2017年2月15日水曜日

けものフレンズ

 すごい人気になってますね。なんて、まるで当初の話題になってなかった頃から見ていたみたいな風にしれっといっちゃってますけど、私が『けものフレンズ』を視聴したのは話題になってからです。Twitterのログ見れば、最初の言及は2月8日。ええ、ばりばり話題になってからですね。私のフォローしてる人のなかに、本当に放送当初から『けものフレンズ』はいいっていい続けてる人がいて、その人のログ見れば、ほんと、2話時点から評価してる。ええ、この人のおかげでタイトルに覚えがあった。そして、こうした人たちが面白い、素晴しいって支えていてくれたこと、それが今の評価に繋がる流れを作ったんですね。ええ、アーリー・アダプターの人たち。感謝ばかりですよ。

昨日、Blogの記事に取り上げてましたChromecastですよ。これ、一体なんのために導入したのかといいますと、dアニメストア、こいつをテレビで見るためでありまして、なぜdアニメストアなのかというと、月額400円で『けものフレンズ』見放題! だからなのであります。

いやもう、これ、なんで見ないと決めたんだろう。そう思いましたね。ゲーム原作、CGアニメ、あんまり金がかかってなさそう。こうしたところから、手もかかってないに違いない、そんな判断をしたのでしょうね、きっと。また、ここ数年増える一方だったアニメの視聴本数。それを削りたいという気持ちが強かった。かくして出遅れてしまったというわけですが、遅れて見ようが、流行についていっただけであろうと、見てよいと思えるものなら、それでいいんですよ。

アニメ『けものフレンズ』、いろいろ思うところありましたよ。サーバルちゃんはじめ、フレンズの皆が元気で明るくて個性的で可愛くていい。ポジティブな言動を浴びるようにして見る、聞くのは、ほんと、いいものだなあ。また、ほぼ廃墟になってしまっているパークの現状にかばんちゃんの存在。いろいろ不安を感じさせまして、いえね、かばんちゃんがなんの動物かサーバルにはわかってなかったわけですよ。だから図書館にいって調べようという話になっていたわけですが、じゃあヒトと確定してしまえばどうなるのか。けものとヒトは相容れない? 友達にはなれない? あるいはけものとヒトの区分を越えてなお友達であり続けるのかな。そもそもかばんちゃんはヒトなのか、ヒトのフレンズなのか、などなど、考えすぎると不安になるからあんまり考えないようにしたいところですが、ともあれ、このへんが気にならないという人、少ないんじゃないかなと思います。

さて、そんな私がこのアニメのどこに打たれたのか。それは、たとえば2話ですよ。ええと、ネタバレしますよ。ネタバレ嫌なら、ここで帰ってね。ええと、図書館に向かう途中、あるはずだった橋が落ちてしまって、川を渡れなくなってしまってた。それで、皆で力あわせて、不完全ながらも橋を復旧することになるんですね。

その橋をかける描写ですよ、参ったのは。かばんちゃんがアイデアを出して、泳げるジャガーとカワウソが残る橋の基部に蔦を使って板を渡す。工事ですよね。仕事ですよ。でも彼女らにはとっては、そうした仕事が楽しみであり、喜びであり、まるでレクリエーションみたいにして架橋という事業を成功させるんです。これはじめて見た時に、ああ、仕事というのは本来面白くて楽しいはずのものなんだったって、なにかを作り出すということは喜びであり、それが誰かの役にたつものであるならなおさらではないか。なのになぜ自分はそうした喜びから遠ざかってしまっているのか。自問せずにはおられませんでした。同時に、あまりに眩しい彼女らの様にしたたか打たれたのでした。

このアニメには、プリミティブな喜びがあふれている。そう思うんですね。なにをするにも新鮮な驚き、喜び、興味がその底に流れていて、わくわくさせられる。なんだか楽しくなってくる。ええ、貴重な体験だと思います。

第5話「こはん」が突き刺さるようでした。家を建てたいビーバーと、同じく家を作りたいプレーリードッグの話。ビーバーが問題を抱えているのですが、それがもう他人事ではない。ずっと私の悩んできたこと、それにまるっきり重なって、目がくらむ思いでした。家を建てるのに必要な資材は揃えた。プランもだいたいできている。なのに、不安が先にたって作れない。正直、びっくりしましたけどね。ビーバーは巨大なダムを作りますが、じゃあ、あれってどうやって踏ん切りつけて作りはじめるの!? なんて疑問もわいたのですが、ともあれこのアニメのビーバー、彼女の抱える問題はまさしく自分の長年思ってきたものに同じであったのですね。

準備を万端ととのえて、それでも踏ん切りをつけられない。そうした自分の性質を思っては、考えるより先に動き出すことのできる、そういう人の方が成功しているように見える。ずっとそうした性質を持つ人達を羨んでいたんですね。ええ、このアニメでいうところのプレーリードッグですよ。でも、そのプレーリーの行き当たりばったりすぎる行動とその帰結。もう本当におかしくて、笑って笑って、そして思ったんですね。どっちも駄目だな!

でもこの後に、両極端のふたりが協力することで長所を活かし、短所を補う。そうした展開が続くんですよ。知らず涙が出ましたね。こうありたいと思える姿を見せられた。自分の抱える問題、それがたとえ自分自身のことでなくとも、こうして解決する様を見せられることで、ずっと流すこともできずにいたものがきれいになった。そうした感覚を味わったんですね。

『けものフレンズ』、すごくシンプルな話です。難しいことはやらない。でも、それは単純というわけではなく、ましてやつまらないなんてことでもない。シンプルな表現に、確かなメッセージが感じられる。そして今のこの人気は、メッセージが届いた、受け取ったという人が多いってことじゃないのかな。なんて風に思っています。人によって感じ入るポイントは違ってるってことも確かそうで、愉快だって思ってる人もあれば、紹介される動物の魅力に魅かれるって人もいて、そうした中に私のように、自身を振り返る、そんな機会を得るものもいるのだと思います。

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