2009年10月31日土曜日

アットホーム・ロマンス

 アットホーム・ロマンス』、ついに最終巻です。強烈なインパクトのある漫画でした。だってよ、連載で全部読んできたっていうのに、単行本、久しぶりに触れたら、あんまりにノリが過激すぎて、おおっと、こんなに高高速度ノンストップ展開だったっけ!? よくこんなの普通にのめりこんで読んでたな、鈍った身にはちょっとついていけないんじゃないかと心配したくらいであるのですが、ここはさすがといいますか、しっかり私を掴んで、ひっぱっていってくれました。最終巻、第3巻はこれまでに描かれてきたことの総決算といってもいい、そんなフェイズにはいっていて、いわば収穫の巻。その出来は、まさしく豊穣。豊かで、素晴しい。本当にいい作品であるなと思う、そんな感覚に震える思いでいます。

 3巻巻頭のカラーページ、ちょっといつもよりもページ数が少ないものだから、これは後日談がくるに違いない。本編でさえあれほどに感動的だったんだ、だからきっとすごいことになるに違いないぞ。そう思って読み進めて、やっぱり感動したあのラストを迎え、そして、そして、ページをめくって、ええーっ、なんてこった! やられました。あんな展開に持ち込むなんて! いや、面白かったですよ。ああした遊びは、これまでに描かれた充実があってこそ輝くものだ、そう思います。でも、後日談とか欲しかったなあ — 。

いや、それは嘘だ。私はこれ以上のものを求めていはいない。なぜって、本編で充分以上に描ききられていたからに他なりません。竜太朗も暁子も、親父も母さんも、なっちゃんをはじめ友人たちも、皆が歩こうとする道筋の確かさ、それは本編、そのラストにしっかりと描かれていました。あえて語られることはなくとも、誰もが容易に彼らの将来、行く末を思い描くことができるだろう、それほどに確かな足取りがあった。だからそれ以上はもう必要ない。ええ、あの本編にて完成した『アットホーム・ロマンス』は、そのうちに大きなものを抱え、この本を読もうとするもの、すべてに対して開かれている。読み、触れたものが、自分の身に、心に引き付けて思いさえすれば、自ずと辿りつくものがあるだろう、そうした作品になったというのです。

思えば、大きな家族愛を描いた漫画でした。マザコンの少年が主人公。度を過ごしたマザコン少年は、同時に常軌を逸したシスコンでもあって、しかも姉が尋常でないブラコンであったものだから、ふたりはどんどん深みにはまっていく。けれど、彼はただ母を姉を慕い甘え愛を乞うばかりではなく、周囲の人たち、友人たちに惜しむことなく愛を注いできた。彼は確かに自らの愛に足をとられ、ぬかるみのなか進むように、苦しんだのだけれど、その苦しみから彼を引き上げたのもまた愛であったのですね。誰かに注いだ愛は、強い手となって戻ってきた。ああ、この漫画は母、姉、そして父に対する愛を描いたものであり、そして愛は軽がると家族という領分を超えていくのです。その愛は、恋人に向けられる愛であるよりも、むしろ隣人愛とでもいうべきものかと思う。困っている人がいたら、手を差し延べずにはおられない。そうした、深い慈愛に似た、大きな愛を持った少年、それもまた主人公竜太朗であったのだと思います。

 愛をふりまき、愛に繋がれた、そんな竜太朗は自立を目指して、それゆえ孤独にさいなまれることになるのだけれど、もしかしたらこれは、竜太朗と暁子、竜太朗と母明美の関係にとどまらない、すべての人が抱える、そうした状況を反映しているのかも知れない、そんな風に思うこともありました。私たちは、究極のところ、ひとり、でしかありません。世界という舞台の上で、気付けば孤独である自分に気付くことがある。孤独を怖れ、孤独に苦しむ私たちは、孤独を慰撫しようとあの手この手で繋がりを志向し、それは時に過剰なものとなって、繋がりという嗜癖 — アディクションに陥ることもしばしば見られるほどになると、果たして私たちは竜太朗や暁子とどう違うというのだろう、彼らを変態といって笑っていられる立場なのだろうか。そうした疑問さえ湧いてきます。

竜太朗は、暁子は、繋がりを過剰に志向しながらも、それを乗り越えます。孤独を抱え、苦しみながらも、引き剥がされる痛みに耐え、自分の足で歩くことを決意し実行し、互いに送り出します。距離は自分たちを引き離しはしない。会えなくとも、言葉を交わすことがかなわなくとも、それでも竜太朗は姉を愛し、暁子は弟を愛し、父を愛し、母を愛し、そう、その思いさえあれば、人は孤独にはならない。たとえひとり奮闘することがあっても、その心は支えられているのだ。だとしたら、これはどれほどに大きなアットホームであることでしょう。揺らぐことのない愛に包まれている。そう思える者が、そしてそうした愛を誰かに与えられる者が、もっとも豊かな世界を手にしているのだ。そうしたメッセージがひしひしと身に打ち寄せてくる最終巻でありました。

解説には河原木志穂さん。私は寡聞にして、そのお仕事について知らずにいたのですが、けれどエピソードは聞いて知っていて、その河原木志穂さんによる解説。しんみりとさせて、ユーモアもあって、あたたかなものでありました。巻末、謝辞を見れば、河原木志穂さんだけでなく、多くの人がこの漫画を愛し、支えていたということがわかって、それはおそらくは、この漫画ひいては作者その人が与えたものがあって、それを受けて、自分たちも与えたいと、受けたものを返したいと、そうした相互の与えあいの結果が、あの人の輪であったのではないか、そのように思われて、ええ、こうしたところにもなんだか感動してしまうのですね。

ところで、今日、『アットホーム・ロマンス』のサイン会があったんですよ。実はいきたかった。けれど、今日は『今夜も生でさだまさし』があって、それも京都であって、その観覧募集に応募してたものだから、サイン会への参加は見送らざるを得なくって、けどNHKは見事落選したから、こんなことならサイン会に参加すればよかった! 名古屋なんて、電車でピューっだよ!

残念。本当に残念。けど、これでいい。そう思う気持ちもあって、こうして読者として関わりを得て、読者として応援してきて、読者として最後まで立ち会うことができた。そのしあわせだけで、もう充分なんじゃないかって。それ以上を求めることは、それこそ過剰なものなのではないかって思うから、一読者としてこの漫画が好きだったという気持ちを、この漫画を作り届けてくれた人たちへの感謝とともに、この胸に抱えていこうと思います。

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