2008年1月28日月曜日

鳩町まめっこイグニッションズ

 出た! 嬉しいっ! 『鳩町まめっこイグニッションズ』。ついに単行本と相成りまして、ようございました、本当にようございました。1月末に出る単行本に『鳩町まめっこイグニッションズ』がラインナップされていると知った時の私の喜びようといったら、それはそれは容易に言葉にならないほどでございました。あれいつごろのことでございましたでしょうか。ああ、昨年11月でございますね。それから三ヶ月弱、今日という日のくることを待ちに待って、買って、読みましたら、ここにどう書こう、なにを、なんと書こう。ずっと思ってきたのです。そしてついに今日という日がきてしまったらですよ、ああもう、なにを書いたらいいのかわかりません。とにかく嬉しい、嬉しいのでございますよ。って、ああ、なんか語尾がいつもと違ってるし! ああもう、これはもう冷静ではおられません。

落ち着きました。

『鳩町まめっこイグニッションズ』は『まんがタイムきららキャラット』に連載中の漫画。お嬢様中のお嬢様である恋歌様が、鳩町の皆さんのため、平和のために、お仲間ご友人がたお誘いあそばしまして、警備隊を作るお話であるのですが、その活動というのが地味といいますか、あまりすごくない。けれど、このすごくないというところにこの漫画のすごさがあるように思うのです。

地味。それで本日はどのような活動を? 校内のゴミ拾いですわ! ゴミ拾い!? そ、それで恋歌様はよろしいのございますか!? と思ったらまんざらでもないご様子でいらっしゃいまして、生き生きとゴミ拾いなさっておいでです。基本的に恋歌様はいつもこうでいらっしゃって、その無垢さ、人としての純粋さ、見ていてすがすがしいほどです。決して派手ではない、素朴にして目立たないようなことであっても、喜びを持って取り組まれる恋歌様のお姿に、ああなんと御立派なお方であろうかと、思わず恋歌様をお支えしたいと思ってしまうほど。ええ、この漫画読んでいると、恋歌様をついつい甘やかしてしまうまわりの人(とりわけあまねさん)の気持ちがよくわかる。確かに、出雲様もおっしゃるとおり、日和っているのかも知れません。けれど、多分そうじゃない。ほだされてるんだと思うんですね。ささやかなことでも、喜びを持って取り組んでいる人を見ると、ああ私も同じく働きたい、この人の助けになりたいと思うことってないですか(もしかして、私だけ!?)。恋歌様からは、そうした思いを抱かせる、魅力というか、オーラというか、そういうものが感じられるように思えます。それに、なにより楽しそうですし。

実は私には召使い願望があるようなんでございます。大学の同期に、ブルジョアとまではいわないんだけど、幼少期に海外でお過ごしになられた方がいらっしゃいまして、ええと、お家にメイドとコックがいたんだとかいいますが、ええ、ええ、すごいカルチャーショック。それで、やっぱり違うんでございますね、お育ちが。私はもう、いずれを見ても山家育ち、下賎のものでございますから、あてられっぱなしといいますか、ああ階級に差を感じる! その方の天真爛漫さ、少し恋歌様に似ていらっしゃいます。そして、ここ重要なのですが、私その方にお約束取り付けておりまして、嫁がれていずれ大金持ちとなられました暁には、私を召使いとしてお雇いくださいましってね。この話持ち出した時の返事、いいよー、一言でした(しかも約束は現在も有効)。素晴らしい。おそろしいほどに動じない。ほんと、お嬢育ちとはそういうものなのです。なので、私はいずれ国を出て、奥様付きの召使いとなるのですね(四コマ漫画の供給、どうしよう)。

閑話休題。そんな私ですから、恋歌様のご様子拝見するごとにお仕えしたくなってしまう、まあ甘やかすに同義であるといっていいのですが、そう思ってしまうのも仕方がないと申しますか、ええと希望のポジションは、恋歌様付の使用人であるあまねさんの部下あたり。巻頭描き下ろしにて明かされたあまねさんの秘密、わくわくしますね。いや、ちょっと、変な方向に向かってる? そういう漫画じゃありません。おかしいのは私です。漫画は真っ当、読んで楽しく、面白く、日常の時間が穏やかに過ぎれば、そこに心の和らぐような景色が広がる、そんな優しさに満ちた漫画であります。

この漫画の面白さには、恋歌様の鷹揚さ、天真爛漫なご様子が大いに関わっているとそのように感じます。漫画の中では日和っているなんていってますけど、小さなことにこせこせとすることなく、大きなお心があらゆる方面をお照らしになるような。言い換えればのんびりされているようで、浮世離れされているようで、でも漫画自体にはきっちりと常識の下地があるから、そのギャップが面白さを際立たせているといった感じなのです。警備隊だって、結構シリアスな事案を扱うこともあるのですが、その解決法なんていうのも、実に理にかなったものであったりして、え? ゆめときぼうが語られる漫画にして、こんなにも普通の? というか、ほんとに皆さん真面目なよい子たちでいらっしゃるんですね。

そしてすべてはこともなし、危なげがなく、不幸がなく、悲しさがなく、痛みがなく、けれどそれらは作者によって事前に排除されているからじゃない。登場人物が、自らの役割にしたがって、そうした負の要素を消し去ろうとしているからに他ならず、たとえばあまねさんの根回しで、出雲様のかわいらしい意地っ張りで、浅葱さんの普通さで、ミューのいたいけさで、恋歌様の燦々とした明るさで、そして皆の善良さで、すべてはこともなし。はなやいだにぎわい、かしましさの末にほほ笑ましくも幸いに満ちた解決が訪れる。ああ、この漫画は読んでいて心地が良いなあ。気付けばすっかり好きになってしまっている、目が離せなくなってる、そんな不思議な求心力があって、その中心にはきっと人のよさ、明るさ、楽しさがあふれているから嬉しくなる。本当の本当の良作です。

蛇足

浅葱さんが好きです。い、いや、眼鏡だからじゃない。ほんとです。

引用

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