう波乱も含めて、じんわりと胸に広がる感じ。叙情強め、ほっとして仕合せな気分には確かになれるのだけど、その中に少し苦味が残ってるかなって思う。ああ、らしいなあ、こういう話が好きなんだなって思います。

けど、明るめの話も好きですよ。思ったことを口に出してしまう女の子がヒロインの『キリンの首は長すぎる』、よりによって口にする言葉が強烈すぎる、そのあからさまなところが最高で、パンダびびらせてしまうところなんて最高だった、ちょっと笑ってしまった。何回読んでも笑えるくらいに強烈だったんだけど、けどこの話の最後のシーンがなんかほろりとさせるんだ。もうあかんかなと思わせて、最後にぐーっと明るい方向に持ち上げてくれるような上昇感とでもいったらいい? ああ、やっぱり好きだなって思います。

好きな話はまだまだあります。けれどここで次々ネタバレくさいことをするのもどうかと思うので、このへんでやめておきますが、本当、実際に読んでふれてはじめて伝わる味というのが袴田めらにはあると思います。ちょっとぬるめのタッチ、けれどそれが想像以上に情感を伝えることは確かにあって、これが袴田めらの味なのだと、私なんかは言い切ってしまいます。ちょっと癖のある漫画だけど、その癖が嫌いでなければ、きっとお気に入りになるんではないかなと、そんな一冊です。

2007年8月21日火曜日

ジレットフュージョン

 Amazon.co.jpにてキャンペーンやってまして、五千円だったかな、以上を購入の方にはひげそりを呉れてやろうというのですね。ジレットの新商品で、フュージョンっていうもののようですが、まあ貰って当座困るようなものでもないから、いっちょ頼んでみるかと頼んでみました。この時点でもう相手のペースですが、まあ気にしない。さて、このひげそり、なんと5枚刃です。2枚刃はもう当たり前、3枚刃あたりも珍しくないと認識してましたが、5枚刃というのはさすがにちょっと驚きました。で、到着、早速これを使ってみて、その感想。というか、使いはじめるまでにひと月かそれくらい放っておいたんで、嘘ばっかりですけどね。

放っておいたのにはあんまり理由ありません。以前使ってた2枚刃のふるいのでまあ問題なかったからっていう感じですが、まああんまり髭の濃いわけでもない私ですから、慌てて使いはじめようというほどにわくわく感もなかった。そんな感じだったと思います。

使ってすぐの感想は、なんだこりゃ、すごく頼りないなってものでした。ヘッドが可動式なんですが、すごく柔らかいというか、肌にしっかりと当たってくるという感じがないように思います。そしてそり味ですが、これも頼りなく、なんかなでてるだけという感じ。ほんとにこれ大丈夫なのかなと思ったのですが、確かに問題なく剃れているようで、この抵抗感の少なさというのが売りなんでしょうね。深く剃りたいからといって、逆ぞりすると肌が荒れたりするのはよくある話。けどこれ使ってる感じでは、あまり問題がない感じ。もっと力強くごりごりとやったらいいのかなあ。けど、あまりそういう力入れて剃るという類いのものではないという感触です。

使ってみてピンとこなかったらそれっきりにしようと思っていたんですが、結局替刃買ってるのですから、ジレットの戦略にしてやられてますね(しかもこうして使用レポート書いてる時点でもう、もう!)。誰だったかなあ、確かジレットの筆頭株主だったかなんかだったかと思うのですが、夜寝るときに、今この瞬間にも世界中の男たちの髭が伸びていると思うと、私の株は安泰だと思えるとかなんとかそういう話を聞いたことがありまして、ええ、確かにその瞬間にも私の髭は伸びてますなあ。それで替刃買うわけだから、私も持つならこうした生活必需品に関係する株にしたいと思います。

閑話休題。このひげそり、ヘッドにはスムーサーとやらが着いていて、ヘッドの滑りをよくするものらしいのですが、これがちょっとねばねばする感じで、ちょっといやー。ビタミンEとアロエ成分が配合されてるらしく、かみそり負けもしにくいよっ、ってことなんかも知れませんが、最初の頃のあのぬるぬるねばねばはやだなあ。まあいいんですけど、いずれなれるでしょうし。また、このスムーサー、緑の色が付いているのですが、その色がなくなった頃が替え時ですっていうんですが、一体どれくらいまで色が抜けたときがその時なのかいまいちわからず、私元来がけちにできてますから、だらだらと使い続けてる、そんな感じです。だって、まだ緑色に見えるのだもの。

このホルダーに付いてくるプラスチック製のホルダーホルダー(ややこしいな)、これが自立するのは正直ありがたかった。かみそりが横に寝かしてあるとスペースをとるし、だからといって立ててあると取るときに指を切りそうで怖いし、けれどこのホルダーホルダーだと省スペース、安全でいい感じです。けど、替刃がですけど、がっちりとプラケースに納まってくるというのは正直どうだろうなあという感じでありまして、無駄にプラゴミを増やしているような気がします。そういうこというと、こうしたヘッド丸ごと交換型のシェーバーもそうで、無駄が多いな、刃だけ交換できたらいいのにねと思うけれど(今まで使ってたのがそんな感じ)、けどそうした機構だと、5枚刃とか実現できないんでしょうね。

とりあえずこれに慣れつつありますが、将来的にどうしようかと迷ってもいます。多分使い続けるような気もするのですが……。あと、ちょっと電動のパワーなんてのも気になってます。まさか横揺れなどはするまいな!

2007年8月20日月曜日

STEP

 今になって聴きたいアニメソングってあると思うんです。ふとなにかのおりに思い出したりして、ああ懐かしいなあ、好きだったなあって、アニメが好きだったこともあれば、歌そのものが好きということもあって、けれど歌の好きなものは総じてアニメも好きだし、逆もまた然り。そう、iTunes Storeのせいで懐かしアニソン聴いちゃってるよ、第三弾です。

ええと、最初『魔動王グランゾート』がないかなって思って探したんです。グランゾートっていうのは、月の古代文明が残したロボット(魔動王)を駆り敵と戦う三人の少年たちの物語であったのですが、好きだったんですよ。ホロレチュチュパレロって聞いて思い出すところあるという人は友達になりましょう。月夜の晩の丑三つ時にヤモリと薔薇と蝋燭を、です。

けど、iTunes Storeにグランゾート パックがなかったんです。ええーっ、ないんだー。と残念がるのはいいとして、『グランゾート』がないというなら『ワタル』どうだろう。そう、『魔神英雄伝ワタル』ですよ。七階層ある創界山を、虹の橋を渡しながら最上層に向かうというストーリー。主人公は剣部ワタル(あれ、戦部だっけ? あ、戦部が正解。剣部はシバラク先生か)。意志を持つロボット魔神を操り、敵を撃破しつつ進んでいく。基本的にギャグの色の強いアニメで、シバラク先生なんて自分の魔神戦神丸を電話で呼び出す始末で、明るくて楽しくて、けどときにシリアス、魅せたよねー。面白かったわ。ほんと、私は第一話は偶然テレビつけっぱなしにしてたら見ちゃったって具合で、ええと福島から借りたドラクエIIIのサントラLPをテープに録音してるときに裏で流しっぱなしにしてたんですが、そうしたらそのテープに『ワタル』の台詞が録音されちゃってですね、レコードプレーヤーって外部の音拾っちゃうんだって、はじめてその時意識したことを覚えています。

ええと、余談でした。

『ワタル パック』には二曲収録されています。『STEP』と『a・chi-a・chi アドベンチャー』。私、『a・chi-a・chi アドベンチャー』についてはすっかり忘れれて、ほんと、『STEP』聴きたさにダウンロードしたようなものですよ。そしたら、『a・chi-a・chi アドベンチャー』、すごいね。聴いて一発で思い出しました。ああ、この歌バックにしてヒミコが踊ってたよなあ。しかし、中学生だった頃の私には感じられなかったけれど、今になって聴くとなんだかすごく挑発的ですごいね。ちょっと艶めかしい。おっちゃん、ちょっとドキドキする。全体に音源はLow-Fiで、全体にもこもことして抜けも悪いというのに、このずがーんっと突き刺さってくる感じはなんだ。ちょっと穏やかでいられない。歌っているのはa・chi-a・chi、ちょっと舌足らずの発音がなおさら蠱惑的でこれはちょっとあれだわ。『シングル・コレクション』買ってもいい。つうか、まだ買えるんだ。すごいな『ワタル』、というかビクター、素敵すぎですよ。それこそ超の方も併せて買っちゃおうかなって気分ですってば。少なくともこの二曲に関しては、『ワタル』という文脈を離れてもなお魅力を失いません。

『STEP』が掛け値なしに名曲なんですよ。アップテンポなナンバー、すごく前向きで、けどちょっとセンチメンタルな歌詞。少年の、まっすぐに伸びようとする思いの鮮やかさがある。君を守ろうという思いが、約束が、僕を先へ先へと進ませる力になるんだ! そんな感じがひしひしと感じられて、けど一番いいと思うのは、あの、夢を求めてくじけたときは新しいSTEPで素直になればいいというフレーズ。くじけても、あきらめない。くじけることがあっても、そのつど思い新たにして歩き出せばいい。傷つくことだってあるし、くじけることだってあるけれど、それが終わりじゃない。まだ先に進めるんだよといいたげな前向きさは、少年期の私にとってちょっとしたはげましだったって思ってる。ほんと、決して忘れることのできない、大切な歌のひとつです。

DVD

VHS

引用

  • 立花瞳『STEP

2007年8月19日日曜日

サムライハート

yujirocketsさんがおっしゃるんですよ、iTunes がいけないんですよって。もうすっかり過去になっていたはずのものをいたずらに刺戟して思い出させてしまうんです。って、なんの話かといいますと、iTunes StoreがリリースするアニメソングEPですよ。私はビギニング / めぐりあい聴きたさに『ファーストガンダム パック』を買って、そしてそれが呼び水になって『Ζ・刻を越えて』を買って……、もちろんこれで止まるわけないじゃん。買っちゃいましたよ『サムライトルーパー パック』。そう、『鎧伝サムライトルーパー』。鎧擬亜ヨロイギアを装着して戦う五人の美少年が凛々しくもかっこいいアニメですよ。

しかし『サムライトルーパー』とは懐かしい。夕方五時からやってたんですよね。確かこの後番組が『獣神ライガー』で、その後勇者シリーズに繋がる流れが思い出されます。ということは、私がこれ見てたときって中学生だったのかな。いや、高一くらいかなあ(正解は中三です)。そう、中学校の教室で、『サムライトルーパー』話、してました。思い返せばあの頃が私の人生の転換点でした。つまりなにをいいたいかというと、おたくでマニアな友人が急に増えたってこと。関西地方においては絶大の知名度を誇る伝説的番組『アニメ大好き』を見始めたのもこの時期で、私は時間の許すかぎりアニメ見て、そのうちのひとつが『サムライトルーパー』だったというわけです。

もうストーリーなんてほとんど覚えてないんだけど、それこそ主人公が赤い鎧を纏う烈火のリョウだったことくらいしか覚えてなくて、後に彼は真っ白な鎧、輝煌帝を纏うようになるのですが、当時の級友だった辻井がこの二刀流扱う烈火のリョウのこと好きだったんだっけ? 私が好きだったのは光輪のセイジ、天空のトウマだったかなあ。ちょっとはっきりしてないけど、途中から出てきた敵の女幹部(で確か味方側の人間のはず)、迦遊羅も好きだったなあ。なんてったって、勝生真沙子だったからなあ。凛々しい女性が好きなんだ(それとボブ)。この人が転移だったかするときに、ピーラーーー、って感じの音響が使われて、それがタツノコの『ヤットデタマン』のジュジャク思い起こさせて、こういう音も懐かしいなあ! って思った記憶があります。といってももうずいぶん昔のこと、記憶はかなり薄れています。

『サムライトルーパー パック』に収録されるのは、『スターダストアイズ』、『Faraway』(浦西真理子)、『サムライハート』、『BE FREE』(森口博子)の四曲で、そうここで私がこれを買った理由がわかろうというもの。森口博子ですよ。この人は歌がうまくてですね、Ζガンダムの主題歌『水の星に愛をこめて』もそうでしたけど、中学時分の私は森口の歌っているのがすごく好きだったんです。当時はバラドルなんていって、歌手としてよりもバラエティに出てることの多い森口博子でしたけど、私はその状況を苦々しい思いで見ていた。なんで歌わせないんだ。あんなにうまいのに。あんなに印象深く歌うのに。そんな風に思っていました。

四曲を聴いてみて、驚くのは『スターダストアイズ』がもうまったくといっていいほど記憶にない。これ、多分部活動の影響でしょうね。だって『Faraway』は覚えているもの。吹奏楽部に所属していた私は、『サムライトルーパー』の始まる午後5時に帰り着けてなかったらしい。走って帰ったりしてたんだけどな。やっぱり部活動なんてするもんじゃないな。いや、吹奏楽部に所属してなかったらその後の人生がらりとまったく変わっちゃうから、そういっちゃうのもなんだけど……。

私にとって『サムライトルーパー』というと森口の歌う『サムライハート』とイコールであるといっていいくらいに、この歌が印象を決定しています。だって、歌詞覚えているもの。カラオケでこそ歌ったことないけど、よく口ずさんだものでしたよ。こういうきっぱりとした雰囲気の歌に私は弱いみたいなんですよ。

あ、そうだ、最後に。後期エンディングを飾った『BE FREE』。街角に集まる少年たちの日常を描いたようなシーンがよかったなあ。そして、最後のSay Helloで、五人が空に向かって伸ばした手を互いに叩くんですよね。後に、多分同人誌でだと思うんですけど、この場面を友人と一緒に再現したみたいな思い出が語られているのを読んで、私は変に胸が熱くなって、そうだ、そうだよ。なんか思いを共有したみたいな気持ちになって、どうも私はあれらの時代を生きたアニメファンと心を通いあわせるのがどうにもたまらないようでありますよ。

バンダイチャンネル

CD

DVD

LD

引用

2007年8月18日土曜日

Ζ・刻を越えて

 先月でしたか、iTunes Storeにてガンダム特集とやらがなされていると案内あって、いってみたら変に盛り上がっちゃって、なにも買うつもりはなかったというのにガンダムパックを買っちゃった。ええっと、ビギニング / めぐりあい目当てですね。けど、本当はΖパックが欲しかった。てっきりΖガンダムの主題歌も網羅されているものと思って、Ζパック探していたら、なぬー、Ζ単体ではないうえに主題歌が全然収録されてないとはどういう料簡じゃ。『Ζ・刻を越えて』がない、『星空のBelieve』がない、『水の星へ愛をこめて』もない! って、け、け、け、けんか売っとんのかー。と怒っていても不毛なので、こういうときはCDチェックして、そうしたらありましたよ、なんだかよさそうなCDが見つかりましたよ。

そのCDというのは『Ζ・刻を越えて / 星空のBelieve / 水の星へ愛をこめて / 銀色ドレス』。Ζガンダムの主題歌シングルをカップリングしたものだそうでして、つまりはオープニング、エンディング網羅と考えてもいいんじゃないかと思いますが、ああこれは素晴らしいよ。素晴らしすぎます。価格にしても手ごろであるし、しかもなんだか六曲収録らしい。いいじゃん、いいじゃん、これは買いだよ。すぐさまCDをカートにぶち込みましたね。けど、支払いやら送料やらの問題からひと月寝かせてしまいました。

私がΖにひかれるのは、番組を途中からしか見たことがなく、また本放送でしか見たことがないという、そのためだと思うんです。つまりほとんど覚えていないってこと。記憶に残るのは断片ばかりで、アッシマーの空中戦、燃えるニューホンコンに現れるサイコガンダムの巨大な質感、そしてフォウ・ムラサメ、ロザミア・バダムといった悲しい宿命の人たち。他にもちょこちょこ思い出せるものはあるけれど、おおむねこんな感じ。どんどん進むストーリーに対応しきれてなかったなあというのが実感で、けれど好きで毎週見ていました。そして、森口博子の歌う主題歌が好きでした。

といっても、実は主題歌についても混乱が見られて、『Ζ・刻を越えて』はしっかり覚えています。あと、『水の星へ愛をこめて』が記憶に濃く、TVサイズにフォローされる歌詞は把握しているくらいで、そして『星空のBelieve』も、ああ聴いたことあるあるといえるくらいに記憶に残っています。つまり、『銀色ドレス』が駄目なんです。本当にこの曲、OP. ED.どちらかで使われてたんでしょうか。そう問いたいくらいに覚えていません(Wikipediaで確認してみれば、OP. ED.として使われてたことはないようですね。忘れてたわけじゃなくってよかった)。

ちょっとWikipedia読んでたら泣いてしまいました。物故者が思っていた以上に多くてですね、切ないなあ。できることならまた一度通しで『機動戦士Ζガンダム』見てみたいものだと思いますが、見たら泣いちゃうかも知れないなあ。それは多分『ガンダム』でも一緒で、時間は確実に流れて、すべてのものを思い出とともに流してしまっていくのだと思って、なんだかしんみり、めそめそしていたら、森口が歌うんだ。もう泣かないでってさ。ああ、ああ、そうだねえ。泣いてても仕方ないわねえ。

去年だったか、イベントの会場でガンダム関係の音楽が流されてまして、もちろんΖもあったんです。あっ、Ζだ! すごく嬉しくなって、聴きたかった曲をこうして耳にすることができて、こういうところもイベントの面白さだと思うんですが、こうして思いがけず私はΖの主題歌を再発見して、そして自分が思っていた以上にこれらの歌を愛していたと再確認したのでした。

なにが好きだったのかわからない。どこが好きだったのかもわからないんですが、平易なメロディが排除されてるような『Ζ・刻を越えて』も『星空のBelieve』もドキッとするほど好きで、本当にこれらはいい曲だと心の底から思います。そして、『水の星へ愛をこめて』でしょう。私は、とにかくこれらの曲を聴くとたまらない思いにとらわれます。理由はわからないけれど、すごく引かれて仕方がありません。

引用

  • 売野雅勇『水の星へ愛をこめて

2007年8月17日金曜日

パティスリーMON

  盆も明けて、街の機能も通常どおりになろうとしていて、こういうときにですね、新刊が出てるんだ、そう思って寄った書店にて『パティスリーMON』の第4巻を見付けました。もちろん購入して、一番に読んで、物語が動いているなあと、そんな思いをひしひし強めて楽しんでいます。しかし動いているといっても、一般の恋愛ものに比べればすごくスローな展開だと思います。4巻時点においても、まだヒロイン音女の恋心には決着がつかない。高校生の頃の憧れの人に、君が好きだ、君の恋人になりたいなんていわれているにも関わらず、まだ態度を決めかねている。これはうじうじしてるとかじゃないんです。優柔不断というわけでもない。いや、ちょっとはそうかな? けど、音女が迷う根底にはパティスリーでの仕事への思いがある。思いがけず働くことになった製菓の現場において、根性見せてくれるんですね。甘っちょろいこといわず、やれることを精一杯やろうという態度がなによりきっぱりとしていてしゃんとして、そこがいいよねと。だから、私はこの恋愛を前に決めあぐねる音女の態度には、むしろ応援したい気持ちさえあるくらいなんですよ。

以上、ちょっとかっこつけた意見。これからは馬鹿な話になるので覚悟が必要です。

かつての憧れの人、イケメンで優しく細やかでそしてなによりも自分のことを思っていてくれる。こんな完璧とでもいわないでなんといおうかという理想的男をじらしてしまう音女を私は応援しているわけですが、なぜか? それは多分私はこの男があんま好かんからだと思います。だってさ、どんだけオトメちゃんのこと好きか知らんが、甘やかすのもいいかげんにしろ!てなもんですよ。いうことやること、そりゃ別段問題ないというか、むしろちゃんとしてるんだけど、その一見ちゃんとしていろいろやってみせる根底に、オトメちゃんのためなんだよ、オトメちゃんが一番なんだよ、みたいなのがちらほら見えるのは一体どうかと思うってな話ですよ。あんた、あんたは仕事をしとるんだ。仕事をしにここへきとるんだ、それを一人の女の子のために浮ついてどうする(というかありゃ戦略だと思うけどさ)。てな風なことを思う私は実は、どんだけ大門のこと好きか知らんが、肩入れするのもいいかげんにしろ!てなもんで、ええと、つまり、私、大の大門好きなんです。

大門、ケーキに馬鹿のつくほど入れ込んでいる男。製菓に対しては全力投球で、自分のポリシーを曲げるのは大嫌いという男。部下に一喝入れるのも、店への、いやおそらくは理想の製菓への情熱が後押ししているんだと思う。普段は情熱をあらわになんてしない、クールというよりも不器用で無愛想な男が、おりに見せる情熱、熱さにしびれてしまいます。そして、思いがけず露呈させるうかつさ、これが可愛いんだ。ほんと、いい男だと思います。自分に非があると思えば、部下に対し即座にわび入れるような素直さがある。わかりにくい男に思えるけど、その本質はすごく純真でシンプルなんですよ。なさねばならないことに妥協はしないというまっすぐさがある、一旦決めればぶれない確かさがある。これは、本当にいい男ですよ。ストイックだけどストイックすぎず、やわらかだけど軟弱じゃない。ほんと、音女のような娘には大門の方がお似合いだと思います。

てな具合に、あんまりに大門をひいきにするものだから、ちょっとツッチーが割り食わされてる感じでさすがに申し訳ない。けどツッチーもいい男であることには変わらないんですよね。女の人は、ツッチーのするみたいな愛し方を求めているのかも知れないなあと、細やかで、他のなによりもあなたが大切なんですよということを面倒くさがらずはっきりという。押しつけがましくないけれど、ときには押さえられない思いをあふれさせる。はっきりいって戦略だよななんて思うんですが(ごめん、私はやっぱり大門ファンなのだ)、けどツッチーが人気あるのは私にだってわかるくらいに素敵です。

とはいえやっぱり大門だわ。ほら、梅ちゃんの話で大門が見せた憤りの爆発。けんかの売り方にしてもかっこいい。確かにあの対処は間違ってるんだけどさ、そのことに大門自身も気付いて、だから後で肩落としてるんだろうけどさ、けれどそれでも抑えられないんだ。理不尽に対して黙ってるなんてこと、この人には無理なんですよ。確かにツッチーのいうのが正しい。それは私もわかるし、ああいう状況にあれば私もツッチーのいうような対処をすると思う。けどそれでも大門にはああいうやり方しかできなくて、ああその不器用でストレートなところに俄然ときめいちゃうじゃないですか!

きらという人の描く男性はまさしく絶品だなあと、男である私にしてもそう思います。凛々しくて清廉で、手管に長けた男であっても、情熱がまっすぐ吹き上がるような男であっても、卑劣さがない、粗暴さがない。ほんとかっこいい男たちだなあと思ってしまって、だから私はきらの本読むときは、こうした男たちに釘付けです。

  • きら『パティスリーMON』第1巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2006年。
  • きら『パティスリーMON』第2巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2007年。
  • きら『パティスリーMON』第3巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2006年。
  • きら『パティスリーMON』第4巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2007年。
  • 以下続刊

2007年8月16日木曜日

金曜の夜の集会

  夏が佳境ですね。連日、暑く暑く暑く、そして今日は十六日。送り火、京都では大文字はじめとする五山に火が点されて、いよいよ夏も終わりにさしかかるかという風情を感じさせてくれます。私なんかは盆に休みがあるわけでなく、別段なんということもない日常を送っているに過ぎないというのに、夏の盛りが過ぎ、晩夏にさしかかろうというこの時期、不思議な胸のざわめきに襲われることがあってたまりません。夏の午後の気だるさ、秋がくるのはむしろ願ったりというはずが、過ぎようとする季節に寂寥を感じているのですね。あるいはこれは、子供の頃、夏休みの終わりを思うたび、かすかに感じた残念の気持ちがよみがえるためかも知れません。

そしてこの感覚をともに思い出すひとつの短編がありまして、それは萩尾望都の『金曜の夜の集会』です。夏も終わろうとするころ、子供たちの興味は新しく見つかった彗星に向かいながら、気になる女の子も視野に入れて、そして明日へ明日へと伸びていく。そういう若草のような伸び、勢いが感じられる物語。舞台はおそらくはヨーロッパ、多分イギリス、けどもしかしたらアメリカ。詳しくはわからないけれど、けどちょっと昔の海外ドラマに見たような、憧れの生活が繰り広げられています。郊外の住宅地、まったくなんの事件もないというわけにもいかないけれど、子供たちは子供たちで伸びやかに暮らし、成長しようとしている。八月の最後の金曜日。少年は青年期を前にして、過ぎゆく季節をいよいよ見送ろうとする、そんななにげない日常の一コマが、それこそスケッチするように描かれるものだから、最後の最後、どんでん返しするようにすべてが転倒してしまうラストにずきんと胸の痛むように感じてしまうのかと思います。

これ以上は語りたくない、語れない。なぜなら、この本を読む人すべてが、余計な知識を持つことなしに、最後の瞬間にたどり着いてくれることが理想と思うから。だからここではすべてを曖昧のままに終わらせたいと思います。

時間が終わらなければいい、夏休みという特別の時間が永遠に続けばいい。そういう思いを持ったことのある人はきっと少なくないと思うのです。それが夏休みでなかったとしても、もし今が仕合せな時期であると感じたならば、この仕合せの壊れることなく、一日でも長く続いてくれればよいと願うのはすごく自然なことであると思うのです。けれど、それは本当に仕合せなのかと、この物語読むたびに思います。確かに、今あるものを失うことはない、その意味においては、仕合せな時間が続くのかも知れない。でも、あの輝かしい少年の、憧れや夢や希望は、まるで缶詰めにされたようにそこに足踏みすることを余儀なくされて、叶うでなく消えるでもなく、それはなんと切なく哀しいことであろうかと、そういう思いにあふれかえります。

失うことはいうまでもなく悲しいことで、またいつか去らねばならない日がくるということは残酷な事実であります。けれど、その失うことを引き換えに得るものもあるのだと、そういう摂理に気付かされる短編でした。そして、恐ろしいことに、この短編にあらわれる彼らの、明日がくれば得られたかも知れないなにかは、可能性は、あらかじめ失われてしまっているのだということに思いを寄せれば、なんという悲しい物語ではないかと、そのように思うのです。

この短編の描かれたのは1980年。この頃には、こうした未来のくることが漠然とした不安として存在していたのでしょう。決してあり得ないことではないと思う、そんな時代の空気を感じさせてくれます。そして恐ろしいことに、私たちの暮らす今も、まったくその可能性を捨て去ったわけではないというのですから、私は今の仕合せをことのほかいとおしいと思ってしまう。あり得ないほどに悲しみを深めてしまうように思います。

  • 萩尾望都『半神』(小学館文庫) 東京:小学館,1996年。
  • 萩尾望都『A-A’ — SF傑作選』(小学館叢書) 東京:小学館,1995年。

2007年8月15日水曜日

あずまんがドンジャラ大王

 今、少しずつ自室の片づけをしているのですが、そうしたら結構懐かしいものが出てきましてね、今日見付けたのは『電撃大王』。なんでこれが懐かしいかといいますと、『あずまんが大王』の最終話が収録されているやつなんです。読者全員サービスがあったんですよ。『サクラ大戦』と同時上映されたショートムービーのDVDが手に入るって話を聞いて、どうだろう微妙かなあとは思ったんですが、けど最終話収録の雑誌を持つのも悪くないと思ったものだから購入、全プレにも応募したのでした。こうして振り返ると、私は『あずまんが大王』好きだったんだなあって今更ながらに思います。ちゃんと、全巻きれいに揃えて残してますからね、2セット。2セット!? ええ、2セット。なんか私、変なこといってるかなあ。好きな漫画が2セットあるのは、そんなにおかしな話じゃないですよ。

Piece of donjara冗談はさておき、『あずまんが大王』最終話収録の雑誌見てたらですね、連載は終わるけどゲームで会えるよ! みたいなのりで『あずまんがドンジャラ大王』が宣伝うたれてまして、あっはっはっ、『ドンジャラ大王』だよ。懐かしい。あのちょっと地雷系のゲーム。クソゲーとまではいわないけれど、これが『あずまんが大王』じゃなかったら絶対買ってなかったぜ、というような類い。あれ、2002年発売だったのかあ。今から5年前。初回限定だったっけ? ドンジャラの牌を貰ったことも懐かしい。私はちよちゃんの7を貰って、えーっ、ゆかりちゃんがよかったなあなんて、ちよファンに殴られそうなこと思ったりしたのですが、けど今となれば、主役(だったと思うんだけど)のゆかりちゃんではなく、『あずまんが大王』の顔ともいえるちよちゃんだったというのは、むしろ逆によかったかななんて思います。いや、多分どの牌だったとしても、よかったって思ったろうと思うんです。

『あずまんがドンジャラ大王』は、あの簡易麻雀であるドンジャラを『あずまんが大王』キャラでやるというゲームで、けど残念なのは対戦ができないことですね。仕方ないんです。ドンジャラだとどうしても手牌が見えてしまうし、ハードもPlayStation、ネット対戦なんて無理でした。だから、もっと一人遊びに特化されたもので作られてたら印象も違ったと思うんです。あるいは、当時にNintendo DSのようなハードがあったらと思います。通信対戦ですよ。WiFiでもいいし、ワイヤレス対戦でもいいし。ダウンロードに対応とかしてたら最高よね。けど、こうしたキャラものはどうしても一発勝負だから、DS版なんて一生待ってても出ることはないわけで、残念だなあって思います。

ゲームとしては非常に残念なできだった『ドンジャラ大王』ですけど、記念物としてはまあまあだったかなって思います。たまには思い出して、ちょこっと遊んでみてもいいかも。やり込み要素がないってことは、ちょこっと遊ぶには最適ということだろうと思いますから。漫画読んで、ちょっと遊んで、当時思い出して、ああやっぱり好きだわって、この漫画が、この漫画の登場人物たちが、本当に好きだわって思う。そんなきっかけになってくれるとしたら、このゲームもそんなに悪くないなって思えますから不思議です。

2007年8月14日火曜日

よつばとリボルテック

 この間、映画にかこつけてトランスフォーマーのおもちゃをざっと見てみましたけど、あの時心の底から思ったのは、自分にはトイ属性がなくてよかったというものでした。だってね、捨てられない本や雑誌に囲まれて、部屋の容積にチャレンジする日々を送ってきて、もううんざりなんですよ。本、雑誌だけでもこれなのに、加えておもちゃの蒐集はじめた日には破綻まっしぐらです。なんといってもトイはかさばりますからね。大きさがある。収納が大変だ。私のことですから、絶対に箱とか捨てないでしょうしね。それにやっぱりトイとなるとディスプレイしたくなるじゃないですか。場所がないのというのにね! だからトイに興味を引かれつつも、それほどにまで欲しいと思わないという自分のへきに、心の底から安堵ですよ。いや、マジで。冗談や笑い事でなしに。

けど、ちょっと興味のあるトイがあるんだー。その存在をはじめて知ったのは、あずまきよひこ.comのエントリーで。もうここまでいえば勘のいい人ならわかるはず。そうリボルテックよつばだ。

正直これには驚きましたね。リボルテックっていうのは、フィギュアでおなじみの海洋堂のリリースするアクションフィギュアのシリーズで、なにがすごいといってもその完成度というか関節の稼働範囲というか。想像を絶するハイアクション、魅惑のポージングを決めることが可能なのです。けど、最初はロボットばっかりでしたよね。スーパーロボット系が多かったかなあ。私なんかはまさにそのスーパーロボット世代ですからね、ゲッターロボなんて見ては、すげーなー、かっこいいなあと思っていたのでした。

でも、買うまでには至らなかった。だって、ゲッター1買ったら、ゲッター2ゲッター3と欲しくなるのは必定。で、三つも買えば後は転がる石のごとく。あれもこれもと手を出しはじめて、うちがリボルテック屋敷になるのもそう遠い話ではないでしょう。だから、欲しいかもなあと思いながら、手を出さなかったのです。

ところが、よつばにはやられましたね。思いがけない切り口。これって、リボルテックセイバーはじめて見たときにも思ったんですが、うほっ、こんなのありなのか! って感じ。『Fate/stay night』てのが一体なんなのかまったく知らないというのに(ゲームがオリジナルなの?)、これ欲しい! と思ってしまうくらいに魅力的でした。

閑話休題。以上のようなわけで今わたしはよつばとリボルテックが欲しいわけです。いうまでもなく私は『よつばと!』の読者であるわけで、しかも非常に高く買っているわけで、そこへ前々から興味のあったリボルテックでよつば! 価格は手ごろで、できも悪くなさそう。これは買えっていってる!?

なんか、ダンボーも出るらしいですね。正直、ダンボーはかなりのお気に入りキャラだったので、欲しい……。でもこれらを買うことでたががはずれリボルテック屋敷になる危険性が……。迷う、本当に迷いますね。

2007年8月13日月曜日

ARMORED CORE — TOWER CITY BLADE

 書店での衝動買い、といいたいところですが、実はちょっと迷ったんです。タイトルに『アーマード・コア』。フロム・ソフトウェアの誇るロボット搭乗型の一人称視点シューティング。面白いゲームでしたよ。私は2のラインしかやってないのですが、非常に硬派なゲームでしてね、オートロックオンなんてそもそもはじめから存在しない。レーダー横目に見ながら敵の位置を随時把握し、敵弾回避しつつ敵影を真っ正面に捉え続けないといけない。焦って撃ってもかすりもしない弾丸。だから追尾型のミサイル頼りであったのですが、けど敵も上級になってくればやすやすと回避しやがるんですよね。全然相手にならない。なので、コンテナ射出型のミサイルをコンテナごとぶつけるという一発大逆転狙いで挑みまして、数時間の再チャレンジの末にランカー一位をようやく降して — 、あんときは知恵熱でましたね。

と、こんな具合に恐ろしく熱いゲームなのです。それがコミック化されたと知って、やばいなあ、地雷じゃないかなあって、そんな風に怖れたのですね。

でも怖れながらも買ってみました。以前、AC4だったかなの広告チラシに載っていたノベルっぽいのがちょっと面白かったりしたものでしたからね。だからそういう雰囲気、のりがあればいいかなと思って。けれど不安要素は確かにありました。まず帯:

いつもとはちょっと違った世界でのACになったと思いますが、そのこと自体を楽しんでいただければ、幸いだと思います。

〈株式会社フロム・ソフトウェア/プロデューサー鍋島俊文〉

これ、あんまり強気とは思えないですよね。真っ正直に解釈するなら、ゲームとはとにかく違うけど、漫画は漫画と思って楽しんでくれ、といったような、読者に割り切りを要求してるように読めてしまいます。で、おそらくこの感触は正しかったんじゃないかなあと思って、というのはやっぱりゲーム『アーマード・コア』とは違う雰囲気がする。もっと、こう、なんか、硬派さが欲しかったかななんて思ったりするんですな。

この感じは、昔、JICC系じゃないWizardry小説を読んだときにも持ったもので、まあWizなんてのは冗談も多い、おちゃらけたゲームであったりもするんですが、私が中学高校の時分にはそういう見方は少数派で、あれは濃厚なシリアスファンタジーなんだという、そういう態度で皆いたわけです。そんときに、なんだか妙に気合いの空回りするようなの読んで、駄目だこりゃ、って思った。そんな感じ。もっと、こう、なんか、足りないんだよ。もっと、こう、硬派さというか、重さっていうか、それが感じられないんだよ、物足りないんだよ。実にそんな感じであったのですね。

漫画版『アーマード・コア』は、まず紙数が少なかったと思うのです。限られたページの中で、メカアクションと人間のドラマを展開しようとして、けれど読者は、というか『アーマード・コア』のメインターゲットははっきりいってドラマなんてさほど期待してない、メカががっつりと描かれていればいいというようなタイプだと思うんです。息詰まる戦闘、弾雨を避け、敵に肉薄し、グレネードでもロケットでもぶち込んでやらあというような、そういう男臭いなにかを期待してたんじゃないかというところへ、父の敵だとか、父を超えるだとか、そういうちょいヒューマニズムっぽいストーリーが持ち込まれて、両方に煮え切らない感じが残って、なんだかなあって感じだったように思います。

ストーリー、ちょっとありきたりすぎるうえに、語りきれてないなって感じで、私はわりにベタは嫌いじゃないのですが、それにしてもベタすぎやしなかったかって感じで、けど多分これが『アーマード・コア』じゃなかったら、もしかしたら『フロントミッション』だったりしたら大丈夫だったかも? ちょっとそんな気もします。いや、FMがぬるいっていってるわけじゃないんすよ。FMなら、ベタでくさいドラマも充分内包できたんじゃないかなって。反面、あまりにストイックすぎるACでは水と油みたいな感じ。もっと、それこそ実録戦記物くさい、鉄と油の匂いの充満するような、言葉ではなくドラマでもなく、ドキュメンタリーチックにがつがつとメカの駆動する様を描いていくような、そんなののほうがマッチしたんじゃないかなあ。

でも、多分最大の問題は、アリーナのトップランカーが強そうに見えないところだと思います。トップに上り詰めようとする主人公たちを見ても、これなら勝てそうだなあって思っちゃう。ああいう機体を相手にするならって戦略立てて、頭の中で機体をアッセンブルして……。

ほんま、惜しいなあ。もしこれが『アーマード・コア』でなかったら、普通に読んで、普通に終われたと思います。けど、これが『アーマード・コア』でなかったら、気付かずに見過ごしたろうなあ。ジレンマですね。漫画としては、今の普通の水準だと思います。だから、本当に巡りが悪かったとしか思えません。

  • ARMORED CORE — TOWER CITY BLADE』氷樹一世作画 (株)フロム・ソフトウェア,後藤広幸監修・協力 (角川コミックス ドラゴンJr.) 東京:富士見書房,2007年。

引用

  • ARMORED CORE — TOWER CITY BLADE』氷樹一世作画 (株)フロム・ソフトウェア,後藤広幸監修・協力 (東京:富士見書房,2007年),帯。

2007年8月12日日曜日

姫ちゃんのリボン

    友人が日記で『姫ちゃんのリボン』にふれていて、あー、今『姫ちゃんのリボン』読んでんだ、なんて思ってちょっと懐かしくなってしまったのでした。『姫ちゃんのリボン』は集英社の少女向け月刊誌『りぼん』にて連載されていた漫画で、けどその知名度を一気に押し広げたのは、テレビにて展開されたアニメでしょう。ええ、見てましたよ。関西ではテレビ大阪とKBS京都の二局で放送されていて、私のうちでは両方入るから、時間差おきながら両方見ていました。そして、画質がちょっとでもいいほうをと思ってKBSを録画してたのですが……、一度オープニングが二度放送されるという放送事故がありましてね、内容はもうめちゃくちゃ! その後テレビ大阪が朝に前後編にわけて帯放送をしてくれたのでそれで補完したりしましたっけ。そんなわけで、私のうちには『姫ちゃんのリボン』の録画は二系統残っています。

けど、今や当時の録画したアニメを見ることもちょっとないなあ。時間もないし、なによりビデオデッキがちょっと怪しい。だからあれらの膨大なビデオテープはただ保管されるために保管されているという状態で、ちょっと切なくなりますね。きっと劣化もしてるでしょうし、今見るならDVD-BOXを買うのが一番いいんでしょうが、けど当時の放送にはコマーシャルがついてますからね。テレビCMってすごいですよ。如実に時代を語ります。おもちゃのCMはすごいリアリティをもって、当時のアニメを取り巻いた空気を明らかにして、ああ懐かしいなあっていう気にしてくれます。そしてその時間はもう取り戻せないと思い知らせてくれて、その切なさゆえに私はその遺物としかいいようのないビデオテープを保管し続けるのだと思います。無意味だと知りながら、記念物として残したいのだと思います。

アニメにはまった私は、その後原作の漫画にも手を出して、面白かったですね。確かにターゲットは若年層で、しかもかなり幼い感じ。かつて『りぼん』といえば、内面を深く掘り下げるような、むしろ問題作といってもいい? そういうものを連載していたりもしたのに、平成の頃にはずいぶん甘くなっていました。だってね、変身の呪文がパラレル・パラレル、元に戻るときには逆に唱えてねっていわれて、レルラパ・レルラパ、えーん、戻れないよー。ってそれはない。けど、そうした甘っちょろさも含めて愛していました。あのリボンがやぶけちゃった! って時も、ええーっ、なんて不注意な! などと思いながら、けれど木から飛び降りる途中の止め絵、私の好きなシーンであったりもします。ど、どうなるんだろう、っていうところ、好きだったのでした。

『姫ちゃんのリボン』のアニメを見たのは、前番組の『ゲンジ通信あげだま』の延長でですね。で、見事にはまって、原作読んで、先を楽しみにしてたらなんとこの水沢めぐみという人は単行本での描き直しが異常に激しい人でして、どれくらい激しいかというと、連載時には出てたけど単行本ではいなくなっちゃった人がいるくらい。五利先生のうちが燃えてしまうとこだったと思うんですが、えっとRMCでいうと7巻ですね、リボンの秘密を探る男の子がいたはずで、けど単行本収録時には影もかたちもなくなっていて、一体なんじゃそりゃー! と思ったから『りぼん』本誌の講読を開始した。深みにはまっていくって、こういうことをいうんですね。

けど、私が『りぼん』を買ったのは『姫ちゃんのリボン』の最終話数回前くらいからで、だから描き直しを怖れて買ったというその目的はほぼ果たされることなかったのですが、けどあの頃の『りぼん』は楽しかったねえ。あんまりに部屋が手狭になったので、心鬼にして売っちゃったんですが、空間の余裕さえあれば今も手もとに残してたでしょうね。惜しいなあ。甲斐性ないというのは辛いなあ、本当にそう思います。

『姫ちゃんのリボン』、内容についてはまるでふれてないですが、まあこのへんはいつか語ることもあるかも知れません。CD『マジカル・リボン・ツアー』の主題歌『君の瞳の物語』がスーパーでスペシャルに素敵だとか、本編にしても当時はまっていた発達心理学、そのパターンにばっちりはまっていてどうこうだとか、当時の友人といろいろ話したこと思い出しますな。けど、それはまあ、またの話。今日はこのへんにしときたいと思います。

  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第1巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1991年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第2巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1991年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第3巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1991年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第4巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1992年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第5巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1992年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第6巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1993年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第7巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1993年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第8巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1994年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第9巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1994年。
  • 水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』第10巻 (りぼんマスコットコミックス) 東京:集英社,1994年。
  • 山田隆司『姫ちゃんのリボン』第1巻 水沢めぐみ原著 (コバルト文庫) 東京:集英社,1993年。
  • 山田隆司『姫ちゃんのリボン』第2巻 水沢めぐみ原著 (コバルト文庫) 東京:集英社,1993年。
  • 山田隆司『姫ちゃんのリボン』第3巻 水沢めぐみ原著 (コバルト文庫) 東京:集英社,1993年。
  • 山田隆司『姫ちゃんのリボン』第4巻 水沢めぐみ原著 (コバルト文庫) 東京:集英社,1993年。
  • 山田隆司『姫ちゃんのリボン』第5巻 水沢めぐみ原著 (コバルト文庫) 東京:集英社,1994年。
  • 山田隆司『姫ちゃんのリボン』第6巻 水沢めぐみ原著 (コバルト文庫) 東京:集英社,1994年。
  • 山田隆司『姫ちゃんのリボン』第7巻 水沢めぐみ原著 (コバルト文庫) 東京:集英社,1994年。

CD

DVD

LD

VHS

2007年8月11日土曜日

まんがタイムラブリー

 本日『まんがタイムラブリー』、購入いたしました。9月号。先日いっていましたね。私のはじめて購入した四コマ漫画誌は『まんがタイムラブリー』1997年9月号だったって。そう、本日をもちまして私の四コマ漫画遍歴が十年を数えました。振り返ってみるとはやいようで短いなあ。あ、これじゃおんなじか。でも、本当にそう思うんです。気付いたらあっという間。もう十年読んでるの!? そんな感じ。けど十年前のラブリーを見てみると、今とはもう全然違って、連載陣が違うのは当たり前ですけど、それ以上に雰囲気が違うんです。当時ラブリーは、他の四コマ誌よりも可愛い系統の漫画を揃えて、冒険的な誌面を展開していたと聞くのですが、今見ると、やっぱり昔の四コマ誌の雰囲気が色濃く感じられて、それは逆にいえば、ラブリーのやろうとしていた路線は拡大強化されながら徐々に四コマのメインストリームになったってことなのかなあ。よくわかりません。わかりませんが、けど四コマ誌は明らかに変わったと思います。

なにが変わったかというと、やっぱり全般に絵がきれいなものが増えたってところじゃないかと思うんですね。きれいな絵で可愛いキャラクターも目に華やかで、漫画も単発のネタで勝負するのではなく、軽いストーリーをもって流れるようになっていて、それこそ『かりあげクン』みたいな四コマで完結してるタイプのもののほうが少数派といえるかと思われます。でもこうした傾向を持つ漫画は1997年時点のラブリーですでに多数を占めていました。けどそれでも昔のラブリーに古くささを感じるのだとすれば、絵が、漫画が今風でないということにつきるのかも知れませんね。だから今日買った2007年のラブリーも、2017年に見たら、ああ懐かしいな、ちょっと古くさいけどね、などと思ったりもするのでしょう。時の流れというのは、時にして残酷だと思わされます。

1997年には1997年のお気に入りがあったように、2007年には2007年のお気に入りがあります。単行本が出ているのはすでにしゃべったかまたはこれから話すこともあるだろう、だから現在単行本化されていないものを列挙してみたいと思います。この間始まったばかりの松山花子『MISHIMAデパート メンズ館』、ちょっとホモくさくておすすめ。トノ・アンナの『ヒーロー警報!』、ラブリー連載なのにちっともラブリーじゃないんだけど(主人公おっさんだし)、けどむやみに面白くていい感じ。そしてしまこ美季の『夜明けのダンディー』。このあんまりラブリーじゃない感じの漫画、三つ揃えてお気に入りです。ラブリーなのでお気に入りをあげるなら、テンヤ『先生はお兄ちゃん。』、辻灯子『ただいま勉強中』、矢直ちなみ『乙姫各駅散歩』でしょうか。『あさぎちゃんクライシス!』も好き、『ねこぶくろ』も好き。四コマじゃないけど『ネコのひとりごと』、『ミニっき えにっき』も大好きです。

こんな具合にほとんど好きな漫画で占められている『まんがタイムラブリー』です。このバランスが長く続いたらいいなと、今はそう願うばかりで、そして私の好きな漫画が多く単行本化されたらどれほど嬉しいだろうかと思います。

おまけ

ラブリー2007年9月号の掲載作を以下に記録しておきます:

まんがタイムラブリー2007年9月号 目次
タイトル著者Page
パニクリぐらし☆藤凪かおる3
MISHIMAデパート メンズ館松山花子11
スタミナ天使山田まりお17
ひまじん重野なおき23
先生はお兄ちゃん。テンヤ27
ヒーロー警報!トノ・アンナ32
どきどき女子寮ライフみずなともみ37
つなみティーブレイク胡桃ちの43
あさぎちゃんクライシス!弓長九天49
ただいま勉強中辻灯子54
天使な小悪魔芳原のぞみ59
Making OF 結婚式千里唱子65
どこ行く?鳴海柚来70
聖葵学園日誌 まなびや大乃元初奈75
美男子ごはん円山あれん81
夜明けのダンディーしまこ美季86
レモネードしおやてるこ91
サクラ町さいず松田円99
ミス・ポピーシードのメルヘン横丁山本ルンルン105
わいるど・わんだふる笹野ちはる121
カフェらった!柚月もなか126
ネコのひとりごとくぼた尚子131
Spring!!小池恵子147
ミニっき えにっきナントカ153
乙姫各駅散歩矢直ちなみ159
ナゾマチ365真人165
おしえて先生!牛乳リンダ170
ねこぶくろ下地のりこ175
ふかふかかわぐちけい179
こどもブロッサムマシュー正木195

私にとって記念号ともいえるラブリー2007年9月号、なんと私の名前が載ってます。やってくれるじゃん、芳文社!

2007年8月10日金曜日

かりあげクン

  私と四コマ漫画について語ろうというなら、絶対に外していけない作家がいます。それは誰かといいますと — 、植田まさしなんですね。植田まさしを御存じの方は少なくないと思うのですが、ほら四コマ漫画なんて普段読まないけど、植田まさしなら知ってるっていう人は結構いらっしゃいますから。有名どころは『コボちゃん』でしょうかね。なんてったって、アニメになっています。けどアニメといえば忘れちゃならない、実は『かりあげクン』だってアニメになってるんですよ。私が小学生の頃だったかな、『かりあげクン』がアニメになるってんでわくわくしながら放送を待って、そして幻滅。ありゃあひどかったよ。なんかどたばたしたいやな感じのアニメになってて、原作の地味ながらも笑いを押さえることのできない絶妙のおかしみが感じられなかったんですね。アニメになったら原作のよさが台無しなんてのは、今も昔もよく聞く話ですけど、『かりあげクン』は間違いなくその一例であろうなあと、今から振り返っても思います。

『かりあげクン』は、唯一うちで買っていた植田まさし漫画であったのでした。父がですね、会社で友人からか四コマの単行本を借りてかえってきたことがありまして、『フリテンくん』とか『キップくん』とか、とにかく主人公の名前(?)にくんちゃんを付けただけの、ひねりもなにもないタイトルが特徴のジャンル、くんちゃん漫画などといって揶揄されたりもするらしいですが、こと植田まさしに関しては一味も二味も違ってました。面白いのですよ。基本的にはナンセンスなギャグコメディで、『フリテンくん』あたりはその名の通り麻雀がテーマ、『キップくん』は鉄道マンですね。それぞれのシチュエーションで、悪ふざけする主人公がべらぼうに面白かったんです。とにかく笑ってしまう。『フリテンくん』なんて、麻雀知らない子供にはわからないネタが多いんですが、それこそ女性に体で払ってもらおうかなんて、当時の小学生にはかなりハードルの高いネタであったわけですが、わからないなりに読んでましたものね。女性の垂れ下がった乳房が千点棒に見えるというその落ちにしても、麻雀やりませんでしたからね、全然わからなかったけど、それでも読むのが苦にならなかった。それくらいに引きつけるネタの強さがあったってことだと思います。

子供にわかりやすく楽しみやすいといえば、やっぱり『かりあげクン』は特筆ものじゃないかなと思うんですね。かりあげといっても、理髪店ものじゃありません。独特の美意識でかりあげを貫く、かりあげ正太が主人公。普通のオフィス四コマなんですが、この男、とにかく悪戯ばっかりしてるんですよね。社長の訓示で、人のいやがることを率先してやりなさいといわれて、社長の仰せのままにと、毛虫使って女子社員を脅かしたりする、そういう男なんですが、不思議と憎めないキャラなのが植田まさしのよさなんです。本当に、なんだこの男、みたいな風にならない。とぼけていい加減に見せて、ちゃらんぽらん(ほんにゃらっていうべきなの?)な男だけど、それが許されるのは漫画としての質の高さゆえだったのかな。とにかく笑っちゃうんですよ。家族に心配されるほど声出して笑った。それくらいの爆発力あるギャグだったと思うんです。

最初は借りて読んでた『かりあげクン』でしたが、後に買うようになって、このときは父親をだまくらかして買わせてたんじゃなかったかな。そうしたら小学五年だったかな、六年だったかなの地蔵盆のくじで『かりあげクン』第8巻を引いちゃいましてね、おーまい、これ持ってるよなんていったのも懐かしい思い出です。

他にも、中学に入って塾に通うようになって、隣に座ってるやつとかりあげジョークを言いあうのが楽しかったっけ。鉛筆と消しゴムをくっつけたのがヒット商品になった、発想の転換ってやつですね、で、かりあげがほうきにちり取り付けて、使いにくいんだなんてうそぶいてる。これが我々の一等のお気に入りで、こうしたお気に入りのギャグを、ぽろっと耳元でささやくようにして笑わせるのですよ。楽しかった。塾行って遊ぶなよみたいな話ですが、でもこういうのも思い出じゃないですか。あの隣り座ってたやつ、名前忘れちゃったけど、元気にしてるかなあ。

途中、作者のパワーダウンを感じることがあって、そこで『かりあげクン』の講読は一旦ストップしました。その後、『まんがタイムラブリー』を講読するようになったのですが、けれど植田まさしのことは忘れていて、しかしじきでしたね。講読する四コマ誌が増えて、そうしたら植田まさしに再会、今も続いている『かりあげクン』に驚いて、そしてその雰囲気の変わってないことにも驚いて、実際、植田まさしは面白いと思います。かなりお歳なんじゃないかなあ。『かりあげクン』なんて二十年以上続いていて、けれどまだまだいけそうな雰囲気ただよわせていて、これは本当にすごいことですよ。もともと多作の作家で、植田まさしはネタ製造機を持ってるなんていわれるほどにばんばん描いていた人ですが、その底力は今もなお健在で、ほんとほとほとすごいやと感嘆するほど。実際、超人的だという気さえして、四コマというジャンルにおいても、また私の四コマ遍歴においても、決して外すことのできないビッグネーム、それが植田まさしという人であります。

  • 植田まさし『かりあげクン』第1巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1981年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第2巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1981年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第3巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1982年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第4巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1982年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第5巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1983年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第6巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1983年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第7巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1984年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第8巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1985年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第9巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1986年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第10巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1986年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第11巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1986年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第12巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1987年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第13巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1988年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第14巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1988年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第15巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1989年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第16巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1990年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第17巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1990年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第18巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1991年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第19巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1991年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第20巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1992年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第21巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1993年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第22巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1993年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第23巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1994年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第24巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1995年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第25巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1995年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第26巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1996年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第27巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1997年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第28巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1997年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第29巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1998年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第30巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1999年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第31巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,1999年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第32巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2000年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第33巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2000年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第34巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2001年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第35巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2002年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第36巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2002年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第37巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2003年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第38巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2004年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第39巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2005年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第40巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2005年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第41巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2006年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第42巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2006年。
  • 植田まさし『かりあげクン』第43巻 (アクション・コミックス) 東京:双葉社,2007年。
  • 以下続刊

2007年8月9日木曜日

ラディカル・ホスピタル

 ラディカル・ホスピタル』ではもう三回目? その上、以前に一度いったことの繰り返しになってしまうのですが、私と四コマ漫画の関係を語るうえで、この漫画は決して外すことのできない重要なタイトルだったりするものだから、やっぱりこうしてまた書いてしまおうと思います。ほら、先達て話していました、『まんがタイムラブリー』を買いはじめたのは今から十年前という話。最初、私は四コマ漫画といえばラブリー一誌で満足しておりまして、その他にたくさん出ている系列誌にまで手を伸ばそうなどとは思っていなかったんです。なにぶん数がいっぱいあってよくわからないし、またどんな漫画が掲載されているかもわからないし。読みたい漫画があれば、単行本が出るのを待てばいいやみたいに思っていました。けれどラブリーに『ラディカル・ホスピタル』がきて、そのバランスが崩れてしまったんですね。

単純な話ですよ。『ラディカル・ホスピタル』は系列他誌で連載されていたのですが、人気があったんでしょうね、新たな読者を獲得するための秘密兵器としてラブリーに送り込まれてきたってわけです。そして私はまんまとその策にはまってしまった。『ラディカル・ホスピタル』読みたさに購読誌を増やし、そうなればもう歯止めはききません、同じくひらのあゆの描く『ルリカ発進』のためにさらに手を広げるにいたって、そしていつの間にか芳文社の四コマ漫画誌ほぼ全部を講読するようになってしまったんですね。

いわばこの漫画が私のライフスタイルを変えてしまったんです。それまで程々のつきあいにとどめていた四コマ漫画との関係は一気に深まり、購入する単行本の点数も増えました。四コマの単行本買うために地上三十階書店に毎月詣でるようになって、そうなれば目にする漫画が格段に増えるわけで、さらに購入点数を増大させる……。今の私の漫画との関わり方の半分くらいは、『ラディカル・ホスピタル』に背を押されたために生じたように感じます。けど、それは別に『ラディカル・ホスピタル』に恨みがあるっていうわけではなくて、まあ感謝してるってわけでもないんですが、でもこの漫画がなければ、私の人間関係さえも変わってただろうなと思います。今出会えてる人の一部、結構な人数が、出会えないままに終わっていたかも知れない。そんな大きなきっかけだったんですね。

『ラディカル・ホスピタル』はその後も順調に巻を重ね、先日第13巻が刊行されました。読み返してみればずいぶんと雰囲気を違えていると気付かされて、例えば当初は医者がメインだったのに、今では看護師たちのキャラクターが医者をしのごうかというほどに大きく育ってしまっています。他にも、病院に働く様々な職種の人たち、そして名物患者等々、明らかに世界が広がっている、育っていると感じられます。この広がりこそは、この連載が続いてきた十年の時間(おっと、連載開始からまだ九年か)のたまものであるのだろうなと思えば、変に感慨深いではありませんか。そしてこれから先、どのように育っていくのか、広がりを見せるのかと思えば、その可能性さえもいとおしく感じるほどです。

2007年8月8日水曜日

だてまき。

 こんなかわいいおぜうさんが妻ならどんなにか毎日楽しいことだらう。いや、駄目かな? 私は背丈はあるけど(180cm)心が狭いからな、もしかしたら自由奔放なまきちゃんにはたえられないかも知れない……。なんてこと真面目ぶってしゃべるのも馬鹿馬鹿しい限りですが、けれど『だてまき。』に出てくるまきちゃんが可愛いのはもうどうしようもないことで、伊達まき、身長145cm。この人がヒロイン(ってのもなんかしっくりしない感じだけど)。そして登場人物はもう一人いて、まきちゃんの夫の伊達マサムネさん。この人身長185cm。そう、『だてまき。』は四コマにおいて一種ジャンルといってもよい身長差カップルものであります。それも男が長身という素直なタイプ。しかし、特筆すべきは登場人物であろうかと思われます。このふたりしか出てこないのですよ。本当に、このふたりで漫画が展開されていくのです。

こんなに極端ともいえるくらいに登場人物が少なくて、けれど私今までこの少なさを意識したことがありませんでした。それは、『だてまき。』という漫画の世界が、このふたりだけで充分に満足させられているからかな、なんて思うのですが、そうなんですよね、読んでいる私にしても、このふたりだけで充分すぎるくらいに満足しています。やさしく、むしろ甘い夫と、グータラで、どうしようもなくキュートなまきちゃんが、ふたりなんてこともないこといいあって、マーくんが一方的に食べ物とられたり、まきちゃんにふりまわされたりするという、それがなんでこんなに面白いと思うんだろう。ドラマチックな展開なんてもとよりないし、凝った設定もないし、萌えもおたく好みのネタも希薄だというのに、読んでいてゆったりと楽しみを感じられる。なんでだろう、よくわからない、けど私はこの漫画が好きで気に入っているってことだけでは、はっきりといいきれます。

このまきちゃんって人は、基本的に行動やら思いつきが可愛い人だと思うのですが、たまーに妙にしっかり書き込まれたりするところがありまして、それ見てるとああこの人は美少女美人なんだなって思わされて、けれどそうした要素はまずもって話には関わりなく、だって他にはマーくんしかいないから。マーくんはまきちゃんのことを可愛いって思ってるんですが、はじめて会ったときからそう思ってるんですが、けどそうしたことをあんまり口にはしないんですよね。愛を語らない。愛が盛り上がらない。けどその盛り上がらない中に、ふたりの繋がる心があるのかね? いいじゃないですか。こういう関係っていいと思います。愛や恋に揺れる心が翻弄されるまま駆け出すような漫画も、そりゃ読んでてテンションあがって面白いけれど、まったくといっていいほどテンションを上げようとしない、穏やかのんびり一辺倒の漫画もいい。読んでいてすごくいい、そう思います。

余談

私がこの漫画を気に入ってるのは、マーくんが決してまきちゃんの旦那じゃないってとこもあるんじゃないかなって思ってます。偉ぶらない、すごく対等な感じ。まきちゃんは嫁でなく、妻なんでしょうがそういう風でもなく、けどふたりはいいパートナーなんだって感じられる。この感じが好きなんだといっていいと思います。

あ、それから、私、お菓子食べるときはゴミ箱かかえてます。誰にゆわれたわけでもないけど、ゴミ箱なしでは食べられません。

  • オザキミカ『だてまき。』第1巻 まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

2007年8月7日火曜日

さゆリン

  さゆリン』が完結、最後の単行本も発売されまして、ああ本当に終わっちゃったんだなあという実感がひしひしと押し寄せてきています。女子高生サユリとその友人たちが、特に盛り上がるでもなく、淡々とおかしなこと言い合いながら過ごす日常風景の面白い漫画でした。群を抜いて変わり者のサユリが可愛くて、高品勇太のこと好きだよねって誰もが、読んでる人間もそうだし、それに多分登場人物たちもそうなんだけど、気付いていまして、勇太も勇太でサユリのことを嫌いじゃないみたいなんだけど、別に付き合ってるわけでなく、またイズミといい雰囲気になったりしたりするとこもあって、そういうもどかしさというかほほ笑ましい恋模様? 楽しかったなあと思います。けど彼らの恋ははっきりと色づくことなく完結して、だからやっぱりこれは恋愛色にほのかに染まりながらも、その実質は友達のそれだったのかなって思います。

読み終えてみれば、なんかノスタルジーの感じられる漫画だったように思います。サユリをはじめ彼らは、高校時代をまさに今として過ごしているというのに、そこにはどこか自分の来し方懐かしむような視線のあるようで、多分これ、作者の傾向もあるんじゃないかと思うんですが、ほらたまにこんな普通の休みの日も… いつか思い出になっていくんだろうか…みたいな台詞が出てきたりするでしょう? もちろんこれ、次のギャグを引き立てるためのものであるわけですけど、こういう感じの視点というか距離感というかが、まれに感じられることってあるって思えましてね、もしかしたら自分にもこんな時代があったんじゃないかなあなんて思えてきて、いやけど高品勇太のような青春はなかった。彼は、彼はなんのかんのいっても幸せ者だと思います。

『さゆリン』という漫画は、そのキャラクターの愛らしさが非常によく機能していたと思うのです。背丈小さくて、見た目美少女なんだけど、無茶な言動が光るサユリが可愛いのは当然として、振り回されたり、またたまには逆襲したりもするイズミやモトコ、後輩のリナちゃんにしても、みんないい性格してたなと思います。素直でストレートなんだけど、ちょびっと思い切れないみたいなところも見せて、そういうところはほほ笑ましさを通り越して、痛撃食らわされたみたいに効いて……、よかったですね。そうした彼らが、微妙な関係をふらふらと維持させながら、進めるでもなく退くでもなく、ましてや壊れることなんて微塵も感じさせず、楽しそうにやってる。私ら読者は、高品の思うところを引き受けるつもりで読んでたのかなあ。そうした楽しさの輪の中にあって、彼女らの存在を自分自身が感じるようにして、思っていたのかなあ。わかんないけど、けれど私はその高品勇太でさえも可愛かったと思っています。しょうもないこといって面白がっていた昔思い出すように、けれど自分自身には起こり得なかったことを今まさに体験するように、『さゆリン』を読んでいたように思います。

というわけで、『さゆリン』完結。長すぎず、短すぎもせず、いい長さで終えられたのではないかと思います。最後まで、いつものように、きっちりといい味出してた。いい塩梅だったと思います。

  • 弓長九天『さゆリン』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 弓長九天『さゆリン』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2005年。
  • 弓長九天『さゆリン』第3巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 弓長九天『さゆリン』第4巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。

引用

  • 弓長九天『さゆリン』第4巻 (東京:芳文社,2005年),50頁。

2007年8月6日月曜日

ひとつだけ — はっぴい メイク UP☆

Manga Time Lovely, September 1997 (No. 38)まったく意識していなかったのですが、今月11日に発売される『まんがタイムラブリー』9月号をもって、私の四コマ漫画誌講読歴はちょうど十周年を数える模様であります。なんでこんなことがわかったかといいますと、今部屋の掃除していましてね、もっとも古いと思われる『まんがタイムラブリー』を発掘したのですよ。って、別に埋まってたわけじゃなくて、書棚の上のスペースにきちんと揃えて積まれていたんですが、それが1997年9月号だったのですね。表紙は当時巻頭を飾っていたこだま学の『ナオミだもん』。この表紙見て、思った以上の地味さに驚きましたが、思えば四コマ誌というのはどれもこんな感じであったように思います。それが十年でここまで変わった。その変化に逆に驚きです。

 目次見ますと、懐かしい名前が並んでいて驚くやら感慨深いやら。そもそも私がこの雑誌を買うきっかけになったのは千葉なおこの『OLパラダイス』読みたい一心だったのですが、その後小池田マヤの『すーぱータムタム』に激はまりしながら(今から考えると、なんでだかわからん。当時は面白かったんだ、衝撃的に面白かった)、『会計チーフはゆーうつ』や『きまぐれ三重奏』あたりを楽しみに読んでいました。

本当に懐かしいですね。今も描き続けていらっしゃる方もいれば、知らぬ間にお見かけしなくなった方も見えて、後者に結構好きな感じの漫画を書く方がいらっしゃったりするものだから、なんだか切ないというか悲しいというか。一口に好きというならば、庄司さくらの『たとえばこんな晴れた日に』が好きでしたね。広瀬夫妻のおとなりの成美さんが食えない人で面白かったんですよね。ヒロインの野枝さんも可愛かったっけ。好きだったなあ。

そして、蒼月ひかりの『ひとつだけ — はっぴい メイク UP☆』が好きでした。クラブなのかバーなのかで働くまりながヒロイン。本当は地味で子供っぽいまりなが、ちぃママのメイクによって大人っぽい女性になりまして、それで常連の天野さんに片思いしているんですが……、読者としてはまりなの秘密を知っている天野の友人牧野との行方が気になっていたりしたんですね。絵柄は当時の水準から見れば抜群に可愛く、化粧して大人っぽいまりなではなく、すっぴんのコンビニ帰り、天野さんに出会うも気付いてもらえないという、子供っぽさ残るまりなのほうが好きで、萌えという感覚の萌芽の時季であっただなんていっちゃっていいものでしょうか。でも、実際、萌えであったのかも知れませんね。ああ、もう、可愛いなあって思う。そういう魅力にあふれた漫画でありました。

残念ながら『ひとつだけ』は単行本が出ていません。願わくば最初からまとめて読みたいだなんて思うのですが、できれば他の蒼月漫画も読みたいだなんて思うのですが、その願いがかなうことはちょっとなさそうだから、こうして捨てられないものが増えていきます。思い出だけでいいじゃんか。けれど、思い出をよみがえらせてくれるよすがが欲しい。それがこうした古漫画群なんじゃないかと考える私は、それこそ沼に足を取られるように深みにはまっているのだと、心の底から思います。

  • 蒼月ひかり『ひとつだけ — はっぴい メイク UP☆』

おまけ

ラブリー1997年9月号の掲載作を以下に表示いたしましょう。

まんがタイムラブリー9月号 目次
タイトル著者Page
ナオミだもん♡こだま学3
ガテンで行こう野中のばら17
花咲け乙女丹沢恵23
恋してこだち秋吉由美子39
すーぱータムタム小池田マヤ207
のぞみのダイエット Count Downあらあらかし子31
がっつだトミ子!!片桐みすず35
ナイスバディガード寺川枝里子59
いつかふたりで窪田まり子63
OLパラダイス千葉なおこ69
ばくれつ注意報星野由美子74
会計チーフはゆーうつおーはしるい95
あきらでGO!てらかわよしこ99
特集:暗闇でドッキリ!尾形未紀・今井美保・高田理美・和田育子・秋吉由美子106
きまぐれ三重奏森本みゆき55
天然OL村田南ひろこ135
九月頃九月乃梨子175
つなみティーブレイク胡桃ちの199
三十路のうなじ浜口乃理子203
はこいりモモコともびきちなつ116
たとえばこんな晴れた日に庄司さくら122
おちゃらけカップル高野アンジェリカ151
とってもビーンズ小笠原朋子159
聖ポーリア女学院高田理美164
ひとつだけ蒼月ひかり169
いまこそ理香バリ森村あおい181
女子大グルグルガール葉山佳奈187
彼はステキな働きざかり和田真由美192
ハッピーターン今井美保11
愛情物語高橋もとこ45
ガールズ・ルーム尾形未紀83
めちゃイケカップル和田育子139
恋せよ乙女なりゆきわかこ79
虹色通信月姫111
痛快OLたまて箱しむべそん128

この号から連載開始された胡桃ちのの『つなみティーブレイク』が今なお続いているという事実に、私は驚きを隠し得ません。そうかあ、十年やってるんだ!

2007年8月5日日曜日

コブラ

  この土日は『コブラ』を読んで終わったような、そんな気がします。『コブラ』というのは、漫画読みには説明不要でしょう、寺沢武一のデビュー作にして出世作。1977年に週刊少年ジャンプにて連載が開始され、すなわち今年で三十周年。これだけでもう驚きですが、さらに驚くべきは、この漫画がまだ終わっていないということ。今もなお新作が描き続けられているのだそうですね。驚異的な息の長さは、それだけ『コブラ』という作品が愛されているという証拠なのだと思います。作者に、そして読者に愛されて、その結果、判型を変え出版社も変え、膨大な数の単行本がリリース。もちろん、今だって新品で購入可能ときています。本当、これはすごいことだと思います。出版され続けることもそうなら、読者に愛され続けているという、そこが本当にすごいと思います。

今回は、私にしては珍しく古書で購入してしまいました。なんとなく『コブラ』を読みたいなあ、なんて思ってて、ってのは『ぱにぽに』でベッキーがサイコガンつけたりしてたのがきっかけだったりするんですけど、買おうかなどうしようかななんて思ってたら、商店街の古書店の店先に、『コブラ』全巻とかいってどんと置かれていたものだから、迷ったんですけどね、買ってしまったんですよ。ちょっと傷みも激しかったけれど、そのわりに高いかななんて思ったりもしたけれど、とにかく読めることが重要です。どーんと、十冊まとめて買ったのです。ええと、1988年刊のジャンプコミックスデラックスですね。これ、残念ながら少年ジャンプ掲載のエピソードしか収録されていない(なんか、ジャンプコミックスの最終巻に書き下ろしエピソードがあったみたい)らしいのですが、まあ今はいいです。どうしても読みたければ、メディアファクトリー版を買えばいいのですから。

しかし、『コブラ』を読んでみて、昔は週刊少年ジャンプにこれが掲載されていたのかと、驚く思いでした。いや、エロが強いということであれば、後の八九十年代のほうが激しいかも知れません。けど、どうよあの女性キャラクターのダイナマイトさ。エロは控えめなのに、恐ろしくセクシーときています。ストーリーもわりに硬派で、今なら間違いなく青年誌だろうなと。あるいは青年誌であっても、もっとやわい印象のものが掲載されているように思える今、『コブラ』は異色と映るかも知れない。それぐらいにタフな漫画であると思います。

正直なところをいいますと、子供の頃は、『コブラ』みたいな漫画はあんまり好きじゃなかったのでした。それこそ『プレイボーイ』誌のグラビアを飾るようなグラマラスな女性キャラクター、ああいうの苦手でして、だから今の今まで敬遠してきたんですね。でも、読んでみたらすごいですね。ああいったダイナマイトな女性は今も苦手には違いないんですが、けれど強烈に魅力的で魅惑的で、そしてかっこいい。当時のSF的センスを反映してか、みんなボディラインがはっきりするスーツやレオタード、そしてきわどいビキニなんて着てるんですが、それで大立ち回り演ずるというのが本当にクールで、敵であっても味方であっても、格好良さには変わりがないと思いましたね。

けれど、そうした女性以上にかっこいいのが主人公コブラで、私はあのちょっととぼけたコブラの造形が昔はあんまり好かんかったんですが、けれど今見れば、それがまあかっこいい。シリアスも決まるし、冗談めかしたそぶりやなんかもしっくりとして、ニヒルできざで冗談好きでそしてタフと、ちょっと日本的ヒーローではない、アメコミにでも出てきそうなそんな頑強な男。鍛えられた肉体にサイコガンを身につけて、悪党をばっさばっさと始末する爽快さがあるかと思えば、女にはやさしく迫ってみせるという、タフさとやさしさを兼ね備えた一見完璧な男、それがコブラ。しかしその生き方のために、大切なものを次々と失っていくという悲しさも背負っているのがたまらないところかなと思います。心をずたずたにされ、自分自身を呪い、悲しみをともに復讐を成し遂げる。ただ痛快というにはあまりに心に悲哀が残ってしまう、そういうところも味なんじゃないかという感じです。

そういえば、こないだ『コブラ』はP. K. ディックの『追憶売ります』を下敷きにしているんじゃないかなんていってましたが、他にも他のSFのエッセンスを持ち込んでるみたいですね。『ダーティペア』にも出てきたメタライトが『コブラ』にも出てきて、これはA. E. ヴァン・ヴォークトの『宇宙船ビーグル号の冒険』が出典と聞いています。こんな風に、他作品の要素を借用しながら、世界を広げるということがSFでは普通にされてたんですね。今では権利云々でむつかしいかも知れないけれど、実際にこうした世界の広がり、あるいはお遊びといってもいいのかもを見ると、面白いなあと、そんな風に思います。

  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第1巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第2巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第3巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第4巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第5巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第6巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2005年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第7巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2006年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第8巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2006年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第9巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2006年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第10巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2006年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第11巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2006年。
  • 寺沢武一『コブラ』完全版 第12巻 (MFコミックス) 東京:メディアファクトリー,2006年。
  • 寺沢武一『COBRA』第1巻 (SHUEISHA JUMP REMIX) 東京:集英社,2003年。
  • 寺沢武一『COBRA』第2巻 (SHUEISHA JUMP REMIX) 東京:集英社,2003年。
  • 寺沢武一『COBRA』第3巻 (SHUEISHA JUMP REMIX) 東京:集英社,2003年。
  • 寺沢武一『COBRA』第4巻 (SHUEISHA JUMP REMIX) 東京:集英社,2003年。
  • 寺沢武一『COBRA』第5巻 (SHUEISHA JUMP REMIX) 東京:集英社,2003年。
  • 寺沢武一『COBRA』第6巻 (SHUEISHA JUMP REMIX) 東京:集英社,2003年。
  • 寺沢武一『COBRA』第7巻 (SHUEISHA JUMP REMIX) 東京:集英社,2003年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第1巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第2巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第3巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第4巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第5巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第6巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第7巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第8巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第9巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第10巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『SPACE ADVENTURE COBRA』第11巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2002年。
  • 寺沢武一『COBRA GIRLS』東京:集英社,1997年。
  • 寺沢武一『COBRA WONDER』東京:集英社,1997年。
  • 寺沢武一『COBRA』第1巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1996年。
  • 寺沢武一『COBRA』第2巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1996年。
  • 寺沢武一『COBRA』第3巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1996年。
  • 寺沢武一『COBRA』第4巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1996年。
  • 寺沢武一『COBRA』第5巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1997年。
  • 寺沢武一『COBRA』第6巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1997年。
  • 寺沢武一『COBRA』第7巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1997年。
  • 寺沢武一『COBRA』第8巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1998年。
  • 寺沢武一『COBRA』第9巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1999年。
  • 寺沢武一『COBRA』第10巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,2001年。
  • 寺沢武一『コブラ』第1巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第2巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第3巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第4巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第5巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第6巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第7巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第8巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第9巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第10巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1994年。
  • 寺沢武一『コブラ』第11巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1995年。
  • 寺沢武一『コブラ』第12巻 (創美社コミックス) 東京:創美社,1995年。
  • 寺沢武一『コブラ』第1巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第2巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第3巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第4巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第5巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第6巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第7巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第8巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第9巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第10巻 (ジャンプコミックスデラックス) 東京:集英社,1988年。
  • 寺沢武一『コブラ』第1巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1979年。
  • 寺沢武一『コブラ』第2巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1979年。
  • 寺沢武一『コブラ』第3巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1980年。
  • 寺沢武一『コブラ』第4巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1980年。
  • 寺沢武一『コブラ』第5巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1980年。
  • 寺沢武一『コブラ』第6巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1980年。
  • 寺沢武一『コブラ』第7巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1981年。
  • 寺沢武一『コブラ』第8巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1981年。
  • 寺沢武一『コブラ』第9巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1981年。
  • 寺沢武一『コブラ』第10巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1982年。
  • 寺沢武一『コブラ』第11巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1982年。
  • 寺沢武一『コブラ』第12巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1982年。
  • 寺沢武一『コブラ』第13巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1983年。
  • 寺沢武一『コブラ』第14巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1983年。
  • 寺沢武一『コブラ』第15巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1984年。
  • 寺沢武一『コブラ』第16巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1984年。
  • 寺沢武一『コブラ』第17巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1985年。
  • 寺沢武一『コブラ』第18巻 (少年ジャンプコミックス) 東京:集英社,1985年。

引用