2008年8月31日日曜日

めげない! ひよっこ精霊士

 GAME JAPAN』10月号が『カルドセプトDS』特集をやるって聞いたので、買ってきました『GAME JAPAN』。コンピュータゲームではなく、TCG(トレーディングカードゲーム)やTRPG(テーブルトークRPG)をメインに扱った雑誌みたいですね。いや、そうか? 目次を見たらアーケードゲームの占める割合が最も多く、しかし今はアーケードゲームでもTCGをやっているようだから、結果TCGを主要に扱う雑誌と勘違いしてしまった、のか? まあいいや、この雑誌を買ったのは最初にいいましたとおり『カルドセプトDS』の情報欲しさのためでした。けれど加えてもうひとつ興味のあるものがありまして、それはなにかといいますと、榛名まおの描く『めげない! ひよっこ精霊士』。連載されている漫画であります。

榛名まおは『まんがタイムきららMAX』にて『ぐーぱん!』を連載している人で、私はこの『ぐーぱん!』がたいそう気に入っているものですから、『めげない! ひよっこ精霊士』が出てるって聞いた時には、買わないと、と思ったのでした。けどどんな漫画かわからない。通りすがりに利用しているような書店では取り扱っていないようで、だからある程度漫画を取りそろえている書店にいく必要がありました。いや、実は発売後にもその手の書店にはいってたんですけど、チェック漏れで買い忘れたのでした。いやはや、とんだていたらくです。

『めげない! ひよっこ精霊士』、略して『めげひよ』は、精霊を召喚して使役する精霊士の卵たちが、精霊士を養成する学校にてどたばたと学び、遊び、友情をはぐくむ漫画です。けれど、重視されているのは感動よりも笑いである模様。結構酷かったり、あるいはひねりの効いた落ちが、単純にいい話にはさせないのですね。そして、そのいい話を拒もうとする傾向は、登場人物の個性がゆえであるような気がします。

精霊召喚の能力は女性にしか発現しないというルールがあるため、登場人物はおおむね女性で、それも榛名まおの漫画ですから、皆かわいくて、でも榛名まおの漫画だからか、皆一癖二癖持っていて、ですがその癖がよいのだと思います。癖といっていいのかどうか、それはちょっとわかりませんが、皆それぞれに自分本位な面を持っているのですね。その時々の楽しさにまわりが見えなくなってしまう娘がいるかと思えば、プライドの高さが不器用さを助長しているような娘もいて、それから異文化を背景に持った少女でしょうか。それぞれが、自分のらしさを自分の流儀で前面に押し出している。けれど、そんな自分の都合全開っぽい娘たちばかりだというのに、自分勝手だったり、利己的だったりというようには感じないのは面白く、基本に楽しく仲良くという流れがあるからなのか、あるいは誰かにしわ寄せがいくわけではないからか、個性が主張されるほどに面白さが広がるように感じます。彼女らの奔放なところが見ていて気持ちよい、それが最大の理由であるかも知れません。

それはそうと、召喚される精霊は地水火風の四属性、上級中級下級特殊とランクわけされ、召喚には気力と精霊石を消費、などなど、あまり細かくはありませんが、ルールが設定されているのが、TCGを彷彿とさせまして、こうしたところに雑誌の傾向が反映されているのかなと思ったのでした。だから冒頭でTCGだなんだと、ごちゃごちゃいっていたんですが、けど実際読んでみれば、あんまりそういうの気にならないですね。でも、この漫画が人気になったら、このキャラクターを使ったTCGができたりするのかも、そう思うとちょっと面白い。いや、キャラクター紹介を見ると、ボードゲームが意識されてるのかな? 詳しくはわかりませんが、なんかそういう展開したりしても面白そうだ、など思ったりしています。

2008年8月30日土曜日

日がな半日ゲーム部暮らし

 今日はあさりよしとおのサイン会。集合時間待ちの手持ち無沙汰で、売り場をじっくりうろうろしてたら、『日がな半日ゲーム部暮らし』が新刊コーナーに置いてあったんですよ。買うだろ!? うん、もちろん買いました。だって好きな漫画です。期待度で購入した第1巻が想像を上回る素晴らしさを見せて、もう嬉しいやら楽しいやら、共感するやら感極まるやら、これはまさしく自分のようなもののために描かれた漫画であるとそう思って、2巻以降は常に期待度で購入ですよ。期待が大きいと、外れた時にがっかりするのはもちろん、裏切られたような気持ちになることもしばしばですが(もちろん逆恨みですが)、この漫画に関してはそんな経験はなく、読めばやっぱり嬉しくなったり楽しくなったり、そして共感があるのですね。3巻もそうでした。そして4巻、最終巻もそうでした。

第4巻は表紙が卒業式、ああ、みひろとかーはらもついに卒業か、ちょっと感慨深く思って、なにしろみひろは3巻の時点でゲーム部を引退して、なんといっても受験生ですからね、ゲームなんかやってる場合じゃないんです。ないんですが、彼女はどうしてもゲームがやめられない、そんな意志の弱い娘であります。現実にいたら心配なタイプですね。けど、そんなみひろも卒業。ああ、よかったね。いつの間にか過ぎていた時間のはやいこと、こうした節目に思うことごと、胸に迫りました。そして胸に迫るもの、それは卒業の感傷だけではありませんでした。

みひろが口にする、そしてあっきーが口にする言葉が、強烈に効くのですよ。他人事じゃない! というか、この子らは私か!? 関連商品がたくさん出るゲームに悩むあっきー、運を天にまかせて結局後悔するみひろ、もう本当に他人事でない、そんな気持ちでいっぱいになって、だってそれは私も通ってきた道だから。私もゲームが好きな口で、しかも根がマニアだから、関連商品が出れば欲しくなるし、買い切れないほど出されれば思わず呪ってしまうし、ああ本当にあっきーの思考は私の思考に同じです。運を天にまかせる話にしても、まかせた時点で気持ちは入手できるになってるんですよね、なぜか。だから手に入らなかったらすごく悔しい、そう思うこと必至、なので今では必ず予約します。多分、みひろも後数年ほどしたら、運を天にまかせるという判断はしなくなるんじゃないかな。きっと学習するんじゃないかと思うんですね。私がそうだったように。

こんな具合に、魂の一部を同じくするような娘たちが、ゲームに興じ、また友人たち、先輩後輩といい関係を築いている、その描かれ方が本当に幸いで、私はそんな彼女たちの関係にも心引かれています。あっきーだったらユウちゃん、みひろだったらかーはらですね、お互いにわかりあっているというよりも、相手を求めるあっきー、みひろサイドに、そんな友人の思いをよく理解しているユウちゃん、かーはらサイド、すごくうらやましい関係だと思います。私はできればユウちゃんサイドに立ちたい人間ですが、迷って迷って、悩んだ揚げ句に、決まって最悪な選択をしてしまう私です、どう考えたってあっきー、みひろサイドでしょう。でもだからこそ、わかってくれている友人がいるということがうらやましい。いいなと思ってしまいます。

みひろとかーはらがいよいよ卒業という時、これまでを振り返ってユウちゃんにお礼をいうあっきー、そのあっきーに答えたユウちゃん、あれにはぐっときました。ネガティブに向かいがちなあっきーにとって、あの言葉はなによりも強いものとなって届いたのだろうな、そういう感じがすごく伝わってくるようでした。そしてみひろとかーはらの「終わって」「始まる」。ネガティブに向かいがちな私は、終わることを異様に怖れていて、だからあの時のみひろの気持ちはよくわかって、そしてかーはらもきっとみひろの思いをよくわかっていたのでしょう。不安混じり、さみしさまじりのみひろの気持ちを受け止めて、前向きなものと変えて、返してくれた。あのしんみりとした景色には、同時にあたたかな交流がありました。

いい話だったと思います。これまで続いてきた三年間、いい時間を彼女らは送っていたんだということがわかる、そんな漫画でした。そして私も、彼女たちの充実して素敵な時間に触れることができた。それは本当に嬉しく思えることだった、心からそう思っています。

さて、これまで意図的に触れなかった雪華ですが、彼女の家族はいいですね。娘大好き、ゲーム大好きのお父さんに、父大好き、ゲーム大好きの娘。そしてお母さんもいい味を出していました。お父さんみたいな人と結婚したいという娘にいった言葉、その残酷さに気付いて、けど本心はそうじゃない。かわいいお母さんだと思いました。ふたりにうまく引き込まれて、思わずゲームに興じてしまうお母さん、かわいい人だと思いました。それに、雪華もかわいい。学校では、クラブでは見られない表情が、お父さん、お母さんの前だと自然に出て、この子は本当に家の子なんだなあ、そう思ってほほ笑ましかったです。

最後に、ゲームの神様。私、神様はずっと黄色だと思っていたのですが、白かったのですね。ちょっと意外でした。けど、なんで黄色? それはきっとポリタンにイメージが引き摺られていたのでしょう。最初のころは、ポリタンその人だと思っていたくらいです。しかし、このマスコットキャラなのかなんなのか、よくわからないポジションにいたゲームの神様も、重要にして欠くことのできない登場人物の一人だったんだろうなと思うのですね。なんとなく神様にされてるだけなんだけど、信心がこのぬいぐるみ? を本当の神様にしたような、そんな不思議な感じがあって、多分これはみひろのマジックなんだろうなあ、そんなこと思っています。

2008年8月29日金曜日

ハッピーとれいるず!

 『ハッピーとれいるず!』は、ご存じ荒井チェリーの新作で、けれどこれは1巻もの。続くかな、どうかなと思っていたら、意外とあっさり終わってしまって、ああー、確かに微妙だったものなと思ったものですが、こうして単行本でまとめて読むと、面白いですね。うん、面白い。正直なところ、これがもう少し、2巻3巻と続いたらば、今以上に面白さが出てきたんじゃないのかあ。そんな風に思うくらいで、だって美味しい設定がたくさん隠されてるみたいなのに、ほとんど語られることなく終わってしまっているんです。ほのめかされるだけで、踏み込まれることがなかった設定、これは本当にもったいないなと思います。それにキャラクターもたくさんいて、しかも個性的というか、今後動けばもっと魅力が感じられそうだと思うような、そんなキャラクターも多いのに、ああ、本当に残念だな。そう思ったのは、やっぱりこと漫画が面白かったからだと思います。

荒井チェリーの漫画では、『ワンダフルデイズ』が結構な大所帯でありますが、『ハッピーとれいるず!』も負けずというか、劣らずというか大所帯。メインのヒロイン、主人公の宝、見た目かわいいけれど中身は酷いという、実にいい感じのキャラクターであるのですが、彼女を筆頭に、魔法使いを目指し通信教育で夢をかなえつつある亜胡、見た目は抜群の男の子唯士(これでハイジって読みます)が続きます。そしてここからが面白い、前田克樹と辻一芽が参加しています。亜胡の、魔法を使って人助けしたいという望みをかなえるべく、便利屋クラブを創設した宝、部員として引っ張り込まれたのが克樹と一芽。克樹は『みおにっき』、『ゆかにっし』に出てきた、あの克樹です。そして一芽は『三者三葉』でひどい目に遭わされてるあの一芽 — 。

荒井チェリーの漫画は、舞台こそはそれぞれ独立しているけれど、少しずつ重なり合う部分を持っていて、そのため、横断的に多数の漫画に出てくる人が少なからずいます。こうした掛け持ちのキャラクターは、漫画によって位置付けが変わることで、新しい魅力、個性が発揮させられる、そんなふうに思います。知っている人には嬉しい仕掛けです。荒井チェリーの漫画の世界がより充実するような、そんな感じがするのですが、けれどこれは知らなくともかまわない、いわばプラスアルファに押さえられています。キャラクターの横断、世界の関連など、ギミックとしては楽しいけれど、凝りすぎることがなくさりげない、そういうところは美点であると思います。

さて、『ハッピーとれいるず!』ですが、先ほどもいいましたように、魔法使いになりたい亜胡の望みをかなえるべく作られた便利屋、クラブ活動なのですが、その能力の高さからスカウトされた克樹に、おそらくは頭数である一芽、そして霊の見える一年生シャノンにコンピュータや本など、情報の扱いに長けた鳩が加わって、これが部員一同。さらに生徒会の四人が関わってきます。メイン扱いのキャラクターで十人近いのですね。活躍するのは、もちろん主人公の宝、これ本当に酷い娘なのですが、そして克樹、さすが見込まれただけはあるって感じで大活躍していて、それこそ亜胡の出番を食ってしまっているんじゃないかと思うほど。そして重要な役回りを担っているのが、生徒会長井沢未琴と副会長小林祥太郎。クールな振りしてかわいいもの大好きな会長と、多分会長のことが好きなんだろうけど、そんなそぶりも見せずに会長をいじって楽しんでいる祥太郎、二人の掛け合い、やり取りも面白かったのでした。

この漫画の基本的な面白さは、表に見える顔、見せているものと、その実際のギャップだったのかなあと思います。優等生の上、会長も認めるかわいさの宝ですが、その実は行き過ぎた現実主義者、ちょっと守銭奴でありますし、美男美女の亜胡とハイジはどうにも危なっかしい天然さんであるし。みんなが見た目、中身にギャップを抱えているのですね。そして、その内面の奔放さであったりが、和気あいあいとした中に一味添えて、シビアさであったり、思わずつっこみ入れたくなる呑気さ、かみ合わない会話であったり、その揺れ幅、見せ方が面白かったのだと思います。

そして、もっとほころんで広がりそうな可能性が垣間見れた。そう思うから、冒頭にいっていたように、もったいないなと思うのですね。鳩なんかは、その見た目を変化させるネタに余地を残していたと思うし、またちょっと閉じ気味、引っ込み思案の性格もだんだんに変わっていくのではないか、また祥太郎との関係も興味を引いていたしと、そうした展開の芽の様なものがあちこちに見え隠れしていたと思います。

けれど終わってしまったものは仕方がない。残念だ残念だというのではなく、この一冊に感じ取れる面白さ、それをいっぱいに感じ取りたいと思います。

2008年8月28日木曜日

アットホーム・ロマンス

  アットホーム・ロマンス』の第2巻が発売されて、もちろん私は当然のように買って、読んで、そしてたまらない気持ちになって — 、それはこの漫画にあふれている熱い思いに触れたからなのではないかと、そんな風に思います。熱い思い。主人公竜太朗がママに向ける過剰な愛であるのか、あるいは姉暁子の弟への暴走する愛であるのか、いやけれどそれだけじゃありません。この漫画に出てくる人は、端的にいえば、多かれ少なかれみんな変態で、向かいどころがどことなく間違っている、そんな愛を胸いっぱいに湛えているのですが、その溢れんばかりの愛はあふれて、家族に、友人に、惜しみなく注がれるのですね。その助け、支え合うかのような関係が素晴らしい。読めば、胸に熱いものが注がれるような、そんな気持ちになるのです。

その熱さはもちろん2巻でも健在、というか、1巻を上回る高まりを見せて、読み進むほどに息苦しさを感じるほど。強烈に濃密な漫画なのです。巻頭のカラー描き下ろしもたいがいなんですが、本編開始してからも異様に濃厚、息つく暇もないというか、息継ぎする余裕がないというか、怒濤のように押し寄せてきて、有無をいわさずさらっていく、その勢い、そのテンションは特筆すべきものがあります。そして私はこの漫画に描かれる世界、ちょっといびつな愛の支配する世界に、参ってしまっているのですね。その参り方具合は、ちょっと尋常でないほど。流れる涙を拭いもせずに、登場人物、彼らの交わす情に没入して読む。いや、これが冗談でないからまずいんです。一見すると馬鹿で異常で、変態そのものでしかない少年少女の物語が、胸を打つ、心を捉えて離さない。むしろ彼らが過激な愛を貫くがゆえに、目が離せなくなっている。ええ、私はこの漫画に参っています。

そして私は、彼らの今いる地点に立ち止まることを潔しとしない、そんな姿勢にこそ共感するといっていました。2巻でやってくれたのは、親父でしたね。元プロレスラー、ガスマスクマン。メインストリームはあくまでも竜太朗でそして暁子であるのですが、この父親がついに吹っ切った。この回は本当に渾身のできであった、そのように思っています。息子との関係、夢に見た息子との対戦を通して、自分自身に向き合った。そんな父親の思いがひしひしと伝わるような回で、本当に素晴らしいと思ったものでした。連載で読んだ時もそうなら、単行本においても同様。あの親父さんはきっと立ち直れるな、そうした予感に満ちた締めに、この漫画の行く末を思ったのでした。今は母と姉と長瀬奈津子の間で揺れている竜太朗だけど、この父、勇の息子なのだから、必ずや変わることができる。そしてその変化とは、母を捨てることでなく、姉と離れることでなく、愛を胸いっぱいに抱きつつも、愛にとらわれ迷走することのない、そんな強さを得るということなのだろうなと思ったのでした。

しかし、こんなにも強烈な個性を発揮する漫画なのに、変にすっきりとして、さわやか? な読後感が得られるというのは、不思議なものだと思います。心の奥のもやもやが押し流されたみたいな、そんな気分にさえなれて、ああいい漫画だ、本当にいい漫画です。そして、多分、こうした気持ちになれるのは、この漫画に満ちている、人間が好きという、そんな思いのためなのだろうと思っています。弱くとも、今はくじけてしまっていても、きっと大丈夫、そういう応援の声が聞こえてくるような漫画です。自分もがんばろう、読めばきっとそう思えるような、不思議と健やかな漫画であります。

2008年8月27日水曜日

溺れるようにできている。

 コミックエール』の創刊号を買った時のことを思い出します。この雑誌、いったいどこで売ってるものか、身近な書店では見付けられないだろうと思い、また実際そうだったものだから、十三駅で降りて少し歩いたのでした。目当ては24時間開いてる書店、店の奥が年齢制限付き、そういう店だったのですが、ありました、店に入ってすぐ、『コミックエール』が3冊平で積まれていて、その後しばらく『エール』の発売日には、十三でおりるのが恒例になりました。そして、帰りの車内、はじめての雑誌、いったいどういう傾向なのか、面白いと思える漫画はあるのか、期待よりもちょっと不安のほうが大きい、そんな気持ちで読みはじめて、けれど面白かった。そして一番好きだと思ったのがシギサワカヤの『溺れるようにできている。』でした。

なにが面白かったのでしょう。ヒロイン、大学生、眼鏡、めっちゃ辛気臭い娘。なんかうじうじとして、ネガティブで、なにかあると悪いほう悪いほうにわざわざ考えて、確かめてみりゃいいじゃん、と思うんだけど、なんかえらく逃げ腰で、それができない。そんなヒロインです。人によってはいらいらして読んでられないかも知れないですね。けれど、これが私にはよかったのです。それは、こういう辛気臭い女の子、大好きだから! じゃなく、私自身に、そうした要素があるから。恋愛にはまると誰もがそうなってしまうのかも知れませんが、気持ちのアップダウンが激しくなって、ちょっとのことが気になって、ああだこうだと考えて、けどいちいち聞いたらうざいよねって、思う。うん、うざいね。女の子ならともかく、おっさん、いやあの時私はまだおっさんじゃなかった、けどきっとうざかったんだろうなあ。そんなわけで、ごめんね。Blogやってること知らせてないから、絶対気付かないだろうけど。

自分の内に潜り込んでいくような、そんな思考をするヒロインだからか、自然漫画もヒロイン佳織の内面に深く入り込んでいくこととなって、この沈み込んでいくような感触がよかったのだと思うのです。なにげない他人の言葉に揺れ、付き合っている男、六歳年上の圭ちゃんの一挙一動に揺れ、そしてだんだんと不安の側に引き寄せられていくような、そんな様子はよくわかる。特に、佳織のように、自分に自信の持てないタイプだとなおさらそうだと思い出す。なんか他人事でなくて、なんか変に心配で、だからそんな彼女がだんだんとほころんでいくようなところは、見ていてとてもいいと思っていました。

恋愛は相手があってのものだけど、えてして自己完結してしまいがちでもあって、この漫画にはそうなる一端が表れていたように思います。自分の中にため込んでしまう。思ったこと、不安や不信ならばなおさら。そしてこれが自己完結に向かう一歩となって、誤解や曲解、都合のいい理想、あるいはありもしない裏切り、そういったものに沈んでいってしまう。好きだからこそそうなってしまうというのが、恋愛のモードの怖いところだと思って、けれどその疾風怒涛こそが恋愛の面白さなんでしょう。私はもう体力がなくて、その浮き沈みに耐えきれないから、恋愛は駄目です。駄目になったからこそ、こうした漫画で追体験する。ええ、実によい疾風怒涛でありましたよ。

恋愛における自己完結、それを避けるには、ぶつかるしかないのだろうなと、自分の駄目なところをさらけ出し、相手の駄目なところも受け入れて、それができないと恋愛なんて続かないのだろうなと、そう思えるラストに行き着いたのが本当によかった。そう思っていて、しかしこの漫画は、恋愛中の心情をよく掬い上げて、しかし徹底して美しい恋愛に向かわせない、そうしたところが面白いです。ロマンチックな話になってきたと思ったら、台無しな展開に。なんだかいいシーンになったと思ったら、やっぱり台無しな展開に。心にぐっとくる、そんな決めぜりふがあっても、ヒロイン聞いてないし! けれどこの台無しの展開が、恋愛をよりうまく表していたような気がします。恋愛に限らずなんでも、そんなに理想的なかたちにはならないよって、日頃思い描いているような、美しくて、かっこうよくって、ドラマチックな、けどそんな恋愛なんてないよっていわれてるような気分でした。恋愛でもなんでも、結局はその人のなりなんだよ。だからなんでしょうね、度々の台無しな展開に佳織や圭ちゃんの人となりを見てしまうのでしょう。それは多分にコミカルだったりするのだけれど、その身の丈にあった恋愛の姿にほっとする。無理をせず自然体で向き合う、おそらくはこれが佳織の一番の成長で、圭ちゃんにとってもそうか。自分の中にため込んで、ぐつぐつと煮込んで仕上げたような虚像ではなく、現実の景色の中、そこにいるあなたとともに確かめあう、そこに本当の恋愛はあるのだと、そういう物語であったのだと思うのですね。

最初はうじうじとして、辛気臭い女だった佳織が最終回で見せた表情の数々、それは本当に素晴らしく、魅力的なものでありました。吹っ切れた、自分で自分にはめていたかせから自由になった、そんなぱっと明るく、開けたような気持ちのよさにあふれた表情でした。こうした変化は、しんどい恋愛を真面目に受け止めて、乗り越えてきたからこそのものなんでしょうね。そうした成長が、見た目にとどまらず、さらにその奥にまで踏み込んで、理解し、受け止めるまでにいたらせて、ええ、恋愛を描いて、恋愛だけにとどまらない面白さも与えてくれた、そんな漫画でありました。

ところで、私が圭ちゃんのもろもろ、よくいえば決断力のあるところとか、有り体にいえば男らしい身勝手さというかに不快を感じてたのは、別にそれで普通だったのかな? というのが後書きを読んだ感想です。嫉妬のあまり憎しみが、ってわけじゃなくてよかった。私、ああいう俺についてこい型の匂いをさせる男って嫌いなんですよね。ですが、あなたの気持ちを尊重します、っていうのをやり過ぎると優柔不断といわれます。佳織は優柔不断型でしたね。私も気をつけよう。なにごとも程々が肝要であると、佳織を見ていて思いました。

2008年8月26日火曜日

闇の子供たち

 この本が話題になっているというのは、おぼろげながらも知っていました。東アジアにておこなわれている、児童売買、児童売春、臓器売買を取り上げた小説。今、映画にもなっているんですね。そのためか、書店では話題書のコーナー、かなりの面積を使って平積み。けれど、本来の私でしたらば、こうした流行ものには手を出さないはず。なのにこれを買って読もうと思ったのは、行き付けの掲示板にて、こうした現実は受け入れがたいという感想を読んだからでした。想像の中、いや妄想というべきか、誰も被害を被るものがいないならいけるが、搾取され、傷つけられている人間がいる、そういう現実には我慢できない、耐えられない、お断りだ、そうしたことがいわれていて、これはおそらくは本心でしょう。常なら読まない話題書を、あえて読もうと決めたのは、彼の感想に実感のこもるのを感じたためでありました。

そして私も読んでみて、これは前半と後半ではずいぶん印象の変わる本ですね。児童売買、児童売春の過酷な現場を描く前半と、児童福祉の観点から、こうした被害に遭う子供を救済し、状況を改善しようとするNGOが描かれる後半。もちろんこれはきれいに前後半とわけられるのではなく、それぞれの視点による描写が交互に現れる、その比重が前半と後半で異なるということです。

しかし、前半の描写は本当に酷いものです。貧しい村から子供が買われていくシーンを皮切りに、虐待によっていうことを聞かせるばかりか、人間性を壊すことで思い通りに動かせる空っぽの人間に変えてしまう。従順な、要するにセックスの道具としての子供を仕立て上げ、搾取する。次々と提示されるそれら描写に対する不快感は、並々ならぬものがあります。そしてこうした不快感は、搾取を行う側にたやすく振り向けられて、すなわち児童売買をなりわいとし売春を強いるもの、自身の欲望を満たすために子供を買うもの、こうした状況に癒着し私腹を肥やすものに向けられることとなって、それは本当に憎悪に近いものにまで変わります。この時点での私の感想は、地獄へおちろ人間ども、それ以外のなにものでもなく、たとえどれほどに美しく、素晴らしく、崇高な文化を築いたとしても、その悪徳により人類は滅ぼされてしまえばよいと、それほどに思ったくらいでした。

しかし、前半の迫力に比べ、後半は弱いなと感じるところが多かった。理由はわかっているんです。NGOに関わっている彼ら、その個々人の思いはわかるのだけれども、いったいなにがその思いの源泉になっているのだろうという、そこが伝わってこなかったんです。確かに、児童売買は大きな問題で、見過ごすことのできない犯罪であるというのはわかります。しかし、それでもなお、世界のあちこちに散見される多様な問題の中から、あえてこの児童売買、売春の問題に身を投じようと思った、その思いの根源がちっとも見えてこないのです。そのために、ナパポーン、音羽恵子というNGOの中心人物たちが、薄っぺらく感じられて仕方がなかった。それこそ、私たちは正義なのよ、といわんばかりの傲慢を感じて、反発に似た気持ちさえ持ちました。だから、あのラストの音羽恵子の決断に関しても、決して好意的に見ることができず、なにか自分探しとやらに興じる人を見ている時の感覚とでもいいましょうか、あるいは圧倒的な敗北感をともに吐かれた南部浩行の言葉に対し意固地になっているだけなのではないか、そんな風にさえ思ったのですね。

NGOの人たちの中では、慎重派ないしは現実的解決法を探ろうとするレックが、唯一といっていいくらいに共感できる人間であったのですが、それは彼が正義という栄光に強くまみれていなかったからだと思っています。そして彼は、子供に対するセックスを見た時に、自分の中に沸き起こる欲望をはっきりと認識して、だから、もしかしたら、彼がNGO側エピソードの中心となったら、ずいぶん読後感は変わったかも知れません。自身の悪徳を自覚しつつ、他者の悪徳を糾弾する。自分の中にもある闇を認識しない人間は、あまりにも一面的にすぎて、結果魅力に欠けてしまうのではないかと、レックを見ていてそう思ったのでした。しかし、レックもそう掘り下げられてるわけでないし、また児童売買従事者側の中心人物であるチューンにしても同様です。彼がこうした最低の仕事をするにいたった理由、それは説明されますが、それ以上のものではありませんでした。貧しさの中、生きるためにはその選択しかなかった。最低の状況の中、悪徳に慣れていってしまう。感覚が麻痺して、それは自分に対しても、また他者に対しても、しかしそれは子供たちが暴力によって人間性を損なわれるということを、補足するためのものであった。だから、やはりチューンの人間性についても、ただの糞野郎以上の感想を得ることはなかった、ように思います。

この本の強さは、子供に対する搾取が、衝撃的に描かれているという、そこなのだろうと思います。あまりにも哀れすぎる状況。しかし、そうした搾取のシステムは描かれても、システムに巻き込まれる人間についての描写は弱かった。システムに抗おうという人間についてはもっと弱かった。そういわざるを得ないと思います。そして、現実は、この本に現れる衝撃的な描写よりもなお過酷だと聞いています。だから私には、この本は少し残念でした。私は児童売買、児童売春の現場のダイジェストを読みたかったのではなく、そうしたシステムに関わろうとする、関わらざるを得なかった人間をこそ見たかったのでした。

引用

2008年8月25日月曜日

Mantis, taken with GR DIGITAL

Butterfly先月は、締め切りを一日勘違いしていたために、不参加に終わったGR BLOG恒例トラックバック企画。今月は間違いなく25日が締め切りであることを確認して、今日という日を待ったのでした。いや、よく考えたら待つ必要なんてないのですが、余裕のあるうちに出してしまえばいいのですが、けれどもしもということがあるかも知れない。そういう思いが、ぎりぎりまで遅らせてしまうのですね。まあ、もしもなんてないんですが。さて、今月のテーマは昆虫であります。

昆虫、虫となると、狙って見付けて撮るというのはやたら難しく思われて、確かにこれまで機会があれば撮ってきたものの、それはたまたま出くわしたから、偶然、運のものです。しかし、こうした虫を狙ってうまく撮る人もいるのですから恐れ入ります。虫のいそうなところに入り、探し、これという瞬間を待つのでしょうね。虫に限らず、出くわさない限りは撮らない私と、出くわしにこちらから出向く人たち、その差はきっと大きいのだろうなと思われて、やっぱり写真でもなんでも意気込みが大切であると思いますから。

冒頭の写真は、雨の後、緑の葉の影に雨宿りをしていた蝶を撮ったものです。ごいししじみというのでしょうか。小さな蝶です。もちろん寄って撮っています。

そして、メインの写真は、家の庭、カボチャかなニガウリかな、のつるに紛れ込んでいたカマキリです。緑の中に紛れて綺麗だったものだから撮ったのですが、ちょっと露出オーバーすぎたような気もします。二年前の夏、日付を見れば9月20日。もう夏も終わろうという頃の写真です。

Mantis

2008年8月24日日曜日

男爵校長DS

 ÖYSTERの漫画『男爵校長DS』は、『男爵校長』の続き。おなじみアリカを筆頭とする女子高生面々が、なんだか楽しそうだったり、あるいはシュールだったり、そんな日常の小シーンを切り取ってみましたという、そんなところが魅力的な漫画です。元気な娘たちに、コスプレなのか変身なのか、妙な格好、わかるようなわからんようななにかに早変わりして、なにをか告げようとする男爵校長。彼らのシュールな掛け合い、噛みあう噛みあわないのぎりぎりでやり取りされる言葉の面白さに、キャラクターの個性が相まって、独特の世界を作り上げています。

そう、キャラクターの個性が強い漫画です。本当に魅力的な娘たち、そしておっさんたちも。現実にもいそうでいない、そんな桃源郷的娘がいれば、いなさそうでやっぱりきっといないだろうという、破天荒な娘もたくさんあって、そうした彼女らが読むごとにいとおしく感じられる。そういう漫画だと思っていて、いや実際にそうした魅力にあふれた漫画なのです。でも、きっと私は大切な要素を見落としていました。それに気がついたのは『男爵校長DS』を読んで、でした。そしてその大切な要素とは、彼女らの気付きにフォーカスがあてられているという、そこでした。

『男爵校長DS』では、謎の紳士、月彦がアリカたちに関わってくるのですが、この顔面が月球儀の男、謎めいた言動で彼女らを翻弄するかと思えば、時に助言を与え、彼女らのこれまで気付いていなかったことに意識を向けさせる。あるいは気付こうとしない態度を和らげることもある。そんな役割も担っていたように思います。四コマの連続があって、そして月彦との対話が一ページ丸々使って描かれて、最後の四コマに続く。そうしたパターンにおいて、月彦の存在はおのずと大きくなって、反面小さくなっていったのが校長の存在感なのでしょう。思えば、月彦登場以前は、校長の早変わりが気付きへの後押しをしていたんでしたっけ。その役割が月彦に移って、そして月彦の気付かせる手段は言葉でした。たとえ謎めいていたとしても、校長の早変わりほどに突飛ではなく、だから気付きのプロセスがずいぶんわかりやすくなりました。そしてここまで明確にされて、やっと気付きがひとつのテーマになっていると気付くことができたのでした。

彼女たちは気付くのです。自分の気持ちに気付き、友人たちの思いに気付き、物事との関わり方、関係することで生じるものに気付き、そして心が閉じていること、気付こうとすることにかたくなであることに気付きます。そして気付いた後には変化、成長が待っているのでしょう。この漫画、『男爵校長』も『男爵校長DS』も、その土台には彼女らの成長、変化がしっかりと根を張っていて、そして彼女らが気付きに達するのは、あくまでも彼女らの起こすアクションによってであるのです。その健全さ、その彼女らの伸びようという姿が、生き生きとして、はつらつとして、魅力的であるのでしょう。ただ、その気付きに導く手段、謎めいた行動によって伝える校長と、謎めいた言葉によって伝える月彦、その差に読後感の違いが生じていたように感じます。

けれど、それは決してどちらかが悪いといいたいわけではなく、そのどちらにも味がある。違ったテイスト、違ったあたり方があるのです。彼女らを中心に置いた『男爵校長』と、月彦そしてDS部というもうひとつの重心をおいた『男爵校長DS』と。後者は、アリカたち、娘らの個性の発揮が若干押さえられましたが、その反面、『男爵校長』ではきっと導き出されることのなかったと思われるような、例えばそれは謎に踏み込む小夜子さんのような、また違った側面が光ったように思うのですね。そして私は、そうした側面も嫌いではないのです。多彩な顔に魅かれる、その多彩さを引き出す『男爵校長DS』、私はこの味も悪くないと思ったのですね。

それはそうと、TRPGやってみたいですね。サリーを着た小夜子さん、綺麗ですね。意地を張る弦音さんはかわいいし、アタマポンポンはやってみたいですね。そして当然、女の子の言う事なら聞きます。

  • ÖYSTER『男爵校長DS』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2008年。
  • 以下続刊
  • ÖYSTER『男爵校長』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2005年。
  • ÖYSTER『男爵校長』第2巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2007年。

2008年8月23日土曜日

逆転裁判3

 明日は早起きする予定なので、早めに更新を済ませて、早く寝ようと思っていたのですが、そうしたら悪いことに雷が鳴りはじめまして、しかも悪いことに瞬間停電が起こりまして、これはまずい、コンピュータが起動してるとやられる! そう思ったものですから、雷のピークが過ぎるまでコンピュータを終了しておく必要があったのでした。ああ、こうなったらなにもできないな。外は雷がごろごろいっていますし、ペン習字をしようにもいつ電気が消えるかわかったもんじゃありません。仕方がないなあ。こうして言い訳を用意して、私はおもむろにNintendo DSの電源をオンにしました。DSだったらバッテリーで動きますから、怖いものなしですよね。そしてはじめるゲームは『逆転裁判3』。ついに三作目に挑戦することとなりました。

しかし、三作目、これをはじめて驚いたのが、いきなり罪に問われるのが、おっとっと、ここからネタバレが始まります。このゲームをプレイしていない、かつ今後プレイしたいと思っているような人は、ここから先は読むべきではありません。

警告した。

いきなり罪に問われるのが成歩堂龍一です。しかも恥ずかしいセーターを着た! これはいったいなんなんだと思って、そしてすぐに理解しました。毎回のチュートリアルもかねる最初の法廷。ここに新人時代の綾里千尋を持ってくることによって、過去の二作で成長している成歩堂を新人のような扱いにすることもなく、プレイヤーに操作方法を説明するばかりか、これから始まる物語、その全体を貫く要素を提示することに成功しています。この三作目は、成歩堂が出会う事件、それぞれが独立したものとして描かれるのではなく、成歩堂の師匠である千尋さんとも関わりを持ってくる。そうした構図が予告されるような第一章に、期待はただただ膨らむばかりでした。

しかし、しかししかし、成歩堂のうざいことったらないね! こいつ、こんなにうざい奴だったのか。というのはさておき、彼の所属しているのが芸術学部というのはちょっとした伏線なんでしょうね。Web上で体験できる『逆転裁判4』。王泥喜法介の最初のケース、被告人はまさしく成歩堂龍一その人で、弁護士を廃業した彼はピアニストをしているのですね。私ははじめ、この設定に唐突な感じを抱いていたのですが、なるほどねとちょっと納得して、けど芸術学部から司法試験に合格するって、こいつ一種の天才だな。まずもって無理だと思うもの、ってそんな無粋なつっこみしても意味がないので、異議唱えるのはやめておこうと思います。

『逆転裁判3』の最初の法廷が綾里千尋、けれどその後彼女の法廷シーンはないのでしょうね。かわりに、あの女が戻ってくるのでしょうね。おそらくは、ラスボスとして。この予想が正しいかどうかはわかりませんが、けど多分そうなんだろうなと思いながら、この先をプレイしていきたいと思います。はたして彼女がどのようにして戻ってくるのか、その彼女に成歩堂はどう向き合うのか。それが楽しみです。

とはいえ、第一章の成歩堂は本当にうざかった。興奮すると尻の疼く師匠が隣にいたら、殴ってたかも知れない、それくらいうざくて、あの毒の容器を食っちまった時なぞは、毒にあたればいいのにと本気で思ったくらいにうざかった。けど、それで死んだらまさかの主役不在、『逆転裁判』は成立しません。だからあれでいいんでしょうけど、しかしそれにしてもうざかった。ええーっ、プレイヤーキャラがこんな奴なの! 過去二作で培われた成歩堂との関係が一気に瓦解するかも知れない、それくらいのインパクトのある導入であったかと思います。うん、私はちょっと幻滅したんですね。

2008年8月22日金曜日

「カルドセプト セカンド」オリジナル・サウンドトラック DELUXE

 カルドセプトDS』が出るぞ、DSで『カルドセプト』ができるぞと、ずいぶん前から騒いでいるわけですが、実際、具体的に発売日が決まれば、今まで以上に気持ちは盛り上がるものなのですね。公式、非公式を問わず、少しずつ公開されていく情報にわくわくしながら、振動カートリッジ目当てにピンボール買ったり、また旧作のカードデータに思いをはせてみたりと、なんだか気持ちばかりが忙しい。けれど、ここでエキスパンションを遊ぶと、『カルドセプトDS』に触れた時の感動が薄れそうだから、我慢です。かわりにといっちゃなんですが、『カルドセプトDS』に便利なツールを作ってみたりもして、けれどこれはまだ公開できない。こんな具合に、気持ちいっぱい、胸いっぱいに『カルドセプトDS』の発売を待ちわびています。

サントラの購入も、まさにこの発売待ちの間、気持ちを高める一環であったというのでしょう。サントラといっても、ちょっと古く、『カルドセプト セカンド』のサントラです。実は、最初に発売されたサントラを買いそびれていましてね、ああ、しくじったなあと思っていたのです。そうしたら、昨年末にリニューアル版が発売されると決まりまして、ああこれは是非とも買わないと! そう思いながら、今月に入るまで待ち続けたのが私の駄目なところです。『カルドセプトDS』を予約すると同時に買ったんです。もう、気持ちがはやってしまって、なにかせずにはおられない感じになってしまって、そうだサントラを買おう! 実に私らしい購入の経緯であると思います。

実は私は、『カルドセプト セカンド エキスパンション』をプレイしながら、まだカードコンプリートをはたしていない、実に見下げ果てたプレイヤーです。一時期コンプリート目指して集中的にプレイしたことがあったのですが、疲れてしまって、ストップ。結局、ゲームばかりに打ち込んでいられなかったというのが大きくて、悲しいことですが、こんな具合にクリアしていないゲーム、コンプリートすることなく中断されているゲームはたくさんあります。好きで、かなりの情熱を注いでプレイしたつもりの『カルドセプト』ですが、それでもプレイしきれなかった。やっぱりこれは残念です。カードがそろってないために、チャレンジすらできないメダルもあって、本当に中途半端。対戦会に寄せてもらったりもしたけれど、だんだん身の回りが慌ただしくなって、疎遠になった。本当に中途半端です。

けれど、そんな私でもサントラを聞くと、さすがに何時間となくプレイしてきたゲームだけはあります。音楽が記憶を鮮烈に蘇らせて、ちょっと感動的。プロローグが過ぎ、ロカ、じゃないや、デュナンのBGMが流れれば、その冒頭のアルペジオ、切なささえ感じさせる響きに寂寥感あふれるテーマが乗って、しかし荒涼とした大地にさすらうとでもいいましょうか、凛としたたたずまいも感じさせるそんな色調が素敵です。そして緊迫の達成間近のテーマ、戦闘。各マップに三種ずつのBGMが、それぞれのマップの印象を色濃く思い出させてくれて、それは私がそれだけの時間、ゲームをしてきたということでもありますが、またそれだけこれら音楽が強い印象を持ってプレイヤーに働き掛けていたという証拠でもあるのでしょう。音楽はサントラとなり、ゲームと切り離されることで、プレイ時には気付かなかった魅力を発揮して、しかしゲームプレイ中には、ゲームさらには世界観をしっかり下支えし支援していたのでしたね。その時々の置かれた状況で、最大限の効果を発揮している、そんな様を耳にするに、やっぱりこれは名作であるなあと、強く思うのでありました。

好きな曲はいっぱいありますが、私はタイトルでいえばBookmark、セプターデータのメンテナンス時やブックの編集時に流れるあの曲が好きです。なんかやすらいだ気持ちになれる。本当によい曲だと思います。

2008年8月21日木曜日

プラチナ萬年筆 Preppy

 今朝はどうもぼうっとしすぎて、これまで忘れたことのないペンを忘れてしまいました。ペン、万年筆ですが、職場でのメモや手帳の記入用に使っている、それを忘れてしまうと仕事にならないじゃないか。いや、そんなことないんですが。メモ書き程度ならエアプレスがありますし、それに探せばいくらでも文具は出てくるし、仕事をするということに関しては問題ない。でも、どうせなら気に入った道具を使いたいなあ。そう思ったので、通勤途中のコンビニで、万年筆を一本買いました。知る人ぞ知る廉価万年筆、プラチナのPreppyです。ステンレスペン先にイリジウムがついて、インクの交換ももちろんできて、これがなんと210円(税込)。正直、破格の価格であると思います。

けれど、この価格で使用感は抜群、すごいコストパフォーマンス、なんだそうです。今まで、あちこち、Blogやら掲示板やらニュースサイトやらで取り上げられていて、見れば総じて評判がいい。へー、そうなのかあ。と思っていたのですが、私は廉価万年筆ならPILOTのボーテックス持ってるし、ちょっと手を出す機会がないなあ。安いペンだから、気楽に買って試してみればいいのでしょうが、買って使わなくなるとペンに申し訳ない。そう思って今まで眺めながらも買い控えてきたのです。しかし、まさかペンを忘れてしまうとは。けれどこれが機会であると、ついに試してみることにしたのです。

Preppyがコンビニで売られていることは先刻調査済みです。駅前にあるアズナス、おそらく全店で扱っていて、ただしインクカラーは黒のみです。けれどこれは私にはよかったのかも知れません。なにしろ私は、放っておくと青ばっかり買ってしまうというような人間ですから、もし選べたら、ブルーブラック買ってたでしょうね。ですが、普段持っているペン、Pelikano Juniorがロイヤルブルー、Espritがウォッシャブルブルー、ボーテックスがブルーブラック。なんでこんなに持ち歩いてるんだといわれたら困るけど、これは病気みたいなものだから仕方がない。いや、それよりも色ですよ。これだけ青が揃っているところに、また青を増やしても困ります。だから、使い分けという点においても、黒インクしか選べなかったというのは逆にありがたいくらいで、かくして持ち運びペンが四本になったのでありました。

書いてみた感想です。これは、悪くないですね。若干軸が軽いのが気になりますが、けれど慣れれば問題のない程度です。ペン先は03、細字とありますが、思っていたほど細くはありません。私にとってはなじんだ太さといいますか、細字 (F) といわれて想像する、それくらいの太さ。悪い感触ではありませんでした。手持ちのペンと比べると、未調整ボーテックスのFより太く、調整済みボーテックスよりは若干太いか同じくらい。Parker 75のFと変わらないくらい、です。

まだ使いはじめなのでこれからどうなるかはわかりませんが、インクの出は充分すぎるくらいです。書いていてかすれるということもなく、またインクが出ないなと感じることも皆無。問題を感じないインク出です。首軸に透けて見えるフィンには、若干インクがにじんでいる程度なので、今後はもっと流れるようになるかも知れませんね。そうなると、今以上に潤沢なフローが期待され、ということは若干線が太るかなという予想もされて、ですが問題なし。私はそれくらいの方が好みです。

210円でこれだけのペンがあるというのは、本当にすごいことだと思います。安いすなわち悪いではなく、安くてもそれなり、いや、それなり以上の使用感を得られるというのは、逆に贅沢さを感じさせてくれます。もちろんこれは廉価な品ですから、数千円から一万円を超えるようなものと比べるのはおかしいのですが、しかしこの軸の軽い質感はなにより身近さを感じさせてくれて、背伸びするでなく、万年筆を気楽に使いたいというニーズを満足させるものであると感じます。それこそ全色そろえて、カラフルなノートを作る、ちょっとした手紙を書く、カジュアルに使って楽しいペンであると思います。

というか、今私は、全色欲しいと思っているのです。そう思わせる魅力のある、実にチャーミングなペンであると思います。

2008年8月20日水曜日

メトロイドプライムピンボール

 メトロイドプライムピンボール』、続報です。『カルドセプトDS』が振動カートリッジ対応らしいという話を聞きつけて、振動カートリッジ欲しさに入手した『メトロイドプライムピンボール』。ですが、もともとピンボールが好きだと言い張っている私です。これをプレイしないなんて話はなくて、毎日少しずつプレイしていたのでした。そして、本日は中間報告。当初の目標としていた、全台制覇がなりました。そしてもうひとつ、得点が千万台に乗りました。11,806,780点。これで気分は一段落です。

目標達成、これはおとついのことですね。寝る前にちょっと1ゲームと思ったら、いきなり1ボール落としてしまって、リセットしようかと思ったのだけど、それも潔くない。そのまま突き進んでみたら、連続でエキストラボールを獲得し、さらにはミニゲームも結構楽々とクリアできて、そして重要なのはアイスバレイかな? ここは周囲の氷柱をぶっ壊していると、たまにアーティファクトが出て、さらにまれだけどエキストラボールも出るという、うまくやれば最高のステージなんですが、まあ、敵がうろうろしているから油断すると落としてしまいかねない。けれどそれでもチャレンジする意義はある、そんなステージであるのですね。

アイスバレイでの獲得アーティファクトがみっつ、エキストラボールがひとつ、これが大きかったですね。ターロンオーバーワールドでむっつ、アイスバレイでよっつ、フェイゾンマインズでふたつかな? これで計12となって、さあアーティファクトテンプルに挑戦だ。しかし、これはもう攻略済み。落とさず、また敵の攻撃を避けられればそれほど難しくないステージです。必要なのは根気とボールコントロールだけ。かくして、インパクトクレーターに進んで、クリアの手順はもうわかっている。最初の黒いのは、レーンを塞いでいる足に当てて、レーン通過、フォースボールになってダメージを与えて、これを三回もすると、黒いのが消えて、イカみたいなクラゲみたいなのが出てくる。そいつはパワーボムでもフォースボールでもなんでもいいから、当てて倒すだけ。

以上で一通りのクリア。エンドテロップが流れて、そして二周目に入ります。二周目ともなると、台のレベルが上がってしまってるので(二周目だからではなくて、過去にクリアしてしまってるから)、未プレイのフリゲートオルフェオンを選んで、けれどこの台、ターロンに比べちょっとだけ難度が高いんですよね。台の構成としてはこっちの方が好みなんだけれど、攻略するという点においてはちょっと苦手にしてて、だから今以上を狙うというなら、フリゲートオルフェオンになじむ必要がありますね。

とまあ、こんな感じで当初目標を達成したので、次の目標、千万台を突破する、つまり、カンストがあるのかどうかを確認するに移行するわけですが、しかしこれはよほどのことでしょう。私の腕では難しい、無理かも知れない。とはいっても、一週間程度で一千万には届いたのだから、それこそ『FLIP-FLAP』の深町君よろしく、一年も粘ればたどり着けるのかも知れません。その前に飽きるかな? 面白いゲームはいくらでもあるし、それにもうじき『カルドセプトDS』が出るし。それに、深町君と違って、私には山田さんがいないからなあ。

といったわけで、次の目標、一億点突破は、クリアすべき目標というよりも、向かって進む遠い行き先、という捉え方がよいかと思います。いつかたどり着けるかも知れない、けれどたどり着けなくてもかまわない。近づかんとしてたゆまず歩き続けること、目標とはそのようなものであってもよいのではないかと、そのように思います。

うん、ちょっと反省した。足踏みしてるものいっぱいある。うん、反省した。

2008年8月19日火曜日

BODY / LIFE

昨日取り上げたのがホームラン・拳の『ソウル・キッス』。じゃあ、今日は『BODY & SOUL』だ! と思って本掘り起こしてみたら、あらら、『BODY / LIFE』だった……。でも、気にしない! 『BODY / LIFE』の作者は、以前『少年少女は××する』がよかったといっていた、さらには既刊を買っていってみようといっていた、陸乃家鴨であります。そう、その後、ひそかに既刊を買っていたんですよ。けれど、ちょっと思っていた感じとは違っていて、あれーっ? って思った。それはひとえに『少年少女は××する』的なものを期待しすぎたためであるのですが、しかし第一派ではピンとこなかったといっても、二度三度と読むうちに、よさに気付くこともあります。そしてそれはまさにこの本で起こって、特に男女の入れ替わりものである後半三編が面白かった。結構気に入っている話です。

なにがよかったかといえば、結局はミチ子さんなんだろうなと思うのですが、男前でさばさばしていて、気っ風もよければ、啖呵も気持ちいいという、そんなヒロインが、ひょんなことから、気の弱い男の子、仁志と入れ替わりをしてしまう。プロットとしてはベタで、しかも一緒に階段落ちして入れ替わりという、実に由緒正しいきっかけです。しかし、男ならよかったのにと悩む女と、女だったらよかったと思ってきた男が、見事望みの体を手に入れる、それはちょっとした夢の実現で、その周辺で描かれた心の機微、ちょっとよかったです。まあ、そこが静かでしっとりとしただけに、次のページから始まるメインの場面、その動的な様が映えるのだと思うのですが、いやしかし、ミチ子さんは素敵です。まあ、仁志の体を使っているわけですが、水を得た魚の様とでもいえばいいでしょうか、生き生きとして、もうやりたい放題。素晴らしすぎです。

基本、私は男が女に強いる、そういう関係はいやなのです。しかし、この漫画は、外面的には男が強いるけれど、その中身は女であるという、なんだこの倒錯感。しかも、仁志の体に奉仕する仁志、それはミチ子にも同じではありますが、私には断然仁志の描写が魅力的と感じられて、それは私の持つ、できるものなら女になって自分を責めてみたいものだという、変態性がまま描かれているという、そこに起因するのでしょう。

ミチ子さんのやりたい放題は、話の進むごとになお加速して、それはもう素晴らしいの一言です。乱暴な男のやりたい放題はいやだといいながら、その中身が女であれば許せてしまうという自分にびっくりですが、しかし自分の興味、欲望に忠実なミチ子は見ていてほれぼれします。なんといっても、すごく楽しそう。で、仁志をはじめ、お姉さん(名無し)や天使まで巻き込んでしまうという、その勢いもまた魅力的で、もう向かうところ敵なしです。

そして、仁志のかわいさなのでしょう。ミチ子の体に入っている仁志がかわいいのは当然としても、仁志そのものもまたかわいく、そして、そんな仁志とミチ子がいいカップルになっているという、その関係がまたよいなと思うのですね。われ鍋にとじ蓋的カップル、でもそれが変にいい感じ。仁志は振り回されてるけれど、それでもミチ子を受け入れて、無茶にもなんとなく付き合っちゃってる。その様子見てると、なんだかんだいっても運命の二人だよなと、そんな感想が出るくらいの自然さで — 、やっぱりいいなあって思うのでした。

  • 陸乃家鴨『BODY / LIFE』(セラフィンコミックス) 東京:ヒット出版社,2000年。

2008年8月18日月曜日

ソウル・キッス

 新刊の平積みに見付けて、なんとなく気になって、なんとなく買ってしまった『ソウル・キッス』。購入は7月9日。買って、帰宅して、読んで、結構いいなと思いながら、今日まで延ばし伸ばしにしたのは別になにか意図があったからではなく、たまたま。書きたいなと思いながら、はてどう書いたものかと思いあぐねていたら、更新ラッシュの狭間に入ってしまって、今日まで延ばされてしまった。それだけのことなのですね。『ソウル・キッス』、ジャンルとしてはBLでしょうか。突然の事故で天涯孤独になってしまった高校生、原朔太郎のもとに美しい青年アルが現れて、そして始まる二人の生活。しかしそれはちょっと奇妙で、ちょっと不思議な恋愛の始まりだった。そういうお話です。

謎めいた青年、アルに隠された秘密、それが物語の肝であるのですが、それは当初は徹底して隠されて、朔太郎に対しても、そして読者に対しても。しかしその秘密が明かされることで物語は一気に動き始める。その堰を切ったような急展開はちょっとした見どころであろうかと思います。朔太郎が天涯孤独となった理由、その一端を担うアル。しかし彼の本当の目的は明かされることがなく、かわりにどのような仕打ちをしてくれてもかまわない — 。アルは朔太郎の手を自分ののど元に導き、そして朔太郎は、激情をアルにぶつけるようにして抱いてしまう。その時の描写、受け入れるアルの葛藤、諦念とそして一抹の希望が交錯する、その描写がよかったのですね。そして、すべての謎が解かれる、その端緒が開かれます。

この物語において描かれるもの、それはなによりもまず愛であり、そして罪であるのだろうなと、そのように感じています。愛があった。しかし愛ははたされることのないままに引き裂かれ、そしてそこには罪が残った。罪を負った者たちが、苦しみ迷いながら、またなおも引き合いながら、一度は失ってしまった愛を探している。そうした彼らの姿には切なさが絡みついていて、そしてあがないとともに愛の成就するラストには、背徳にまみれようとも誰かを求めないではおられない、人の心の悲しさがあふれるようでした。

上の説明、ちょっと嘘をついてるのですが、ありのままに書いちゃうとネタバレになってしまいますから、そこは我慢です。それに、まあ、別に人といっちゃってかまいませんよね。人が描いた、人の読むための漫画です。そこには、読者の求める耽美の世界が絢爛と広がって、ある人はこれをご都合主義、できすぎだというかも知れない。ある人は、歪んだ世界を描いているというかも知れない。でも、朔太郎とアルを繋ぐ感情、気持ちはしなやかにして強靱な絆となって、少なくとも私は、そうした彼らの愛のかたちに憧れに似た気持ちを持って、私の愛もこうしたものであればと、そんな風に思ったのです。

愛があるゆえに生じた罪、怒りと嫉妬が、二人の献身的ともいえる愛に対照されて、しかしその愛もまた美しかった。そのように思います。自分のうちに巣くう激しく燃える暗い情熱、それを直視し、そしてついには自らを嫉妬のくびきから解き放つ。それは彼にとっては喪失を伴う決断であったわけだけれど、それをさせたのもまた愛なのだと。そんな話です。そして、罪はなにも彼だけでなく、愛にからめとられた彼ら、誰もが負っていた。愛するがために犯された罪。それは、愛という激情に揺さぶられたならば、誰もが負いかねない、人の気持ちの一途さゆえの罪であるのだと、だから愛は時に劇薬に似るというのだと、そう思わせるものでありました。

ところで、若奥さま風のアルさんは、かわいすぎだと思います。反則じゃないのか? それと、できれば鎌じゃないほうがよかったなあと。いや、彼らをしてそのようなものとみなす、その意図はわかるつもりです。

  • ホームラン・拳『ソウル・キッス』(あすかコミックスCL-DX) 東京:角川書店,2008年。

2008年8月17日日曜日

逆転裁判2

 逆転裁判2』、思いがけずクリアしてしまいました。思いがけずというのは、話数の勘定を勘違いしていて、今プレイしているのがラストエピソードと思っていなかったからなんですが、いやはや驚きましたよ。思った以上の大ネタで、ラスト直前の軽いものだと思っていたら、想像以上に気持ちを揺さぶられてしまって、おいおい、今でこれじゃラストどうなるんだ、と思っていたら、なんでかエンドクレジットが流れてきた……。なんで? 最近は、ラスト一個前のエピソードでエンディング見せるのがはやりなの? って、そんなわけありません。今、プレイしていたのが正真正銘のラストエピソードだった。それだけの話です。しかし、このラストエピソードは逆転逆転の連続で面白かった。そして、ずっと心のどこかに引っかかっていた要素が最後にものをいう。そこにはまさしく爽快な決着が用意されていて、このゲーム遊ぶ時の醍醐味ったらこれッスよ。

しかし、ええと、ここからネタバレね、古いゲームだから、伏せ字にしないので気をつけてください。

しかし、まさかラストエピソードにおいて依頼者を有罪に追い込まねばならないという流れに入るのは、本当に思い掛けない展開で、なかなかにしびれました。人質にとられた真宵があって、彼女の無事をとって信念を曲げるか、信念に准じて彼女を危険にさらすか、その葛藤の中、審理を進めていく。証言に立つ人間もまたバラエティに富んでいて、もしここでうかつに突っ込んだらバッドエンドが確定? ハラハラしながらのプレイがすごく面白かったです。

これ、途中で真宵を救い出せるのではないかと思わせる誘惑があるのですが、つまり無罪をもぎ取れるチャンスであるわけですが、私はそこに妙な危険さを感じ取って、なんというのでしょう、布陣の際にわざと弱い箇所を設けて敵を誘い込むのは、基本的な戦術でしょう。もちろんそこには罠が仕掛けてある、うかつに踏み込むとズドンとやられてしまう。そういう剣呑さを感じたものだから、それらをすべてパスして、というのは、これはそんなにシビアさを求めるタイプのゲームではないから、正しい振舞いに撤すれば、きっと真宵は帰ってくるに違いない。そう踏んでいたからなんですね。逆に、日和ってしまえば、ひどい目に遭う。そんな気がしていた。結果的にこれで正解でした。

基本的にこのゲームは、無実の罪で逮捕拘留された依頼人の冤罪を晴らすというのが決まりの展開でありますが、そこに有罪の依頼人が加わって、そうしたところは大変よかったと思います。『逆転裁判』の第一作、はじめてプレイした時の感想にて、弁護士の仕事というのは冤罪を晴らすことでなく、それが実際に犯罪を犯したものであっても、裁判においては最善の弁護をするという、そこなんじゃないのかなどといっていましたが、結果的にこの私の思いを晴らしてくれるものとなったと思います。もちろん、私の本来期待していた要素、故意ではなかった、やむにやまれぬ事情があったんだ、などを訴えるような方向には向きませんでしたが、しかしそれはこのゲームの前提とするシステム、序審法廷制度 — 序審法廷において有罪無罪のみを審理し、本審において量刑を審理する — がそういう風になっていないんだから仕方がない。だから、このゲームのシステムにおいては、あのエピソードが最善であったのでしょう。検察、弁護側がタッグを組むようにして、憎むべき犯罪の真相を明らかにする。勝ち負けとは、無理矢理無罪あるいは有罪をもぎ取ることではなく、真実にたどり着くことなんだというそれは、本当に爽快感をもたらしてくれるものであったと思います。

そして、そこに爽快感を得るのは、それだけ現実の世界において、真実が明らかにならないことのもどかしさを噛みしめているという、そういうことなのだろうと思います。

さてさて、『逆転裁判2』を終えて、次は『逆転裁判3』です。成歩堂龍一編の完結。はたしてそれはどのような展開を見せるのか! 楽しみです。それはもう楽しみなのであります。

引用

2008年8月16日土曜日

男の仕事場 / 毎日がメンズデー

 こいつはなんだか面白そうだと思って買った、九州男児の『毎日がメンズデー』。しかしそれは失敗でした。いや、だって『男の仕事場』の続編だなんて知らなかったんですよ。九州男児について詳しいわけでもないし、またジャンルについてもよく知っているとはいえない。ましてやタイトルが違う、といったわけで途中から読みはじめる羽目となって、いや、我慢できなかったんですよ。『男の仕事場』を入手するまで置いておこうかなと思ったのですが、やっぱり興味があって買ったもの、ふと手に取ってぱらぱらと見て、そうしたらすっかり読み込んでしまって、これはよさそうだ、頭から読み直してそう思って、『男の仕事場』を入手してみれば、より以上に面白く感じてしまって、やっぱりこの人の漫画はよいなあと思ったのでした。

この漫画のよいところ、それは感情を描きつつも、そうした感情がなぜ生じたかをきちんと理解させてくれるからだと思うのです。やけに理屈っぽい、けれどその理屈が感情の行方をうまく説明して、導いていってくれるような気がするんですね。導かれるもの、それは漫画の登場人物であり、そして読者である私であり、ああ、そうか、それならノンケである彼が男性に魅かれてしまってもおかしくない、ノンケである彼がたくさんの男の中から彼を選んだのはこういうことだったのか、そうか、男が男を好きになり、さらには関係を持つのは、むしろ自然なことだったんだ! いや、ちょっと待って、というか、BLを読んでると、どうもそっち側に引き摺られてしまうな。

感情の生まれる理由、それを言葉で説明してしまうのは、むしろこの人特有の洒落、ギャグなのでしょう。人間も含めて生物とはそういうものなんだよ、そういう風にできあがってるんだ、といわれたら、感情も気持ちもへったくれもない、それこそ即物的で身も蓋もないと思いますし、実際、そう思わせることこそがあの理屈で説明することの目的でしょう。そして、きっと事態はその理屈どおりに進み、けれどそこには理屈どおりという印象はないのです。たとえ理屈はそうだったとしても、しかし彼らの思いは確かにそこに、その時、あったんだから。むしろ生物としての基本デザインがそうなっていると説明されることが、そして登場人物がそうした本能的なものに抗おうとしながらも、それでも相手に引かれていくということが、彼らの気持ちをより強固なものにしていると思われて、これは素晴らしい。九州男児は面白くそしてためになるなと思わないではいられないのですね。

以上のような感想は、『男の仕事場』に対してというより、この二冊に収録されている『バイオスフィアの男達』にこそ強く感じられて、これを読み終えるころには、そうか、男が男を愛することは別に変でもなんでもない、むしろ自然なことなんだ、って思えてくるくらいです。そして私は、この人の漫画は、男にこそ面白いんじゃないかと思うのですが、『男の仕事場』を読んで、そこに描かれている男らしさというもの、その描写に笑ってしまえるような男なら、きっと九州男児の漫画はとても面白いと思う。けど、あれ見て怒り出してしまうような人には、駄目でしょうね。でも、あれ見て怒る人、男を馬鹿にしてる! などという人、きっと私はそういう人は嫌いです。男が男らしくあろうとすること、そのナンセンスさまでたっぷり描いて、そしてそうした面もまた面白いものだから、なおさら私には向いた漫画であるのかも知れません。

ちょっと余談ですが、今、私の働いている職場に本来的な意味でマッチョな男性が一人ありまして、例えばその人の男らしく食べる様、私はいやでいやで仕方がない。その人の職場の女性に対する振舞い、眉ひそめないではおられない。多分こんな自分だからこそ、マッチョをあのように描く九州男児に、あれほどの面白さを感じるのだと思います。あるいは、共感でしょう。私は九州男児の漫画に、自分の感じているなにかを見付け出してしまうのだと思います。

  • 九州男児『男の仕事場』(kobunsha BLコミックシリーズ) 東京:光文社,2006年。
  • 九州男児『毎日がメンズデー』(kobunsha BLコミックシリーズ) 東京:光文社,2008年。
  • 以下続刊?

2008年8月15日金曜日

じどうしゃ

 最近、うちにはちびすけがうろうろしていることがあるのですが、そんなちびすけのために購入したこぐまちゃん絵本。最初に買ったのは『しろくまちゃんのほっとけーき』だったけれど、年齢的にまだ早いようだったから、『はじめてのこぐまちゃん』を買ってきて、けれどこれを読んでくれているのかどうかはわかりません。このあいだ、家に帰ってきたら、『しろくまちゃんのほっとけーき』と『こぐまちゃんいたいいたい』が投げ出されていたから、多分こちらは見てるんだと思いますが、『はじめてのこぐまちゃん』はどうなんだろう。見てくれているといいなあ、といいながら、読み聞かせとか面倒くさいので、決して自分から出してやろうとはしない。それじゃ駄目ですね。けど私が読み聞かせても駄目なんですよ。

『はじめてのこぐまちゃん』は『じどうしゃ』、『たのしいいちにち』、『どうぶつ』の三冊がセットになっていて、けれど『じどうしゃ』、『どうぶつ』の二冊に関しては、あんまりこぐまちゃん関係ない……。ページを開くと、カラフルな色合いで、じどうしゃやどうぶつが描かれていて、見ているだけで楽しいという絵本です。ただ、『どうぶつ』はちょっとちびすけには早いかも知れません。だって、動物園とかまだいったことないだろうし、ライオン、きりん、ぞうなどは、どう考えてもなじみがないはず。となると、まずは『じどうしゃ』のほうが興味を引くのではないかななどと思うのです。

『じどうしゃ』に取り上げられている車は、以下のとおりです。

  • じょうようしゃ
  • バス
  • パトロールカー
  • きゅうきゅうしゃ
  • はしごしゃ
  • ブルドーザ
  • パワーショベル
  • ダンプカー

みごとにはたらく車といった趣ですが、この中なら、じょうようしゃ、バスあたりがなじみかと。ちびすけ連れて移動する際、車を使うことはちょくちょくあるようですし、そしてバス、家の前をバスが通りますからね、見慣れているし、反応もするんじゃないかなと。けど、以前見せた時は、あんまり興味を持ってくれなかった。今ならどうなんだろう、ちょっと興味ありますね。

ちびすけの母親がいた時に、『じどうしゃ』出してきて、ひとつひとつ車を見せながら、この車はお母さんを迎えにくる車だよ、とパトロールカー指さしたら、母親が、こっちの車がきたら、おじさん連れていかれるからね、ときゅうきゅうしゃ指さされて、なんてこった、教育に悪い母親だな! といったわけで、私が読み聞かせるのは駄目なんです。きっとろくなこと教えない。

ちょっとずつ大きくなっているちびすけ、だんだん言葉も通じるようになっているようですから、今度暇があったら、『じどうしゃ』を読み聞かせてやろうと思います。できるだけ、教育に悪くない方向で。けど、おちびはペンギンが好きなようだから、本当は『どうぶつ』の方がいいのかも知れません。

  • 若山憲『はじめてのこぐまちゃん』東京:こぐま社,1995年。
  • 若山憲『じどうしゃ』(はじめてのこぐまちゃんシリーズ) 東京:こぐま社,1994年。
  • 若山憲『たのしいいちにち』(はじめてのこぐまちゃんシリーズ) 東京:こぐま社,1994年。
  • 若山憲『どうぶつ』(はじめてのこぐまちゃんシリーズ) 東京:こぐま社,1994年。

2008年8月14日木曜日

Lの季節 -A piece of memories-

 昨日、ちょっと台詞を確認したくなったので、『Lの季節』をプレイしてみたのですが、その時の驚きといったら! そもそもPlayStation用ゲームをプレイすること自体がどれくらいぶりかわからないといった状況。起動時のロゴに懐かしさを感じつつ、表示されたタイトル画面を見て絶句しました。こんなに画像悪かったっけ? 全体に荒く、ざらっとした印象が支配的で、しかし、本当に当時はこれが普通だったのか、これで不満に感じていなかったのかと愕然とするばかりでした。これがポリゴンを使ったゲームなら、見た目に劣るのはわかります。ですが、基本、立ち絵とテキストを表示するタイプのゲームです。正直ここまで見劣りするとは思いませんでした。今のOSに見慣れた人がWindows 95を見れば感じるだろう違和感、それに近いものがあると感じた。それほどにかけ離れたものがあったのでした。

しかし、本当にショックでした。プレイを開始してみれば、フォントのがりがりした固さが気になるし、登校中の背景も、256色? 色数の落とされた、それこそ昔のゲーム風。そして天羽さんですよ。ショックでした。以前、『Lの季節2』で書いた時、旧キャラ立ちグラフィックはせめて塗り直すなどして、新キャラとのマッチをはかって欲しかったとかいってましたけど、わかってない、わかってないよ! 立ち絵のレベルでもう別物といっていいほどにクオリティが違っています。旧作は輪郭ががたがたとして、色合いもべたっと重めの仕上がり、それを見れば新作はまるで夢のよう。というか、ハードの進化ってすごいんだねと心の底から理解しました。

操作感についても書いておこう。重いです。テキストの送りはかなり遅く、スキッププレイが非常に厳しいです。読むのはさすがに無理だけど、なんとなく目視で内容が把握できる程度には読めて、それを私は57時間×2回以上プレイしていたわけか……。そりゃ内容にも詳しくなりますよ。サブリミナル効果で内容が脳に刻まれる、そんな気がするスキップでした。そして、当時はあれで普通だったのですが、セーブ数がみっつ、『Lの季節2』のように、バックログを参照して任意の場所に戻る機能なんてありませんし、またブロックや選択肢で自動セーブされるような機能ももちろんありませんから、選択の間違いや口出しポイントの見落としは致命的です。意識的にセーブしていなかったら、一からやり直すか、あえてそのまま突き進むかの二択となって、そして私は突き進んでバッドエンドにむせび泣いた! ああ、泣いたさ。

そう、彼女らの思いがひしひしと伝わるものだから、もうたまりませんでした。最初は気になった画質やフォントの問題も、三十分も見ているうちに慣れてしまいました。立ち絵もイベント絵も、色が重いのはこれが油絵だと思えばいい。というか、やっぱりテキストが力でした。読む、ヒロインの声は音声つき、全体に若く、そして音質も劣るのですが、けれど私は意味こそを読み、聞くのですから、問題にはなりませんでした。徐々に引き込まれていく。主人公キャラの一人称視点+アシスタントのつっこみで進行する『Lの季節2』とは違い、『Lの季節』は第三者的な視点からの記述が多く、またヒロインの内面が吐露されることもしばしば、秋の日はつるべ落とし、その独特の印象はしっかりと心に跡を残して、本当によかった。ボリューム的にも小さい、ですがその小ささは気になりません。小さな世界に精一杯の思いの交錯を描き出そうとする意思が感じ取れて、まあ正直なところトリスメギストスはどうかと思うんですが、でもあのラストに向かっての天羽さんと星原さん、そして亜希子さん、東由利さん、各者各様の思いが時にぶつかり、時によりそう、そんなストーリーは本当に絶品です。

ゲームに限らず、発展途上のテクノロジーを用いて作られるものは、その技術の未熟さによって、後からは正当な評価を受けにくい、そういうことってあると思います。ゲームなら、画像、音声などが顕著です。こうした問題は映画ももっていますね。けれど、表現力に劣っていた時代であったとしても、与えられた資源を最大限に活用し、よりよいものを目指したものに関しては、技術では語れない価値がある、そんなことを思いました。今やPlayStation3の時代、前の前の世代のゲームではあるけれど、しかしことその表現される内容に関しては、今に通用する。決して負けてなどいないと再確認する機会となりました。

CD

書籍

引用

2008年8月13日水曜日

メトロイドプライムピンボール

 今、私は10月に発売されるゲーム、『カルドセプトDS』にかなり心をもっていかれておりまして、はたして発売日は休みをとるべきか、あるいは翌日も休みをとるべきか、などなど今から頭を悩ませています。発売日に仕事いくなら、予約は大阪で、休むなら近所で、今のうちに考えておかなければならないことはいっぱいです。さて、先日『カルドセプトDS』を体験できるイベントカルドセプト カードアート展が催されたのですが、このおかげで『カルドセプトDS』に関する情報がいろいろ出てくることとなりました。新カードや変更点、そしてゲームの仕様に関してなど。実際、これではじめてわかったこともたくさんあって、例えば振動カートリッジ対応なんていうのもそうしたもののひとつであります。振動のオンオフに関する設定があったというのですね。これ、今まで一度もアナウンスされたことがないようなのですが、もう、事前にいっといてくださいよ。振動カートリッジ買わないといけないじゃないですか。

そんなわけで、『メトロイドプライムピンボール』を買ったのでした。このゲームには振動カートリッジが同梱されているのですが、任天堂のオンライン販売でしか買えないDS振動カートリッジとは違い、『メトロイドプライムピンボール』は店頭で普通に買うことが可能です。しかも割に安く、具体的にいうと、私は今回1,280円で買っています。もちろん新品で未開封。私のもってるのはDS Liteで、だからDS用の振動カートリッジはサイズが大きくてはみ出す、そういう問題もありますが、けれど安さは魅力でしたね。任天堂通販なら、本体1,200円に送料が450円。これなら『メトロイドプライムピンボール』の方が安いわけです(送料320円でした)。しかもピンボールまでついてくる! って、おまけかよ! といいたいところですが、実は『メトロイドプライムピンボール』はちょっと欲しいなと思っていたゲーム、だから実にいい機会であったのですね。

そもそも私はピンボールが好きなんです。一度はじめてしまうと終了時間が読めないために、最近はプレイすることも減ってしまいましたが、ほらだって、Windowsに入っている3D ピンボール、調子がいいと一時間オーバーしてしまうこともあるわけで、そういう時には当然好スコアが見込めるわけで、なのにやめないといけないの!? そ、そんな殺生な! まあ、職場で遊ぶなってことでもありますから、私はこのところピンボールで遊んでいないのです。昔、まだ68k Macintoshを使っていた時は、ピンボールソフトがインストールされてましたから、メールチェック、パソコン通信のログの確認のついでにプレイするのが日課のようになっていましたが、今では本当にそんなことはなくなってしまいました。

だから、『メトロイドプライムピンボール』は久しぶりのピンボールなのです。それもギミック豊富なデジタルピンボール。メインの台が2種類、それにボス台が4種あるそうですが、私はまだ3種しか出せておりません。アーティファクトテンプルが結構難しくて、後一つボールを放り込んだらクリアというところまではいくんですが、それからが口で言うほど簡単ではなくて、まあそう遠くないうちにできるようにはなるでしょう。

ピンボールとしては、結構親切設計です。各種レーンに放り込むのも簡単だし(3Dピンボールの方が難度が高い)、ボールを落ちにくくする左右のキックバックの復帰も結構簡単で、さらにはやフリッパーの間に張られるバリア、フォースフィールドなんていうものまであるから、そんなにシビアさは感じません。ただ、普通のピンボールにはない要素、盤上をうろつく敵に関しては注意が必要で、こいつに跳ね返って、すごい勢いでボールが落ちてくると、容易にはとれません。というか、どう考えても無理なタイミングで戻ってくることがあって、そしてこうした敵を始末するミニゲームなんていうものもあるから、タイミング、運が悪いとボールを失いかねません。まあ、その分エキストラボールがとりやすくなってるから、いいのかな。運がよければ、1ゲームで五六個エキストラボールを獲得できることもあって、いやそれ以上にとってるかな? とにかく、長く楽しめるような工夫がなされています。

とりあえず遊んでみた感想は、ミニゲームの成否も重要だけれども、結局ピンボールは役を完成させるゲームではなく、点数を競うゲームなんだから、苦手な敵が出た場合は無視して、タイムアウトを狙うのがよさそうです。それじゃアーティファクトが手に入らない。けど、安全で簡単な入手手段があるんだから、わざわざ危険な敵に対抗する必要なんてないのですよ。とはいっても、敵が出れば攻めていっちゃうのは、もう仕方ない。狙いにいって、何度ボールを落としたことか。その度に、もう相手にしないと誓うんだけど、その誓いがはたされることはきっとないんだろうなあ。まあ、このへんは性格だから仕方がない。

初日の戦果は、六百万点がハイスコア、次が四百万。まずまずといったところか、あるいはもう少しがんばりましょうといったところでしょうか。私としては満足できない点数で、だからもっとがんばりましょう。とりあえずの目標は全台制覇で、それくらいやりゃ千万台には届くでしょう。点数の桁は千万台なんですが、これを超えるとどうなるんだろう。全台制覇の次は、これが目標になりそうですね。

おう、そうじゃ、振動カートリッジについて書いとかないと。振動カートリッジは、確かに振動してるんだけど、プレイに夢中or必死で、気にしたことがありません。DS LiteにDS用カートリッジというのも、1cmくらいはみ出してるけど、それが気にならないのはまあよかったというところ。でも、肝心の振動も気にならないっていうのは、ちょっと微妙な気分です。でも、ピンボールが面白いからいいや。

2008年8月12日火曜日

やまいだれ

 医者特集ではないけれど、先日買った『やまいだれ』、タイトルにあるように病気に関係した四コマ漫画であるのですが、現実にある病気を扱ったものではなく、また『ブラックジャック』よろしく、人の命と医療の限界に医師たちが苦悩する — 、なんてこともなく、ナンセンスなコメディであります。真面目なのか不真面目なのか、あるいはすごいのかすごくないのかよくわからない医師、看護師、患者に病気が現れては、なんともいえない微妙な笑いを誘います。笑いが微妙になるのは、時にばかばかしく、時に切なく、時に深いネタの向こうに、思いがけず人間の業なんていうものが垣間見えたような気にもなる、そんな作風のためであろうかと思います。ばかばかしいはずなのに、なんだか身につまされるような、なんだか哀愁を感じさせるような。そんなネタに出会ったらば、きっとはっと現実から引き離されて、一瞬立ち止まってしまったようなそんな感覚にとらわれてしまう。ああ、この人はやっぱり現実を異化してしまう、そんなタイプの作家であると思います。

けど、微妙なのは他にも理由があるんです。たまに、想像するだに気持ち悪い病気がある。ええと、個人的なことなんですが、私、ぶつぶつとかいぼいぼとか駄目なんです。かゆくなるんです。だから、パチンコ・ポリープのネタとか、直視できませんでした。他にもこういう、考えるだに気持ち悪くなるネタっていうのはあって、頭は面白いと思っているのに、体は気持ち悪いと訴えている、そんなことさえあって、なんだろうこのアンビバレンスは。頭は制御できるけれど、感覚っていうのはそうはいかない。つくづく思い知らされて、そう思っていたら、そういうネタが出てきて笑わされたりもして、いやあさすがです。

さすが、そう思わされることの多い漫画であったと思います。日常の、よくありそうな、誰もが思ったことのあるような事柄を取り上げて、それを思い掛けない症候群にしてしまうのは、まさにさすがでした。まず気付くこと、そしてそれを練り上げることの上手があります。ああ、そういうことってある、共感を呼びながらも、そこに異常性、異質性が盛り込まれてしまったからには、笑うしかありません。突飛な着想からスタートすることがあっても、どこかに日常の感覚を残しているから、おいてきぼりにされることはない。ひっそりと半歩後ろについて歩かれているような、微妙ないやさも感じさせないではない、けれどその一言一言がいちいち面白いから無下にもできない、そんな付かず離れずの距離感に翻弄されます。

ただ、この漫画も人を選ぶのかも知れません。後書きにて作者がいうには、過去にお叱りをいただいた事もあります。医療の、病気の、人の生き死にを扱って、それを笑いにしてしまう。人によっては受け付けないネタもあるでしょう。実際私も、面白い面白くないという前に、ぴしっと気持ちが凍りついたようになって、入り込めない、近寄れないというものがありました。人に過去や経験がある以上、そして思うところがある以上、そうしたことは避けられません。他の人には大丈夫でも、私には触るものがある。当然その逆もあるでしょう。けれど、それは仕方がないのだと私は思います。そして私はこうも思っています。批判を浴びる可能性に怖れをなして手をゆるめるのではなく、詫びながら、すまない気持ちを抱きながら、アグレッシブに表現する。そんな作者の姿勢に感じ入ります。洒落になるかならないか、その瀬戸際に面白さがあるのだから、アグレッシブさ、ラディカルさは生命線ともいえる。面白さと悪趣味をわける境界、最前線を突こうとする、そんな姿勢が見えるから、私は小坂俊史の『やまいだれ』を応援したいと思うのでしょう。

ところで、「やまいだれ」度、私もチェックしてみましたよ。堂々の六項目でヒカル先生タイプでした。ご指摘、まったくそのとおり。気をつけんといけません(といってしまうところが、きっと駄目なんでしょうね)。

  • 小坂俊史『やまいだれ』第1巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2008年。
  • 以下続刊

引用

  • 小坂俊史『やまいだれ』第1巻 (東京:竹書房,2008年),115頁。

2008年8月11日月曜日

ラディカル・ホスピタル

 ラディカル・ホスピタル』も連載開始から十年が経とうとして — 、改めて確認すると驚きますね。私が読みはじめたのは、『ラブリー』で連載されるようになってからだから、八年ってところかな? けれど、それでも結構な年月です。そりゃもう登場人物も増えれば、ナースも結婚、妊娠、出産しようというもの。第15巻では近藤ナースの妊娠がメインの話題をさらって、ただでさえ幸い感の強いこの漫画が、なおさら幸いな感じに包まれて、もうたまらんですね。子供を授かる喜びと不安、そして仕事に向かう姿勢、そうしたものがぐるぐると混ざり合いながら、母となる人にフォーカスが当たっていく。その描きようが素晴らしいと思います。

15巻のメインの話題はナースの妊娠、そういってもいいくらいの重みを持って描かれるエピソードですが、同時にその時々の時事医療ネタがあり、そして近藤看護師の抜けることを予測して看護師が増員されるなど、目玉となるようなエピソードがてんこ盛りで、読みごたえはかなりのもの。しかもその新しい看護師麻生さんが、働く若いお母さんという、これまでなかったタイプであったから、伴い展開される話も新鮮味をもって、面白かったです。そして、この新しいキャラクター付けは妊婦である近藤にも大きく関わりを持って、相乗的に膨らんでいくのですね。方やベテランナースでこれから産む人、方や新人ナースでもう産んだ人、それぞれに得て知っているものが違うから、どちらもが先輩でかつ新人でという、ちょっと面白い関係が生じています。

描かれたものというのは、仕事をする人が母になるということ、母である人が仕事をするということ、なんだろうかなと思います。気を使う同僚があれば、気を使われることがプレッシャーやストレスにもなる。急な入院で穴を開ければ、職場が心配だったり、母体が心配だったり、そしてこれは看護師もの特有のことであるのかも、いつも看護する側である人がされる側に回ることで気付くこと、思うこと、もろもろ。母になろうとする人の思いや、プロフェッショナルとしての意識、そしてともに働く同僚たちの相互の気持ちが、次々とかたちを変えて、視点を変えて押し寄せて、本当に充実の一冊でありました。しかも、まだ出産にはいたらない。クライマックスは次巻! であるというのですから、先が楽しみで、本当贅沢な2冊になりそうな予感です。

私はこのあたりの流れはもう連載で読んでますから、どうなるかわかってるんですけど、単行本のおまけ、書き下ろしの数ページが本当に気の利いたもので、素晴らしいのでした。一連の流れを補足して、受け止めて、閉じてくれる。余韻もあれば、前向きにもなれて、こうしたうまい締めが、なおさらに読後感をよいものにしてくれる。ああいい話だった、いい漫画だと、そう思ってページを閉じて、幸いな思いにしばしたゆたうのですね。

2008年8月10日日曜日

タマさん

  タマさん』の2巻が出て、当然のように購入しました。この漫画は、関西弁でしゃべる猫タマさんが主人公。しっぽが二本、つまりは猫又なのでしょうが、見た目のふくよかさ、にじみ出るおっさん臭さのためか、おそろしくは感じません。一見すれば愛らしい、そんなタマさんがいざなうちょっと不思議の世界。どこかで見たことのある、既存のファンタジーではなく、森ゆきなつ的ファンシーがあふれる世界は、あたたかでやさしく、けれど時にはちょいグロテスクで、そんな不思議を皆が自然に受け入れている。いや、一人だけ頑として拒んでいますが、まあそれはそれで。日常に不思議が隣接し、共存している、そんな感覚が楽しい漫画です。

始まった当初は、幼稚園児ふるるの家族とタマさんの交流を描く、そんな漫画であったのですが、話が進むとともに、隣家の女子高生杏を中心とした関係が広がって、町内のタマさんから校内のタマさんといった印象もずいぶん強くなったように思います。杏の通う高校に普通に出入りし、徐々に知られていくタマさんは、不思議でありながらも身近という絶妙の溶け込み具合で、この溶け込んでいる感触が独特でいい感じです。最初はなんだと思いながらも、直に、すぐに? 不思議のまま受け入れてしまう柔軟性。なんだか人と不思議の間が近いなと感じさせ、そして同様に人と人の間も近いと感じさせる、そうした距離の近さが魅力であるかと思います。

しかし、この距離の近さ、柔軟さがベースにあるから、ふるるの父、如月夕人のかたくなさが際立つんだろうと思えて、いやはや、この人の拒絶具合は尋常ではありません。けれど、人の中には見たくないものは見ないという人もいますし、それもいっぱいいますし、だから本当はこの人の反応こそが実際的なんだと思います。けれど、それがこうもこっけいになってしまうところが、タマさんの世界の不思議に近しいという所以であろうかと思うのです。

タマさんと不思議と仲間たち、そんな雰囲気のある漫画でありますが、学校編でもふるるの家族編でも少しずつ物語が動いていて、学校編では恋愛の方面がちょっと広がりを見せ、家族編では恋愛の方向は残念ながら発展しないことが面白さといったようになって、杏はかわいそうに……、けれどかわりにふるるの母の話が少しずつ垣間見えるようになって、ちょっと切ないのです。基本的には明るく、楽しく、ちょっと剣呑であることが売りである漫画だけど、そうした表情の向こうに恋愛の機微、素直になれない気持ちのもどかしさやほほ笑ましさがあって、そして、もう過去になってしまった愛おしい人との絆のほの悲しさがあって — 。そうした思い掛けない陰り、しんみりとさせるところが、この漫画のまた違った顔、魅力を引き出すように思います。

さて、『タマさん』の魅力といいますと、佐倉さんの下ネタを忘れるわけにはいきません。第1巻の締めにして、強烈な印象を残した彼女の発言は、2巻では残念ながらわずか出るに過ぎず、ああ、心なしか残念でした。いや、下ネタが好きなわけじゃないんです。ですが、佐倉さんは素晴らしかった。強烈に魅力的な人であります。

  • 森ゆきなつ『タマさん』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社.2007年。
  • 森ゆきなつ『タマさん』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社.2008年。
  • 以下続刊

2008年8月9日土曜日

うさぎのーと

 女クラのおきて』が終わり、そして『うさぎのーと』が始まり、しかし『うさぎのーと』の印象はそれはそれは悪かったのでした。理由はひとつ。犬飼先生(弟)の口調そして振舞いです。あれはちょっと洒落になってない、女性に対する態度としても、それから教師としても。でもね、不思議なものなんですが、二回三回と、読んでも駄目だったんですが、四回五回と読み進めていくとだんだん大丈夫になっていきまして、六回七回八回九回ともなればもうなんともない、むしろ愛らしいキャラクターじゃないかと思うまでになっていたんですね。こういうところに私のスロースターターぶりが見て取れて、しかし思い返せば、私の師走冬子に対する評価は、常に遅れていました。『女クラ』しかり『ちるみさん』しかり。けど、ある程度読んでいるうちに好きになっている。今回もまさしく同じケースでありました。

そんな『うさぎのーと』、いったいどういう漫画であるかといいますと、変な教師だらけの中学校もの、であります。主人公は宇佐見雪、生物教師、なんだけどあんまり授業している風景出ないなあ。自分の担任しているクラスの生徒が大好きで、脅威の情報収集能力でもって度肝を抜いた……、けど普段はどじっ子というか、自由さが規範を上回っているというか、けどなんだか許せてしまいそう、そんな感じの、先生らしくない先生です。

そんなうさぎ先生に対するカウンターになっているのが、冒頭でもいっていました犬飼先生(弟)で、がらが悪く、言葉も悪く、けどその内面は世話好きで繊細で、今風にいえばツンデレなのか? いや、デレは兄貴に対してくらいか……。強烈なブラコン、同じ学校に勤める兄のことが大好きで、それはもう一種の変態といって構わないくらいです。

私が最初どうしても駄目かもと思った犬飼先生(弟)ですが、それがだんだん大丈夫になっていったのは、柄の悪さ、あたりの悪さを上回る人のよさが描かれるようになってきたからで、ちょっと昔の漫画になりますが『赤ずきんチャチャ』のラスカル先生みたいな感じといったらいいでしょうか。あんなに怖そうで、取っつきにくい人なのに、実はすごくいい人。むしろそのギャップが病みつきになるといった趣があります。ギャップが病みつきというと、この漫画にはそういうキャラクターが割と多いように感じます。第一に犬飼先生(弟)がそう、あとは見た目は変態中身はまともの袋小路先生とか、かわいさが罪の片岡瞑とか、けど私はそんな片岡さんが好きです。

じゃないや、こうしたギャップが魅力になるキャラクターが多いためなのか、あるいは魅力の引き出しがたくさんあるキャラクターが多いからなのか、じわじわと好きになっていく、そういうところがどうも『うさぎのーと』にはあるようで、最初は苦手にしていたなんていうけれど、今ではすっかり好きになってしまって — 。毎月を楽しみに読むばかりか、実際こういう学校があるというなら、教師となって働きたいくらいだなんて思うほどです。

  • 師走冬子『うさぎのーと』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年8月8日金曜日

あいどく!

 おおた綾乃の『あいどく!』は、出版社にて働く編集者たちの仕事ぶりを描いた漫画であるのですが、それがもう普通でないのが実に楽しくて、個性的な編集者に、個性的な作家。けど、この漫画に関しては圧倒的に編集者の方が変だと思います。誰もがものすごいハイテンションで突っ走っている。それはもう、疲れている時にはついていけないほどの勢いでありまして、これはまさしく動の漫画といえるでしょう。しかもこの動的という印象、おおた綾乃の漫画には多かれ少なかれ動的な要素、独特のテンションの上がり方があるのですが、『あいどく!』に関しては、過去のどれよりもそれが激しいと感じられて、ノンストップと感じられるほどに疾走、いや、暴走? することもしばしば。そうしたのりについていけるならきっと面白い、巻き込まれた揚げ句に、自分のテンションも上がっている、そんなことさえある漫画です。

主人公は桜丘よしの、新人編集者で、なんと自社の名前をうまくいえない、そんないたらないところもある娘であるのですが、妙に素直で、妙にバイタリティあって、そして割と普通。変なのは、よしのを取り巻く同僚、先輩たちであるのです。誰よりもハイテンションな小野華、追いつめられるとよりいっそう異様さを増す南野チーフ、シビアなのか厳しいのかおかしいのか、たまにわからなくなる北村編集長に、そして忘れてはならないのは女の都さんでしょうか。

基本的にはクールな男です。淡々とやるべきことをこなし、無駄は極力廃する。そうしたストイックとも思える顔を見せる彼が、実は誰よりも乙女チックな趣味であるというギャップ。ああ、やっぱりこの漫画に普通の人はいないんだ! 当初こそはテンション抑え気味に描かれていた女の都なんですが、いったんその好きというスイッチが入ってしまえば、やっぱりハイテンション、よしのなどお呼びでないほどのアクティブさを見せつけて、ああよしのはまだまだだなと、新人のいたらなさをまたも印象づけるのでありました。

よしののいたらなさ — 、自分の会社の名前をいえないなんていっていました。その社名とは、老若男女社。実際、これを流暢にいうのは容易ではなく、それどころかキー入力も難しい。よしのが一人前の編集者になるには、老若男女社とスムーズにいえるようになる……、ではなく、やっぱり他の編集者に負けず活躍できるようになる必要があるってことなんでしょうね。ということは、彼らに負けないハイテンションを身に付けるってことかい? ああ、それはすごく困難な道のりと思えます。けど、彼女もおおた綾乃キャラ。いつか一人前に到達できる、そうした片鱗が感じられて、ということは、漫画のテンションもこれ以上に上がるってことか。

おいてきぼりにされないよう、私も気合い入れていきたいと思います。

  • おおた綾乃『あいどく!』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年8月7日木曜日

ごちゃまぜMy Sister

  ごちゃまぜMy Sister』の2巻が発売されました。1巻が出てすぐ出たように感じていたんですが、1巻の発売は昨年の10月、一年とまではいわないものの、結構な時間が経っていたんですね。意外でした。さて、『ごちゃまぜMy Sister』についておさらいをしておきますと、妹純かわいさに、卒業後も高校に潜り込む大学生の兄貴秀が主役。いや、違うか、主役はあくまでも純か。しかし、この漫画において36番こと秀は抜き難い存在感を放っていて、純が表の主役であるなら、秀が裏の主役であるといってもいいのではないかと思えるほどの重みです。秀は、度重なる卒業生の紛れ込みに頭を痛める担任に、学年一位を秀に阻まれ続けているクラス委員長松坂友子に、ヒロイン純をも超える深い関わりようを見せて、実に魅力的。漫画の中心には純、しかし展開の舵を取るのは秀、そういった役割の分担がある、そんな風に思えるほどにしっかりと自分の位置を獲得しているキャラクターであります。

しかし、妹離れできていない兄というのもなあ、そう思う方もいらっしゃるかも知れません。確かに、妹大事で妹のクラスに紛れ込んで、36番目の生徒としての位置を確保するまでになっている、そうした行動は常軌を逸していて、担任ならずとも、この兄をなんとかしなければと思うことはあるでしょう。しかし、兄はそんな逆風ものともせず、実にマイペースに純のクラスに紛れ込み続け、クラスの男子とも女子とも仲よくなって、勉強教えたり、学校生活についてアドバイスしたり、さらには一緒に遊びにいったりするまでに親しんで、もうそこには妹べったりの兄の姿はない。というか、あの兄貴、割と最初の方からクールというか、妹に対し一生懸命な部分もあるけど、どこか距離も置いているところもあって、そういうところが、なんだ割と普通の人じゃん。そういう評価に繋がっている気がします。そうなれば、優秀で、気さくで、人当たりもいい兄のことですから、みんなと仲よくなってしまうのも当たり前。こうして秀を中心とした人間関係も広がっていきます。

第2巻では、秀をライバル視する松坂友子の妹が登場し、秀に急接近、けれど秀は気付かずというパターンが確立されて、そのパターンがまた面白くていいのですね。松阪妹との出会いは、秀の家庭教師アルバイトがきっかけで、当時中学生だった妹は秀を好きになってしまい……、けれどそれがどう見ても姉友子をたきつける要素にしか見えないというのは、私の認識が歪んでいるからでしょうか。秀が好きという気持ちを無邪気に押し出す妹の素直さがよければ、秀を気にしながらも、彼はあくまでもライバルなのだと、素直になれない姉の不器用さもまたよくて、ああもう、お前ら、もうくっついちまえよ、というのは次巻の楽しみに置いておきましょう。

一番上の兄秀が大学生、次兄健が高校二年生、純が高一で、末の弟の優が中学三年生。しかしそんな彼らもめでたく進級して、兄妹全員が同じ高校に通うこととなりました。ん? なんか、おかしいぞ。けれどそのおかしさが変に自然で、変にしっくりきているという不思議。その不思議な関係がたまらなくおかしくて、憎めない、ほほ笑ましくて楽しそう。私がこの漫画を心待ちに読んでしまうのは、そうした雰囲気にひかれるからなんだと、そんな気がしてなりません。

  • 渡辺志保梨『ごちゃまぜMy Sister』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 渡辺志保梨『ごちゃまぜMy Sister』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年8月6日水曜日

氷川へきる作品集 TG天使ジャイ子ちゃんDX

 これ、7月25日発売だったのか。今日になるまでまったく気付いておらず、危ないところでした、買い逃すところでした。『TG天使ジャイ子ちゃんDX』は、『ぱにぽに』で知られる氷川へきるの作品集であります。『テックジャイアン』誌に掲載されたもろもろを収録する一冊は、そのタイトルにDXとあるように確かにデラックスで、カラーページは充実、その上、黒・銀の二色ページなんていうのもあって、すごい。でも、人には勧められないよね、勧めちゃいけないよね。そんな気もする一冊で、だってあまりにも内容が酷い……。それこそ、本当にこれ、雑誌に載ってたの!? って思うようなネタも散見される、そういう漫画なのですね。人によっては、呪詛の言葉も漏れかねない。だから私はこれは誰にもお勧めしません。

けど、本当に酷い。グダグダというんでしょうか、そこはかとなく漂う台無し感は他の追随を許さないレベルにまで極まっていて、きっとこれ見て、怒る人とかいるんだろうなあ。買って損したとか、金返せとか、そう思う人がいてもおかしくない、そんなレベルです。けどこれをどうしようもなく面白いと感じる人もいるんだから困ります。実際、私には強烈に効く漫画なんです。笑いを抑えられないネタがある。それも頻繁にある。特に酷いネタであるほどに面白く感じてしまうのはどうしたものか。酷いネタが畳みかけてくる面白さというのは、もう抗えないほどに魅力的で、それは自分でも疑問に思うほど。こうした感性は、長く『ぱにぽに』に触れてきて、氷川へきるのテイストに慣れきってしまったからなのでしょうか、飼いならされてしまったとでもいうのでしょうか。けれど、面白いものは仕方ありません。きっと一般には理解されないだろうけれど、私にはこれが面白いのです。

しかしそれにしても、どこがどうなってるから面白いと、具体的に説明しにくいのが困ります。いつもの調子で、読んだらわかる、だから読んでみろっていいたいところですが、きっと読んでもわからない人が大半だろうから、口が裂けてもいえません。でも、『ぱにぽに』のジゲヨさんのシリーズが好きな人ならきっとわかってくれるはず。マッケンロー!! ワーオ!! ナイスガッツに続くマッケンロール!! アリソー!! ナイスフォロー!!の破壊力。こういうネタが許せないという人は、きっとこの本は買ってはいけない。そんな気がします。

そういえば、上記のジゲヨさんのシリーズに出てくるジョンとベン、『テックジャイアン』が初出だったんですね。こんな具合に『ぱにぽに』や『まろまゆ』と微妙に関係していたりして、というかタイトルに出ているジャイ子、二階堂光は桃月学園1年A組というところからして『ぱにぽに』に関連しているのですが、本当、この自由闊達さは素晴らしい。というか、自由さに関してはこの漫画のいたるところから感じられて、もうすごい。というか、これを載せる『テックジャイアン』っていうのもすごい雑誌だなと思うのですが、願わくばこの勢いのまま、いけるところまで突っ走っていって欲しい。心の底から思います。

ところで、やばいネタ微妙に散見されるこの本ですが、76ページのイラスト、ええと噴火する富士山の絵だと思うのですが、最初全然違うものと見誤ってしまった私自身、かなりやばい方向に振れてしまっていると思います。でもいいや、やばくて。というわけで、私は「TG家族」、「エンドセクター」の微妙に危険なさくらとお母さんが大好きです。あと、ネズミのネタ、どうも作者はこういうのお好きなようですが、私もかなり好きです。あ、そうそう。マッチョドラゴン、私も検索してみましたよ。正直、ああいうネタの振り方は反則だと思いますが、でもすごかった……。

引用

  • 氷川へきる『ぱにぽに』(東京:スクウェア・エニックス,2005年),86頁。

2008年8月5日火曜日

話せる!ステレオイヤホンマイクDLite

 カルドセプトDS』、Wi-Fiともだち対戦ではボイスチャット可能との話を聞きまして、買うことに決定しました、DS対応イヤホンマイク。Nintendo DSのマイクは、平形のプラグで繋ぐようになっているようなので、汎用品を使うというわけにはいきません。だからDS専用品。いったいどういう商品があるのかわからないから、軽く調べてみたところ、任天堂の純正イヤホンマイクは片耳に付けるタイプしかないらしく、つまりモノラル。ボイスチャットをすることに関しては問題なさそうですけど、なにしろモノラルですから、ゲームのBGMも楽しみたいという人には向かないと思われて、だから私はサードパーティに目を向けることにしたのでした。けれど、あえてマイクを買おうとする人は少ないのか、選べるほど種類がないんですね。私が見付けられたものは、同じく片耳に付けるタイプのイヤホンマイクがひとつと、それからステレオイヤホンにマイクの付いたものがふたつ。といっても、同一商品のカラーバリエーションですから、実質ひとつですね。そう、選択肢なんてなかったのです。

DSの関連商品なら、ゲーム店いくつかまわったら店頭で手に入りそう。そう思って二店舗ほどまわってみたのですが、最初の店は純正品のみ、次の店はそもそもマイクを置いていないという有り様で、どうやらDS用のマイクはあまり需要がないようだということが痛感される結果と相成りました。そもそもが、本体に付属のマイクでは満足できないという人しか買わない類いの品でありましょうし、そういうシチュエーションとなると、ボイスチャットくらいしかなさそうだし、じゃあボイスチャットって頻繁にするかといわれると、しないですよね。Wi-Fi対戦で一部対応しているくらい、なんですよね。私の持っているゲームだと『パネルでポンDS』がボイスチャット対応なんですが、一度も試したことがありません。会ったことのない人に声を聞かせるというの、特に日本人は抵抗を持ちそうですが、そうした事情からもボイスチャットはやらないって人も多い、すなわちマイクの出番はないってことにも繋がるのでしょう。

『カルドセプトDS』のボイスチャットはともだち対戦のみで可能、ということはボイスチャットに応じてくれる人もいるかも知れないと思ったので、イヤホンマイク購入に踏み切ったのでした。しかし、今の時点で自分の身の回りに『カルドセプトDS』を買うという人はいないので、空振りに終わるかな? でも、長くやってきて、オフ会にも参加して、そこそこカルド人脈は残っているはずだから、ともだちコードの交換もいけると思うんだけどなあ。という期待も込めて、イヤホンマイク買いました。

それはそうと、今回、マイクについて調べてみてはじめて知ったことなんですが、息を吹きかけるというDS独特の操作法、あれタッチパッドの機能じゃなくて、マイクなんですね。全然気付いていませんでしたよ。『逆転裁判』の「蘇る逆転」で、指紋をとるために息を吹きかけさせますが、その時一生懸命タッチパッドを吹いてたんですよ。面での接触を判定してるものだと思って、すごい感度だなあとか思って感心してたら、マイクか! マイクに息の当たる音を判定していたのか! なるほどなあ!

いったいなにが知見を広めることになるかわかりませんね。こうして、ひとつ利口になったのでした。

2008年8月4日月曜日

カルドセプトDS

 いよいよ『カルドセプト』の新作が出ますね。発売日は7月末頃にはすでに知れていたようなのですが、例によって情報の遅い私は昨日ようやく知ったところでして、ええと、2008年10月16日発売だそうです。プラットフォームは、かねてより予告されていたとおり、Nintendo DS。期待どおり、ワイヤレス通信対戦だけでなく、Wi-Fi対戦にも対応して、遠隔のセプターと対戦することも可能です。ああ、嬉しいね。『カルドセプト エキスパンション・プラス』だったっけ? 全国大会開かれた時は、強豪が集まるからといって埼玉は入間まで参じたものですよ。しかし戦果は散々で、頼みのリトルグレイ、誘拐がまったく発動しなくて往生したんでした。そうしたことも皆懐かしい。思えばあのはじめての京都予選、全国のチケットをつかみかけて、自ら手放してしまった、あの経験が私のカルドの始まりでした。

『カルドセプトDS』は、『カルドセプト エキスパンション』をベースにしたものであるとのこと。実際、敵キャラやマップ、そしてカードのイラストなんかを見れば、PS版に準じていることがわかります。カード情報には、セカンドではなくなってしまった種族アイコンもあって、こうしたところを見るかぎり、ゲームシステムなどはオリジナルに同じと考えてもよさそうです。

ただ、もちろんベタ移植なんてことはあり得ません。セガの紹介ページによれば、メダル集めがあるらしく、これ、私あんまり得意じゃないのですが、セカンド以降に追加された要素であっても、積極的に取り入れられているもようですね。また、公式サイトの紹介ページにも変更された要素が見えて、それはカードですね。パイロマンサー、発火能力者のクリーチャーカードが紹介されています。カードの説明を見ると、アイテムを使用しない場合、ST=30の巻物攻撃がなされるとのこと。つまりはグレムリン対策でしょう。セカンドにおけるソーサラー的ポジションと思われますが、こうしたものを見るかぎり、『カルドセプト』であまりに強すぎたカードを対策できるようなチューニングがなされてくることは間違いない。初代『カルドセプト』は、研究され尽くされたといっていいくらいに研究されていますから、それら成果のフィードバックされた、よりバランスのよいゲームになっていることが期待できます。

ところで、これが『エキスパンション』ベースというのなら、セカンドで消えたカードが戻ってくるかも知れないってことでもありますね。私が愛用していたカリブディスが帰ってきてくれると嬉しいなあ、とは思うのですが、かわりにセカンドで重宝していたコンジャラーが失われるかも知れないわけで、ああした面白いカードが消えないでくれたらいいなと思うんですが、領地能力がなければコンジャラーの出る幕もないわけで、だからコンジャラーについてはあきらめたほうがよいかも知れませんね。

ともかく、後ふた月少々待てば遊べるわけです。これは本当にわくわくとすることでありまして、だからそれまでに今抱えているゲームを片づけて置かないといけませんね。ほんと、贅沢な悩みでありますよ。

Culdcept DS

2008年8月3日日曜日

にこプリトランス

   そして予告どおり『にこプリトランス』であります。ええと、好きなものはしようがない。好きだから、好きと書きます。こう書くと、なんだかネタみたいだから、あらためまして書きましょう。私は白雪しおんの描く『にこプリトランス』が好きです。寡黙な兄さん、結城騎士のもとにやってきた双子の姉弟。けれど双子には秘密があって、それはふたりがアンドロイドであるということ。こんなとんでもない妹弟が一度にできて、それからの騎士はもう大変、というか、それはそれでなんかとっても楽しそうに暮らしていると思います。双子がやってきたことで、ちょっとずつ変わっていった人間関係。そうした人間関係の妙、あの人やこんな人の思い掛けない表情が垣間見えるといった楽しさ、仲を深めることで気付く楽しさが最高に魅力的な漫画であると思います。特に第3巻では若様のあんなこんながわかって! もう、素晴らしすぎ。楽しすぎ。といったわけで、私はこの漫画が好きなのです。好きで好きでしようがないのです。

若様の素顔。といいますか、面白い、楽しいは若様だけにとどまらず、ええ、3巻の序盤が過ぎたあたりから始まる姉弟シリーズがもう本当に乗りがよく、勢いもあって、面白かったんです。普段は無口でむしろ謎めいているといってもいい久我原このみが、自宅では弟を鈍器で殴っている。いや、でもあの弟は鈍器で殴られるくらいで丁度いいと思うんだ。むしろ姉にああしてしつこくからむことで怒りを買い、殴られることに喜びを見出している、そんなタイプだと思うんだ。そして私は、そんな久我原が大好きです。というか、あの話を読んで、前よりもずっと好きになりました。

久我原自宅編が終われば、次は若様自宅編に突入して、これがまたまた最高で、凶悪といっていいほどに無茶な試練を若様に課すお姉さま。いくらなんでもそりゃひどすぎです、と思いながら、試練に苦しみ悶える若様を見ていると、なんだか心が温かくなります。やっぱり弟はこうでなければ。姉にえらそうに振る舞う弟なんていりません。姉の理不尽に、不条理に耐え、そして姉を決して憎もうとしない、それが弟の姿であります。だから、若様のあの一連の振舞いは、見ていてすごく心に響くものがありました。最高です。若様、あなたは最高です。

若様登場当初のことを思うと、今の若様、騎士の関係の変容っぷりがもう面白くて、いったいなんであれほど騎士は頼りにされるようになったのだろう、疑問に思うくらいですが、けれど連載を読んでいるとその変化というか、近しくなっていく様といいますか、それが不思議とは感じないくらい自然で、双子のせいもあるでしょう、騎士のあの雰囲気のせいもあるでしょう、けれどほんと、仲よくて楽しそうでいいなあと思うんですね。あれほど仲よくなったからこそ、若様は自分のらしさ、それこそみっともないといってもいいくらいの弱みまで見せてくれるのだろうし、また騎士も、自分の思ったところを素直にまっすぐに、それこそ自爆してしまうくらいの勢いでいってしまうんだろうし、本当にいい面々が揃ったものだと思います。

そして、私はこうした面々が楽しそうにやっているところ、和気あいあいとしてにぎやかな様、そこに引かれているのです。個性的な彼らが、その個性を引き出されることによって、表現される世界はこうも豊かに変わる。その漫画世界の温かで心地よい様は、ちょっとめったにあるものではないと思います。正直うらやましいくらい。飛び込めるものなら飛び込んでいきたい、そんな魅力的な世界に私は心の底からとらわれてしまっています。

キャラクターが好きということは確かにあると思いますが、それ以上にその描かれる世界が好きといえるのが、白雪しおんの漫画です。好きなものはしようがない。好きだから、好きと書くほかない。それくらいに好きな漫画です。

  • 白雪しおん『にこプリトランス』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 白雪しおん『にこプリトランス』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 白雪しおん『にこプリトランス』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

引用

2008年8月2日土曜日

そら

 白雪しおんの『そら』、これが始まった時には、ストーリー色強い漫画になるのかと思ったけれど、実際読み進めてみれば、実に白雪しおんらしさの感じられる四コマ漫画でありました。けど、白雪しおんらしさってなんだろう。キャラクター性が重視されたコメディで、けれどキャラクターの特異性に寄るところはむしろ少ないような漫画といったらいいのでしょうか。実際、身近にいてもおかしくなさそうな、そんなキャラクターがいるかと思えば、思いっきり漫画的デフォルメが加えられているようなキャラクターもいて、それも結構どころかむやみやたらといて、けれどそうしたキャラクターが不思議と調和して、楽しそうにやっている。その根本には、キャラクターの心情をしっかりと捉えて表現する、そういう筆致があるのだと思います。変わり者ばっかりの漫画だけど、そうした変わり者の思うところに、普通一般のものとかわらぬものが垣間見える。その心の機微、納得もすれば共感もあって、ああ、この感覚があるからこの人の漫画はすごく身近な感じがするのかも知れません。そして私は、この身近という感じを持って、白雪しおんのらしさと思うのかも知れません。

白雪しおんのこれまで描いてきた漫画、『ROM-レス。』にも『にこプリトランス』にも、それから『レンタルきゅーと』にも、どこか特異な設定がありましたが、『レンタルきゅーと』を除けばその特異性は、特定のキャラクターの持つ要素に過ぎませんでした。しかし『そら』はちょっと違っていて、例えばヒロイン、ソラ=アサツキは空が飛べるという特技こそあるものの、平凡な女の子という設定です。空が飛べるのに平凡? それは、この世界では空を飛ぶという技術が確立されているから。数こそ少ないものの空を飛べるものは普通にあって、それぞれそうした技能を活用して仕事に従事しているという、そんな世界が舞台であるのですね。そして、ソラ=アサツキは自分の持つ技能でもって、公安局郵便課に就職、郵便事業に従事する。その彼女のがんばり、仲間、上司との交流が描かれて楽しい漫画であります。

そう、交流が楽しいのです。ソラ=アサツキは空組の新人で、同様に新人のエルデ=フェンネル(陸組)、イルマ=マーレイン(海組)と仲よくなって、そのだんだんに知りあっていく様子が楽しければ、仲よくなってからの交流も楽しくて、いいトリオだなあ、本当にそう思います。あ、ここでもうひとつ白雪しおんのらしさというか特徴というか、大所帯になる傾向がある作家ですよね。『にこプリトランス』なんかももはやかなりの人数でありますが、『そら』も同様で、各課の課長が出れば、課長補佐も出て、しかも割合に登場の機会も多いというのですから、もうわいわいと大変です。けれど読んでいて、誰だっけと思うことがありません。これはつまりキャラクターが立っているということなのだろうなと思うのですが、各課課長、その補佐、新人三人に、同僚先輩なんかもあって、巻末の人物紹介は12人。出すに出したな。けど、きっともっと増えるんだろうな、いずれ後輩も出るだろうし。けどそれでもきっと楽しく読んでいけるという信頼があるのです。それこそ、どこまでこの世界が広がっていくものか、楽しみでいたりするのです。

しかし、私はこの人の漫画はかなり好きであるのですが、それを言葉にして、どこがどうなっているからいいという風に説明するのが大変で、なんでなんだろうと思うのですが、それは私がこの人の漫画の、特に言語化しにくいところに魅力を感じているからなのだと思います。ストーリーでなく、展開でなく、登場人物たちの個性だけでもなく、いわばその世界の持つ雰囲気に引かれるのであり、そしてその雰囲気を作っているのは登場人物の言葉で、行動で、そして心情であるのでしょうね。彼らの関わりあうところに生じる場の雰囲気、そうしたところにやすらいだり、嬉しくなったりしている。そしてそうしたものというのは、えてして言葉にはしにくいものであるのだと思っています。

だから、私はこの人の漫画について語る時には、決まっていつも舌足らず、言葉足らずであるのです。そして明日には、順調にいけば、『にこプリトランス』の第3巻で書くことになろうと思われるものですから、ああああ、大変だ。けど、それでも好きなものはしようがない。好きだから、好きと書く、うん、それでいこうと思います。

  • 白雪しおん『そら』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年8月1日金曜日

純真ミラクル100%

 コミックエール』が出た時、これはいけるかもと思ったのは、面白い、そう思える漫画が多かったから。というか、つまらないと思った漫画、ひとつもなかったものなあ。あれだけの厚さのある雑誌なら、何本かは読まない、いや読めないものが出ても不思議でないと思うのに、全部読めて、どれもそれなり以上に楽しかった。これはよっぽど雑誌のカラーが自分に合っていたということなのだと思いますが、それにしても快挙であります。さて、そんな漫画群において、これはことに面白いぞと思ったものも当然あります。例えばそれは『純真ミラクル100%』なんかもそうで、これ、思惑通りいかなくて成功するという、実に不思議な芸能ものです。その、思惑のひどさと、その裏切られ方の見事さ、その落差がよかったんだろうなあと思います。

しかし、その思惑のひどさとはいったいどういったものかといいますと、芸能プロダクションの女所長が、自社タレントに対してやってしまう微妙な嫌がらせというか辱め。自分の性癖、とでもいうんでしょうか、ちょいサディスティックな衝動を満足させるために、ダサさ満開の衣装を着せデビューさせたり、絶妙な外しっぷりが気恥ずかしい芸名を考えてみたり、とまあそんな感じなんです。しかし、もしこの人のこうした性格を最前面に押し出して、新人タレントいじめて終わる漫画なら、きっと私はつまらない漫画としてこれを槍玉にあげたことでしょう。ところが実際にはそんなことにはならず、むしろ面白い漫画と感じている。それは、こうした微妙な悪意が、悪い方向に向かうのではなく、好転してしまうから。それも、狙ってやったように、うまく転がってしまうからなんです。

所長を好きという一心からか、所長のいうことなんでも好意的に読み変えてしまう、マネージャー工藤氏の存在がよかったのでしょう。そして、そんな工藤氏に巻き込まれて、その気にさせられて、しかも結果を出してしまうヒロイン木村彩乃のお人好しさ加減が最高でした。所長の悪意がまるで善意であるかのように、ただの思いつきが周到な戦略であるがごとくに勘違いされて、木村彩乃、おおっと今はモクソンだっけか、の人気はあがるし、所長の株もあがるし、それはそれはいいことづくめ。でも、所長は不満。この、裏目なんだか表目なんだかわからない、思惑のはずれっぷりが面白かったのでしょう。

けれど、これは一話二話に限った話。もし所長の嫌がらせとその裏目が、その後も軸であり続けていたら、いい加減食傷して、その悪意のほどにうんざりしていたかも知れません。それがそうならなかったのは、音楽一色に打ち込んできたモクソンの、成長とサクセスストーリーに軸が移っていったからかと思います。モクソンは、このプロダクションに所属して、所長やマネージャー、そして同僚のタレント奥村、おおっと彼女はオクソンだったか、と関わっていく中、様々な思いを抱いて、割り切れない感情に悩んだり、苦さを味わったり — 、そうした彼女の思うところが情緒的に描かれる、そこがよいんですね。情の深みにはまることを拒否して、明るい地平にとどまろうとするモクソンは切なくて健気。そんなやわらかさ、しなやかさが素敵で、胸に染みます。この漫画のこうしたところが、『エール』の売り文句、男の子向け少女マンガ誌の体現であるなら、『エール』はいける。私には、そのように思われてなりません。

『純真ミラクル100%』は、思い掛けないサクセスストーリーに始まって、モクソン、マネージャー、所長の一方通行的恋愛のコメディ、そしてひとりの女の子の成長ものとして広がろうとする、その膨らみがたまらなくよい感じです。風をいっぱいに受けて豊かに広がる白い帆のような爽やかさ、ああこれが純真ってことなのかな。たとえ途中、心にざわつく展開があったとしても、きっと最後には — 、そう思って読めるヒロインの明るさ、前向きな様がよい漫画です。ええ、モクソンはじめとする登場人物の素直さ、それが気持ちいい漫画であると思います。

  • 秋★枝『純真ミラクル100%』第1巻 (まんがタイムKRコミックス エールシリーズ) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊