2008年10月10日金曜日

The Memory of Trees

 iMacの光学ドライブが故障したっぽいので、修理に出していたのですが、その間、このBlogの更新を支えたのは、iMacを購入するまで使っていたiBook G4でありました。これも買った当初は、速いCPU、潤沢なメモリと、なにをするにも申し分のないマシンでしたが、その後ソフトウェアの重量化でも進んだか、複数のアプリを起動して作業するのがしんどくなってしまって、だからiMac修理中は、ブラウザとテキストエディタと辞書、それぐらいしか開いていませんでした。でも、作業中に音楽は聴きたい。そんなわけで、ポータブルCDプレーヤーを持ってきて聴く。CDというメディアから直接、アルバムを頭から順に聴くというのは、ずいぶん久しぶりと思われました。その時聴いていたアルバムとは、The Memory of Trees。私がエンヤの音楽を知ることとなった、思い出深いアルバムです。

今までにもiTunesで、もちろんiPodでも、聴く機会は何度でもあったのです。ですが、こうしてCDを、ケースから取り出し、プレイヤーにセットし、再生のボタンを押す。まわり出すディスク、かすかに聴こえるシーク音。なにかが違うと感じられます。それはCDの棚を前にして、これを聴こうと能動的に選び出したというためか、あるいは曲単位からアルバム単位の聴取に回帰したためか。聴いている音楽にエンヤが現れてきたのではなく、聴こうとしてエンヤを聴いている。あらためて美しい曲だなと思う。静かに心にしみる、あるいは私の心がエンヤの音楽に沈み込んでいく、心地よく流されていく。そんな感覚がなぜかありがたいと感じられて、そして少しカタログ的聴取を憎みました。

今こうしてエンヤを聴くと、ええと、このアルバムは1995年のリリース、軽く十年以上経っちまってるわけですが、でもこの十年という歳月を思わせない新鮮さを持っていると感じられて、それはおそらく、これらの曲が、流行や時代の空気になびくことなく、独自の世界を保っているからなのでしょう。どこかクラシカルで、でも絶対にクラシックではなく、どこか民族音楽ぽさをもって、しかしなにか普遍性も感じさせるといった、そうした雰囲気に私はひかれます。すごく身近な、肌身に接するような近しさを感じながら、はるか遠くに眺める異郷を思わせる瞬間もあって、私の中に響き、外から包む。不思議な音楽です。

曲は割合シンプル。結構ワンパターンな感じもする。けど、一面的ではない。電子音楽の響きに少し昔のざらっとした粗い手触りを感じさせるけれど、それもまた味わいのうちかも知れない。逆にいうと、そうしたテクノロジーの進歩、陳腐化する速さにかろうじて時間の経過を感じさせる程度ともいえる。そう、音楽は決して古びていません。聴くたびに、常に新しく生まれる、そうした音楽の生命感がある、そのように感じられるアルバム。私にとっては、常に特別であり続ける一枚です。

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