2008年12月31日水曜日

YAMAHA アルトサクソフォン YAS-875

 今年最後の更新となりました。さて、なんで書いたものかな。しばし悩んで、そうだサックスで書こう。なんせ、この年の瀬、いったいなにがどうしたものか、いつになくサクソフォンづいたわけでありましょう。だから自分の楽器のことで書こう。べ、別にネタがなかったわけじゃないんだからねっ!

私の使っている楽器は、YAMAHAのカスタムというライン、YAS-875です。私の入手した当時における最高級機で、ええといつかと思って保証書確認してみたら、平成2年6月10日に購入。なんと、私、16歳だ! すげえなあ、そりゃ歳とるわけですよ。シリアルナンバーが1800番台で、結構初期のころの楽器ですね。それが十数年経って、私もおっさんになって、世紀もまたいだのか。すごいことになっていますね。ですが、この楽器はまだ現役、これからもずっとつきあっていきたい、そういう性にあった楽器であるのです。

しかし、サックスというと、詳しい人ならご存じでしょうが、セルマーというメーカーが人気でして、こっちを選ぶ人がとにかく多いんです。アマチュアでもそうなら、専門の人でもそうで、セルマーが大半、残りをヤマハ、ヤナギサワ、クランポンがわけるというような状況であったと思います。いや、ヤナギサワは少なかったかな。ジャズなんかでは、ヤナギサワユーザーも多いんじゃないかと思うんですけど。

私がYAMAHAを好きだというのは、素直な音の出がするというか、楽器による色付けが少ない、そんな気がするからなんですね。セルマーだと、セルマー! という音がして、セルマーを選ぶ人はきっとこの音が欲しいんだろうなって思うんですけど、私にはちょっとあわない感じがして、だからYAMAHAを選んだんですね。それにバンドーレンのマウスピースを合わせる。昔はそれにロブナーのリガチャーを付けてたんだけど、さすがにそれはどうだろうといわれた。いやね、ちょっと重いんですよ、吹いた感じが。私はそういうのちょっと気に入ってたんだけど、あまりにも疑問視されたものだから、しかもその後、ハリソンのゴールドプレートを安くわけてもらう機会があったものだから、結局乗り換えてしまいました。こういう、ポリシーがあるようで、ちっともないというところ。実に私らしいです。いいかげんなんですよ、基本的に。

最近なのか、875に上のモデルが出てるんですね。知りませんでした。875EXというのがそれで、一体なにがどう違うんだろうと思って、大学時代の友人に聞いたら、軽くなったんですってよ。重さが減ったという。へー、そうなんだ、と思ってメーカーサイトで仕様を見ても、重さ、書いてない……。なんでだろう……。

軽くなって、演奏しやすさ、というか、吹奏感もずいぶん変わったんだそうで、楽に出る? そんな風な話です。でも、重い875の方が音の深さというか響きはいい、まあこういうのは好き好きなんですけどね、と思ったら、値段一緒だ。本当に好みで選ぶものみたいですね。

もし今、選ぶとしたら、私はどちらを買うだろう。多分、悩んだ末に875を選ぶんじゃないかなあ。でも、華奢な自分にはEXの方がいいんだろうって思うんです。だって、身長180で体重48kgよ。学生時分は53kgあって、それに若さを加えてもなおしんどかったというのに、今はさらに5kg減った。もう、つらいつらい。さっきの友人、一年後輩なんですが、高音なんていくらでも出るじゃないですか、なんていうんだけど、無理だから。はっきりいって、High Fくらいからしんどいよ。フラジオは一応出せたけど、あくまでも一応だから。やっぱりもう10kgくらい体重欲しいよね。体脂肪率8%って、どんなアスリートだよって感じで、もうつらい。人生がつらい。ちゃんと食べてるんだけど、なんで太らないんだろう。

だから875EXの方がいいんだろうと思うんですが、それでもきっと私は875を選ぶ。そんな気がします。

今日、『千の風になって』を吹いてみました。録画してみましてね、改めて客観視してみたら、これはちょっとまずいですね。頑張らないといけないな、そう思って、レッスンに通おうかと思っているところです。やっぱりね、うまい人の演奏を身近にするというのは大きいんです。その人の演奏、音色が基準になります。ただそばで聴いているだけで糧になる、そんなところがあって、それに加えて教えてもらえるってんだからありがたい。毎週ってのはきついから、月一くらいでいいから、習ってみようかな。殊勝なことをいっております。

といった具合で、一年の締め括りなのだか、新年の抱負なんだか、振り返りと目標を新たにしたところで本年最後の記事を終えたく思います。今年一年、ありがとうございました。

こうしてリストにしておいてなんだけど、いかな横着な私であっても、こうした通販で楽器を買う勇気はありません。

2008年12月30日火曜日

GENERATION XTH -CODE BREAKER-

 今年がもうすぐ終るという段になって、心残りは多々あれど、まず手近なものはなんだろう、そう思った時、自然に浮んできたのはGENERATION XTH -CODE BREAKER-でありました。先月末、11月30日に発売されたゲーム。Wizardry系の迷宮探索型RPGであるのですが、これが適度な手応え、適度な難易度を持っているものだから、プレイしていて実に楽しいのです。気付けばもくもくとレベル上げをしてしまう、レアアイテムのドロップを期待して、より強い敵を求め、あまりに深入りしすぎて、パーティ半壊、必死に逃げ帰るなど、そうしたもろもろの出来事が、用意されていないドラマを見事に盛り上げてくれて、ああいいゲームだなと思うのですね。さて、少しずつ進めてきたCODE BREAKERですが、ここは一気にシナリオクリアまで持っていきたい、そう思い、根を詰めてプレイしてみました。そうしたら結構クエストが殘っていて、また迷宮の難度も結構高くて、いやあ参りましたよ。今日中にクリアできないかと思いました。でも、なんとかシナリオクリアなりました。なので、気分はちょっと晴れやかなのであります。

クリアしてみての印象は、思ったよりもボリュームがあったなという、それにつきるように思います。ストーリーは、メインの敵勢力があり、そうかと思えば別勢力の動きもあり、複数の意図がからみあっている中で進行していくものですから、いい感じに攪乱されて、深みというか厚みが出ていたように思います。プレイヤーの属する組織も思いがけない転身を繰り返すなど意外性は抜群で、プレイヤーキャラが一旦レベル1相当に落とされてしまうという、あの演出もなかなかのものだったと思います。

基本的には一本道のシナリオだから、途中に出てくる選択肢を誤ってひどい目にあう、ということもちょっとないゲームです。だからそれだけに、誰もがひどい目にあう、そんな状況が用意されていて、いやあ、弱体化したパーティで遁走するという展開には泡食いましたよ。けれど、そうした演出もまた王道なんですよね。Team Muramasaは、少年漫画におけるお約束みたいなものをよく理解しているというか、真っ向からそうした要素をぶつけてくれるから、昔少年だった私なんかはやたら盛り上がってしまいましてね、もうたまりません。多分、こんな風に引き込まれてしまったプレイヤーも多いのじゃないかなあ、なんて思うくらいに、サービス精神旺盛なゲームであります。

ちょっと脳が疲れてしまってるようなので、軽くクリア時の戦績を書いて終りにしたいと思います。まず瀕死回数は34回。これは少ない方だと思います。それだけ用心してプレイしたということであるのですが、それでもラストダンジョンでは頻繁に死者が出て、なかなかに厳しかったです。隊壊滅回数は1回。けれど、これはレベル1から育てているパーティの全滅なので、ちょっと状況は違いますね。なんというのか、前作からキャラクターを持ち越すことを前提としたバランスであるためか、レベル1からの育成は茨の道になっていまして、もう、本当にくじけます。

クリアに要した時間は、45時間51分でした。思ったよりも遊んでますね。平日は遊べない、休日もそんなに遊べない、とはいっても、そこそこ時間を捻り出していたっていうことなのでしょう。ゲームは一日一時間+αくらいは遊んでいたわけで、まあ結構プレイしてるじゃん。やらないといけないことも多いのに、本当にまずい状況だな、そんなこと思ってます。

というわけで、まずはシナリオクリアしましたという報告でした。エンディングに自分の名前見付けて、じんわりと感動して、そして僕達の戦いはこれからだ! 余韻にひたる間もなく、次の展開が用意されるところなど、なかなかに楽しませてくれるゲームであるのです。だから、まだまだ終りませんよ。

2008年12月29日月曜日

J. S. Bach : Suite No. 1 pour saxophone seul

Musical score先日、久しぶりにサクソフォンを吹く気になったといって、リードを買いマウスピース・パッチも買い、そうしたら楽器に軽微な故障が発生して、楽器店に入院。その時に見かけたソプラノサックスに一目惚れ、そして今日、具体的な商談をしてきました。じゃなくて、楽器を受け取りにいってきたのでした。ついでに人に会う約束もしていたので、見切り発車で店にいったら、まだ仕上がっていないってことだったので、時間をつぶすべく楽譜売場をぶらっとまわって、そして一冊買いました。バッハの組曲一番。チェロのための、無伴奏のものなのですけど、サクソフォン用に編曲されたものがあるのですよね。復帰するにあたり、この曲にとりくんでみようかな、そんなことを考えたわけです。

この曲は、私が短大でサックスを学んでいた時に、練習課題として渡されたもので、それから数年に渡り吹き続けたから、それはそれは愛着のある、思い出も深い曲なんです。渡されたその時は、原曲はどんななのだろうと、図書館から原典版を借り出して、かたっぱしから編曲されてる部分を消し、オリジナルに似るように戻していった、こういうところ、私の性格がわかるんじゃないかと思いますが、そしてそれからはわからんまま吹いて、あれこれ試行錯誤して、チェロの演奏もいろいろ聴いてみて、楽譜どおりに吹かない、スラーと書いてあるのを無視してデタシェで吹くようになって、やっぱこれがいいなと納得するところを見付けたのでした。そうなるまでに何年かかったんだろう。少なくとも短大は卒業して、つまりは学部時代であると思うのですが、いやどうだろう、下手したら院にあがってるな。とにかく、長く吹いてきた曲であるんですね。

知り合いでプロモーションだかマネジメントだかをやっている人がいましてね、その人が24時間テレビの仕事をとってきたことがあるんです。読売テレビの社屋でやるイベントステージ、そこで演奏しておくれよといって、誘われた。もちろんそれはイベントのものだから、テレビに映るかどうかはわからない。けれどもしかしたら映るよと。そして私は、いうても専攻生だったわけだから、そのカメラが来るという時間にあわせてスケジュールを組んでくださったんですね。

あの時は、面白かった。ステージにあがると、徹夜明けなんでしょうね、若者が観客席となったロビーにごろごろと、あたかもダイインでもするかのように多数横たわっていて、まいったな、苦笑しながら音出ししたら、それがもう気持ちよく響くこと響くこと。天井の高い、その天辺に向って音が伸びていくようで、うわあ、気持ちいいなあ、終始そう思いながら吹いて、ステージを掃けたら、みんなからよかったよよかったよといってもらえて、思い返すごとに、あれが私の頂点だったと思う。というのはどうでもいいんですが、その演奏している最中にカメラがきたんですよ。建物入口あたりがざわつきはじめて、あ、カメラがきたな、そう思った瞬間、さっきまで屍のようだった若者たちががばっと跳ね起きたかと思うと、一目散に駆け出していって、その行き先を見ればアンパンマンの着ぐるみ。カメラはアンパンマンとむらがる若者たちを映し続け、ついぞステージにたどり着くことはありませんでした。

まあ、そりゃそうだろう。なんてったって、アンパンマンは全国区だもんな。

それまで使ってきた楽譜は、コピーしたものだったのです。学生のころは金がないから、なんていうけど、今となってはやっぱり買うべきかな、そう思って、遅蒔きながら購入したのですね。まっさらの、なんの書き込みもない楽譜。正直、これで吹くだなんて考えられないような白さなのですが、ええ、やっぱり楽譜とは、楽譜そのものも宝であろうかと思いますが、それ以上に、そこに書き込まれてきたもの、それが大切であるのだと感じ入る次第でした。書き込みとは、試行錯誤の記録であり、失敗と成功の結果であるのです。年月をともに積み上げてきたものがそこにはある。書き込みのある楽譜は、代え難い、私だけの、おおげさにいうなら、戦友のようなものなのだと思うのですね。

だから、私はこれから選択を迫られるのでしょう。新しい楽譜を前に、新たな積み上げを始める、これがひとつ目。もうひとつは、コピー譜から必要な書き込みを転記する。そして最後が、原譜は買って持ってるといいはることにして、これからもコピー譜を使い続けるというものですね。

どれにするかは、これから決めます。まあ、二番から始めて、一番、つまりさらなる積み上げをしていく、ってことになるのかな、そんな気がしています。

  • Bach, J. S. Suite No. 1 pour saxophone seul. Transcripted by Jean-Marie Londeix. Paris : Henry Lemoine, 1963.

2008年12月28日日曜日

CASIO EXILIM Hi-ZOOM EX-V8

 YouTubeにて公開する動画を撮影するために買った、CASIOのEXILIM Hi-ZOOM EX-V8。けれど、これは動画も撮れるとはいうものの、あくまでもデジタルカメラであります。コンパクトカメラながらも、38mmから266mmまでの高倍率ズームレンズを搭載した充実ぶり。最近はやりの、顔認識も手ぶれ補正ももちろん装備しています。けど、私はメインのカメラとしてGR DIGITALを使っていて、はや二年ですかね、けれど未だに不満というほどの不満のないという充実したカメラであります。だから、EX-V8の出番は、こと写真を撮るということに関してはないのではないかと思われたのです。しかし、GR DIGITALにはないズームを必要とすることがあるだろう、そう思ってきた。そして、その機会が先日おとずれたのでした。

その機会とは、友人の演奏会でありました。撮影しておくれと頼まれて、それでGR DIGITALとEX-V8を持って出たのであります。リハーサルや会場風景など、近接して撮れる場合はGR DIGITALを使い、客席から舞台を狙うなど、近くにまで寄れない場合はEX-V8を使う。ええ、これが一番いい使い分けでありましょう。実際、この使い分けは理にかなっていた、撮り終えた今、本当にそのように思います。

カメラとしてのEX-V8、それほどしっかりと使い込んでみたわけではない、本当に簡単なインプレッションではありますが、まあわるくはないなというのが正直な感想です。完全カメラまかせで撮ることも可能なら、絞り優先、シャッター速度優先を選ぶことも可能で、特にシャッター速度優先は、今回のような舞台撮影、光量の不足する現場においては、役立ってくれました。1/30秒であるとかそのへんで固定しておいて、後はカメラまかせで撮ります。その際には、露出アンダーですよと警告が出るんですが、かまわず撮れば確かにアンダーであるんだけど、被写体ぶれも抑えられているし、それにまったく写っていないような、そんなこともないしで、なかなかに悪くなかったのではないかと、そんな風に思っています。

ただ困ったのは、レリーズのタイムラグです。カタログスペックでは約0.008秒とあるのだけど、思ったよりも遅れるという感触で、今だ! と思ってレリーズするも、写っているのは一瞬遅れた場面ということが多くて、具体的にいうと、演奏者がおじぎをする、その直前を撮ろうと思ってレリーズしたのに、写っているのは頭を下げたところという悲しさ。けれどこれは自分の腕が悪いのかも知れませんね。今だ! と思って、シャッターボタンに掛かる指が押し込まれるまでに遅れが出てしまっているのかも。何度かあったおじぎ、ちょっとずつタイミングをずらしながら撮影してみて、満足できるのははたして一枚あったかどうか。ともあれ、このへんの事情は、低廉なデジカメならどれもがかかえている問題であろうと思います。

私はマニュアルを読まず、持ってもいかず、だからカメラの操作時に表示されるヒント、それだけで撮影に臨んだのですが、って、これ今から考えるとえらい無茶だと思うのですが、でもそれでも問題なく各種機能を使える、非常に使いやすいカメラであったと思います。シャッター速度優先での使い方も、ちょこっと触れば合点がいく、そうした感じで使える、ユーザーにとっての便利のいいカメラ、というのが百枚程度撮ってみての感想です。

2008年12月27日土曜日

CAUL ER

 今日、ちょっとヨドバシカメラにいかねばならぬ用事がありまして、といっても、ゲームの予約、たいした用事ではないのですが、けれど年内に、可能なかぎり早くいっておきたいという事情があったので、私には珍しく休日に大阪は梅田まで出てみました。予約は昨日から受け付け開始、いわゆる早期予約キャンペーンというやつでして、けれど昨日の時点では店側に必要な情報が渡っていなかったらしく、仕方がないので一旦うちにもどり、メーカーサイトのそのページをプリントアウトしていったのでした。かくして予約は無事なって、特典はどうなるんだかよくわかりませんが、まあその帰り道ですよ、おもちゃ売り場を突っ切ることになりまして、そうしたらなんだか車のおもちゃのコーナーで足が止ってしまいました。そういえば今日はうちにちびすけがきていたから、なにか買って帰ってやろうか。トミカみたいのがいい。それも、はたらく車がいい。そう思っていたのに、買ったのはリモコンで動く車でありました。

それは別に、ラジコンが欲しいと思ったからじゃないんです。ちびすけが、リモコンで動く車を追い掛けたりしたら、さぞ面白かろうなあ、などと思ったからなんですね。それに、随分前の話ですが、父がこうしたおもちゃに興味を持っていたようなので、買えばいいじゃん、とはいったものの、変に始末屋の父は結局買うことはなく、だからちびすけのためといって父に渡してしまえばいいんだ。

家族の喜びが私の喜びなんです。わお、なんかいい人みたいだ。

しかしこの車、車に単4電池2本、コントローラーに同じく単4を2本セットしまして、スイッチオン、走らせましたらね、えらい速いんですよ。ええーっ、こんなに速いものなのか! 正直なところをいいますと、プラレール程度の速度を期待していたのですが、そんなどころじゃない。どう考えても、二歳児の足じゃ追い付きません。それどころか、油断すると壁に激突しそうです。まいったなあ。うちの中でちょこっと遊ぶには、高性能すぎる感じです。

私の買ったのは救急車でした。うちの近所にですね、老人ホームがあるものですから、救急車がよく通るんですね。そのたびにちびすけが反応するので、じゃあこいつにしておこうかと思ったんですね。最後までバスと迷ったんですけど、なんせ都営バスでしょう。京都府民の私には縁もゆかりもないものでござんす。阪急バスだったら、せめて京都市バスなら買ったろう。けど、都バスじゃ駄目です。

救急車は、ライト&サウンドシリーズ、というわけで、走ると赤色灯が光り、サイレンも鳴るというのですから、より興味を引くのではないかと期待したのでした。けど、サイレンがですね曲者で、走行させると確かに鳴るのですが、走り始めてしばらくしないと鳴らないんですね。さっきもいいましたけど、我が家で走らせるには少々速度が出すぎるおもちゃです。なので、前進ボタンをちょこちょこ押すことで速度を調整する。そうすると、いつまでたっても走り始めてしばらくという状態にならないので、サイレン鳴らないのですよ。まいったなあ。けどまあいいか。鳴ってもたいした音量ではないし。

リモコンは電波を使うものではなく、赤外線を使うタイプ、つまりテレビのリモコンみたいなものです。そのため、車がものかげに入り込んでしまうと、コントロールが効かなくなります。でもこれは、特に子供が遊ぶおもちゃとしては、正しい仕様かと思います。見えないところまで走らせて、なくしたり、さらには人に迷惑かけたりすることがないわけで、だからこれはむしろ好印象でした。操作してみての感覚はというと、なにしろ前進後退、右左のボタンしかついてませんしね。速度の調整もできない、とにかく簡単仕様。RCカーファンにはきっと物足りないでしょうが、ちょこっと動かしてみたいというような人間にならこれで充分。ええ、私には充分なものでありました。

帰った時には、ちびすけはお昼寝の最中で、だから自分ひとりで走らせて、その具合を確かめていたのですが、ほどなくしてちびすけお目覚め、私のいる居間に入ってきたら、その場で固まってしまいました。謎の動く物体に怖がってしまったようで、あちゃあ、まいったな。そうきたか。確かにこのおもちゃは対象年齢8歳以上と、ちびすけにはまだ早いものでありますが、それは操作して遊ぶという点においてのこと、見て遊ぶには充分だと思ったら怖れさせてしまいました。

いやあ、失敗失敗。けど、いずれ慣れるでしょう。そうしたら喜んでくれるに違いない? 喜んでくれるといいな。

あ、そうそう。Amazonの商品ページの写真、現物と違ってますから。ちなみに現物はこんな感じ。父はパッケージを見て、なんだ、東京消防庁か、といいはなちました。ええ、私も同意見です。でも、全国の消防は網羅できんよな。地元消防がよかったら、自作でしょうね。

引用

  • カズホ「キルミーベイベー」,『まんがタイムきららキャラット』第5巻第2号(2009年2月号),49頁。

2008年12月26日金曜日

サンスター文具 ペーパーステッチロック

 今日は今年最後の出勤日。本当だったら休みたいところであったのですが、今日にやっておかないといけないこともあったから、気力を振り絞って働いてきました。さて、私の今の職場は、この年末に別の事務所と統廃合されるかたちで引越しをしたのですが、その行き先である事務所にちょっと気になるアイテムがありましてね、それはなにかといいますと、針を使わないステープラーであります。一般にホッチキスと呼ばれることの多い文具でありますが、あの紙を綴じるための器具。広く知られているものは針を使います。って、説明する必要なんてありませんよね。ですが、この針がちょっと面倒で、最近は再生に出す際、ステープラーの針程度なら付けたままでもオッケーなんだそうですが、昔はいちいち外さないといけないし、それにシュレッダー使うときなんかにも外す必要があって、もう面倒くさい。それに、あれ針金だから、指突いたりして結構危ないんですよね。といったわけで、長く針を使わないステープラーに興味を持ってきたわけですが、それが新事務所にあった。うわあ、こりゃちょっと嬉しいなあ。思い掛けない出会いに喜んだのでした。

それはサンスター文具のペーパーステッチロックZnというモデルでした。金属製のボディは、亜鉛なんだそうですが、ずしりと持ち重りするようで、質感はたっぷり。この口に紙を挿し入れてやって、レバーを押し込むと、さくりと紙を切る感触をともに綴じられるというのですから、よくできています。けれど、残念なことに、これはまったくといっていいほど使われておらず、というのは、誰もこれが紙を綴じる道具だとは気付かなかったからなんですね。私がいくまで、なんだかよくわからないままに放置されていたのでした。まあ、そうでしょうね。文具マニアとか、そういう気のある人間でないと、こんな道具、知るわけないですよね。

この事務所に引っ越してきた暁には、こいつをひとつ占有してやろう。野望を胸に引っ越してきたものの、最初はばたばたしていてそれどころじゃない。ようやく落ち着いた今日、ああそうだ、この紙を綴じるのに、あいつを使おうじゃないか。そう思って探してみたら、なんとなくなってる。ええー、どこいったんだろう。どうやら、我々が引越してくる、そのスペースを空けるついでに、あちこちもろもろを整理したらしいんですね。で、用途不明の道具はどこかに押しやられてしまったと。これはちょっと悲しかったですね。

代わりに出てきたのが、同じくサンスター文具のペーパーステッチロックタワーでした。これはプラスチック製のボディで、随分軽いものです。口に紙を挿し入れて、でっかいボタンを押し下げてやると紙が綴じられる。仕組みはそんなに違いませんね。ただ、綴じ方はちょっと違っていて、それに結構力が必要で、とにかく非力軽量の私にはちょっと使いにくい道具であるかも知れません。

でも、ペーパーステッチロックZnが行方不明である現在、私にとってはペーパーステッチロックタワーしかないわけで、だからZnを探しつつ、こいつを使っていこう、そのように考えています。綴じられる紙は、Znが7枚、タワーは4枚程度、どちらもそれほど多くの枚数は綴じられないものの、ちょっとした書類をまとめておきたい、メモに資料を添える、そんなくらいの用になら充分対応可能です。だから、私はこれからは、針を使わないステープラーをメインに使っていきます。エコとか関係なく、道具のギミックとしての面白さに引かれた結果ですね。魅力的な道具だと思います。

2008年12月25日木曜日

うらがアルっ!

 『うらがアルっ!』が始まったときはなぜだか変に抵抗してみせて、というのは、見た目小さな女の子が背伸びをするという話、自宅での素の姿が紹介される毎回の扉に現われる、穂咲りあののあまりの無防備な姿に、こういうのを求めておいででしょう? というメッセージを勝手に読み取ったためなんですね。歳のわりに小柄な女の子、外ではしっかり者を演じているけれど、お家だとこんなに幼気なんですよ。アニメ見て、パンツなんかも見せちゃったりして、っていう、それがどうにも気にくわんかったんですね。でも、読んでいるうちに、なんとなく好きになってしまっているというのも、また私にはよくある話で、ええ、今は楽しく読んでおります。そういえば、こないだも同じようなこといってましたね。ほんとう、私にはよくある話なのです。

でも、あんた小さな女の子好きなんじゃないの? ええと、幼女じゃなくって、小柄な女の子ね、っていわれれば、そうですね、好きですよ。それにりあのん、眼鏡かけてるじゃん。って、確かにかけてますね。だからいかにも個人的に大ヒットしそうなキャラクターなのに、それが意外と駄目で、いったいどこがはずしてるのかわからないのだけど、ぐっとこないんだ。確かにかわいいキャラクターだと思うし、絵もすごく引き付けるものがあるのだけど、それがこない。多分これは、あまりにポイントに迫りすぎたために、少しの齟齬が大きく影響してしまった、というやつなのでしょう。

と、ここまで書いて、わかりましたよ。りあのん、不幸度が低いんですよ。なんか、すごく天真爛漫として、すごく仕合せそうで、もう見るほどに幸いになる、そんな印象いっぱいに描かれていて、だから私も目を細めて見てしまうのだけど、その幸い度の高さが私を寄せ付けないのですね。それは、ペットボトルが猫を追い払ってしまうように! あ、いや、あれは効果ないんだっけか。ともあれ、穂咲りあのが私をロックしなかったのは、陰のない、まるで日向のような娘だったからなのですね。それはそれは、見ているだけで暖かにゆるむ。幸いですね。ええ、とても幸いなあたたかさの心地良い漫画なのです。

でも、これだけじゃないんですよね。お家では稚気にあふれ、学校では生徒会に所属する真面目なしっかり者、りあのんのその二面性、ありていにいえば背伸びなんですけどね、それをちゃんとわかっている先輩たちに彼女が囲まれているというところもなんだか楽しくってですね、見ていてすごくほほえましいのです。りあのんが背伸びしているってことは、もうばればれなんだけれど、それでもしっかり者を演じようとするところが可愛い。そして、そんな彼女を見守る上級生たちをとおして、まるで私もりあのんを慈しむような気持ちになって、そうか、この漫画は、直接りあのんを愛でるのではなく、りあのんを愛でる人たちを通じて間接的に可愛さを感じようという、そういう趣向であるのか。愛での共感、そこにこの漫画の楽しみの核があると、そのように感じます。

さて、そんな私が気にいっているのは、ことあるごとに鼻血を出している会長も大変にお気に入りなのですが、それよりもりあののお母さんが素敵であると思います。割と頻繁に怒ってる、けれど娘大好きで、甘々なお母さんです。その母娘関係がなんだかよいなあと、さらに仕合せ感覚を強くしているよなと思う。とりわけ、あーあ… あーあ!?に連なる流れなどは最高だった。ふたりの関係のよさを垣間見るようで、すごくよかったのでした。

  • もんちぃ『うらがアルっ!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

引用

2008年12月24日水曜日

Saxophones, taken with GR DIGITAL

Saxophone2008年12月GR BLOGトラックバック企画のテーマは☆キラキラ☆なんだそうですよ。しかし、キラキラかあ。キラキラといって思い出されるものといったら、サンリオキャラクターであるとか、あとは四コマ漫画誌かなあ。まあ、どちらもキラキラではないのでありますが。さて、あらためてキラキラといわれましても、なにを撮ったものかわからないというのはいつもの話であります。基本出不精の私ですから、ライトアップやイルミネーションを見にいくこともしないし、かといって、仕事の帰り道に見るイルミネーションを撮影して、というのも気がひけます。なんてったって、個人宅ですからね。といった具合で、どうしたものか悩んでいたところ、ちょっとよさそうなものを見付けました。それは、楽器。楽器でトラックバック企画 ☆キラキラ☆ に参加であります。

楽器。先日、我が愛器に軽微な故障がでたから、楽器店にいってきたといっていました。その時にですね、ショーケースを見ていたらですよ、そこにはきらきらと輝く新品のサックスがずらり並んでいましてね、ああ、ちょっと欲しくなっちゃうな。特にソプラノサックスが欲しい。実をいうと、学生の頃から憧れてた楽器なんだけれど、貧乏学生の私には到底手の出るようなものではなく、だから諦めていました。卒業してからは、サックスから一時離れていたこともあって、憧れはどこかにひっそりと隠しながらも、買うことなどはなかろうと、そんな風に思ってきたのですね。

ですが、この年末に久しぶりにサックスを吹いてみて、ああ、やっぱりいい楽器だなあ。そう思って、なんとかして演奏の機会を作ろうと考えて、仕事を紹介しておくれとお願いをしてきたところ。そうしたら、来年からブライダルに力を入れようと思っていたからちょうどいいとの返事をいただき、やったぜ、来年は働くよ! それで、お金貯めて、ソプラノサックス買うんだ! 俄然はりきっちゃうのであります。

そんなわけで、GR BLOGトラックバック企画には、私をやる気にさせてくれた楽器の写真を出しちゃう。一枚目がソプラノサックス、二枚目はテナーサックス。冒頭のは私の愛器、アルトサックスでした。私の欲しいといっているソプラノサックスは、写真に写っている中の一番左側のもの。隠したのには他意はなく、構図を考えたら隠れてしまっただけです。

これらの写真、まさに文字通りショーケースに貼り付くようにして撮ったものであります。ショーケースの楽器に憧れるあまり、貼り付いてしまうというのは、古今東西、老若男女問わないことであるようですよ。

Saxophones

Saxophones

2008年12月23日火曜日

四つの署名

 ああ探偵事務所』に刺戟をうけて、シャーロック・ホームズを一から読んでいるというのは、以前、『緋色の研究』で書いた時にも触れたことであります。もはや古典といえる探偵小説。書かれたのは十九世紀も末、百年以上も前の小説だというのに、今なおその人気は衰えることなく、読まれ、新たなファンを獲得しています。熱狂的なファンは世界中にいる、だなんて昔からいわれていますけど、そうした人たち、いわゆるシャーロキアンの世代交代も進んでいるのでしょうか。

さて、『緋色の研究』に続いて私の読んだのはなにかといいますと、『四つの署名』であります。なぜ『四つの署名』かというと、これがホームズものの第二作目だから。すなわち、発表順に読んでいるというわけなのですが、しかし、この話はのっけから驚かされることばかりでした。

なにに驚いたかというと、ホームズの暗い愉しみについてです。なんと、ホームズ、コカインを愛用している、いうならば薬物中毒者であるというのですから、いやあ、驚いてしまいました。こういう話は聞いたことはあったのですが、それがまさかこうもあからさまに描写されているだなんて思ってもいなかったものですから、この幕開きには正直軽くショックを感じるほどでした。

ですが、ひとたび事件となれば、そうしたホームズの影の部分はいずこかへと消えさって、はっとさせるような理性の閃きが読者を魅了すること前作に変わるところなく、いや、やはり読ませる話であるなという印象を新たにするばかりでありました。

物語自体は、必要以上に凝ることもなく、いたってシンプルであります。美しい女性の持ち込んだ依頼をめぐる謎の数々が興味をくすぐります。数年に渡る謎の人物からの援助、差出人不明の手紙、行き先不明の馬車に運ばれた先で聞かされる過去の不正、そして痛ましい事件がおこって、さあ我らがホームズの活躍ですよ。しかし、今回は、ホームズの活躍もさることながら、もうひとつ気になる要素がありまして、それはなにかというとワトスンの恋愛事情であります。なんと、ワトスン君、依頼人に恋しちゃうんですね。いやあ、まいりました。もう一目惚れといっていいくらいのありさまで、話の進むにつれてなおも高まる恋心。ヴィクトリアンは恋愛ごとに積極的だったとでもいうのか、それともたまたまワトスン君がそうだったというだけなのか、いずれにしても、美しい女性とのロマンスだなんて、ちょっとそそるではないですか。それでなくとも凡人だ凡人だと馬鹿にされがちなワトスン君、そうした描写のあまりに有名なせいで、人のいい迂闊ものという印象を持ってしまっているものだから、思わず応援してしまいましたよ。

シャーロック・ホームズを読むと、探偵小説、推理小説をミステリーと呼ぶ理由がわかるような気がします。描かれるのはあくまでも犯罪で、一筋縄ではいかない事件を探偵の叡智が快刀乱麻を断つごとく見事に解決する。確かにストーリーはそうした構図を持っていますが、その語られようはというと、怪奇もののそれである、そんな感じが拭えないのですね。そもそも殺人というものが非日常です。誰だかわからない犯人が、なぜだかわからない理由で人を殺害する。それはもう非日常も非日常、私たちの住む平穏な世界とはかけ離れた出来事にほかならず、そしてそうした異常事態が、かくもおどろおどろしく語られるのですね。いわば読者は不安にいざなわれるわけです。世にこれほどに奇怪なことがあろうかと、手に汗握り物語を追い、そしてその不安は見事探偵の活躍によってからりと晴らされる。この、日常を離れ、そして日常に回帰するという構造、不安と安定の間をゆきかう浮き沈みを楽しむのが探偵小説であるのかも知れませんね。

私は、とかく探偵小説というと、当たり前のように殺人、犯罪がおこり、そしてそこには当然のように謎、仕掛けが用意されているという、そんなものだと思ってきましたが、あらためてホームズを読んでみれば、そうした要素よりもより以上に怪奇性の方が強く感じられて、ああ、この感触こそがミステリーなのかな、などと思っている次第です。そう思えば、江戸川乱歩の小説や横溝正史の小説に感じられるもの、あの怪奇的な感触もまさしくミステリーなのかもなと、今さらながらに思う次第です。

  • ドイル,コナン『四つの署名』延原謙訳 (新潮文庫) 東京:新潮社,1953年;74刷改版,1993年。

2008年12月22日月曜日

ひかるファンファーレ

音大を舞台にした漫画がヒットしたからなのか、音楽を題材にした四コマも増えて、この動向は本当に予想外でした。けれど、悪くいえば無節操に、はやりを取り入れようとするのは、四コマ界隈に限らずいずこも同じであります。だから、はやりものは嫌いなんて偏屈なことをいうんじゃなくて、自分も一緒に楽しんだ方がきっとずっと楽しいんですよ。反省しましたか? はい、反省しました。

さて、現在芳文社では吹奏楽ものが二本連載されていまして、そのうちの一本が、こないだからなんだかんだと言及している『うらバン!』です。吹奏楽部に入部した小柄な女の子、鈴杉冬美が巨大な低音楽器チューバに配属されるという、見た目におけるギャップ萌え漫画といってもよいかと思うのですが、実はもう一本の吹奏楽ものも同様に、吹奏楽部に入ったら、チューバを吹くことになってしまった小柄な女の子、ひかるをヒロインとするギャップ萌え漫画、なんでしょうか。けど、同様の設定でありながら、その感触はずいぶん異っています。

その感触の違いは、掲載誌の違いが大きい、そういってもいいのではないかと思います。『うらバン!』は『まんがタイムきららキャラット』連載、『ひかるファンファーレ』は『まんがタイムジャンボ』連載です。そのためか、『ひかるファンファーレ』の方がナンセンス色が薄く、地に足のついているという印象を与えますが、実は『ひかるファンファーレ』の方が夢見がちのように感じます。天才少年に美少女、ちょっとしたけれんですね。そうした要素を散りばめながら、けれど不思議と地味に落ち着いていくのがこの漫画の面白いところで、だって天才少年黒田君の楽器はトロンボーン。って、こりゃまた地味だな。トロンボーンにせよなんにせよ、関わったものならわかるよさ、魅力、華がある。けど、それは一般には通じにくいっすよ。しかしそこをあえてトロンボーンをこの漫画の花形にすえた、そこに私はちょっと光るものを感じてしまうのですね。

一般にわかりやすい花形といったら、金管楽器ならトランペット、木管楽器ならフルートあたりでしょう。実際、吹奏楽部に夢とともに入部してくる新入生たちは、このあたりをやりたいって思っているんです。ところが、ヒロインはチューバ。ヒーローはトロンボーン。って、中低音がやたら充実していますね。これで対抗のヒロイン、池森結衣がテナーサックスあたりだったら、なんという中低音天国、ってな感じになったのでしょうが、残念(?)ながら結衣はアルトサックスです。

望みの楽器があって、しかし望まない楽器に配属されてしまうというところは、スクールバンドの現実を色濃く反映していて、実は私なんかもそうでした。中学の吹奏楽部に入って、希望はホルンだったのですが、って、それもまた地味だな。いやねシューマンがホルンはオーケストラの魂だとかいったんだって話を聞いて知っていたものですから、じゃあ是非ともその魂をやりたいものだ、そうした夢一杯で数ヶ月、走り込みやら腹筋やらを耐えたというのに、結局サックスに配属されてしまったのでした。でも、今はその配属は正しかったって思って、むしろ感謝してますよ。

私が吹奏楽部に引き込んだ友人は、中学ではホルンをやって、高校にあがった時も当然ホルンを希望していたのですが、残念ながらチューバにまわされて、彼はそれはそれはショックで、男泣きに泣いたとかいう話であります。だから、ひかるのような話はどこにでも転がっているのです。希望するのは、誰もがその胸に思い描く花形であります。私の姉ならフルート、しかしやつは中学ではトロンボーンに配属され、高校では一旦クラリネットに決ったものの、最終的にユーフォニウムに落ち着きます。おそらくは最初はいやいやなんです。ええーっ、こんな楽器いやだ、そう思って、それこそクラブやめようかなんて思いながらも、なんとなく続けているうちに好きになっていくのですね。

それは、さっきもいっていた、どの楽器にも等しくあるという華、そいつに気付いてしまうからなんだと思うのです。ベースを支えるチューバは、第二のメロディとでもいうべきベースラインを朗々と奏で、トロンボーンは、パート全体がひとつの機能となって、中低音域をぶ厚くふくよかに彩ります。それはそれは格好いいんですよ。けど、それはただ漫然と聴いてるだけじゃわからないかも知れない。だから、こうした漫画をきっかけに、吹奏楽も面白そうだと思った人は、もう一歩を踏み出して欲しいものだと思います。もちろん、やれってわけじゃありません。ただ、漫画のネタのひとつとして、部活ものの一バリエーションとして受け取るだけじゃもったいない。一歩踏み込んで、実際に聴いてみる。たいてい、どこでも地元の高校あたりが演奏会したりしてますからね、そういうのに足を運ぶなりして、ああ、漫画の中の彼ら彼女らは、こうした世界の中にいるのだという実感を確かなものとしてもらえたら、どんなにかいいだろうと思います。

『ひかるファンファーレ』は、吹奏楽の世界に夢をともに飛び込んできた女の子が、一度は夢を壊されながらも、配属された楽器を相棒として新たに夢を育んでいくという、実に吹奏楽部的な面白さを描いている漫画であると思います。それはまさにスクールバンドの典型であって、それはすなわちスクールバンドの青春そのものといっても過言ではありません。音楽への取り組みについて激論を交すこともある。友情を深める出来事、レクリエーションもあれば、ひとつの大きな山を皆で越えるという達成感、そしていたらなかった自分への悔しさもあって、それは多分吹奏楽に限らない、なにかにチャレンジしている人、いた人すべてが共有しうる感情であろうかと思います。そうした広く共感されるものをもって開かれる世界の中には、吹奏楽ならではの面白さが確かにあって、それが私には妙に懐かしいんですね。

さて、ここから以下は余談です。読む必要はありません。

マーチングの回で、ひかるがスーザフォンについて、強化プラスチック製だから重くないっていってました。これは本当です。ええと、私の愛するYAMAHAの製品だと、9.1kgだそうですよ。って、重いな……。けれど、昔はスーザフォンも総金属製でして、私の学校にあった楽器なんてまさにそれで、本文でいってた元ホルン吹きのチュービストは面白がって、そいつを復活させたのはいいものの、その重さに音をあげて、再びしまいこまれることと相成りました。さて、その重さとはいかほどのものかというと、ええ、私の愛するYAMAHAが総ブラス製のスーザフォンを出しているのですが、12.5kgだそうですよ。思ったより軽いなあ。

YAMAHAのサイトには、硬軟とりまぜて、楽器を紹介するコーナーがいくつかあって、中でも楽器解体全書はわかりやすく、質も高い、実によいコンテンツです。もちろんチューバもありますよ。トロンボーンだってあります。漫画で興味を持ったという人は、ぜひ楽器そして音楽の魅力にも触れていただきたいものだと、切に願うところであります。

  • 田川ちょこ『ひかるファンファーレ』

2008年12月21日日曜日

千の風になって

 私ははやりものというのが好きではありません。これはとにかく昔からの習い性で、モーツァルトイヤーにはモーツァルトを聴かず、今やジブリ映画を見ることもなくなって、こんな私ですから、当然『千の風になって』も聴かなかったんです。話題になって、ブームにもなって、いろいろなメディアで展開もされた歌、というか詩というべきですか? 私には、そうした話題沸騰ぶりがどうにもついていけないものと感じられてしまったようで、全曲をはじめて聴いたのは去年だったか一昨年だったかの紅白歌合戦というありさまです。しかし、この一方的な敵視とでもいいましょうか、そうした状況からやっと抜け出すことができましてね、なにがきっかけかというと、岩崎宏美ですよ。岩崎宏美のカバーを聴いて、いい歌だなと思った。いや、秋川雅史が悪いなんて思ってませんよ。ただ、はやりに対してあまりに嫌悪を露にしすぎました。そのせいで、ちゃんと聴いてこなかったのかも知れませんね。偏見というのは、とかく人を駄目にするという話でした。

で、一方的に和解して、どうしたかというと、ほら、最近サックスを吹くようになったっていってましたけど、ウォーミングアップないしはリハビリにこの曲がいいんですよ。ゆっくりとしたテンポで、ゆったり、たっぷりと歌う。そうした曲調が、大きく息を吸い、大らかに吹く、吹奏楽器の基本ですよね、そうした練習に実によくって、しかもうまいことに、オカリナやってる母が、この曲の楽譜を持ってたんですね。いやあ、人気のある曲だけあって、楽譜入手が楽、というか労せず手元にやってきて、ありがたいことこのうえないです。

基本は実音in Cで吹いて、けれど適当に移調しながら、低音から高音まで満遍なく網羅するようにして、そうしてると結構楽しくなってきて、これ、営業にいくときにはぜひ演奏しよう。そんな気持ちでいっぱいで、ただ問題は仕事があるかどうかなんですよね。なので、知り合いにお願いしているところ。年明けくらいから具体的に動けると嬉しいなあ、なんて勝手にいってるけど、そうは問屋がおろさんでしょう。とりあえず今は返事待ち。でさ、仕事がうまくもらえるようなら、ソプラノサックス買うよ! いやあ、あの真っ直ぐなのがかっこいいんですよ。私の心のようにねっ。って、冗談みたいなこといってますけど、私の今のサックス熱に『うらバン!』は少なからず関係しています。

けど、その私の愛器は、現在修理中。いやね、昨日吹いて、片付けようと思ったら、ベルの中になんかごみみたいのがありまして、引っくり返して取り出してみたら、なんとコルクですよ。ああ、どっかのコルクがはがれたんだね。あちこち見回して、ああ、ここか。サイドのCキー? そこのコルクがはがれてしまっていたんですね。

そのコルクはなくても演奏には支障はないのですが、そのままにしてると楽器の管をいためてしまうかもしれないら、早めに修理したほうがよさそうです。なので、私にしては異様なスピーディさを見せて、なんと今日楽器店に持ち込み、リペアの依頼をしてきました。しかし、修理はコルクだけではすまないでしょう。なんといっても数年仕舞い込まれていた楽器です。それ以前に、十年以上使ってきた楽器です。タンポ(孔を塞ぐパッド)の交換も必要だろうし、あちこちのコルク、フェルトも駄目になってるかも。となると、タンポ、コルク、フェルト全交換、ほぼオーバーホールコースだろう。予算は、まあ五万を下ることはないだろう……。覚悟を決めて見積りしてもらったら、四万円以内とのこと。タンポを全交換するまではいかなかった。いやあ、ありがたい。けど、どうせやるなら万全にしてもらいたいと思ったから、費用はオーバーしてもかまわないので、存分に腕を奮ってくださいとお願いしてきました。

かくして私は相棒としばし別れて、『千の風になって』の出番もしばらくないかと思いきや、ギター抱えて、歌うことにしました。私はオペラ歌手でも声楽家でもないから、秋川雅史みたいには歌えないけど、それなりにしみじみと歌っています。そうしたら家のなかが暗くなるのね。あかん、あかんわ、ともちゃん!

かくして、私のレパートリーに別れたり死んだりする歌がまた増えそうなのでありますよ。

新井満

秋川雅史

引用

2008年12月20日土曜日

ノナカ・マウスピース・クッション

 楽器の話、続きです。YouTubeシンフォニーオーケストラに触発されて、再びサクソフォンを吹きはじめたわけです。サックス吹くためには必須のリードを買って、そして一緒にマウスピース・クッションも買ったのでした。マウスピース・クッションっていうのはなにかといいますと、マウスピース、ええと、サックスの吹き口、あの黒い色したくちばしなんですが、あれに前歯、上の門歯があたることで傷つけてしまう、それを防ぐために貼り付けるシールみたいのをマウスピース・クッションもしくはマウスピース・パッチと呼びます(私はずっとこっちで呼んできました)。また、マウスピースの保護以外にも、前歯から伝わる振動を和らげる効果もあって、この目的でマウスピース・クッションを付けるという人もあるそうですよ。

(画像はベイ Vibra-Ease)

ですが、私にとってマウスピース・パッチは、マウスピースを歯から保護するためのものであります。サックスのマウスピースはエボナイトという硬質ゴムで作られている(もちろんメタルもあるし、それ以外のものもあるよ)のですが、このエボナイトという材質は、丈夫ではあるんだけど、そんなに硬くもないのですよ。だから、結構簡単に歯で削られてしまったりして、気にしないという人もいるんですが、私はどうしても気にしてしまいます。なにしろ、マウスピースは個体ごとに出来不出来があるから、出来のいいのがあると、できるだけ長持ちさせたいというのが人情というものかと思います。そして、私の使っているのは当たりの個体なんです。って書くとたまたま買ったのが当たりだったみたいですが、そうではなくて、大学に入る前に習っていた先生に選定していただいたものなんですね。だから、駄目にしたくない。なので、マウスピース・パッチは私にとってはどうしても必要なものであるのです。

以前、私の使っていたものはベイのパッチだったのですが、これはしっかりと貼れて丈夫というのが売りのものです。今回もベイを買うつもりでレジまでいったのですが、ふと思いついて、お姉さんに聞いてみたのでした。何種類かパッチがあるみたいだけど、評判のいいのとかありますかって。そうしたら出てきたのがノナカのマウスピース・クッションでした。厚さが0.20mmと0.36mmの二種類あって、わたされたのは0.36mmの方。やぶれにくいという話で、ああ、これはありがたい。マウスピース・クッションも結構やぶれやすいものなんですよ。特に私の前歯は、右側が若干長いようで、そのために力が不均衡にかかってしまう、ゆえにやぶれやすい。丈夫と評判だったベイでも、そんなに長持ちしなかったものなあ。ノナカのパッチがベイより丈夫だったら正直なところ嬉しいですね。

Vandoren Traditional Saxophone Reedsさて、ちょっとだけ昨日の続き。バンドーレンのリードですが、適当に取り出してみたのを一枚だけ吹いてみて、ぱっと見には左右のバランスが悪いと思われたのですが、いやいや、割に悪くない感じで、ちょっと抵抗感が強めだけど、腰の強い感じで最後までへたらず吹けました。当たりかも知れませんね。残り9枚もそんな調子で使えるかは、フローパックとやらを開けてみて初めてわかることですが、もし最初の一枚の印象どおり、みなそれなりに使えるものだったりしたら感激ですね。あんまり期待しないようにしながら、残りを開ける日を待ちたいと思います。

  • ノナカ・マウスピース・クッション

2008年12月19日金曜日

Vandoren Traditional Saxophone Reeds

 リードを買ってきました。リードっていうのはなにかというと、クラリネットとかサクソフォンの歌口(マウスピース)に取り付ける部品というかなんというかで、これがないと音が鳴りません、というか、音を出すための振動体そのものであります。ギターでいえば弦にあたる部品、人であれば声帯ですね。リードは一般にはケーン、葦で作られているのですが、久しぶりにサックスを吹こうということになって、樹脂製リードを試してみようと思ったら、いった店にはジャズ向けのしか置いてなくて、結局はいつものリードに落ち着いたのでした。いつものリード、それは信頼と実績のバンドーレンであるのですが、最近のはやりはどんななんでしょうね。サックスを吹かなくなって、情報からも遠ざかって数年、本当に疎くなっています。

サックスは廃業した。ついこないだそんなことをいっていたというのに、なんでリードを買ったの? 吹くの? ええ、吹くのですよ。いやね、黒目先生のサックス吹いてるのを見てたら、それがあんまりにも気持ちよさそうで、ああ自分も久しぶりに吹いてみようかと思ったんです。 — ごめん、嘘。いや、完全に嘘じゃないんだけど、理由は別にあるんですよ。

それは、YouTubeシンフォニーオーケストラであります。なんと、YouTubeがオーケストラをやってみようっていうんですね。曲はタン・ドゥン作曲Internet Symphony “Eroica”。この企画のための書き下ろしなんだそうですが、パート譜をダウンロードして、演奏したものを録画して、YouTubeにアップロードしたまえとのこと。さらに、オーディションに応募することもできて、2009年4月15日にニューヨーク、カーネギー・ホールで開かれるコンサート、その舞台にのるための切符をゲットするチャンスだぜ! しかしなにがすごいといっても、交通宿泊費はYouTubeもちだっていうんだから、がぜんやる気になるってもんですよ。

でも、サックスのパートはないんですよね。うう、ちょっとがっかりだ。けど、リストにない楽器の応募も大歓迎、自分の楽器に音域が近い楽譜を選んで、存分にやってくれという話。おおう、再びやる気がでてきたよ。せっかくだから、私はイングリッシュホルンを選びました。でも、ブランク長かったし、吹けるかな、その不安は消すことができず、まあとにかく吹いてみないと始まらないよな。楽器を引っ張りだしてきて、吹いてみたのでした。

My Saxophoneおお、結構大丈夫じゃん。吹いてみれば、不安はすっかり消えさって、そりゃ昔のようには吹けないよ。でも、どうにかなりそうだ、そう思えるくらいには吹けています。それは、管楽器はやらないものの、ずっと歌ってきた、そのおかげなのかも知れないですね。サックス吹いた翌日、腹筋が筋肉痛になるのではないかと思っていたら、それが意外と大丈夫で、まあかわりに腰が痛いんだけど、この腰痛、学生のころ、ずっと悩んでいたんだけど、まさかサックスに原因するものだったとは……。はじめて知りましたよ。

アンブシュア、口のかたちですが、それを維持するのもきついのではないだろうか、そういう心配もあったのだけど、それも大丈夫。これには驚きました。そして、楽器の心配。数年間、ノーメンテです。しかし、これも思ったほどには悪くない。ただ、やっぱり低音は出にくくなってるんだけど、まあこれは予測の範囲のうち。というか、もっと出ないかと思ってました。よほど悪く考えすぎていたんでしょうね。そうした不安がひとつひとつ消えていくことで、やる気もいっそう強くなった、そんな気がします。

で、リード、これだけは買ってこないといけません。なぜって、これ、消耗品なんですよね。毎日吹くと、だいたい二週間三週間くらいでへたってきます。だから、大抵は複数枚を使いまわすことで消耗を防ぐんですが、手元にあったのはこれまで散々吹いたリード、そんなのしかストックにないから、ちゃんと吹くというなら、買ってこないわけにはいかんかったのでした。で、このリードが曲者なんです。なんといっても、天然素材。なかなかに質が安定しないようでして、10枚入りを買ってきて、使いものになるのは二三枚、頑張ってせいぜい四枚、運が悪いと一二枚? そんな有様なんです。でもさあ、工業製品として、それってどうよ。私はサックスを吹いていた昔から、ずっとそう思い続けてきて、だもんだから、ギターに転向したときは感動しましたよ。買ってきた弦がそのまま使える! 夢みたいだ! いや、それが普通なんだと思うんですが、どうなんでしょう。今はこの状況、改善されてるのかな。

Saxophone樹脂製のリードを試してみようと思ったのは、天然素材ゆえの品質のばらつき、それがきっと少ないに違いなかろうと期待したからなんですね。昔、私が現役だったころ、樹脂製リードが出始めてきて、みな一応は興味を持つのですが、やっぱりケーンの方がいいという結論に落ち着くみたいなんです。確かに長持ちするけど、何ヶ月も使えるわけでもないらしい。また音にちょっと癖があるから、ちょっと使いづらい。そういう意見がよく聞かれたものでした。ですが、それからずいぶん時間が経ちました。だから、もしかしたら、樹脂製リードの改善も著しいのではないか、そんな風に思ったのですね。ですが、まさかクラシック向けのが売ってないとは思わなかった。ということは、あいかわらず人気がないのか。その人気のなさは、質において問題があるためか、あるいは音楽家特有の保守性のためなのか、そのへんはわかりませんが、でも多分前者なんだろうなあ。

なので、順当に使いなれたバンドーレンに戻ってきて、そうしたら箱がむやみやたらと大きい。アルト用を買ったのに、まるでバリトン用みたいな大きさで、なんで!? と思ったら、最近のリードって個別包装されるようになったんですね。ファクトリーフレッシュとかいってます。湿度がリードの性能に影響を及ぼすため、湿度管理された工場での品質を保つため、ひとつひとつリードをパックした、そんなことをいっています。名付けてフローパック、なんだそうですよ。でもこれって期待してもいいのかな。輸送中、保管中の変質、劣化を防ぐというからには、ベースとなる品質はちゃんとしてるということなんだと理解してもいいんですよね。3番(リードの厚さは数字で示されます。1/2刻みで1から5まであるんだけど、2以下及び4より厚いのは見たことありません)を買ったはずなのに、どう考えても3じゃないだろ、これ。みたいなのは勘弁してくださいよ。いや、冗談じゃなくて。本当にお願いしたいところです。

2008年12月18日木曜日

PRAHA

 このところ、私はいつになく岩崎宏美に夢中。テレビで聴いた『聖母たちのララバイ』によほど感じるところがあったのでしょう。昔の、フレッシュながらもまだ若干のかたさを感じさせるものではなく、今の、年月を経て円熟した岩崎宏美の歌唱。その魅力にすっかり酔ってしまって、最近の歌唱を収めたアルバムも手元に置きたい、そのように思ったのですね。そうしたら、ちょうどいいタイミングとでもいうべきでしょうか、一年ほど前に自身の持ち歌を録音したアルバムを出していらっしゃったんですね。それがPRAHA。アルバムタイトルは、レコーディングをした土地、チェコのプラハに由来する、ドヴォルザークホールにてチェコ・フィルハーモニーをバックに収録された、ちょっとリッチなアルバムであります。

私はこのアルバムの存在を、それこそ、このあいだの『聖母』について書こうとした時にはじめて知って、それはDear Friends IVについての記事冒頭にてもいいましたとおりです。曲名でちょっと検索してみたら、出るは出るは、アルバムからベスト盤からオムニバス、それはもう多種多様というほかない様相を見せて、想像していたとはいえ、それを上回る状況でありました。その結果は、すなわち『聖母たちのララバイ』がどれほどに人気のある曲であるかを如実に物語って、一種ひとつの時代を代表しうる、それほどの曲であるのだといわんばかりでありました。

その結果に、PRAHAも現れてきたのですね。新しいアルバム、新録音、バックはチェコ・フィル、なんだかこれはすごそうだな。それに限定版もあるらしい。限定版にはDVDが付いてきて、収録されているのは『聖母たちのララバイ』のビデオクリップと、プラハ滞在中のドキュメンタリー、そしてフォトギャラリーだそうな。正直、DVDはなくてもいいかなとも思ったけど、そうはいっても付いてくるなら欲しい、それが私という人間です。なくなる前に買わなくちゃ! という次第で買った。慌てて買った。そして聴いて、DVDを見て、買ってよかった。これを聴けて、見られてよかったと思ったのでした。

 映像はドキュメンタリーに見る岩崎宏美は、これは、と思うほどの魅力をたたえて、なんて素敵な女性なんだろうと思いました。昔の、少しかたさを感じさせる、そんな岩崎宏美も好きなのですが、しかし今の方がより美しいというか、魅力的というか、穏かに落ち着きを見せる、そうした成熟と、時にはしゃいで見せるような茶目っ気、少女のような愛らしさが同居しているのですね。それは、岩崎宏美というひとりの女性が歩んできた年月、その時代時代の美、魅力なるものが層をなして重なり合っているがようです。

そして、それは歌においても同様なのかも知れません。美しい歌声、優れた技術、そうしたものを支えとして成立する歌が素晴しいのはあたりまえだ、そう確かにあたりまえだと思います。ですが、それだけではないのです。ただうまいだけではない。そこには、岩崎宏美という人のこれまでに重ねてきた時間が濃密であります。その曲を歌ってきたという歴史がある。その上に、この人の生活、経験が加わることで、テクニック云々ではすまされない妙味が香るのですね。時に軽く、時に艶然と歌われるその様は、少女のころを思わせる可憐さ、華やぎを刹那感じさせたかと思えば、深みをもって心に訴えかけ、ついにはさらっていく。しなやかにして豊かな魅惑の世界がひらくのですね。

それがもう素敵で素敵で、もうどうしようもないほどで、私はもう毎日毎夜Dear Friends IVPRAHAと聴いて、めろめろであります。もし今、日本で一番素敵な女性は誰だと思うって問われることがあったなら、ああ、それは岩崎さんだよ、って答えるね。いや、日本じゃなくて、世界でもいい。とにかくそれくらいに素敵。本当に素敵なのであります。

2008年12月17日水曜日

タツノコ VS. CAPCOM CROSS GENERATION OF HEROES

 私は子供のころからゲームが好きで、RPG、シューティング、アクション、どんなものでもそこそこ楽しんできたものでした。いわゆる、ノンポリゲーマー。面白ければジャンルは問わないのですね。といいながらも趣味嗜好というのは当然あって、WizardryタイプのRPGが好き、カルドセプトみたいなボードゲームも好き、そして格闘ゲームが好きなんですね。私はこのジャンルには遅れて参加したので、時代はもうZERO2だったのですが、いやあ遊びましたね。うまいのがひとり身近にあったものですから、昇龍拳道場にはじまり、スパコン道場、いろいろ稽古を付けてもらって、立ちスクリューまでできるようになって、そうするとやっぱり面白いんですよね。ちゃんと闘えると面白さが段違いになる。牽制、読みあい、駆け引きを競いあって、本当に楽しかった。でも、私はもう格闘ゲーム、いやアクション系からは足を洗ったので、この手のゲームで遊ぶことはありません。ですが、ちょっと興味のあるゲームが出てきて、それは『タツノコ VS. CAPCOM』。それこそ、状況さえ許せばWiiごと買ってしまいたいくらいに興味津々なのであります。

Ascii.jpが悪いのですよ。「Wii「タツノコVSカプコン」対戦動画を大紹介!」なんて銘打って、タツカプの対戦動画を紹介する記事が週替わりで掲載されていまして、いや、見ましたさ、見ましたよ。だって、もうこのジャンルはプレイしないっていっても、好きですから、興味はありますから。というわけで、以下にその記事へのリンクを用意しました。

  1. リュウと大鷲の健が空中で大激突!!
  2. 今回はあの3人組が登場! ド派手な必殺技を見逃すな!
  3. 小さい体ながら力持ち! ロールちゃんの活躍を見逃すな!
  4. 説明不要なデカさ! ゴールドライタンにヒロイン2人が挑む!
  5. 次世代機ロボにイケメン2人はどう戦う?【読プレ付き】
  6. 見た目も攻撃もヘビー級!? ハクション大魔王の猛烈な攻撃を見よ!

最初がリュウ&アレックスと大鷲の健&白鳥のジュンなのは、主人公格だからでしょう。オーソドックスというか、正統派ヒーロー / ヒロインといったところであろうと思うのですが、次が驚きました。なんと、想鐘サキが出てきます。ええーっ、これ、オリジナルはクイズゲームじゃんか! 驚いたんだけど、世界観の統一もへったくれも関係なしに投入されるキャラクター群の雑多さが、祝祭的な雰囲気をぐっと盛り上げて、ああ、もう、面白そうじゃありませんか。てなわけで、私はもう毎週の動画に釘付けで、一度ならず何度も何度も見返して、ううむ、欲しいなあ、でも買ってもプレイできない — 、しないと決めちゃってるからなあ。ものすごい葛藤に身悶えしたんですよ。

世界観をぶちこわすペアなら、特集第3回の灰燼の蒼鬼、ロールペアがすごい。剣やら鎗やら持った相手に、小柄な女の子がほうきで挑む。って、なんだそのナンセンス極まりない映像は! ちょっと笑ってしまって、けど私はこういうのが好きなんだ。本当にお祭りって感じがするじゃありませんか。シリアスなのもコミカルなのも、みんな一緒に楽しくわいわいとやろうって雰囲気がゲーム全体から感じられる、そんな気がして、だから私は使うならロール。いや、小さな女の子が好きなんじゃないです。ところで、ダークネスイリュージョンのコマンドが変わってますね。いわゆるダクネスコマンド(瞬獄コマンド)から逆昇龍+攻攻になってます。

ふう、これで話題をそらせたぞ。

この連載特集の第5回でですね、読者プレゼントがありましてですね、私、普段なら、こういうの面倒くさいっていってパスしてしまうところなんですが、今回は思った以上に入れ込んでいたのかも知れませんね、応募しましてね、そうしたら見事当選したのでした。Asciiさん、ありがとう! 私の選んだのは卓上カレンダー。まだプレゼントは手元には届いていないのですが、いやしかし嬉しいなあ。これ、どっかに飾っておこう。っていうか、なおさら『タツカプ』が欲くなっちゃうな。

私が『タツカプ』にこんなにも引かれてやまないのは、かつてはまった格ゲーに、子供のころに見て育ったアニメ、いやここはテレビ漫画といいたい、のヒーローたちが参加してくるという、そこにいいようもないほどの魅力を感じているからでしょう。子供のころ、テッカマンが好きだったんですね。ゆくぞ、ペガス! テックセッター! なにもかも懐しいですね。そして、私のような人が『タツカプ』を買っている、みたいなんだそうですよ。

2008年12月16日火曜日

マップス

  かつて関西には『アニメ大好き』という伝説的テレビ番組がありまして、夏、冬、春の長期休みにOVAを連日放送してくれた。いやあ、私らアニメファンはかじりつくようにして見たものでした。期間は一週間程度。ビデオテープ用意して放送を待ち、休み明けにはなにがよかった面白かったといいあって、そうしたこともまた楽しかった。アニメに飢えていた私たちは、興味があろうとなかろうと、放映されるものは全部見て、今から思えば、あれは素晴しい出会いの場であった、そのように思います。

『マップス』の出だしに『アニメ大好き』を持ってきたのは、私が『マップス』を知ったのがほかでもなくこの『アニメ大好き』だったから。ええ、私はOVA版から入った口なのです。女性の姿を象った宇宙船に捕われた高校生の男女。彼らが出会ったのは、美しい女海賊リプミラ。日常が一瞬にして非日常になるという導入、そして隠された謎、敵との戦闘。すごく楽しいアニメで、ああ、なんでこれビデオに録っておかなかったんだろうって後悔しました。よくあるミスです。ノーチェックのものによいものがあると、もう悔しくて悔しくて。特に、こうヒロインが魅力的なものとなるとなおさらで、ええ、『マップス』はヒロインがべらぼうに魅力的で、ああビデオに録って残しておきたかったなあ。今でもまれに思いだしては悔しがります。

けれど、私と『マップス』の関係は以上で終了。その後、漫画を読みはじめることもなく、けれど『マップス』の名前はしっかり覚えていて、新刊を見れば、懐かしさにとらわれる、そんな不思議な距離を保ち続けていたのでした。その後私は、『飛べ!イサミ』で長谷川裕一の漫画に触れて、アニメとは絵の雰囲気も、また話も違う、あまりにオリジナル、そうしたところに戸惑ったりもしながら、しかしこの人があの『マップス』の作者であるかと印象を新たにして、でもまだ『マップス』を読むにはいたりませんでした。

私が『マップス』を読もうと思ったのは、先月ですね、書店に詣でたら愛蔵版が平に積まれていまして、ああ、愛蔵版でたんだ。そう思って手に取れば、全6巻であるといいます。頭の中で軽く計算。よし、買った。ついに『マップス』を読むぞ。それはちょっとした興奮する出来事でした。なぜって、まだ少年だった時分の思いがどこかに残っているからですよ。私の見たのは序章に過ぎず、物語の入口をくぐるまでにもいたっていない。それがついにその先に歩みを進めるというのですから、もう楽しみでしようがなかったのですね。

以前、誰だかがいっていたんです。長谷川裕一はロリを描かせたら天下一品だ。じゃなくて、大風呂敷を広げ、かつそれをうまくたたむことのできる作家であるって。実際その片鱗は序盤も序盤、愛蔵版第1巻の時点ですでに感じられるほどです。最初はそんな設定なかったんだろうなあという新設定を次々と盛り込みながら、矛盾となるような要素をうまくつぶし、あるいは回避し、第1話では予想もしなかったほどの大きな世界を描きはじめたものですから、驚くばかりでした。主人公ゲンに秘められた謎は神秘の度合いをより以上に増し、リプミラの設定もアップデートに次ぐアップデートを受けて、それはもう目まぐるしいほどであります。設定が追加されるその度に物語の世界は広がり、またその広がった世界を駆けるゲン、リプミラたちの躍動も一層ダイナミックになって、ああこれは引き込みますね。魅せられるままにのめりこんで、一気に読み切ったら、もう2巻が待ち遠しくてしかたがない。で、先日出た2巻を買って読みはじめたら、これがもう止まらない。1巻にも増して物語は大きく広がって、しかし登場するキャラクターたち、彼らはそのあまりに大きすぎる物語に負けることなく、縦横に駆け回り、その情熱を燃焼させて、ええい、3巻はまだか! もう気がはやってしようがないんですね。

『マップス』の素晴しさは、裸率の高さ、じゃなくて、ええと余談だけど、以前、ファンタジーとSFの歴史とは、いかに女性の露出を高くできるか、そのチャレンジの軌跡である、みたいなことをいっている人がいたんですが、『マップス』はある種その到達点であると思ったのですよ。『マップス』以上に露出を高めるのは不可能なのではないか。そう思わせるほどに裸率が高い — 。

閑話休題、『マップス』の素晴しさは、男の子度の高さにあるのだと思っています。主人公ゲンはくじけない。どれほど困難な局面にその身を置いたとしても、決してあきらめることなく、果敢に挑戦していく。そのまっすぐさの素晴しさ。彼のその特性は、こと女の子を助けるということにかけては抜群で、この漫画に出てくるそれはそれは強い女性たち、彼女らをサポートするどころじゃない。危機にあっては必ず駆け付け、身を呈してでも守る。ここで踏ん張らなければ男の子じゃない、そういう場面ではきっと期待に応えて、ああ彼はまっことのヒーローだ。男の子ならきっと夢見る、夢見たことのあるような見せ場の数々が心を熱くたぎらせるのですね。

少年の頃はとうに過ぎ去った私のようなものにしても、心のどこかに眠っていた少年を呼び覚まされて、もううずうずしてたまりません。ああ、これはいいよ、すごいよ。この漫画は、少年青年の頃に読みたかった。かなわぬことと知っていながら、そう思わずにはいられない、そんなうずきを感じさせて、もう止まりません。しかし、私は今、なんの前知識もなしに、まったくのまっさらの状態でこの物語に触れることのできる仕合せを得て、心から感謝しています。

  • 長谷川裕一『マップス 愛蔵版』第1巻 (Flex Comix) 東京:ソフトバンククリエイティブ,2008年。
  • 長谷川裕一『マップス 愛蔵版』第2巻 (Flex Comix) 東京:ソフトバンククリエイティブ,2008年。
  • 長谷川裕一『マップス 愛蔵版』第3巻 (Flex Comix) 東京:ソフトバンククリエイティブ,2009年。
  • 長谷川裕一『マップス 愛蔵版』第4巻 (Flex Comix) 東京:ソフトバンククリエイティブ,2009年。
  • 長谷川裕一『マップス 愛蔵版』第5巻 (Flex Comix) 東京:ソフトバンククリエイティブ,2009年。
  • 長谷川裕一『マップス 愛蔵版』第6巻 (Flex Comix) 東京:ソフトバンククリエイティブ,2009年。

2008年12月15日月曜日

KOKUYO 領収証A6ヨコ型ヨコ書き ウケ-1036

 頼まれていた仕事を仕上げたのは、まだ夏の暑さが残るころ。さあ後は支払いだけだ、と思いながら年末まで放置する私というやつは、どれだけものぐさであるというのでしょう。ですが、さすがに年末。いくらなんでもそろそろ集金せねばなるまい。私だってそうそう余裕があるわけでもないし、それ以上に向こうさんにも申し訳が立たない。それにそもそも師走といえば、集金の季節と決っております。といったわけで、領収証なぞ買ってきました。いやね、領収証を用意してね、といわれていたものですから。そうか今までは向こうが用意してくれた領収証に住所名前を書いて判子を押してというようなことしてたけど、実際の取引においては支払いを受ける側が領収証を用意するのが当然だよなあ。当たり前のことに今さら気付いて、生れてはじめてのMy 領収証を持つこととなったのでした。

領収証を買いにいくとき、できればちょっと凝ったもの、一味ちがうものが欲しいなあ、みたいなことを考えていたのでした。それこそ文房具探偵山口由美子氏よろしく、英文領収証なんかをぱっと取り出して、ぱっと切ったらかっこいい? なんて思ったものの、いった店には普通の和文の領収証しかなかったので、じゃあまあこれでいいやと普通の領収証を買ってきました。

買ったものはKOKUYOの領収証、A6サイズの80枚入りです。最後まで迷ったのが同じくKOKUYOの小切手判で、こちらはよく目にするサイズ、収入印紙を貼る場所についても指定があるし、こちらがいいかなあ、と思いながらA6に決めたのでした。決めた理由はコストパフォーマンス。小切手判が168円で50枚入りなのに対して、A6ヨコ型は同額で80枚入ってる! わお、ちょっと安いじゃん!

とか微妙にけちくさいこといってますけど、残る79枚はいつ使うのでしょうね。もっと仕事増やすべきなんだろうなあ。どなたか仕事ください。

領収証は買った。じゃあ次は収入印紙、ってことで、たしか職場の売店で印紙売ってたから、明日にでも買っておこう。といいながら、忘れるのが私という人間です。とにかく支払いを受けた時点で、印紙を貼って、判子も突いておかないといかんわけだから、買い忘れましたじゃすみません。あ、そういえば、うちに二百円の印紙ってなかったかな。子供のころ、切手に似て切手じゃない印紙を見て、これなんだと親にたずねた記憶があります。でも、まあ、ここは買う方向で。そして、もし買い忘れたときには家捜しをするということでいこうかと思います。

2008年12月14日日曜日

Natural — 身も心も

 Windowsの動作するノートPCだって持っているのに、Macintosh上でWindowsアプリを動かす互換レイヤー、CrossOver Macを試してみたり、また最近も、Macintosh上でWindowsマシンを仮想的に動かすVirtualBoxを試してみたり、はたしてそれはなにゆえなのか、といわれれば、答えはひとつ。どうしてもWindows 9x環境が必要だったからに他なりません。Windows NT系OS上では動作しないゲームを持っていて、それをどうしても動かしたかったのですね。それはなにかというと、フェアリーテールから出ていた『Natural — 身も心も』であります。実は、これは私のはじめて買ったPCゲームでありまして、とにかくこれを遊びたい一心でWindows 98ノートを調達した、それくらいに思い入れのあるゲームであるのですね。そういえば、私がWindowsノートを購入したのもゲームがきっかけでしたっけ。つくづくゲームがPC導入の原動力であることがわかります。

『Natural』が新しいWindowsでは動かないというのは、ゲームのシステムプログラム、ADVWin16が、Windows 2000以降のプラットフォームでは動作しないからであったのでした。しかし、いくらなんでもシステムプログラムが16ビットだから動かないってことはないだろう。それは私も思ったことですし、またまわりからもいわれたことであるのですが、しかし動かないっていうんだからしかたありません。もしかしたら、別のゲームから新しいシステムプログラム、ADVWin32を持ってきたら動くんではないだろうか、そんなことを思ったりもしましたが、そういった報告例は残念ながら見付からず、自然私は『Natural』の動作する環境、Windows 95の確保にやっきになったのでした。

残念ながら私は満足にWindows 95を動かすことはかないませんでしたが、Windows XPで動作する『Natural』がDL販売されていることを知ってですね、アレルヤ! これで旧環境を確保する理由がなくなったとばかりに、仮想化ソフトウェアからも互換レイヤーからも手をひいたのでありました。もちろん『Natural』XP対応版はすでに購入済。ダウンロードは二日遅れて本日おこないました。そしてインストール。すぐさまゲームを開始してみたら、なんとBGMが鳴らない。あれー、と思ったら、Windows Media Audioのドライバをインストールしていなかったからでした。ドライバをインストールしてやったら、無事BGMも鳴るようになりまして、よかった、いや、しかし懐かしいなあ。

『Natural』の発売されたのは、1998年2月6日のことであったのだそうですね。今から十年も前のこと。私の購入はさらにこれより遅れて、2001年1月9日に発注して、2月1日に入手しています。その直後の感想が残っていたのですが、それによると、どうもあわなかったみたいですよ。なにしろ男性優位のゲーム、自分の部屋に転がりこんできた女の子、千歳をあれやこれやと支配する、そんなところもあるゲームですから、そういうところに拒否を示したのだろうなあ。今から振り返るとなんとナイーブなことか、と驚いてしまいますが、基本的にこの性質は今も変わっていないようですよ。しかし、なのに、今では『Natural』が好きだといっている。それはいったいなぜなのか、なぜなんでしょうね。

それは結局は、ヒロイン千歳の可憐さと、そのゲームの行き着く先、エンディングへ向かう流れにあるのではないかと思うのですね。攻略対象は千歳を含めて四人いるのですが、中でも千歳は別格です。臨時講師として訪れた学校で、かつての恋人の妹と再会する。それが千歳。千歳はこのまま主人公のうちに転がりこんできて、それからゲーム終了までの一ヶ月間、千歳との蜜月関係が続きます。千歳が別格であるというのは、自宅でも一緒、学校にいっても会える、そうした設定であるため、いたるところで行為になだれこむことができる。というわけで、シチュエーションもバリエーションも実に豊富で、そして主人公は千歳を行為を通して支配していこうとするのですね。

そうした、支配に及ぶ可能性、それが見え隠れしたところに、当時の私は嫌悪を感じてしまったのでしょう。それこそ、最終的に隷属状態にまで持ちこむことができる、そんなゲームです。でも、できるからといって好き勝手に振る舞っていたら、それなりのエンドにしか辿りつけないんですね。千歳に去られてしまう、主人公は心に空白を残したまま、同じ過ちを繰り返すことになる。そうしたわびしさの残るエンドは、私の最初に感じた嫌悪をうまく受け止めて、そして私は納得してしまったのです。ああ、そういう仕掛けなのか。そして私は、千歳とのハッピーエンドを迎えるべく、再度プレイし始めた。そうしたことを思いだします。

私がこのゲームをプレイしたいと思ったのは、たまたま見たイベントグラフィックのためでした。海外のオタクが、画像を勝手に公開していたんですね。しかしこれは私にとってはよかったのだと思います。その画像に見付けた女の子の可愛さに射すくめられたようになって、ずっと記憶のどこかに残して、そしてついにその出典を知って、あの時は嬉しかった。だから、結局は私は、千歳にはじめっから支配されていたってことなのだと思います。活発な女の子、ボク少女、激辛カレー、主人公の呼称はお兄ちゃん。そのどれもが懐かしい。自分の好みからははずれているはずなのに、少しも気にならなかった。それはつまりは、私が千歳にすっかりまいってしまっていた、そういうことなのかも知れない — 、それこそ意思やなにかの及ぶ話ではなかったってことなのだと思います。

2008年12月13日土曜日

Dear Friends IV

 私は岩崎宏美が好きで、というのは、前にもいってましたよね。『聖母たちのララバイ』、子供の時分、この歌が好きで、また歌っている人、岩崎宏美にも憧れていた、そんな話でしたっけ。そして今、岩崎宏美熱、再燃です。NHKの歌謡ショーでこの人の歌を聴いて、ああ、やっぱり素敵だと思って、Blogに書くために、『聖母』のはいっているアルバムを調べていたら、もうなんだか堪らなくなってしまって、PRAHA買ってしまって、しかもDVD付きの限定版。で、DVD見たら、岩崎さんがもうお美しくて、素敵で、可愛くて。堪らんね。かくしてその勢いのままに、Dear Friends IVも買っちゃったってわけです。

Dear Friendsはカバーアルバム、すなわち岩崎宏美が他アーティストの持ち歌を歌うという、そんな趣向であるのですね。この度、私が買ったのはDear Friends IVだから、その四枚目。しかし、それがもう素晴しい。たくさんある歌から、特にこれというものをピックアップしていらっしゃるのでしょう。耳に馴染みのある曲、有名曲から定番、名曲といえるようなものまで実に多彩で、またそれを歌う岩崎宏美のうまいこと。この人が上手というのは、いまさらいうまでもないことでありますが、それでもいわずにはいられないほどに上手。全体に落ち着いたテンポで歌われる、そのどれもがまた新しい魅力を引き出されて、それは曲の魅力と岩崎宏美の魅力との相乗作用によるものなのでしょう。聴き覚えのあるという程度だった歌は好きに、好きだった歌はより好きに、こんな具合にどれもが好きのランクを上げた。それくらいに魅力的なのであります。

私がこのアルバムを買おうと思った、そのきっかけとなった曲は、『飾りじゃないのよ涙は』でありました。ご存じ、中森明菜の歌う名曲、作詞作曲は井上陽水であります。これを岩崎宏美が歌っている、その歌唱を試聴してみてですね、フルで聴きたい! そういう気持ちが抑えられないほどに高まったのです。

このアルバムでカバーされた歌は比較的新しいものが多くて、1980年代のものは二曲だけ。テレサ・テンの『別れの予感』と『飾りじゃないのよ涙は』であるのですが、十代のころの私が、テレビの歌番組で耳にして、いい歌だな、かっこいいなあと思っていた、その記憶を呼び覚まされたようなのですね。覚えようとしたこともない、きちんと歌おうとしたこともない、けれどちょっとくらいならくちずさめる、そういう懐しい歌。人が、歌に、音楽に呼び起こされるもの、それは音楽そのものの魅力であるのはもちろんですが、それと同時に、昔、その歌を耳にしていた時代の思い出でもあるのでしょうね。このアルバムは、そうした昔を思い出すきっかけとなって、そしてまた今、この時間を、新たに思い出として刻む、そのよすがとなろうとしています。今の、こうして文字を打っていること、母が気に入って、台所に小さなCDラジカセ持ち込んで聴いている、そうしたことを、いつか思い出す日がくる。懐しく、そして愛おしく、今の日々を思い出す、その時にはきっと岩崎宏美の歌声は優しく私の心に触れて、なによりの慰めとなってくれることでしょう。

2008年12月12日金曜日

ゾンビロマンチシズム

 新しい雑誌に出会うということは、これまで知らずにいたものに知り合えるということでもある。そんなことを思うのは、『コミックエール』で初めて知った漫画家が結構あったからなんですね。しかも結構なヒットと申しますか、好みである、気になる作風である、思わず既刊の有無をチェックしてしまったりしましてね、こうして新たに触れた世界が、さらに世界を広げるきっかけとなるのもよくある話です。新しいなにかに出会ったことがきっかけで、また別の違うなにかを知る。結局、人間っていうのはこうしたことの繰り返しでものを知っていくのかな、そんなことを考えたりもするのでした。

さて、本日12日は『コミックエール』と『まんがタイムきららフォワード』のコミックの発売日であります。雑誌掲載時に気になってしかたのなかった睦月のぞみの漫画が単行本になるということで、ちょっと楽しみにしていたのでした。そのタイトルは、『ゾンビロマンチシズム』。この、奇でもてらったのか、異質なことばをふたつ繋げてみたとでもいわんがばかりのタイトル。そのインパクトはなかなかのもので、そして実際、雑誌に掲載されていたときの異質さ、それもまたなかなかに忘れがたいものでありました。

この人の漫画を意識した最初は、『人斬り恋愛ロジック』でした。辻斬り女子高生に出会った主人公が、命惜しさに起死回生の告白をしてしまうという、衝撃の幕開き。のっけからとばしすぎだ! と思ったのですが、これがまあ気になること気になること、もう先を読まないではおられん気持ちになって、それで話を先に進めたら、その辻斬り女子高生が可愛いんです。まいったなあ。日本刀、長髪、長身、スレンダー。凛々しさの中に、かすかに照れをにじませる、その様がもうどうしようもないほど可愛らしくて、これはたまらんなあ。主人公ならずとも、引き付けられるのも無理ないわ。それほどに魅力的、でもそれだからこそ、辻斬りしているという設定に心がかき乱されるというのですね。

でも、だからこそ、あの展開にはちょっと参りました。えーっ、こうくるの!? ていうか、そりゃないよ、すっかりコメディ、喜劇じゃないか! って、まあいうまでもなく最初からコメディだったんですが、でもそうした喜劇的落差に腰砕けになったところに、再度ちょっとシリアスな心の揺れ動きをもってくるから、変にしんみりしちゃいましてね、なんだか面白くも気になる漫画だったなあ。そんな風に思ってしまったんです。

この後に始まったのが、ゾンビものの連作でした。「リサイクリング・ビューティー」、そして「ゾンビロマンチシズム」。それにしても、なぜゾンビなんだ。疑問は疑問ですが、でもこの作者はエキセントリックが売りみたいだから、これはこれで面白そうだ、そんな風に思えたくらいには、馴染んでいたのでしょう。そして、実際面白かったと思います。ゾンビとの共存が実現した社会。その異様で異質な社会構造もエキセントリックですが、そこに恋愛がからむところもまたエキセントリックで、そして主人公がエキセントリック。変人さ加減では、「ゾンビロマンチシズム」のヒロインが頭ひとつふたつ抜けていました。恐ろしく自己完結した、そんな印象のあるヒロインには変にいらいらさせられるかも知れません、それに男の煮えきらない態度、そこにもいらいらするかも知れない。でも、その行きつ戻りつする心の弱さやらままならなさが、コメディにひと色添えていたように感じたのも事実でした。時におかしみを付加し、そしてせつなさやちょっとほろりとくるような感情のうるおい、そうしたものも付加して、ああ恋愛ってやつは滑稽で、しかしなかなかに悪くないものだねと、そんな思いにたどりつく、紆余曲折含めての道のりが面白かったのでした。

漫画としての表現しかたについては、少し生硬なところも感じないではないのだけれど、けれどそれを上回って興味をそそらせるものがある、なんか気になって仕方のない、そんなところがある、実に不思議なあるいは妙な作風だと思います。それは結局はエキセントリックであるというところに落ち着くのかも知れませんが、でもそれは目立ちたがりが奇をてらった結果ではなく、ただ単純に着眼点がすごく独自なのだろうなと思わせるような素直さを持った独特であるのです。そしてそうした特性は、多かれ少なかれ、登場人物みなが持っていて、だからなんでしょうね、紆余曲折ありながらも、最後にはまっすぐに向かいあうのは。そうした幕切れに、私は変に心が動いて、やっぱりなんだか気になる漫画だなって思うのです。

  • 睦月のぞみ『ゾンビロマンチシズム』(まんがタイムKRコミックス エールシリーズ) 東京:芳文社,2008年。

2008年12月11日木曜日

百合星人ナオコサン

  昨日は待ちに待った『百合星人ナオコサン』第2巻の発売日。ですが、発売当日の入手はかなわず、一日遅れでの購入と相成りました。しかし、『ナオコサン』、これは素晴しいですね。なにが素晴しいといっても、アヤコサン、ああ、この人は、百合星人であるナオコサンをライバル視しているヤオイ星人なんですが、ホンモノだぞー がおーって、どんだけ可愛いんだこの人。しかも魅力はこれだけにとどまらない。あちらこちらでアルバイト。自宅においては、よれよれTシャツにはんてん姿でBL原稿に向っているというのですから、なんという理想的なお姉さんでしょう。眼鏡、長髪、長身、スレンダー。お出かけ時にはエレガントなお召し物も艶やかに。けれど普段人に見せている強気な素振りとはうらはらに、人恋しさに寂しさ覚えることもある — 、そんなところも可憐で素敵、本当に素晴しいお姉さんであると思います。

といった風に、アヤコサン大好きな私ですが、主役はといえばやっぱりナオコサンです。百合星からやってきた、地球の百合化をもくろむ宇宙人であるはずなのですが、しかしその目的がはたされる日はくるのか、ひたすらに疑問です。だってこの人、百合だなんていうわりには、圧倒的にようじょ優位の言動が目立ちます。一説には、子供相手に百合の浸透を図っているのだから、これでいいのだそうですが、いや、しかし、本当かなあ。そんな疑問も湧いてくるのですね。

『ナオコサン』は、1巻が出てからもう二年がたっているのですね。正直、あっという間の二年でした。久しぶりに触れる『ナオコサン』は思った以上にまっとうなストーリーを描いていて、ちょっと驚くくらい。毎回の短いエピソードに、主にナオコサンが持ち込むナンセンスな表現がこれでもかと詰め込まれる、そんな感触さえあるというのに、緩やかに話は繋がり進んでいく。その印象は不思議の一言です。おかしみ以外になにも残さない、そんなふりをしていますが、実際には叙情的で、センチメンタルな気質もある漫画。時に少しメランコリック、けれど感情に強くは訴えない。静かに跡を残して消える、そんな色合いが独特で素敵だなと、そう思う私はすっかりkashmirの世界観に取り込まれているのかも知れません。

さて、遥かなる叙情が心の奥に埋ずもれた遠い日の思い出を刺戟する本編から離れまして、2巻初回限定版に付いてきたおまけ、YURICLOCK、じゃないや、LOLICLOCKについて少々。

これ、いわゆるデスクトップアクセサリであるのですが、なんと嬉しいことに、Macintoshでも動作するのですよ。なので、早速実行してみたのですが、時計として常用するのはちと厳しい、そんなアプリケーションでありました。というのもですね、バレーボールの得点を表示する幕がありますが、ああいうの使ってプロ幼女が時間を案内してくれる。三人いる幼女のうち、一人が表示幕をめくる係で、もう一人は木琴で時報を叩く係で、そして残る一人はステージ中央で踊っている。このナンセンス。ちょっとすごい。これは家族には見せられない。のはいいとしても、木琴の音が結構大きくて、だから日常使いにはしにくいのですね。もちろんミュートもできるのですが、音を消したら面白くないでしょう。極力、音は出す方向で頑張りたい。となると、やっぱり常用はしにくいというような結論になってしまうんですね。

しかし、この木琴の音がいいんですよ。あんないい音する木琴、ひとつ欲しいな。そう思うくらいいい音。そして、青い名札の娘さん。ちょっと気に入りました。

  • kashmir『百合星人ナオコサン』第1巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2007年。
  • kashmir『百合星人ナオコサン』第1巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,初回限定版,2006年。
  • kashmir『百合星人ナオコサン』第2巻 (電撃コミックス) 東京:アスキー・メディアワークス,初回限定版,2008年。
  • 以下続刊

引用

  • kashmir『百合星人ナオコサン』第2巻 (東京:アスキー・メディアワークス,初回限定版,2008年),12頁。

2008年12月10日水曜日

PILOT ペイントマーカー

 私の受講しているPILOTのペン習字通信講座は、万年筆やボールペンだけでなく、油性マーカーを用いる課題も用意していまして、この十二月がその掲示文課題であるのですね。なので、早速油性ペンを用意しまして書き始めているのですが、なにしろ日頃使い慣れない筆記具、サイズもずっと大きいときたものですから、どう書いたものかさっぱりわかりません。用紙サイズはB4に指定されていて、だから紙も買ってこなきゃならないなあ、なんて思っているのですが、まあそれはもう少し先の話です。

さて、今回とりあげますのは、掲示文の課題に使っているペンです。PILOTのペイントマーカー。これを選んだのは、いつも文具買っている店、梅田の紀伊國屋書店なんですが、そこにあった油性マーカーがこれだったから。実にわかりやすい、実にいいかげんな理由です。いや、油性ペンならたくさんあったのですよ。太字から細字まで各色取り揃えて、それはもう目移りするほど。ですが、ここはPILOTのペンを選びたい。なんといってもPILOTの講座ですからね。なんていいながら、ボールペン課題は三菱鉛筆のJETSTREAMで書いたんですどね。まあ、そのへんはあんまり気にしない方向でお願いします。

最初探したのは、同じくPILOTの油性ペン、油性マーカーの中字であったのですが、これがなかったのでペイントマーカーにしたのでした。なぜ油性マーカーを探したのかというと、PILOTペン習字通信講座の機関誌、わかくさ通信に紹介されていたのがこれだったからなんですね。私は普段、マーカーを使いません。だから全然詳しくない。しかも、万年筆やボールペンと違い、マニアもそうそういないらしく、なかなか情報が出てこない。そういう場合は、おすすめに従うのが一番でしょう。というわけで、PILOTの油性マーカー。でもそれが店になかったので、ペイントマーカー。実にわかりやすい思考の流れであります。

ペイントマーカーは、購入直後にはペン先、チップにインクが浸透しておらず、なので数回振ってからペン先を紙面に押し付けてやる必要がありました。ペイントマーカーってこんななんですね。新品の油性ペン、それも中字以上なんて、本当に使ったことがないから、こんな基本的な約束事項も知らないのであります。

振って押し付けて、そうするとペン先がへっこむのですが、それを二三回も繰り返すとインクが出てくるようになりまして、こうなるともうすらすらと書けますね。マーカーについてもインクの出を云々するかどうか、ちょっとわからないのですが、たっぷりとしたインク出、書いているうちにだんだん楽しくなってくるほどでした。

なにが楽しいといっても、ペンを運ぶ速度を変えることで、線の硬軟を調整できるのですね。ちょっとした毛筆気分とでもいいましょうか。毛筆ほど難しくはなく、それっぽい線を引ける。これは楽しい。無駄にいろいろ試し書きして、そうしたら溶剤の匂いがすごくて、面白いんだけど、この匂いはちょっときついなあ。

字を書くということは、字を知り、そして道具の使い方に通ずるということであろうかと思います。なので、もう少しいろいろ書いて、マーカーという道具に慣れようと思います。なので、まずはちらしの裏、比喩じゃなんかでなくて、に思いつくままいろいろ書いている次第です。

2008年12月9日火曜日

ユッカ

 先日、書店に買い出しにいったら、新刊の棚に思いがけない祥人の新作を見付けて、当然のごとく買うのです。タイトルは『ユッカ』。表紙のイラストを見れば、この夏に最終巻の出た『日がな半日ゲーム部暮らし』に出ていたキャラクター、雪華の面影が見てとれて、もしかしたら『日がな半日』のスピンオフかなにかなのかなと、そんな期待もちょっとあって、読むのがすごく楽しみであったのでした。そして、読んでみて、違った。残念! 残念というのは、それだけ『日がな半日』が好きだったってことなんですが、あの漫画の、どこか優しげな雰囲気、本当に好きだったんですよね。みんな前むきで、いい子ばかりなんだけれど、どこかに危うげなところを隠していて、それが不思議といじらしかった、そしてそれがなおさら愛おしくさせたと、そんな風に思っています。

そして、新作『ユッカ』。読んでみて、ヒロインユッカが雪華に似ているというのは、実際のところそのとおり、雪華をモデル、下敷きとしたキャラクターであったのだそうです。でも、それは最初だけ。次第にユッカは雪華とは違っていって、独特のキャラクターとして振る舞うようになっていった。そのあたりは、作者ならずも、おぼろげながら感じるところがあって、確かに面影こそはあれど、違う人なのだ。そう思わせるところ、大いにあったのでした。

しかし、この漫画の印象は『日がな半日』とは随分違っていて、なにが一番違うかというと、おっさん色がかなり強めなんですね。登場人物は、ゲームのために仕事をやめたというお父さん、早良博明。まずその設定からして駄目な大人って感じですが、ここに負けず劣らず駄目な匂いをさせる甥っこ、大学生の春告君が加わって、このふたりがふたりして、コアなゲームトークを繰り広げるものだから、もうおかしくて。お父さんにはあずねちゃんという小学生の娘さんがあるのですが、よくわからないことをいっているこの大人ふたりに対して、不審がるというか、心配しているというか、そういう様がなおさらおかしさを醸し出しているように思うんですね。

以上の三人が、この漫画の基本となる登場人物。そこに突然やってきたのが、タイトル・ロールであるユッカ・クマゴマでした。謎の美女の登場、しかし謎をはらみながらも、ネタはゲームに落ちていって、やっぱりこのあたりはゲーム四コマであるという所以でしょう。しかし、謎が謎を呼ぶ展開はとどまるところを知らず、ふたり目の謎の美女、屋形原京子が現われたかと思えば、早良家に入り浸ってゲーム三昧。なんなんだろうなあと、苦笑しながら面白がっていたら、だんだんにそんな笑いごとではすまされなさそうな、シリアスっぽい展開がじわじわ日常ゲーム四コマを侵食していって、うわあ、これ、なんか、事前に想像していた以上にすごそうだぞ。もっと、お気楽なノリで進行するものだとばかり思ってた。それが、こうくるか!

作者、コメントにて曰く、連載は30話近くまで回を重ねているのだそうですが、この第1巻に収録されているのは、第8話まで。つまり、後二三冊くらいは軽く出せるほどの分量が控えているってことですよ。それを知ったら、もう早く先を読みたくなって仕方がなくなって、いや、本当に、早く出てくれないものかなあって思っています。けど、同じく作者曰く、そんなに話が動いているわけでもないようだから、そんなにがつがつして先を心待ちにすることはないのかも知れません。とはいってもなあ。やっぱり先が気になる、その気持ちを押さえるのはちょっと難しそうでありますよ。

  • 祥人『ユッカ』(電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2008年。
  • 以下続刊(きっと)

2008年12月8日月曜日

ネコ式生活

  四コマ漫画もだんだんに高度化、複雑化する中、『ネコ式生活』はシンプルにシンプルを重ねたような構成で、登場人物は猫三匹と飼い主の夫婦。ストーリーも感動的もりあげもない、ただただエピソードを積み重ねていくというスタイルが読みやすく、わかりやすく、そして面白いのですね。描かれるのは、猫のいる生活。ですがその猫が、三匹ともにむやみやたらと個性的で、もう見ていて笑いが止まらなくって困ります。積み上げられるエピソード、その畳み掛けが容赦なくて、腹の皮がよじれるとはまさにこのことかと思うくらいに笑わされる。猫の漫画のはずなのに、そんじょそこらのギャグ漫画よりもずっと面白いのだから恐れ入ります。というか、間違っても電車の中、衆人環視の中で読めない漫画。だって笑っちゃいますから。絶対笑っちゃいますから。

以前、この漫画を実録と勘違いしていたなんていっていましたが、登場する猫たちのそれっぽさは妙にリアルで、モデルかなんかいるのかなあ、そんなことを思ってしまうくらいです。それぞれの猫の個性は、非常に独特で、普通の猫らしくないなんて思うほどであるけれど、でも同時にこんな猫もいるかも知れないと思わせる、そんなところがあるのですね。だから、モデルがいるんじゃないかと思ってしまう。ですが、もし作者が三匹の猫を、まったくのゼロから性格や行動を決めて、作り出したというのなら、それこそ本当かと、そいつはすごいなと、よけいに驚いてしまいそう。それほどに、どこかにいそうという感じがあふれているものですから、これが全部想像なんですよなんてなったほうが、よっぽど現実的ではないと思うんじゃないかというのですね。

けれど、もしニャソさんやムームーさん、ガッツが現実に存在するとなったら、それはそれで驚き、見てみたい、一体全体、あの爆笑の猫たちの現実とはいかなるものか、可能ならば体験してみたい、それほどに興味津々です。ですが、多分現実にはあれほどに面白くはない、それこそ普通の面白さに留まるくらいなんじゃないかなあって思う節もあるのですね。つまり、作者の見せ方、演出のうまさもあるってことです。猫はそれぞれに個性的で、実際猫の普通からも外れるところがあるように描かれていますけれど、でも個性的なペットっていうのは多かれ少なかれいるわけです。実際この漫画の猫たちも、三匹が三匹それぞれに違った個性を持っているから、それぞれの特質が際立つともいえるわけで、もしこれが一匹二匹だったらここまで面白かったかなあ、なんていうけど、ガッツ一匹でかなり破壊力あるからなあ。

どこにでもいる、どこにでもある話とはいわないけれど、特別に珍しいほどではない、それくらいのエピソードだから、そこにリアルを感じるのかと思います。しかし、その出来事をことさらに面白く描いてしまう技術、構成力があるから、面白さは爆発的に増大して、読むほどに笑いが止まらなくなるのです。きっと明日腹筋が厳しいことになるのだろうなあ。腹筋を鍛えるにもよさそうな漫画、それくらいに笑ってしまうんですね。

  • めで鯛『ネコ式生活』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • めで鯛『ネコ式生活』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年12月7日日曜日

CASIO EXILIM Hi-ZOOM EX-V8

 YouTubeが、JASRACと音楽著作権の二次利用に関する包括許諾契約を締結したら、動画をアップロードするんだ……、なんていって、動画の撮れるカメラを買ったのはいつのことだったでしょうか。ええと、購入したのは11月の6日でした。しかし、それ以降、まったくといっていいほど撮影する機会を持てず、それはなぜかというと、風邪をひいたり、風邪をひいたりしたためなのですが、いやあ、まさかひと月に二回風邪をひくだなんて、思いもしませんでした。といったわけで、今日、録画してみたのです。場所は玄関入ったところの廊下。なんでそんなところ!? ここが我が家で一番響きがいいところなんですよ。風呂場もかなり響きますが、水を使う場所にギターを持ち込むのはさすがにいやです。となると玄関かなと思ったわけです。

撮影は夕方、5時になろうとする少し前でした。今の季節は日の落ちるのもはやいし、そもそもうちの玄関は北向きだしで、光量は不足気味でした。なので、玄関の明かりをつけ、廊下の明かりもつけて、光量不足を補います。その状況で撮ってみたところ、まあ問題ないかなあと、画質にちっともこだわりのない私は思いました。いや、本当に画質はどうでもいいと思っているので、というと言い過ぎですが、動画の質に関して詳しくない私には、これで充分、結構撮れてるじゃんかと思ったくらいによく撮れていました。

次いで問題となるのは音質ですね。音に関しては、さほど期待はできないといっていました。ステレオで撮れるとはいうものの、左右のマイクはほとんどくっついているから、音の分離感もほとんど感じられません。おそらく、モノラルより多少ましというくらいかと思う程度でしょう。ただ、結構遠くの音も拾う、人間の耳に聞こえるものならまず間違いなく拾って、というのは以前もいったとおりですね。

今回の録画に関していいますと、私(音源)とカメラの距離は、目測で二メートルいかないくらいだと思うのですが、これくらいの距離だと、結構びりびりと音が割れてしまっているんですね。私の、それほどパワーのあるわけではない声量で割れる。まいったなとは思うけれど、まあこれは仕方がない。これ以上を求めるなら、カメラ本体のマイクを使わず、別録りして、編集時にあわせろという話でしょう。で、そこまでするのは正直めんどうくさい。なら、ある程度の妥協は必要になろうかと思います。

しかし、ビデオを編集している(といっても、必要な部分だけ切り出して、ノーマライズするくらいだけど)際には気になったノイズですが、実際に公開してみればそれほどは気になりません。むしろ自分のへぼさの方がずっと重要で、なんというか、もう寝込みそうだよ! 録音したあとはいつだってそうなんだけれど、がっかりする。いやになる。もう、おうちにかえりたい、って、ずっと自宅にいるんですが、ショックのあまり衝動的に窓から飛び降りたくなるくらい。今いるのは一階だから、庭に出ちゃうだけなんですが。あーもう、なんてこったい。

といったわけで、動画はここには紹介しません(ひでえ)。いや、もう、今日はこれから寝込みます。

2008年12月6日土曜日

すいーとるーむ?

  どんだけ、永井君は夢見がちなんだろう。彼は職場の先輩、ゆかりさんに憧れて、あれやこれやと夢見るけれど、今までがそうだったように、その夢は打ち砕かれる運命にあるってことを、まったくもってわかっていません。でも、夢っていうのはそういうものなのかもなあ。我が身を振り返ってみても、そんな気がします。つまり私も、それなりに夢見がちであったということなのですね。これまで、職場で、学校で、素敵な先輩、魅力的な同期、可愛い後輩に夢を見てきた、出会ったばかりの人にさえ夢を見てきた。けれど、そうした夢は永井君の夢同様儚く消えると相場は決まっていて、それゆえ永井君の気持ちもよくわかるってもんさ。多分この気持ち、かつて男子だった人ならわかってくれると思う。いや、女子でもきっとわかると思いますけどね。

それはいわば下心。下心あれば水心、といかないのが世の常とはいいましても、それにしても永井君の思いの通じなさは半端でなく、それはきっと、彼のレベルが、まわりの人たちのレベルに達していないからなんだろうなあと思うんですね。なにしろ彼の周囲の女性陣は個性的すぎます。通勤嫌い、外出嫌いが高じて会社に住まうようになった先輩がいる。見た目はすごく優しげで落ち着いた風に見えるのに、中身は結構シビアで容赦ない人もいる。元社員の強みをいかして、凶悪な値引きを迫ってくる人もいれば、三人組でこれまた凶悪な売り込みをかけてくるのもいる。いやあ、しかし華やかな毎日でうらやましいよ。なにぶん私の職場は男の職場、課に女性はひとりもおらず、仕方がないから男性社員間でセクハラしあう毎日です。

閑話休題。永井君を見ていると、ああ男というのは浅はかだなあと思ってしまうんですね。きれいなお姉さんが笑顔で話しかけてくれるだけで、勝手に勘違いして、そんな気になって、そしてうまく使われてしまう。でもこういうことは現実にもあるんだと思うんです。だって私がそうだもの。視線が胸元に向かってしまうというのもよくわかります。私にも幸い理性があるから、必死で押しとどめようと努力はするけれど、いやはや古い脳に刻まれた習性というものはおそろしい、なかなかに理性だけでは御せない。だからこそ、永井君の気持ちもわかるっていうんですね。

『すいーとるーむ?』の面白さは、その永井君の底の浅い、いやちょっと言い換えよう、まっすぐで素直なところあってのものだなあ、そんな風に思っています。憧れのゆかりさんがいて、美好さん、塩田さんがいて、そしてセールス三人娘がいて、この人たちの活躍、個性は、永井君と関わることによってより一層によく引き出されて、いわば永井君は触媒みたいなものですね。いかにもちょろそうな永井君に迫る魔手、それはお決まりのパターンにはまるのだけど、そこまでにバリエーションがあって、今度はどうアプローチしてくるんだろうという面白さ。またゆかりさん、美好さんの、友好的な人たちにしても、永井君の勝手な期待が肩透かしを喰らう、それもまた勝手に外しているだけなんですが、そうした関わりの中で表現される、彼女らの個性。それが素敵です。

ただ、ゆかりさんに関してだけはやはりヒロインであるというべきか、永井君を離れた個別エピソードも豊富で、この人のとにかく外に出たくないという性質に発するネタもパターンの中にバリエーションを持って広がり、面白いのですね。基本的に固定された人間関係、性格、舞台で展開されるから、そんなに大きくパターンを外れることのない漫画ですが、それでも飽きることなく読めるのはその描き方、バリエーション、そして期待させるその見せ方であると思います。きっとこうだ、きっとこうなると思わせる部分がある。そうかと思えば、これでどう展開していくのだろうという部分も用意して、パターンと意外性の面白さが合わさっている、そんな風に感じるのですね。そして、そこにはキャラクターの個性というものも少なからず関わっていて、けれどそれもキャラクター頼りではなくて、そのバランスもまたよいと、そんな風に思っています。

ところで、永井君のベストショットは、靴下を取りだすべく洗濯槽に手を突っ込んだあのコマだと思います。その躊躇のなさ、迷いの消えた表情には、決断する男の凛々しさが充ち満ちていたと思います。本当にかっこうよかった。ただ、惜しむらくは、そのシチュエーション。その決断力、男前は、もっと違ったところで出せよ! こうしたギャップが本当にたまらない漫画です。

  • 東屋めめ『すいーとるーむ?』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 東屋めめ『すいーとるーむ?』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年12月5日金曜日

とらぶるクリック!!

 つい最近、『とらぶるクリック!!』についてなんか書いたような気もするけど、気にせず今日も『とらぶるクリック!!』です。いやね、あんまりに大貧民に偏った内容だったので、いかがなものかと思いまして。そして、今回書こうと思うのは、前回少しだけ触れた桃乃についてです。

杏珠たち下級生グループとは一線を引いているようにも見える桃乃。彼女の距離がもっと縮まったらなあ。なんか今の、ひとり、輪から離れることを選んだような状態だと、ちょっとさみしそうで、そうかだからあんな惨事が……。

これを書いたあと、ずっと考えていたんです。ひとりひとりが、各々のポジションを確立していくなか、桃乃についてだけは、なにか異質と感じられてならない。その異質と感じる理由ってなんだろうって思っていたんです。

第2巻でメンバーに入ったなつメロ、榎本棗は、なにかと割を食う、運の悪い、そういったどこか報われない印象のある役どころでありましたが、第3巻中盤あたりとなると、すっかり溶け込んで、ついには杏珠と一緒になって無茶をしてしまう、そんな娘になってしまいました。いや、私はそれが嬉しいのですよ。どことなく人に距離を置いていた彼女が、今ではすっかり仲良しさんだ。いやいや、本当によかったなあ。

なつメロがあそこまで溶け込めたのは、杏珠の人好きのするキャラクターあってのことだろうと思うのですが、同時に部長、皇藤乃の存在も大きかったのかなと思ったのでした。ほら、正月初詣での回なんかですね。どことなくかたいなつメロに、もっと大らかにいこうよといいたげな藤乃、杏珠ペアのアプローチはちょっと沁みました。こうした出来事を重ねることで、棗は自分の居場所、ポジションを確固たるものにしていったのかなと。あるいは、友人との距離をつかむにいたったのかなと、そんな風に思い、そしてより素直さを増していった彼女のらしさに、ちょっとした幸いを感じるのですね。

そして、本題。桃乃であります。この人は唯一の上級生、一年生四人とは立場が違うゆえか、少し距離を保っています。この距離について、私は当初、桃乃の超越的な立場を演出するものであると思っていたのですね。一年生たちのトラブルを眺めて楽しむようなところのある人です。また積極的に、トラブルないしは騒動を演出しようという人です。その能力は高く、策謀に長け、人に有無をいわせずいうことを聞かせることのできる押しの強さを持った人。けれど、そうした特権的キャラクターであると思われたこの人は、特権的ポジションをとるがゆえにどこかさみしいと、そんな風に思えるようになってきてしまったんですね。

この人は、ほとんど参加していない、そんな風に感じられたからかと思われます。罰ゲームを設けてのゲーム大会、大貧民もそうですが、テストでの対決、PCゲームでの対戦、その他もろもろあったけれど、そのどれもに彼女は参加していない。果たしてそれは、特権位置から見下ろして楽しむがゆえ、そのようにとるか、あるいは高みから降りて輪の中に入っていく術を知らないがため、そのようにとるか、そのとりようでずいぶん印象が変わってきます。そう、私は今は、彼女のありようは後者である、そのように捉えています。

あの温泉での惨劇。あれは、結局は、先頭に立ってはしゃぐ杏珠、そして姉、藤乃に着いていくことのできなかった、彼女の引っ込み思案の裏返しであったのかな、そんな風に思えてならないのですね。第3巻描き下ろしで語られた藤乃と桃乃のエピソードですが、あの約束が結果的に姉藤乃に桃乃をロックさせてしまうことになったのだとしたら、少々皮肉です。独りぼっちのさみしさゆえに人を求めて、そして温かみを与えたのが藤乃であったとしても、それが桃乃にとってのすべてになってしまったのではちょっと浮かばれない。実際、桃乃の行動は徹頭徹尾そのように描かれて、藤乃大事、藤乃だけを見続けています。第3巻末尾のエピソード、PC部の過去、あの話はちょっと私も好きな話なのですけれど、藤乃はほうっておけない妹桃乃を守るため、部長としての存在を残した。しかしそのためか、それともそうでなくともそうだったのか、桃乃にとってPC部は部長のPC部であり続けることになってしまったのかも知れない、そう思います。

下級生たちにとってPC部は、ほかならぬ彼女たちのPC部で、藤乃もそれはわきまえています。彼女は現在はOGであり、卒業生としての立場で、現役部員たちの中に飛び込んでいっている。しかし、現在のPC部に桃乃はいないんですね。桃乃は、過去の、藤乃が部長であった時代にひとり留まっています。PC部を守るのは藤乃のPC部だから。PC部に在籍するのは、藤乃とのつながりが最も強い場だから、そう思えてなりません。

桃乃は、素直になる方法を知らないのかなあ。一歩踏み出せば、まさしく今のPC部の、濃厚で豊かな人の輪に連なることもできるのに。けれど、桃乃にとってのすべては藤乃であるから、桃乃は目の前にある温かな人たちの場を見過ごしにしてしまって、それが時に彼女を孤立的に見せてしまう。それが、私にはひたすらさみしいと感じられます。

これから先、桃乃にまつわるエピソードがどのように描かれるか、それとも描かれないまま進むのか、それはわかりません。ですが、もし桃乃が姉への執着から自由になって、自分の一歩を踏み出すことができたら、きっと彼女の世界はいっときに色を変える、そんな風に思わないではおられません。これは結局は私の願望でしかないことはわかっています。けれど、そうした思いを持ってしまうほどに、彼女らの存在は豊かに迫ってきます。たかだか漫画の、架空の人物に過ぎないのにね。けれど、それがたかだかではもうすまされない感じで、それはやっぱり彼女らの存在感の近しさ、雰囲気の温かさがためであると思うのです。

ところでだ、私は昔、よく菓子を作ったものなのですが、スコーン、あれはちょっと不評じゃった。ジャムを切らしたのが失敗でした。プレーンとココアのミックスクッキー、あれも作ったことありますよ。棒状にした生地を冷やし固めてから、ナイフで切っていくんですよね、結構手軽で簡単なんです。混ぜて、伸ばして、切って、焼くだけだから。なんの話してるかわからないという人は、『Webクリ!!』第20回をご覧ください。うん、コーヒーだっておいしーよ。

引用

2008年12月4日木曜日

とめはねっ! — 鈴里高校書道部

  ペン習字に取り組み中、昨日そんなことをいっていましたが、文字を書くということの面白さに関して、皆さんに紹介したい漫画があります。といっても、おなじみ『とめはねっ!』なんですが、高校書道部にて、筆紙硯を相手に青春を燃焼させる漫画 — 、いや、ごめん、ちょっと嘘。燃焼なんていうほどではないと思う。むしろもっと静かな情熱みたいなものがあって、書とは自分にとってどういうものであるのだろうと向き合いながら、その距離を縮めていこうとする、そんな感じが妙に気になる漫画なのであります。

しかし、第4巻を買ってみて、その縮みゆく距離というのが、人対書道だけでなくて、少年対少女という様相も見せてきたからちょっと驚きました。いやね、第3巻までも、ヒロイン望月結希に接近する男子にちょっとやきもきして見せる主人公大江縁という構図が見られましたが、第4巻ではなんと逆です。ユカリに接近する女子が出てきて、今度は望月が面白くない。心ここにあらずといった感じ、とまではいかないんだけど、掛け持ちしている柔道部で結構な成功を収めても、なんの感興も起こさない。むしろ書道に、あるいはユカリに心を引っ張られているような描写が目立って、おお、えらくボーイ・ミーツ・ガール色が強くなってきたぞと、日野ちゃんならずともちょっと色めいてしまう展開なのであります。

しかし、たとえ恋愛ものとしての色が目立って強まってきたといっても、『とめはねっ!』は書道漫画。篆刻にチャレンジし、書道の大会への出展に思い、悩み、迷い、その結果、書道というテーマにおいては、多様な字のあり方が浮かび上がり、そして彼らのドラマにおいては、青春の戸惑いといった要素が見えてくる。ふたつのテーマが同時に進行し、同時に深まるという、本当にうまいな、面白いな、そんな展開がこれを読む私の心をくすぐってやまないのですね。

青春の要素に関しては、望月の腕挫十字固なんてむしろご褒美じゃねえか! などと言い出しそうな気配があって危険なので割愛して、習字についていいますと、ふたりいる主人公格、ユカリと望月が、だんだんに自分にとっての字を書く意味に近づいていっているという、その感じがたまらなくいいのです。特に望月だと思う。字の汚いのがコンプレックスだった。字をきれいに書けるようにと思って書道を始めた。なのにその思いが果たされない。それが迷いの根本にあって、しかしちょっとした気付きを与えられて、迷いが消えた。そのプロセスが見事、しかもそこには前述の青春がしっかり入り込んでいるというのですから、やっぱりうまいなと思うのですね。

対して、ユカリ。彼の字は祖母ゆずり、それはそれは端正に書くから、まったく望月とは方向性が違っているのだけれども、しかしただただ能書への道を歩むかと思われたユカリが、思わぬところで迷い道にはまり込んで、そうなんですよね、字というものは見ていれば書けるというものではなくて、ある程度その書き方を知らないと書けないんですよね。とはいえ、ユカリのストーリーはこの巻では語られず。次巻に持ち越しであります。ええと、第5巻は、2009年初夏予定か。あと半年、ぐわあ、ちょっと待ちきれないよ! あ、そうそう。書において迷い道に入り込んだユカリですが、同時に青春における迷い道にはまり込んでいるのも面白いところで、この、ふたつのテーマが同時に進行するというところ、実に微妙で面白い。ユカリも望月も青春的要素にはとかく鈍くできているから、おおむね書道方面への取り組みがクローズアップされて、ああもう、やきもきさせられるなあ。でもそのやきもきが楽しいのだから、この展開はむしろオッケーであります。

あ、そうそう。5巻の楽しみといえば、彼らが取り組んでいた書道の大会、書の甲子園ですが、今まで意図的に隠されてきた望月の選んだ言葉、彼女のこの夏一番の感動、それが明かされるのも待ち遠しい。ユカリが書いたのは『雁塔聖教序』でありますが、その成否も気になりますが、やっぱり望月の書が楽しみです。といいながら、まさかこの書をもってこれまでの展開を小綺麗にまとめて、最終回! なんてことはないですよね。実はちょっと怖れているのであります。

いやね、なんか最近、そんなことがやたら多いからさ……。『ヤングサンデー』休刊にも負けず、『スピリッツ』移籍を果たしたくらいだから、大丈夫だと思うんですけれどもさ……。

2008年12月3日水曜日

PILOT ボーテックス

 今年の4月からはじめた、ペン習字。習っているのは、筆記具メーカーのPILOTが実施しているペン習字通信講座であります。毎月、決められた添削の課題を習い、そして級位認定課題に取り組むというシステムで、私は未だ初級に留まり、楷書に四苦八苦しております。しかし、この字というものは難しい。私はペン習字を始めるまでも、何年か毛筆を習っていましたが、なにぶん子供時分からの悪筆が身に付いておりますから、なかなか上達しないのですね。それこそ、自分の悪い癖を洗い、その上によい字をのせていくというような、二度手間しながらの手習いです。しかし遅々とした歩みであっても、多少はよくなってきているのかな。私は自分の字を上手と思ったことはないので、よくわからないのですけれど、字を習っていない人からすると、充分に上手だ、そういわれることが増えてきたように思います。

さて、PILOTのペン習字通信講座に入会すると、わかくさ通信という機関誌が送られてきます。これは毎月の級位認定課題や級位認定を伝えるだけでなく、届いた課題の添削や優秀作品の紹介、字を書く際に注意すべきポイントが示されるなど、結構充実した内容を持っています。そして、その優秀作品に私の書いたのが選ばれて、わあ驚いた。そんなことあっていいのん? というか、自分の字って無闇にでかいな……。他の人の字よりも一回りくらい大きいぞ。なんか恥ずかしいなあ。

私はあの課題を書く際に、興の字がロボットの顔っぽいなあ、もう少し具体的にいうと、トランスフォーマーの部隊マークぽいな(ほら、サイバトロンとかデストロンとかのです)って思いながら書いていたため、必要以上にごつく、かど張った字になってしまっていて、こういうところも恥ずかしいなと思うわけです。けれど、字にせよなににせよ、うまくなってから人に見せよう、そんなことを思っているうちは、上達しない、そのように思っています。とにかくやる、きっと思った以上にできてなくて、恥ずかしさも後悔も眠れないほど、だろうと思うのですが、そのハードルを越える、越えようと思う気持ちが上達を下支えするものだと思うのですね。だから私は、恥ずかしいなあって思いながらも、だったら次こそはもう少しましな字が書けるようにって思って練習することにします。

私の今年度の目標は、5級以上です。PILOTの講座における目安では、10から6級までが初級、5から1級までが中級であるのですが、すなわち今年度できっちり初級を終え、来年度は中級で習うぞ、っていっているわけです。だから今年度はきっちり基礎を習います。でも、来年度に入っても、やっぱり基礎をやるんだろうなって思います。

ああ、なんでボーテックスを紹介しているのか書いてなかった。私のペン習字に使っているのが、PILOTのボーテックスなんです。以前、内野成広氏による調製品を買った後、茶軸の太字とオレンジ軸の細字を買っています。前者には、エルバンのティーブラウンを、後者にはPILOTのブルーブラックを入れています。リーズナブルで高品質、本当にいいペンだと思いますよ。

2008年12月2日火曜日

こどもすまいる!

 『こどもすまいる!』は、見た目子供の保育士さんが、保育の仕事に奮闘する様を描いた四コマ漫画。掲載誌は『まんがタイムきらら』、ゆえにD☆V系となるのでしょうが、いやいや、見場は確かに可愛いし、萌えといっていいのか、そうした感情に訴える作りになっているのですけれど、工夫を持って保育の仕事に取り組む保育士三人の頑張る様もなかなかのものだと思うのですよ。毎回の作りは、ひとつのテーマを軸に緩やかに四コマを繋げていくという、最近の主流といえるようなものであるのですが、毎回の一番最後に添えられるおつかれさまの言葉がですね、すごくしっくりとしていい感じ、効果的に働いてほっとするのですね。漫画だから、面白く、楽しく、大げさに物事を描いて、そのせいか仕事をしているというより、一緒に遊んでいるというテイストが強く感じられるのですが、最後の一日をねぎらう言葉に触れれば、、ちょっと大人の世界に戻ってきたように感じて、ああ、お仕事ようお頑張りやしたと、そんな気持ちになるのですね。

けれど、これはカテゴリーとしてはお仕事四コマとはならない、そんな感じもして、それはいったいなぜなんだろう。職業もので保育士といったら『ゆずりは!』を思い出しますが、これは断然保育士側に視点が置かれていて(特に後半)、保育という仕事の現実を感じさせるようなところも多々あって、職業ものとしてのリアルが感じられたものでした。対して『こどもすまいる!』はというと、ずっとファンタジーに寄っていると感じられます。現実的な要素を減じ、漫画としての表現を強めているといったらいいでしょうか。本当ならあり得ない仕事ぶり、お酒とかね、そうした要素を絡めつつ、ギャグにしつつ、やり取りのおかしみを追求して、リアル路線ではない面白さを演出しています。

こうしたリアル路線から外れたところが、職業ものとしての雰囲気よりも、保育園コメディとしての色合いを強めさせているのだと思います。そして、これがなにより重要なことだと考えるのですが、そうしたコメディが面白いんですね。この漫画は、割にくっきりと四コマ単位で落ちを付けていくタイプであるのですが、その落ちのついたという感じが心地いい。そして、そのネタがよく練られているなと感じられます。おそらくはサービス精神の旺盛な作者です。特筆すべきは欄外に描かれる登場人物紹介、一回として出来合いですまされたことはなく、設問に対する答でもって、その人となりを表現しようという凝ったものです。そうした、読者を面白がらせよう、喜ばせよう、よりよいものを作ろうという工夫が、当然本編にもあってしかるべくあるのですね。そうしてできあがるのが、D☆V的華麗さを持った、萌え心をよく喚起するコメディ、土台はというと割と正統派っぽい四コマらしさがあったりして、そのハイブリッド感、芯の強さはそのままこの漫画の魅力であるといっていいかも知れません。

そして、作者の旺盛なサービス精神、工夫の心は、主人公の保育士たちにも受け継がれていると思うのですね。その傾向は特に初期の、連載化するまでの回に顕著であったと思います。ああした誰かを楽しませようという精神、大切だなあって思います。できないことがあったとしても、できることを精一杯にがんばる。そうした奮闘が、最後のコマの、おつかれさまでむくわれる。ほっとするのですよ。

  • 娘太丸『こどもすまいる!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年12月1日月曜日

とらぶるクリック!!

 とらぶるクリック!!』は素晴らしいね! もう、大好き。PC部に所属する娘たちが繰り広げる、わいわいがやがやと楽しそうな日常の風景。ああ、なんで私はおっさんに生まれてしまったのだろう、後悔するほどです。いや、別に若い可愛い娘に生まれていたら、ああした毎日が保証されてたってわけじゃないけどさ、でもこうした部活の風景、いや部活に限んないですね、友達同士集まって過ごす時間、そのなんと輝かしく見えることよ。いや、私だって彼女らくらいの年代には、そうした時間を友達と過ごしてたはずなんだけど、でもなあ、なんで手の、指の間から砂がこぼれるみたいに、そうしたいろいろは消え去ってしまうんだろう。振り返れば、茫漠たる空虚が果てしなく広がるばかり、ああどこで道を間違えてしまったのだろう。と、こんな私が四コマの、学園ものを読む時は、果たせなかった夢、失ってしまった思い出を探すかのようであるのですね。

さて、第3巻は大富豪の回からスタートですよ。私はこの大富豪の話がもう大好きで、侃々諤々審議されるルールの数々、知ってるものもあれば知らないものも当然あるわけですが、その知らないルールの面白いことったらなかったです。この話が掲載された時のことは忘れられようもありません。職場の昼食時、自席で『まんがタイムきららキャラット』を読む私は、この話に釘付けになったのでした。もうめちゃくちゃに面白い。そう思うのは、その数ヶ月前に、同じような経験をしていたからかも知れません。当時終了がアナウンスされていたMMO、最後の最後でやけくそのように追加された機能の中に大富豪がありまして、終了に向かう教室で、私たちは夜な夜な大富豪しながら、いずれ来る日のことを考えまいとしてはしゃいでいたのでした。

その大富豪がですよ、ものすごくよくできていたんです。細かなルールをオンオフすることができましてね、例えば8切り、2あがり禁止など、しかし私はそうしたルールをまったくといっていいほど知らなかったのですね。だから、教室の皆に教えてもらいながらプレイして、それがすごく楽しかった。そうした日々のことを思い出させた『とらぶるクリック!!』大富豪回は、おそらくは多くの人の過去の記憶を呼び覚ましながら、共感をともに引き込んだに違いない、そう思っています。それくらいに大富豪はポピュラーだし、そして話のテンポも最高によかった。実際、この話は、あの号における白眉であったと思います。つかんで、引き込んで、緩急付けながら最後まで引っ張って、そしてあの落ち。しかも、あれ、私もやっちゃったんですよ。最後に3を切ってあがるつもりが、革命受けて、2あがり禁止ルールに抵触しちゃったんです。3持ってるんだけど、2あがり禁止って、革命受けたら3あがり禁止? って聞いたことを覚えています。大丈夫なんじゃないかなあ、試しに切ってご覧よっていわれるんですけど、切れない。システムが私の札を拒否するんです! まさしく、……私の負けです状態。革命まではぶっちぎりのトップで、…ついに来たよ 私の時代!!なんて思ってたのになあ — 。

かくして、私のポジションはなつメロなのであります。まあ私も眼鏡キャラだったしな! で、罰ゲームはその日一日語尾にハァハァをつけるだったかな? とにかく屈辱的で、最低でしたハァハァ。

しまった。冒頭16ページまでのエピソードでこんなに書いてしまった。

2巻で仲間に加わったなつメロ、当初はちょこっと距離を置いていた彼女も、3巻ではすっかり溶け込んで、あのメンバーではどんどん自分から出ていくくらいでちょうどいいっていうのを学んだって感じなんでしょうか。その打ち解け具合が、すごくいい感じであるのですね。それに、なつメロに限らず、皆が自分のポジションというのを確立している、それもすごく自然にはまっているって感じで、それが見ていて楽しそうと感じさせる最大の理由であるのかなあなんて思えて、やっぱり彼女らの空間はよいなあ、そう思う気持ちが止まりません。

特にどこでそう思ったのか、具体的に書いてもいいんだけど、きっとものすごく長くなるから、今日はやめときます。ただ一言付け加えるなら、結構自分好きのなつメロ、可愛いなあ。でも、柚が好きです。あの、自分が撮られるのいやだからといってカメラ係を買って出たりするところ、なんかわかります。私もそうでしたから。って、一言が長いな。長いついでに書いとこう。杏珠たち下級生グループとは一線を引いているようにも見える桃乃。彼女の距離がもっと縮まったらなあ。なんか今の、ひとり、輪から離れることを選んだような状態だと、ちょっとさみしそうで、そうかだからあんな惨事が……。

そんなわけで、冒頭のカラー描き下ろし、ほろりと涙ぐみました。でも、なつメロほどには泣いてませんよ。

引用