2008年3月4日火曜日

まいっちんぐマチコ先生

 今から考えても、奇跡のような番組だと思うのです。『まいっちんぐマチコ先生』。私がこれを見たのは、おそらくは再放送であったかと思うのですが、KBS京都かあるいはテレビ大阪か、最低でも三度は見てるから、多分どちらでもやってたんだと思います。いやしかし、子供のころ異様に厳格だった私が、なぜ例外的に『まいっちんぐマチコ先生』だけは許可していたんだろうと、そちらの方が不思議です。学研だからか? 『まいっちんぐマチコ先生』、製作は学習研究社でした。一体なにを研究してるんだ、っていうのは今やどうでもいいことで、むしろこうした番組が成立していた事実、その方がずっと重要です。

時代がおおらかだったんでしょうね、としかいいようがないと思うのですが、今のテレビアニメって、特にテレビ東京ですか? 自主規制が結構厳しいとかいう話を聞きますが、たとえばパンツが見えると駄目なんでしたっけ。だからあえてパンツを描かなかったアニメがあって、そのやり方の鮮やかさというか、脱法的手法がために大いに評価されたとか聞き及んでいます。

それはさて、そのテレビ東京は八十年代当初には『マチコ先生』を製作放送していましたとさという話。その頃には規制らしい規制はなかったのか、パンチラは普通、ボインタッチと称する痴漢行為頻発、ありとあらゆる手段を講じ、男子はマチコ先生にセクハラ行為をおこなって、さらには教師も加担する始末。そんな男子に対抗し、女子は徒党組んでマチコ先生を守ろうとするも、返り討ちにあって一緒にセクハラ行為の餌食となってしまうのでありました。だいたいこういう話が毎週繰り返されていたわけです。

あらためて文章にしてみると、本当ありえないな!

しかし、これが普通に放送されて、セクハラ行為もスカートめくりだとかボインタッチにとどまらず、服を脱がすだとかそういうレベルにまでエスカレートして、まあキャラクターがあのコメディタッチですから、そんなには生々しくはないんですが、 — いや、そうだったかな。なにしろ今よりもずっと裸を目にするためのハードルが高かった時代だから、いや、そうかな? ごめん正直よくわからない。もちろん今よりもそういう事物へのアクセス性は低かったんだろうけど、でも普通に地上波で裸の出てくる番組はあったはずだし、猥雑というか、エログロナンセンスというか、そういうテイストに関しては、この頃の方が今よりもずっと過激だったような気がします。ゾーニングによって、地上波という子供にもアクセス可能な媒体からそういうものは消えていったわけです。そしてそうしたゾーニングがおこなわれるきっかけのひとつとして、『まいっちんぐマチコ先生』は間違いなく数えることのできるタイトルであろうかと思います。

けれどそれは、それだけマチコ先生の影響力が大きかったという証拠でもあると思うのですね。だって私だって見ていた。知っていた。自分の仲間内にも見ているというものはたくさんあって、なかには親に禁止されているからこっそり隠れて見ているのだというものまであった始末で、そう考えるとうちは奔放だったな。親も一緒になって見ていたからなあ。そんな具合だったものだから、ああした行為はいけないことなのだと、変な偏見を持つことなく大きくなることができて、 — いや、おかしなこと書いてるな。ああした行為はいけないことですよ?

けど、私はスカートめくりとかまったくしたことのない、そういう少年だったわけで、いや、これが当たり前といわれたら実にその通りなんですが、人によってはスカートめくりは普通にあったとかいいますから、一体なにが普通であるかなんてわからないんですが、まあスカートめくりを男子はするのが普通とここではしといてください。そうした行為に及ばなかった私にとって、マチコ先生のアニメは、普通の小学生がたどる道を仮想的に歩ませてくれる、そんな教育的側面を持っていたと思うのですね。ああ、教育っていいきっちゃったよ。今日はもう駄目だな。

でも、楽しいアニメでした。もちろん大嫌い、こんなの許せないっていう人もいるだろうけど、これを楽しみに見ていたという人にとって、あっけらかんとして明け透けで、すべての(性的)いたずらがまいっちんぐ!の一言で許されてしまうあの漫画は、自分たちの暮らしている世界とは違う、ワンダーランドとしての魅力があったのだと思います。だって、少なくとも私のまわりには、あれを真に受けてボインタッチだとかに及ぶの皆無でしたから。子供だって、フィクションはフィクションとして楽しんでいたんだっていう、そんな話なのかも知れません。わきまえたうえで楽しむ、そうした良識が支えていたアニメなのかも知れないって話です。

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