2008年3月1日土曜日

コミックスイメージアルバム「トリコロ」

 よくできたアルバムであるとは聞いていたのです。でも正直ここまでとは思いませんでした。漫画『トリコロ』のイメージアルバム。『全作業“海藍”』がひとつの売りでもあったこのアルバムですが、海藍の手によらない部分、音楽、歌までもがこぞって、『トリコロ』という世界を作り上げることに貢献していると感じられます。一曲目『あじさい』の引き込む力、これからして実に半端ではなく、雨の季節、陰鬱として薄暗く、立ちこめる雨の匂いの濃厚さ。これから物語が繰り広げられようとする舞台が、目の前なんてレベルでなく、今この身の回りを取り囲もうというかのようにさっと広がるのですね。そして、場面が切り替わる時、私たちは現実の地平を離れて長織の街にある — 。物語が始まります。

もっと早く買っててもよかったかな、というのは私はこのアルバムを特装版入手が確定してから発注したのですね。2004年当時、ファンブックどころか英語版まで買おうとした私なのに、CDに手を出すのを躊躇したのは、正直きりがないと思ったからで、『トリコロ』の広がり、そしてKRレーベルのマルチメディア展開を考えると、どこかで一線を引いておきたかったのです。作者の手によるもの以外は手を出さない、そう決めて、だから絵や漫画は買っても、CDやアニメ、ノベライズの類いは黙殺しようと。けど、このアルバムに関してはミスジャッジだったな、今心の底からそう思っています。

つまりはそれくらいに作者の手の跡が感じられる出来であったというのですね。ドラマ部分に関してもそう。確か、これってミリセコンド単位で作者がキューを出しただかどうだかしたという伝説があったように記憶していますが、声優的マニアック世界に突入することなく、漫画の雰囲気を維持し、かつ広げることに成功していると思えるのですね。はじめて聞いた時には多少の違和感を感じたりはありました。ですが、三度目にはまったくそうした違和感は払拭されていて、きれいに重なり合った、あるいは私が完全に引き込まれてしまったというのでしょう。それまで違う質感で読まれていた八重たちの台詞は、まるっきりドラマの印象に上書きされてしまって、それまで私はどのように彼女らの声を読んでいたのだろう。思い出せないくらいに、アルバムの印象が支配的となったのです。

語られるストーリー、これもさすがに原作者の脚本というべきなのでしょう。見事に『トリコロ』の世界であって、聞いていて実に自然であるのです。BGMのない、会話により進行していく世界。短いスパンで落ちがあるのは四コマというスタイル由来なのか、しかし普段の四コマでは語られないストーリーがありました。やはりこれはオーディオドラマという形式があってのものだと思います。そしてその形式の違いが物語の可能性を広げて、いつもとは違った切り取られ方で語られる『トリコロ』の世界が実現したのでしょう。

これを大変に素晴らしいものだったと思うのは、私がファンだからなのかも知れませんね。確かに、これは海藍の『トリコロ』を知っている人、そして好きだという人のためのアルバムであると思います。ですが、そうした狭い世界に押し込んでしまうには惜しいものがある。そういう魅力があると思うのは、はたしてファンの欲目であるのでしょうか。

ところで、指三本でも持てる骨がアルミの折り畳み傘など、こうした小物への傾き、さすがですね。きっと現実に存在する商品なんだろう、それこそ型番指定して買えるくらいのレベルで、詳細に決められてるのだろうと思います。そしてその異常ともいえる緻密さ綿密さ、それが海藍のドラマ — 、四コマ、オーディオドラマといった形式を問わず、 — の雰囲気を決定する一要因になっているのだろうと思うのですね。

  • 海藍『トリコロMW-1056』第1巻 (Dengeki comics EX) 東京:メディアワークス,2008年;特装版,2008年。
  • 海藍『トリコロ』第1巻 (まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2003年。
  • 海藍『トリコロ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 海藍『トリコロプレミアム』(まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。

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