2009年2月15日日曜日

フランシーヌの場合

 なぜかわからんのですが、歌声喫茶を今のこの時代にあえてやりたいという人と知り合う機会を持ちまして、それでなんでかわからんのですが、その手伝いをすることになりまして、端的にいいますと、歌います、そして伴奏します。けど、いったいなにを歌ったものか、それがわからず困っています。狙いの客層というものがあります。店主にいわせれば、団塊の世代、つまりリタイアして悠々自適に暮らそうという、そうした人たちをターゲットにしたいのだそうですが、だから若い人の歌はあまり選ばないで欲しい。まあそれはいいんです。私が若い人向けの歌を知りませんから。けど、だからといって六十七十代に訴える歌というのもちょっとわかりません。とりあえず初回のお勤め(といっても給金は出ない)を果たして、自分の父母よりもちょっと上の世代が中心かとあたりを付けたけれど、そうなるとなおさらどんな歌がいいかわからない。頭かかえる思いでいます。

そんな私の支えとなるのは、全音楽譜出版から出ている『歌謡曲のすべて』であります。そしてもうひとつ、デアゴスティーニからリリースされている『青春のうた』。ここからピックアップしていけばよいのかな。前者、曲集はなにしろ戦前歌謡から軍歌から収録しているし、後者は歌声喫茶全盛の時期もサポートしているし、しかしそれでもよくわからんなあ。わからんながらもこれがいいんではないか、そんな風に思う歌もあって、そうした中の一曲が、新谷のり子の歌った『フランシーヌの場合』です。

私ははじめてこれを聴いたとき、てっきりシャンソンに日本語歌詞をつけたものだと思ったんです。実際、この歌のはやった当時にもそう思っていた人は多かったらしいのですが、実はそれは勘違いというやつだそうでして、つまりフランスにオリジナルがあるのではなく、日本で作られた歌であるんです。作詞はいまいずみあきら、作曲は郷五郎。ただし、題材はフランスの出来事に取材していて、パリにて抗議の焼身自殺を遂げたフランシーヌ・ルコントがモチーフになっているのだそうで、それが3月30日。フランシーヌという名前と、3月30日の日曜日という日付は、歌詞にもはっきりと歌われて、つきはなされるような悲しさや世界と断絶されるようなやるせなさ、そうした感情を抱える歌詞と曲調が相俟って、なんともいえない独特の世界をかもしだしています。

私がこの曲を歌おうと思ったのは、『青春のうた』にて聴いてどうにも忘れがたかったということがあって、そして『歌謡曲のすべて』に楽譜を見付けた、その二点がためでありました。しかし、まずは心のどこかにひっかかっていた、そうした事実が重要でした。陰惨ささえ感じさせる歌、それが無理に情感もりあげるでもなく、淡々と歌われる。まるで、フランシーヌを遠くに感じ、ながめるような、そんな距離が切なかった。けれど、その距離感とは、フランシーヌに向けられたものというよりは、むしろ彼女のようにはあれない私に対するものであるのかも知れない。そのようにも感じさせて、素朴で素気ない、そんな歌が、歌うほどに沁みるのです。

だから私はこれを愛称していて、実際この歌は大ヒットしたそうではありませんか。きっと一部の世代には訴えるだろう。そのように思って、信じて、歌っていきます。

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