2008年5月2日金曜日

コンシェルジュ

   『コンシェルジュ』、これが素晴らしい。その存在は以前から知っていたんですが、なんとなく敬遠してきて、というのは、うんちく系の漫画といいますか、そういうのはちょっともういいかなと思うところがあったものですから。ですが、それは誤解でした。おとつい、水曜日、天満橋のアバンティに寄った時のことです。店内をぐるりと巡ってみたら、棚三本、中段をぶち抜きで使って『コンシェルジュ』全巻が面陳されていたのです。それはすごいインパクトでしたよ。思わず足を止めましたもの。けれどそれだけでは済まなかったのですね。私が次に気付いたのは、第1巻、ご自由にお読みくださいとの表示でした。誘われるままに手に取って、読みました。最初はそれこそパラ見だけのつもりだったのに、引き込まれるままに読んでしまって — 。私は自分にルールを課しています。書店での立ち読み、もしそこで一定量を読んだならば、その本は買うに値する本であるのです。だから買いました。一度に全部というのはきつかったので、とりあえずは3巻まで。そして後悔しました。せめて5巻まで買っておくべきだった。3巻ではおさまらない。どうにも気持ちが収まらなかったのです。

翌木曜、つまり昨日ですが、残りをすべて買いました。できれば出会いを作ってくれたアバンティでといいたいところですが、本買うためだけに天満橋にまでいくのは正直きつかった。なので帰り道に行き付けの書店まで遠回り。ここなら絶対揃っているという信頼があるのです。そしてまさしく揃っていました。書店には書店の傾向があり、こういう本が欲しいならどこにいけばいい、本好きはちゃんと知っています。最近は地上三十階書店でなんでもすませてしまうことが増えましたが、昔はそうではありませんでした。書店にはそれぞれの個性があって、棚の景色が違っていました。町のちょっとした書店でもそれは一緒で、覗いてまわるだけで面白い。出会いがある。ただ新刊を並べただけじゃありませんよという、書店の気概が感じられた。そういう点では、天満橋のアバンティは私にとって今一番新鮮な書店です。私の通うどの書店とも違った棚を作っていて、すごく魅力がある。うん、書店は棚で客に話しかけるのですよ。こんな本はどうですかと、お探しの本はこういったものではありませんかと、棚が雄弁に語りかける書店。私はそんな個性的で人懐っこい書店が大好きです。

そして私が『コンシェルジュ』という漫画にこんなにも引かれたのも、個性と人懐っこさのためであろうかと思われます。この漫画に登場するホテルパーソンたち、皆それぞれにチャーミングで魅力にあふれています。ホテルにおける究極のサービス、ああ、私はこの究極だとか奇跡であるとかを警戒していたのですが、宿泊客の要望に可能なかぎり応えようと奔走するコンシェルジュの仕事をダイナミックに描いた漫画です。

主人公は最上拝。見た目こそはぱっとしないけれど、ニューヨークでコンシェルジュを勤めていたという経歴を持つ一流のホテルマン。宿泊客の要望を叶えるべく、経験、人脈、発想、工夫、そして自らの足でおこなう調査、あらゆる手だてを講じ、無理難題をクリアする。その過程、問題が解決に向かうという様子も痛快であれば、またそこに絡められる人の心の機微。サービスとはただ求められることに応えるだけのものではないのだというメッセージが効くのです。けれどもしこの漫画が、スーパーコンシェルジュとしての最上の活躍のみを描くものであったら、続刊を買いに走るようなことはなかったでしょう。どんな無理難題でも、最上が解決してくれる。最上だから特別なんだ。この漫画はそんなことは決していいません。

ヒロイン川口涼子が秀逸でありました。やっとの思いで潜り込んだホテル業界。しかし特にホテルパーソンを目指したわけでない彼女は、コンシェルジュ部門にまわされるものの、その仕事がどういうものであるかを知りません。まさしくゼロからのスタートをする彼女は、コンシェルジュという仕事を知ろうという私たちの代理人であり、そして漫画の花、彩りであり、そしてうかつな狂言回しである、と思っていたらなんのなんの。最上という上司を得、彼のなすことに感嘆していたばかりの彼女は、自分にできるもの、ことを模索し、奮闘する。悩んだり迷ったりしながらも、ベストを尽くそうと一生懸命で、そして少しずつ様になっていく。それは最上の教えた筋ではあるけれど、最上とは違う、そんな彼女独特のスタイルで、確かにスマートではなかったし、迂遠であったのだけれど、しかしそうした姿が伝えるものは確かにあります。正直、この漫画を読むと、コンシェルジュとは素晴らしい仕事だと思えてきます。いや、コンシェルジュだけでない。数多く描かれるホテルのスタッフ、ただのモブではない彼彼女らの存在がうったえるものがある。誰かのために最上を尽くそうとする、それがサービス業であるというのなら、それはどんなに尊い職業であろうかと、そう思わせる説得力にあふれている漫画なのです。

そしてキャラクターの魅力でしょうね。最上という男、そして涼子だけでない。コンシェルジュ部門の六人、他のスタッフ、常連客から、ライバルホテルの人間まで、それぞれが異なった性格、欠点、得意分野を持っているのですが、有り体にいって極端に強調されたそれら特徴は、読み進めるごと、読み返すごとに彼彼女らの印象を色濃く変えていって、忘れ難くするのですね。一人一人に人格がある、ストーリーがあると感じられて、ああこんな人たちのいるホテルがあるのだとしたら利用してみたいものだ、そう思わせる魅力にあふれているのです。もちろんこれは漫画だから、現実にはこんな破天荒なホテルはないでしょう。だから、本当に夢のホテルなんだと思います。しかしそれが夢のようだというのは、コンシェルジュがお願いを聞いてくれるからではありません。人間が生き生きとしている現場であるからです。人の息吹が、人の存在感がしっかりと感じられるから。つまりこうした感触こそが、この漫画が生み出し、提供してくれる価値であるといっているのですよ。

  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第1巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2004年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第2巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2004年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第3巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2005年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第4巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2005年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第5巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第6巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第7巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第8巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第9巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第10巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第11巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第12巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2008年。
  • 以下続刊

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