2010年12月8日水曜日

セラフィム — 2億6661万3336の翼

 今敏氏が亡くなって、あちこちから惜しむ声が聞こえてきて、テレビでは『パプリカ』が放映されて、しかし私は氏の生前に、氏の作ったものにはほとんど、まるでといっていいほどに触れていませんでした。いや、まったく知らないと思っていたのです。それくらい身近と感じてなくて、けれどアニメでいうと『パーフェクトブルー』、これ、劇場で見てました。そして、『セラフィム — 2億6661万3336の翼』。これ、『アニメージュ』で読んでました。ああ、そうか。知らずとも、触れていたのか。そうした思いに氏の存在の確かであったこと、思ったのでした。

氏が亡くなったことをうけて、未完の漫画が出版されることとなった。そうした報を聞いた時、私はまさかその漫画を知っている、ましてや読んでいたとは思っていなくて、どういった漫画なんだろう、そうした興味を持ったのでした。しかし、伝え聞く内容になにか引っ掛るものがあって、天使病というキーワード、もしやと思わせるものがあって、いろいろ確認してみれば、ああ『アニメージュ』で読んでいたあの漫画だ。

『セラフィム』は、天使病と呼ばれる謎の奇病が蔓延し、人類は滅びに瀕している、そんな時代を舞台にして描かれた、近未来もの。カテゴリとしてはSFであり、しかしファンタジー寄りという印象です。天使病の鍵を握る少女セラを伴いユーラシア大陸奥地へと向かうWHO審問官たち。その男たちにも過去があり、すなわちドラマがあり、また道中が安全快適であるはずもなく、妨害にあいながらも危機を切り抜け目的地に向けて歩を進める。

残念なのは、この漫画が未完であるということです。私は、この漫画の結末を知らないのは『アニメージュ』の購読をやめて、連載を追うことがなくなったからだと思っていました。けれど、単行本を読んでみてわかった。私は、連載が中断するまで『アニメージュ』を購読していました。単行本に収録された最後の話、その内容、断片的ながらも覚えていたのですね。1994年から翌1995年まで掲載されていた漫画、今から15年も前の漫画であるというのに、断片断片が記憶に残っている。単行本で読み返す以前に思い出せたことは、天使病、その病により変形した体、そしてシューマン共鳴という言葉(いや、私はそれをシューマン曲線と誤って覚えていたのだが)でした。暗く陰鬱な漫画、内容は重々しく、けれどすごく訴える力を持っていた。ゆえにその印象は私のなかに跡を残して、だから中断したことを知っていたはずなのに、その先を望んでしまっていたというのでしょう。

単行本には、もしかしたら中断した時点以降のプロットなど載りはしないだろうかという期待もあったのですが、それは残念ながらかないませんでした。できるなら、この先の物語を知りたい、読みたいと思うのだけれど、それは到底叶わぬことでしょう。原作、後に原案となった押井守は存命だけれど、そのクレジット変更が示しているのは、『セラフィム』の物語は押井守の手を離れ今敏の物語となってしまっていた、ということであるのでしょう。だから、もしこれから先『セラフィム』の続きを知ることができたとしても、それはこの漫画の種であった押井守の『セラフィム』であり、今敏の『セラフィム』ではないのですね。

もし今敏が存命であったとしても、この漫画の続きが読めることはなかったと思います。だから、ないものねだりをしているに過ぎない。それはよくよくわかった上であえていいたい。セラたちの旅、それはいったいどういうものであったのか、どうした未来に向かっていたのか、それが知りたかった。無理とわかっていながらそう思わずにはおられない、それだけの魅力を放っている漫画であるのでした。

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