2008年3月2日日曜日

トリコロ MW-1056

 もし青野が看病にきてくれるというのなら、風邪をひくのも悪くないかも知れませんが、現実にそんな夢のような話なんてあるわけないのですから、今晩から明日にかけて、私はひとりで闘病です。いやね、インフルエンザにかかっていまして、まだ熱は出ていないのですが、そろそろ頭がくらくらしてきまして、こりゃもう確定だなあって、そんなちょい絶望気分なんです。けどそんな絶望の明日が確実であったとしても、潦が看病にきてくれるというのなら耐えられる。いや、だからそんなことはあり得ないのであって……、すいません、ちょっとくじけそうです。

メディアワークスから『トリコロ』特装版が出て、買って、読んで、久しぶりに『トリコロ』に触れたという感じがします。『トリコロ』が『きらら』を去って、『電撃大王』に電撃移籍。それからはまったく関わりを失ってきた私であったのですが、去る者は日日に疎しなんて故事成語などなんのその、こうして久しぶりに触れれば、過ぎた時は一瞬に縮まって、ああこの感じが好きなのだ、今という時間にぴたりと繋がって動き出した『トリコロ』の世界に、やっぱりよいなあと思ってしまうのであります。

『トリコロ MW-1056』、メディアワークス版『トリコロ』1巻には芳文社時代のものとそして移籍後の『トリコロ』が収録されていて、正直読むまでは不安もないではなかったのです。たとえば表紙の雰囲気とかね、あんまりに以前のものと違うと感じたものですから。ところが読めばそうした不安なんてものはきれいに払拭されて、やっぱり面白いものは面白い。物語られるものは日常と、事件とはいえないくらいのプラスアルファ。それがこんなにも面白くアレンジされてしまうというのは、やはり細部への着目と、それを全体に広げようとする練り上げのためであろうと思うのです。細かな部分への執着だけでは、きっとこれほどに読ませるものにはならないでしょう。また大きな流れを追わせるだけでは、キャラクターの個性に頼った大味なものになったかも知れません。

しかし海藍の手はその両者に伸ばされているのですね。細部は、全体そしてキャラクターを説得力持って支える力となっているし、大きな流れは、細部に支えられることによってより力を増して、あの長織という街のある世界に現実味を与え、ならばそこに暮らす八重たちにしても同じこと、ああ私の暮らしているこの世界の延長に彼女らの世界もあるのかも知れないと思わせてくれるのですね。それこそ手紙でも出せば届くのではないかと思えるほどに — 。

細部への耽溺、時に入り組んで組み立てられた筋立ては、わかりにくさにも繋がり、実際何度読んでもわからない、自信を持って解釈を確定させられずもやもやすることもしばしばですが、けれどそうした分を差し引いても面白さの方がはるかに大きく、そして時に物語られる情感の大きさに引き込まれるようにして、ほらたとえばあの飛行船の話、物語らないことによって物語るという妙、白眉でしたね。描かれんとする情感の大きさ、それがいいなと思うのです。そこには彼女らの喜び、驚き、感動などなど、さざめく心の動きがあって、そしてそれがたまらないのですね。

  • 海藍『トリコロ MW-1056』第1巻 (Dengeki comics EX) 東京:メディアワークス,2008年;特装版,2008年。
  • 海藍『トリコロ』第1巻 (まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2003年。
  • 海藍『トリコロ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。
  • 海藍『トリコロプレミアム』(まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2004年。

CD

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