2009年2月13日金曜日

S線上のテナ

  S線上のテナ』については、なにを書いたものかわからない。そんなことを以前いっていました。さらに加えて、音楽の用語がちらつく、そこが気になって、引き込まれる前に引き上げられてしまう。そのため、とても読みにくい。そんなこともいっていました。けれど、撤回します。枝葉末節など気にせずに、本筋を読めばいいといった、その本筋はいまやずいぶんと育って、第5巻においては圧巻。しっかりと太い幹がストーリーを支えて、読み応えのあるドラマを描いて、ああ、いい漫画であるなあ、心からそう思いました。思いがけない展開があった、思いがけない繋りもあった。それらは私が見落としてきたものであり、それゆえに意外性は抜群で、けれど意外性だけが私の感想の源ではありません。私の感想の源泉は、登場人物の感情の発露、そこにあったのでした。

自分でも思いもしなかったくらいに、引き付けられた。それは、その描きだされた表情の持つ力だったのかもな、そのように思うのです。キタラの喜怒哀楽。幸福から悲劇に反転し、そこから一気に駆け上がるかのような盛り上がりは、見せ場であるのは間違いないのだけれども、ただそれを見せ場といってしまうことには抵抗がある。渾身の見開きは、ここぞというポイントに投入されて、最高の効果を上げていた。そのように思うのだけれども、それをただ効果といってすませたくない。そのように思うのは、あくまでもストーリーを語り、状況を説明するそれら描写に、機能以上のなにかを見出したいと思うがためなのでしょう。それは、調律師と恭介の関係を明らかにするために用意されたものであったのだけれど、その目的以上に豊かであった、そのように感じられて、そしてその豊かに溢れる感情は現在に戻り、恭介、テナ、アルンという人たちに繋がっていく — 。

その一連の流れを、うまさという表現ですませたくはありません。

そこには、描かれたこと、それ以上のなにかがあったと思います。それらは決して斬新ではないし、ベタあるいは王道といってもいいものであったかも知れないけれど、あらわされた感情は確かに彼らに固有のものでした。他の誰か、他のなにかから引き写してきたというような、ありきたりのものではありませんでした。そう感じさせたのは、技術技巧という言葉では説明しきれない、心をそこにそっと置いて、優しく丁寧に触れようとする手の持つあたたかさ。どうしてこの思いを伝えようか、その一心で綴られた短かながらも確かに届く言葉の持つ力。そうしたものに似た実感が、ページに、一コマの絵に、しっかりと息づいていたからでしょう。

その実感とはなんなのか。問うてみれば、おそらくは大切に思う気持ち、それに尽きるのだろうと思います。作中の人物が向ける思い、そして作中の人物に向ける思い。それを表わすための言葉を探して、探して、そして見付けたのがあの表現だったのでしょう。その探す過程で、思いはシンプルに、研ぎ澄まされていって、あんなにも綺麗になったのかも知れない。特別な気持ちを伝えるために、特別ななにかはいらない。当たり前の普通の言葉が、当たり前に、私の思う誰かのために紡がれる。そうしたことこそが美しい。そのようなことを思わせる、心に沁みるシーンがあったのでした。

  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第4巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第5巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2009年。
  • 以下続刊

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