2016年10月19日水曜日

この世界の片隅に

 見てきました、アニメーション映画『この世界の片隅に』。昨年の春、クラウドファンディングにて支援を求めたところ、予想外の資金が集まったことでも話題になった映画です。ですが、この映画に関しては、そうした金額の多寡によって語って欲しくない。あれだけの支援が集まったのは、他でもなく、原作漫画『この世界の片隅に』を愛している、大切に思っている人が多かったから。そして、この漫画がアニメーション映画となることで、その表現がどのような広がりを見せるか、そうした可能性に期待をした人が多かったから。お金が集まった、それはひとつの結果で、大きな成果でありますが、お金だけでは語れない気持ちがいっぱいあるんだよ。クラウドファンディングでいくら集めた、そうした情報に触れた際には、どうかその向こうにある支援者たちの気持ちにも思いをいたらせてほしい。そのように願っています。

この映画、期待されているのでしょうか、注目されているのでしょうか、今朝のNHKで特集が組まれていまして、映画のシーンが紹介され、監督や主演ののんさん(本名能年玲奈さん)そして原作のこうのさんのインタビューが放送されるなど、思わず見入ってしまうとともに、あまりのタイミングに驚いてしまいました。ああ、これを機会に広く知られて欲しいな、多くの人に見てほしいな、そして自分自身、この映画をはやく見たいと気持ちがはやるばかりでした。ああ、あまりのタイミングというの、他でもない今日が大阪での先行上映の日だったからです。昨日の夜から、今日に向けてコンディションを整えて、心待ちにしていたら、朝から特集だよ! もう我慢しちゃいられねえ! って、アホですね。でも、ほら、それだけ期待していたんですよ。

これがどんなアニメになるのか。そこに不安はありませんでした。折々に送られてくるメッセージ。そして昨年夏に参加した制作支援メンバーズミーティング。それらによって制作の状況を知ることができたのに加え、完成している分のアニメーションにまでも触れることができていたからです。原作の雰囲気が損なわれるのではないかという心配などはまるでなし。むしろ原作をベースにしてそこにさらに加えられるアニメーションの魅力や、より作り込まれるすずさんのいる世界の質感、それは同じ『この世界の片隅に』でありながら、同時に異なる魅力を備えたそれぞれ独自の作品となりうる — 、そうした広がりや可能性に胸踊らせたのです。

きっとすごいものになる。きっとすごいものになる — !

そう思いながら鑑賞した、映画『この世界の片隅に』は、本当にすごいものでした。

第二次世界大戦を呉にて経験した女性の物語です。少女期を広島に過ごし、そして年頃になって嫁いでいく。あたり前の、別に特別でもなんでもない普通の人の人生の節目のエピソードが、ポツリポツリと少しずつ語られていくその様は、ちょっとユーモラスで、チャーミングで、なんだか放っておけない、そんな感じの愛らしさに満ちていて、ああ、人の一生というのは、こんな具合に、あの時はこうだった、この時はこんなだったと、小さな出来事、思い出、記憶が、ちりばめられるようにしてかたちづくられるものなのかも知れないな、などと思えるような見せ方。その時々の出来事はというと、楽しいことがいっぱいで、不思議なこともいっぱいで、けれど楽しいことばかりではなくって、最初のうちはほのぼのと、いたいけな人を見守るみたいにしていたのが、いつしか日常の憂いにも触れることが増えてきて、ああ、人はいつまでも子供ではいられないし、大人になれば、生活を自分で負うようにもなれば、苦労もまた増えるのが人生でありましょう。けれどそれにしてもあんまりじゃないか。そう思うこともありながら、主人公のすずさんの持ち前の明るさや、あっけらかんと、のんびりと物事に対するおおらかさに救われるような思いもしながら、彼女と彼女の生活と、彼女の生きた時代とを、その身のそばに立つみたいにして感じていました。

しかし、それにしてもあんまりと、そういうことは本当に容易いんです。そういう時代だった、あんまりのことに、自分は今のこの時代に生まれて過ごせてよかったなあ、そういう風に片付けてしまうことはたやすい。だけど、自分があのすずさんの状況にあったらどうなのか。かつてこうした実際を経験し、乗り越えてきた人たちはどうであったか。思えば気持ちがとまらなくなる。それはひとえに、すずさんや、すずさんを囲む人達のありようが、ありありと手に触れて感じとれるような近しさを持って描かれていたからなのだろう。彼女らの思い、感じている多くのことが、胸に切々と訴えてくる。私のからっぽの胸にも、それはそれは大きく響いて、ひとごとでなんていられなくなる。すずさんという人の物語を、身近な人のそれ、まるで家族の身に起きたことのようにして受け止めて、それだけに重くのしかかってくる。それは、すずさんが普通の人であるがために、普通の、誰にでも起こりうる、起こったかも知れない、起こるかも知れないこととして、彼女の経験することごとを見ている私が自分のことのように生々しく引き受けてしまうからなのだろうと思います。

運命に、あるいは状況に翻弄されたひとつ個人が、懸命にその時々をこそ踏み越えていく、そうしたすごみさえ感じさせる映画でありました。

人生というのは、その規模こそはまちまちだけれど、あんまりなことが多すぎて、そのあんまりなことになげきながらも、嬉しかった気持ちや楽しかった思い出、誰かにしてあげたこと、誰かにしてもらったこと、日々の小さなしあわせなんかを支えにして、ようやっと進んでいくものかも知れないね。泣きながら、笑いながら、ただただ今日を暮らして、きっとくる明日を迎えては越してゆくものかも知れない。けれどそのあんまりが、あまりにも過大であった時、人はいかにして生きていけるものであるのだろう。そんな思いにとらわれて、胸苦しくなることもある映画でした。けれど見終えたときに、生きるということの本質とはこれなんだよと、そっと伝わるものがあった。そんな思いのする映画でありました。

  • こうの史代『この世界の片隅に』上 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2008年。
  • こうの史代『この世界の片隅に』中 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2008年。
  • こうの史代『この世界の片隅に』下 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2009年。
  • こうの史代『この世界の片隅に』前編 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2011年。
  • こうの史代『この世界の片隅に』後編 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2011年。

参考

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