2009年5月1日金曜日

看板娘はさしおさえ

    約束を果たすとしましょうか。『まんがタイムきららMAX』2009年5月号の感想において、『看板娘はさしおさえ』最終回について触れ、

詳細については、最終巻が出たときにでも書くんじゃないかと思います。書かないかも知れないけど。

書かないかも知れないけれど。ええ、実は書かないつもりでいたのでした。私はひねくれものだから、ああした書きかたをしたときには、まず十中八九は書きません。書いたとしても、わざと最終回に触れないとかね、そうしたことをするのが私なのですが、第4巻読み終えて、それに触れないということもまたできないだろう、そう思わないではおられなかった第4巻、『看板娘はさしおさえ』の完結巻であります。あっという間だったような気がします。5年くらいやっていたのかな。それが終わって、単行本になって、ああ本当に終わったんだな。けれど、さみしくもあり、けれどなにか晴れやかでもあり、そうした感想の残ったのは、愛着と、そして極めて幸いな日々の描写、その後の風景のあったためであるかも知れません。

でもあんまり言葉にはしにくいのです。どうしても月並でしょう。単行本で読み返してみると、途中から終了を意識した準備が始まっていることがわかる。それで、ちょっとどきりと読む手を止めて、それでまた先を進めて、そしてまたどきりと立ち止まる。その繰り返しで、終わりに向かっていって、これが辛い。私は連載で読んでいるから、これから起こることがわかっている。どういう展開をするかもわかっている。けれど、それでも辛いのは、物語の筋立がそうした感慨を催させるからでもあるのだろうけれど、それ以上に、物語中の人たちの感情が胸に押し寄せるようにいっぱいであるから。溢れる感情は強くて、作りものでありながら、作りものではない、そうした実感を伴なって、だからこそ辛い。ええ、もちろんその後に起こることはわかっています。それでもなお、その読み進めているその時現在の彼らの驚き、悲しみ、後悔や自分の無力であることを嘆く気持ちなどもろもろが、次々と、心の奥に積み上げられていくがようだったのですね。

これは泣きそうだ。だから堪えて、そこにラリアートで何十メートルとかきて、必死で我慢して、ボキボキでゴロゴロで、笑ってしまいそうになるんだけど、笑えば決壊することはわかってるから、耐えて、腹筋だけで笑って、耐えて耐えて耐えてきたことが、こうして文章にする過程でこぼれてしまうんですね。ええ、悲しみがあって、そしてそれが後には幸いなものとなって、それはもしかしたらご都合主義なのかも知れない。読者はきっとそうした辛いエンディングを望まないだろう。だから、幸いなラストを描いたのかも知れない。連載で読んだ時、あの一段目のラストを見て、やられたと思った。昭和の昔、子供向けのアニメでも、最終回はそれはそれは悲しさにあふれた別れが描かれて、それはしばしのお別れなんてものではなく、今生の別れであった。もう会うことはできなくなる。そうした別れの光景に、子供どころか親まで泣いたりしてね、鈴城芹はこの漫画のラストにそうしたものを持ってきたのか。やられた。辛い。確かに辛い。しかし、今まさにここで完結しようとする物語の力強さよ。すごいなと思ったんだ。

そして、ラストは二段目に進んで、それはとても幸いなもの。十世が帰ってくる。えーっ! こぼした涙を返せよ、とは思わなかったですね。それは、これまでについやされた感情が、そのまま二段目を推進する力として働いたからだと思います。感触としては、ボーナスに近い。けれど、決してイージーではなかった。思い出されるものといえば、『ドラえもん』でしょうか。6巻から7巻に続く、その時の話、「さようなら、ドラえもん」、そして「帰ってきたドラえもん」。あれらの話が秀逸なのは、のび太がドラえもんの帰ることを受けいれ、そして、

ドラえもんが、いるわけないでしょ。

ドラえもんは、帰ってこないんだから。

もう、二度とあえないんだから。

完全な諦念のうちにいるというところでしょう。もう別れをすべて飲み込んでしまっている。だからこそ、思いもしなかった再会、ありえなかったはずの再会があそこまで感動的になったのだろう。それを見守る私たちも、喜びをともに再び彼を迎え入れる気持ちになれるのだろう。だとすれば、『看板娘はさしおさえ』においても、あの時、行李がふたたび持ち込まれるまで、誰も十世の戻ることを予想だにしていなかった。完全に別れたものと皆が皆うけいれていた。そうした気持ちの伝わり、そしてそうした気持ちが消化されたからこそ、あの二段目はなしえたのだと思うのですね。

そして、単行本ではさらにボーナスが続いて、早潮家とそのまわりの人たちのその後が描かれて、ああ時間は流れていく。そうした様がなおさら幸いと感じさせてくれて、そう思うのはあれだけの幸いさに満ちた時間を共有してきたからこそでしょう。すべて、この感想、感情、感動の源は、この漫画のなしてきたことのうちにあると、そのように思えるから、終わりを迎えてなおさらよい漫画であったと思うのでしょうね。幸いな時間の延長に、愛おしい人たちの暮らしている、そうしたことを知ることができて、本当に嬉しく思えて — 、本当によい漫画でした。

引用

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