2012年6月1日金曜日

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!

  存在は知ってたんです。書店新刊の棚に平積みにされていて、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』、なんかネガティブなもの感じさせるタイトルです。かと思うと、表紙には可愛らしいお嬢さん。ああー、これはモテない私、なんで私モテないんだろう、とやってる彼女を、いやいや、お嬢さん、君は可愛いよ、君の可愛さは僕が知っているよ! と、あたかもその可愛さをひとりじめするようにして楽しむ類いの漫画だな。そう思ってた、思ってたんだ……。

一旦は見送ったこの漫画ですが、それを一転買うと決めたのは、tsawada2さんの記事がきっかけでした。ほう、なんだか楽しんでらっしゃるようだ。この様子ならきっと私も楽しく読めるだろう。そう思って買ってきた。それで、なにはさておき、一気に読んでみたんです。

こ、困った姉ちゃんだな……。読んでる途中はそんな思いでいっぱいだった。いや、だってさ、ヒロイン、智子、姉なんですね。モテない女の子。けれど、私だって女子高生になれば、きっと! そう思っていたのに、まったくなんにもない。ああ、まるで人生の真空地帯にいるみたいじゃないかね! ああ、そうだよ、私と社会の間には、すべてを拒むような真空地帯があったのだよ — 。いや、私のこたあどうでもいいんだ。智子です、智子。モテない。それどころか、友達だっていない。学校で話さない。それでどんどん卑屈になって、弟相手に会話のリハビリをしよう。それこそ毎日つきあわせようとか思ってて、しまいにはお姉ちゃんってかわいい? ですよ。いや、もう、うちの姉ちゃん、こうじゃなくってよかったなあ。心底思ったものでした。

智子のデザインは、入れ物こそは女の子だけれど、中身は思春期の男のそれ、そのものだよなあ、なんて思いまして、いやいや、今の自分からしたら、そんな時代もあったねと笑って話せる過去ですが、いや、ごめん、笑えない。自分だってモテたりしないかな、そんなこと分不相応に思ってた時代があったわけで、ああ、実に智子の行動思い込み、私もまさしくこうした様相呈していたのだろうなあ、感慨深いというか、むしろ痛ましさに自分の胸もずたずたになるというか、うん、この本は読者を試しているのだろうか。読んでいれば、自然と心が鍛えられる、気がします……。

智子は、自意識過剰なのかも知れない。人に好かれたい、そういう思いはあれど、アプローチのしかた、学ぶべき情報源を間違えてるのかも知れない。すっかり自信をなくしてしまっている。いいところ、なかなか見付けられないなあ、そんな女の子なんですが、それはそう思われるように仕向けられてのことでしょうから、見付けられないのも仕方がないのです。それでもまれに、いいじゃん、そう思えることがありまして、本当に報われてるかといわれればわからない、けれど、智子自身は報われたと、そう感じてるんじゃないかなあ。嬉しそうにしている、楽しそうにしている、そんな彼女を見れば、よかったじゃん、そう思えるんですね。それは、報われなかった自分を哀れんでなのか、いや、そうではないと思いたい。ただただ、この困った女の子が、それでもちょっとでも生活の中に楽しさを見出せたなら、それはとてもいいことだと思う。なにかほっとけないんですね。だからなんですね。

引用

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