2008年8月12日火曜日

やまいだれ

 医者特集ではないけれど、先日買った『やまいだれ』、タイトルにあるように病気に関係した四コマ漫画であるのですが、現実にある病気を扱ったものではなく、また『ブラックジャック』よろしく、人の命と医療の限界に医師たちが苦悩する — 、なんてこともなく、ナンセンスなコメディであります。真面目なのか不真面目なのか、あるいはすごいのかすごくないのかよくわからない医師、看護師、患者に病気が現れては、なんともいえない微妙な笑いを誘います。笑いが微妙になるのは、時にばかばかしく、時に切なく、時に深いネタの向こうに、思いがけず人間の業なんていうものが垣間見えたような気にもなる、そんな作風のためであろうかと思います。ばかばかしいはずなのに、なんだか身につまされるような、なんだか哀愁を感じさせるような。そんなネタに出会ったらば、きっとはっと現実から引き離されて、一瞬立ち止まってしまったようなそんな感覚にとらわれてしまう。ああ、この人はやっぱり現実を異化してしまう、そんなタイプの作家であると思います。

けど、微妙なのは他にも理由があるんです。たまに、想像するだに気持ち悪い病気がある。ええと、個人的なことなんですが、私、ぶつぶつとかいぼいぼとか駄目なんです。かゆくなるんです。だから、パチンコ・ポリープのネタとか、直視できませんでした。他にもこういう、考えるだに気持ち悪くなるネタっていうのはあって、頭は面白いと思っているのに、体は気持ち悪いと訴えている、そんなことさえあって、なんだろうこのアンビバレンスは。頭は制御できるけれど、感覚っていうのはそうはいかない。つくづく思い知らされて、そう思っていたら、そういうネタが出てきて笑わされたりもして、いやあさすがです。

さすが、そう思わされることの多い漫画であったと思います。日常の、よくありそうな、誰もが思ったことのあるような事柄を取り上げて、それを思い掛けない症候群にしてしまうのは、まさにさすがでした。まず気付くこと、そしてそれを練り上げることの上手があります。ああ、そういうことってある、共感を呼びながらも、そこに異常性、異質性が盛り込まれてしまったからには、笑うしかありません。突飛な着想からスタートすることがあっても、どこかに日常の感覚を残しているから、おいてきぼりにされることはない。ひっそりと半歩後ろについて歩かれているような、微妙ないやさも感じさせないではない、けれどその一言一言がいちいち面白いから無下にもできない、そんな付かず離れずの距離感に翻弄されます。

ただ、この漫画も人を選ぶのかも知れません。後書きにて作者がいうには、過去にお叱りをいただいた事もあります。医療の、病気の、人の生き死にを扱って、それを笑いにしてしまう。人によっては受け付けないネタもあるでしょう。実際私も、面白い面白くないという前に、ぴしっと気持ちが凍りついたようになって、入り込めない、近寄れないというものがありました。人に過去や経験がある以上、そして思うところがある以上、そうしたことは避けられません。他の人には大丈夫でも、私には触るものがある。当然その逆もあるでしょう。けれど、それは仕方がないのだと私は思います。そして私はこうも思っています。批判を浴びる可能性に怖れをなして手をゆるめるのではなく、詫びながら、すまない気持ちを抱きながら、アグレッシブに表現する。そんな作者の姿勢に感じ入ります。洒落になるかならないか、その瀬戸際に面白さがあるのだから、アグレッシブさ、ラディカルさは生命線ともいえる。面白さと悪趣味をわける境界、最前線を突こうとする、そんな姿勢が見えるから、私は小坂俊史の『やまいだれ』を応援したいと思うのでしょう。

ところで、「やまいだれ」度、私もチェックしてみましたよ。堂々の六項目でヒカル先生タイプでした。ご指摘、まったくそのとおり。気をつけんといけません(といってしまうところが、きっと駄目なんでしょうね)。

  • 小坂俊史『やまいだれ』第1巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2008年。
  • 以下続刊

引用

  • 小坂俊史『やまいだれ』第1巻 (東京:竹書房,2008年),115頁。

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